海の中は、相変わらず静かだった。
シャウタコンボの感覚に身を委ねると、俺と水の境目はほとんど消える。泳いでいるというより、海そのものが身体を運んでいる。潮の流れ、圧の差、温度の揺らぎ――全部が情報として入ってくる。
水柱は、まだ倒れない。
倒さない。
倒す必要がない。
あれは“核”じゃない。
ジュエルシードが引き起こしている現象の一部、いわば舞台装置だ。壊せば確かに止まるだろうが、その瞬間に反動が街へ飛ぶ。被害は拡大する。
だから、抑える。
水柱の内部に回り込み、流れの“癖”を読む。
シャウタの特性が、ここで生きる。タコの柔軟性で流れに溶け、ウナギの感覚で電気のように水圧を察知し、シャチの推進で位置を調整する。
俺は、柱の“芯”には触れない。
代わりに、周囲の水を撫でる。
ほんの少し、圧をずらす。
ほんの少し、回転を鈍らせる。
水柱は相変わらず天へ伸びているが、暴れなくなった。
噴き上がる力が、円を描くように整流されていく。
……これでいい。
視線を上へ向ける。
水面越しに、なのはとフェイトの気配が見える。二人とも、戦っている。必死で、けれど前よりも迷いが少ない。
フェイトは、さっきより動きが安定している。
なのはは、仲間を気にしながらも前に出ている。
それでいい。
俺は戦わない。
今は、見守る。
水中から、戦場全体を“支える”役に徹する。
ジュエルシードの反応が跳ねれば、すぐに分かる。水の流れが教えてくれる。
一瞬、柱の内側で圧が暴れた。
俺は身体を液体のように分散させ、衝撃を受け流す。装甲に負担はない。水と一体化している限り、ここではほとんど無敵に近い。
「……焦るな」
誰に言ったわけでもない言葉が、水の中で消える。
なのはとフェイトが、自分たちの判断で戦っている。
そこに割り込む理由はない。
水柱が倒れないのは、二人が“まだ終わらせる段階じゃない”からだ。
俺は、ただの観測点になる。
逃げ場を塞ぎ、被害を抑え、最悪の一手を未然に潰す。
それだけ。
水柱は、今も夜空に立っている。
だが、その中心には、俺がいる。
嵐の目の中で、静かに。
海中での静かな制圧に、ほんのわずかな“ズレ”が生まれたのは、なのはとフェイトが同時に攻め込んだ瞬間だった。
水柱の外側で、魔力の波形が一瞬だけ乱れる。
二人の連携は悪くない。けれど、互いを気にしすぎている。踏み込みが、ほんの一拍遅れる。
……まったく。
俺は水の流れを一段階だけ強め、柱の基部から“逃げ道”を潰した。
同時に、なのはとフェイトの立つ位置に干渉しないよう、逆方向へ圧を流す。二人の足場が、見えない手に支えられたように安定する。
なのはが、はっと顔を上げた。
「……え? いま、足が……」
フェイトも動きを止めかけ、周囲を警戒する。
「何か……水の流れが、変わった……? でも、敵じゃない……」
二人の視線が、無意識に同じ場所を探す。
だが、水面の下にいる俺の姿は見えない。ただ、危険だけが“来ない”。
俺は、小さく息を吐いた。
「余計なこと考えるな。前だけ見てろ」
声は、水を伝って、ほんのかすかに届く程度。
なのはが目を見開く。
「……今の、誰……?」
フェイトは唇を噛み、剣を構え直した。
「味方……だよね。でも……どうして、私たちの動きが分かるの……?」
答えは出さない。
出す必要もない。
俺は、水柱の中心で圧をさらに整え、暴走の兆しを完全に押さえ込む。
二人が全力を出せるように。
街に被害が及ばないように。
それだけでいい。
なのはとフェイトは、困惑しながらも、互いに視線を交わし、再び前を向いた。
支えられている理由が分からなくても、守られている事実だけは、確かに感じ取っている。
俺はその様子を、水の中から静かに見ていた。
水の圧を一段落とし、俺は一瞬だけ距離を取った。
守るための介入は終わった。あとは、あの二人が“どう終わらせるか”を見る番だ。
その時、空気が変わった。
いや、正確には――世界の重さが、なのは一人に集まり始めた。
魔力が収束する。
これまで何度も見てきた“溜め”とは、質が違う。勢いじゃない。感情の爆発でもない。静かで、真っ直ぐで、揺らぎがない。まるで最初から「撃つと決めていた結果」だけが、今に向かって逆算されているみたいだった。
水中にいる俺にまで、震えが届く。
……冗談だろ。
光が生まれた。
白い、ただひたすらに澄んだ光だ。熱でも衝撃でもない。存在そのものを押し流す“圧”に近い。水柱が、悲鳴を上げる前に歪む。逃げ道を探すみたいに揺れ、耐えきれずに形を変え始める。
「スターライト・ブレイカー……!」
その名が発せられた瞬間、世界が一直線に貫かれた。
光は太く、迷いがない。
曲がらない。散らない。誤魔化さない。
ただ、前にあるものを“結果として”押し潰す。
俺は思わず、動きを止めた。
……才能ってやつは、こういう形で殴ってくるのか。
水柱は消えた。
「本当にとんでもない奴だな」