悪魔と呼ばれ慣れて 3rd   作:ボルメテウスさん

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喫茶「翠屋」の常連

 放課後の翠屋は、少しだけ静かになる時間がある。

 学校帰りのお客さんが引いて、夕方の常連さんが来るまでの、短い間。

 

 私はカウンターの中で、カップを拭いていた。

 慣れた作業のはずなのに、今日は少しだけ手が重い。

 

「なのはー、無理しないでねー」

 

「うん、大丈夫だよ」

 

 そう答えながら、私は笑った。

 いつも通りの返事。いつも通りの笑顔。

 

 カラン、とドアベルが鳴る。

 

「あ……いらっしゃいませ」

 

 入ってきたのは、見慣れた人だった。

 よく一人で来るお客さん。静かで、長居して、あまり話さない人。

 

 ツカサ先生の……親戚、らしい人。

 

「……こんにちは……」

 

 ゆっくりした声。

 それだけで、この人だって分かる。

 

「いつもの、でいい……?」

 

「はい、すぐ持ってきます」

 

 注文も少ない。

 でも、不思議と気まずくならない。

 

 コーヒーを淹れて、席に持っていくと、その人――イータさんは、ぼんやりと窓の外を見ていた。

 

「……今日は、忙しそう……」

 

 ぽつり、と独り言みたいに言われて、私は少しだけ驚く。

 

「え? あ……うん。ちょっとだけ」

 

 本当は、ちょっとじゃない。

 でも、そう言う癖が、もう身についてしまっていた。

 

「……ふぅん……」

 

 イータさんはそれ以上、何も言わなかった。

 否定もしないし、励ましもしない。

 

 その沈黙が、なぜか楽だった。

 

「……なのは……」

 

「はい?」

 

「……それ、疲れてる時の動き……」

 

 心臓が、少しだけ跳ねた。

 

「そ、そうかな……?」

 

「……たぶん……」

 

 断定しない。

 でも、外れてもいない言い方。

 

「……別に……悪いことじゃ、ないけど……」

 

 そう言って、イータさんはコーヒーに口をつける。

 

「……無理、してる人は……だいたい、自分で気づかない……」

 

 それは、誰に向けた言葉なんだろう。

 私? それとも、ただの独り言?

 

 分からないまま、私は小さく頷いた。

 

「……でも……ここで、少し休めてるなら……問題、ない……」

 

 その一言で、胸の奥が、少しだけ緩んだ気がした。

 

 特別なことは、何も起きない。

 説教も、答えも、魔法みたいな言葉もない。

 

 ただ、

 “見られていた”

 それだけ。

 

 私はまたカウンターに戻りながら、思った。

 

(……不思議な人だな)

 

 でも、

 嫌じゃない。

 

 それだけで、その日の翠屋は、少しだけ温かく感じられた。

 カウンターに戻って作業を続けていると、ふと視線を感じた。

 店の外――ガラス越しに、誰かがこちらを見ている気がした。

 

 気のせい、だと思った。

 翠屋の前を通る人は多いし、珍しくもない。

 

 でも。

 

「……」

 

 イータさんが、急に黙った。

 さっきまで、ぼんやり窓の外を眺めていたのに、今は視線が一点に固定されている。

 

 コーヒーカップを持つ手が、わずかに止まった。

 

「……」

 

 何も言わない。

 ただ、目だけが静かに動いて、外を“確認する”みたいに。

 

 私は思わず、同じ方向を見た。

 でも、そこには――普通の街並みしかない。

 

「……どうか、しました……?」

 

 そう声をかけると、イータさんは一拍置いてから、ゆっくり瞬きをした。

 

「……いいえ……」

 

 いつも通りの、力の抜けた声。

 でも、さっきと何かが違う。

 

「……気のせい……」

 

 そう言って、視線を戻す。

 それ以上、何も言わなかった。

 

 私は、それ以上聞かなかった。

 聞いても、たぶん答えは返ってこない気がしたから。

 

 ただ、その後しばらく――

 イータさんは、私の方を見ないようにして、でも店の外には、何度か目を向けていた。

 

 まるで、

 “見られている側”ではなく、

 “見ている何か”を、見返すみたいに。

 

 その理由を、私は知らない。

 そして――

 その理由が、私自身に向いていることも。

 

 この時の私は、まだ、何も知らなかった。

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