悪魔と呼ばれ慣れて 3rd   作:ボルメテウスさん

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かつての理想郷?

オーロラカーテンを抜けた、その一歩目で、俺は眉をひそめた。

空気が、薄い。肺に入る量が足りないわけじゃない。そうじゃなくて、吸ったはずの空気が、どこかに逃げていく感覚がある。まるでこの場所そのものが「呼吸」という行為を信用していないみたいだった。

 

足音が遅れて返ってくる。

いや、返ってくるというより、忘れた頃に思い出したように追いついてくる。

距離感が壊れている。近いはずの壁が遠く、遠いはずの天井が妙に迫ってくる。視覚と感覚が噛み合わず、世界が一拍ずつズレて動いている。

 

「……ここ、拠点だな」

 

呟いた声は、すぐに消えた。反響しない。吸い込まれたみたいに、何も残らない。

自然にできた異世界じゃない。結界でもない。誰かが「使うために」整えた場所だ。通路の角度、床の素材、光の当たり方。その全部が、人の都合で組まれている。

 

デルタが鼻をひくつかせた。

匂いは、確かに続いている。フェイトの匂い、そして――それに重なる、嫌な違和感のある別の何か。甘くもなく、腐ってもいない、けれど生き物の匂いをしていない“残り香”。

 

「……奥だな」

 

俺は頷く。

ただ、その「奥」が素直に奥であるはずがないことも、同時に理解していた。

 

歩くたびに、床の感触が微妙に変わる。硬さが揺らぎ、重心が安定しない。足を置く位置を間違えれば、簡単に転びそうだ。それでも、転ぶ気がしないのは――この場所が、まだ本気で排除する気がないからだ。

 

歓迎でもない。拒絶でもない。

ただ、見られている。

 

カメラの視線じゃない。

生き物の視線でもない。

もっと厄介で、もっと冷たい、「機能としての視線」。

 

「……気に食わねえ」

 

理由は単純だった。

この拠点は、侵入者を拒む構造じゃない。

侵入することを前提に作られている。

 

そして、その前提の中心に、自分が含まれている――

そんな嫌な確信が、じわじわと背中に張り付いて離れなかった。

違和感は、予感に変わるまでが早かった。

通路の照明が一斉に落ちる。闇ではない。暗転ですらない。光の質が変わっただけだ。白から無機質な青へ、温度を失った色へと切り替わる。それだけで、この拠点が「起きた」ことは分かった。

 

床が、鳴いた。

低く、腹の底に響くような振動音。警報にしては感情がない。注意喚起にしては淡々としている。これは警告じゃない。作業開始の合図だ。

 

「来るぞ」

 

俺がそう言った瞬間、通路の構造が変わった。

壁がスライドする。天井が割れる。床がせり上がる。物理法則を無視しているわけじゃない。ただ、最初からそのつもりで作られていただけだ。人が歩くことも、逃げることも、戦うことも――全部、計算済み。

 

ゼータが一歩前に出ようとした、その刹那だった。

透明な隔壁が、音もなく落ちた。

 

「……チッ!」

 

反射的に叩いた拳が、見えない壁に弾かれる。衝撃は柔らかい。硬度を誇示する防壁じゃない。隔てるためだけの壁。戦わせる気はない。ただ、分けたいだけだ。

 

視界の端で、イータが向こう側へ押し流されるのが見えた。

床が傾き、重力の向きが一瞬だけ変わる。抗おうとする前に、彼女の姿は通路の曲がり角の向こうへ消えた。

 

「イータ!」

 

呼びかけは届かない。音が遮断されているわけじゃないのに、声が途中で薄れる。まるで空間そのものが、言葉を必要としていないみたいだった。

 

次はデルタだった。

床が開く。落とし穴じゃない。輸送口だ。捕まえようとした俺の手を、ゼータが引き止める。

 

「ツカサ、無理! 構造が……!」

 

言い終える前に、デルタの姿が下へ消えた。悲鳴はない。あいつは落ちることを恐れない。むしろ、楽しんでいる可能性すらある。それが分かっているからこそ、余計に歯がゆい。

 

残ったのは、俺とゼータだけだった。

いや、正確には――それも一瞬。

 

通路の先が、歪む。

空気が折れ曲がり、景色が二重に見える。立っているはずの床が、次の瞬間には「別の床」になっている。ゼータの姿が、半歩分、ズレた。

 

「……っ!」

 

手を伸ばす。しかし、届かない。

ゼータはそこにいる。確かに見えている。それなのに、同じ場所に存在していない。位相が違う。重なっているのに、触れられない。

 

「ツカサ!」

 

呼ばれた声は、すぐ近くから聞こえた。

それが余計にタチが悪い。

 

「大丈夫だ。落ち着け」

 

自分に言い聞かせるように、俺は言った。

分断は目的じゃない。手段だ。相手は、こちらを各個にしたいわけじゃない。もっと単純で、もっと悪趣味な理由がある。

 

――選ばせたい。

 

誰が、どこへ行くのか。

誰が、誰と会うのか。

そして、誰が“当たり”なのか。

 

通路の先で、ゼータの姿が完全に消えた。

音も、光も、痕跡も残さず。

 

俺は一人になった。

そして同時に、確信する。

 

これは、最初から俺を――

どこかに誘導するつもりだった。

 

「……上等だ」

 

一人になった途端、空間はやけに静かだった。

静かすぎて、耳鳴りがする。自分の呼吸音と、靴底が床を擦る微かな音だけが、やけに大きく聞こえる。

 

俺は歩き出した。

迷いはない。正確には、迷わせる意味がないと理解したからだ。

 

通路はまっすぐだ。

曲がり角も、分岐もない。逃げ道も、隠れる場所も用意されていない。まるで「ここを進め」と言わんばかりの直線。あまりにも露骨で、だからこそ笑いそうになる。

 

「……これは、最初から俺をどこかに誘導するつもりかっ!」

 

声に出した瞬間、わずかに空気が揺れた。

返事はない。だが、否定もない。

 

床に刻まれた幾何学模様。壁に走る淡い光のライン。どれもが視線を自然と前へ、前へと押し出す配置になっている。心理誘導としては、教科書通り。だが、相手はそれを隠す気すらない。

 

――俺“だけ”だ。

 

分断の瞬間を思い出す。

デルタは下へ。イータは横へ。ゼータは位相の向こうへ。

そして自分は、この一本道。

 

偶然じゃない。

戦力分散でもない。

これは指名だ。

 

「管理局……じゃないな」

 

管理局なら、こんなやり方は取らない。

彼らは秩序を保つために動く。記録し、分類し、危険度を測る。だが、ここにあるのはもっと個人的で、もっと歪んだ意思だ。

 

相手は俺を知っている。

それも、噂や観測レベルじゃない。選ぶ理由を持っている。

 

通路の先、視界がゆっくりと開けていく。

広間だ。無駄に広く、無駄に天井が高い。研究施設というより、舞台装置に近い。誰かが“立つ”ことを前提に作られた空間。

 

俺は、足を止めた。

 

胸の奥で、長年の旅で培った感覚が囁く。

――ここだ。

――ここから、話が変わる。

 

これまで幾つもの世界を渡ってきた。

王に会ったこともある。神を名乗る存在と相対したこともある。自分を利用しようとする連中も、排除しようとする連中も、山ほど見てきた。

 

だが、今回のこれは少し違う。

 

敵意だけじゃない。

警戒でもない。

期待だ。

 

「……面白い」

 

自然と、口元が歪む。

相手の思惑が分かった途端、逆に視界が澄んだ。誘導されていると理解した瞬間から、主導権は半分こちらに戻る。

 

誘導されるのは構わない。

だが、どこまで誘導されるかは俺が決める。

 

ライドブッカーに指を掛けながら、俺は一歩、広間へ踏み出した。

罠の中心。

視線の集束点。

“観測者”が待つ場所。

 

「さあ……出てこい」

 

声は低く、静かだった。

挑発でも、怒りでもない。ただの事実確認。

 

――俺を呼んだのは、誰だ。

広間の奥で、空気が変わった。

何かが現れた、というより――そこに在ったものが、ようやく輪郭を持った、そんな感覚だ。

俺は一目で悟った。

この女は、ここに至るまでの全てを知っている側だと。

 

「……やっと来たわね」

 

「てめぇは、あのフェイトの親か」

 

「プレシア・テスタロッサよ。まぁ、その言い方は気に入らないわね」

 

その声には驚きも警戒もなかった。まるで予定通りに役者が舞台へ上がったのを確認するような、淡々とした響き。

 

俺は足を止め、間合いを測る。

変身はしない。

する必要がないと、今は判断した。

 

「随分と回りくどい歓迎だな。入口で全員まとめて迎えれば良かっただろ」

 

皮肉を込めた言葉にも、彼女は眉一つ動かさない。

それどころか、わずかに――確信めいた笑みを浮かべた。

 

「いいえ。あなた“だけ”で良かったのよ」

 

その言い方が、気に入らない。

俺の背中に、ぞくりとした悪寒が走る。

 

「あなたは、ここに来るべき存在だった。最初から」

 

「……は?」

 

プレシアは一歩、前へ出た。

距離を詰めるというより、答えを押し付ける動きだ。

 

「あなたは“イレギュラー”なんかじゃない。そんな曖昧な言葉で片付けられる存在じゃないわ」

 

視線が、突き刺さる。

研究者の目だ。人を人として見ない、結果だけを見る目。

 

「あなたは――アルハザードの住人よ」

 

その断定は、疑問形ですらなかった。

仮説でも推測でもない。結論だ。

 

一瞬、俺の思考が止まる。

アルハザード。

 

「何を言っているんだ?というか、アルハザードって、どういう意味だよ」

 

笑おうとして、できなかった。

プレシアの目には、迷いも期待もない。ただ“確認が取れた”という安堵だけがある。

 

「次元世界の狭間に存在し、今は失われた秘術の眠る地。ここにあるはずの時を操る魔法と復活の魔法を使う事っ!」

 

その一言に対して、俺は。

 

「・・・そういう事かよ」

 

同時に、それに対して、俺は納得するが。

だからこそ。

 

「そんな場所はもうないよ」

 

それが俺の答えだった。

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