悪魔と呼ばれ慣れて 3rd   作:ボルメテウスさん

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母親の葛藤

巨体が、わずかに軋む音を立てた。

ファイブキングとしての姿を保ってはいるものの、その動きには明らかな“重さ”が混じっている。先程までの圧倒的な破壊の勢いは失われ、地を踏みしめるたびに、余分な力が逃げていくのが見て取れた。

 

魔力はまだ潤沢だ。

出力も落ちてはいない。

だが、制御が遅れている。

 

――認めたくない。

 

プレシア自身が、誰よりもそれを理解していた。

これは消耗ではない。敗北でもない。

“言葉”だ。

 

あの俺が放った一言。

「失ったものばかりを見るな」という、あまりにも簡単で、だからこそ否定し続けてきた考え。

 

それが、今になって胸の奥に残っている。

振り払ったはずなのに、消えない。

怒りで塗り潰すには、少しだけ静かすぎた。

 

プレシアは唇を噛み、視線を前に向け直そうとする。

だが、その瞬間――小さな影が一歩、前に出た。

 

フェイトだった。

 

攻撃の構えではない。

魔力を高める素振りもない。

ただ、真っ直ぐにこちらを見上げている。

 

それだけで、身体が硬直した。

 

「……下がりなさい」

 

声を張ったつもりだった。

だが、返ってきた音は思ったよりも低く、掠れている。

怒鳴り声には程遠い。

 

フェイトが動かない。

その瞳には恐怖がある。それでも、逃げない。

 

その事実が、プレシアの思考を一瞬、止めた。

 

――撃てない。

 

理屈では、簡単だ。

クローン。偽物。目的の障害。

そう定義してきたはずなのに、今は“標的”として認識できない。

 

視線が揺れる。

焦点が定まらない。

 

胸の奥で、何かが軋む。

それは怒りではない。

後悔でもない。

 

“理解しかけている”という感覚だった。

 

もし、この子の言葉を聞いてしまえば。

もし、この子を見続けてしまえば。

自分が積み重ねてきたすべてが、崩れてしまう。

 

だからこそ、怖い。

 

冷静になりかけている自分自身が、何よりも恐ろしい。

 

プレシアは一歩、後ろへ下がった。

それは距離を取るためではない。

感情から、逃げるための後退だった。

 

沈黙が落ちた。

戦場には不釣り合いなほど、音が少ない。

 

瓦礫が熱を失い、空気の振動が静まり、ファイブキングの巨体が生む重圧だけが、ゆっくりと場を支配している。

その中心で、フェイトは一歩、踏み出した。

 

足が震えている。

無理もない。

目の前にいるのは、母であり、敵であり、今なお理解できない存在だ。

 

それでも、止まらなかった。

 

「……お母さん」

 

その一言が、空気を裂いた。

 

名前でも、肩書きでもない。

ただの呼びかけ。

けれど、それはどんな攻撃よりも、正確にプレシアの心を撃ち抜いた。

 

「私は……偽物かもしれない」

 

フェイトの声は小さい。

だが、はっきりしていた。

 

「でも……一緒にいた時間まで、嘘じゃなかったと思ってる」

 

プレシアの指先が、ぴくりと動いた。

反射的な反応。

否定する前に、身体が覚えている。

 

「一緒に本を読んだことも……ご飯を作ってくれたことも……」

 

言葉が途切れる。

喉が詰まる。

それでも、フェイトは視線を逸らさない。

 

「全部……私にとっては、本物だった」

 

それ以上は言えなかった。

言葉にすれば、きっと泣いてしまう。

それでも、伝えたいことは一つだけだ。

 

“私は、ここにいる”。

 

プレシアは、完全に動きを止めていた。

魔力の流れが乱れ、怪獣の外殻が微かに軋む。

 

理解してしまう。

この子は、何も知らないから言っているのではない。

何も知らない“ふり”を、もうできなくなったから言っている。

 

それが、何よりも残酷だった。

 

「……黙りなさい」

 

声が震える。

否定の言葉なのに、拒絶として成立していない。

 

「あなたは……あなたは違う……!」

 

否定しなければならない。

そうしなければ、自分が壊れてしまう。

 

だがその瞬間、横から低い声が割り込んだ。

 

「……続けろ」

 

武器は構えていない。

だが、その立ち方には不思議な圧がある。

戦う者ではなく、選ばせる者の立ち位置。

 

「子供の言葉だ。拙いし、理屈も足りない」

 

淡々とした声。

断じるでもなく、慰めるでもない。

 

「それでもな……選択肢を無視する理由にはならない」

 

プレシアが睨みつける。

 

「あなたに何が分かる!」

 

「全部は分からない」

 

即答だった。

 

「だが、失ったものに縋って、今ここにいる人間を否定する痛みは知ってる」

 

フェイトは驚いたように、俺を見る。

その声音に、どこか聞き覚えがあった。

 

――先生みたいだ。

 

なぜか、そう思った。

 

プレシアの内側で、何かが限界を迎えた。

 

理解してしまった。

選べてしまう。

今なら、引き返せてしまう。

 

だからこそ。

 

「……私は……戻れないのよ……!」

 

叫びと共に、魔力が爆発する。

理性を焼き切るように、暴走するエネルギー。

 

フェイトを拒むために。

自分を否定しないために。

 

ファイブキングの外殻が再び光を帯び、周囲の空間が歪む。

 

――暴走。

 

それは怒りではない。

恐怖だ。

 

選ばなかった未来が、今にも手を伸ばしてくることへの、全力の拒絶だった。

 

壊れる音は、外からではなく内側から鳴った。

 

プレシアは理解してしまった。

フェイトの言葉が、論理でも感情論でもなく、「事実」だったことを。

 

一緒に過ごした時間。

笑った記憶。

怒鳴った夜。

手を引いて歩いた廊下。

 

それらは、作り物ではなかった。

 

それを認めてしまえば、自分は――

アリシアを取り戻すために、何を壊してきたのかを、直視しなければならなくなる。

 

「……違う……」

 

自分に言い聞かせるように呟く。

否定しているのはフェイトではない。

“認めてしまいそうな自分”だ。

 

「あなたは……アリシアじゃない……!」

 

声が震える。

否定の言葉に、確信が伴わない。

 

フェイトは、その揺らぎを見逃さなかった。

 

「……でも……」

 

一歩、踏み出す。

それだけで、プレシアの心臓が跳ね上がった。

 

近づくな。

それ以上、こちらを見ないで。

 

「私は……お母さんに……」

 

その言葉の続きを、プレシアは聞けなかった。

 

聞いてしまえば、

自分が“母親であった時間”を、全否定できなくなる。

 

「やめなさいッ!!」

 

叫びと共に、魔力が溢れ出す。

制御ではない。

逃避だ。

 

ファイブキングの外殻が軋み、怪獣の咆哮が周囲に響く。

だがそれは、威嚇ではなかった。

 

悲鳴に近い。

 

「私は……引き返せない……!」

 

その言葉には、決意も誇りもない。

あるのは、ただ一つ。

 

後戻りできないと信じなければ、壊れてしまう心。

 

「アリシアを取り戻すために……私は……」

 

――私は、正しくなければならない。

 

その思考が、すべてを縛っていた。

 

フェイトは、立ち尽くしていた。

母の叫びが、攻撃よりも重く胸に刺さる。

 

「……お母さん……」

 

呼びかけは、祈りだった。

 

だが、祈りは届かない。

プレシアは、耳を塞ぐ代わりに、世界を壊そうとする。

 

その様子を、仮面の戦士は静かに見ていた。

 

止めに入らない。

説得もしない。

 

ただ、プレシアが“自分で壊す選択をした”ことを、見届けている。

 

(……選べたはずだ)

 

心の中で、そう呟く。

 

選択肢はあった。

差し出された手も、言葉も、確かに存在した。

 

それでも彼女は、未来ではなく、過去を選んだ。

 

だから――

 

俺は、ゆっくりと構えを取り直す。

 

守るべきものは、もう決まっている。

 

フェイトは守る。

なのはも、ここにいる人間も。

 

そして――

壊れることを選んだ母親を、これ以上、子供に触れさせない。

 

それが、大人の役目だ。

 

ファイブキングが再び動き出す。

暴走ではあるが、狙いは明確だ。

 

拒絶。

否定。

切り捨て。

 

プレシアは、母であることから逃げるために、怪物になることを選んだ。

 

そしてその選択の前に、仮面の戦士が立ちはだかる。

 

戦いは、再開される。

 

だがそれは、力と力の衝突ではない。

 

“母であることを捨てた者”と、

“子供を守ることを選んだ者”の、静かな断絶だった。

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