ファイブキングの巨体が崩れ落ちる瞬間、俺は追撃に踏み込まなかった。
いや、踏み込む必要がなかった、と言った方が正しい。
轟音が引いていく。
焼けた空気が冷え、瓦礫の隙間を風が通り抜ける。
さっきまで世界を押し潰すみたいに暴れていた存在は、嘘みたいに静かだった。
光が剥がれ落ちるように、怪獣の輪郭が消える。
残ったのは人の形――膝をついた一人の女だけだ。
俺は変身を解かない。
この場で素顔を晒す理由はないし、何より――まだ終わったと決めるには早い。
仮面越しに見えるプレシアは、肩で息をしている。
狂気は薄れているが、後悔や安堵とも違う。
あれは……燃え尽きた残り火みたいな顔だ。
フェイトの息を呑む気配が背後にある。
なのはは一歩前に出かけて、踏みとどまった。
クロノは状況確認に走り、管理局の連中が慌ただしく動き出す。
それでも、この場の中心は静かだった。
戦闘の余韻が、重たい膜みたいに俺たちを包んでいる。
俺はライドブッカーを下ろし、銃口も刃も向けない。
敵意は見せないが、油断もしない。
――この距離、この沈黙が、今は一番の圧力だ。
プレシアが、ゆっくりと顔を上げる。
視線がぶつかる。
そこに憎しみは薄い。だが、まだ折れてはいない。
静寂を破ったのは、管理局の足音だった。
金属床を踏む靴音が規則正しく近づき、空気が仕事の匂いに切り替わる。戦いは終わった――そう判断された瞬間の、あの独特の慌ただしさだ。
「プレシア・テスタロッサ」
クロノの声は冷静だった。
怒気も、焦りもない。だが、感情がないわけじゃない。むしろ、その抑制こそが彼の強さなんだろう。
「あなたが回収したジェルシードは、どこにある?」
その問いに、俺は一瞬だけ眉をひそめた。
――来たか。
プレシアは俯いたまま、すぐには答えない。
肩の上下が少しずつ落ち着いていくのが見える。さっきまで、すべてを賭けていた人間とは思えないほど、今は静かだ。
「……ここには、ないわ」
短い言葉。
言い訳も、虚勢もない。
クロノが一歩踏み込む。
「ない、というのは? あなたが確かに確保したはずだ。管理局の記録にも――」
「記録?」
プレシアが、かすかに笑った。
嘲りでも、勝ち誇りでもない。疲れ切った人間の、乾いた笑いだ。
「そんなものに、全部書いてあると思って?」
その瞬間、場の空気が張り詰める。
なのはが不安そうにフェイトを見る。フェイトは唇を噛み、母の背中から目を離せずにいる。
俺は黙って聞いていた。
この手の空気には慣れている。
戦いが終わった“後”に、本当に厄介な話が始まることを、何度も見てきた。
「ジェルシードは、渡したわ」
プレシアの言葉に、クロノの眉がわずかに動く。
「……誰にだ」
ほんの一瞬、間があった。
意図的か、無意識かは分からない。だが、その一拍が妙に長く感じられた。
そして、プレシアは小さく呟いた。
「――海東……大樹」
その名前を聞いた瞬間、俺は思わずため息を吐いた。
仮面の内側で。
誰にも聞こえないように、深く、重く。
(……あいつか)
頭の中で、青い影が勝手に笑った気がした。
盗むことに迷いがなく、厄介事に首を突っ込む天才。
そして、こういう“世界の綻び”に、やたらと鼻が利く男。
クロノは、その名を知らない。
なのはも、フェイトも同じだ。
だが俺だけは分かってしまう。
――これは、まだ終わっていない。
ジェルシードは失われたんじゃない。
“次の手”に渡っただけだ。
俺は無言のまま、オーロラの気配を探る。
まだ使わない。
だが、いつでも開けるように。
空気が、わずかに揺れている。
視覚でも、聴覚でもなく、もっと厄介な感覚だ。世界そのものが、次のページをめくろうとしている時の、あの違和感。
管理局の連中は、まだ事後処理の段階に頭を置いている。
捕縛、確認、報告、収容。
正しい。実に正しい。秩序の側に立つ人間として、何一つ間違っていない。
だからこそ――噛み合わない。
(遅い)
心の中で、短く切り捨てる。
責めているわけじゃない。焦っているわけでもない。ただ、純粋な速度の話だ。
ジェルシードはもう、この場にない。
そして、それを奪った人間の名前が出た時点で、次に起きることはほぼ確定している。
(あいつは、黙っていない)
海東大樹。
世界を渡り歩く中で、何度も遭遇した名前。
彼は悪党じゃない。英雄でもない。
ただ一つ確かなのは、「面白そうなもの」を見逃さないという一点だ。
アルハザード。
ジェルシード。
世界を越える力。
(役者が揃いすぎてる)
俺は、内心でそう結論づけた。
偶然にしては出来すぎている。
誰かが盤面を整えている――そんな感覚が、背中に貼りつく。
「ディケイド」
クロノの声が、俺を現実に引き戻す。
警戒と敬意が、半分ずつ混ざった呼び方だ。
「あなたは、この名前を知っているようだが」
問いではあるが、確認に近い。
察しがいい。さすが管理局の現場指揮官だ。
俺は首を横に振る。
肯定も否定もしない、曖昧な仕草。
「……重要なのは、知ってるかどうかじゃない」
声は、仮面越しで低く響く。
感情は抑えているが、隠してはいない。
「そいつが関わった時点で、この事件は“終わった話”じゃなくなった。それだけだ」
クロノが、わずかに目を細める。
理解しかけている顔だ。だが、完全には届いていない。
無理もない。
管理局は「管理」する組織だ。
だが、俺が相手にしてきたのは、管理そのものを踏み越えてくる連中ばかりだった。
(世界の外側から、世界を引っ掻き回す連中)
転生者。
イレギュラー。
呼び方はいくらでもあるが、本質は同じだ。
――自分の欲望を、世界より優先する。
プレシアも、そうだった。
ただ、彼女は「失ったもの」に縛られていただけだ。
だが海東は違う。失うことも、得ることも、全部“楽しむ”。
(だから厄介なんだ)
なのはとフェイトの気配を、背中越しに感じる。
不安と混乱、それでも前に進もうとする感情。
子供特有の、危うくて眩しい熱だ。
(……巻き込ませるわけにはいかない)
それが、俺の中で確信に変わる。
守るべきものが、はっきりしてきた瞬間だった。
管理局は様子見を選ぶだろう。
正体不明の存在。計測不能の力。
不用意に動く理由がない。
だが――
(俺は、待たない)
待った結果、手遅れになる光景を、何度も見てきた。
だからこそ、俺は通りすがる。
世界が壊れる“前”に。
仮面の奥で、静かに息を吐く。
次に開くオーロラの向こう側を、もう思い描いていた。
静かだ。
戦いが終わった直後の静寂というより、選択が確定した後の無音に近い。
管理局の連中は動いている。
負傷者の確認、周囲の封鎖、結界の再展開。
誰一人として無駄な動きはない。統制が取れている。
――だからこそ、俺とは噛み合わない。
「ディケイド」
リンディ艦長の声が、通信越しに届く。
柔らかい口調だが、覚悟を量る目をしているのが分かる。
「今回の件、あなたの介入には感謝しています。ですが――」
続きは言わなくても分かる。
“これ以上の独断行動は困る”。
“あなたは管理下にない”。
“話し合いが必要だ”。
正論だ。
そして、俺が一番聞き慣れている言葉でもある。
「……俺は、管理されるつもりはない」
短く、はっきりと告げる。
拒絶ではない。宣言だ。
「この世界を壊す気もない。守る気はある。だが、管理局の判断を待ってる時間はない」
クロノが一瞬、言葉を詰まらせる。
理屈では理解できるが、立場上、肯定できない顔だ。
(そうだろうな)
それでいい。
組織に属する人間として、正しい反応だ。
俺は視線をずらし、なのはとフェイトを見る。
二人とも、まだ緊張が抜けきっていない。
だが、確かに前よりも強くなっている。
(……十分だ)
今は、それでいい。
これ以上、俺が前に出る必要はない。
「ディケイド」
今度はクロノだ。
迷いと警戒、その奥にある純粋な疑問。
「あなたは……何者なんだ」
俺は少しだけ、肩をすくめる。
このやり取りも、何度目だろうな。
「通りすがりの仮面ライダーだ」
それだけ言って、背を向ける。
追及する声は、来ない。
止める理由も、もうない。
オーロラカーテンを開く準備をしながら、最後に一つだけ思う。
管理局は、この世界を“守る”。
俺は、壊れる前に“通り過ぎる”。
やっていることは似ている。
だが、立っている場所が違う。
(……またな)
なのはの視線を背中に感じながら、光の裂け目へ踏み出す。
次に開く世界が、どこかは分からない。
だが、次に厄介な名前を聞くことだけは、もう分かっていた。
――海東大樹。
思わず、ため息が漏れる。
「……ほんと、懲りない奴だ」
光が閉じ、世界が切り替わる。
管理の世界と、通過者の世界は、ここで一度、分かたれた。