悪魔と呼ばれ慣れて 3rd   作:ボルメテウスさん

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舞台の裏側

図書館の空気は、紙と糊の匂いが混じっていた。背表紙の列はまるで町の骨格みたいに並び、静けさの奥で換気の音だけが薄く続く。

 

ゼータは入口が視界に入る席を選び、ページの端を揃えてめくっていた。物語ではなく索引から読む。改訂年、発行元、付録の地図。知らない世界では、こういう“角”が一番裏切らない。

本を閉じると、指先に紙の粉が残った。立ち上がり、返却台へ向かう途中で口が動く。

 

「……まぁ、こういうのはベータの方が得意かもしれないけどねっと」

 

独り言は軽い。軽いまま、棚に本を戻す。背を押し戻した瞬間、視線が別の動きに引かれた。

 

車椅子の少女が、下段の棚へ腕を伸ばしている。指は背表紙に届きかけて、あと少しのところで空を掴んだ。周囲には大人がいるのに、誰も気づかない。少女も声を出さない。何度も同じ角度で腕を伸ばし、戻し、また伸ばす。

 

ゼータは足音を消すように近づき、棚の前に立たず、少し横へ身を寄せた。圧を作らない距離でしゃがむ。

 

「……はい。本、これでいいの?」

 

背表紙を確かめてから抜き、車椅子の肘掛けより少し低い位置で差し出す。少女は受け取る前に一拍置き、手首を小さく返してから本を抱えた。

 

「……あ、ほんま助かったわ。ありがとう」

 

礼は柔らかいのに、続きを許さない速さで視線が本へ落ちる。ゼータはその落ち方を眺め、声の温度だけ整えた。

 

「別に。君、小学生だよね? この時間に一人?」

 

少女は肩をすくめるように笑い、車輪に触れた指でブレーキを確かめた。

 

「うん。近いし。……うち、平気やで」

 

“平気”の言い方が、慣れている。ゼータはそこを掘らず、目線だけで棚の上段を示した。

 

ゼータは、はやての笑いがほんの少し遅れて出てくるのを見て、そこで足を止めた。言葉は明るいのに、目線が棚の背表紙へ逃げる。話題を切りたがっている、と分かる。

 

「ふぅん、まぁ、あんまり言いたくないなら良いけど」

 

そう言って、深追いはしない。踏み込まれたくない場所が自分にもある。相手の“触れられたくなさ”に気づいたとき、手を引けるのは、同情じゃなく技術だ。

 

はやてが首を傾げる。車椅子の肘掛けに指を置いたまま、指先だけが細かく動いている。

 

「そのお姉さん、図書館に何か用あるん?」

 

「……まぁ調べ物かな。最近、この辺に引っ越してきたんだ」

 

「引っ越してきたんや。……まぁ、凄く美人さんやからなぁ」

 

ゼータは肩をすくめた。誉め言葉の扱いに慣れている顔で、でも軽く受け流す。

 

「あははぁ、まぁそうですよね」

 

間を置いて、視線だけではやてを見る。声の温度は変えない。

 

「ありがとうね。けど、女の子が一人でいたら、ご両親が心配するんじゃないの」

 

はやての口元がいったん形を作って、ほどける。笑いにしようとしたのに、戻ってこない。ブレーキに触れていた指が、ぎゅっと止まった。

 

「……お父さんとお母さん、おらへんねん。うち、一人でずっと暮らしてる」

 

「……その、ごめん」

 

ゼータが言うと、はやては慌てて首を振った。早い。答えがこぼれ落ちないうちに蓋をするみたいに。

 

「あっ、気にせんといて。もう一人で暮らすんも慣れたから」

 

空元気の笑みが浮かぶ。笑っているのに、息が浅い。ゼータはその笑いの“薄さ”を見て、視線を外した。見つめ続けると、相手の逃げ道を塞ぐ。

 

「……まぁ、しばらく暇だし、一緒にいるよ」

 

「えっ、そんな、別に……」

 

はやてが遠慮の言葉を探している間に、ゼータは先に形を変える。押しつけにならない形へ。

 

「まぁ、あえて言うと、町を色々案内してくれると嬉しいな。最近、引っ越してきたばかりだからね」

 

“助ける”じゃなく、“頼る”。それなら、受け取れる。

 

はやての視線がふっと上がり、さっきよりも長くゼータの顔に止まった。

 

「……はい!もちろん! うち、この辺やったらけっこう知ってるで」

 

ゼータは小さく頷く。任務から外れる、と頭の隅が告げても、足は引かなかった。ここで見捨てる姿は想像できない。そういう人を、知っているから。

 

「それで、名前は? 私は、まぁ門矢ゼータ」

 

はやては背筋を伸ばすようにして、少しだけ胸を張った。

 

「えぇ、うちは八神はやて。よろしくな、ゼータさん」

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