悪魔と呼ばれ慣れて 3rd   作:ボルメテウスさん

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字はベリス

街灯の白が、濡れた路面を薄く焼いている。

水膜の上を風がなぞり、冷えた匂いが鼻の奥へ入り込んだ。指先にだけ、だしの香りが残る。家の中の温度を、まだ手が覚えている。

 

背中は建物へ向けない。

向けたら、線が緩む。

 

植え込みの影から、男が出てきた。歩幅が軽い。逃げる足じゃない。散歩の足。手にはラッパみたいな道具。金属の縁が街灯を噛み、すぐ離した。

 

「へぇ。外まで出てくるんだ?」

「用件」

「本。……車椅子の子の家にあるやつ」

 

呼び方が雑だ。名前を削る呼び方。

喉の奥が擦れる。そこだけ熱い。

 

「はやてだ」

「へぇ、ちゃんと呼ぶんだね」

「呼ばないなら帰れ」

「帰る理由、ないな。狙うのは人じゃなくて“本”だし」

 

馬場 城戸の視線が、建物の暗い窓へ滑った。玄関の位置。階段の段数。距離。

測っている。盗む目だ。

 

「闇の書。封印されてる。ページは開けない」

馬場がさらりと言う。

「でもさ、封印って便利だよね。中身を隠しても、器は隠れない。寄ってくる。人に」

 

言葉が軽いのに、内容だけ尖っている。

街灯の下で、影が少し濃くなった。

 

ゼータは靴裏で水膜の薄い場所を探る。音が出ないところ。そこへ体重を置く。

息は止めない。止めたら硬さが伝わる。

 

馬場がラッパを口元へ上げた。短い吸気。乾いた一音。

夜の空気が割れる。

 

影が凝る。輪郭が立つ。金の反射が走る。

足が地面を踏んだだけで、重い音が出た。硬い。鈍い。路面が小さく震える。家へ返りそうな質の重さ。

 

(……金の追加戦士)

 

ツカサの声が、頭の奥から遅れて落ちる。

“途中から増えるやつは、歩き方で分かる。空気が変わる。”

 

ゼータは一歩も引かない。角度を変える。

拳が来る。受けない。風圧が頬を撫でた。冷たいのに熱い。肩の布が鳴りそうで鳴らない。

 

「知ってるんだ? そういうの」

馬場が笑う。

「スーパー戦隊ってやつ」

 

ゼータの口が、勝手に短く動く。

 

「……キョウリュウゴールドか」

「へぇ、当てるんだ。面白いね」

 

重い一歩がもう一つ。金属が路面を叩くみたいな音。

避ける。水膜を擦る。靴底が鳴りそうで鳴らない。ぎりぎりのところを踏む。

家の方向へ押し返される感覚が、じわりと背中に来る。

 

馬場がラッパを下ろし、今度は指で縁を弾いた。乾いた二音。

街灯の外、影の縁がすっと伸びる。動きが軽い。音が薄い。なのに距離が詰まるのが速い。

 

路面の水が、かすかに跳ねた。

足音の代わりに、息が近い。獣の近さだ。視界の端に銀が走る。

 

(軽い……でも、噛みに来る)

 

ゼータは体を半歩ずらし、肩を落とす。

頭の位置をずらすだけで、風圧が首の後ろを抜けた。冷気が刺さる。

次の瞬間、横から“重い”のが来る。金が押し、銀が噛む。

 

「二枚使いか」

「下見だよ。お宝は丁寧にね」

 

ゼータの舌が乾く。短く吸って、短く吐く。

余裕じゃない。音を割らないための我慢だ。

 

「……ガオシルバー」

馬場が楽しそうに頷いた。

「いいね。君、詳しい」

 

詳しくない。教わった。必要だったから。

必要だったのは、世界じゃなくて――目の前の線だ。

 

攻撃が重なる。重い圧が前から。獣の圧が横から。

路面の水が跳ねるたび、音が増えそうで、ゼータの背筋が冷える。

当たれば音が割れる。割れた音は、あの子の夜へ染みる。

 

馬場が、ふっと笑った。

 

「ねえ。君、変身しないんだ?」

「……さぁ、どうだろうね」

「余裕あるんだね」

 

馬場の言葉は軽い。

足元は軽くない。圧は増える。増えた分だけ、家の方向へ押し戻される。

 

乾いた三音。

今度の音は、少し長く尾を引いた。金属の縁が震えたみたいに。

 

街灯の下に、もう一つ“線”が入る。

細い。鋭い。貫く種類の気配。足音が、擦れる。鱗が路面を撫でるような、ざらりとした音。水膜が薄く裂ける。

 

(……刺すやつ)

 

重い金が押す。獣が噛む。

そこへ“槍”が差し込まれる。

避けるために下がると、家が近づく。避けないと、音が割れる。

 

胸の奥が、きゅっと縮む。

縮んだまま、吐く。

 

「……リュウソウゴールド」

「正解」馬場が笑う。「三枚。見せ札としては上出来でしょ」

 

上出来じゃない。

家へ返る一歩が、あと数歩で来る。

 

馬場がラッパを下ろし、三体の動きを一瞬だけ止めた。

止まった空気の中で、つま先の向きが変わる。

 

家の方へ。

 

それだけで、線が踏まれる。

狙いが本でも人でも関係ない。つま先がそっちを向いた瞬間、守るものは決まる。

 

「そこから先は通さない」

「へぇ。宣言するんだ」

 

ポケットへ手が入る。硬い角。冷たい留め具。ケースの縁が指の腹を押し返す。

固い。固いから、決められる。

 

留め具を外す。音は出さない。

銀の縁、水色のヘキサゴンが覗く。街灯の白を噛んで、青が一息だけ滲んだ。指先が冷える。冷えが正確さを連れてくる。

 

腰に当てる。位置を探る。視線は逸らさない。逸らしたら、また家へ向く。

カードを取り出す。紙のはずなのに重い。金属の角みたいな圧が掌に沈む。

 

三体が同時に動こうとする。

重い一歩、獣の間合い、槍の線。

音が割れる前に、こちらが先に切る。

 

「……変身」

 

カードを差し込む。

鳴らないのに、空気だけが弾けた。

 

『CHEMYRIDE HORSE CHANG BERITH』

 

音声が夜を裂くはずなのに、妙に近い。耳元で輪郭だけが立つ。

足元に赤い円が生まれた。魔方陣。濡れた路面が赤を吸って暗くなる。街灯の白が一段負ける。

 

身体がふっと軽くなる。上昇。

衣擦れを止めるように裾を押さえ、息を揃えた。静けさを守るために、最後まで音を殺す。

 

赤い円から装甲が伸びる。深紅が先に来る。次に銀の線。

冷たい風が弾かれ、皮膚の上を滑っていく。視界が一度だけ狭くなり――次に、くっきり開いた。

 

着地。

靴底が水を踏む。音は小さい。

それだけで、成功だと思った。

 

街灯の下に、深紅の仮面ライダーが立つ。

派手なポーズは取らない。息を一つ整える。最初の一歩は馬場へではなく、家と馬場の間へ置いた。身体で線を作る。

 

馬場が口角を上げる。

 

「へぇ……仮面ライダーか。面白い」

 

深紅のライダーは、短く言い切る。

 

「私は仮面ライダーベリス」

 

名乗りは自己紹介じゃない。

遮断だ。夜を切り分ける刃だ。

 

三体の影が、また動き出す。

重い音、薄い息、ざらりと擦れる線。

その全部が家へ返る前に、こちらが先に止める。

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