悪魔と呼ばれ慣れて 3rd   作:ボルメテウスさん

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誕生日の夜

誕生日の飾り付けは、派手でも豪華でもない。

それでも部屋の空気が少し違うのは、テーブルの上に置かれた小さなケーキと、紙の飾りと、はやてが「今日は特別やねん」と何度も言うからだった。窓の外は雨上がりで、街灯の白が濡れた道路に伸びている。いつもの夜と同じはずなのに、薄い甘い匂いが混じるだけで、世界の輪郭が柔らかくなる。

 

ゼータは台所に立っていた。

スポンジを洗い、湯気の立つマグを二つ並べる。自分の手つきが家庭的だとは思わない。手順を覚えているだけだ。旅の途中でも、誰かが体を壊せば温いものを用意したし、寝不足が続けば甘いものの補給が必要だと知っていた。そういう知識が、ここでは「誕生日の準備」に化ける。

 

テーブルに戻ると、はやてが車椅子の上で背筋を伸ばして待っていた。

髪は寝癖ひとつなく整えられていて、頬が少しだけ紅い。緊張しているわけじゃない。嬉しさが、体の内側から浮いている。そんな顔を見せられると、ゼータは余計な言葉を探してしまう。

 

「準備、できた」

 

「うわぁ……ほんまに、やってくれたんや」

はやての声が弾む。目線がケーキに吸い寄せられて、すぐにゼータの方へ戻る。「ゼータさん、こういうの苦手ちゃうん? 顔、全然変わってへんけど、手ぇめっちゃ動いてたで」

 

「苦手っていうか……慣れてないだけ」

言いながらも、椅子を引いて、はやてが手を伸ばしやすい位置に皿を寄せる。気づかれない程度の距離感で、手助けができる角度。はやてはその動きを見て、にやりと笑った。

 

「はいはい、そういうところや。自然に優しいのに、言葉にせえへん」

スプーンを持ち上げ、わざとらしく咳払いをしてから、胸を張る。「ほな、始めるで。今日の主役はうち。異論ある?」

 

「ない」

返事は短い。けれど、はやての口元がさらに緩む。

 

ろうそくは細いのが数本。

はやてが数を数え、「これで合ってる」と頷く。誰が決めたわけでもないのに、その頷きが儀式みたいに見えて、ゼータは火を点けるタイミングを一拍だけ迷った。旅の夜に火を使うときは、いつも別の意味がある。今夜は違う。火は、守るためじゃなく祝うためにある。

 

火が灯る。

小さな炎が揺れて、ケーキの表面に踊る影ができる。はやてはじっと見つめ、指先を膝の上で落ち着かなく動かしてから、ゆっくり息を吸い込んだ。胸が小さく上下し、吐く息が炎に届く前に、ゼータが何も言わずに身を寄せる。風の通り道を作り、炎が静かに消えるように。

 

最後の一本だけが粘って残り、はやてが「あかん、これしぶとい」と笑った。

その笑い方が子どもっぽくて、ゼータは視線を外す。外した先で、窓の外の街灯が濡れた路面を照らしているのが見えた。そこに、さっきまでの戦いの気配はない。そういう夜にしたい、と自然に思う。

 

「……おめでとう」

 

言葉が短いのは癖だ。

それでも、はやては満足そうに頷いた。頷きの勢いで帽子でも被っていれば落ちそうなほどで、ゼータは反射で手を伸ばしそうになり、寸前で止めた。触れなくても伝わる距離にしておく。相手が甘えたいときは別だ。その判断だけは間違えない。

 

「ありがとう。うち、こんなん久しぶりや。誕生日って、誰かに『おめでとう』言うてもろたら、ほんまに部屋の色が変わるんやな」

はやてが言いながら、スプーンでケーキをすくう。丁寧に形を保ったまま、ゼータの前へ差し出す。「はい、あーん。今日だけ特別やで。拒否権なし」

 

「……拒否権って何」

口ではそう言いながら、ゼータは素直に口を開けた。甘さが舌に広がり、喉の奥が少しだけ温くなる。別に甘いものが好きなわけじゃない。けれど、こういう温度は嫌いじゃないと、どこかで知っている。

 

「ほら、食べるやん」

はやてが勝ち誇ったように笑う。「ゼータさん、ほんまに変やわ。冷たい顔して、たまにめっちゃ優しい。うち、最初会うた時、ちょっと怖かったのに」

 

「怖いって言うな」

そう返すと、はやては「ごめんごめん」と肩をすくめ、すぐに距離を詰める。

 

「でもな、今は違うねん。うち、ゼータさんのこと……お姉さんみたいやと思ってる」

声が少しだけ小さくなる。照れている、と言い切れるほどではない。ただ、言葉にした瞬間に、自分の胸の奥の形を確かめているみたいだった。

 

ゼータは返事を急がない。

急ぐと、雰囲気が壊れる。壊れた雰囲気は戻らない。そういうことを旅の中で何度も見た。

 

「……そう思うなら、そうでいい」

やっと言うと、はやてが大きく頷いた。

 

「うん。そうする」

そして、ケーキをもう一口すくい、また差し出してくる。「もう一回。今日は誕生日やし。ゼータさんも一緒に祝ってや。うちだけ楽しむの、なんかずるいやん」

 

ずるい、という言葉が、妙に胸に残った。

ツカサがよく使う種類の、軽口に見せた気遣いに近い。ゼータはそれを否定せず、もう一口だけ受け取る。甘さが増す。部屋の温度が、少し上がる。

 

食べ終える頃には、マグの湯気が細くなっていた。

はやては満足そうに息を吐き、椅子の背にもたれて視線を天井へ投げる。そこからふっとゼータを見て、「なぁ」と言った。

 

「今日、帰らんとって。ソファでもええ。うち、なんか眠れる気ぃせえへん」

言い終わってから、あわてて言い訳を重ねる。「いや、怖いってわけちゃうねん。ただ、こういう日って、静かになると逆に変な感じするやろ?」

 

ゼータは一拍だけ考える。

この街は平和で、ここはただの部屋で、今夜は誕生日だ。それでも、さっき窓の外を見たときの白い街灯が、どこか薄く冷たかったのを思い出す。守る理由は充分にある。

 

「……分かった」

短く答えると、はやてが袖を摘んだ。離さない、と言うみたいに。

その指が細くて、温かい。

 

「ほんま? やった」

頬が緩み、声が弾む。「ほな、うちは寝る準備する。ゼータさんは……その、そこにおってな」

 

「いる」

返事はそれだけ。

はやては「うん」と言って、車椅子をゆっくり寝室へ向けた。廊下の灯りが背中を淡く照らし、誕生日の夜の匂いだけが部屋に残る。ゼータはテーブルの皿を片づけながら、音を立てない位置に椅子を置く。寝室の扉と、玄関と、窓。全部を視界に入れる場所。癖は消えない。消さない。今夜だけは、それでいい。

 

静けさが落ちてくる。

換気扇の低い唸りが、最後の生活音みたいに部屋を支えていた。

 

その底で、紙が擦れるような気配がした。

 

空気が一段冷える。

甘い匂いが薄れ、古い本棚の埃の匂いが濃くなる。寝室の方だ。ゼータは立ち上がる。足音を殺し、呼吸も殺す。扉の隙間の闇が、妙に濃い。

 

「……はやて」

 

呼んでも返事がない。寝息も拾えない。

扉を押し開ける。

 

ベッドの上で、はやてが眠っている。頬が枕に沈み、指先がシーツを握ったまま。

その周囲に、四つの気配があった。

 

赤い髪の女が最初に見えた。鎧の輪郭、腰の剣、目の光。

青い髪の女は冷たい気配をまとい、背の高い金髪の女は無表情で立っている。子どもに見える影は、枕元へ身を乗り出していた。

 

ゼータがベッドへ飛び込む。

一歩で距離を潰し、はやてと影の間に身体を入れる。肩で息を押さえ、視線だけを鋭くする。

 

「……動くな」

 

赤髪の女が剣の柄に指をかけた。抜かない。抜ける角度だけを残している。

青髪の女の目が細くなる。子どもの影が唇を噛み、はやての寝顔を見て揺れる。

 

「我らは敵ではない」

低い声が寝室の空気を割る。「主の……」

 

「主とか、そういう言い方をするな」

ゼータの声は冷たい。短い。

「その子に近づく理由を言え。今すぐ」

 

腰の位置へ指が滑る。今は変身していない。

それでも切り替えられる感覚が、身体の内側にある。切り替えたら、部屋の静けさは割れる。割りたくない。けれど、割らせない。

 

赤髪の女と視線がぶつかった。

火花みたいな緊張が無音で散る。

 

誕生日の夜に残った甘さが、喉の奥で少しだけ苦くなる。

ゼータは視線を逸らさない。はやての寝顔を背に、四つの影を睨み切った。

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