悪魔と呼ばれ慣れて 3rd   作:ボルメテウスさん

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均衡状態

寝室の灯りは落ちているのに、空気だけが妙に冴えていた。

誕生日の甘い匂いは廊下に置き去りで、ここには古い紙と乾いた埃の気配が居座っている。ベッドの上のはやては、頬を枕に沈めたまま動かない。呼吸はある。あるからこそ、起こしたくない。起きた瞬間に、この夜が割れる。

 

ゼータはベッドの縁に片膝をつき、身体を壁にして四つの影を見た。

最初に目に入るのは、長い赤髪を束ねた剣士。刃は抜かれていないのに、柄に添えた指が「いつでも抜ける」と告げている。隣には小柄な少女がいて、子どもの背丈のまま目だけが鋭い。少し離れて金髪の女性が一歩引き、場を宥めるように両手を下げている。

そして寝室の隅。そこだけ影が濃い。人の体温より先に、獣の呼吸が来る。牙を伏せた狼の気配――立っているなら、筋の太い男の輪郭に獣の耳と尾が重なるはずだ。

 

指先が勝手に腰へ滑りかけて、止めた。今は変身しない。ここで音を立てれば、はやての眠りが破れる。破れた眠りは、二度と同じ形に戻らない。

それでも視線は緩めない。緩めた瞬間、ベッドの上の小さな呼吸が危うくなる。

 

「……闇の書ってのは、何やらとんでもない代物だって聞いたけど、まさか人間が現れるってのは予想外だったね」

 

声は抑え、皮肉だけを薄く混ぜる。赤髪の剣士を見据えたまま。

 

「あなたこそ、闇の書の存在を知っていながら主の近くにいるという事は何を企んでいる」

シグナムの言葉は硬い。刃は抜かず、疑いだけを突き立ててくる。

 

「それを狙っている奴らから聞いたんだよ。随分と大層な名前をしているけど、一体何かまではね」

ゼータは肩を揺らさない。言い返すより、距離と呼吸を数える。小柄な少女の足運び、金髪の手の位置、隅の獣の気配がこちらへ向く角度。どれもまだ、決定的に前へは出ていない。

 

布が擦れた。

はやての指がシーツを握り直し、喉の奥で小さく息が鳴る。

 

「うぅん……あれ、ゼータお姉ちゃんに……あれ、そこにいる人達は」

眠気の混じった関西弁が、冷えた空気に灯を落とす。

 

ゼータは振り向かず、声だけをやわらげた。背中で守る位置は崩さない。

「そこにあった本から出てきた騎士様らしいよ。まぁ、私もよく分からないけどね」

 

「そうなんやぁ……」

 

はやてが目をぱちぱちさせて、次にゼータの頭上へ視線を滑らせた。

 

「あれ、ゼータお姉さん、なんか耳、猫の生えてない?」

 

胸の奥が小さく擦れた。スライムスーツの変装が、緊張で解けかけている。指先で髪を押さえ、顔は崩さずに流す。

 

「……まぁ、気にしない、気にしない」

 

金髪の女性が一歩だけ前へ出る。声は柔らかいのに、間合いは崩さない。

「それでは、まずは闇の書に関してを、その、そちらの方は」

 

はやてがゼータを見上げ、誕生日の夜の距離のまま言い切る。

「あぁ、ゼータお姉さんは、最近知り合った親切なお姉さんなんや」

「親切なお姉さんですよぉ」ゼータも調子を合わせる。わざと軽く、はやてにだけ届く柔らかさで。

 

はやてがくすりと笑う。笑い声が消えたあとも、ゼータの目は赤髪の剣士から外れない。

シグナムも外さない。小柄な少女の視線が鋭く刺さり、隅の獣の気配が静かに牙を研ぐ。誰も武器は抜かない。抜かないまま、寝室の隅に張った糸だけがきしむ。

はやてに悟られないように、互いに睨み合いながら、ゼータは呼吸を整え続けた。守る。今は、それだけだ。

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