悪魔と呼ばれ慣れて 3rd   作:ボルメテウスさん

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和解後の日常

台所から、だしの匂いがゆっくり廊下へ流れてくる。

鍋の蓋がこと、と鳴るたびに、はやての声が少し弾み、ヴィータの不満そうな返事が重なって、そこへシャマルのやわらかい宥める声が被さった。前まで静かだった家が、今は誰かの気配で隙間なく埋まっている。耳に入る音の数が増えたぶん、はやての家は前よりもずっと“家”らしくなっていた。

 

あの夜、闇の書のことを聞いてから、数週間。

はやては魔法の存在も、自分が守護騎士たちの主であることも、驚くほどまっすぐ受け止めた。ただ、受け止め方が少しだけずれていて、「ほな、うちがみんなのご飯と寝るとこと洗濯の面倒見たらええんやな」と真顔で言い切ったときには、シグナムが珍しく言葉を失い、シャマルが目を丸くし、ヴィータが「そこかよ!」と噴き出した。

けれど、そのずれた責任感は妙に温かかった。誰かの皿を増やすこと、布団を並べること、帰る相手を待つこと。はやてはそれを“主の務め”だと思っているらしいが、実際にはもっと単純で、もっと強いものだった。家族にする、と決めているのだ。

 

ゼータは廊下の柱にもたれ、湯のみの湯気越しに居間を見た。

はやてがエプロンの端を押さえながら笑い、ヴィータがふてくされた顔で箸を並べ、シャマルがその横で自然に手を貸し、ザフィーラは少し離れた場所で静かに気配を伏せている。シグナムは何も言わないのに、気づけば一番先に重い鍋を持っている。

その並びが、妙に胸に残る。羨ましい、とは少し違う。救われる、に近い感覚だった。

 

「見ているな」

低い声に振り向くと、シグナムが隣に立っていた。剣はなく、手には湯のみがもう一つ。出会った頃の、触れれば切れそうな空気はない。警戒が消えたわけではなく、向ける先が同じになっただけだ。

 

「観察は癖でね」

ゼータは湯のみを受け取る。指先に伝わる熱が、少し遅れて手のひらに広がる。

「……でも、今は確認かな」

 

シグナムは居間の方へ目を向けたまま、静かに言った。

「主は、我らに家族として暮らすことを望んだ。闇の書の力を知った上で、完成を望まぬとも。私はその約束を受けた」

 

その言葉に、ゼータは小さく息を吐く。

あの子は、本当にずれている。強大な力の話を聞いて最初に口にしたのが、献立と布団の数だったのだから。けれど、そのずれ方が、騎士たちの目を変えた。守る対象ではなく、守りたい相手へ。いつの間にか、そうなっている。

 

「私は、いずれ遠くに行く」

口にした途端、胸の奥が少しだけ固くなる。わかっていたことなのに、言葉にすると輪郭が出る。

「その時になって、はやてが一人になってしまうのが本当に心配で仕方なかった。けれど、少なくとも君達がいるならば、その時になっても安心して任せられるよ」

 

シグナムはすぐには返さなかった。湯のみの湯気が一度揺れてから、まっすぐ前を見たまま言う。

「そうか。正直に言うと寂しくなるかもしれないが、その時は騎士の誇りに賭けて、守ろう」

 

ゼータの口元がほどける。

「ふふっ、なんというかシグナム達を見ていると思い出してしまうよ、あそこを」

 

「あそこ?」

シグナムがわずかに首を向ける。

 

ゼータは視線を少し遠くへ流した。

赤い剣の立ち方はアルファを思い出す。場を整えるシャマルの手つきはベータに似ている。役割は違っても、誰かを支えるために自然と並ぶ姿は、あの場所の空気に近かった。血と闇の中にあったはずの記憶なのに、今こうしてだしの匂いのする廊下で重なるのが、少し可笑しい。

 

「信頼できる場所だよ」

それだけ言って、湯のみを口元へ運ぶ。

「君達なら、大丈夫だ」

 

シグナムは短く頷いた。言葉は少ないが、その頷きは重い。

居間からはやての声が飛ぶ。

「ゼータお姉さん、シグナムー! ごはん冷めるでー!」

 

二人は同時に顔を上げ、どちらからともなく歩き出す。廊下の灯りは温かく、鍋の湯気が白く揺れ、家の中には確かに生活があった。

だからこそ、ゼータの足が敷居をまたぐ直前、背中に走ったひやりとした感覚がやけに目立った。

 

振り向いた先、廊下の奥。

誰もいないはずの部屋の扉の隙間から、紙を擦るような、乾いた小さな音がした。

だしの匂いに混じって、古い本の埃っぽい冷たさが、ほんの一瞬だけ強くなる。

 

ゼータは目を細める。

居間では、はやてがまた笑っていた。

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