湯気の薄くなった鍋を囲んでいた賑やかさが、食後の片づけに移るころには、家の空気そのものに馴染んでいた。
ヴィータが「今日はうちがやる!」と妙に張り切って皿を抱え、結局シャマルに「落としたら危ないですから」と半分取り上げられてむくれる。シグナムは無言で重い鍋を持って台所へ運び、ザフィーラは廊下の端で静かに気配を伏せたまま、家の内側と外側を同時に見ている。
その様子を見ながら箸を置いたはやてが、ふと思い出したようにこっちを向いた。
「なぁツカサさん、先生なんやろ?」
「一応な」
「ゼータお姉さんから聞いた。小学校の先生やってるって」
隣でゼータが、知らない顔で湯のみを持ち直す。
余計なことまで喋ってないだろうな、と思って見ると、目だけで「最低限だよ」と返してきた。ほんとに最低限かは怪しい。
はやては少しだけ背筋を伸ばして、言いにくいことを口に出す前みたいに指先を膝の上でそろえた。
「うちも……学校、行ってみたいなぁって、たまに思うんよ」
言ったあとで照れたのか、すぐに笑って付け足す。
「いまさら変かな、って思う時もあるんやけど」
部屋が静かになった。
からかう気配は誰にもない。ヴィータでさえ皿を持ったまま口を閉じて、はやてを見ている。
俺は椅子の背にもたれたまま、少し間を置いてから答えた。
「変じゃない」
はやてが顔を上げる。
「来たいなら、いつでも歓迎だ。勉強の遅れなんて、後からいくらでも埋められる。来る気があるなら、それで十分だろ」
はやての目が丸くなって、それからぱっと明るくなった。
「ほんまに?」
「嘘つく理由がない」
「……そっか。そっかぁ」
膝の上で握っていた手がほどける。
その小さな動きだけで、今まで何度も一人で考えて、飲み込んでいたのが分かった。ゼータが横で何も言わずに笑っている。あいつはこういう時、余計な手柄話をしない。
「ほな、今度……見学みたいなんでもええ?」
「いい。事前にゼータ経由ででも連絡入れろ。段差の少ない動線、先に見ておく」
「うわ、先生っぽい」
「先生だからな」
笑いが戻って、さっきまでの静けさがほどける。
けれど、その笑い声の外側にある気配は消えていなかった。薄く、根気よく、家を見ている。
食後の片づけがひと段落したところで、俺は腰を上げた。長居する理由はあるが、今日は逆に残らない方がいい。家の空気を乱す役は、今は俺じゃない。
玄関まではやてが見送りに来る。車椅子のタイヤが畳の縁で小さく止まり、代わりにヴィータが勢いよく前へ出て、シャマルに首根っこを押さえられていた。
「また来てな、ツカサさん」
「おう。学校の件、気が変わる前に来いよ」
「変わらへんよ!」
その返事を聞いてから、靴を履く。戸を開ける前に、ゼータへだけ視線を向けた。
「ゼータ」
「うん」
「このまま残れ」
言葉を短く切る。理由は言わなくても通じる。
「一人で追いかけるな。今は、この家にいるはやて達が先だろ」
ゼータは一拍だけ外を見て、それからこっちを見返した。いつもの涼しい顔のまま、目だけが少し真面目になる。
「分かってる。今日はここにいるよ」
「だいたい分かった。何か動いたら連絡しろ」
「了解。ふふっ、先生に怒られない程度にね」
「最初から怒られる前提で動くな」
小さく鼻を鳴らして戸を開ける。夜の空気は冷えていて、家の中の温度が背中に残った。
門を出るまでに、視線が二つ、三つ、位置を変える。趣味がいいのか悪いのか、ずっと見てる奴がいるな――そう思いながらも、足は止めない。
「さてっと、ゼータに任せっきりにはさせれないな」
それと共に、はやての家を狙う視線から守る為に。