門を出て、角をひとつ曲がったところで足を止めた。
背中に残っていた家の灯りの温度が、夜気に押し流されていく。さっきまでの笑い声はもう届かない。代わりに、塀の向こうや電柱の影に散っていた視線だけが、じわりと位置を変えた。
――来るな、と思った直後だった。
「へぇ。やっぱり勘がいいんだねぇ、先生さん」
軽い声が、道の脇の暗がりから落ちてくる。
姿を見せた男は、気負いのない顔で片手を上げた。敵意を隠す気はないが、最初から喧嘩腰でもない。ゼータから聞いていた特徴と、妙に噛み合う。
馬場城戸。
「ゼータから聞いてる」
俺は正面を向いたまま言う。
「闇の書だけを狙ってる、盗人気取りの転生者だろ」
馬場は肩をすくめて笑った。
「気取り、はちょっと心外かな。狙うなら狙うで、ちゃんと見て、選んで、盗る。そこは大事にしてるんだ」
言いながらも、目は俺の後ろ――はやての家がある方角を測っている。距離、時間、護りの厚さ。あの目つきは、獲物を見てる目だ。
「それにしても、ゼータが見逃すとは思わないがな」
「召喚には、まだ不慣れのようだったからね」
「・・・なるほどな」
そうしながらも、俺は構える。
だから、会話を長引かせる理由はない。
腰に手をやる。
ためらいなくネオディケイドライバーを引き寄せ、構える。夜の街灯を受けた装甲が鈍く光った。
馬場の目が細くなる。わずかに、面白がる色が混じる。
「それ、あんたのか。へぇ……いや、なるほど。ゼータさんが妙に落ち着いてたわけだ」
「感心してる暇があるなら消えろ」
「怖いなぁ。挨拶しに来ただけ――って言ったら、信じないよね」
「信じる理由がない」
ラッパラッターを指で弾くような仕草を見せながら、馬場は一歩だけ横へずれた。逃げ道を作る動きだ。戦うにしても、逃げるにしても、準備が早い。ゼータが「盗る前の目だ」と言った意味がよく分かる。
「今日は家の中に用はないよ」
馬場は口調を崩さないまま、視線だけを鋭くした。
「でも、あれを持ってる子の周り、前よりずっと面白くなってる。騎士に、お姉さんに、先生までいる」
ネオディケイドライバーを握る手に力が入る。
こいつは試しに来た。襲撃じゃない。配置確認と、反応の採点だ。
「採点は終わったか」
「半分くらいかな」
馬場は笑う。
「追加戦士を出した時のゼータさん、すごく良かったし。今度は“育てた側”も見てみたいって思っただけ」
その言い方に、鼻で笑うしかなかった。
見世物じゃない。だが、向こうがそういうつもりなら、こちらも遠慮はしない。
「だったら、今ここで見せてやる」
ベルトを押さえ、前に出る。
「お前みたいなのを、家の近くに寄せないやり方をな」
空気が一段、張る。
馬場の指先がラッパラッターにかかり、周囲の視線が一斉に息を潜めた。街灯の下で、互いに一歩分の間合いだけを残して止まる。
夜気の冷たさが、さっきまで残っていた家の灯りの温度を少しずつ削っていく。
街灯の明かりは頼りなく、道の端に落ちた影をかえって濃くしていた。馬場と向き合って張り詰めていた空気はまだ切れていない。視線の置き方、間合いの取り方、どこから何が出てきてもおかしくない――そんな嫌な静けさだけが、夜道に薄く張りついている。
その時だった。
「ふぅん、少し気に入らないね。僕と似たような力を持っている奴がいるのは」
軽い。
なのに、耳に入った瞬間、場の輪郭が変わる。馬場のような“獲物を値踏みする軽さ”とは違う。もっと勝手で、もっと馴染みがあって、だからこそ厄介な声音だった。
「っ」
その声を聞いた瞬間、俺は全身で警報を鳴らす。
考えるより先に背筋が硬くなる。視線は前を向いたまま、意識だけが一気に広がった。どこから入った。いつからいた。馬場との間合いの外側に、こいつの気配を通したまま気づけなかったのか――苛立ちに近い感覚が、喉の奥に引っかかる。
聞き間違えるはずがない。
忘れるような相手でもない。
「その声は、まさか」
馬場も小さく反応した。
さっきまで余裕を崩さなかった男の目が、わずかに横へ流れる。空気が動いたというより、最初からそこに立っていたものに、こっちが気づかされた感覚だった。
「んっ」
夜道の先に、既にその人物は立っていた。
街灯の光が肩口をかすめ、制服の輪郭だけを先に浮かび上がらせる。どこかの組織のものらしい整った服装。それ自体はこの街じゃ珍しくもないはずなのに、そいつが着ると妙に芝居がかって見える。立ち姿のせいだ。人の視線を集めることに慣れきった、あの嫌に様になる構えのせいで。
「やぁ、ツカサ、久し振りぃ」
間延びした挨拶。
ふざけているようで、こっちの反応を一番よく見ている声色。胸の内に浮かんだ名前を、確認のために口にする必要すら本当はない。それでも言わずにいられないのは、目の前の現実に輪郭をつけるためだ。
そこには、どこかの組織の制服を身に纏っているが、間違いない。
「海東大樹」
海東は笑っていた。
さっきまでと同じ、軽い調子の口元のまま。けれど、馬場の言葉を拾った瞬間から、目の奥だけがきれいに冷えている。
「同じ転生者、ね」
その言い方が、妙に静かだった。怒鳴りもしない。言葉を荒げもしない。ただ、そこに立っているだけで、夜道の空気が一段細くなる。
馬場がラッパラッターを弄ぶ指を止める。軽口の続きを探している顔だったが、海東は待たない。
制服の裾がわずかに揺れた。
次の瞬間、手の中にはもう銃がある。見せつけるでもなく、隠すでもない。いつものように自然で、だから余計に神経を逆なでする取り出し方だった。
ネオディエンドライバー。
街灯の明かりを受けた銀と青の意匠が、夜の色を薄く跳ね返す。
海東はそれを軽く傾け、馬場を見たまま肩をすくめた。
「勘違いは困るな。君みたいなのと同じ箱に入れられる趣味はないんだ」
馬場の眉がぴくりと動く。
その一瞬の隙に、海東の手つきだけが先へ進む。カードを滑らせる動きに無駄がない。指先が馴染みきっていて、道具を使うというより、もう癖で呼吸するみたいに見える。
俺はネオディケイドライバーに手をかけたまま、半歩も動かない。
動けない、じゃない。動く順番を切り直している。馬場、海東、家の方角。どれを先に見るべきか、嫌でも頭が回る。
海東はちらりとだけ俺を見て、すぐに前へ視線を戻した。
口元の笑みが、わずかに深くなる。
「見せてあげるよ。違いってやつを」
前部を引く乾いた音。
金属が噛み合う感触が、夜道に短く響く。馬場の肩が落ち、重心が後ろへずれた。退くか、出すか。あいつも一瞬で測っている。
海東はためらわない。
「変身」
引き金にかかった指が沈む。
『KAMEN RIDE DIEND』
低く響いた音声と同時に、青白い光が銃口の周囲に走った。
光はただ広がるんじゃない。細い板片みたいに分かれて、海東の身体の周りを巡る。肩、胸、腕、脚。輪郭をなぞるように配置が決まり、音もなく噛み合っていく。まるで最初からそこにあるべき形を、夜の中から順番に引っ張り出してくるみたいだった。
馬場が思わず息を呑む気配がした。
その反応に海東は振り向きもしない。
最後に、顔の前を走った光が弾ける。
青い複眼が街灯を受け、冷たく光った。
仮面ライダーディエンド。
変身を終えた海東は、すぐには撃たなかった。
銃口をわずかに上げたまま、馬場を見下ろすでもなく、ただ狙いを定めた視線だけを置く。撃てる、という事実だけを先に突きつける立ち方だ。
「さて」
ディエンドの声が、装甲越しに少しだけ硬く響く。
「君の“面白い”が、どこまで通じるか試してみようか」
厄介なのが増えた。しかも最悪の形で。
そう思うのに、目の前の馬場から先に動けなくなっている時点で、もう海東のペースだ。