悪魔と呼ばれ慣れて 3rd   作:ボルメテウスさん

76 / 149
痕跡

夜の冷えが少し落ちた頃、俺は一人であの路地に戻っていた。

はやての家の灯りは、まだ遠くで残っている。ゼータはあそこにいる。そう決めて置いてきた。だったら、こっちはこっちで片づける。誰かに話して形を決める前に、自分の目で見て、自分の頭で噛み砕いておきたかった。

 

街灯の下には、戦いの残り滓がまだこびりついていた。

濡れた路面は乾き切らず、ところどころに細い光を溜めている。その上を、焼けた筋が斜めに走っていた。一本は俺のマゼンタ。もう一本は海東の青。色そのものは薄れているのに、当たった角度だけは妙に生々しい。火花の散り方、破片の飛び方、削れた深さ――そういうものは、戦いの時より後になって、嫌なくらい正直になる。

 

しゃがみ込み、指先で路面の欠けをなぞる。

ざらついた感触の奥に、熱の抜けた跡だけが残っていた。

 

「……派手にやったわりに、肝心なものは何も置いていかない、か」

 

小さく吐く。

馬場の武器は残っていない。だが、消えたからといって痕跡まで消えるわけじゃない。カリブレードの切っ先が石を削った跡。カリブラスターが滑った細い擦り傷。足元の踏み込み方。最後の一歩で、どこへ抜けようとしたか。そういうものは、むしろ残る。

 

「最後まで逃げる気だったな。……二人分の射線の隙間を、こじ開けるつもりだった」

 

言葉にしてみると、馬場の動きが頭の中でまた立ち上がる。

赤いオーラをまとって、無理やり間へ割り込むあの感じ。力押しじゃない。勝算がないわけでもない。ただ、自分が“抜けられる”前提でしか動いていない。ああいう手合いは、失敗するまで成功したつもりでいる。

 

視線を上げる。

街灯の白が届く、その半歩外。海東が立っていた位置だ。目立つくせに、影の外へは出ない。あいつらしい。人の視線を集めることには慣れているのに、輪郭だけは決して全部を晒さない。

 

「……で、一番面倒なのはお前だよ、海東」

 

独り言が夜に落ちる。

返事はない。あるはずもない。だが、名前を口に出した瞬間、あいつの姿がやけに鮮明になる。

 

制服。

 

どこかの組織の服、で片づけるには、整いすぎていた。

布地の張り、身体の動きに合わせた縫製、装飾を削った代わりに残る制式の癖。見せるための服じゃない。役割を帯びた人間に着せる服だ。しかも、あの手の“きっちりした匂い”を持つ連中は、この世界じゃ限られている。

 

「……管理局、か」

 

声を低く落とす。

口にした途端、その言葉の重さが少しだけ増した気がした。

 

世界を管理する、なんて大層な名前の組織。信用し切ったわけじゃない。むしろ、でかい看板を掲げる連中ほど、内部に余計なものを抱え込む。悪意、怠慢、見落とし、形式。そういうものが混じる余地は、組織が大きいほど増える。

だが、それとこれとは別だ。服の作りは嘘をつきにくい。役目を前に出す服には、似た癖が出る。海東が着ていたのは、そういう類だった。

 

「……とはいえ、あいつが素直に所属するとも思えない」

 

鼻で笑う。

それが一番しっくり来ない。

 

海東大樹は、どこかに属しているように見せるのがうまい。

盗んだ立場、借りた名前、入り込んだ肩書き。どれも最初から自分のものだったみたいな顔で使う。だから厄介だ。

あいつに似合うのは“所属先”じゃない。“侵入先”だ。

 

「管理局の人間、じゃない。……管理局に入り込んでる、の方がまだ納得できる」

 

そこまで言って、立ち上がる。

靴裏で細い破片が鳴った。乾いた音がひとつ、夜の路地にやけに響く。

 

視線は自然とはやての家の方へ戻る。

闇の書。あの“本”を巡って、馬場が来た。海東まで現れた。しかも海東は、ただ通りがかった顔じゃなかった。場を見て、馬場を見て、俺を見て、それでも引き金を引いた。あそこにいて、撃つだけの理由があった。

 

「偶然じゃないな」

 

短く言い切る。

そういう段階は、もう過ぎている。

 

路地の端に、青い焼け跡が細く残っていた。

海東の最初の牽制だ。直撃じゃない。手を止めるための一発。あいつは昔からそうだ。殺すために撃つより、奪うために撃つ。動きを切り、選択肢を減らし、残ったものだけを拾う。

 

「じゃあ、何を盗る気だ」

 

今度の独り言は、前より少し重かった。

闇の書そのものか。

闇の書に近づく権利か。

管理局が持っているはずの情報か。

あるいは、その全部か。

 

「……どれでもおかしくない。そこが一番、おかしい」

 

呟いた瞬間、胸の内側が少しだけ冷えた。

闇の書は、本の形をしている。だが、本にしては、人を引き寄せすぎる。持ち主、守護騎士、転生者、海東、そしてたぶん、まだ見えていない連中まで。

普通の道具なら、使うか、奪うか、それで終わる。あれは違う。周囲に役割を生み、人を並べ、勝手に“関わる理由”を増やしている。

 

「本、って顔をしてるだけかもしれないな」

 

言いながら、空を見た。

街灯の明かりは弱い。なのに、その下で残った痕跡だけは妙にくっきりしている。

 

だいたい分かった。

海東は管理局の線に触れている。だが、管理局の人間だと決めるには、あまりにも海東すぎる。

そして、闇の書は持ち主の家の中だけで閉じていない。外の連中を引き寄せるだけの“何か”を、もうとっくに持っている。

 

「……面倒だな。本当に」

 

それでも、今夜の優先は変わらない。

はやての家の灯りはまだ消えていない。ゼータがいて、守護騎士がいて、はやてがいる。今は、それで十分だ。

 

路地を抜けかけた、その時だった。

背後のどこかで、紙をめくるみたいな乾いた音がした。

 

反射で振り向く。

誰もいない。風もない。人影もない。

それでも、古い本の埃みたいな冷たい気配だけが、ほんの一瞬、夜気に混じって残っていた。

 

「……やっぱり、静かには終わらないか」

 

その一言だけを残して、俺は歩き出した。

背中に残る気配は、消えないままだった。

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. よみあげ
  11. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。