路地に戻るころには、戦いの熱はすっかり夜気に削られていた。
街灯の白が濡れた路面に薄く張りつき、その上に残った焼け跡だけが、さっきまでここで起きていたことをしつこく語っている。はやての家に残した灯りを思い出し、足を止める。あっちはゼータが見ている。なら、こっちは俺が片づける番だ。
しゃがみ込んで、抉れた石の縁を指でなぞる。
マゼンタの焼け筋。青い焼け筋。馬場の靴裏が滑った跡。どれもまだ新しい。海東の弾は、相変わらず嫌なくらい性格が出ていた。殺すためじゃない。動かして、選ばせて、残ったところを奪う。その射線の残り方を見ているだけで、顔まで思い出せて腹が立つ。
「……好き放題やって、土産まで置いていく気かよ」
電柱の陰、海東が立っていたあたりに、小さな反射があった。
拾い上げる。金属の薄い認証タグ。角の擦れ方が不自然に浅い。落としたんじゃない。置いたんだ。あいつほどの男が、こういうものを取りこぼすはずがない。掌の上でひっくり返すと、簡素な刻印が街灯を弾いた。管理局。見間違えようのない記号だった。
喉の奥で、短く息が詰まる。
制服の違和感は、やっぱり間違いじゃなかった。布の張り、無駄のない縫製、役目を前へ出す制式の匂い。あれは管理局の線だ。だが、そこで「所属している」と言い切るほど、海東大樹は素直じゃない。
「所属、ねえ……お前がそんな顔して収まるタマか」
タグの裏面を爪で押す。わずかな継ぎ目が開き、中から折り畳まれた記録片が滑り出た。
情報は断片的だった。闇の書。継続監視。外部干渉。肝心な行だけ、きれいに抜かれている。読ませたいところだけ残して、核心は持っていった。海東らしい。答えを渡す気なんて最初からない。ただ、考えろと突きつけてくる。
「闇の書が目当てで、管理局に潜った。……そこまではいい」
呟いて、紙片を見つめる。
問題は、その先だ。監視。継続観測。海東がこんなものをわざわざ俺の前に残す理由は一つしかない。あいつ自身、闇の書を見張っている“別口”を鬱陶しがっている。正面からぶつかるより、俺に噛みつかせた方が早い。そう踏んでるんだろう。
腹の底が、じわりと冷える。
利用されているのは分かる。分かった上で、無視もできない。監視の先にいるのは、はやてだ。あの家の灯りだ。海東の思惑に乗るのは癪だが、放っておけば、結局あっちへ火が飛ぶ。
「まったく……最後まで気に入らない」
立ち上がる。靴裏で小さな破片が鳴った。
海東は管理局に属しているんじゃない。管理局を使っている。闇の書を盗るために。ついでに、邪魔な監視者を俺に削らせるために。そこまで分かって、余計に顔がしかめ面のまま固まった。
紙片を畳み、懐へしまう。
今はまだ、はやてにも守護騎士にも見せない。家の中へ持ち込むには、嫌な匂いが強すぎる。まずは俺が切り分ける。そう決めて踵を返した、その時だった。
背後で、紙をめくるみたいな乾いた音がひとつ鳴った。
振り向く。誰もいない。風もない。街灯の下には、焼け跡と影だけが残っている。けれど、古い本の埃を鼻先へ押しつけられたみたいな、冷たい気配だけが、夜気に一瞬混じった。
「……来るなら、今度は隠れるなよ」
返事はない。
それでも、静かには終わらないと分かるには十分だった。