悪魔と呼ばれ慣れて 3rd   作:ボルメテウスさん

78 / 149
これまで見た事のない接触

あの日から数日。

はやての家を出てから、三つ目の角で足を止めた。

背中に残っていた灯りの温度はもう薄く、代わりに、塀の向こうや電柱の影に散っていた視線だけが、じわじわと位置を変えている。そのうちの一つだけが、近すぎず遠すぎず、妙に手慣れた距離を保っていた。

あれだ、と決める。

 

わざと歩幅を落とし、人気の切れた細い路地へ入る。

追う側は、獲物が気づいていないと思うと詰めが甘くなる。足音を消してついてくる気配が、曲がり角の手前で半歩ぶんだけ近づいた。そこを待って、身体を返す。腰のライドブッカーを抜き、開き、ガンモードへ。構えるまでに、迷いは要らない。

「動くな」

 

短く切った声の先で、影がびくりと跳ねた。

思ったより細い。勢いよく逃げるでも、反撃に出るでもなく、フードの奥で息を呑んだ気配が先に来る。敵意の濃い監視役なら、この一拍で別の動きを選ぶ。そうしない時点で、少しだけ嫌な予感がした。

「……っ、速っ……」

 

銃口は下げない。

壁際へ追い込み、逃げ道だけを塞ぐ。引き金にかけた指はそのまま、相手の肩口と足元の両方を視界に入れる。暴れれば腕を撃てる。飛び退けば脚を止められる。そこまで計算して、ようやくフードの中身を見た。

若い女だった。

 

驚いた顔のまま、両手を上げかけて、途中で止める。

止めた理由はすぐ分かった。脇に抱え込んでいたものがある。黒い表紙、擦れた角、閉じていても紙の匂いがにじむ――本だ。それを離したくないらしい。抱えたままの指先が白くなっている。

「待って。撃たないで」

 

「その台詞で引き金を止めるほど、俺は親切じゃない」

返すと、相手は唇を噛んだ。

怖がっているのは本当だ。だが、それだけじゃない。追い詰められた目の奥に、急がないと間に合わない種類の焦りがある。こういう顔は、嘘をつく時より、言うべきことが多すぎる時の方が出る。

「……八神はやてを、助けたいんです」

 

その名前が出た瞬間、喉の奥で何かが引っかかった。

はやてを狙う、と言われるより厄介だ。助けたい、は切り捨てにくい。しかも、ただの方便で口にした響きじゃない。真っ先にそこへ触れた時点で、こいつはあの家を見ていた連中の中でも、目的の質が違う。

だから余計に、警戒は解けない。

 

「助けたい、ね」

銃口をわずかに上げる。額の中心じゃない、眉間の少し外。怯えさせるには十分で、撃つにはまだ早い位置だ。

「だったら、どうして隠れてた。どうして本人に行かない」

 

相手は息を詰め、言葉を選ぶように一度だけ目を閉じた。

その拍子に、抱えた本の隙間から、紙がひとひら、勝手にめくれる。風はない。なのにページだけが微かに鳴り、路地の空気に、乾いた術式の匂いが混じった。普通の本じゃない。媒体だ。それも、かなり質の悪い部類の力を抱えている。

背筋が冷える。善意だけで済ませていい相手じゃない。

 

「私が直接、はやてに近づいたら……他にいる監視の連中に、たぶん潰されます」

声は震えていたが、言葉は切れていない。

「だから、あなたに先に会うしかなかった。あなたは、はやてに悪意がない。強い。ゼータさんも、あなたならって……」

 

ゼータの名前が出たところで、思考が一段切り替わる。

あいつに接触する前から、こっちを見ていた。なのに、ゼータの名まで知っている。家の近くを見張っていただけじゃない。もっと前から、この一帯の動きを追っていたことになる。

面倒の質が、また一つ変わった。

 

「名前は」

問いだけを投げる。

相手は一瞬ためらって、それでも逃げなかった。

 

「九鬼、美雷……です」

 

名乗ったあと、本を抱く腕に力が入る。

そこだけは譲らないらしい。助けたいと言う口と、危うい力を手放さない指先。その食い違いが、こいつの全部をよく表していた。善意は本物だ。だが、善意だけで預けていい種類の力じゃない。

こいつは、たぶん、事故ごと持ってくる。

 

引き金から指は外さないまま、息を吐く。

「話は聞く」

短く区切る。

「だが、信用はしない」

 

美雷の肩が、小さく落ちた。

助かったのか、まだ駄目なのか、自分でも分かっていない顔だ。そこへ、路地の入口の方で、別の視線が一つだけ動く気配がした。長くは使えない。なら、ここから先は場所を変えるしかない。

「続きは歩きながらだ。変な真似をしたら、今度は警告なしで止める」

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. よみあげ
  11. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。