校門を出ていくユーノの背中を見つけた時点で、今日の放課後が面倒になることはだいたい分かっていた。
あいつは普段、必要以上に焦った歩き方をしない。なのに今日は違う。急いでいるわけじゃないのに、足の運びだけが妙に前へ滑っている。遺跡へ向かう人間の歩幅じゃない。確かめたいことがあって、確かめるのが怖い時の歩き方だ。
「……なんとなくで着いてきたが、どうも怪しいな」
独り言は小さく、風に混ざる程度に落とす。
表向き、俺はただの教師だ。放課後に生徒以外の子どもを気にかける義理はない。だが、あの街の空気の濁り方を見たあとで、何も知らないふりを続けるほど器用でもない。
「本当は生徒以外の子供を見るつもりはないが、大人の責任って奴が」
そう呟きながら、道の反対側へ渡る。
ユーノの隣を歩くエルナは、昨日と変わらない穏やかな顔をしていた。資料を抱える手つきも、遺跡へ向かう者らしい落ち着きも、見た目だけなら何もおかしくない。
だからこそ引っかかる。
「それに、もしもあのエルナというのも転生者ならば、見た目は子供だけど中身は違う可能性があるかもな」
17:18 海鳴市・遺跡
遺跡の空気は外より少し冷えていた。
石の壁に残る湿り気と、古い紙の匂いが混ざっている。ユーノは目を輝かせるように壁面の文様へ顔を寄せ、エルナが示した亀裂の先を覗き込んだ。
「凄いよエルナ! まさか、ここまで調査が出来ているなんて」
懐中電灯の光を受けたエルナは、少しだけ肩をすくめた。
「そう? まぁ、私もこうして何年も調査をしていたからね、これぐらいは当然だよ」
その言い方は柔らかい。
だが、“当然”と口にした時の間が妙に短かった。考えて言ったというより、最初からそこに答えが置いてあった響きだ。
ユーノもそれに気づいたのか、頷きかけた顔が途中で止まる。
「そうだね、けど」
そこで言葉が切れた。
エルナが首を傾げる。
「……どうかしたの? ユーノ」
「えっ、なっ、なんでもないよ。とにかく調査を進めよう」
ごまかし方が下手だ。
だが、それでいい。疑い始めたばかりの人間は、たいていああいう顔をする。
俺は少し離れた崩れ壁の陰に身を寄せる。
ふたりの距離、光の当たり方、逃げ道の幅。見ていると、ユーノの警戒はまだ浅い。知り合いを疑う目だ。敵を測る目までは、まだ届いていない。
遺跡の奥へ進むにつれ、エルナの案内は正確すぎるほど正確だった。
亀裂の入り方、石の響き方、隠し通路の位置。資料と照らし合わせる前に、そこに何があるかを知っているように見える。
ユーノもさすがに黙っていられなくなった。
「エルナの調査能力は確かに凄い。凄いけど」
足を止めた声には、もう笑いが混じっていない。
エルナが振り返る。
「どうしたのユーノ?」
「エルナ、聞きたい事があるんだけど、これって、本当に君がさっき調べて分かった事なの」
少しの沈黙。
長くはない。ただ、その一拍で遺跡の空気が変わった。
エルナはすぐに笑った。
「もぅ、ユーノったら、いきなり何を聞くの」
「だって、こんなにすぐに分かるのは、なんというか違和感があって」
ユーノの声が細くなる。
問い詰めたいわけじゃない。確かめたいだけだ。まだ引き返せる答えを、どこかで期待している。
その時だった。
「へぇ」
低い。
さっきまでのエルナの声より、少しだけ乾いていた。
「っ」
ユーノの肩が跳ねる。
目の前に立っているのは同じ姿のままなのに、見ているものが違う。さっきまでは文様や資料を見ていた目が、今はユーノの反応そのものを値踏みしていた。
「ふふっ、どうしたのユーノ。そんなに怯えて」
「えっ、いや、なんでもない」
声が裏返りかけて、辛うじて持ち直す。
ユーノ自身、何に怯えたのかうまく言葉にできていない顔だった。
エルナはそれを面白がるみたいに見つめ、すぐに柔らかい声音へ戻る。
「それよりも、行こうよ。奥にまだ何かあるよ」
軽い口調。
なのに、その背後に黒いものが揺れた気がした。影とも煙ともつかないものが、石壁に貼りついて、次の瞬間には消える。
見間違いではない。あれは“人の中にいる別の何か”が、表へ滲む時の気配だ。
「……んっ」
喉の奥で短く鳴らす。
あの感じ。昔、イマジンが契約者に取り憑いているところを見た時の、あの“表面の人間は同じなのに、中の温度だけが入れ替わる”感触に近い。
「さっきの感じ、まるで別の人間のような感じがした」
ユーノはまだ気づいていない。
いや、気づいていても認めたくないだけかもしれない。どっちにしろ、あのまま奥へ行かせればろくなことにはならない。
「……あの感じ、イマジンが契約者に取り憑いている感じと似ているような」
石の陰で呼吸を落とす。
遺跡、転生者、黒い気配。守護騎士の襲撃とは明らかに質が違う。あっちは奪うために来る。こっちは“価値”を嗅いでいる。
質が違う脅威が、同じ街に二つ。そういうのが一番面倒だ。
「これは、思った以上に厄介な事になりそうだな」
そう呟いて、壁から背を離した。
まだ正体は見えていない。だからこそ、ここで見失うわけにはいかない。