悪魔と呼ばれ慣れて 3rd   作:ボルメテウスさん

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彼女の正体

遺跡の奥へ進むほど、石に染みついた湿り気と、長い時間を閉じ込めた紙みたいな匂いが濃くなっていく。

懐中電灯の細い光は壁の文様を撫でるだけで、足元の割れ目や、崩れかけた通路の先までは照らし切れない。そういう場所で、人間はよく本音を落とす。出口が見えない分だけ、隠していたものが先に顔を出すからだ。

 

少し離れた崩れ壁の陰に身を寄せながら、俺はユーノとエルナの背中を見ていた。

相変わらず、表向きの俺はただの教師だ。遺跡とも魔法とも本来は無関係の人間。その扱いは、今のところ都合がいい。見えないところで拾える情報の方が、説明される話より役に立つことは多い。

 

先を歩くエルナは、昨日と同じように穏やかだった。

足場の悪い場所では一歩先に立って注意を促し、壁面の刻印に気づけば手袋越しに丁寧に輪郭をなぞる。見た目だけなら、遺跡調査に慣れた協力者そのものだ。

ただ、目だけが違う。

文様を読む目じゃない。価値のあるものを嗅ぎ分ける目だ。どこに何が埋まっているかを、調査で知るんじゃなく、最初からそこにあると分かっている人間の目つきだった。

 

「凄いよエルナ! まさか、ここまで調査が出来ているなんて」

 

ユーノの声が、少しだけ弾んでいた。

感心しているのは本当だろう。だが、その奥に引っかかりが混じっているのも聞き取れる。

エルナは振り返って、軽く肩をすくめる。

 

「そう? まぁ、私もこうして何年も調査をしていたからね、これぐらいは当然だよ」

 

当然、か。

その言葉が落ちるまでの間が短すぎる。考えて答えたんじゃない。用意されていた文をそのまま置いたみたいな響きだった。

ユーノもそれを感じたのか、頷きかけた顔が途中で止まる。

 

「そうだね、けど」

 

そこで言葉が切れる。

エルナは首を傾げ、わざとらしくもない、だが少し整いすぎた笑みを向けた。

 

「……どうかしたの? ユーノ」

 

「えっ、なっ、なんでもないよ。とにかく調査を進めよう」

 

ごまかし方が下手だ。

だが、そこがユーノらしい。疑いたいわけじゃない。ただ、自分の知っている相手と、目の前にいる相手の輪郭が噛み合わなくなってきて、それをどう口にすればいいか分からないだけだ。

 

俺は壁に背を預けたまま、呼吸を浅くする。

遺跡の中には、ふたり以外の気配も薄く残っていた。見張りというほど露骨じゃない。だが、ただの風や建物の軋みでは説明のつかない“待っている気配”が、奥の暗がりに沈んでいる。

守護騎士の襲撃とは違う。あれは奪うために来る。こっちは、もっと乾いている。命より価値を見ている匂いがした。

 

通路を二つ曲がった先で、エルナがぴたりと足を止めた。

そこには、壁の一部だけ質感の違う場所があった。周囲よりわずかに乾いていて、石の継ぎ目も浅い。資料を見ただけで分かるような不自然さじゃない。手で触れ、音を確かめ、匂いまで拾って初めて気づく類の違和感だ。

 

ユーノもそこへ近づいて、懐中電灯の光を寄せる。

「……ここ、資料には何も書かれてなかったはずだ」

 

エルナは微笑んだまま、膝をついて継ぎ目をなぞった。

その指先には、探っているというより、見つけたものを確認している余裕がある。

やっぱり知っている。問題は、どこまでだ。

 

「エルナの調査能力は確かに凄い。凄いけど」

 

ユーノの声が、今度はちゃんと止まらなかった。

迷いながらも、前へ出した声だ。

 

「どうしたのユーノ?」

 

「エルナ、聞きたい事があるんだけど、これって、本当に君がさっき調べて分かった事なの」

 

遺跡の奥が一瞬だけ静かになった。

水滴の落ちる音が、やけに遠く聞こえる。

 

エルナは笑った。

「もぅ、ユーノったら、いきなり何を聞くの」

 

「だって、こんなにすぐに分かるのは、なんというか違和感があって」

 

そこで、空気が変わった。

目に見えるほどじゃない。だが、場に落ちる温度だけが、半歩ぶん沈んだ。

壁際の暗がりが黒く揺れ、獣の輪郭に似たものが一瞬だけ浮いて消える。

あの感じ。人間の身体の奥で、別の何かが顔を出す時の“ずれ”だ。昔見たイマジンの取り憑き方に近い。表面の人間はそのままなのに、中の温度だけが別のものに入れ替わる。

 

「へぇ」

 

短い声。

さっきまでのエルナのものより、乾いていた。

 

「っ」

 

ユーノの肩が跳ねる。

今ので決まった。あいつも感じた。言葉にできないままでも、今まで話していた相手と、今返ってきた声の主が別だと分かった顔だった。

 

「ふふっ、どうしたのユーノ。そんなに怯えて」

 

「えっ、いや、なんでもない」

 

ごまかしたな、と思う。

だが、それも仕方ない。目の前で知り合いの輪郭がずれた時、人間はすぐに“誰だ”とは言えない。言った瞬間、戻れなくなるからだ。

 

「それよりも、行こうよ。奥にまだ何かあるよ」

 

エルナ――いや、もうあれをそのまま呼ぶのも変だが――そいつは、何もなかったように先へ進もうとする。

だがユーノの足はもう動かなかった。ここで黙ってついていけば、それこそ終わりだと分かったんだろう。

 

ユーノはそのまま脚を止める。

「誰なんだ」

 

その問いは、遅かったのかもしれない。

けれど、遅くても出たのなら十分だ。

 

そうしながらも見つめられて、エルナは笑みを浮かべる。

「いきなりそんな事を言うなんて、頭が可笑しくなったのかい? 道中でも思い出話を沢山したのに」

 

返しは滑らかだった。

たぶん、本当に知っているんだろう。ユーノとエルナしか知らないことも、表に出ている顔の記憶も、全部ひっくるめて触っている。触って、その上で使っている。

それが一番質が悪い。

 

「……確かにしたよ、僕と君しか知らない事を。けれどね、なぜか分かるんだよ。君は僕の知っているエルナじゃない! お前は誰なんだよ!」

 

その一言が、遺跡の奥へ深く落ちる。

エルナは答えなかった。

俯いて、長い髪がさらりと垂れ、顔を隠す。表情は見えない。

だが、見えない方がよく分かることもある。あの沈黙は迷いじゃない。笑いを堪えている沈黙だ。

 

「きっしょ、なんで分かるんだよ」

 

上がった顔には、さっきまでの穏やかさなんて一欠片も残っていなかった。

舌を出しながら、挑発するような笑みを浮かべる。

その顔を見た瞬間、ようやく俺の中でも線がつながる。

守護騎士とは別口だ。宝を嗅ぎつけ、人の中に潜り込み、価値のあるものだけを抜いていく類の厄介事。

思った以上に面倒なことになっている。

そして、ここからはもう黙って見ているだけでは済まない。

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