悪魔と呼ばれ慣れて 3rd   作:ボルメテウスさん

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アンダーワールドの戦い

足を踏み入れた瞬間、遺跡の湿った空気が背中から剥がれ落ちた。

代わりにまとわりついてきたのは、乾いているのに重い、妙に古い闇だった。息を吸っても肺が軽くならない。音もおかしい。靴裏が地を踏んでいる感触はあるのに、足音だけが少し遅れて返ってくる。まるで、この場所そのものが俺を歓迎する気も拒む気もなく、ただ黙って値踏みしているみたいだった。

 

視界の先には、遺跡を裏返したような景色が広がっていた。

崩れた石壁は天井へ向かって伸び、通路だったはずの場所がひび割れた空へねじれている。床に見えるものも、近づいてみれば水面のように揺れ、その下で黒い何かがゆっくり蠢いていた。人の心の底が、見慣れた景色を借りて形を作ると、こういう気味の悪い世界になるのかもしれない。

 

「……趣味が悪いな」

 

独り言は、すぐには消えなかった。

言葉の残響が黒い空間の端に触れ、そのたびに、壁や床に貼りついていた影がわずかに脈打つ。そこでようやく分かった。

周囲を蝕んでいるこの黒い影は、ただの闇じゃない。あれそのものが、転生者の魂の染みみたいなものだ。エルナの中へ潜り込み、根を張り、じわじわと景色ごと食っている。だからこの世界は暗いんじゃない。あいつの存在で、少しずつ黒く塗り潰されている。

 

影が一つ、床から剥がれた。

次に二つ。三つ。

揺らいでいた黒が輪郭を持ち、獣の牙や、爪の形や、人とも虫ともつかない異形の節を組み上げていく。完全な姿になる前から分かる。あれはただの番犬じゃない。転生者の魂から零れ落ちた欲や執着が、そのまま魔物の形を取っている。財宝に飢えた目、奪うことをためらわない顎、他人の内側へ潜り込むことをためらわない影。どれも、さっきまでエルナの顔で笑っていたあいつの延長だ。

 

黒い獣が喉を鳴らす。

細長い蛇めいた影が、石の柱を舐めるように這う。

翼のある何かが頭上で音もなく旋回し、視界の外を埋め始める。

 

囲まれた、と理解した時には、もう遅かった。

前にも、横にも、背後にも、黒い魔物が立っている。距離の詰め方に迷いがない。こっちを殺すためというより、逃がさないために並んでいる陣形だった。中心に追い込み、削り、最後に本命が出る。そういう性格の悪さまで、よく似ている。

 

俺は足を止めたまま、ゆっくりと周囲を見回す。

慌てる理由はない。むしろ、ここで焦れば相手の思う壺だ。

魔物どもの目は、どれも同じ飢え方をしている。奪うことしか考えていない目だ。だったら話は早い。

こいつらは転生者の魂の欠片であり、同時に、その歪みそのものでもある。なら、斬るべき場所も、壊すべき順番も、自然と決まってくる。

 

「ようやく顔を見せたか」

 

構えを低く落とす。

黒い影が、いっせいに身を沈めた。次の瞬間には飛びかかってくる。

この世界の主がどこで笑っていようと、まずはこの鬱陶しい囲いを破るところからだ。

 

黒い魔物たちがいっせいに身を沈めた瞬間、空気の密度だけが先に変わった。

飛びかかってくる前の沈黙は短い。短いくせに、その一拍の中に爪の角度も、牙の開き方も、どこを噛みにくるかも、全部見える。

だったら話は早い。

 

最初に来たのは、犬にも蜥蜴にも見える黒い獣だった。

床を蹴った勢いのまま喉元へ噛みつこうとする。こちらは半歩だけ軸を外し、ローブの裾を滑らせるみたいに身を捻る。噛みつきは頬の横を抜け、遅れて届いた牙の音だけが耳元で弾けた。

そのままライドブッカーを開く。刃の角度を浅く保ったまま横へ払うと、黒い胴が真ん中から裂け、破れた影が火の粉みたいに散った。

 

一体潰したところで、囲いは崩れない。

右から細い蛇が伸びる。

左では翼のある影が、柱の上から首筋を狙って滑り込んでくる。

上も、下も、隙間はほとんどない。

 

「いい性格してるな」

 

吐き捨てながら、前へ出る。

下がれば囲まれるだけだ。

ウィザードの姿は重心が軽い。踏み込んだ瞬間の体の流れが、刃を振るためじゃなく、次の位置へ抜けるためにできている。だから止まらない。

蛇のような影の胴を、足を止めずに断つ。切り裂いた反動で肩を落とし、そのまま頭上から来た翼ある魔物の爪をかわす。

掠めた黒い爪先がローブの縁を引っかいたが、深くは入らない。

着地と同時に、逆手に持ったライドブッカーを振り上げる。

刃が下から走り、胸を割られた影が、鳴き声を上げる前にほどけて消えた。

 

だが、次がすぐ来る。

今度は人の形に近い。

腕だけがやたら長く、指先の関節が増えたような気味の悪い魔物が、左右から同時に間合いを詰めてくる。

片方を避けても、もう片方が刺さる角度だ。よく考えてやがる。

 

「なら――」

 

ベルトへ手を伸ばす。

黒い影の指先が、もう肩口へ届く寸前だった。

踏み込みの勢いをそのまま借りて、身体を低く滑らせる。刃は振らない。先に位置を奪う。

指先の群れが空を切り、そのまま重なった二体の足元へ潜り込む。

次の瞬間、低い姿勢から跳ね上がるようにライドブッカーを振り抜いた。

黒い胴が二つまとめて裂け、裂け目から溢れた影が、遺跡を裏返したような空間へ散っていく。

 

距離が一気に詰まったせいか、周囲の魔物たちが一瞬だけ怯んだ。

その怯みを見逃す理由はない。

右へ一歩。

柱を蹴って半身だけ浮かせ、頭上から落ちてくる影の群れを切り払いながら着地する。

石の床に火花みたいな赤い残光が走る。

赤い。

今の姿の色だ。火を抱いたまま沈んでいるような、ウィザードのフレイムスタイルに合う残り方だった。

 

けれど、数が多い。

斬っても斬っても、黒い影が周囲の壁や床からにじみ出てくる。

転生者本人の魂が、この空間そのものへ染み出しているなら、表面だけ削っていてもきりがない。

なら、もう一段深く叩く。

 

カードを抜き、視線を真正面へ据える。

魔物たちが、それを見た瞬間だけ距離を詰めた。

止めないとまずいと、本能で分かった顔をしている。

 

「遅い」

 

差し込む。

 

『FOAMRIDE WIZARD FLAMEDRAGON』

 

熱が、一気に立ち上がった。

フレイムスタイルの赤い宝石じみた意匠がさらに強く燃え上がり、肩から腕へ、胸から背へ、竜の意匠を思わせる力の線が走る。

黒を基調にしたローブの輪郭はそのままなのに、内側に抱えた火の量だけが別物になる。

静かな炎だった。暴れるんじゃない。押し潰すような、濃い熱だ。

 

魔物の一体が、距離を詰めきる前に跳ねた。

牙を剥いた獣。最初に斬ったのと似ているが、さっきより大きい。

真正面から来るなら、もう避ける必要はない。

 

踏み込む。

熱をまとったまま、ライドブッカーを縦に振り下ろす。

刃が落ちた軌道に、赤い火線が残った。

黒い獣は頭から真っ二つに割れ、切断面から炎に似た光を噴き上げながら崩れた。

続けざまに左右から来た影へ身体をひねり、片方を肩でいなし、もう片方の腹を横一文字に断つ。

さっきまでなら裂けるだけだった影が、今度は断たれた瞬間に焼けて消える。

これなら、囲いごと押し潰せる。

 

頭上で翼が鳴る。

見上げるより先に飛ぶ。

柱を一歩で駆け、空中で身を翻しながら、滑るようにライドブッカーを振るう。

赤い残光が弧を描き、群がっていた翼ある魔物たちがまとめて断たれた。

破れた黒が雨みたいに落ちる。

その中を着地した時、床に広がっていた影の海がわずかに揺らいだ。

 

効いている。

本体が、痛みを拾い始めた。

 

「出てこいよ」

低く言う。

「こんな欠片でいつまで誤魔化す気だ」

 

返事の代わりに、床の黒が大きく脈打つ。

壁際にいた魔物たちが、一斉に後退した。

逃げたんじゃない。道を開けた。

中心にいる“何か”のために。

 

ようやく、敵の正体に近いものが姿を見せ始める。

そう分かった瞬間、ライドブッカーを握る手に、自然と力が入った。

ここから先は、ただ囲いを散らす戦いじゃない。

このアンダーワールドを蝕んでいる根っこそのものを、叩き折る段階に入る。

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