悪魔と呼ばれ慣れて 3rd   作:ボルメテウスさん

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転校生の日常

教室の扉を開けた瞬間、空気が一段だけ軽くなった。

朝のざわめきはいつも通りで、机の脚が擦れる音と、誰かが笑う声が混ざって、平穏という名の雑音が教室を満たしている。

こういう雑音は嫌いじゃないが、嫌いじゃないからこそ、壊される前に手を打つ必要がある。

 

「席につけ、朝から元気なのは結構だが、騒ぐ場所を間違えるなよ」

俺の声で視線が集まり、何人かが面倒くさそうに顔を上げ、何人かが諦めたように椅子を引いた。

教師という仕事は、威厳と胡散臭さの配合が大事で、俺はそれを天性のセンスでやっている……と言っておく。

 

廊下に一歩退いて、隣に立つフェイトへ視線を向ける。

彼女は制服の襟を指でつまむようにして、視線だけを教室の中へ滑らせ、逃げ道を探す癖を隠せていない。

その癖が身につくまでに、どれだけ「ここに居てはいけない」と言われ続けたのか、だいたい想像はつく。

 

「入れ。紹介する」

命令に聞こえない程度に、しかし拒否を許さない程度に言うと、フェイトは小さく頷いて教室へ足を踏み入れた。

 

ざわめきが一瞬止まり、次に倍になる。

転校生というイベントは、平和な教室にとってはだいたい祭りの合図だ。

俺は黒板の前に立ち、チョークを持たずに口だけで場を制した。

 

「今日からこのクラスに来る。名前はフェイト・テスタロッサだ。余計な詮索はするな」

最後の一言は、クラスに向けたようで、半分は俺自身に向けた釘でもある。

闇の書がどう動くか、海東がいつ笑うか、転生者の言葉がどこまで本当か、詮索したいことは山ほどある。

だが、今は教師の時間だ。

 

フェイトは一歩前へ出て、硬いまま頭を下げた。

「……フェイト・テスタロッサです。よろしく、お願いします」

声は小さいが芯はある。

芯があるのに、どこか脆い。

薄い氷の上に立つ生き方を覚えてしまった子の、体温の低さが声に混ざっている。

 

教室の空気が少しだけ戸惑いに傾く。

転校生への好奇心はあるが、彼女が纏う距離感が、無邪気な踏み込みを許さない種類のものだからだ。

俺はその戸惑いが「悪意」に変わる前に、雑に空気を変えることにした。

 

「席は窓側だ。景色でも見て、余計なことを考えないようにしろ」

フェイトは「余計なこと」が何を指すのか分からない顔をしながら、促されるまま窓側の席へ向かった。

その背中に向けて、何人かが手を振り、何人かがひそひそと声を落とす。

俺はその全部を聞いていないふりをしながら、聞こえている分だけを頭の端に積んでいく。

教師の耳は、都合のいい時だけ良くなるものだ。

 

フェイトが席に着いた瞬間、俺はさりげなく視線を教室全体に走らせた。

なのは、ユーノ、アルフ、そして他にもこの街の「事件に近い匂い」を持つ連中がいる。

この教室は、偶然という言葉で片付けるには、中心に寄りすぎている。

闇の書がこの周辺で育つなら、ここは餌場になり得る。

 

授業は普通に進める。

普通に進めることが、今日の俺の戦略だ。

昨日の襲撃で分かったのは、敵が派手な破壊よりも「反応の採取」を好むということだ。

なら、派手な反応は与えない。

与えない代わりに、こちらが採取する。

 

国語の教科書を開き、朗読の順番を回しながら、俺はフェイトの呼吸の癖を見ていた。

彼女は当てられる前から、声を出す準備をする。

準備が早すぎるのは、外れた時に怒られる経験が多い人間の癖だ。

そして彼女は、周囲の気配を過剰に拾う。

これもまた、狙われる側の癖だ。

 

「テスタロッサ、読め」

淡々と指名すると、彼女は一瞬だけ肩を強張らせ、それから小さく頷いた。

視線が教科書へ落ち、声が教室に広がる。

綺麗な発音で、けれどどこか無機質で、感情を置いていない読み方だった。

感情を置くと、そこを踏まれると学んだのかもしれない。

 

朗読が終わり、教室に小さな拍手が起きる。

それが彼女にとって善意なのか圧力なのか、判断がつかない顔をしているのが痛々しい。

俺はその顔を見て、余計な同情をしそうになり、すぐに心の中で自分を殴った。

同情は甘いが、甘いものは噛み砕かれる。

 

休み時間。

教室の空気が少しほぐれ、数人がフェイトの席へ近づいていく。

なのはが真っ先に動くのは予想通りで、あの子は火種に対して無自覚に手を伸ばす癖がある。

ただ、その優しさは時々、爆弾の導火線になる。

 

俺は机に座ったまま、教師らしく書類を眺めるふりをしながら、視界の端でフェイトの反応を追う。

なのはが笑いかけ、フェイトが戸惑い、次に小さく笑い返す。

笑い返せたこと自体はいい。

だが、笑った瞬間にフェイトの目が窓の外へ逃げた。

逃げ道を探す癖は、安心した時ほど出る。

安心した時にこそ危ないというのは、皮肉な話だ。

 

その時、教室の空気に一瞬だけ“別の匂い”が混ざった。

甘ったるい香水でも、血の臭いでもない。

もっと軽薄で、紙の擦れる音みたいな、現実が一枚めくれる感触。

 

俺は表情を変えずに、視線だけを窓へ向けた。

ガラスに映る校庭の景色はいつも通りで、部活の準備をしている生徒が走っている。

だが、その景色の端、木陰の暗さが不自然に濃い。

影が、影として立ち上がろうとしている。

 

「……来たか」

声には出さずに、心の中だけで呟く。

ディエンドが姿を見せないまま、気配だけを置いていく時の感触に近い。

それは盗みの予告だ。

だが、何を盗む。

闇の書か、フェイトか、それとも俺の反応か。

 

背後で、フェイトが小さく息を呑む音がした。

魔力の波ではない。

それでも、彼女は“何か”を感じている。

感じる才能があるのか、感じざるを得ない状況に慣れすぎたのか、どちらにせよ面倒だ。

 

俺は立ち上がり、黒板にチョークで一行だけ書く。

「休み時間:廊下に出るな」

命令の形にしてやると、生徒は理由を考えず従う。

考えさせると、余計な好奇心が暴れる。

 

「次の授業の準備をしろ。窓際で騒いだら席替えだ」

クラスが「えー」と声を上げる。

その反応すら、俺にはありがたい雑音だった。

雑音は、異音を隠してくれる。

 

俺は教室の後ろに回り込み、窓際の影が濃くなる方向へ、誰にも分からない程度に距離を詰める。

その影は、じわりと紙の端が剥がれるように世界をめくり、そこから“声”だけが落ちてきた。

 

『先生、先生。転校生っていいよね、世界が動く匂いがする』

 

姿はない。

だが、その声は笑っている。

海東大樹が、観客席から舞台へ紙吹雪を投げているような、あの不愉快な軽さ。

 

俺は窓ガラスに映る自分の顔を見て、口元だけを少し動かした。

「お前の趣味に付き合うほど暇じゃない」

声は低く、教師の顔のまま、しかし確実に牙を見せる。

 

『でもさ、暇じゃない顔をしてる時が一番面白いんだよ。何を守りたいのか、何を隠してるのか、全部出るから』

声が近い。

まるで肩越しに囁かれているみたいに近い。

 

俺は背筋で笑いを堪えた。

こいつは、俺を踊らせたい。

踊らせて、闇の書の盤面に火をつけたい。

そして転生者は、その火がつく瞬間だけを見たい。

 

なら、踊らない。

踊らない代わりに、こちらから“次の一手”を押し付ける。

 

俺は窓の鍵に指をかけ、わざと軽い調子で呟く。

「出てこい。姿も見せずに授業参観とは、随分と礼儀正しい怪盗だな」

 

返事の代わりに、影が一度だけ揺れた。

そして、そこに“カードの縁”だけが見えた気がした。

見えたのは一瞬で、すぐに消える。

盗みの予告状みたいに、見せて、隠す。

 

フェイトがこちらを見ている気配がある。

彼女は、俺が何をしているか分からない。

分からないまま、不安だけが増えていく。

 

だから俺は教師として振り返り、いつもの尊大な口調で、しかしどこか軽く言ってやった。

「テスタロッサ、窓を見てる暇があるなら友達でも作れ。お前がこの教室で孤立する方が、よほど危ない」

 

フェイトは目を瞬かせ、頷いた。

その頷きが、さっきよりもほんの少しだけ素直だった。

……それが、海東の狙いかもしれないのが腹立たしい。

 

影の中から、最後にひとことだけ落ちてくる。

 

『じゃあ先生、次は放課後。先生の“守り方”を、もう少し近くで見せてよ』

 

声が消え、影が元の濃さに戻る。

教室の雑音が戻り、平穏が何事もなかったように流れ始める。

 

俺は黒板に向き直り、チョークを鳴らした。

「よし、授業を再開する。次、居眠りしたやつは当てる」

 

笑いが起きる。

その笑いの中で、俺は一人だけ、放課後の盤面を組み直していた

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