夜を歩く鴉と、待つ女たち   作:鉄猿

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祭りの後

 

 

 

夜が終わり世界が“何もなかったふり”を始める朝。

その時間を九郎は嫌いじゃない。

表の街は普通に動き出し、裏の連中だけが昨夜の現実を引きずる。

 

そして今日潰れるのは――

迅花を“商品”扱いした不良チーム「ロットナンバー」

 

 

 

闇試合の主催者の1人。

都内某所、裏専用のBarのVIP席。

そこに九郎はいつもと変わらない気だるい顔で座っていた。

カウンター越しに、主催者の幹部が渋い顔で言う。

 

「お前……また面倒なのを起こしたな。あの試合は完全に予定外だったんだぞ」

 

九郎は肩を竦める。

 

「助けただけだ。――女のな」

 

幹部は額を指で押さえた。

 

「問題はそこじゃねぇ。“損害”だ。賭けは崩壊、会場は壊滅、客の信用は落ちる。文句言う連中が山ほど出る」

 

九郎は静かに笑った。

 

「だから“代わりの見世物”を置いてくる。それで手打ちだろ?」

「は?」

 

九郎はテーブルに一枚の紙を滑らせた。

ロットナンバーの幹部名簿。所在地。金の流れ。弱点。

幹部は沈黙する。

そして小さく息を吐いた。

 

「……お前、もう潰す準備できてんのか」

 

九郎は立ち上がる。

 

「俺は“仕事の残り香”が嫌いなんだよ。邪魔だから掃除するだけ」

 

幹部が笑い、諦めたように言った。

 

「いいぜ。“潰した後の見世物”なら受け取ろう」

 

契約成立。裏社会式の“合法”。

 

 

 

雑居ビル三階。

ロットナンバーの拠点。

 

昨夜の大失態の後で、幹部達は苛立ちながら会議していた。

 

「鉄腕がやられたとか聞いたぞ!?誰だよ、そのチビ!」

「知らねぇよ! ただ――“鴉”って名が出てる」

 

空気が凍る。

裏で仕事してれば誰でも知る名前。“レイヴン”。

生存率の低い仕事を請け負い、ちゃんと帰ってくる化け物。

 

幹部の一人が怒鳴る。

 

「ビビんな!あいつ個人だろ!?俺らは“チーム”だ!!」

 

――その瞬間。

 

「そう。チームだな」

 

背後から声が落ちた。

ゾクリ、と背骨を撫でる寒気。

 

振り返った瞬間――ドアが吹き飛び、壁に縫い止められた。

動けない。何が起きたのか理解できない。ただ一つ分かる。

 

――部屋の入口に“あの男”が立っている。

 

小柄な身体。地味な顔。黒いジャケット。

なのに“場の空気だけが異様”。

 

九郎は淡々と言う。

 

「話は全部聞こえた。“ビビるな”って言ってただろ。

じゃあ――証明してみろよ」

 

幹部達の喉が鳴る。

 

 

数時間後。

 

 

ロットナンバーの連中は、裏の運搬車にまとめて放り込まれていた。

行き先は――闇試合の主催者の管理下。

“生きているが、自由ではない”。

彼らはこれから、「見世物にすらなれない最下層の労働」 に落とされる。

金も無い。仲間も無い。未来も無い。

ただ“潰された”という結果だけが残る。

 

 

 

ーーーーーーー

 

 

処理が終わった報告を受け、九郎はBarを出る。

タバコに火をつけ、空を一度だけ見上げた。

 

「……これでいい」

 

“戦闘屋”でも“傭兵”でも“スカウト”でもいい。

ただ――女と子どもを“商品”にする奴だけは、絶対に見逃さない。それが、レイヴンという男の “最低限の矜持” だった。

 

 

ーーーーーーーーーーー

 

 

夜。

住宅街は静かで、灯りの消えた家が多い。

その中で一軒だけ――小さく暖色の光が漏れている家があった。

 

迅花の家。

 

呼び鈴を鳴らす前から、中で人の気配がするのが分かる。

落ち着きのない歩き方。何度も行き来している足音。

 

――待たせていた。

 

九郎は一度だけ息を吐き、ドアベルに指を掛けた。

 

チリン――

 

足音が止まり、慌てて駆け寄ってくる音。

扉が開き、女が立っていた。

 

迅花の母。

第一印象は「強い人」ではなく、

“娘の為に無理やり立っている普通の母親” だった。

化粧もそこそこ、目の下には疲れの隈。

だが、視線は真っ直ぐで――震えている。

 

「……あなたが、迅花を……?」

 

声が掠れていた。

九郎は小さく頷く。

 

「中で話しましょう。ここで済む話じゃない」

 

 

湯気の無くなったマグカップが机に三つ。

飲みかけて放り出した痕跡。

落ち着こうとした回数の数だけ、

カップが増えたのだろう。

 

母親は九郎の前に座るが、姿勢が定まらない。

握りしめた手が震えている。

 

「迅花は……生きてるんですね……?」

 

九郎は即答した。

 

「生きてる。怪我はしてるが、命に関わるもんじゃない」

 

その瞬間、母の肩から空気が抜けた。

声にならない息が何度も喉を震わせる。

泣きはしない。

泣いたら壊れるのを知ってる母親の顔。

 

「……ありがとう、ございます……本当に……」

 

九郎は頭を下げない。

礼を言われるような仕事じゃない。

代わりに――残酷な現実を口にする。

 

「ただ――“助かった”で終わる話じゃありません」

 

母の視線が九郎に縫いつく

九郎は淡々と話す。

第三者の感情を挟まず、必要以上に脚色せず、だが「誤魔化さない」。

 

不良チームの存在。迅花がロックオンされ、“商品”として扱われ始めた事。見世物として、“徹底的に壊される予定だった”事。

心理を折られ、身体を痛めつけられ、逃げ場を奪われ――

最後は人として扱われなくなる未来が確実にあった事。

 

母は息をするのも忘れて聞いていた。

テーブルの下で、握りしめた拳が血の気を失っている。

そして――言われる前から知っていたように、呟く。

 

「……あの子は……強いから……ね」

 

それは褒め言葉じゃない。

娘を護るはずの“強さ”が、

娘を連れていった現実を知っている母の台詞。

 

涙が落ちる。ようやく、泣いた。

声を殺しながら、弱い母親の顔で泣く。

 

「どうして止めてやれなかったんだろう……

 どうして気づいてやれなかったんだろう……

 あの子はずっと―走る場所を無くして…それでも、笑って……!」

 

泣きながら、言葉が崩れる。

九郎は目を逸らさず聞いた。

慰めない。同情を言葉にしない。

ただ――紛れもない「約束」だけを口にする。

涙を落とす母の前で、九郎は静かに言う。

 

「迅花は、また“走れる場所”を見つけられます」

 

母が顔を上げる。九郎は嘘を言っていない目だった。

厳しく、鋭く、だが――嘘を嫌う戦場の目。

 

「今回は、俺が勝手に首を突っ込んだ。だけど……

 これからもあいつが“間違った方向”に走るなら――

 ぶん殴ってでも止める。筋を叩き直す。

 それが“弟子”にするってことだ」

 

その言葉は乱暴なのに、真っ直ぐだった。

母親は少し笑った。泣き笑いだった。

 

「優しく言えないんですね……本当に」

 

九郎は肩を竦める。

 

「俺は優しい人間じゃない。

 でも――“守りたいと思ったもん”は、必ず守る」

 

母親は、深く頭を下げた。泣きながら、それでも笑いながら。

 

「……どうか……あの子を……

 ――生きる方へ連れていってください」

 

九郎は答えない。ただひとつだけ、短い言葉で返す。

 

「任せろ」

 

 

ーーーーーーーー

 

 

 

 

夜の街は冷えていた。

由衣の部屋の明かりだけが、外から柔らかく滲んでいる。

 

コンコン――。

 

ドアを叩く軽いノック。

 

由衣はキッチンから顔を出し、小さく息を吸った。

 

「……来た」

 

取っ手を握る手に、微かな緊張。

扉を開けた瞬間、まず目に入ったのは――

疲れ切った顔で立っている、九郎。

 

そして、その横に立つ少女。

 

制服姿。

背筋は伸びているのに、肩だけがほんの少し強張っている。

 

鷹宮迅花。

 

由衣と目が合うと、一瞬だけ視線を落とす。

“覚悟した顔”。

“覚悟したのに、まだ震える顔”。

 

由衣は静かに笑って言った。

 

「……いらっしゃい。まず、入って。寒いから」

 

 

テーブルの上には救急用具が揃っている。

九郎のシャツが床に落ちる。

 

――由衣の表情が一瞬だけ歪んだ。

 

血は出ていない。

だが、肋骨、肩、胸に広がる深い打撲痕。

人に殴られた痕じゃない。

機械で圧されたような、重量の衝撃痕。

 

迅花は息を止めた。

喉が鳴る。目が逸らせない。

自分が見ていた“檻の中の光景”が蘇る。

鉄腕の巨大な拳砕け散る視界。

 

そして――“間に割り込んできた黒い背中”。

 

胸の奥が、鈍く痛んだ。

 

由衣は動揺を飲み込み、いつもの優しい声を崩さない。

 

「……痛いところ、言って」

 

「言っても治んねぇよ。貼っときゃ治る。大丈夫だ」

 

「黙って」

 

言葉より手が動く。

包帯が巻かれ、冷却剤が貼られ、片手が胸の上で支えられる。

迅花は見ていられなくなり、俯いた。

そのまま、ぽつりと声が落ちる。

 

「……私の、せいですよね」

 

由衣は答えない。答えを選ばない。

 

九郎が代わりに吐く。

 

「違ぇよ。お前は“連れ去られた側”だ。

 悪いのは、女やガキを商品扱いする連中だ」

 

それでも迅花の拳は震える。

 

「でも……あの場所にいたの、私です。

 知らなかったじゃ済まない世界だって、あの檻で分かった。

 私、自分の力が怖い。

 でも――

 “何も出来ないまま壊される”のは、もっと怖い……」

 

呼吸が乱れる。瞳が揺れる。

 

「だから、逃げたくない。……九郎さんが、母に話してくれた。

 “俺が面倒見る”って。だから……ここに来た。

 私、ここから外れたら、もう戻れない気がするから」

 

由衣はようやく、迅花の方を見た。

優しいが、甘くはない目。

 

「覚悟の言葉は、軽いと折れるよ」

 

迅花は頷いた。

 

「折れても立ち上がります。……あの檻で、そう決めました」

 

沈黙。短いけれど、逃げ場のない沈黙。

そして由衣は、静かに微笑んだ。

 

「なら――ようこそ。

“帰ってくる場所”は、ちゃんと開けておく」

 

その瞬間。

 

迅花の視界がにじんだ。涙は零れない。

ただ、喉の奥で震えるだけ。

 

九郎は何も言わない。ただ椅子にもたれ、息を吐く。

由衣が柔らかく続ける。

 

「ここは止まり木。

 でも――止まり木だからこそ、甘えすぎないでね」

 

「……はい」

 

迅花は深く頭を下げた。

 

こうして――

鴉の止まり木と、

“嘴”になる少女は、正式に同じ屋根の下へ入った。

“弟子”と“守る者”、

そして“止まり木”の関係は、静かに固まった。

 

 

 

ーーーーーーーーーーーーー

 

 

 

部屋は静かだった。

テレビもつけていない。

スマホも手元に置いてあるけど、通知は鳴らない。

さっきまで人の体温で満たされていた部屋は、 洗ったカップと乾いた空気だけを残して、 ただの箱に戻っていた。

 

シーツにはまだ微かに匂いが残っている。

その匂いに包まれて眠った夜も、何度もあったはずなのに──

今日は眠れない。

 

「……強い人だと思ってたのに」

 

情事のあと、無防備に眠る彼の横顔を思い出す。

戦場に立つ人間じゃないみたいに安らかで、 でも翌朝には、あの背中は戦いの世界へ戻ってしまう。

 

止める資格なんて無いことくらい、 とっくに理解してる。

命を張る男を、日常に縛り付けようなんて。

そんな浅ましいことはしたくない。

 

わかってる。わかってるのに──

 

静寂は、残酷だ。

 

時計の針が、やけに大きな音で響く。

キッチンの冷蔵庫の低い振動音が、妙に耳に残る。

外の車の音が過ぎ去るたび、「帰ってきた足音じゃない」と胸が沈む。

 

『もし帰ってこなかったら』『もし連絡が途切れたら』

 

裏社会の現実を知ってしまった手前、その想像は現実味を帯びる。

 

普通の恋人みたいに、

「遅くなるね」とか「今日は帰れない」とか

そんな言葉ひとつ期待する事すら、きっと間違いなんだろう。

 

それでも。

 

カップを両手で包んで、冷め切ったコーヒーを見つめながら思う。

 

――戻ってきてほしい。

強がりも理屈も置き去りにして、

ただそれだけを願っている自分に、苦い笑いがこぼれる。

 

「私、止まり木なんだから……ちゃんと待たなきゃ、だよね」

 

声に出すと、少しだけ楽になる。

そうやって何度も言い聞かせる。

 

ベッドライトを落とし、暗闇に沈む。

 

その瞬間、横にいない空白だけが、突き刺さるみたいに広がる。

布団を抱きしめる。まるで失う前に縋るみたいに。

静寂は、夜明けまで止まらない。

だからこそ──帰ってきたとき、笑って迎えたい。

 

涙を拭いて、目を閉じた。ドアベルは鳴らない。

チャイムも押されない。

 

 

ーーーーーーー

 

 

ただ──鍵が静かに回る音だけが、部屋の空気を震わせた。

 

心臓が跳ねた。

手にしていたカップを危うく落としかける。

 

こんな時間に勝手に鍵を回す人間なんて一人しかいない。

でも、何度も裏切られてきた不安が、 “違ったらどうしよう”と指先を冷たくする。

 

ため息みたいな、軽い息遣い。

少しだけ懐かしい衣擦れ。

 

視線を扉に向けた瞬間、彼がそこに立っていた。

 

「……ただいま」

 

言葉は簡素だった。

いつも通りの、何気ない調子で。

けれど、顔だけは“帰ってきた人間の顔”をしていた。

 

由衣は何も言えなかった。

 

安心と怒りと、泣きたさと、 ただ触れたい気持ちがまとめて喉に詰まって、 声にならない。

 

九郎は軽く顎をかいた。

照れ隠しなんて似合わない男が、少しだけ居心地悪そうに視線を逸らす。

 

「……生きて帰ってきた。ほら、ちゃんと」

 

軽口みたいに言われると、余計に胸にきた。

 

涙が出るほど怒る理由もない。

泣きつく資格もない。ただ、ただ──

歩み寄って、胸に顔を押しつけた。

 

その胸板は、相変わらず固くてあたたかい。

戦ってきた身体の匂いがする。

“遠い場所から帰ってきた匂い”。

 

「遅い、です……」

 

かろうじて出た声は、それだけだった。

九郎は何も言わず、短く息を吐いて、

静かに腕を回してきた。

 

強く抱きしめるわけじゃない。

壊れ物を扱うわけでもない。

ただ“帰る場所を理解している腕”。

 

由衣は目を閉じた。

夜の静けさが、ようやく穏やかに溶けていく。

 

鍵の音も、時計の針の音も、もう何も怖くない。

部屋が、また“ふたりの空間”に戻った。

 

 

――――――――――抱きしめた身体が、すこし震えていた。

 

泣くほど弱い女じゃない。

けれど、我慢していた強さが緩んだ瞬間、

肩が静かに落ちる。

 

「……帰ってきましたね」

 

胸元で押し殺すように呟く声が、あまりにも愛おしい。

 

九郎は「ただいま」と短く返す。

言葉なんて多くいらない。

その代わりに、腕に力を込めて、そっと髪に指を通した。

 

長い旅路の埃を、戦いの匂いを、

ひと呼吸ずつ溶かしていくみたいに。

 

由衣が顔を上げる。少し赤くなった目元と、

それでも自分を保とうとする意地の残った表情。

 

「もう……何も言わずに消えるのは、なしです」

 

叱るような声なのに、触れている指先は離れない。

 

九郎は喉の奥で小さく笑い、

額を軽く合わせて息を重ねる。

 

距離が近い。肌が触れ合うたび、

ただ“生きて、帰ってきた”現実が胸に広がる。

 

言葉よりも、安心を確かめる触れ方が増えていく。

唇が触れた瞬間、堰を切るように空気が変わった。

 

無理に求め合うわけじゃない。焦りも、衝動もない。

ただ“ここにいてほしかった”という想いが、静かに熱を帯びる。

 

由衣の手が、そっと九郎の服の裾に触れる。

それは拒まなかった証で、

覚悟でもあって──

 

部屋の灯りが落とされる。

 

カーテンの隙間から入り込む街明かりだけが、

柔らかく二人の輪郭を浮かび上がらせる。

触れ合う温度が近づき、呼吸が重なり、視線が逸れなくなる。

 

何も急がない。確かめるように、抱く。

 

――長い空白を埋めるような、静かで確かな夜が、そこから始まった。

 

 

 

 

 

 

 

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