この小説はとある作品の影響を多大に受けています。
似た設定ですがリスペクトを持って参考にさせて頂いております。
夜の公園は、静かだった。
街灯が落とす光の外は闇。虫の声すら遠く、世界が薄く閉じている。
その真ん中。
砂場と遊具に囲まれた広場で、一人の少女が息を吐く。
鷹宮迅花。
汗で額に貼り付く黒髪を指で払う。
足の裏は砂を掴み、爪先に力が宿る。
――対するのは、背の低い男。
鴉《レイヴン》
フードを被り、手袋をつけたまま、だらしなく立っているようで、一切の隙がない。
「構えろ」
ただ一言。
迅花は従う。背筋が伸び、肺の奥で空気が凍る。
瞬間。
九郎の足が、消えた。
いや、そう見えただけだ。
踏み込みが速い。
身体能力も筋力も圧倒的に自分より劣るはずの男が、
視界を塗り潰す速度で懐に入り――拳が腹に触れた。
――「当たる」寸前で止まる。
その一センチを、迅花の背筋が冷たく感じた。
「はい。今ので死んでる」
軽い声。刺すような現実。
迅花は息を飲んだまま、顔を上げた。
「……っ、速すぎます……」
情けないほど真面目で、正直な言葉が出る。
九郎は肩を回し、鼻で笑った。
「お前、強いよ。“力”だけなら、俺よりずっと上だ」
淡々とした声。慰めではない。
「でもな。“殺し合い”は別のゲームだ。走力でも、腕力でも勝負しねぇ」
迅花の喉が、きゅっと鳴る。
視線が揺れた瞬間――九郎が踏み込んだ。
今度は、真正面ではない。側面から。
肩を掠め、肘で顎を狙い、膝が内腿を払う。
迅花は反射で身体を強化する。
骨が軋む音を肉の奥で感じながら、なんとか倒れず踏み止まる。
「いい反応だな。
けど、“後から間に合わせる”のは素人の癖」
九郎はそこで止まらない。圧は一定。怒鳴らない。
追い詰めない。ただ、容赦がない。
拳が、掌底が、蹴りが、土煙の中で音もなく近付いては止まり、
止まっては次に繋がる。
迅花は、必死だった。
息が荒いのに、肩で呼吸をすると崩れるのが分かるからしない。
喉が乾く。手が震える。――だが、逃げない。
「……師匠……」
ようやく声が漏れる。
「なんで……そんなに迷いが無いんですか」
九郎は目だけで笑った。
「簡単な話だよ」
一歩。また踏み込む。
「俺は“勝とうとしてない”。
“負けないように動いてねぇ”。もっと雑だ」
視線が獣みたいに静かに細まる。
「“お前を殺すつもり”で動いてるだけだ」
刹那、空気が冷える。迅花は、震えた。恐怖じゃない。
理解したから震えた。――自分は、まだその場所に立っていない。
九郎はそこで攻撃を止めた。背を向け、ベンチに腰を下ろす。
コンビニの水を一口飲む。
「腰、座ってる。
無理やり踏ん張ってるだけなの、バレバレ」
茶化すようで、優しくない言い方。甘くしない。
でも突き放さない。迅花は静かに呼吸を整え、隣に座る。
沈黙。
少しだけ冷たい風。
「……怖いんです」
小さく、吐くように言葉が落ちる。
「この力が。慣れたら、もっと先まで行ける気がして。
でも、それがどこなのか分からなくて……」
九郎は煙草を取り出しかけて、やめた。
代わりに星を見上げる。
「怖いって言えてるうちは、まだ健全だよ」
軽く。それだけ言って、また立ち上がる。
「続き。あと三本。それで今日は終わり」
迅花は笑っていない顔で、でも確かに前を見た。
「はい。……お願いします」
返事は敬語。背筋はまっすぐ。踏み込みの音が、夜の公園に二度響いた。
――――――――――――――
夜の公園。人気が途切れ、風だけが砂を弄ぶ音が残る。
街灯の下、ベンチの上。
九郎はペットボトルの水を最後まで飲み干し、指先で軽く潰した。視界の端には、まだ立っている迅花。
最後の一撃を受け止め、息を整えようとしている。
(……まだ震えてんな)
そう思った瞬間、胸の奥が少しだけ重くなる。
――彼女は強い。
身体能力は人間離れしてる。
気配の読みも悪くない。反射も既に獣の域だ。
けれど。
“戦場”じゃ、まだ子どもだ。
九郎は無表情で、空を見上げた。
(あの年で、あそこまで追い込んでるってだけで十分異常なんだけどな)
普通の高校生なら。
部活だ、恋愛だ、将来の進路だ。
悩みは人間らしい方向に散っているはずだ。
迅花は、違う。
自分の身体が、自分の精神のキャパを超えている。
余った力が、人生の器を破りかけている。
だから暴力に流れた。
だから“殴る理由”を求めて、不良狩りなんて回りくどいことをした。
(器用じゃねぇんだよな、あいつ)
でも――壊れずに踏み止まった。
そこが、大きい。
もっと簡単に崩れてもおかしくなかった。
もっと簡単に堕ちてもおかしくなかった。
それでも彼女は、
「怖い」
と言えた。
それだけで、生き延びる資格がある。
九郎は息を吐く。
(……守りてぇとかじゃねぇんだよ)
違う。
甘さでそばに置いてるんじゃない。情だけで拾ったんじゃない。
“放っておけば、人間側の結界が崩れる”
それが現実だ。裏の世界は、肉食だ。
“使える力”を見つけたら、容赦なく喰う。
迅花レベルの戦闘力なら「狩る側」でもあり、「売り物」にもなる。
だから。
(育てる方がまだマシだ)
刃物は手入れをすれば“道具”だ。
放っておけば“事故の原因”になる。
彼女の力は、事故を起こすには強すぎる。
「師匠」
息が整った迅花が、もう一度構える。
九郎は、肩を竦めた。
(……まぁ、弟子としては悪くねぇ)
口癖みたいに自分を茶化す。
(素直で、意思があって、折れても立つ。
――それだけありゃ十分だ)
少しだけ思考が柔らかくなる。
(……あの母親の顔、二度と泣かせたくねぇしな。美人だったし)
言葉にはしない。絶対にしない。ただ、立ち上がる。
もう一度、踏み込みを見る。もう一度、躱させる。
もう一度、ギリギリを踏ませる。
冷たい目のまま、情けはかけない。
でも、捨てない。
それがはばき九郎という男の、
誰にも見せない優しさであり、残酷さでもあった
「⋯迅花」
「はい?」
「次の日曜日予定を空けておけ」
「分かりました。訓練ですか?」
「⋯⋯いや、鬼の住処に行く」
「⋯⋯はい?」
ーーーーーーーーーーーー
神楽坂家の門は、ただ大きいだけじゃなかった。
見上げれば空を切るように伸びていて、石畳の先には古い屋敷と、静かな庭園。夕暮れの赤が差し込むのに――空気は冷たい。
「……行くぞ」
前を歩く師匠――九郎さんの声は、いつもより低くて硬い。
私は一瞬だけ首を傾げた。
肩の筋肉が、いつもより少し強張ってる。
この人が、緊張してる。
それが分かった瞬間、喉が鳴った。
“あの九郎さんが、怖いと思う相手”
それが、この屋敷の向こう側にいる。
通された客間は静かだった。
畳の匂いが落ち着くのに、心臓だけが変に忙しい。
襖が開いた。
「よく来たな、九郎」
ゆっくりと入ってきたのは、小柄な老人。
背は低いのに、空気の圧だけで部屋が狭くなった気がした。
九郎さんは、深く頭を下げる。
「……ご無沙汰してます。当主様」
その声は、普段の軽さとはまるで違っていた。
私の知っている、あの人じゃない。
礼儀正しく、言葉を選び、怒らせまいとする兵士の声。
その横顔は――少しだけ、硬い。
「ほぉ、その娘が“お前の弟子”か」
老人の視線がこちらに落ちる。
射抜かれたみたいに背筋が伸びた。
優しそうな皺笑い。なのに、目の奥は測れない。
鬼の血を引くという言葉を、私は今初めて実感した。
「迅花と言います。……お世話になります」
なんとか声を出せた自分を褒めたい。
老人は目を細め、軽く頷いた。
「素直な目だ。だが……」
視線がほんの少しだけ刺す。
「“守られた子”の目でもあるな」
胸の奥がチクリと痛む。
隣の九郎さんが、僅かに拳を握ったのが見えた。
私のためじゃない。――責任を、背負う音だった。
その時、襖の奥から柔らかな足音。
「お父様、飲み物を――」
現れた娘は、由衣さんと同じ年頃の、整った顔立ちの女性だった。彼女は盆を持ったまま止まる。
九郎さんを見て、ほんの一瞬――息を呑む。
頬に色が差す。視線に、迷いがない。知ってる。
昔から、ずっと想ってた人を見る目だ。
胸が、変なふうに締め付けられた。
私に向いた視線は、柔らかかった。
でも、その奥にある感情だけは理解できる。
敵意じゃない。
でも――譲らない女の目だ。
老人は小さく笑った。
「……九郎。お前は相変わらずだな」
「勘弁してください」
九郎さんは顔をしかめる。
その仕草は少しだけ、いつもの彼に戻った気がして、私は息をついた。
でも、手はまだ膝の上で僅かに強張ってる。
怖いんだ、この人でも。
だからこそ、私は思う。
――この家は、絶対に敵に回しちゃいけない。
ーーーー
帰り道。
屋敷を出た瞬間、九郎さんの肩が僅かに緩む。
「……疲れた」
珍しく弱音みたいな声。私は横目で彼を見る。
「怖いんですね。あの家、九郎さんでも」
彼は少し間を置いてから、苦笑した。
「当たり前だろ。――命の恩人だ。
それに敵対したら俺でも死ぬ」
それは冗談みたいに言われたけど、冗談じゃなかった。
私は拳を握る。
こんな世界で、この人はずっとやってきた。
その事実が、また胸を熱くした。
神楽坂の屋敷の灯りは、遠くで静かに瞬いていた。
味方でいてくれるなら、これほど心強いものはない。
敵に回せば、地獄より恐ろしい。
そして私は――そんな場所に、九郎さんと一緒に立っている。
それが少し、誇らしかった。
神楽坂家を出た帰り道。
空気は冷えてるのに、頭の中だけが熱く落ち着かない。
さっきまでの屋敷の静けさと圧。
九郎さんの張り詰めた横顔。
私は、黙っていられなくなった。
「さっきの……“裏十三座”って、結局何なんですか」
歩みを止めずに聞くと、隣の男が肩をすくめる。
「……日本の、裏の“本当の支配層”みたいなもんだよ」
軽い口調。でも、冗談の色は一切ない。
「表で政治家とか財閥とか大企業が偉そうにしてるだろ。
でもな、ああいう“表舞台”より、もっと古くてえげつない連中がいる」
夜風が吹く。街灯が路地を照らす。
「戦国時代も江戸も、戦争もバブルも、今の時代も。
ずっと裏から日本の“汚い仕事”を回してきた家柄だ。
呪術、暴力、金、情報……“人間じゃどうにもならない領域”を仕切ってきた連中」
九郎さんはポケットに手を突っ込んだまま、吐く。
「だから“裏十三座”。
裏社会の頂点であり、神話と現実の境目に立ってる化け物一族の集合体だ」
「……怖い人達、なんですね」
私が呟くと、彼は鼻で笑った。
「怖いなんてもんじゃねぇ。
あいつらは“国家より長く生きてる悪意”みたいな連中だ」
そう言ってから少しだけ声を落とす。
「ただ――全部が全部、悪じゃねぇ。
善性寄りだったり、中立だったり、狂犬だったり、救いようのない地獄だったり……色々だ」
「さっきの神楽坂家は?」
そう聞くと、ほんの少しだけ柔らかく笑った。
「……あそこは特殊だ。
“鬼の血”を引いてるなんて言われる一族のくせに、全員が優しい。優しすぎて、だから怒らせた時が一番やべぇ」
私はゴクリと喉を鳴らした。
「怒ったら……どうなるんですか」
「敵対者は“存在ごと消える”」
あっさりと言われたのに、背筋が凍る。
「神楽坂は、人殺しが好きでやるんじゃない。
身内を脅かす奴を“絶対に許さない”だけだ。
理不尽な悪じゃなく、“徹底した正義”に近い」
一拍あって。
「だから俺は、あの家の連中に頭が上がらねぇ。
昔……命を拾われた。借りがある」
その言葉だけで、どれほどの出来事があったか察せられる。
聞きたい。
でも、聞いちゃいけないと思った。
「じゃあ、他の“裏十三座”は?」
そう尋ねると、九郎さんの目が僅かに険しくなる。
「いずれ、嫌でも関わる。お前が俺の弟子でいる限り、裏の空気は避けられねぇ。善玉、悪党、狂犬、怪物……色んな奴がいる」
そして吐き捨てる。
「迅花」
急に名を呼ばれ、顔を向ける。
「ここから先、お前は“普通の女の子”って道から、ゆっくり外れていく。俺のそばに居るってのは、そういう事だ」
脅しでも優しさでもない、ただの事実として。
夜風より冷たい現実。それでも――私は頷いた。
「……もう、戻れないですよ。
でも、今さら怖いなんて言いません」
九郎さんは呆れたように笑う。
「ほんと、お前は女の顔と戦士の根性が噛み合ってねぇな」
でもその声は、少しだけ優しかった。
歩く足音が、静かな夜に溶けていく。
裏十三座。
その名は、世界の底を覗いたみたいで――胸が苦しくなる。
でも私は知っている。
その地獄の中で戦って笑って戻って来る背中を、私はもう見てしまった。
だから、離れられない。
――これが、“鴉”の隣に立つってことなんだ。
夜道を並んで歩きながら、
九郎さんはポケットに手を突っ込んだまま、少し顎を上げ空を見た。
「神楽坂は“守る鬼”。
善性寄りで、怒りだけが怪物級……そういう家だ」
そう前置きしてから、彼は言葉を続けた。
「でもな。
裏十三家の全員がああだと思うなよ。むしろ、ああいう“まっとうな化け物”は少数派だ」
声色が僅かに低くなる。
「……まず、一番関わりたくねぇのが――」
「《鵺ノ宮(ぬえのみや)》」
九郎さんは吐き捨てる。
「“妖怪処理専門”。
穏健派は“任務として退治するだけ”。
問題は過激派。あいつらは“敵”じゃなく“資源”として扱う」
「捕まえて、飼って、売って、刻んで、薬にも商売にも使う。
“人間の都合だけで存在を切り分ける”最低の連中だ」
低く、押し殺すような声。
――怒ってる。
それがはっきりわかった。
「対妖怪、怪異の戦闘力だけでいえば精鋭中の精鋭。
プロの退魔師、軍隊上がり、魔術師上がり……“西側のPMCより訓練されてる猟犬”って感じだな」
そして、静かに付け足した。
「俺が一番ぶっ殺したくなるタイプの人種だ」
風が鳴る。夜の空気が重くなる。
私は何も言えなかった。
――――――――――――――――
「《 氷見(ひみ)家 ―― “情報の亡霊”》」
次に出てきた名も、聞いたこともないものだった。
「氷見家は“情報支配”。
裏の諜報機関、影の役所、巨大な蜘蛛の巣みたいな家だ」
「政治家の不倫ネタから、スパイリスト、海外の軍事汚職、
魔術社会の汚点、裏家の内輪揉めまで――
“知ってはいけない事”を全部握ってる」
「力じゃなく、“知ってる”ことで人を殺す家」
背筋が寒くなった。
「……戦わないんですか?」
そう聞くと、九郎さんは首を振る。
「戦わねぇ。“戦わせる”。
戦争を止めたり、起こしたり、裏社会の流れを“数字と情報”でコントロールしてる」
「敵に回したら最後、“人生そのものが詰む”。
逆に味方ならこれほど頼りになる奴らもいねぇ」
少し黙り、遠くを見る目で続ける。
「俺は……どっちにも借りがある。
だから氷見だけは、簡単に敵にも味方にも出来ない」
彼の言葉に、言えない過去の影が滲んでいた。
――――――――――――――――
「《 朱雀院(すざくいん) ―― “血統と儀式の家”》」
「朱雀院。
“呪術・儀式・術式の正統家系”。」
その名だけで、空気が歪む気がした。
「古神道、陰陽道、仏教密儀、外来の儀式魔術――
全部を吸収して、血統に刻み込んでる」
「“人間でいながら、人間じゃない”連中だ」
「彼らは基本的に中立。国家より古い“秩序”に従って動く。
だから、金でも力でも動かない」
「ただ、一度“裁定”を下したら――その相手は“運命ごと焼かれる”」
「味方でも怖い。敵なら絶望。
でも、世界が本当に壊れそうな時、真っ先に動くのは大体こいつらだ」
宗教でも政府でもない、もっと古い正義。
そんな存在がこの国の闇に眠っているなんて――
足元が、少しだけ不安定になる。
――――――――――――――――
そして――
「他にもいる」
九郎さんは、夜空を見上げた。
「“医療と人体実験”を牛耳る家」
「“金と金融裏回路”を支配する家」
「“海外の闇市場と魔術ブローカー”を束ねる家」
「“戦争専門”の家」
「どれも、まともじゃねぇ。普通の倫理じゃ測れない連中だ」
私は、ぎゅっと拳を握った。
その“まともじゃない世界”の中に、私達は足を踏み入れている。
戻れない位置に、もう立ってる。
――でも。隣を見る。小柄で、普通の顔で、
だけど血だらけの闇の中から笑って戻ってきた背中。
私は、その背中から目を逸らしたくなかった。
「……九郎さん」
声が少しだけ震えた。
「敵が……増えますね」
彼は笑った。悪戯みたいに、でもどこか優しく。
「ああ。増える。だけど――」
「その分、“守るもん”も増えてるだろ」
胸が、熱くなる。
歩き続ける夜の道。
影は濃くなるのに、不思議と足は軽かった。
――裏十三座。
――日本の闇の支配者達。
その地獄の中で、私達はこれからも歩く。
でももう、怖いだけじゃない。
私は、鴉の隣に立つ――
その選択を、自分で選んだのだから。
裏十三座
九郎曰く、裏社会の頂点であり、神話と現実の境目に立ってる化け物一族の集合体。
現在判明してる座
神楽坂 怒れる鬼神 現状唯一九郎の味方になってくれる
鵺ノ宮 妖怪《処理》専門
氷見 情報の亡霊
朱雀院 大和の守護者