夜を歩く鴉と、待つ女たち   作:鉄猿

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前話の裏十三座の細部設定

日本の“裏”に根付く 十三の血筋・権力・呪的家系の連合体
表の政治や財閥とは別の支配層
退魔・裏社会・異能・怪異・国家暗部にまで影響する古い秩序。
家同士は必ずしも仲良くない
 → 派閥、思想、利益構造がバラバラ
 → しかし「十三座」という枠は絶対
“ただの悪”ではなく、慈悲もあれば狂気もある巨大な枠

九郎は十三座とは距離を取りたいが、逃げられない因縁持ち
迅花はまだ“名前だけで震える段階”



迅花の初仕事

 

 

 

 

場所は古い雑居ビルの裏手だった。

街の中心から少し外れた区画、シャッターの錆と、溜まった雨水の匂いが鼻を刺す。

 

「護り屋」にも「警備」にも頼れない案件。

表で処理しきれない“面倒”が、裏の肩に押しつけられた形だ。

 

依頼は簡潔だった。

――暴走気味のカルト崩れが潜伏、危険性有り。排除までは求められず、無力化して依頼人に渡せ。

 

鴉《レイヴン》は壁に背を預け、煙草代わりのガムを噛んでいた。

仕事前特有の静けさ。いつもより、目が冷えている。

 

迅花は無意識に拳を握っていた。

手袋の内側、掌に汗が滲む。

 

「怖いか?」

九郎が不意に言った。

 

「……少しだけ。でも、やります」

「それでいい。怖くなくなったら人間やめてる」

 

軽く笑う。その軽さが、変に安心させる。

しかし声はすぐに仕事の温度に戻った。

 

「いいか迅花。“勝てばいい”仕事じゃねぇ。“目的を落とさない”のが仕事だ。手を抜くな。でも燃え上がるな」

「はい、師匠」

 

呼ばれ方に九郎が少しだけ肩をすくめた。

 

「まだ慣れねぇな、それ。……まあいい。行くぞ」

 

ビルの扉を蹴破る瞬間、空気が変わった。

湿った布の匂い。鉄の匂い。そしてただただ、気味の悪い静寂。

奥の部屋から、低い唸り声が聞こえた。

 

「来るなァァァァァッ!!」

 

男の叫びと同時に、椅子が飛んできた。

反射で身体が動く。迅花は半歩ずれて腕で受け、そのまま足を踏み込んだ。

速い。殴れる。倒せる。

 

けれど――

(殺すわけには、いかない)

 

ほんの一瞬の迷いが、身体を止めた。

その隙に、男の刃物が振り下ろされる。

 

「迅花!」

 

九郎の声。

視界に滑り込む黒影。

ナイフを握る手首を九郎が掴み、肘で顎を打ち上げた。

骨が鳴り、男の身体が揺れる。

 

「お遊びじゃねぇぞ」

 

低い声。

九郎は迅花の方を見ない。仕事の顔だ。

一拍遅れ、迅花が踏み込む。

男の腹にストレート。息を奪う。

膝が折れたところへ、九郎が背後から腕を極め、床に叩き伏せた。

呻き声が、床に吸い込まれる。

 

「ーー終わりだ」

 

拘束バンドで固定。依頼としてはそれで十分。静けさが戻る。

 呼吸が落ち着いた頃、九郎がようやくこちらを見た。

呆れた顔でも、怒った顔でもない。

確認する目だった。

 

「……まあ、合格だな」

 

その言い方がずるかった。

胸の奥で、固まっていた何かがほどける。

しかし同時に、悔しさも湧く。

 

「守られました、私」

 

素直に言うと、九郎は鼻で笑った。

「教えてねぇのに完璧に出来る弟子がいたら、それは異常だ。

焦るな。今日は“踏み出した”だけで十分だ」

 

夕方の空気が冷たい。

外に出た時、風が頬を撫で、ようやく自分が震えていたことに気づく。

九郎はポケットに手を突っ込んだまま言った。

 

「帰ったら風呂入って寝ろ。明日も鍛える」

「……はい」

 

その背中は、大きくはない。

けれど、不思議と追い抜きたくなる背中だった。

そして、並びたくなる背中でもあった。

 

――迅花、初仕事終了。

静かに、確実に。

彼女は“裏”の世界の一歩目に足を踏み入れた。

 

 

ーーーーーーーーーー

 

 

由衣は湯気の立つカップを両手で包みながら、テーブルの向こう側に座る二人を見ていた。

 

夜の由衣の部屋。

外は静かで、時計の秒針だけが淡く響く。

迅花はソファの隅に座って背筋を伸ばし、何度も言葉を選んでいる顔をしていた。

九郎はと言えば、いつものように淡々とガムを噛みながら、報告を短く済ませるだけ。

 

「――で、まあ。倒すだけじゃねぇ仕事ってやつを、身をもって覚えたって話だ」

 

それだけ言って黙る。説明する気はほとんどない。

由衣は慣れている。補足は、自分で見て、感じて、拾うしかない。

視線を迅花へ向ける。

 

「……怖かった?」

問いかけは、優しく。追い詰めないように。

 

迅花は少しだけ唇を噛み、それから小さく笑った。

「……はい。でも、それより悔しいです。

頭じゃ分かってるのに、身体が迷いました。師匠がいなかったら、多分……負けてました」

 

肩を落とし、拳を膝の上で握りしめる。

その横顔は、大人ぶろうとして少しだけ幼い。

けれど、強くなろうとしている人間の顔だった。

 

九郎はソファにだらしなく寄りかかり、面倒くさそうに天井を見た。

 

「そりゃそうだ。初仕事で完璧だったら、俺の出番ねぇだろうが」

 

軽口。

でも、甘やかしじゃない。由衣は息を吐き、小さく笑った。

 

(やっぱり、この人は優しい)

 

それを口に出さないのが九郎で。

それを見抜けるから、彼女はここにいる。

由衣は立ち上がり、迅花の前に座る。

膝と膝が触れそうな距離。

 

「迅花ちゃん」

そっと手を取る。

細くて、固くなり始めた指。

 

「帰ってきてくれて、ありがとう」

 

迅花は一瞬、何を言われたのか理解できない顔をし――

そして、不意に涙腺が緩む。

 

「……だって、私、もっと出来たはずで……」

「出来なくてもいいの」

 

由衣は静かに首を振る。

 

「無事で帰る。それが一番大事。仕事がどれだけ危ないか、私は知ってる。あの人はいつも、それだけを守って帰ってくる」

 

ちらりと九郎を見る。

九郎は視線を逸らし、バツが悪そうに舌打ちした。

 

「やめろ。そういうこと言うな」

「ふふ。事実です」

 

由衣は笑った。

柔らかい、けれど芯のある笑み。そして、迅花の手を包んだまま言う。

 

「だから、今日の迅花ちゃんは、ちゃんと“正解”です。

怖かったって言えた。悔しいって思えた。それでも、諦めてない。

――それは、とても強いことだよ」

 

胸に染み込む言葉だった。

迅花は俯いたまま、静かに涙を一粒だけ落とし、すぐに拭った。

泣き崩れない。

でも泣かずにもいられない。その中間で立とうとしている。

 

「……ありがとうございます。佐倉さん」

「由衣でいいよ。私たち、同じ人の帰りを待つ仲間でしょ?」

 

少しだけ照れた笑顔が浮かぶ。

九郎は視線を横に逸らす。照れ隠しがだるそうな背中に出ている。

 

「仲間って言葉は嫌いじゃねぇな」

 

ぼやくように言い、ソファに沈み込んだ。

部屋の空気が、柔らかく変わる。

怖さの余韻も、仕事の重さも、完全には消えない。

でも――確かにここは、「帰る場所」だった。

そして迅花は、はっきり理解する。

 

(ああ、私……この場所を守る為に、強くなりたいんだ)

 

静かな決意が胸の奥に灯る。

夜は深く、しかし暖かかった。

 

―そして、テーブルに茶封筒が一つ置かれた。

厚みがあった。

ただの紙切れの束のくせに、空気の重さを変える──そんな存在感だった。

九郎はソファに寄りかかりながら、無造作にそれを指で押した。

 

「ほら。お前の取り分だ、迅花」

 

さらっと言う。

まるでコンビニで買ってきた菓子でも渡すみたいな調子で。

迅花は一瞬、意味が分からない顔をする。

それから、恐る恐る両手で封筒を掴む。

重い。紙の重さじゃない。

 

「……これ、まさか」

「仕事の報酬。今回の依頼、半分はお前の働きだ。だから、半分持ってけ」

 

平然とした声。由衣は黙ってそれを見ていた。

口を挟まない。これは“こっち側の話”だと、分かっている顔。

 

迅花は封筒を開ける。

中身を見た瞬間、息が止まった。

紙幣の束が、ぎっしり。数える必要なんてない。

常識が勝手に悲鳴を上げる。指が震えた。

 

「……冗談ですよね」

 

ようやく出た言葉がそれだった。九郎は鼻で笑う。

 

「冗談でこんな厚み渡すか。そりゃ“表の仕事”じゃねぇ額だよ。

でも──裏は命懸けの世界だ。命と能力を売ってんだから、安売りはしねぇ」

 

迅花は目を伏せ、喉が鳴る。

自分がやっている事が“現実の値段を持っている”と知る瞬間だった。怖さと、実感と、妙な誇らしさ。

全部が混ざって胸の奥でぐちゃぐちゃになる。

 

「これ……こんな、お金……私、どうしたら……」

 

声が弱い。

いつもの勝気さが影を潜める。由衣がそこで柔らかく口を開いた。

 

「好きに使っていいんだよ。

でもね、使い道を間違えると、自分が壊れるよ。」

 

ちらりと九郎を見る。

九郎は面倒くさそうに頭を掻く。

 

「余計なこと言うな」

 

それでも否定はしない。

迅花は封筒をもう一度見下ろす。

現実の重み。責任の重み。

そして──

 

(“ここ”に生きてるって証だ)

 

胸が締めつけられた。

 

「……ありがとうございます。師匠」

 

深く、息を吸って、頭を下げる。

軽くじゃない。礼儀でもなく、“覚悟の角度”で。

九郎はその様子を見て、ふっと目を細めた。

 

「いい顔になったな。……そのまま、ちゃんと迷って生きろ。

迷わなくなったら、終わりだ」

 

由衣は静かに微笑む。

 

「帰ってくる場所は、ちゃんとあるからね」

 

小さな部屋の中に、温度の違う三つの気配が並ぶ。

裏の金は、綺麗じゃない。

でも、それは確かに、迅花という少女が“ここを生き延びた証明”だった。

震える手で、封筒をしっかり抱え込む。

彼女はもう、“ただ守られる側”ではない。

 

 

 

―――

 

 

その夜――

部屋の明かりは落としてあるのに、眠る気にはなれなかった。

ベッドの上。

枕元に置いた茶封筒だけが、やけに“存在”している。

ただの紙袋。

なのに、視界の端に入るたび、胸の奥を握られるような圧が走る。

手を伸ばして、そっと掴む。

持ち上げるだけで分かる。重い。

中身なんて、もう知ってるはずなのに。

現実感が、まだ身体の奥に降りてこない。

 

(……これ、“命懸けの値段”なんだ)

 

指の力が自然と強くなる。

学校で配られる書類よりも安っぽい封筒のくせに、

入っているものは、自分の人生を軽々と変えられる重量を持っている。

 

(こんな額、普通のバイトで貰えるわけないし……

普通の人生じゃ、一生触らない金額かもしれない)

 

思考がそこで止まる。

「普通」それはもう、自分とは少し遠い場所にある言葉だった。

 

異能に目覚めて、

陸上部を辞めて、

夜の街で暴れ、

裏の世界に踏み込んで――そして、今日。

この封筒は、それら全部の“答え”みたいに、そこにあった。

 

(師匠は……迷ってない顔をしてた)

 

脳裏に浮かぶのは九郎の横顔だ。

無茶苦茶で、女好きで、口も悪いくせに。

あの人は、裏の世界の “結果” を全部背負って立ってる。

だから、堂々と封筒を差し出せる。

だから、軽く言える。

だから、笑える。

 

(私は……どうなんだろ)

 

封筒を胸に抱いて、ベッドの上で丸くなる。

この金で何が出来る?

欲しい服。機材。贅沢。遊び。

 

――違う。

そんな軽い使い方をした瞬間、この封筒は ただの汚れた金 になる。

それが、怖かった。

 

(これ……“守られた”結果じゃない。“私がやった事の対価”……)

 

ちゃんと理解してる。

自分はただの女子高生じゃない。

ただ力が強いだけの子供でもない。

血と闇の中で、

震えながらも殴って、

それでも立って――その結果が、今。手の中にある。

喉が熱くなる。

泣きたいのか、嬉しいのか、怖いのか。

自分でも整理がつかない。

ただ一つだけ、はっきりしている事があった。

 

(……次は、胸張って受け取れるようになりたい)

 

後ろめたさじゃなく。

怖さじゃなく。

逃げる言い訳でもなく。

「仕事をしたから、当然の報酬です」って、言える自分になりたい。

そう思った瞬間、ほんの少しだけ胸が軽くなる。

封筒を枕元に戻す。

そっと手を乗せて、目を閉じる。

 

(大丈夫。私はまだ途中。だから――きっと、間違えたくない)

 

静かな夜が、ゆっくりと彼女を包み込む。

封筒はそこにある。

重いままで。

逃げられない現実として。

でも。

逃げないと決めた少女が、その夜、ようやく眠りについた。

 

 

 

 

―――――――――

 

 

 

 

迅花が帰った後の部屋は、不思議な静けさに包まれていた。

さっきまでの気配がまだ残っているようで、空気が少しだけ温かい。

テーブルの上には飲みかけのカップ。

窓の外は夜で、街の灯りが淡く差し込んでいる。

ソファに背を預けながら、九郎が小さく息を吐いた。

 

「……あいつ、顔つき変わってきたな」

「うん。強くなってるっていうか……大人っぽくなったよね」

 

由衣は膝の上で指を組みながら微笑む。

誇らしさと、ほんの少しの心配が混じった顔。

 

「無茶はする。まだ危なっかしい。でもな……芯ができ始めてる。自分で立つ覚悟がやっと骨に入ってきた感じだ」

「そう言うって事は……師匠として、ちゃんと認めてるんだ」

「認めるしかねぇ。俺が思ってたよりずっと、前を見てる」

 

そう言いながら、九郎の声は僅かに柔らかくなる。

ぶっきらぼうで乱暴な言葉遣いの奥に、確かな情が見えた。

由衣はそんな横顔を、静かに見つめる。

 

「……優しいよね、九郎は」

「は? どこがだ。俺は最低だぞ。裏稼業だし、手も血で汚れてんだし」

「でも、守るよね。ちゃんと。あの子のことも、……私のことも」

 

由衣は少しだけ照れくさそうに笑い、目を伏せた。

九郎は小さく舌打ちしたような息を漏らす。

 

「……そう見えるだけだ。俺はただ、気に入った女と弟子の面倒見てるだけだよ」

 

口は悪いのに、声音は優しい。

その温度が由衣の胸の奥をくすぐる。

少し間があく。

沈黙は静かで――だが、落ち着いたものではなかった。

由衣は視線を感じて顔を上げる。

 

「……九郎?」

彼の視線がまっすぐに彼女を捉えていた。

理屈も理由もない、ただひとつの感情だけで。

その目の熱に、由衣の喉がひくりと鳴る。

 

「さっきから……何?」

「いや。久しぶりに、全部無事で戻ってきてさ。こうして家も女もあって……落ち着いたらな」

 

言葉の途中で、九郎が身を乗り出す。

ソファがきしむ音。

由衣の身体がゆっくりと倒され、背中がクッションに沈んだ。

吐息が近い。

触れられたわけでもないのに、肌が熱くなる。

 

「……もう、そういう顔するの、ずるい」

 

由衣は弱く抗議しながらも、抵抗する気配はない。

指先は、彼のシャツを掴んでいた。

九郎が小さく笑う。

 

「お前が悪い。帰ってくる場所用意して待ってて、笑って迎えて、信じてくれて……男を落ち着かせてどうするんだよ」

 

「……知らない。そういうの、慣れてないのに」

 

言葉とは裏腹に、その声は震えて甘かった。

視線が絡み、呼吸が重なり――

世界が二人だけに狭まっていく。

熱が近づき、指が絡む。

やがて言葉は消え、音も消え、

夜は静かに、深く沈んでいった。

 

――――――

 

夜はすでに深く沈み、静けさだけが部屋を満たしていた。

汗の残り香と、乱れたシーツの皺だけが、さっきまでここで燃え上がっていた現実を証明している。

九郎は仰向けに息を整え、胸の上下だけがゆっくりと続く。

由衣はその胸に頬を預け、まだ微かに熱を帯びた体温に耳を澄ませる。

鼓動が聞こえる。

生きている音。

帰ってきた証拠。

指先で九郎の胸元をなぞると、彼は小さく息を吐き、わずかに苦笑した。

戦場に立つ男の身体なのに、今はただ、安心できる場所だった。

 

「……やっと、帰ってきたね」

 

由衣の声は囁きに近い。

言葉というより、胸の奥に溜め込んでいた不安が零れ落ちただけの音だった。

九郎は答えない。

ただ、腕を回し、少し強く抱き寄せる。

それだけで充分だと知っているから。

 

窓の外では、遠くで夜がまだ続いている。

室内には、乱れた呼吸の名残と、静かな満足感だけが漂っていた。

由衣は目を閉じる。

この胸の温もりを失いたくないと願うように。

九郎は天井を見つめながら、何も言わず、ただ腕の中の小さな温もりを確かめ続けた。

戦いの世界と、日常の境界線。

そのわずかな隙間にある、束の間の安息。

夜は静かに、ゆっくりと過ぎていく。

 

 

 

 





九郎の報酬の使い道

生活費(家無しの為ホテル等が多い)等最低限
装備や消耗品(弾薬や手袋)、次の仕事の準備。
残りは由衣に渡してある。
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