夜を歩く鴉と、待つ女たち   作:鉄猿

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かなりの独自解釈が入ってます。


赤枝の誓い

 

 

 

講堂は満席だった。

だがそこにあるのは普段のざわめきではない。

背筋が伸びた椅子列。

肩を寄せ合うように座る生徒たち。

すすり泣く音すら、どこか遠慮がちなほど、息苦しい静寂に満ちていた。

 

壇上には白布を掛けられた長机。

その中央に置かれた遺影――あの日まで隣で笑っていた顔が、こちらをじっと見つめていた。

笑って写っている。

だからこそ、今ここに“いない”現実が、容赦なく胸を締めつける。

 

花々に囲まれた遺影の前、香の煙が細く昇り、天井の暗がりに溶けていく。

消えかけてはまた立ち上るその白い軌跡が、

まるで「ここにいた誰かの命の残像」を見せつけてくるかのようだった。

教師が前に立ち、静かな声で言葉を選びながら話す。

だが、誰も本質的には聞いていない。

 

――「事故でした」

――「突然の出来事でした」

――「残念でなりません」

 

そんな言葉はもう、痛いほど聞いた。

分かっているし、理解もしている。

それでも、心は納得を拒んでいる。

隣の席で小刻みに震えている生徒がいた。

唇を噛み、声すら出せずにうつむく。

前列で母親に抱かれている少女は、音を殺しながら泣いていた。

 

あの日――血の匂いを嗅いだ者。

恐怖の気配を肌で感じた者。

必死で走って逃げた者。

そして、何も知らず、ただ「いなくなった」とだけ告げられた者。

 

それぞれ違う記憶を抱えながら、

同じ空気の中で、同じ喪失を飲み込もうとしていた。

生徒達の視線が時折壇上へ向けられる。

確認するように、確かめるように。

だが見つめれば見つめるほど、

遺影は「現実」を突き付けるだけだった。

 

――もう戻らない。

教室では笑っていた。

昼休みにふざけ合っていた。

将来の話も、どうでもいい噂話も、一緒にしていた。

あれは確かに“日常”だった。

なのに今、その延長線上に“死”があることを、

この講堂は否応なく突き付けてくる。

 

前に出た担任が、震えそうになる声を無理に整えて話す。

 

「……彼女は、確かにここで生きていました。

皆さんの隣で笑い、同じ時間を過ごし、この学校の“日常”を作っていた一人でした……」

 

言いながら、担任は一度言葉を詰まらせた。

拳を握り締め、視線を遺影から逸らすように俯く。

生徒より先に、教師の喉が震えた。

その沈黙すら、重かった。

 

やがて拍手もなければ歓声もないまま、式は静かに終わる。

ひとり、またひとりと、白い花を遺影の前に置いていく列ができる。

花が増えるたび、

壇上の白は、喪失の重みを増していくようだった。

 

学校という場所は、本来“生きていく側”の場所だ。

未来を語る場所、笑い声が響く場所、若さが溢れる場所。

――だが今日は、“死”を受け止める場所に変わっていた。

 

誰も口に出さないが、

誰もが同じ疑問を胸に抱いていた。

 

「どうして」

「なぜ」

「本当にこれで終わりなのか」

 

それでも葬儀は、容赦なく進み、

静かに――終わっていく。

残されたのは、

花の香りと、煙の匂いと、

そして消えない“現実”だけだった。

講堂の空気が重すぎて、胸の奥がじわじわと痛む。

喉が締まる。息が浅い。なのに、泣けない。

前に座る子が肩を震わせて泣いているのが見える。

誰かが嗚咽を噛み殺す。

そのたびに、美怜の背骨に寒気が走った。

――泣けばいいのに。

――泣けよ。

――どうして泣けない?

 

自分の心を責める声が止まらない。

だって私は――

この地獄の扉を“開けた側”だ。

噂を広めたのは自分だ。面白半分じゃない。

怖い話が好きだった。ただ、それだけだった。

 

でも、その「ただそれだけ」が、

友達の命を奪うなんて、誰が想像できただろう。

目の前の壇上。白い花に囲まれた遺影。

そこに写る笑顔は、あの日まで同じ教室にいて、

笑って、文句言って、少しウザいところもあって――

それでも、確かに“ここにいた人間”だった。

それが今は……写真の中の存在だ。

 

美怜は視線を逸らしたくて下を向く。

両手を握る。

その指先が震えているのが分かった。

――“私のせいだ”。

喉まで込み上げてくる言葉を、奥歯で噛み砕く。

怖くて叫びそうになった夜。

血の匂い。足音。悲鳴。

「助けて」という声。

 

そして――自分を庇って倒れたクラスメイトの姿。

あの瞬間が、まぶたから離れない。

遺影を見るだけで、その光景が蘇る。

息が詰まる。

もし、あの時――

噂なんか広めなければ。

もし、

もし、

もし――

 

考え始めると、心臓が壊れそうになる。

隣で誰かが、美怜の手を握った。

温かいはずの手なのに、冷たく感じる。

 

「……美怜、大丈夫……?」

 

大丈夫なわけがない。

でも、美怜は静かに首を振った。

泣けば許されると思われるのが、嫌だった。

泣いたら楽になれる気がして、それも嫌だった。

 

だから彼女はただ――

静かに、唇を噛みしめたまま、前だけを見ていた。

“生き残った側は、罰として息を続けなきゃいけないんだ”

そんな理不尽な感情が胸を締めつける。

壇上の花の白さが、目に痛い。

香の煙が揺らぐたび、美怜は無意識に指を握りしめた。

 

――ごめん。

――ごめんなさい。

 

心の中で繰り返すその言葉は、

声にならないまま、胸の奥で溺れていく。

 

 

―――――――――

 

講堂の後方。

一人の男子生徒が、肩を震わせていた。

怖くて、情けなくて、それでも逃げたあの夜。

振り返ったとき、後ろを走っていた奴が――いなかった。

追いかける勇気なんてなかった。

ただ、走った。自分だけ助かりたくて、走った。

その自覚が、胸を締めつける。

 

「……俺のせいじゃない、よな……?」

誰にも聞こえない声。

それでも、その言葉に自分自身が吐き気を覚える。

 

 

 

 

 

講堂の中央。

双子のように仲が良かった女子生徒が、顔を伏せて泣いていた。

机を並べて弁当を食べた。同じ漫画を読んで笑った。

将来の話だってした。

――「卒業したら一緒に旅行行こうね」

その約束は、永遠に叶わない。

胸の奥がぽっかりと空いて、

冷たい風が吹き抜けるみたいだった。

 

 

 

 

 

教壇近く。

ある男子生徒は、ただ前を見つめていた。

彼は泣かなかった。泣けなかった。

ただ――思っていた。

「まだ実感がないだけなんだろう?」

明日、教室へ行けば普通に座っているかもしれない。

笑って、くだらない話を――そんなはずはないのに。

頭では理解しているのに、心が拒否し続けている。

現実と心のズレが、胸を無限に軋ませていた。

 

 

 

そして――講堂を満たす沈黙の中、

生徒たちは皆、同じ思いを抱いていた。

“あの日の夜の記憶から解放されたい”。

だけど同時に、“忘れてしまうのが怖い”。

喪失は、まだ終わらない。

葬儀が終わっても、日常が戻っても――

この痛みは、確実に、生き残った彼らの中に刻まれ続ける。

誰も声にはしない。誰も言葉にできない。

それでも、この講堂に集まった全員は、

同じ傷を抱えたまま、今日を生きるしかなかった。

 

 

 

―――――――――

 

 

『……鷹宮さん? 九郎さんが――目を覚ましました』

 

 

病院という場所は、静かであるほど重くなる。

ただの白い壁も、ただの廊下も、

音が無いせいで人の不安ばかりを映す鏡になる。

迅花はその静寂のど真ん中に立ちながら、

胸の奥に固く冷たい石を抱えていた。

 

九郎――

あの異界の、あの廃墟のような学校で、

黄金の光と共に拳を振り下ろした男。。

迅花は、それが何なのかを知らない。

 

ただ、見た。

人外をも粉砕するほどの“力”を、詠唱一つで呼び起こす人間離れした光景を。

 

そして次の瞬間には、崩れ落ちるように意識を手放した彼を見た。

それが、怖かった。強すぎる事が怖い。代償がある事も怖い。

それでも、失いたくなかった。

 

ノブが回る。

金属の音が、やけに大きく、世界の境界を断ち切った。

そして、世界は凍り付く

扉が開く。一瞬の静止。

その光景は、思考より先に感情を無理矢理殴りつけてきた。

 

白い部屋。

白いベッド。

点滴スタンド。

白いシーツ。

わずかに乱れた布団。

 

 

息が止まる。

頭が真っ白になる。

上半身を裸にし、肩から包帯を巻かれたまま――

それでも鍛えられた筋肉は形を崩していない。

その体で九郎が由衣を組み敷いていた。

 

由衣の白い指がシーツを握りしめている。

距離は、息が合いそうなほど近い。

由衣は潤んだ目で真っ赤。、

九郎の掌は──確実に由衣の腰に添えられている。

直視するな、と理性は叫ぶ。

しかし目は逸らせない。

病室の時間が、完全に止まった。

 

由衣は、か細く喉を鳴らしただけで、声すら出ない。

そして、最後に遅れて迅花の脳が現実を理解した。

 

――理解し、そして爆散した。

顔から火が出たのではないかと思うほど熱い。

目の奥が焼ける。

頭が真っ白になる。

なにこれなにこれなにこれ。

無事でよかったとかそういう感情が、

瞬時に何処か遠くへ吹き飛んだ。

 

由衣の瞳が、こちらを見た。ピタリと固まる。

そこまで真っ赤になる人間を初めて見たと思うほど、

彼女は顔中で羞恥の感情を燃やしていた。

 

「――――――」

 

声にならない悲鳴。

 

九郎も振り返る。

そして一拍。

 

「……ちょっと待て。これは違う。

 まず誤解だ。これはその……治療行為だ」

 

迅花は――動けなかった。

動けない、というより 感情が処理しきれなかった。

胸の奥に溜め込んでいた心配も、安堵も、恐怖も、

全部まとめて爆発して、

その破片が恥ずかしさと怒りと混乱に化ける。

喉が震えた。

安心。

怒り。

羞恥。

安堵。

恐怖の残滓。

全部が、同時に爆ぜた。

 

「なにしてるんですか病院でぇぇぇえええっ!!?」

 

由衣はさらに真っ赤になり、両手で顔を覆いそうになる。

 

衝動のまま。わざわざ買ってきた立派なメロン。

振りかぶり、何も考えずに――思い切り投げつけた。

 

 

 

 

 

「……まあ、元気ってことは伝わったろ」

 

その軽口に――

胸の奥が、ふっと救われた。

安堵。怒り。恥ずかしさ。

全部まとめて溢れ出しそうになり――

 

迅花は震える声で言った。

「……もう……

 本当に、死ぬかと思ったんですから……」

 

目を逸らし、顔を真っ赤にしたまま。

その表情に、九郎はほんの少し優しく笑った。

 

――――――

 

病室の空気が、ようやく“日常”へ戻っていく。

落ち着いた頃、三人はようやくベッドの周りに椅子を引き寄せていた。

白い部屋の中、まだ微かに漂う消毒液の匂いが“現実”を強制してくる。

由衣が口を開く。

声は静かだが、その奥に震えが残っていた。

 

「……どうして倒れたの?

 ただのケガじゃないって、霊能事務所の人も言ってた」

 

迅花は隣で黙っている。

でも、拳を握りしめているのが見える。

怒っているというより、怖かったのだ。

 

人一倍強い身体を持っている自分より先に倒れた男の姿を、まだ脳裏から追い払えないでいる。

九郎はベッドの背を少し起こし、肩を竦めた。

 

「……まぁ、簡単に言うと、命をちょっと前借りしただけだ」

 

「全然簡単じゃないんですけど!!」

迅花が即座に噛みつく。

顔はまだほんのり赤いくせに、怒鳴る声は本気だ。

 

九郎は苦笑し、手を上げて宥めた。

「勝利のルーン《シグルーン》。

 一時的に“絶対に負けない”状態を作る。

 心臓が止まろうが、骨が折れようが、“負け”っていう結果だけは否定される。

 ──代償として、“勝った瞬間に全部まとめて請求が来る”」

 

由衣の喉が小さく鳴る。

 

「じゃあ……あのときも」

「ああ。

 学校ごと異界に叩き落とされて、しかも“あいつ”(シズエさん)までいた。普通にやってたら死人がもっと増えてた。

 だから使った。使えば勝てる。

 ただ──“勝った後はほぼ確実に死ぬ”。

 今回は、周りが迅花や霊能事務所、医者呼ぶの早かっただけ」

 

軽く言う。 本当に軽く言ってしまう。

だからこそ、胸が締め付けられる。

由衣の目に、静かな怒りが浮かんだ。

 

「……そういうのをね。

 “簡単に言う”っていうのよ、あなたは」

「悪い」

 

素直な謝罪。

だから余計にズルい。

迅花は唇を噛んで俯いた。

 

「じゃあ……

 あの時、……死んでたかもしれないじゃないですか」

「まぁ、わりと真面目に死んでたな。

 運が悪けりゃ、ここに座ってるの、俺じゃなく位牌だったかも」

「笑えないんですけど!!」

 

叫ぶ声が震えていた。

涙の匂いがする。九郎は少し目を伏せた。

「……でもな。

 女も、子供も、守れねえで“戦闘屋”名乗る方がダサい。

 俺はそういう生き方しか出来ねえから」

 

ぶっきらぼうで、不器用で。

けれどその言葉は、まっすぐだった。

部屋に静寂が降りる。

やがて、由衣が小さく息を吐いた。

 

「……ほんと。

 そういうところ、優しいのよ」

「誉め言葉と受け取っとく」

「誉めてない」

 

そう言いながら、由衣はそっと九郎の手を握る。

彼の無茶を理解してしまうからこそ、離せない。

迅花は目元を袖で乱暴に拭うと、顔を逸らしたまま言った。

 

「……もう二度と、勝手に倒れないでください。

 弟子の前で師匠が死ぬとか、カッコ悪すぎですから」

「気をつける」

「“気をつける”で済む問題じゃないです」

「……ああ。分かってる」

 

そう言って、九郎は天井を見上げた。

勝利は掴んだ。

しかし、そのたびに命が削れていく。

それでも立つ。それでも戦う。

そんな男の横で、二人の女は彼の体温を確かめるように、ただそこに居た。

病室の空気が少し和らいだ頃。

迅花は、躊躇うように唇を開いた。

 

「……1つ、聞いてもいいですか」

九郎が眉を上げる。

「ん?」

「……九郎さんって、魔術師じゃないですよね。

 でも、ルーン魔術を使える。

 詠唱して、世界をねじ曲げるみたいに……“魔法みたいなこと”が出来る。 ……どうしてですか?」

 

ただの好奇心じゃない。

弟子として、知る必要がある問いだった。

由衣も息を飲んだまま、聞き逃すまいと耳を澄ませる。

九郎は少しだけ黙り、天井を見てから答えた。

 

「……まず前提。

 俺は“魔術師”じゃない。でも、“魔術を扱える人間”だ。

 意味は似てるけど、全く別物だ」

「……違うんですか?」

「ああ。

 魔術師ってのは、“魔術体系の中に生まれた人間”。

 血統、才能、教育、儀式、環境──全部“魔術”って土台の上で育ってる。世界の理不尽を“学問”として扱う連中だ」

 

由衣が小さく頷く。

 

「対して俺みたいなのは、

 “魔術の世界とは無関係に生きてて、

 でも必要に迫られて踏み込んだ異物”だ」

 

迅花は目を瞬く。

「……異物」

「そう。本来なら、触れたら死ぬ領域。

 手を出したら人生が壊れる領域。

 普通の人間は踏み込まないし、踏み込めない。

 でも──俺は、“踏み込んだ”。

 踏み込まなきゃ守れない時期があった」

 

その言い方は軽い。

だが、その奥に何年分の後悔と血の匂いが沈んでいる。

由衣が静かに九郎の横顔を見る。

知っている。

この男はいつも“必要だから”地獄を歩く。

 

九郎は、手の甲を軽く握った。

「ルーン魔術は、

 “理論”より“覚悟”の重さで成立する古い魔術だ。

 魔力資質が低くても、理解が未熟でも、

 “己の肉体と精神を代償にしてでも通す意思”があれば、

 強引に成立する」

 

迅花の背筋に寒気が走った。

 

「……じゃあ、九郎さんは……」

「身体を削ってきた。命も、精神も、

 大事なもんも、何度か本気で失いかけた」

 

淡々と告げる声が、逆に痛い。

 

「だから俺は“魔術師”じゃない。

 “代償で無理矢理、魔術の世界に立ってるだけの人間”。

 専門家じゃねぇし、万能でもない。

 ただ──“必要なら迷わず使う”覚悟だけはある」

 

しばらく、誰も言葉を出せなかった。

由衣はゆっくりと九郎の手を握り直す。

指先が少し震えていた。

迅花は俯き、ぎゅっと唇を結ぶ。

 

「……だから、勝利のルーンなんですね」

 

「そうだ。

 普通の魔術師は、勝利のルーンなんてそう気軽に使わねぇ。

 “勝てる代わりに死ぬ可能性が高い魔術”なんて、

 命を資本にしてる連中が選ぶ選択肢じゃない」

 

「でも九郎さんは……」

「俺は戦闘屋だ。命張るのが仕事。

 大事な女とガキを守れるなら、負けるよりマシだろ」

 

不器用な笑い。だからこそ、胸に刺さる。

迅花はついに顔を上げた。

 

「……だったら。だったら、弟子として……

 “その代償を払わせない強さ”を身につけます」

 

九郎は、わずかに目を見開いた。

その横で、由衣も静かに微笑む。

 

「ふふ。本当に──九郎の弟子ね」

 

九郎は肩をすくめ、少しだけ優しく笑った。

「……なら、ちゃんと鍛えてやるよ。

 死なせたくねぇ弟子だしな」

 

病室に少しだけ温かさが戻る。しかし同時に、彼女らは理解した。

この男の背負っているものは、

優しさと同じだけ“危うさ”でもあると。

それでも、一緒に歩くと決めている。それがこの物語の「選択」だった。

 

 

 

 

 

 






九郎のルーン魔術は魔術の才能ではなく
赤枝の騎士団に“選定された戦士の権利”。
“ただ使える”のではない。“使っていい資格を持つだけ”。
代償が重いのは、戦士としての責任そのものだから。

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