Ghost & Dash― 最速を継ぐ者 ― 作:Kataparuto
エマ・グリーン。
片桐カナタと同門、RDRS出身の女性ドライバー。
同期でもあり、あの藤原拓海に走りを教わった人物でもある。
だからこそ、行動最速理論に通ずる諸星瀬名の走りにはどことなくリズム感の合致を感じていた。
エマは今、彼を先頭へ押し上げるためアシストする動きを心掛けている。
理由はただ一つ。
諸星さらに前を行く白と青のRX-8が少しでも間延びすれば追いつけないほどに速かったからだ。
彼女にとって最速最強の象徴は片桐カナタだった、このMFGにおいてはクルマのスペック、資金の問題、ブランク、様々な理由で落ち込んでいたカナタだったが、この4戦目ともなればそのすべてを取り戻し、最高の走りを見せている。
にもかかわらずだ、あのベッケンバウアーよりも前にいるこのクルマはなんだ。
空中へ飛び出せば誰よりも安定して遠くへ飛び、着地をしたらすぐに走り出す。
路面状況が悪くてもあっさりとその乱れた挙動が元に戻る。
かといって、高速アベレージ区間では恐れ一つなく遠慮なしにアクセルを踏み込んでいく。
どこかで絶対に崩れるはずだと思っていた。
だが、あれは、3周目に突入した今ですら何一つ揺るぐ様子がない。
あのハイペースに追随するうちに目の前の885号車、黄色いスープラはタイヤの損耗から動きが乱れ始めている。
風よけに使えるのもあと1周が限度だろう、そうなれば直接アレを追うことになる。
元々闘争心の高いエマはコクピットでにやりと笑う。
――上等……!
完全に埒外の伏兵、だが、エマとてレーサーだ、トップに行けるなら行かなければ意味がない。
後方から追い上げてきている片桐カナタとの対決をもっと劇的にするためにはアレを抜いて前に出る……!
そのためには、ちょろちょろと後ろをついて回っていた2号車、赤羽にそろそろ退場願うとしよう。
そこに居てもいいのは、片桐カナタだけだ。
ちょうど赤羽がエマに対して軽い接触でのアタックを仕掛けようとしてくる。
だが、エマはそれをすんでの所でいなし、かわす。
不用意なアタックをスカされた2号車、フェラーリの姿勢が揺らぎラインが膨らんだ。
その隙を突き、エマは思いっきり車体をぶつけ返してカウンターアタックを入れた。
RDRS時代の同期達は彼女に対してラフファイトはできるだけ行わなかった理由がある。
それがこの手痛い反撃、気が強い彼女に対しての攻撃はこっぴどく反撃をもらってしまうのだ。
なので彼女についたあだ名はウィッチ、魔女であった。
カウンターをもろにもらった赤羽が後退、そこをついてベッケンバウアーとカナタが前へ出る。
すでに後方、ジャンプセクションより前で9号車相場はベッケンバウアーに仕留められて抜かれている。
そして4周目に入ろうかというところでベッケンバウアーとカナタのポジションが再び入れ替わりカナタが前へ出る。
それはまるで、一種の儀式のようだった。
ここまでの逆転劇は、常にカナタが前へ出ることで形になってきた。
無論、その裏にはベッケンバウアーの的確な援護がある。
だが、それでもなお、このポジションチェンジは、快進撃をけん引してきたカナタへの無言の敬意に見えた。
つまり、このポジションチェンジをもって、紳士協定は終了、後は本気のバトルをするということだ。
仕切り直しの4周目、すべてが元通りではないが、バトルするための環境は整った。
星馬・豪だってずっと1位は聞こえはいいが、後方のクルマのアシストを受けたりしているわけではない、レースにおける単独行というものはクルマにもドライバーにもそれなりに負担がかかる。
それも、後方を4周目に入るまで寄せ付けなかったハイペースだって、何もかもが消耗していないというわけではないはずだった。
ここから先は、追い上げではない、頂点を奪うための本当のバトルだ。
レースが動いたのは4周目が突入してすぐだった、セクター1のハイドロトラップ、ここでエマが諸星に仕掛ける。
ハイドロトラップ入り口手前での意図的な接触。
これにより諸星が姿勢を崩しハイドロトラップ出口での姿勢を失う。
そこからエマがあっさりと諸星とサイドバイサイド。
アストンマーティン・ヴァンテージの4リッターV8の底力により、残念ながらこの加速競争でスープラは相手にならない。
そして、そのアストンマーティンの真後ろにしれっと付けていたカナタはスリップストリームによりけん引、ここもまたスープラより前へと。
さらにさらに、カナタの後ろに居たベッケンバウアーもまた前へと出る。
たった一撃。
そこからの姿勢の乱れで瀬名は2位から一挙に5位へとポジションを落としてしまう。
紙一重の差、アシストを続けていたエマの変化に気づけず、諸星の油断が招いたこの状況に彼は文句を言えない。
あくまで自分のミスであり、アタックを避けるなりはできたはずだからだ。
カナタとベッケンバウアーの紳士協定による協力関係と、エマがポジションを維持するための利用であった一方的な諸星との協力関係の差がここで出た形だ。
そう思うと、無理やりペースを上げられ何とかついていったとはいえ、一方的にタイヤを損耗させられた諸星はかわいそうではあるが……。
だが、それでも後ろを走っていたエマのほうがタイヤの損耗は少ない以上これもまた実力差というものなのだろう……。
しかして4周目、まだあと2周もあるというところで誰も無駄にタイヤを使いたくないのか粛々とその順位は維持されていた。
だが、その一番先頭を行く星馬・豪のRX-8は一切揺らぎを見せていない。だが、エマの背中越しにその姿を見ていたカナタは一つの仮説を立てていた。
あれほど速い理由はわからないが、少なくとも、アレの周りの空気の層が違う。
先ほど走り抜けたハイドロトラップは水しぶきが滝からも舞っているため空気の流れがそれにより可視化されている。
目の前を走るアストンマーティンは空力の設計が優れているためそのボディ表面を流れる水しぶきが乗る空気はきれいなものだった。
だが、RX-8はその上を行っていた。
ボディの最初から最後まで流れる空気、さらにはそのずっと後まで乱流が極めて小さい。
ピタリと張り付いた空気がほとんど剥がれることなくボディの上を流れていくのだ。
片桐カナタは空力などは理論やレースに必要なことしかわからない、だがあのRX-8のボディの上を流れる空気は特別なものだということがわかる、生半可なものではたどり着けない至極の空力、そしてそれが生み出すパフォーマンスも。
そしてそれはエマがこれまで豪相手に手間取っていた理由にもなる。
セクター3での異常ともいえる姿勢安定力はあの空力から生み出されている。
がっちりと空気で車体をコントロールし少々の乱れは空気が勝手に戻してくれるのだ。
そんなことが可能なのかは後で考えればいい、現実にその能力と脅威が目の前を走っている。
攻略するなら条件が互角のセクター2まで、セクター3に入ってしまえばこのレース、どのマシンよりもRX-8が速すぎる。
そんなことを考えていたカナタに5周目へ入る前にある180度ターンが迫る。
エマが無意識に晒していた隙、イン側にあるそこへカナタはとっさに飛び込んでしまっていた。
気持ちがはやったのだ。
豪を抜く、豪に追いつかねばならないという気持ちがカナタの直感的な動作、ベッケンバウアーですら舌を巻くほどの速い反応速度に考えるまでもなく出てしまった。
ついパワーアップしたことで忘れがちだが、86は所詮2リッター4気筒、後ろに控える誰よりもパワーがない。
そう、こんな5周目の高速セクションで前に出るのはどう頑張っても後ろを抑えられない……。
――ミステイク、アッと思った瞬間にエマをオーバーテイクしてしまった。
――豪さんまでの距離が遠い、このままだともろに空気抵抗を受けてしまう。
――やってしまった……いや……そもそも……。
だが、ふと気づく。
じゃあ、なぜ前を行くこちらと馬力性能は大して変わらないRX-8はここまで抜かれていないのだろうかと。
そしてカナタの頭にフラッシュバックする先ほどの水しぶき内で見たRX-8が生み出す空気の流れ。
それはずっと後ろまで空気を整えていた、だがそこから乱流が発生は当然する。
――そうか……!
ピンときたカナタは星馬・豪の真後ろにつけその動きをトレースする。
途端にわずかにアクセルに対してクルマの応答がよくなる。
予想以上の距離からスリップストリームを拾えているのだ。
距離にして通常の1.2倍から1.3倍。
そしてこちらに効果が出るということはRX-8も先ほどまでの自分とベッケンバウアーと同じ、アシスト効果が働き最高速度が伸びる。
そうなるとカナタの中でも合点がいく、0.3秒も速いタイムで先頭を突っ走っていた豪がいまだに突き放さずに射程圏内でとどまっていた理由が。
完全な単独行では無理が出るところを後方から無理やりペースを上げて追いすがっていた諸星がいいように使われていたということだ。
エマにせっつかれ、予想外の順位アップで冷静でなかった諸星をうまくアシストポジションに誘導し、通常より長距離で発生するスリップストリームに入れることで自分の加速と負担軽減に利用し、つかず離れずのポジショニングで若干非力になるセクター1で利用していたということ。
諸星が気づかなかったのは状況の混乱と、そもそもスープラのほうが加速性能がいいためそれがスリップストリームの恩恵と気づきにくかったのだ。
その狡猾さに舌を巻くと同時に、うっかり前へ出てしまった自分への予想外の恩恵に感謝する。
通常予想されるスリップストリームよりもより遠くでそれに入り込めるとなれば話は別だ。
一度入り込みさえすれば後の伸びはこれまでと変わらない、通常よりも距離の長いスリップストリームにおける後方乱流発生ポイントを潰すことで豪が加速し、その後ろに居る自分もまた前へ引っ張られる。
先ほどまでのベッケンバウアーとのコンビと同じ、こちらがアシストする側に入ることでセクター1を乗り切る力に変える。
だが、それは同時にセクター3へ入る前にセクター2で仕留める必要が出てくるということでもある。
うっかり前へ出てしまった自分のポジションをここで維持するための苦渋の決断。
その結果がどうなるかは、未だ見えないままであった。
カナタの後ろを走るエマは驚愕した。
あのタイミングで抜かれるとは思っていなかった。
しかも、前へ出てしまった以上、非力な86は隊列の最後尾まで沈んでもおかしくなかった。
それなのに、あのマシンは予想外の伸びを見せ、いまだ自分の前にいる。
何もかもが理解できなかった。
明らかにRX-8とは遠い位置関係でスリップストリームの範囲外だった。
だが、そうとしか考えられない伸びを見せ、アシスト効果で最高速を上げたRX-8と共に今前を走っている。
その車間距離は若干不自然なまでに広いのは気になるが……。
――魔法使いだったのねダーリン。
しかし、エマは考えても仕方ないと、その思考の迷宮をあっさりと放棄する、謎解きは後でいいとばかりにカナタの後ろへ着く。
そもそもこのレース、片桐カナタをイギリスへ引き戻すために現実を見せて叩き潰すためのレースだった。
だが、MFGの持つ、鈍重な市販車による公道レースがドライバーへ突き付けてくるあまりにも基礎的な走り方への問いかけ。
それこそ原点とまで言っていい。
これが、沈んでいた片桐カナタを今一度表舞台へ戻すために必要なリハビリなのだと理解した。
そしてそのリハビリの中でカナタは成長している。
かつて見たRDRS時代のカナタも十分に速かった。
だが、あの頃の走りはどこか真面目で、優等生だった。
ミスをしても立て直せる。けれど、その立て直し方まで綺麗だった。
今、目の前で見たものは違う。
多分、前へ出たのは本当にミスだったのだろう。
だがその瞬間から、あの男は勝ち筋を泥臭く、必死に探して掴んだのだろう。
その結果が、今この目の前にある。
足りなかったのは技術ではなく負けたくないという、あまりにも原始的な闘争心だったのだ。
追いかけっこの中で剥き出しになる、勝負師としての本能。
それこそが、藤原拓海が片桐カナタに託したものなのだと、エマは理解した。
となれば彼女自身がこのレースでやることはただ一つ。
片桐カナタのアシスト、彼が1位を取るための手助けだ。
後ろからはベッケンバウアーがせっついてくる、わずかな隙も見せれば前へ行くだろう。
あのわけのわからないRX-8と戦うのに後ろまで気にしていては無理だ。
ならばここで自分がベッケンバウアーを抑えるしかない。
それに、あの化け物を倒すなら、自分の白馬の王子のほうがよっぽどいいからだ。
すまぬ!まだ続く!!
そう、すべては空力なのだよ……!
-
な、なんだってー!
-
土屋博士万歳!
-
土屋式空力論万歳!