男女比1:20の世界で、元社畜の俺が『高嶺の花』扱いされるまで 作:おぷらてぃー
しばし、誰も口を開けずにいた。
張り詰めた空気の中で、早苗はふっと肩の力を抜くように笑った。
「……なーんてね」
あまりにも軽い、その一言。
「そんなに重く考えなくていいのよ。今日はただの晩ご飯。ね?」
先ほどまで場を支配していた緊張が、音もなくほどけていく。
まるで、張りつめた糸を指先ひとつで切ってみせたかのようだった。
愛華は思わず息をつき、アカリもまた、わずかに目を伏せる。
だが――完全に安心できた者は、誰もいない。
「ほら、一真君、アカリさんも愛華さんも。デザート、冷たいうちに食べましょう」
そう言って、早苗は何事もなかったかのようにフルーツを取り分ける。
その仕草は、あくまでいつも通りの“家族の時間”そのものだった。
一真は、差し出された皿を受け取りながら、小さく首を傾げる。
「……え? あ、うん。いただくけど」
冗談だったのか。
それとも、今は触れさせないという判断だったのか。
答えを知っているのは、きっと――早苗だけだ。
そして彼女は、一真の隣で静かに微笑んでいた。
◇
――冗談。
そう言われて、胸を撫で下ろしたのは、一真だけだった。
アカリはデザートの皿を見つめたまま、そっと息を整える。
表情は崩さない。声色も変えない。
けれど、胸の奥では、別の答えが静かに形になっていた。
(……冗談、ですか)
あれだけ踏み込んでおいて。
こちらの立場も、覚悟も、きちんと見たうえで。
それを「なーんてね」で包んでしまう。
試すのをやめたわけじゃない。
ただ、今日はここまでにしただけ――そんな気がした。
アカリはちらりと早苗の横顔を見る。
やっぱり、簡単な相手じゃない。
むしろ――
(……まだ、見られている)
合否を告げられていない試験の途中。
そんな感覚が、背筋を自然と伸ばさせた。
一方、愛華はというと、フルーツを口に運びながら、ほとんど味を感じていなかった。
(じょ、冗談……だったのかな)
胸に残った重さは、消えてくれない。
優しい声も、微笑みも、全部覚えている。
(……見られてたよね)
自分がどんな気持ちで一真を見ているのか。
どこまで近づきたいと思っているのか。
たぶん、全部。
スプーンを握る指に、少し力が入る。
(……でも)
冗談だと言われた以上、ここで引く理由はない。
怖いからって、なかったことにもできない。
ふと顔を上げると、一真が何も知らない顔でデザートを食べていた。
(……ずるい人)
守られているくせに、無防備で。
何も知らないまま、真ん中にいる。
アカリも、愛華も。
同じことを、なんとなく感じ取っていた。
早苗は、何も撤回していない。
ただ、話題を閉じただけだ。
食卓には、また穏やかな会話が戻ってくる。
けれどその下で、次の一手が静かに待っている。