男女比1:20の世界で、元社畜の俺が『高嶺の花』扱いされるまで 作:おぷらてぃー
氷室さんに案内されてやってきた食堂は、一言で言えばパニック映画のワンシーンのようだった。広いフロアには、数百人の女子生徒たちがひしめき合っている。そして、その全員が、入り口に現れた俺に一斉に視線を向けたのだ。
「ひっ・・・・・・!」
隣で氷室さんが短く悲鳴を上げ、俺の制服の袖をぎゅっと掴んだ。凄まじい視線の圧力だ。商社マン時代に経験した、数千万円規模のコンペのプレゼンよりも緊張する。だが、俺はそこで一つの異変に気づいた。
(・・・・・・男が、一人もいない)
見渡す限り、フロアにいるのは女子生徒と女性職員のみ。男子生徒の姿は、影も形も見当たらないのだ。困惑する俺に、氷室さんが耳元で小声を漏らした。
「佐藤君、やっぱり一般フロアは無謀だったかも・・・・・・。この学校の男子生徒は、みんな別棟にある男子専用特別室で食事をするんです。あそこなら、防弾ガラス越しに中庭を眺めながら、専属の栄養士が作った豪華な御膳が食べられるんですよ」
「防弾ガラスって・・・・・・ここは戦場か何かか?」
「私たちからすれば、男子生徒はそれくらい守られるべき存在なんです。一般フロアで食事をする男子なんて、開校以来初めてじゃないでしょうか」
氷室さんの説明を聞いて、俺は改めてこの世界の歪さを痛感した。どうやら俺は、ライオンの檻に放り込まれた一匹のウサギのような状態らしい。
しかし、中身が三十歳の俺にとって、防弾ガラスに囲まれて豪華な食事を摂るのは、まるでVIPの接待を受けているようで落ち着かない。それに、この世界の一般を知らなければ、今後の生存戦略も立てられない。
「大丈夫だよ、氷室さん。とりあえず食券を買おう。君のおすすめは?」
「え、ええと・・・・・・それなら、この日替わり定食が人気ですけど・・・・・・」
氷室さんはおどおどしながら自動券売機を指差した。俺が食券を購入し、受け取りカウンターへ向かうと、調理場の女性スタッフたちが身を乗り出して俺を凝視してきた。
「あらやだ、本物の男子じゃない!」 「見て、あの筋肉の付き方・・・・・・。スポーツマンかしら、すごく健康的だわ」 「おまけよ、たくさん食べなさい!」
トレイに乗せられた日替わり定食は、明らかに規定の倍以上の盛り付けになっていた。山盛りのご飯に、溢れんばかりの唐揚げ。サービス精神が旺盛すぎて、逆に食べきれるか不安になるレベルだ。
俺たちが空いている席を探したが、俺が歩くたびに女子たちがモーゼの十戒のように道を開け、その後ろで何人かが鼻血を抑えて座り込むという異常事態が続いていた。
ようやく窓際の席に座ると、周囲には三メートルほどの空白地帯が出来上がった。近寄りたいが、男子保護法や暗黙の了解によって、神聖な男子に近寄ることを自分たちに禁じている。そんな奇妙な抑制が働いているようだ。
「いただきます」
俺が手を合わせて礼を言うと、周囲から、きゃあ、お行儀がいい、伝統的な男子の作法だわ、という感嘆の呟きが聞こえてきた。ただの「いただきます」が、なぜこれほどまでに評価されるのか。
隣で氷室さんは、自分の弁当箱を開けながら、緊張で手が震えている。
「佐藤君、味はどうですか・・・・・・?」
「うん、美味しいよ。少し量が多いけどね」
「よかった・・・・・・。あの、佐藤君って、本当に前の学校でもそんな風に堂々としていたんですか?」
氷室さんが、不思議そうに尋ねてきた。
「堂々と、ね。まあ、前の環境では、物怖じしていたら生きていけなかったからな。自分の意見をちゃんと言って、対等に接するのが当たり前だったんだ」
俺がそう言うと、氷室さんは箸を止め、真剣な眼差しで俺を見た。
「対等、ですか・・・・・・。そんなこと言ったら、また学級委員長の星野(ほしの)さんに怒られちゃいますよ」
「星野さん?」
聞き慣れない名前に聞き返すと、氷室さんは教室の前方を指差すような仕草をした。
「ほら、さっきの授業で、佐藤君のことをずっと厳しい目で見ていた、金髪でポニーテールの女の子です。星野アカリさん。彼女、すごく真面目だから、佐藤君みたいな自由な男子は教育上良くないって思ってるみたいで」
言われてみれば、自己紹介の時も、授業で俺がスラスラと問題を解いていた時も、一人だけ苦々しい表情でこちらを睨んでいた女子がいた。彼女が学級委員長の星野か。
俺が唐揚げを口に運んでいると、不意に、食堂の空気が一変した。騒がしかった女子たちが一瞬で静まり返り、背筋を伸ばして入り口の方を向く。
現れたのは、今噂に上がったばかりの星野アカリだった。彼女は昼食のトレイも持たず、真っ直ぐに俺の席へと歩いてくる。 ポニーテールを揺らし、凛とした足取りで俺の前に立つと、見下ろすように言い放った。
「佐藤君。一般フロアで食事をするのは、即刻控えるべきだと忠告に来ました」
星野は腕を組み、冷たい視線を俺に向ける。
「規律を乱すのはやめてください。貴方がここにいるだけで、他の生徒たちの午後の授業に支障が出ます。現に、あそこで鼻血を出して動けなくなっている生徒が三人、保健室に運ばれました」
「それは俺のせいなのか?」
「そうです。貴方の存在そのものが、この学園の、そして世界の調和を脅かすアグレッシブな毒なんです」
星野の極論に、俺は思わず苦笑した。俺はただ飯を食っているだけだ。それを毒呼ばわりされるのは心外である。
「星野さん、俺は特別扱いされるのが好きじゃないんだ。もし俺がここにいるのが迷惑なら、皆が俺を、一人の生徒として普通に扱えるようになるまで、俺がここに居続けるだけだよ。慣れの問題だ」
「慣れ・・・・・・!? 男子という至宝に慣れるなど、不可能です!」
「できるさ。人間は適応する生き物だからね。それとも、学級委員長様は、俺が隣にいても、一生ドキドキして冷静でいられないタイプなのかな?」
俺が少し意地悪な笑みを向けると、星野アカリの鉄面皮が瞬時に朱に染まった。彼女は肩を激しく震わせ、言葉を絞り出す。
「だっ、誰がドキドキなど・・・・・・! 貴方のような、不躾で、ワイルドで、知的な求愛を振りまく野蛮な男子など、私の管理対象でしかありません!」
「そうか。じゃあ、午後の授業もよろしくな、委員長さん」
俺が余裕を持ってそう告げると、星野は、くっ・・・・・・と言葉を詰まらせ、逃げるように食堂を去っていった。
それを見ていた氷室さんが、ポカンと口を開けていた。
「佐藤君・・・・・・あの厳しい星野さんを、あんなに言い負かすなんて。やっぱり、貴方はすごいです」
「いや、ただの屁理屈だよ」
俺は残りのご飯を口に運びながら、心の中でため息をついた。中身が三十歳のサラリーマンの俺にとって、女子高生の星野をあしらうのは難しいことではない。だが、この勘違いの積み重ねが、いずれ取り返しのつかない大きな事態を招く予感がしてならなかった。