『金田一少年の事件簿』および、ドラマ『TRICK』に見られる演出を参考にしています。
両作品の発想と構成に敬意を払いながら、その発想をもとに独自の構成を加えています。
未読、未見の方は本章の前にぜひ両作品をご覧いただくことを強くお勧めします。
八角館の殺人 part1
靴底が地面を踏むたびに、鈍く響く振動。
どす、どす、どす、と、一定の間隔で体にまで伝わってくる。
それに合わせて、私の意識はぼんやりした中でゆっくりと揺れていた。
いや、揺れているのは意識じゃない。
揺らされているのは私の体だ。
……誰かに運ばれている。
腹部が圧迫されて苦しい。
息を吸おうとしても胸がうまく広がらない。
「……で良……な。……も付け──」
誰かの声が聞こえる。
「──────」
意味までは拾えない。
言葉の断片だけが水の底へと沈むように意識の奥へ落ちていく。
「万が一にも……椅子…………」
「──。──、────」
担がれている角度が変わる。
腹部にかかる圧がずれ、詰まっていた空気が少しだけ動いた。
私は反射的に目を開けようとした。
まぶたはまるで蝋で固められたかのように重い。
それでも、ほんのわずかだけ隙間が開く。
床――のようなものが見えた。
大きく、正方形に区切られていて──
「……! 目隠し……! あと睡眠薬……!」
「──」
そこで、私の意識は再び途切れた。
「……」
気が付くと、白い天井だった。
もう見慣れてしまったホテルの天井。
しばらく私は瞬きもできずにそれを見つめていた。
初日にこの島に連れてこられた時以来、夢なんてものは見ていなかったが……。
「久しぶりに見る夢が、これか」
いや、夢かどうかも分からない。
夢にしてはやけに現実感があった。
歩くたびに揺らされる体。担がれている時の圧迫感。
腹を押し潰されるような苦しさや、息がうまく吸えなかった感覚まで
まだ体のどこかに残っている気がした。
腕時計を見ると、朝の8時30分。
昨日は眠りにつく時間がいつもよりも遅かった。
……魔女裁判があったからだ。
あの空気を思い出すだけで、胸がちくりと痛む。
言葉の応酬。疑念。糾弾。
誰かが話すたびに変わる場の温度。
そして──最後に見たダイヤの顔。
私はそこで目を閉じた。
(……終わった、はずだろ)
自分に言い聞かせるように思う。
それでも、胸の奥のざらつきは消えない。
夢のせいなのか、裁判のせいなのか、もう自分でも分からなかった。
私は思わず、傍に置いてあったスマホを手に取る。
無意識に指が動いて保存していた写真を開いていた。
BBQのときに撮った、あの写真。
笑っている私とシロ。
その後ろで少し照れたように口元を緩めているポムと、
大きくピースを掲げているダイヤが写っている。
「……」
声にはならなかった。
あのときは何も考えていなかった。
ただ暑くて、煙たくて、賑やかで、
そして──楽しかった。
私は画面を見たまま、しばらく動けなかった。
ただ、そこに確かにあったはずの時間をもう一度確かめるかのように。
私は一度、画面を指でなぞった。
やがて私は、小さく息を吐いてスマホを伏せた。
ゆっくりと体を起こし、ぼんやりと壁を見つめる。
すると、机の上で充電していたタブレットが白く光った。
(……ん?)
誰かからメッセージでも来たのだろうか、と思い、
私は反射的に視線だけをそちらへ向ける。
少し遅れて立ち上がり、数歩で机の前に立つ。
画面のマップ表示機能の所に、赤いマークが付いていた。
マグネット式の充電器からタブレットを取り、私はそれをタップすると──。
『秋のエリア』の文字と共に、山のハイキングコースのようなマップが表示された。
「……新たに行けるようになった、ってことか……?」
私はマップをざっと見る。
おそらく、下のブドウのマークがあしらわれた緑色の六角形の建物は山の麓。
そこから上へ登って行くと、曲がりくねった道が続き、分岐をいくつか超えた先──
山の上にはイチゴのマークの赤い四角形の建物が立っているということだろう。
途中に小さな広場のような場所も見える。
休憩用か、それとも何か別の用途か。
何にせよ、この二つの建物がどういった建物なのかは想像もつかない。
その瞬間、理由もなく
夢で見た正方形の床のことが頭をよぎる。
関係あるわけがない。
そう思いながらも、なぜか完全には切り離せなかった。
私は頭を振り、タブレットをスリープにする。
次の瞬間、少しくぐもったハウリング音が聞こえる。
『……マイクテス、マイクテス。……島内アナウンスです』
どうやら、部屋の外のスピーカーから流れているようだ。
『ご宿泊の皆さまは、速やかに中央ホールへお集まりください』
『新しく開放されるエリアについてのご説明があります』
やはりか、と小さく思う。
さっきタブレットで見たマップのことだろう。
スピーカーの雑音が少しだけ長く尾を引き、やがて音は途切れた。
部屋の中がまた静かになる。
私は一瞬だけ立ち尽くし、それからまた小さく息を吐いた。
(……行くか)
私はパーカーを着て、食堂へと向かわずにそのまま中央ホールへと向かった。
中央ホールには既に半数以上が集まっていた。
みんな魔女裁判のあと、私と同じようになかなか寝付けなかったのだろう。
どこか寝不足気味で表情が重く感じた。
「あらマキちゃん。おはよう♪」
「……おはよう」
約一名を除いて。
ライトはいつも通りの声色だった。
普段通りに寝て、普段通りに起きて、おそらく朝食も済ませたのだろう。
「魔女裁判の次の日は新しいエリアが開放される仕組みなのかしら?」
「さーね。でも、脱出は期待薄かなぁ」
ライトの質問にリンリがため息交じりに答える。
「え、なんで?」
「だって、どう見ても山じゃん。
まだ海沿いとかなら桟橋とかから船でも見つけられたかもしれないのに」
首を傾げるハイジに、リンリはタブレットを見ながら肩をすくめて返す。
確かに、山のてっぺんに船は無いだろう。
「ワンチャン、ヘリで連れてこられた説ない?」
「……船の方が現実的じゃない? 四方海に囲まれてるし」
「マップにはヘリポートらしきものも見当たりませんし、
脱出の糸口を見つけるのは難しそうですね……」
「ほな無理かぁ……」
ミサとイリスの言葉に、ナツミは分かりやすく肩を落とす。
「もう、みんなで一緒にここで暮らすしかないのかな……?」
「ミサちゃんの家に遊びに行くって約束、したのにね~……」
マリーとヤヒメは周りの面子よりも少し元気がない声色だった。
ミサは無言で、少し悲し気な目で二人を見つめる。
どうやら三人も、昨日のことがあったせいなのか……
忘れかけていた、この島から出たいという気持ちが込み上げてきたように見えた。
すると、唐突にハイジがぼそりと呟く。
「邪道王子★むちむちプリンス……」
「はい……?」
思わずリンリが聞き返す。
「あたしがハマってるアニメだよ……。
ここでずっと暮らすってことは、推し活も出来なくなるってことじゃぁん……」
ハイジが涙ぐみながら項垂れる。
「……そこ?」
「そこだよぉ……。
新作グッズもイベントも追えないし……供給止まったら生きていけない……」
「大袈裟やなぁ……」
思わずナツミが苦笑する。
すると、集まっていた面々に遅れて最後にシロが中央ホールにやってきた。
「シロ、おはよう」
「おはよう、マキちゃん」
「おはよーシロ」
「おはようさん」
私と、他の面子にも軽く挨拶をするシロ。
やはりみんなと同様に声に覇気がなかった。
笑ってはいるが、その笑顔はどこか薄くて、
昨日の疲れがまだ抜けていないのが分かる。
(まぁ、無理もないか……)
ぼんやりとシロの横顔を見ながらそう思っていると、入口の方がわずかにざわつく。
振り向くと、カンチョーがホールに入ってきたところだった。
自然と会話が途切れ、全員の視線がそちらへ向く。
「みなさん、おはようございます」
昨日通りの間延びした声がホールに響く。
「既にタブレットを見て察している方もいるでしょうが、
本日から『秋のエリア』が開放されます」
カンチョーはタブレットのマップを見ながら続ける。
「場所は春のエリアから北側にある山岳区域ですねぇ。
まぁ、数少ない労働力を犠牲に頑張って整備したので……
危険な場所とかは基本的ありません」
その言葉に、その場の何人かはほっとした表情を見せる。
「ただ──足場の悪い場所や急斜面もありますので……
転倒や滑落には十分注意してください。
頂上付近を除いて、柵とかも無い場所も多いので……」
付け足すように言うカンチョーに、リンリは間髪入れずに食ってかかった。
「というか、いつまでこんなことやらせるつもり?
新しいエリアとかじゃなくてさっさと帰してほしいんだけど」
するとカンチョーはタブレットから顔を上げ、あからさまに面倒そうに答える。
「初日にお話しした通りです。牢屋敷行きからこの島に変更になっただけで、
あなたたちはあくまでも"収容"されている"囚人"という立場です。
本来の通りに牢屋敷に収容されている少女たちから見れば、ここは天国だというのに……」
「ま、リゾート地で働いている身からすればどっちも地獄ですが」
やれやれ、と言った様子で羽をすくめる。
「恵まれている環境のせいで勘違いされるかもしれませんが……
魔女因子が原因で連れてこられた囚人だと言うことを、ゆめゆめお忘れなきよう」
リンリは舌打ちを一つ鳴らし、それ以上は何も言わなかった。
「……さて、それともう一点だけ。
今回の秋のエリア開放に伴い、代わりに夏のエリアが封鎖される運びとなりました。
長らくご愛顧頂き誠にありがとうございました」
「は?」
「へ、閉鎖?」
思わず間の抜けた声が出る。
「ちょ、ちょっと待ってください……!
閉鎖ってどういうことですか……?」
イリスが慌てて手を上げる。
カンチョーは、特に気にした様子もなく答えた。
「文字通りです。
本日をもって夏エリアは立ち入り禁止になります」
「じゃあ、海とか行けなくなるの……?」
「はい。残念ながら」
マリーの言葉に、微塵も残念と思ってなさそうにカンチョーが答える。
「いやいや、なんで封鎖すんねん。
別に開けといたままでええやん」
その言葉にカンチョーは小さく肩をすくめる。
「管理上の都合ですねぇ。
開放できる区域には限りがありますので。
いや、本当に残念ですねぇ」
いかにも事務的な説明だった。
「……要するに、区画のローテーションってわけ?」
「まぁ、そんなところです」
私はそのやり取りを聞きながら、
胸の奥が少しだけ締め付けられるのを感じていた。
夏エリアの海、波辺、BBQ。
──あの写真。
スマホに残っていた、ポムとダイヤの笑顔が頭をよぎる。
私は小さく息を吐き、無意識に視線を落としていた。
「……じゃあ、夏のエリアのゲストハウス付近を立入禁止にしてたのは何だったの?
マップを見る限り、山の上には温泉がある風に描いてるけど……。
たしか、ゲストハウスの隣からは硫黄が舞い込んでくるんだよね?」
ミサが怪訝そうな顔でカンチョーに尋ねる。
「じゃあ、その温泉エリアから硫黄が飛んできてたってことになるよね~」
「……普通に考えたらゲストハウスの隣が秋のエリアのはずだ。
夏のエリアが封鎖されるんなら、どうやって秋のエリアに行くんだよ」
私もヤヒメと同様に視線を向けながら問いかける。
「確かにゲストハウスの隣は秋のエリアです。
……が、別に夏のエリアを経由しなくても秋のエリアには行けますよ。
春のエリアから直接秋のエリアへ行けるルートも存在しますので、ご心配なく」
すると、羽でホールの壁を指しながら続ける。
「正面ロビーを出て北側へ向かって森へ入る道を行けば、
そのまま秋のエリアに行けます」
「方角やなくて右か左で言ってくれへん?」
「はぁ……ホテルを出て右です」
カンチョーは面倒そうに補足する。
「……ま、行けば分かると思います。
何か分からないことなどがあれば……
メンドーですが呼べば私のうちの一匹が駆け付けますので……」
以上です、と言わんばかりに羽を振り、カンチョーは飛び立ってホールを後にする。
するとタブレットでマップを見ていたリンリが顔を上げて聞く。
「……とりあえず、どうする?」
「様子見で軽く行ってみる~?」
「え~……山でしょ……? あたし歩きたくない……」
ハイジが即座に顔をしかめた。
「正直言うと、私も。海沿いなら行く気にもなったんだけど」
「え~温泉やで? めっちゃ行きたいんやけど」
「脱出はともかく、何か"魔女"についての手掛かりがあるかもしれないわ」
あまり乗り気ではないリンリとハイジとは対照的に、ナツミとノクスは前向きだった。
「別に山に登らなくても、麓だけ見てもいいんじゃないかしら?
ほら、何か建物があるみたいだし」
そう言うとライトは、タブレットに表示されているマップの
マスカットのようなものが書かれた建物を指差す。
「山頂まで行かなくても、そこだけなら楽そうじゃない?」
ライトが余裕のある声で続ける。
「……それなら行ってもいいかも」
「……まーね」
ハイジとリンリがぼそりと言った。
「しんどそうだったら引き返せばいいしね~」
「朝、食べるの忘れたから体力心配だしね」
ヤヒメとミサも同意する。
結局、全員揃ってひとまず秋のエリアの麓を目指すことになった。
ホテルを出て右。
森へ入る細い道をそのまま道なりに歩いていく。
すると、初日に探索したときに見かけた、
『この先、立ち入り禁止エリア』
と書かれていた看板があった場所に差しかかった。
だが、あったはずの看板は跡形もなく消えていた。
ふと気づくと、周囲の木々の色が変わり始めていた。
さっきまでの緑に混じって、黄色や橙、深い赤が増えていく。
足元を見ると、くしゃっ、と乾いた音を立てて踏み潰される落ち葉が増えていた。
「……秋って感じだね~」
シロが小さく呟く。
涼しい風が吹くと──さや、と枝が鳴り、
色づいた葉が一枚、二枚と舞い落ちた。
そして――
微かに鼻をつく匂いがした。
「……温泉?」
ミサが小さく鼻をくん、と動かす。
いつの間にか卵の煮焦がしたような匂いが混じっていた。
「ほんまに温泉あるんやな……」
ナツミが少しだけ声を潜める。
だけど、心なしかゲストハウス周辺に漂っていたにおいよりも薄く感じた。
「なんか、思ったより匂いは強烈じゃないね。ここが発生源なはずなのになんでだろ?」
「……匂いの強さと距離は一致しないわ。風向きと地形で濃度は変わる。
むしろ、夏のエリア側が風下だった可能性が高いのかもしれない」
「あー、なるほど」
リンリの疑問に、ノクスが周囲の色づいた木々を見渡しながら言う。
そのまま歩くと、
木々の隙間の向こうに建物の輪郭が見えてきた。
◇マスカットハウス
山の麓の開けた場所に建っていたのは、緑色に壁が塗られている建物。
入口の上には木製の看板が掲げられており、
そこには大きく『マスカットハウス』と書かれている。
「マスカット……?」
ナツミが看板を見上げながら首を傾げた。
「……ぶどう?」
マリーも同じように見上げる。
けれど周囲を見回しても、庭のような開けた場所が広がっているだけで
それらしい果樹園のようなものは見当たらない。
窓の数を見るに、おそらくは三階建ての建物。
その一角からは通路が外へと突き出ている。
そしてその通路の先はまるで別の棟のように円形の建物と繋がっていた。
「なんでこんな妙な造りなんだ?」
「……設計者の趣味じゃない?」
私がぼそりと呟くとハイジが気のない声で返す。
「とりあえず、中を見てみましょうか」
ライトのその声に促されるように、私たちはその奇妙な形の建物へと入っていった。
中は外見に反して普通で、広い共用スペースのような感じだった。
大きな冷蔵庫と流し台が並び、調理台も置かれている。
冷蔵庫にはマグネット式のホワイトボードとペンが貼られている。
調理台も整っており、鍋やフライパン、ボウルなど一式は揃っている。
そばにはダイニングテーブルもあり、ここで食事も出来そうだった。
中央の丸いお盆にはペーパータオルと調味料の小瓶が置かれている。
机は広く、複数人で食卓を囲めそうだ。
奥にはソファや低いテーブルも置かれており、
ちょっとしたリビングのような空間になっている。
窓の傍にはカウンターデスクがあり、
その上にはメモ帳やペン、タブレット用のワイヤレス充電器などがある。
傍の壁にはウォールポケットが掛けられ、懐中電灯やハンディファン、テープなどの小物が入っていた。
そして気になるのが──
「……エレベーター?」
そのウォールポケットの下には、
小さなエレベーターのようなものが壁に埋め込まれる形で設置されていた。
「……というより、大きさからしてダムウェーターかしら」
「だむうぇーたー?」
「小さい荷物専用の昇降機よ。まぁ、小型のエレベーターみたいな感じね」
よく見ると、エレベーターの手元あたりにはイチゴのマークが描かれたスイッチがある。
「……もしかして、山の上のイチゴの建物と繋がってるのかな~?」
「普通に考えればそうでしょうね。ボタン一つで呼び出しと搬送を兼ねている、と」
ヤヒメの言葉にライトが淡々と返す。
「一度に30㎏まで運搬可能で、
センサーがあってエレベーターに生体反応があると強制的に止まるんだってさ」
下の方に貼られていたらしき説明書きを、
しゃがみ込んで見ていたリンリがそのまま内容を読み上げる。
「へぇ~、ちゃんと安全装置あるんや」
「まぁ、万が一ってこともあるだろうしね」
リンリが覗き込みながら言う。
扉の高さはせいぜい胸のあたり。
内部も奥行きはあるが、人間が入るには小さい。
「料理とか材料とか、そういうの運ぶ用じゃない~?」
「まぁ、主な用途はそれだろーね。
どうせだったら人用のエレベーターがあっても良かったのに……」
ハイジが気怠そうにぶつぶつと呟いた。
話題がエレベーターのことから自然と建物の上階の話へ移ると、
先に二階を見るか、通路の先の建物を見るかで分かれることになった。
「ま、どっちからでもいんじゃない?
私は二階見てみよ」
「わ、私もお供します……!」
「私は通路の先を見てみるわ」
「私も」
私はそう言って視線を通路の奥へ向けた。
結局、私はシロ、ライト、ハイジと共に
通路の先の建物を見に行くことになった。
◇カンチョー資料館
広めの通路を渡った先にある、丸い建物の扉を開ける。
中にはいたるところに無駄に大きいカンチョーを模した銅像が鎮座している。
奥には本棚が並び、そこにはさらに意味不明な本が整然と並べられていた。
『九官鳥の正しい飼育法』
『九官鳥と暮らす365日』
『九官鳥が覚えやすい言葉一覧』
さらに奥の棚には、
『労働基準監督署への提出書類の書き方』
『定時退社のための実践マニュアル』
『残業ゼロの現場管理術』
などが置かれており、この世で一番必要のない資料館となっていた。
「……ちょっとハイジ、出てこうとするの早すぎ」
気づけばハイジはすでに扉の外へ半歩出ている。
「だってさぁ……見るもん無いじゃん……」
「……まぁ……」
私は改めて周りを見回す。
一応、読書スペースらしき机と椅子は用意されている。
机の上にはスタンドライト、スタンドルーペ、革や紐のしおり、脚立。
他には防湿剤や防虫香など無駄に装備が整っている。
「あ、ハシゴだ」
シロが本を取るためのキャタツを見て呟く。
「それはキャタツだよ」
思わず私は呟いた。
私の言葉にシロは少し首を傾げる。
そのままシロは脚立の近くの本棚に近付くと、何かを見つけたらしく声を上げる。
「あ、でもここだけ何か違うみたいだよ」
シロが本棚の一角を指差す。
するとそこには『新刊コーナー』と書かれた札が貼られていた。
並んでいるのは雑誌や漫画ばかりで、どれも一つの巻数だけが綺麗に揃えられている。
外まで出かかっていたハイジが、ぴたりと足を止めた。
「……うおっ! これむちプリのアンソロ最新刊じゃん!
こんなとこで供給あるとか聞いてないんだけど……!」
さっきまでの気怠さが嘘みたいに、ハイジが引き返してくる。
「新刊が出るたびにここに置かれるってことなのかな?」
「一応、完全に意味のない場所ではないか……」
私は漫画を読み耽るハイジを眺めながら呟く。
「それにしても、なんでこんな変な形の建物なんだろ」
妙に高い天井を見上げる。
通路の向こうのマスカットハウスはマップで見た感じだと六角形だし、ここは円形だし。
少し間が空いてから、ライトが静かに口を開いた。
「元はからくり屋敷のようなトリックハウスだったのかもしれないわね。私は好きよ?」
彼女は建物全体に視線を巡らせる。
「こういう特徴的な造りって、気まぐれで出来るものじゃないの。
必ず"理由"がある。角度、配置、死角……すべてが計算されている」
「最初から奇抜さを狙ったというより、
何かを成立させるために足し、削り、調整し、整えて……
最終的にこの形に落ち着いた……そんな感じがするわ」
ライトはどこか楽しげに微笑んだ。
「こういう建物や設計図を見ていると、
設計者の苦悩や試行錯誤、息遣いまで伝わってくる気がするの。
図面の上で何度も引き直し、考え直し、作り直し、矛盾を一つずつ潰していって……
最後に"これしかない"と置いた線の集大成……」
「……へぇ」
楽しそうに語るライトとは対照的に、どこか気の無い感じで私は返した。
ライトは肩をすくめ、柔らかく言った。
「苦労して辿り着いた形って、それだけで芸術なのよ。
彼らがどれだけ悩み抜いたかを想像するだけで、私は少し嬉しくなるの」
そして建物を眺めたままぽつりと呟く。
「……ほんの少し、五度くらい傾いてないかしら」
冗談とも本気ともつかない声だった。
「じゃあ、これがカンチョーが設計した建物だったら?」
シロが純粋そうな顔でライトに尋ねる。
「……」
ライトはすぐには答えず、顔に手を当てて考える。
「……コメントは差し控えるわ」
「……」
「……」
「うぉ~描き下ろしもある~」
漫画に夢中なハイジをよそに、私たちはカンチョー資料館を後にした。
マスカットハウスに戻ると、
ちょうど上の階を調べ終えた面々と合流する。
「二階には何があったの?」
私が尋ねると、リンリが肩をすくめて答えた。
「ただの宿泊部屋だね。和風の旅館の客室って感じ。
全部で五部屋あった」
「ここで寝泊まりも出来るっぽい~」
ヤヒメが上の階を指しながら言う。
「三階は……おそらく、美術室のような部屋だと思います。
彫刻刀やハンマー、糸鋸やハケなどの工具が揃っていて、
立体作品を作るための設備が整えられていました……」
イリスが少し言葉を選びながら、丁寧に説明する。
「なんかセーラー服を着た筋骨隆々な鬼みたいな彫刻あったよね」
「……ありましたね」
「『オーガ』って作品名やったな。
誰の作品かは分からんけどハンパやないオーラやったで……。
なんでセーラー服着てるかは知らんけど」
ナツミは身震いするように言った。
「本に、美術室……。
『読書の秋』、『芸術の秋』ってことかしら」
ライトが呟く。
「え? 読書って?」
「通路の先に……まぁ、本なんかが置いてある資料室があったのよ」
「……見てみましょう」
ライトの言葉を聞くや否や、ノクスは通路の先へと歩き出す。
ノクスに続くように他の面々も資料室へと入っていった。
そして小一時間。
通路の向こうから戻ってきた面々は、揃いも揃ってひどく失望した顔をしている。
「どうだった? カンチョー資料館」
ライトが聞くと、
「……」
ノクスは答えず、そのまま目を伏せながら無言で横を通り過ぎた。
「つまんなかった!」
「あの銅像全部片づけて別の部屋にせぇへん……?」
マリーとナツミががっくりしたように言う。
そしてみんなに混ざって最後に戻ってきたハイジがぽつりと言った。
「……むちプリは神だった」
あらかたマスカットハウスは見て回ったが、特別気になる点はない。
「じゃあ……山の上の建物見にいく?」
「え~」
「……体力持たないかも。朝食べ損ねたし」
リンリが呟くと、ヤヒメとミサが微妙な顔をする。
すると、ハイジが突然閃いたように拳を手のひらに打ち付けた。
「あ! じゃあ、"タブレット"使えばいんじゃない!?」
「タブレット?」
「ほら、これってビデオ通話も出来るじゃん。
上の建物見に行きたい人たちだけが行って、中の様子を中継してくれれば
あたしらもその建物の中の様子分かるじゃん!」
「あ~、なるほど。それいいね」
山に登るのが乗り気ではなさそうなリンリはハイジの提案に素直に頷いた。
「あたいもさんせ~」
「……私も」
「じゃあ、分担しよっか。登りたい人!」
シロがそう言いながら手を挙げる。
私もシロに続いて手を挙げた。
他に手を挙げたのは、ライト、ナツミ、マリー、ノクスだった。
「えーと、じゃあ残るのが、ヤヒメちゃん、ミサちゃん、
ハイジちゃん、リンリちゃん、イリスちゃんだね!」
シロが指折り数えながらまとめる。
「なんか悪いね~。じゃ、あたしは二階でくつろいでるから……」
「上に着いたら私のタブレットに通話よろろ~」
「も、申し訳ありません……! 上の方はお任せします……!」
そう言いながらハイジは冷蔵庫をばかっと開けてジュースを手に取る。
リンリは手をひらひらさせながら二階へと上がっていった。
イリスは一応気を遣ってか「お気を付けて」と小さく手を振った。
「中継たのしみ~」
「マリー、転ばないようにね」
「はーい!」
ヤヒメはどさっとソファに寝転がる。
「じゃあ、行きましょうか」
ライトの一言で、
私たち登る組の六人はマスカットハウスを後にする。
ふと目的地である山の上の建物へ視線を向けようとして、
途中にあるものに気づいた。
道の先に、ぽつんと一つ鳥居のようなものが立っている。
「……あれ、鳥居かな?」
私と視線を同じくしたシロが小さく呟く。
私はタブレットを取り出し、マップを確認した。
「……『中腹』のとこだね」
画面に表示されたマップと鳥居を見比べる。
石造りかコンクリート造りか、
近づかなくても分かるくらい表面は黒くくすんでおり、
かなり年季が入っているのが見て取れた。
「あー、マスカットハウスの中からでも見えとったで、あの鳥居」
「鳥居の近くの、この白黒のクマみたいなマークも気になるよね~」
マリーの言葉に、私と同じようにマップを見ながらライトは提案する。
「上に行く前に、『キャンプ場』ってところに寄ってみない?
順路にも無理はないし、何かしら情報も拾えそうだわ」
「おーええやん! ウチめっちゃ気になるんやけど!」
ナツミがぱっと表情を明るくする。
「うん、見てみよー!」
マリーもすぐに同調して、軽く手を振った。
「……遠回りにはならなそうね」
ノクスが淡々とマップを確認しながら言う。
「★は多分コースの入口って意味だろうから……。
下の方の星マークから行こうか」
私は画面を覗き込みながら言った。
「じゃあ、キャンプ場経由で行こー!」
全員の足並みが自然と揃い、
私たちはマスカットハウスの前で一度進路を変え、
まずはキャンプ場を目指すことにした。