『こんにちは。私の名前はモンブラン。あなたのお名前は?』
「私はマキ。ねぇ、聞いてもいい? あなたのそのスポンジはどうしてそんなに大きいの?」
『それはね、マキちゃん。
あなたの空腹を優しく包み込んであげるためだよ。
すべてはあなたに食べてもらうためだよ』
「そうなんだ。じゃあ、あなたのそのクリームはどうしてそんなにたっぷりなの?」
『それはね、マキちゃん。
あなたの舌の上で甘美なダンスを踊るためだよ。
すべてはあなたに食べてもらうためだよ』
「そうなんだ。じゃあ、あなたのその栗はどうしてそんなに艶やかなの?」
『それはね、マキちゃん。
あなたの瞳を私だけの黄金色で染め上げるためだよ。
すべてはあなたに食べてもらうためだよ。
……ねえ、私からも一つ聞いていい?」
「なあに?」
『どうしてマキちゃんは、さっきからそんなに大きく口を開けているの?』
「それはね──」
「お前を食べるためさ!!」
ガチリッ!!
「はっ……!!」
鈍い衝撃が顎を走り、がばっと身を起こす。
そこはホテルの自室。
「いっ……た……」
……どうやら夢の中で本当に噛みつこうとしたらしい。
歯と歯が思いきりぶつかった衝撃で顎がじんじんする。
カーテンの隙間から差し込む朝の陽射しが、
寝癖だらけで顎を押さえる私の姿を照らし出している。
昨日の釣り大会のあと、シロとヤヒメは夕食にて無事に限定モンブランにあり付いた。
問題はその後だ。
美味しそうに頬張る二人の様子を真横で見せられた上、
命からがら自室に戻ったあとも、スマホに通知音と共に追い打ちのメッセージが届くという始末。
『マキちゃん、さっきのモンブラン撮っといたよ!
見て、この栗! 琥珀色に透き通ってて、まるで宝石みたい!
中のクリームがね、口に入れると「ふわぁっ」て雲みたいに溶けて……
マロンクリームとホイップクリームの風味が同時に押し寄せて……
下のケーキも、しっとりしていて、もちもちで……
ケーキの真ん中にカスタードも入ってたの! もう、とっても甘くて幸せ!
マキちゃんにもこの幸せを分けてあげたいから、写真送るね!』
送られてきた写真を見ると、そこにはまるで星のように輝く神々の山嶺があった。
(……)
これを悪意なくやってくるのがシロだ。
きっとこんなおかしな夢を見たのはこのせいだろう。
私はズキズキと疼く顎をさすりながら、のろのろとベッドから這い出した。
時刻はすでに朝の8時を指そうとしている。
「そうだ! もしかしたら今日の分、もう食堂に置いてるかも……!」
カンチョーの「いつ置かれるか分からない」という言葉は、
裏を返せば「朝一番から置かれている可能性もゼロではない」ということだ。
私は甘たるい夢の味がずっと残っているような口内を軽く濯ぎ、
洗顔もそこそこにパーカーを羽織って食堂へ向かった。
「……ごちそうさまでした……」
私は自室へ戻り、誰に言うでもなく呟く。
結局一日二個の限定モンブランは影も形もなく、
朝食後にビュッフェから失敬してきた軽食のパウンドケーキでどうにか口寂しさを紛らわした。
いや、パウンドケーキも美味しいのだが。
早速テラスでしっとりした生地と控えめなバターの香りを紅茶と共に楽しむ。
本来ならこれだけで十分に贅沢な朝のひとときだ。
モンブランの口にさえなっていなければ。
今日はこのまま食堂に入り浸って、銃業員の動き一つ一つに目を光らせ、
モンブランが置かれた瞬間に音速で手に入れようか……。
いや、でも流石にそこまでするのは、なんかプライドが……でも……食べたい……。
そんな葛藤をテラスで続けていると、自室のドアの鍵がカチャリと開いた。
(……え? 鍵が?)
そう思う間もなく、ドアから入ってきたのは──
黒衣を纏った銃業員だった。
「なっ……!」
私は思わず身構える。
見上げる程の巨躯が勝手に部屋に入ってきたことに警戒心を強めて凝視していると、
銃業員がタブレットを手にしていることに気付く。
すると機械的な足取りのまま、そのタブレットを自室の机にあるワイヤレス充電器の上にポンと置き、
そして一言も発することもなく部屋を去っていった。
「……」
「……あ、そうか。修理終わったのか……」
そう言えばカンチョーが言っていた。
タブレットは半日ほどで修理が終わる、フロントに置いておくから取りに来い、と。
どうやらいつまで経っても私が取りに行かないので、向こうから持ってきたというわけだ。
私は部屋に入ってタブレットを手に取る。
かまどの火のせいで一部が黒く滲んで見えなくなっていた画面は、すっかり元通りになっていた。
メッセージアプリを開くと、
「マキちゃん、さっきのモンブラン撮っといたよ!」
との文言と共に、昨日も見たメッセージとモンブランの写真がデカデカと表示される。
そういえばメッセージはスマホにもタブレットにもダブルで届くんだった。
セルフ拷問だ。
タブレットの過去の通知をざっと見ていると、
修理に出した一昨日の昼から12時間が経過するまでの間、メッセージ通知が一切ない。
スマホの方には、一昨日のストロベリーハウスに泊まる日の夕方頃に
シロから「どんな本を持って行って欲しい?」とのメッセージが届いている。
本来なら同期されているはずのタブレットにも同じ通知が残っているべきなのに、こちらには存在しない。
「タブレットの修理中は端末のすべての機能を利用できない」
とカンチョーは言っていたが、どうやらメッセージも通話も受け付けないらしい。
私はタブレットを充電器に戻し、気を取り直してテラスで海を眺めながら紅茶を楽しむ。
相変わらず思うが、ウッドフェンスのせいで数センチの隙間からしか海が拝めないのがもったいない。
悶々とした気持ちで紅茶を飲んでいると、手元のスマホが通知音を鳴らす。
画面を見ると、私をここまで追い詰めている諸悪の根源からメッセージが届いていた。
『マキちゃん、おはよ~。今日、お昼に食堂空いたら、お弁当作ってピクニックに行かない?
ほら、秋のエリアのアスレチックとか見てみたい!』
「……ピクニックか……」
正直、悪い提案ではなかった。
ナツミとマリーが言っていた様子だと、アスレチックもかなり本格的で楽しめそうな雰囲気だったし。
少なくとも、今日一日中食堂へ張り込みをかけて監視を続けるよりはよっぽど健全だ。
私はシロに承諾の返事をし、ランチタイムが始まる11時30分に食堂に待ち合わせることにした。
「やっほーマキちゃん! タッパー用意しといたよ!
これに好きなもの詰めちゃおう!」
時間になって食堂へ向かうと、既に入口でシロが待っていた。
その腕には3リットルはあろうかという巨大なものと、
500mlほどの小ぶりなタッパーがそれぞれ一つずつ抱えられている。
「よく食べるね、シロ。デカい方はメインで、その小さい方のはデザート用?」
私が白々しく尋ねると、シロは「ぷー」と頬を膨らませて首を振った。
「も~。これは、マキちゃんの!」
そう言って抱えていた3リットルのタッパーを私の胸元に押し付けてくる。
そんなことだろうと思ったよ。
「じゃ、早速お弁当作りに取り掛かろー!」
私とシロはタッパーを持ってビュッフェ台へと向かう。
(うーん、何入れようか……)
箱に詰め込むとなれば、いつもお皿に盛っているおかずとは訳が違ってくる。
とりあえず、甘いものと、辛いもの。あと素敵なものいっぱい。
全部混ぜるとむっちゃ美味しいお弁当になるはず。
「な、なんか……全体的にたんぱく質が多いね……ちょっと偏ってない……?」
サンドイッチとサラダを彩り豊かにタッパーに入れ終わったシロが、
私の宝石箱を覗いてやや引き気味に感想を述べる。
「甘いね、シロ。この色合いは、移ろいゆく"秋"という季節を表現してるんだよ。
この卵焼きはイチョウ、唐揚げはケヤキ、レアステーキはモミジ」
「へ、へぇ~……」
私は言い訳じみた持論を展開しながら、ダメ押しに隙間へ長いソーセージを押し込んだ。
これはクヌギの枯葉です。
シロは苦笑いしながらも、「それじゃあ行こっか!」とタッパーを抱え直す。
私たちはそれぞれのお弁当を提げて、秋のエリアのアスレチックを目指して食堂を後にした。
「ふー、やっぱりちょうどいい気温で、気持ちいいね~」
「だね。一年中秋とかでも良いのに。過ごしやすいし、ご飯も美味しいし」
私とシロは登山道を歩きながら他愛ない話をしながら中腹へ向かう。
まぁ、いざ一年中秋になったとしても
いつかは夏の陽光や冬の銀世界が恋しくなったりするものなんだろうけど。
登山道の入口から歩くこと15分。
中腹へ辿り着くと、広場の中央には相変わらずのエラソーな白黒のクマのような銅像が見える。
左には黒い鳥居、右にはくすんだ白い鳥居。
確か、アスレチックへ行くには右の白い鳥居をくぐれば良かったはずだ。
「……それにしても、なんで黒色と白色で鳥居が分かれてるんだ?」
私は左右に離れて佇む二つの鳥居を見比べながら呟く。
「うーん……オーナーの意向とか?
ほら、例えばオーナーが右半分と左半分が白と黒に分かれてるマスコットキャラとかだったら
それに倣ってこういう鳥居とか作ったりしそうじゃない?」
シロが良く分からない推測を飛ばす。
いや、どんなマスコットキャラだよ。
それに自分の色の通りに鳥居を塗るとか、どれだけ自分が好きなんだよ。
私は妙に釈然としない気持ちのまま、シロと一緒に右側の白い鳥居へと足を進めた。
急な斜面を下ってそのまま歩いていくと、右側に通路が現れる。
その道の先には、周囲の紅葉を突き破るようにして巨大な木製の要塞がそびえ立っていた。
「わあ……マキちゃん、見て! 本格的だよ!」
シロが感嘆の声を上げる。
丸太を複雑に組み上げた塔や、ロープが格子状に組まれたネットのような足場。
何本も垂らされた縄梯子をのぼった先には、地上数メートルはありそうな場所に渡されたロープの橋。
そして急勾配を滑り降りるターザンロープ。
まさに自然の地形をそのまま作り替えたような感じだった。
「確かに、楽しそうだな。
ナツミとマリーがはしゃいでたのも分かる気が……ん?」
私はそう言いかけて、ふとアスレチックの入口から離れた広場の方を見る。
すると、その当のナツミとマリーがまさにディスクゴルフに興じているところだった。
「あ、ナツミちゃん、マリーちゃん! やっほー!」
シロが大声と共に手を振る。
すると、その声に気付いた二人が手を振り返しながらこちらに向かってくる。
「やっほ。二人とも」
「おーっすシロちゃんマキちゃん! ここ楽しいやろ~!?
自然いっぱいの青空の下で身体動かすの、最高やわ!」
「わーい、二人も来たんだー! みんなで遊ぼうよ!」
「いいねー! じゃあ、アスレチックで遊ぼ!」
シロが期待に満ちた目でアスレチックを指差す。
あっという間に満場一致でみんなで遊ぶこととなった。
「よっしゃ、じゃあ……アスレチック鬼ごっこしよか!
○ASUKEしながら追いかけっこや!」
「良いね、面白そう」
私は巨大な木製要塞を見ながら言う。
建造物と建造物が橋で繋がっている箇所もあって、鬼ごっこには持ってこいだ。
「じゃあ、誰か鬼か決めよ!
じゃーんけーん……」
「ぽん!」
始まった瞬間、静かだった秋の森は喧騒の渦へと変わった。
ターザンロープで空中を滑走して距離を突き放し、
縄梯子を一段飛ばしで駆け上がり、
揺れる一本橋の上でヒヤヒヤしながらバランスを取る。
私は夢中で逃げ回った。
複雑なルートを瞬時に判断し、網の足場をよじよじ登る。
こういう場所では、理屈なんて捨てて
子供のように無邪気に本能のままに遊び回る方がずっと楽しめる。
「ふー、遊んだ遊んだ……。シロちゃん、結構動けるんやな……!」
「バランス感覚も凄いよね~! マリーよりもずっとセンスある!」
「何せ、平気で山頂からホテルまで往復してくるくらいだからね」
「いや~、流石に体力は二人には負けるよ~」
遊び疲れて私たちは四人揃って木のベンチに座り込む。
「私も、久しぶりに遊具で友達と遊んだ気がする!
やっぱり、公園のよりも……ずっと楽しいね!」
「ジャングルジムとかの上位互換がわんさかあるからなぁ!
ウチもめっちゃ楽しめたわ~」
「全部の公園にアスレチックあれば良いのにね~!」
「はは、同感」
みんなで満足げに笑い合う。
腕時計を見ると、もう14時を回っていた。
そう言えば、あまりに夢中で遊びすぎて作ってきたお弁当のことを完全に失念していた。
「さて、そろそろ遅めのランチにしようかな……!」
私は広場の隅の木製のテーブルに置いておいたタッパーの元へと行き、宝石箱を開ける。
「お~! 二人ともお弁当持ってきてたの!?
良いな~、マリーたちも持ってくれば良かった……」
「ウチら朝ごはん食べてからそのまま来たしなぁ……。お腹空いたなぁ……」
そう言いながらナツミたちは私の3リットルのタッパーを覗き込む。
「こ、この量……! もしかしてマキちゃん、
ウチらが遊んでることを見越してウチらの分も作ってきてくれたん!?」
「え? いや……」
「えーそうなの!?マキちゃん優しいー!」
否定しようと口を開きかけたが、二人の純粋な目に気圧されて言葉に詰まる。
ここで「いや、全部私一人で食べるつもりだった」と言うのは……。
「……うん……みんなで食べよ……」
「やったぁぁ! 恩に着るわ、マキちゃん!
じゃあこの唐揚げいただくで!」
「ありがとうマキちゃん! それじゃあマリーは、この卵焼きもらうねー!」
「んん~! 運動した後のマキちゃんのお弁当、最高だよ~!」
「お前は自分のがあるだろ」
無慈悲に次々と強奪されていくおかずたちを見ながら思わずツッコむ。
私は溜息をつきながらも自分の分の箸を動かした。
3リットルもの量を内包していたはずのタッパーは、
飢えたケダモノたちの猛攻によって、見る間にその底を露わにしていく。
でも──
不思議なことに、一人で抱え込んで食べるよりも
こうして略奪されながらも賑やかに突く方が、胃も心もずっと満たされるような気がした。
私は最後の一切れのステーキを死守して口に放り込み、空っぽになった巨大な器の底を見つめた。
ふと腕時計を見ると、時刻は14時40分頃。
「ふぃ~。流石に朝から遊び倒しててちょっと疲れたで。
ちょっくらホテルに戻ろかな」
「途中から来た私たちもそこそこ疲れてるんだけど。
"ちょっと"で済むとかどんだけスタミナお化けだよ」
お腹をさすりながら笑うナツミに突っ込みを入れる。
「マリーもそろそろ戻ろっと!
あ、でもホテルの方じゃないけど!」
「え? どういうこと?」
シロが首を傾げてマリーに問いかけると、マリーは顔を綻ばせながら続ける。
「今日ね、ストロベリーハウスでライトちゃんとリンリちゃんでお泊りするの!
おとといのお泊り会、すっごい楽しかったから……今日も楽しみ!」
「はえーそうなんや。じゃあ、アスレチックからそのまま上行くってことやな」
「うん!」
「ウチも泊まりたいけど、ちょっと食堂で狙ってるもんあるからな……」
ナツミはギラリと眼光を鋭くする。
ま、まさか……。
「……限定モンブラン?」
「せや。あれだけ美味しそうにされたら、実際に食べてみたくなるっちゅーのが人間の性や。
ウチの予想やと……今日の18時が勝負やな」
なるほど……。
昨日も夕食のその時間に置かれたから、今日もその時間に……っていうことか、悪くない読みだ。
気が付くと、私とナツミの間にバチバチと火花が走っていた。
「二人とも、頑張ってね! マリーはライトちゃんの手料理が楽しみだな~!」
そんな一触即発の空気は何処吹く風で、マリーは無邪気な声を上げて
ひらひらと手を振りながら山の上を目指して駆け出していった。
「ほな、ウチらも行きましょか」
ナツミがマリーが駆けて行った方とは逆の方向を向きながら言う。
「あ、マキちゃん、ホテルに戻る前にちょっとマスカットハウスに寄っていい?
新刊コーナー、ちらっと見ておきたいの」
「うん、良いよ」
「あー、なんかあのカンチョー資料館にそんなんあったなぁ。
……もしかして、資料館の館長とカンチョーをかけてるんか……?」
ナツミが不意に、顎に手を当ててダジャレをぼそりと呟く。
「いや、普通に九官鳥の方じゃない……?」
私の至極全うなツッコミが虚しく響き、何とも言えない沈黙が流れた。
私たちは麓に辿り着くと、そこでナツミと別れてマスカットハウスへ向かうことにした。
「ほな、ウチはお先に戻ってるで~。なんかおもろそうな本あったら持ってきてな~。
ウチが好きそうなやつ!」
ナツミが好きそうなのが見当も付かないが、とりあえず曖昧に手を振って彼女の背中を見送った。
まぁ、「ダジャレ全集・最新刊」なんてものがあったら迷わず持って行ってあげよう。
マスカットハウスに入ると、やっぱりストロベリーハウスと何ら変わり映えしない空間が広がっていた。
違う点といえば、玄関に登山用の厚底靴やトレッキングポール、
急な天候悪化に備えたレインウェアなどの重装備が並んでいることくらいだ。
あとは全体的な面積が少しばかり広い。
シロと一緒に通路を渡って、カンチョー資料館に入る。
あちこちにある像を無視してお目当ての『新刊コーナー』に目をやると……。
そこには、簡素な薄い本……というか、紙束のようなものがあった。
「これ、なんだろ?」
「ん?」
シロが不思議そうに首を傾げ、本を手に取って開く。
私も隣から中を覗いてみると、そこには──
────────────────
その禁断の儀式とは──
「憤怒の魔女」を除いた六人の魔女が、
自らが最も誇る力の象徴を六つの「パーツ」として捧げ、
それらを"サラマンダーの火"と呼ばれる特別な火にくべることで、
六人の全ての力が組み合わさった完全なる第八の魔女――
「憂鬱の魔女」を呼び出す、『アゾット』と呼ばれる儀式でした。
古来より、魔女達は火には特別な力があると信じてきました。
火は形あるものを焼き、偽りを剥がし、
その奥に潜む本質だけを残す聖なる媒介。
罪を裁くときも、契約を結ぶときも、
最後に選ばれるのは常に"火"だったのです。
そして"サラマンダーの火"は、
魔女が持つ不死性すら焼き尽くす、聖なる火でした。
一度その火にくべてしまった六つのパーツは、二度と戻りません。
切り取って捧げた部位は、二度と再生されません。
魔女達は自らの誇りをその火に委ね、余分な肉も焼き払い、
本質であるその力の核だけを捧げようとしました。
捧げる部位によっては、魔女達は死をも覚悟して臨まなければなりませんでした。
そうして呼び出される「憂鬱の魔女」は、平和の象徴とされていました。
憂鬱とは、何も起こらないこと。
明日が今日と同じであると知っていること。
争いも、欲も、変化すらも失われた、退屈で静かな世界。
停滞は人の心を鈍らせ、退屈は時に重く沈ませます。
だが同時に、怒りを燃やす理由も、
剣を振るう理由も与えません。
だからこそ、魔女達はそう考えました。
――"憂鬱"は、最も静かな平和の形なのだと。
変革と破壊の象徴である憤怒の魔女に対抗出来るのは、
停滞と安定の象徴である憂鬱の魔女だけ。
その力によって、憤怒の魔女を撃ち滅ぼし、
世界に平和を取り戻そうとしました。
それがこのアゾット儀式の本当の目的だったのです。
────────────────
「これって……」
「うん、前に図書室で見たやつの……続き?」
よく見ると、表紙には『第二篇』と書いてあった。
思わず私は、前に撮っておいた『第一篇』の内容をスマホで見る。
『第一篇』
────────────────
とある時代、人の世を離れた場所に、七人の魔女がいました。
彼女たちは皆、並外れた力を持つ存在でした。
それぞれが、人の心に巣食う
『傲慢』『強欲』『嫉妬』『憤怒』『色欲』『暴食』『怠惰』
の七つの罪を司っていたといわれています。
七人は皆、ただの魔女で終わることを良しとせず、
更に上位の存在である『大魔女』となることを目指し、互いに競い合っていました。
魔法の研究に没頭する者もいれば、禁忌の薬を生み出す者もいました。
弟子を集め、勢力を築き、力を蓄え、信仰を広め、
誰が最も強い魔女であるかを競り合っていたのでした。
やがて七人の間には、否応なく力の差が現れます。
序列が生まれ、一位から七位までの順位が定められました。
力の強い順に、憤怒、怠惰、強欲、暴食、色欲、嫉妬、傲慢。
けれど、その序列は最初から歪んでいました。
一位とそれ以外の差があまりにも大きすぎたからです。
「憤怒」を司る魔女の突出した力──
彼女の前では、二位以下の魔女達の差などほとんど意味を持ちません。
同じ魔女でありながら、まるで次元が違っていました。
それほどまでに憤怒の魔女の力は圧倒的でした。
ですが、その力は次第に世界を蝕んでいきます。
怒りは争いを生み、争いは破壊を呼び、
やがて世界は憤怒の魔女の影響によって荒れ果てていきました。
このままではすべてが焼き尽くされる。
そう悟った六人の魔女達はある結論に辿り着きます。
――憤怒の魔女を討たねばならない。
しかし、力で対抗することは不可能でした。
残る六人が全員で対抗しても倒せるとは限らないほどに、憤怒の魔女の力は強大だったのです。
そこで選ばれたのが、古くから伝えられてきた儀式。
とある世界で行われたという
魔女因子を持つ13人の少女達による
魔女降臨の儀式を"模した"、禁断の儀式でした。
────────────────
「これ、誰かのイタズラかな……?」
「分からない……。でも、図書室にあった『第一篇』の内容って私とシロとノクスしか知らないはずだ。
シロ、誰かにこの内容見せた?」
私はスマホに撮っておいた第一篇の写真をシロに見せながら尋ねる。
「う、ううん。言ってないよ。ノクスちゃんも、誰かに話したとかは言ってなかったと思う……」
シロの言葉に、私は顔に手を当てて考える。
もし誰も話していないのだとしたら、なぜこの物語の続きのようなものがここに置かれているのか。
(……第一篇の方も含めて、ただの誰かのイタズラってことか……?)
そもそも、この本の内容自体理解に苦しむ。
六人の魔女が寄ってたかって儀式を行って、さらに別の魔女を呼び出すなんて……。
そのために、自らの誇りの象徴である六つの「パーツ」を、
不死性すら焼き尽くす特別な火とやらに捧げるだなんて……。
「……ただのイタズラだな。それも悪質な。
多分、元々図書室に置いてあった第一篇のとこから仕込んでたんだ」
私はそう一蹴する。
「……でも、マキちゃん。
この『憂鬱』が平和の形だっていうの、なんだか少しだけわかる気がする。
何も起きないってことは、悲しいことも起きないってことだもんね」
シロがぽつりと呟いた言葉が、私の思考の隙間に冷たい水のように入り込んできた。
何も起こらないこと。変化すら失われた退屈で静かな世界。
それは確かに……一つの平和の形なのかもしれない。
「一応、写真に撮ってノクスにも送っておこう。
……ノクスが考えた悪戯だったら良いんだけど」
「あはは、あり得ないよ」
私の冗談にシロは軽く笑って返す。
思わぬ場所で思わぬものに出会ってしまったことで、心に妙な不安が沸き上がる。
本の内容も相まって、少しの困惑が私の中で渦巻いていた。
微妙な気持ちのままマスカットハウス本館に戻ると、
その空気を察してか、シロが明るく声をかけて来る。
「あ、マキちゃん! そういえば、ここの三階って美術室みたいになってるんだよね?」
「……あぁ、なんか最初にここに来た時にイリスたちが言ってたな」
「じゃあさ、ちょっと覗いてみようよ!」
「まぁ、良いよ」
正直なところ、私としては一刻も早くホテルに戻って
食堂に黄金の山が鎮座していないか確認したくてたまらなかった。
けれど、私を見て気を遣ってくれているシロの優しさを無碍にはできない。
私は三階の美術室を覗いてみることにした。
辿り着くと、そこはホテルのアトリエを何倍も広くしたような空間だった。
壁には何枚かの油絵が飾られ、部屋の隅にはデッサン用の石膏像がいくつか並んでいる。
壁際の下には多種多様の絵具が用意されており、一つ一つがかなりの容量だ。
間違っても絵具が切れるなんてことは起こらないだろう。
そして中央には『オーガ』の作品名と共に、セーラー服姿の鬼の像が片手を突き上げて立っている。
「すごい迫力だねぇ……」
「う、うん……」
(何度も言うようだけど、なんでセーラー服なんだ……?)
私が像の周りを歩きながら眺めていると、シロが私を呼んだ。
「ねぇマキちゃん、せっかくだし、何か描いてみない?」
シロはイーゼルに固定されていた真っ白なキャンバスを指差す。
「うーん、描くって言っても何を描いたらいいのやら……。
それに、何で描けばいいかすらも分からないしなぁ……」
「じゃあ、私を描いて!」
シロが元気よく自分自身を指差す。
「え、シロを……?」
「うん!」
満面の笑みで答える。
正直、絵心なんてものは小学校の図工の時間に置いてきた自負がある。
かといって、シロの純粋な期待をでばっさり斬って捨てるのは忍びない。
どうにかしてこの流れを有耶無耶にできないか……。
「あ、そうだ。じゃあ、じゃんけんして負けた方が勝った方の絵を描くっていうのは?」
これなら、ワンチャン私が絵を描かずにすむかもしれない。
勝てばモデル側に回ってポーズをキメるだけだ。
「いいよ~! じゃあ、負けても恨みっこ無しの一回勝負ね!」
「よし。じゃーんけーん……」
「ぽん!」
私、ぐー。シロ、ぱー。しろのかち。
「やったぁぁ! じゃあ約束通り、マキちゃんが私を描いてね!」
「くっ……」
シロは勝利の舞をひとしきり披露すると、準備万端と言った風にモデル用の椅子に行儀よく座り、
背筋をピンと伸ばして目を輝かせている。
「分かった……。でも、どんな絵になっても文句言わないでね」
「うん!」
そう言うと私は、とりあえず手頃なクレヨンをチョイスしキャンバスへと向き合う。
これなら描いてる途中で垂れたりしなさそうだし。
というか、垂直に立てられたキャンバスに絵を描くというのは想像以上に難しい。
机に這いつくばってペンを走らせるのとは、使う筋肉も視点の置き方もまるで違う。
(シロの輪郭は……案外、シュっとして……いや……丸い……もちもちほっぺ……)
無心で手を動かしているうちに、資料館で見た「アゾット」の不気味な儀式のことが、
シロという名の被写体を必死に捉えようとする作業の中で、少しずつ色の波に押し流されていく。
「……う~ん……でき……た」
自分としては完成のつもりなのだが、いささかちゃんと描けているか自信がない……。
私がぎこちない声と動作で画材を置くと、
シロは待ちきれないといった様子で椅子から飛び降り、キャンバスの前に駆け寄った。
「何これーーー!?」
シロの叫び声が美術室に響き渡る。
「も、文句はなしだって──」
「マキちゃん、これ……っ! 私、こんなに目がキラキラしてる!?
それにほっぺた、ももみたいで……なんだかすごく……美味しそう!」
シロは怒るどころか、キャンバスに食い入るように顔を近づけて……
「すごい! すごい!」と声を漏らした。
「……で、でも、上半身と下半身のバランス悪くなっちゃったし、
なんか全体的に子供が描いた絵っぽいし……」
そう言おうとする声も聞かずに、シロは満面の笑みで叫ぶ。
「マキちゃん、ありがとう! これ……私の宝物にするね!」
シロは絵を手に取ると、両手でぎゅっと抱えながら言う。
「……宝物って。それ、ただのクレヨン画だよ?」
私は呆れたように肩をすくめたが、胸の奥にはくすぐったいような温かさが広がっていた。
「……えへへ~」
シロは絵を何度も見返してはふにゃりとした笑みを浮かべている。
……まぁ、本人が嬉しそうなら良いか、それで。
すると、熱中しすぎていたせいか外はすっかり陽が落ちていることに気付く。
マスカットハウスの窓から見える外の景色はもう暗く沈んでいた。
「シロ、そろそろ夕食時だしホテルに戻ろう!
モンブランなくなるかもしれないし!」
私はややこっぱずかしさを隠すようにシロを急かす。
「そっ、そうだね! マキちゃんのモンブランあるといいね!」
シロは私の描いた絵を大事そうに抱え、足早に美術室の扉へと向かった。
ホテルに着くと、時刻は18時を数分過ぎた頃だった。
ナツミの予想が正しければ、この時間帯に限定モンブランが置かれるはず──!
逸る気持ちを抑えきれず、私はシロと共に食堂へと滑り込んだ。
食堂の奥の方へ視線を走らせると、そこには
『秋のエリア開放記念!』と書かれた華やかなポップが掲げられていた。
そしてその下に──モンブランが一つ静かに鎮座していた。
間違いなく、シロからのメールで見たあの限定モンブランだ。
「あ……あるっ!」
歓喜に震える声を上げたが、同時に戦慄が走る。
モンブランが置かれた台には、既にヤヒメが悠然と陣取っていた。
彼女の手元には既に一つ、確保された皿がある。
つまり、残りはあと一つ……!
私は全神経を脚に集中させて歩を進めようとしたその時──
背後から空気を切り裂くような声が響いた。
「あっ、モンブランや!」
ナツミだ。
(まずい……!)
私はなりふり構わずモンブランの元へと駆け出した。
……が、次の瞬間にはナツミがポップの前に立ち、
その手で最後の一つだったモンブランの皿を掴み取っていた。
「よっしゃ! 確保や!」
「あっ……あぁぁ~……」
私は文字通り膝から崩れ落ちた。
「マ、マキちゃん、大丈夫!?」
駆け寄ってきたシロが私の肩を支えてくれるが、喪失感で力が入らない。
限定二個……その両方が私の目の前から消えた……目の前で……。
けれど──
私が打ちひしがれていると、ヤヒメののんびりした声が上から降ってくる。
「マキちゃん、これあげる~」
「……え?」
差し出されたのは、文字通り夢にまで見たモンブラン。
「え、え? でも……いいの? これ、ヤヒメが確保した分じゃ……」
「あたい、ほんとはライトちゃんのために取っておいてあげたんだ~。
でも、食堂おいでってライトちゃんにメッセージ送ったら、
『今日はマリーちゃんとリンリちゃんでストロベリーハウスの方に泊まるから、
ヤヒメちゃんが食べるか別の人にあげて』って返信あったから~」
ヤヒメはスマホの画面をちらりと見せる。
「あたいはもう昨日美味しくいただいちゃったし、まだ食べてないマキちゃんが食べてよ~。
ほんとに美味しいよ~!」
「……ヤヒメ……!」
女神だ。
ここには魔女も何もいない。
ただ一人の救世主がいるだけだ。
「なんや~、ほんなら別に急がんでも二人ともゲット出来てたんやな~。
マキちゃんラッキーやで!」
「良かったね、マキちゃん!」
「うん……!」
私はヤヒメから恭しくモンブランを受け取る。
これは食後のデザートに大事に頂くとしよう……!
メイン料理もそこそこに、胃袋に特等席を空ける。
そしてついに、銀色のフォークがモンブランの山肌へと到達するッ──!
一口口に運んだ瞬間──
濃厚な栗の香りと、上品なクリームの甘みが、
今日一日のすべての疲れを優しく包み込んでいった。
「……んんっ……ふふ、あははは……っ!」
あまりの美味しさに思わず笑みが溢れる。
「マキちゃん、すごい顔して笑ってる……。なんだか悪い魔女が薬を完成させた時みたいだよ」
「……シロ。これが勝利の味なんだな」
私は恍惚とした表情で、お皿の上の山嶺を愛おしく見つめた。
隣ではナツミが、私ほどではないにしろ同じように笑みを浮かべてモンブランを楽しんでいる。
これは食べると誰でもたちまち笑顔になる魔法のモンブランだ。
「ん~! ウチ、そんなに甘いもん食べへんねんけど、これは毎日食べたなるほど美味しいなぁ!」
「私も同感。もう毎日、朝からこのモンブラン争奪戦に参戦したいくらいだ」
私とナツミが至福の表情で堪能している様子を、
シロとヤヒメは微笑ましい目で見つめている。
私は最後の一口になるまで、丁寧に黄金の山を味わい尽くしていった。
「……そう言えば、ヤヒメはライトのためにモンブラン取ってたんだ?」
私が食後の熱いほうじ茶を啜りながらふとヤヒメに尋ねる。
「たしかにウチも思ったわ。
いつも一緒のマリーちゃんとかミサちゃんのためやったら分かるけど、意外な組み合わせやな」
すると、少し間を置いてからヤヒメは答える。
「ライトちゃん、すごく食べたそうにしてたし、それに──。
あたいのこと、励ましてくれたから」
「……励ましてくれた?」
その言葉に、思わず聞き返す。
「……前の魔女裁判が終わった時、あたいの【物質強化】の魔法のせいで、
ポムちゃんが死んじゃったんじゃないかって……。そう思ってたら、ずっと苦しくて……。
でも、ライトちゃんが、「そんなのは関係ない」って言ってくれたような気がして……」
「……」
ヤヒメのその言葉を聞きながら、私は魔女裁判の終わり際にライトが言った言葉を思い出す。
『ポムちゃんを殺したのはダイヤちゃんでしょ?
ここにいる誰のせいでもないわ』
『それを選ぶのはいつだって本人よ。
怖がることも、信じることも、逃げることも、向き合うことも。
そして──殺すことも』
あの時のライトの言葉は、決して甘い慰めではなかった。
むしろ、ダイヤが犯してしまった罪を徹底的に糾弾するような冷たさがあった。
けれど……。
自分の魔法が図らずも悲劇の引き金になってしまったのではないかと、
自責の念に駆られていたヤヒメにとって、ライトの言葉はその重い枷を解く鍵になったのだろう。
ライトからすれば、それはお人好しな同情などではなく、
彼女自身の冷徹な信念を口にしたに過ぎなかったのかもしれない。
でも、こうしてヤヒメが救われたのが事実なら──それはそれで良かったのかも。
「ま、結果オーライやな!」
ナツミがほぼ何も考えていないような明るいトーンで言う。
少ししんみりしかけた空気に、その思慮の浅……もとい、屈託のなさが今はありがたかった。
「ヤヒメちゃんがキープしておいてくれたおかげで、モンブランにあり付けたもんね~!」
シロが少し茶化した様子で言い、私の顔を覗き込んでくる。
「マキちゃん、この世の終わりみたいな顔してたもんね~」
それにヤヒメが追従する。
私はわざとらしくそっぽを向きながら、ほうじ茶を一気に飲み干す。
……確かに、モンブランが食べられたのは巡り巡ってライトのおかげということも
1ミリくらいはなくもないような気がしないでもない。
(明日、ストロベリーハウスに行ってライトにお礼でも言おうか……)
ふとそんな殊勝な考えが頭をよぎる。
「この間のライトの言葉がヤヒメを救って、そのおかげで私はモンブランが食べられた。ありがとう」
……いや、ダメだ。
当の本人が眉間にシワを寄せて「何それ?」ってなるのが目に浮かぶようだ。
(まぁでも──)
今度運よく限定モンブランを見かけたら、
その時はライトのためにキープしてあげることくらいは、しても良いかな。
私は一切の欠片も残っていない空のお皿を眺めながら、漠然と思った。