翌日。
食堂で朝食を食べたあと、私は自室で、
昨日スマホで撮っておいた「第二篇」の内容をぼんやりと見返していた。
あの後、メールでノクスにも写真を送ったところ、朝の8時頃に
『情報共有感謝するわ。
カンチョーを問い質したけど、明確な回答は得られなかった。
とりあえず心当たりが無いか、皆に一斉送信メールで聞いてみるけれど……。
一度、全員が揃っている場でも改めて話を聞く必要があるわ』
との文言が書かれたメールが送られてきた。
そしてその数分後には、言葉通り「第一篇」「第二篇」の存在や
その心当たりを尋ねるような内容の一斉送信メールが私の端末にも届いた。
だが、そもそもスマホやタブレットを頻繁に見ない人もいる。
通知に気づかないどころか、端末がどこにあるかすら怪しい面々もいるだろう。
(結局のところ、全員が顔を合わせた時に直接聞くのが一番確実だな。
その方が話もスムーズに進むだろうし)
するとノクスから、ライト、イリス、ミサ、ヤヒメからは
「心当たりがない」と言った旨の返信メールが来たとの連絡があった。
昨夜、ストロベリーハウスに泊まっていたマリーとリンリについては、
ノクスからのメールに気づいたライトがその場で本人たちに確認を取ったらしい。
(……となると、残るはハイジとナツミだけか)
正直、あの二人のどちらかがこんな手の込んだイタズラを仕掛けるタイプだとは思えない。
ナツミならこんな回りくどいことをする暇があったら、アクティビティに遊びに行っているだろう。
(……いや、ハイジならあり得るか……?)
あの独特のユーモア感覚なら、
資料館の片隅に不気味な物語の続きを隠しておくくらいやりかねない気がしてくる。
……微妙なところだ。
「……うーん」
一度考え出すと止まらなくなり、私はベッドの上をごろごろとのたうち回った。
思考が袋小路に入り込むと、どこか少し体が鈍く感じる。
停滞した気分を振り払おうとした時、ふとストロベリーハウスの温泉が恋しくなった。
一昨日は朝にストロベリーハウスの温泉に入ったため、夜は簡単にシャワーで済ませ、
昨日はホテルの大浴場に浸かった。
けれど、やはりあの山の頂にある空気が澄み切った露天風呂の開放感には敵わない。
腕時計に目を落とすと、時刻は11時前。
今からでもストロベリーハウスに行ってみようか。
(そういえば、もうストロベリーハウスに泊まったみんなはもうこっちに帰ってきてるのかな?)
もしかしたら、
「昼はライトの手料理を囲んでみんなでランチ」
なんていうイベントが発生している可能性もある。
だとしたら、私も是非そのご相伴に預かりたいところだ。
私はおもむろにスマホを取り出し、ライトに連絡を入れてみた。
「あ、ライトおはよう。まだストロベリーハウスにいる?
これから温泉に行こうかと思ってるんだけど……」
『あら、マキちゃんおはよう。今回はみんなでゆっくりしたいから、
まだストロベリーハウスにいる予定よ。
お昼もこっちで手料理作るつもりだけど、良かったらマキちゃんもどう?』
「たべる」
ビンゴだ。
温泉に、ライトの手料理つき。
私は二つ返事で了承した。
『あんまり遅いと料理作り終えちゃうから、早くいらっしゃい♪』
ライトがその言葉を言い終わると、電話の向こうから
『マキちゃんもくるのー!?わーい!』
というマリーの無邪気な声が聞こえてくる。
「すぐ行くよ。じゃあね」
私もマリーに釣られて少し弾むような声で電話を切り、部屋の外へと向かった。
(っと、そうだ。一応、食堂に限定モンブランがないか見ておこう)
そう簡単には置かれていないとは思うけど……。
もし運良く置いてあったのなら、ライトへの最高の手土産になる。
私は期待を胸に、一旦食堂へと足を向けた。
……が。
「……残念、やっぱりまだか」
そこには『秋のエリア開放記念!』のポップだけが虚しく残っていた。
黄金色の山嶺が再びそびえ立つには、まだ時間がかかるらしい。
あるいは今日の分はもう既に置かれて、そのあと二つとも誰かにゲットされたという可能性もあるが。
「まぁ、そんなに都合よくはいかないよな」
私は小さく苦笑して食堂を後にした。
ホテルから歩いて5分、マスカットハウスの緑の外壁が見えてくる。
(まぁ、別に用はないか)
私はそのまま登山道の入口に行く。
タブレットを見ながら入口から山道を登ること15分。
もはや見慣れた、中腹の白黒クマの大きな像が姿を現す。
そのままストロベリーハウスに近い左の黒い鳥居をくぐる。
「……ん」
すると──鳥居をくぐり終えた瞬間、ほんの微かに妙なにおいが鼻をつく。
何というか、私の苦手な類のにおいだ。
有機溶剤とか、あの手の化学系のやつ。
(この辺、そういうにおいの植物でもあるのか?)
足を止めず、小首を傾げる程度でそのまま足早に通り過ぎた。
なだらかな長い道を歩いている途中、ふとシロも誘えば良かったことに気付いた。
前みたいに「なんで誘ってくれなかったの!?」と詰め寄られては敵わないので、
歩きながらシロに通話をかける。
すると、通話に出たシロが開口一番に言う。
『なんで誘ってくれなかったの!?』
……いや、なんで分かるんだ。
「え、いや、なんで私がストロベリーハウスに行くってこと……?」
『だって、マスカットハウスの二階の窓からずっとマキちゃんのこと見えてたもん。
登山道の入口から登ってくとこ!』
「み、見てたのか」
思わず呟いた。
『二階から下を向けば入口くらいまでは見えるんだよ~。
マキちゃん、温泉にでも行くんでしょ~!』
「シロは二階で何やってたんだ?」
私はわざとらしく話を逸らす。
『新刊コーナーの本読んでるんだよ~。
目当ての新刊何冊かあったから、ゆっくり消化してるの』
「そうだったのか」
どうやらたまたまシロはマスカットハウスに寄っていたらしい。
流石に先回りしてたわけではなさそうだ。
「まぁ、そのことで通話かけたんだ。シロも温泉どう? って」
『う~ん、今面白いとこだから……まずは読み終わってから考える!
マキちゃんがずっとそっちにいるなら、後で私も行く~』
(誘わなかったことに文句言いたげな感じだったのに、なんだそれは)
「分かった。また来るときに連絡して」
『は~い!』
通話を切ると、私は再び道を歩き始める。
山頂付近の道を歩いていくと、やがて転落防止柵が現れ、
その先にはストロベリーハウスが姿を見せる。
腕時計を見ると、11時40分。
お昼にはちょうどいい時間だ。
ふと庭の方に目をやると、洗濯を終えて
陽光をいっぱいに浴びたシーツカバーや枕カバーが風に吹かれてなびいていた。
別の竿には、天日干しされた布団が見える。
「……もはやただの一般家庭だな。温泉があること以外は」
私は独り言ちながらストロベリーハウスのドアを開ける。
「いらっしゃい、マキちゃん」
「いらっしゃーい!」
「お邪魔します」
ライトとマリーの二人に出迎えられる。
リビングに入ると、キッチンカウンターの上には
小判型に成形されたミンチ肉が並んでいるのが目に入った。
「おっ、ハンバーグ?」
「ええ、マリーちゃんも手伝ってくれたのよ」
ライトが隣で誇らしげに胸を張るマリーを横目に、穏やかに微笑む。
よく見ると、ライトが作ったであろう形の整ったものの中に
いくつか少しだけ歪な形のハンバーグも混ざっていた。
表面が少しけば立っていたり、少し厚みが不均等だったり。
おそらく、これがマリーの捏ねたものなのだろう。
不格好ではあるけれど、一生懸命に丸めたのが伝わってくるその形はどこか微笑ましく感じる。
ライトはハンバーグをフライパンに置き、表面にさっと焼き色を付けていく。
軽く焼き固めると、ライトはほんの少量の水を入れてタイマーを15分にセットした。
時を刻み始めたタイマーを確認してから弱火にして蓋を閉じる。
「あれ? 焼くの一つだけ?」
私が聞くと、「甘いわね」と言った様子でライトが言う。
「ミンチ肉の温度や合い挽き肉の割合、それにフライパンの材質や厚み……
もっと言えば室温によっても焼く時間は変わっていくのよ。
まずは一つ焼いて、どの程度の時間焼けばどのくらい中まで火が通るか見るのが定石よ。
串を刺して中まで火が通ってるか確認する方法もあるけれど、
それだとせっかくの肉汁が外へ逃げ出してしまうの」
「な、なるほど……」
私はしきりに感心した。
完璧な一皿を出すために、まずは実験を怠らないらしい。
BBQの時も、牛の大腿骨を使って骨付き肉を模したハンバーグを作っていたし、
ハンバーグは得意料理でもあるのかもしれない。
するとその待機時間を利用して、もう調理には使わないのか、まな板と包丁を洗い始める。
「時間は有効活用しなくちゃいけないわ♪」
「手慣れてるなぁ……」
それらを洗い終えたあと、三人揃ってダイニングテーブルでお茶を啜りながら待つ。
スマホをいじったりトランプで遊んだりまったりモードだ。
「あ、そう言えばリンリは?」
「二階で寝転がってテレビ見てるわ。お尻掻きながら」
ライトが少し呆れたように言う。
それを聞いたマリーも、無邪気に笑いながら付け加えた。
「さっき覗きに行ったら、『ご飯できたら呼んで~』だって!」
「ライトとは大違いだな……」
私は苦笑いを浮かべる。
すると、タイマーの時間が残り5分のところでふとライトが席を立って部屋の奥へと歩いて行った。
2分ほどして戻って来ると、
「ミサちゃんも誘っておいたわ。
さっきマリーちゃん、『ミサちゃんたちも来ないかな~』って言ってたでしょう?」
とマリーの方へと茶目っ気たっぷりにウインクを向けた。
「えっ、ミサちゃんも!?やったぁ!」
マリーがパッと顔を輝かせ、椅子の上で小さく跳ねる。
その様子を微笑ましくを見ながら、スマホを操作しつつ
ライトはハンバーグと一緒に作っていたらしいスープをかき混ぜる。
すると、待望のタイマーの音がキッチンに鳴り響く。
──ピピピピッ!
「さあ、開けるわよ……!」
ライトの言葉を合図に、私とマリーは吸い寄せられるようにフライパンの中を覗き込むように身を乗り出した。
ライトがゆっくりと蓋を持ち上げると、閉じ込められていた熱い蒸気が一気に解き放たれる。
それに遅れて、香ばしく焼き上がった肉の香りと、
蒸し焼きにされたスパイスの芳醇な香りが立ち込める。
「おぉ……!」
「……うわぁ、すごい……!」
そこには、ふっくらと丸みを帯びて膨れ上がり、
表面を艶やかな脂が覆うハンバーグがあった。
「一発目から大成功ね。肉汁が逃げずに閉じ込められているわ。
外から見ただけで、中までちゃんと火が通ってることが分かるわね♪」
「えへへ、マリーの愛情のおかげだね!」
マリーが鼻を高くして笑う。
形からしてこれ、ライトの成形したハンバーグっぽいけど……。
ライトは焼き上がったハンバーグを一枚ずつ丁寧にお皿に盛り付け、
シャトー切りにされたにんじん、ブロッコリーといった鮮やかな彩りの付け合わせを添えていく。
その手つきはまるで高級レストランのシェフのようだ。
すると、
「こんなにも美味しそうなハンバーグ、
他の子にも味わって貰わないともったいないわね……」
そう言いながら、再び奥の部屋へと歩いていった。
また数分ほどして戻ってくると、
ライトは盛り付けたハンバーグに特製の作り置きソースをたっぷりとかけ、
ほかほかのご飯と湯気の立つスープをよそった。
それらをトレイに載せると、エレベーターのリフトの中へと置く。
そしてブドウのマークが描かれたスイッチを押し、エレベーターを作動させた。
「あれ、マスカットハウスに送るの?」
私の問いに、ライトは人差し指を口元に当てて悪戯っぽく微笑んだ。
「ふふ、リクエストをもらったのよ♪」
(もしかして……シロか?)
さっきの通話では「読み終わってから行く」なんて言っていたくせに、
どこからともなく秘密の情報網でハンバーグの匂いを嗅ぎつけて、
ちゃっかりデリバリーを頼み込んだのだろう。
(なんて食べ物に対して卑しいんだ!)
それも、お昼時のほぼ正午ちょうどにエレベーターで送らせるなんて。
私は心の中で、今頃マスカットハウスのエレベーターの前で
ハンバーグを待ち構えているであろうシロの姿を思い浮かべながら叫んだ。
そしてライトは、予備のミンチ肉をフライパンに並べて再び焼き色を付ける。
「そんなに怖い顔しなくても大丈夫よ、マキちゃん。お代わりはいっぱいあるわ」
そして先ほどと同じように水を入れてから、タイマーを15分に設定して弱火で焼き始めた。
「もうそろそろ洗濯物も乾いてる頃かしら。
マリーちゃん、ちょっと取り込むの手伝ってくれるかしら?」
「あ、はーい!」
すると、15分のスキマ時間を利用して、
ライトとマリーが洗濯物を取り込みにリビングの奥の部屋から外に出て行った。
5分程して戻ってくると、二人はそのままテーブルへと座る。
「ありがとうマリーちゃん、おかげで作業効率も二倍ね」
「お安い御用だよ!」
マリーは褒められて嬉しそうにお茶を啜る。
(……なんだか親子みたいだな)
ライトが怖いので決して口には出さなかったが、微笑ましく思ってしまう。
そしてタイマーが鳴ると同時にライトが蓋を開けると、
そこには四人分の美味しそうなハンバーグがあった。
「あ、マリー、リンリちゃん呼んでくるね!」
マリーはそう言うと、トントンと軽快な足取りで二階へと上がっていった。
「さて、みんなの分も盛り付けましょうか。
第二弾、第三弾も焼くつもりだから、遠慮なく食べてね♪」
ライトがまだ火の通っていない小判型のミンチ肉を指差した。
「それなら安心だな」
一足先にむっしゃむっしゃと食べているシロのことも許せよう。
すると、マリーと一緒にリンリが降りてきた。
「おー良い匂い。あ、マキ、おいっす!」
「ああ、おいっす。ちょうど焼きあがったところだよ」
私はリンリに片手を上げて返す。
そして全員分の配膳が整えられる。
メインのハンバーグもそうだが、
付け合わせの温野菜も彩り鮮やかで、見るからに食欲をそそる。
すると、マリーが元気よく声を上げる。
「じゃあ……いただきまーす!」
「いただきます!」
その声に続くように、みんな揃って声を上げた。
箸を入れた瞬間、閉じ込められていた熱い蒸気と共に、黄金色の肉汁がドッと溢れ出す。
それをデミグラスソースに絡めて、一気に口へ放り込んだ。
「……っむ、熱い……! けど、美味しい」
「んん~! やわらか~い!」
「うん、上出来ね♪」
「あむあむ……おいひいね」
口の中で解ける肉の繊維と、絶妙な弾力。
噛み締めるたびに肉本来の旨味がソースのコクと混ざり合い、味蕾の上を駆け抜けるッ!
ライトも満足げに頷き、リンリも小動物のように口を動かしながら幸せそうに目を細めている。
マリーは頬を抑えながら、自分の皿の少し形が崩れたハンバーグを嬉しそうに頬張る。
「むむ、このソース、隠し味に何か入ってるな?」
私がそれっぽくライトに言う。
「あら、分かる? 少しだけ赤ワインと、バターを入れてコクをアップさせてるのよ」
「やはりな……! 私の舌に狂いはなかったか」
「いやなんも分かってなかっただろ多分」
すぐさまリンリが鋭いツッコミを飛ばしてくる。
彼女はハンバーグを口いっぱいに頬張ったまま、ジト目でこちらを見ていた。
「いや、ワインの芳醇な香りとバターのまろやかさがだな……」
「さっきまで『熱い! 美味い!』しか言ってなかったじゃない」
「う……! ま、まぁ美味しければ正義だから」
私は言葉に詰まり、誤魔化すように最後の一口のハンバーグを口に入れた。
デミグラスソースの濃厚な余韻が鼻に抜け、噛みしめるほどに肉の甘みが広がる。
「まーね」
リンリも同じくハムスターのようにハンバーグを頬張る。
「あー、美味しかった、お腹いっぱい。
ライトってほんと料理上手よね~」
「ふふ、お粗末様」
食べ終わったリンリがお茶を飲みながら感心したように言う。
すると、彼女は空になった食器をカチャリと流し台に置くと、
一言「ごちそーさま」と残して、その足で再び二階へと帰っていった。
食べ終わると満足げに腹をさすりながら
即座に階段を上っていくその後ろ姿に、私は思わず苦笑する。
(まるで食べ物を頬袋の代わりにお腹に貯蔵して巣穴に戻っていくシマリスだな……)
いや、どちらかといえばハムスターか。
このあと二階のテレビのスイッチを田中のハムスターのようにポチっと押すのだろう。
ん? 田中? なんで今ナツミの名前が……?
私がそんなよく分からないことをぼんやり考えている間に、他のみんなも食べ終わったらしい。
でも、私はまだ食べ足りない!
するとライトが「次はチーズ入りのこっちのを焼こうかしら?」
とミンチ肉を選んでいる。
(チーズ入り! そういうのもあるのか)
デミグラスの濃厚さに、とろけるチーズのコクが加わる……想像しただけでよだれが出る。
私がごくりと生唾を飲み込むと、ストロベリーハウスの玄関のドアがガチャリと開いた。
「……あ、もう食べてるんだ」
ミサだ。
地図を見ながら来たのか、手にはタブレットがあった。
「あら、ミサちゃんいらっしゃい♪
どう? ちゃんと迷わずに来れた?」
「おかげ様で」
「ミサちゃんいらっしゃーい!」
ライトとマリーがミサをあたたかく出迎える。
時刻は12時20分、さっきライトから連絡を受けて30分かけて登ってきたのだろう。
「ちょうど今からみんなのお代わりの分も焼こうと思ってたのよ。
ミサちゃんの分も一緒に焼くわね。マリーちゃんも手伝ってくれたのよ?」
「えへへ~」
ライトはそう言うと、ミサはマリーの方を見ながら言う。
「マリーが作ったのって、どれ?」
「んーとね、これ! かも?」
マリーは少し不格好なハンバーグを指差す。
「……じゃあ、私それ食べたい。焼いてくれる?」
「ほんと!?きっと美味しいよ!」
「ええ、もちろんよ」
ライトが楽しげに応じ、再びフライパンに火を入れた。
ジューッ、という食欲をそそる音がリビングに響き渡る。
今度のハンバーグは、中にチーズが仕込まれているという特別仕様だ。
ミサは私の隣に腰を下ろすと、
少しだけ鼻を動かして部屋に満ちる肉の匂いを静かに楽しんでいるようだった。
「さて、さっき取り込んだシーツカバー、布団に入れてくるわね。
洗濯物の取り込み忘れもないか確認しなくっちゃ」
ライトは15分のタイマーをスタートさせると、
再び一秒たりとも時間は無駄に出来ないと言った様子でリビングの奥の部屋へと歩いていった。
「……まるで旅館の女将さんだな」
「……確かに」
私の漏らした独り言に、隣でミサが静かに頷いた。
「ねえねえ、旅館の女将さんって、着物を着て『おこしやすー』って言う人?」
マリーが椅子の上で膝を抱え、首を傾げる。
「ああ。お客様に最高のおもてなしをするために、
裏で八面六臂の活躍をするプロのことだ」
「あはは! じゃあ、次はライトちゃんに着物を着てもらわなきゃ!」
マリーの無邪気な笑い声がリビングに響く。
「ところで、ミサはハンバーグ食べにわざわざ来たの?」
「……いや、さっきライトからマリーもいるからって誘われたから、
ついでに温泉も入ろうかなって思って。
ハンバーグに釣られるって、マキじゃないんだから」
「はは……」
私は曖昧に笑って誤魔化す。
「景色良さそうだったし、一回くらい入りたいと思っててね。
まぁでも、私結構のぼせやすい体質だから……あんまり長い時間は入れないけどね」
「ミサちゃん、体温も低めだもんねー。無理しちゃだめだよ!
あとで一緒に入ろうね!」
「うん」
他愛もない話をしていると、ふいにエレベーターが作動する音が聞こえてくる。
ガタン、と鈍い音を立てて、リフトがこちら側に到着する。
「……ん?」
私が席を立ってみてみると、中には空になったお皿と茶碗が載ったトレイが入っていた。
「し、シロめ……」
私は若干顔をヒクつかせながらそのトレイ取り出し、流しへ置いた。
ちゃっかりデリバリーを完食し、あまつさえ
「洗い物はよろしく」という無言のメッセージをリフトに乗せて返してきたわけだ。
綺麗に平らげられた皿を見ていると、
満足げにソファに寝転がっているシロの顔が容易に想像できる。
(……私も洗い物とか手伝った方が良いのか?)
……いや、ライト本人があんなに楽しそうなんだ。
下手に手を出して彼女の完璧なリズムを崩すのも無粋だろう。
ここは甘えておいても、別に良いか……。
私はそう結論づけ、シロへの呆れを苦笑いで飲み込むことにした。
そろそろタイマーも鳴るといったところで、ライトは戻ってくる。
「あら、ちょうど着くと同時に鳴ると思ってたんだけど……」
「いや、30秒程度のズレくらいなら大したもんだろ」
私がツッコミを入れると、タイマーが鳴り響く。
ライトが蓋を開けると、「あら」と小さく呟く。
「ん? どうかした?」
「ちょっと、隙間を埋めきれてなかったみたいねぇ」
私たちがフライパンを覗き込むと、不格好なハンバーグの方からチーズが漏れ出ていた。
おそらく、成形の際にチーズを閉じ込め切れていなかったのだろう。
「あっ、失敗しちゃった……。ごめんね、ミサちゃん……」
マリーが肩を落とし、今にも消え入りそうな声で言う。
せっかくミサのために気合を入れたのに、と目に見えてしょんぼりしている。
「大丈夫よ、こうすれば良いもの」
ライトは事もなげに微笑むと、手際よくハンバーグをお皿に盛り、
その上からたっぷりとデミグラスソースをかけた。
そしてフライパンの底に残された、少し焦げ目のついた黄金色のチーズをヘラで丁寧にこそげ取っていく。
彼女がそれをハンバーグの上へふわりと載せると、
熱を帯びたチーズは再びとろりと溶け出し、
マーブル模様となってソースと混ざり合いながらハンバーグ全体を優しく包み込んだ。
「おぉ~!」
マリーの瞳が一瞬で期待に満ちて輝き出す。
「……すごい、最初からこういう飾り付けだったみたい」
ミサも感心したように呟く。
(流石はストロベリーハウスの女将だな……)
私はミサと一緒にチーズハンバーグを頂く。
「……ん、美味しい」
「でしょ!?でしょ!?」
ミサの賞賛にマリーが身を乗り出して喜ぶ。
クリーミーで濃厚なチーズのコクと閉じ込められていたジューシーな肉汁。
それらがデミグラスソースの海で混ざり合い、口の中で完璧なハーモニーを奏でる!
「……っ、これは第一弾を超えてきたな……!」
ミサと私の感嘆に、ライトが「ふふ、計算通りね」と満足げに頷く。
そして残ったミンチ肉を全てフライパンに並べ、再び火をつけた。
(もし作り過ぎても、【封印】で鮮度保っておけるの、ほんと便利だな……)
私はその様子をハンバーグにチーズを絡ませながら眺める。
ライトはハンバーグが置かれていた平たいバットを洗い始める。
「……あら?」
「ん、どうかした?」
私はハンバーグを頬張りながら尋ねると、やれやれと言った様子で蛇口を指差す。
手には泡がついたままだ。
「また水が出なくなったわ、前と同じね」
「それって、水不足?」
私の言葉にミサが「水不足?」と怪訝そうな顔をすると、
私が説明する前にマリーの元気な声が響く。
「マリーが降らせてあげる!」
マリーがぱっと手をかざすと、瞬く間に雨がザーザーと降り始める。
「ありがとう、ちょうど洗濯物も全部入れ終わってたし、グッドタイミングね♪」
「えっへん!」
マリーは得意げに胸を張る。
「ねぇ、水不足って?」
「あ、そっか。ミサは知らないのか。
このエリアって、温泉があるせいで今みたいにたまに水が出なくなったりするんだよ。
雨が降ったらタンクに水が溜まって、また水が出て来るようになるんだ」
「ふーん……じゃあ、マリー大活躍だね」
胸を張るマリーをミサは横目で見る。
「あ、でも……これだとすぐに温泉は入れないな」
「……止むまで待ちだね。まぁ、私は雨でぬるくなった温泉の方が好きだけど」
ミサはスープを一口飲みながら言う。
体が冷たくてのぼせやすい体質ゆえ、大雨を頭から受けながら露天風呂に浸かるほうが
彼女にとってはちょうどいいバランスなのかもしれない。
「でも、雨降ってる時の温泉って楽しいんだよー!
前もナツミちゃんと一緒に入ったんだー!」
「流石に土砂降りだし、露天に行ったら風邪引くわよ?」
ライトはそう言いながら泡のついた手をペッペッと台所で払い、タオルで丁寧に拭き取った。
「まぁ、今すぐにでも温泉に入るわけじゃないから良いか。
1時間降ればしばらくは大丈夫、みたいなことカンチョーも言ってたし」
「……そういうのって雨量にもよらない?」
私はミサと他愛ない話をしながらおかわりのチーズハンバーグを平らげ、食後のお茶を楽しむ。
料理を食べ始めから食べ終えて数十分までの時間が、
一日のうちで最も幸せな時間かもしれない……。
10分ほど経ってからライトが台所の蛇口を捻ると、
雨でタンクの水が貯まり始めたのか普通に水が流れ出す。
「ふふ、マリーちゃん様様ね♪」
ライトは満足げに頷くと、鼻歌交じりで洗い物を始めた。
「……ごちそうさま」
「美味しかったよ、ライト」
私とミサは台所に食べ終わった食器を持って行く。
「あら、もう良いの? 特にマキちゃん。あと数分で焼けるわよ?」
「じゃあ、ご飯は無しでハンバーグだけ……」
「マキちゃん、本当に良く食べるねー!」
マリーが目を丸くして笑う。
(なんか、こういうセリフをシロに言われるのとマリーに言われるのとでは、
マリーに言われる方が若干傷つくな……)
「はい、お待たせ。これで本当のラストよ」
ライトが差し出してきた皿には、肉汁を湛えた熱々のハンバーグ。
最後の一枚を贅沢に口へ運ぶ。
チーズのコクと肉の旨味が胃の隙間を埋めていく。
「ふぅ……私もごちそうさま。完璧なフィナーレだ」
「はい、お粗末様」
私は空になった皿をまとめて台所へと運ぶ。
蛇口からは、マリーの恵みの雨のおかげで勢いよく水が流れ出していた。
ライトは鼻歌を歌いながら手際よく洗い物を片付けていく。
一通り洗い物が終わり、ライトもダイニングテーブルに加わってゆっくりお茶を飲む。
雨が降り始めてから30分、完全に水不足が解消されるのはあと30分といったところだ。
「……そう言えば、遅いわね」
ストロベリーハウスにある時計を見ながらぽつりとライトが呟いた。
時刻は13時30分。
「え、遅いって?」
「ヤヒメちゃんよ」
「え、ヤヒメ?」
私とミサがライトに尋ねる。
「マスカットハウスでハンバーグを食べたら、こっちに向かってくるはずなんだけど……」
「……もしかして、さっきハンバーグを送ってたのってヤヒメ宛?」
「ええ、そうよ。ミサちゃんと一緒にヤヒメちゃんも誘おうと思ってね」
どうやら、ミサへ連絡したあとすぐ部屋の奥に戻っていったのはヤヒメも誘っていたかららしい。
「それで、『マスカットハウスで料理を食べてから来ない?』
って聞いたら、二つ返事で『食べる』て言ってくれてね。
食べ終わったらこっちに向かってくるはずなんだけど……」
「も、もしかしてマリーの雨のせいで足止めされちゃってたりして……!」
「……たしかに、可能性はあるね」
マリーが慌てた様子で言う。
「じゃあ、一旦雨止ませるのは?
足止めじゃないにしろ、この雨の中を登ってくるのは危ないし」
「そ、そうだね! えいっ!」
私が言うと、マリーがパッと手をかざす。
すると瞬く間に厚い雨雲が雲散霧消していき、そこから眩いばかりの晴れ間がのぞいた。
(……相変わらず、とんでもない出力だな)
私は劇的に変わる外の景色を呆気にとられて眺める。
「一応、連絡してみる」
ミサがタブレットで通話をかけるも──
「……出ないね」
数回鳴らした後、ミサは静かに指を離した。
その瞳に、ほんの少しだけ不安の影が差す。
「まさか、途中で道に迷っちゃったとか……!?」
「タブレット忘れて、地図見ないまま来ちゃったとか……」
マリーとミサが不安そうな顔をする。
ミサ、マリー、ヤヒメ。
この三人は特に仲が良いからこそ、小さな不安が波紋のように広がっていく。
「いえ、あの子はちゃんとタブレットを持ってたわ。
マスカットハウスに料理を送る時、タブレットで通話してたんだもの」
ライトが淡々と言う。
「……ちょっと、シロに電話してみる。
まだマスカットハウスにいるはずだから」
私はスマホを取り出し、シロに通話を掛ける。
『あ、もしもしマキちゃん? なあに~?』
シロのいつもの声がスピーカーから響く。
「シロ、今マスカットハウスにいるよね?」
『うん、まだ二階の客室で本読んでるよ~』
「そっちにヤヒメいる?」
『ヤヒメちゃん? さっきちらっと窓から見えたけど、
玄関から登山道の方へ歩いて行ったよ~。いつの間にか来てたんだね~』
「それって、何分くらい前とか、何時とか分かる?」
『えーとね、ちらっと時計見たけど……12時40分頃だったと思うよ~』
私は耳からスマホを離し、時刻を見る。
「13時35分……ほぼ1時間前だ」
マスカットハウスからここまでの登山道は……のぼりで入口から中腹まで15分、
そこからストロベリーハウスまで15分の合計30分くらいの距離だ。
「……もしかしたら、マリーちゃんの雨で足止めされていたのかもしれないわ。
……ごめんなさい、ヤヒメちゃんも料理を食べてからこっちに来ることを失念していたわ」
ライトが申し訳なさそうに言う。
「中腹に四阿があったから、もしかしたらそこで雨宿りしてたのかも……」
私は中腹にあった休憩所を思い出す。
「……何にせよ、連絡付かないのは不安。捜しに行こう」
「う、うん!」
私はストロベリーハウスを出ながら再びスマホを耳に当てる。
「シロ、こっちに向かったヤヒメがまだ着いてないんだ。
シロも登山道の入口から登ってヤヒメを捜してくれないか?」
『えっ……ヤヒメちゃん、まだ着いてないの?
う、うん! 分かった!』
通話を切り、四人全員で中腹を目指す。
すると数分後──
シロから通話が来る。
『マ、マキちゃん! い、今っ、登山道の入口に着いて……!
それで、川の向こう側を見たら……ヤヒメちゃんが、倒れててっ……!!』
「何だって……!?」
私の声が驚愕で一段低く響く。
隣にいたミサとマリーの顔からみるみるうちに血の気が引いていくのがわかる。
『アスレチックに向かう道の近くだよ! 早く来て!』
「分かった!」
私たちは弾かれたように走り出した。
山道は先ほどの雨でぬかるんでおり、何度も足を取られながら懸命に坂を駆け下りる。
「ヤヒメちゃん……! ヤヒメちゃん……!」
「ヤヒメっ……!」
マリーが叫びながら先行し、それに続くようにミサが駆ける。
やがて私たちは中腹にある黒い鳥居を通り抜け、アスレチックに向かうために白い鳥居をくぐる。
泥を跳ね上げながらも木製の階段を降り切って、道の向こうに視線を向けると、
そこには誰かに呼びかけるようにしゃがみ込むシロ。
そして、そのシロの視線の先──
同じように私たちが息を止めながら目を向けたその先には──
目を閉じたまま
まるで糸の切れた人形のように倒れ込む
天刻ヤヒメの姿が、そこにはあった。
色めく木々の葉っぱから、雨の名残がヤヒメの頬をなぞるように静かに流れ落ちた。
──ピンポンパンポン。
『死体が発見されました。
一定の捜査時間の後、"魔女裁判"を行います』