「静粛に。……あっ、これ一度やってみたかったんですよね」
カンチョーが手元のガベルで机を二、三度叩く。
「……まぁ、皆さん静粛にしてるんですが。今回は遅刻者もいなくて何よりです。
遅刻も欠席も無い優等客ばかりで助かります」
「茶番は良いから早く始めなさい」
ノクスの鋭い視線がカンチョーを射抜く。
「前回遅刻をしたのはあなたなんですが……やれやれ」
そう言うと、カンチョーは改めて裁判場を見回しながら言う。
「えー、では……
三回目の魔女裁判を行います。今一度、ルールを提示しますのでご確認ください」
『魔女裁判について』
・皆様の中で殺人事件が発生した場合、一時間の捜査時間の後、
殺人事件を起こした犯人を『魔女』とみなし、『魔女裁判』が行われます。
・魔女裁判の結果は、皆様の投票により決定されます。
最も多くの票を集めた方が、犯人──「魔女」とされます。
・魔女裁判で正しい犯人を指摘した場合は、犯人だけが処刑されます。
・魔女裁判で正しい犯人を指摘できなかった場合は、犯人だけが『卒業』となります。
・その後、犯人を除いた皆様で、
「正しい犯人を指摘できなかったのは誰の責任か」を決める、『
その投票にて最も多くの票を集めた方は、犯人の代わりに処刑され、
残った皆様には引き続き共同生活を続けて頂きます。
・投票の際、「この中に魔女はいない」と判断した場合には、
誰にも票を入れない『
皆様全員が「スキップ」に投票すると、生き残っている皆様全員が『卒業』となります。
【追加・補足】
・投票の結果、最多得票者が同数となった場合は、
同票となった者のみを対象に決選投票を行います。
・魔女裁判中は、いかなる場合でも魔法の使用を禁止します。
・一度に同一の犯人が殺せるのは二人までです。
・二人以上の人間が新たに死体を発見すると、『死体発見アナウンス』が流れます。
発見者の人数は二人に限らず三人以上になる場合もあり、そこに犯人が含まれるかどうかなどは全てランダムです。
「では、静粛にしないで議論をどうぞ」
そう言いながら、またもやカンチョーは面白がるように木槌を叩く。
その軽い音が、私たちの神経を逆撫でするように法廷内に響き渡った。
「……まぁ、間違いなくストロベリーハウスにいた人間以外の犯行ね」
ライトが断定するような口調で言う。
「え、なんでや?」
「だって、ヤヒメちゃんはマスカットハウス側の、
それもかなり麓の方で、頭を殴られて死んでいたでしょう?
ストロベリーハウスからは、どうやってもその場所に行くのは時間的にも不可能だわ」
さも当然と言った風にライトは続けた。
「あ、あの……先ほど事の一部始終は聞かせて頂いたのですが……。
ヤヒメさんが倒れていた場所に至るまでのことが、あまりよく理解出来てなくて……。
その、ライトさんの言う時間的なことも含めて……」
イリスが申し訳なさそうに控えめな声を出す。
「せやな、ウチらホテル組は秋のエリアにおった面子よりは詳細に分かってへんかもしれんし……」
「うん。とりあえず、どういう流れだったのか改めて説明してほしい」
ナツミとハイジが、イリスに続けて秋のエリアにいた面々に向かって促すように話す。
「じゃあまずは、私がヤヒメちゃんを誘った経緯から話しましょうか」
ライトが軽く息を整え、視線を上に向ける。
「最初は、ミサちゃんをストロベリーハウスに誘ったのよ。
『マリーちゃんもいるし、お昼一緒にどう?』ってね」
「……うん。ライトからメッセージ来たよ」
そう言いながらミサはタブレットを取り出す。
メッセージの着信時刻は、11時42分。
内容は……今話した通り、ミサをストロベリーハウスに誘うような内容だった。
「……マリーもいるならって思って、すぐにOKの返事出した。
それで、ライトから返ってきた返信がこれ」
ミサがタブレットを皆に見せる。
『そう、マリーちゃんも喜ぶわ。
ミサちゃん、登山慣れてないでしょ?
マスカットハウスに登山のための道具が揃ってるから、見てみると良いわ』
「あぁ、マスカットハウスの玄関にあったやつね」
「確か、登山用の靴とか細い杖? みたいなのあったよね」
リンリとハイジが思い出すように言う。
「トレッキングポールね。他にも予備のレインコートなんかも備え付けられていたはずよ。
慣れない山道で怪我でもされたら困るものね」
ライトは淡々と補足する。
「……なるほど。じゃあミサ、あなたはホテルから一旦マスカットハウスを経由して、
装備を確認してからストロベリーハウスに向かったというわけね」
「……うん。ホテルからマスカットハウスまでは5分くらいだったから……。
ホテルから山頂に着くまでにかかったのが30分ちょっとかな。
……まぁ、結局装備は使わなかったけど」
ノクスの問いにミサは静かに頷く。
「私も今日、ホテルからストロベリーハウスに行ったんだけど、所要時間はミサの言う通りだ。
麓から中腹までが15分、そこから頂上までがさらに15分。合計で30分強……。
道に迷わなければ、概ねそのくらいで着くはずだ」
私はミサの言葉を裏付けるように事実を並べた。
「……それで、マスカットハウスに着く頃にライトからタブレットに通話があって。
『エレベーターで料理を送るから食べてからこない?』って誘われたんだ。
でも、食べてからすぐに登るとお腹痛くなりそうだったから、断ってそのまま出発したんだけど……」
ミサは少しだけ悔いるように視線を落とした。
もしあの時、自分が残ってヤヒメと一緒に食事をしていれば……。
そんな仮定が、彼女の沈痛な横顔から読み取れる。
「その時ミサちゃんと通話した時刻は11時50分ね。
ミサちゃんのタブレットの方にも履歴が残っているはずよ」
ライトが自分のタブレットの通話履歴を見せながら言う。
「……ちなみに、メッセージじゃなくわざわざタブレット通話にしたのは何故?」
「タブレットを持ってきているかの確認のためよ」
ノクスの質問に、ライトは迷いなく答えた。
「ミサちゃん、ストロベリーハウスに来るのは初めてでしょ?
山道は枝分かれしてる箇所もあるし、
マップを見ながらじゃないと迷うかもしれないからね」
「確かに、マップはタブレット専用でスマホじゃ見られへんしな」
ナツミが腕を組み、納得したように頷く。
「……」
「……なるほど。相手を慮っての確認、というわけね」
「……続けて良いかしら?」
「ええ」
ノクスは少し考え込んだあと、続きを促した。
ライトは一度、深く息を整える。
「ミサちゃんを誘ったあと、ヤヒメちゃんも誘おうと思ったのよ。
マリーちゃんとミサちゃんとヤヒメちゃん、いつも三人一緒で仲が良かったでしょう?
マリーちゃんも三人で温泉入りたいとも漏らしていたしね」
「……うん。いつかみんなで、ストロベリーハウスの露天風呂に入りたいね、って」
マリーは絞り出すような声で言いながら目を伏せた。
「メッセージでヤヒメちゃんを誘ったのはミサちゃんと通話した直後よ。
その後のメッセージのやり取りもミサちゃんのとほぼ同じ」
ライトは自分のスマホを見せる。
メッセージの送信時刻は、11時52分。
「それで、ヤヒメちゃんがマスカットハウスに着く頃合いにタブレットに通話をかけたの。
ヤヒメちゃんがスマホを持たないのは私も知ってたけど、タブレットなら持ってきてるだろうしね」
「それが、さっきエレベーター前で聞かせてもらったあの通話ってわけか。
えーっと、時刻は11時58分……だったっけ?」
ハイジが先ほど聞いた録音の内容を頭の中で反芻し、記憶を確かめるように確認する。
「そこでヤヒメちゃん、料理食べてから行くって言ってくれてね。
それでストロベリーハウスからエレベーターで料理を送ったの」
「ライトの言ってる事は間違いない。私もその時間にライトが送ってるところを見てるから」
私は補足するように言う。
「それで、ミサがストロベリーハウスに着いたのが麓での通話からおよそ30分後……」
「うん、マリーもその時のこと覚えてる。ミサちゃんが来たの、12時20分だった」
「それからヤヒメちゃんは一人で料理を食べて、12時40分にマスカットハウスを出発したんだね……」
ヤヒメの姿を最後に捉えた時間を再確認するように、シロは自分に言い聞かせるように呟く。
「え、えーと……つまりまとめると、どうなるんや?」
ナツミが要領を得ないといった表情で、混乱した頭を整理しようと眉根を寄せる。
「整理するわ。
11時42分:ライトがミサに誘いのメッセージを送信。
11時50分:ライトが麓のマスカットハウスに到着したミサと通話。
ミサは通話を終えた直後、山頂へ向けて出発。
11時52分:ライトがヤヒメに誘いのメッセージを送信。
11時58分:ライトがマスカットハウスに到着したヤヒメと通話。
この通話直後、ライトはストロベリーハウスからエレベーターで料理を送った。
そして──
12時20分:ミサが山頂のストロベリーハウスに到着。
12時40分:料理を食べ終えたヤヒメが、マスカットハウスを出発。これをシロが目撃。
……これが、ヤヒメの生きた姿が最後に確認された時間よ」
ノクスはそこで一度言葉を切り、法廷内を射抜くような鋭い視線で一周した。
「そして13時30分頃、そろそろストロベリーハウスに到着しても良い頃合いなのに、
ヤヒメちゃんがなかなか来ないから心配になったのよ」
ライトが思い返すように説明する。
「それで私、マキちゃんから、
ヤヒメちゃんがまだストロベリーハウスに着いてないって電話もらって……。
それが、13時35分だよ……」
「そのあとシロからまた電話が来て……ヤヒメが倒れているのを見つけたって。
13時40分、それが、ヤヒメの死体発見時刻だ……」
私は絞り出すような声で言う。
「じゃあつまり、12時40分~13時40分までの1時間の間にアリバイが無い人が犯人ってわけね。
ということは……やっぱストロベリーハウスの人間に犯行は不可能だね」
リンリが言う。
「私、ライト、マリー、ミサはその時間はずっと一緒だった」
「……でも、リンリちゃんだけは一人さっさと食べて二階へ上がっていったわね」
ライトが思い出したように呟く。
「それで、その直後にミサが来たから……二階へ行ったのは12時19分くらいか……?」
「ちょ、ちょっと!」
リンリが慌てて声を上げる。
「変な言い方しないでよ! 別にコソコソしてたわけじゃないんだから!
ただ、お腹いっぱいになったからお尻掻きながらテレビのドラマ観てただけで……」
「……誰か、リンリちゃんが二階におったでーって言える子、おる?」
──しん。
「……ほな、リンリちゃん」
「いやいやいやいや!」
リンリは食い気味に両手を振って全力で否定する。
「一人なのを良い事に、こっそりストロベリーハウスの二階から抜け出して
山を下ってヤヒメちゃんを撲殺したあと、急いで戻れば……」
ライトが顎に手を当てながら呟く。
「ちょっと待ってって! 確かに一人だったけど、それだけで犯人扱いは雑すぎでしょ!?
そもそも、ストロベリーハウスから麓までは距離があるのよ?
【時間停止】みたいな魔法があれば、急げば出来るかもしれないけど……あ!」
リンリははっと閃いたように言葉を切る。
「おい、【時間停止】の魔法使ってお前が殺したんだろ!
その魔法なら、ヤヒメを殴ってから誰にも見られずに涼しい顔でホテルに戻ることだってできるじゃない!
そもそもお前、アリバイの怪しいホテル組だし!」
「は、はぁ!?う、ウチ!?」
リンリのその怒りの矛先はナツミだった。
「ウチの魔法は最大13秒しか持たんわ! 再使用にはクールタイムも要んねんで!
そんなんより、リンリちゃんがこっそり抜け出してやったんとちゃうか!?」
「クールタイムと交互にこう、上手い具合にやれば誰にも見られずにやれんでしょ」
リンリが吐き捨てるように言う。
「だいたい、私がこっそりストロベリーハウスの二階から抜け出したとして……。
それで、帰りはどうするのよ。どうやって二階に戻るわけ?
マキ、ライト、マリー、ミサが揃ってる一階から『ちわーっす』って入るの?」
「ぐ……」
ナツミが言葉に詰まる。
確かに、ストロベリーハウスの二階に外部から侵入できる足場はなかった。
「……縄梯子」
「……え?」
マリーの呟きに、リンリが思わず目を丸くする。
「アスレチックにあった縄梯子がね、一本だけ無くなってたの。
あれって、結構長かったから、それを使えば……」
「え、ちょっと、マリー……?」
リンリが困惑と焦燥の混じった表情でマリーを凝視する。
「……二階に直接出入りできるかもってこと?」
ハイジが恐る恐る口にすると、マリーはこくりと頷いた。
一瞬、場の空気が揺れる。
「できるかもしれない」という余地が、疑いを再び膨らませる。
だが――
「……でもさ」
私は小さく口を開いた。
「流石に無理がないか?」
「……」
マリーは何も言わず、ただじっとリンリを見つめている。
「縄梯子を使って出入りは出来ても、結局山を往復しなければならない。
その間、ストロベリーハウスの二階に誰も上がってこないなんて保証はない」
「……そうだね。もし誰かが来て部屋にいないことがバレたら、それは最悪の結果だね……」
シロが私の言葉に静かに頷く。
「わざわざそんなリスクの高い賭けをリンリがするとは考えにくいわ」
ノクスが結論付けるように言った。
「っじゃあ、ヤヒメちゃんを殺したのは……」
「ホテル側の人間──ナツミちゃん、イリスちゃん、ハイジちゃん、ノクスちゃんね。
あなたたちは自由に行動できる時間がたっぷりあったもの」
マリーの言葉を継ぐように、ライトは穏やかな微笑みを浮かべて言った。
「ああそれと……肝心な子を忘れていたわ。
……ねえ、シロちゃん?」
「え……?」
ライトの視線が、ゆっくりとシロに向けられる。
「だって、最後にヤヒメちゃんを見たっていうのも、シロちゃんにしか言えないことだもの。
証人もいないなら、12時40分にヤヒメちゃんを見たって言葉自体、嘘かもしれないわ」
「そ、そんな……! 嘘なんてついてないよ! 本当に、あの時窓から……!」
シロの声が上ずり、必死に訴えかける。
だが、ライトの淡々とした理屈は容赦なくシロを刺す。
「例えば、本当はもっと早い時間にヤヒメちゃんは出発していた、とか。
あなたが嘘をついていない根拠はどこにもないわ」
「……でも、エレベーターで空の食器が送られてくるところを私は見てる」
私の言葉に、ライトの視線がこちらを向く。
「ライトがシーツカバーを布団に入れにキッチンを離れた時だ。
ちゃんとマスカットハウスからエレベーターで空の食器が運ばれてきた。
時間は……12時35分~数分以内ってところだ。
だから、少なくともその時間にはヤヒメは生きて──」
すると、ライトが首を振りながら即座に反論する。
「そんなの、ヤヒメちゃんを殺したあとに
料理を捨ててエレベーターでシロちゃんが空の食器を送ることだって可能よ。
何の根拠にもならないわ」
「そ、そんな……! 私がヤヒメちゃんを殺すなんて……っ!」
そのライトの言葉に、イリスが反論する。
「あ、あの~。シロさんが嘘をついているとして、そのメリットは何なのでしょう……?
結局そのあと誰とも会わずにマスカットハウスにいたなら、
目撃証言を偽る意味は特にないと思うのですが……」
控えめながらも鋭い指摘が飛ぶ。
「……もしシロが嘘をつくなら、
『ヤヒメがマスカットハウスに到着するその時間には自分はホテルにいた』とでも言う方がまだマシね。
わざわざ自分がヤヒメと最後に一緒にいたと思われるような、疑われやすくなる嘘を言う意味がない」
ノクスが淡々と言う。
「……ヤヒメのタブレットの発信履歴をここで確認すれば、何か分かるんじゃない?」
すると、考え込んでいたミサが静かに口を開く。
「スマホやタブレットは、他人のものは貸し借り出来ない仕様でしょ?
だったら、ヤヒメが最後に誰かに発信した履歴こそが、
ヤヒメが確実に生きていた時間の証明、ってことになる」
「……なるほど」
ミサのその指摘に、私の視線がカンチョーに移る。
「おい、魔女裁判ではちゃんと送信履歴も見られるんだよな?」
「ええ。天刻ヤヒメさんのですね? はい」
(ずいぶん手際が良いな……)
カンチョーはもはや議論の途中に突然話を振られることにも
すっかり慣れたようだった。
「えーっと、確認したところ……天刻ヤヒメさんが最後に自らの端末からアクションを起こしたのは──
発信履歴【12:37】『贄熊ライト』さんですねぇ」
「……ライト?」
私は思わずライトの方へ視線を向ける。
すると、ライトは自分のタブレットを確認すると──
「あら、本当。ヤヒメちゃんから通話の着信が来ていたわ」
みんなに見せるように掲げた画面には、
確かに12時37分にヤヒメからの不在着信が一件表示されていた。
「……話してはいないの?」
「ええ。バッテリーが切れかかっていたから、そのままリビングで充電して放置していたのよ。
彼女から通話の発信があったなんて、今の今まで気付かなかったわ」
ノクスの問いに、ライトは肩をすくめながら答える。
「ヤヒメちゃん、『今から行くよ~』って伝えようとしたのかな……」
「ええ、おそらくそういう報告の通話だったでしょうね」
ライトはマリーの呟きを拾い上げるように言う。
「時間的にも、マキさんの言うエレベーターで空の食器が運ばれてきた時間とも一致します……!」
「食べ終わって、空の食器を送りつつ12時37分にライトに通話をかけた。
ライトが出なかったから、そのまま出発して12時40分にシロが目撃……おかしなところはないわね」
ノクスがまとめるように言う。
「……でも、12時40分までは生きていたとしても、シロちゃんは容疑から外れることはないわね。
結局、そこから死体発見の13時40分までは一時間もあるもの。
その間に何があったのかは、誰も見ていないんだから」
「そ、そんな……」
ライトがシロに釘を刺すように付け加える。
「……まぁね。じゃあ結局、容疑者はあたし、シロ、ナツミ、イリス、ノクスってわけ……。
ホテル側の四人と、マスカットハウスにいたシロの五人」
ハイジがため息交じりに言う。
「ちょ、ちょっと待ってーや!
ウチはその時間はお昼食べたあと、ホテルの用具室でスポーツ道具漁りしとって……」
「だーかーら、それを証明できる人がいないからアリバイが無いんでしょ」
「うぬぬ……!?」
ナツミの言葉にリンリが語気を強める。
「ストロベリーハウスにいたライトさん達にアリバイがある以上、
消去法でそうなるのは仕方ないですね……」
イリスが目を伏せながら言う。
「……その五人で、12時40分から13時40分までの間に、
お互いの姿を見かけたり、会っていたりした人はいるかしら?」
「……」
ライトの言葉に、誰も声を発さない。
「いないようね。……つまり、その一時間、あなたたち五人は完全に自由だった。
ヤヒメちゃんを待ち伏せて撲殺することも、誰にも邪魔されずに実行できたということになるわ」
その言葉が、五人の容疑者に重い枷を嵌めていく。
「あ、あたしは自分の部屋でだらだらしてただけだから!」
ハイジが慌てて弁明する。
だが、その言葉はアリバイの証明には程遠かった。
「あ、あの……私は一応、食堂でヤヒメさんと会っています」
「え?」
イリスの言葉に、一同の視線が一斉に集まる。
「で、ですが、会ったのは11時50分ちょっと頃で……。
ヤヒメさん、限定モンブランを袋に入れて食堂を出て行かれました。
『ライトちゃんにサプライズで持って行くんだ~』と仰って、すごく嬉しそうに……」
「……」
一瞬、場が静まり返る。
「その時間にたまたま限定モンブランが置かれているのを見かけて、
そこでヤヒメさんと会って、私とヤヒメさんで一つずつ頂きました」
「……じゃあ、イリスはヤヒメがホテルから出て行くのを知ってたってことよね?
その後にこっそりヤヒメの後をつけて、タイミングを見計らって……」
「し、していません!?
その後、軽く食事をしてからモンブランを持ち帰って、自室で食べていただけで……」
リンリの言葉に、イリスは即座に否定する。
「でも、例のごとくそれを証明する人はいないのよね?」
「……証明する人がいないなら、猶更こんなことを自分から言い出したりしません!
もし私が犯人で、誰にも見られていないという確信があるのなら、
ヤヒメさんと会ったなんて事実、わざわざ自分から口にする意味なんてありませんし……っ!」
「……う~ん」
顔を真っ赤にして、イリスはリンリに食い下がった。
「……何にせよ、ホテル組の四人とシロちゃん。その一時間、誰とも会ってへんのやったら、
誰がヤヒメちゃんを撲殺したかなんて、結局証拠不十分で分かりようないで……」
ナツミが投げやりなため息まじりに、重苦しい空気を代弁するように言った。
すると──
「……ちょっと待って」
凛とした、冷たい声が裁判場に響く。
その声の主──ノクスの方を全員が一斉に見る。
「そもそも、ヤヒメは本当に撲殺されたのかしら?」
「……え?」
その場にいた誰かの声がわずかに漏れる。
「何を言っているの、ノクスちゃん。
彼女の頭部にはひどい外傷があったわ。あれが間違いなく致命傷のはずよ」
ライトが眉をひそめながら言い返す。
「何も、死因そのものは疑ってはいないわ。私も頭部の傷が致命傷だと考えている。
問題は……その傷がどうやって出来たのか、ということよ」
場が静まり返る。
「……どうやってって……普通に考えたら、誰かに殴られたんじゃないの……?」
ハイジが戸惑いながら口を開く。
するとノクスはタブレットに視線を落としながら続ける。
「ヤヒメが何者かに殴られて殺されたとするなら、不自然な部分がある。
一つは、死体の発見現場よ」
そして、タブレットをこちらに向けながら説明を始める。
「ヤヒメは、アスレチックに向かう途中に道の真ん中に倒れていた。
……なんでこんな場所に死体があったのかしら?」
ノクスがみんなに問いかける。
「だ、誰かが殺してここまで運んだんじゃないですか……?」
イリスがおどおどした口調で推測を口にする。
すると、ノクスは即座に反論する。
「ここは麓から15分もかかる登山の中腹からも、それなりに距離がある場所よ。
マスカットハウスから来るにしても、腰まである深さの川を渡らないといけない。
わざわざここに運ぶメリットは薄い」
ノクスは地図を映し出し、移動経路の不自然さを強調する。
「殺すだけなら、ヤヒメがホテルからマスカットハウスへ向かう道中で襲えばいい。
もしホテル側の人間の犯行なら、ものの数分で犯行が可能だわ」
「ん~ほんなら、死体が見つかりにくいこの場所に、
一緒に行くなりして誘い込んでから殺したとか?
ほら、ここってシロちゃんの言うてた通り、マスカットハウスからは見えへんかったやん?」
ナツミがシロに視線を移しながら問いかけると、シロはこくこくと頷いた。
「……見つかりにくいところに誘い込んだにしては、死体は道の真ん中に倒れてあった。
死体の隠ぺいが目的だったら、横の茂みにでも隠しておくはずよ」
「じゃあ、何でこんなところにヤヒメちゃんが……?」
マリーの問いに、ノクスは確信を持ったように言い放った。
「私が思うに──"結果的に"この場所に死体が出現した」
「それは……どういう意味かしら?」
ライトが小首を傾げ、探るような視線をノクスに送る。
「……ヤヒメの体は、上から降ってきたってことよ」
「……降ってきたぁ!?」
ナツミが素っ頓狂な声を上げる。
「そんな、降ってきたって……怪奇現象じゃないんだから」
リンリが半ば呆れたように肩をすくめ、首を振る。
けれど──
私の脳裏には、あの現場の違和感が一つの線となって繋がり始めていた。
「私もノクスの意見に賛成だ」
私はそう言いながら、タブレットの地図を表示させる。
「ヤヒメが倒れてたところから十数メートル上のこの場所……。
中腹から右の白い鳥居をくぐって、左のルートを進んだ先に、
道が崩れたような跡があったんだ」
私の言葉を継ぐようにノクスは続ける。
「その崩落箇所から下を見下ろすと、
ちょうどヤヒメが倒れていた場所とほぼ垂直の位置関係にあったわ。
つまり、彼女はあの崖の上から、アスレチックに向かう途中の道へと落下した可能性がある」
そう言うと、ノクスは捜査の時にスマホで撮影していた崩落個所の画像をみんなに見せる。
抉られた足場に、崩れた地面。
その下に続くのは急斜面。
「ほ、ほんまや……ぽっかり穴空いとるで……」
「え、じゃあヤヒメちゃんはここから落ちて……?」
顔を青ざめさせながらナツミとマリーは呟く。
「ああ。あの頭の傷も、落下の衝撃で頭を強く打ったと考えれば、辻褄も合う」
「……っ」
ミサが息を飲む。
──裁判場に沈黙が走る。
「……ちょっと良いかしら?」
その沈黙を破ったのは、ライトだった。
「もしヤヒメちゃんがそこから落ちたとしたら……少し不自然じゃないかしら?」
ライトは、スマホで撮影していたらしいヤヒメの死体写真を見せる。
「……見て。ヤヒメちゃんの体には、目立った擦り傷や切り傷といった外傷がほとんど見当たらないわ。
汚れこそしていたけれど、衣服にすら傷も破れた痕跡すら見当たらない。
あったのは、あの致命傷と見られる後頭部の深い傷だけ……」
ライトは顔を上げ、私とノクスを交互に見つめた。
「そんなに高い崖から転げ落ちたのなら……
途中の岩や枝に体や衣服をぶつけて、もっとボロボロになっているはずじゃない?
体や衣服は無傷で頭だけを打つなんて……そんな奇跡、あり得るのかしら?」
「……た、確かに」
「せやな……」
ライトの反論に、ナツミとハイジが顔を見合わせる。
確かに、あの崖は真っ逆さまに落ちる絶壁ではなく、ところどころに岩が突き出した険しい斜面だった。
そこを滑落したにしては、遺体はあまりにも綺麗すぎる。
「ふふ……鋭いわね、ライト」
ノクスが挑発的な笑みを唇の端に浮かべる。
「でも、その疑問はある前提に立っている」
「……前提?」
ライトが目を細める。
「ええ。ヤヒメが"何もしなかった"という前提よ」
「な、何もしなかったって……?」
シロが戸惑いの声を漏らすと、ノクスはゆっくりと首を振った。
「落下の瞬間、人は本能的に身を守ろうとする。
その時、ヤヒメが"何の行動も取らなかった"と考える方が不自然よ」
すると――
「……【物質強化】」
ミサが静かに呟く。
ノクスはミサの方を向き、頷きながら答える。
「そう。彼女は【物質強化】の魔法が使える。
落ちる直前に、咄嗟に助かろうとして──
自分の"衣服"に【物質強化】の魔法を施したとしたら……」
「……!」
場の空気が変わる。
「……それなら、衣服や体に傷がなくてもおかしくないね」
ミサがノクスに追従するように言う。
「ヤヒメの死体を見ると、後頭部や耳の周辺には小さな擦過傷がいくつも見られたわ。
殴打による致命傷なら、打撃痕は頭部の一点に集中するはず。
誰かに殴られて、ただその場で倒れたのなら……こんな傷のつき方はしない。
むしろ、硬い面に接触しながら複数回ぶつかった痕跡と見る方が自然よ」
淡々とノクスは続ける。
「そして、頭部は最も保護が難しい部位よ。
衣服で覆われている範囲は守れても、露出している部分までは間に合わない可能性が高い。
服を強化したため、首から下に傷はない。だけど頭部だけはどうしても守り切れず、
頭を岩肌に打ち付けて……死んでしまった」
「……」
裁判場を支配していた、「殴打による殺害」という前提が、ガラガラと音を立てて崩れ去る。
「……まぁ、彼女の【物質強化】の魔法は、
外から加わった衝撃だけは内側まで伝わる性質があるから……どちらにせよ、
頭を打たなくても、体に伝わる衝撃で命を落としていた可能性もあるわ」
ノクスが目を伏せながら言う。
「……じゃあ、ヤヒメちゃんは事故で死んじゃったってこと……?」
静かな裁判場に、マリーの消え入りそうな声が響く。
「道を間違えちゃって……それで、そんな危ない道を通っちゃったから……。
それで、落ちちゃったの……? 誰かに殺されたんじゃなくて、ただの不運だったの……?」
その言葉は、どこか救いを求めるようでもあった。
震えるマリーの問いに、法廷内の誰もが口を閉ざした。
だが――
「……いいえ」
その淡い希望を、ノクスが静かに断ち切る。
「それは違うわ」
「……え……?」
マリーが顔を上げる。
私は胸の奥を締め付けられるような苦しい気持ちを抑えて、ノクスの言葉に続けた。
「マリー。私もシロとノクスの三人でその崩落現場を見たんだけど……。
穴が開いていたすぐ下の斜面に、薄い板みたいなのが引っかかってたんだ」
「板……?」
「庇みたいなさ。まるで……"落とし穴の蓋"みたいな」
ざわ、と空気が揺れる。
「そ、それって……誰かが意図的に穴を作って……
それで穴を隠していたってことですか……!?」
イリスが驚愕に打ち震えながら声を上げる。
「ほなそれ……完全に罠やん……」
「言われてみれば……穴も自然に出来た感じじゃなかったかも……」
ナツミとシロが、顔を強張らせながらイリスの言葉に続く。
「で、でもさ、この場所って先は行き止まりだし、絶対に通らないような場所じゃね?
誰かがここに落とし穴を設置したとしても、そんな場所を誰かが通るまで辛抱強く待つってこと?
それって効率悪いって言うか、現実的じゃないっていうか……ちょっとどうなん……?」
ハイジが眉をひそめながら、もっともな疑問を口にする。
「むしろ、無理やりこの位置にまで連れ去られて、そこから落とされたと考える方がしっくり来るわね」
ライトがハイジに同調する。
「……いや。ヤヒメは……自分の足でそこに行ったのかも」
私が呟く。
「だって、普通なら絶対通らない道だからこそ不自然なんだよ。
誰かに誘導されて、ここを通ったとしか思えない」
私の言葉に、ノクスが頷く。
「私もマキの意見に賛成よ。
正しくは……"道を間違えるように"誘導された」
ノクスが結論付けるように言った。
「それって……決定的な根拠はあるの?」
ミサがノクスに問いかける。
「せやせや。いくらヤヒメちゃんが普段ぽやっとしてるからって、地図見ながら道を間違えたりせんやろ。
ライトちゃんも事前に分かりやすく道教えてあげてたし」
「……そだね。タブレットのマップは、自分の現在位置も点滅して教えてくれるし」
ナツミとハイジは口々に言う。
地図があり、現在地が分かり、さらに事前に道順まで教えられている。
それでこんな場所にまで足を踏み入れる――
そんなことは本来あり得ない。
すると、ノクスはライトに向かって問いかける。
「……確か、ライト。あなたはヤヒメにこう教えたのよね?
『中腹には黒い鳥居と白い鳥居がある。
黒い鳥居をくぐってくる方が、ストロベリーハウスへは近い』と」
「ええ、そうよ。不安ならもう一度通話を聞く?」
「結構よ」
ノクスはぴしゃりと言い放つ。
「この言葉を聞いて、ヤヒメは右の鳥居をくぐった可能性があるわ」
「……」
一瞬の静寂のあと、口々に疑問が飛ぶ。
「え、ど、どういうこと? それのどこがおかしいの?」
「黒い鳥居って左の鳥居でしょ?
普通にそっちくぐる方がストロベリーハウスへは近いじゃん」
リンリとハイジが小首を傾げながら問う。
するとノクスは事前に撮っていた鳥居の画像を出す。
それは捜査中に撮影した二つの鳥居を、比較のために一枚に編集したものだ。
「この左の黒い鳥居が、ストロベリーハウスへは近いのよね?」
ノクスはみんなに問いかける。
「だからそうやって!
もしかして、ヤヒメちゃんが"黒"と"白"を聞き間違えたってことが言いたいん?」
ナツミがじれったそうに声を荒らげる。
「いいえ、聞き間違いなんていう不確かなものではないわ。
私が言いたいのは、彼女の聴覚ではなく、視覚に齟齬が起きていたということよ」
そして、結論付けるように言った。
「彼女がここを通りかかった瞬間、この鳥居には、
緻密な計算に基づいた"色"が塗られていたということよ」
「色が……?」
ナツミが呆気にとられたようにその言葉を繰り返す。
「そして、その鳥居に塗られた色によってヤヒメは道を誤認させられた……。
その結果、右の鳥居をくぐってしまった」
ノクスは裁判場をゆっくりと見回した。
シロはしばらく考え込んだあと、疑問を口にする。
「でも、色を塗るにしても、
右の白い鳥居ってマスカットハウスからずっと見えてたし……」
「……ついでに言えば、ストロベリーハウスの窓からも見えるよ、その鳥居。
流石に色塗ってあったら、窓から鳥居が目に入った時にバレるでしょ」
そのシロの疑問に重ねるように、腕を組みながらリンリは言った。
すると、ノクスはゆっくりと口を開く。
「……そうね。だからこそ、右の鳥居には手を加えられない」
「……え?」
シロは戸惑うように声を漏らす。
「それと、これは右の鳥居は白い鳥居じゃない。正確には──"灰色の鳥居"よ」
「……えっと、まぁ、確かに……?」
ノクスは無言でスマホを操作し、画像の色彩を調整する。
「じゃあ……左の黒い鳥居に色が塗られていたとしたら?
例えば──こんなね」
「こ、これって……!」
そこには──
左側には、真っ白に塗り潰された鳥居。
そして右側には、それとの対比によって黒にも見える、くすんだ灰色の鳥居が並んでいた。
「……左が白……右が……黒……?
色が逆転しとる……!?」
ナツミの目が見開かれる。
「そう。『対比効果』よ。
人間は色を絶対的なものとしてではなく、他の色との相対的な関係で認識することがある。
左にある本来の黒い鳥居を白く塗り潰すだけで、
右にある元々曖昧な色の灰色の鳥居は、脳内で"黒"へと補正されてしまう」
そしてノクスは裁判場を見回しながら、皆に問いかける。
「そうやって片方の鳥居に色を塗ることで、鳥居の位置を逆転させたのよ
『黒い方の鳥居をくぐって来い』。……さっきの言葉を信じていたヤヒメちゃんが、
この二つの鳥居を目の当たりにしたら、彼女はどっちに向かうと思う?」
「……右、だね……」
「……右」
ハイジとリンリが呆然と呟く。
「それに……あの中腹には、上下が黒と白の妙なクマの像があった。あの像のせいで、
ヤヒメが鳥居の色を白色と灰色じゃなく、白色と黒色だと勘違いするのも無理はなかった……」
淡々と説明をするノクスに、私は続けて言う。
「……ちなみに、シロとマスカットハウスの三階にある美術室を調べたとき
白い塗料の入っていたと思われる、空っぽ容器が見つかった。
多分、それで塗ったんだと思う」
「う、うん! マキちゃんと一緒に美術室を調べた時に見たよ~。
かなりの大容量だったから、あの鳥居でも塗り潰せたと思う……」
シロが力強く頷く。
「……でも、あの鳥居って3メートル以上はあったよね?
そんな大きい鳥居にどうやって色を塗ったの?」
ハイジが首を傾げながら私に向かって問いかける。
……でも、私には心当たりがあった。
「秋のエリアを初めて見て回った日、ストロベリーハウスの倉庫に"噴霧器"があったのを見てるんだ。
手動で圧力をかけて、長いノズルを伸ばして液体を霧状に吹き出すタイプのやつ。
あれに水で溶いた白い塗料を詰めれば、高い場所にある鳥居だって、ものの数分で染められる」
「な、なるほど……それなら手が届かない場所でも、一気に塗れるってわけか」
ハイジは納得したように腕を組む。
「……ついでに言えば、そこにはスコップやツルハシなんかもあったから……。
穴を掘って、落とし穴を作るための道具も揃ってたと思う」
「落とし穴説、更に真実味を帯びてきよったな……」
私の言葉に、ナツミが強張った顔で呟く。
「ということは……私がそう言ってヤヒメちゃんを道案内するのを見越して、
誰かがヤヒメちゃんが来るまでに左の鳥居を真っ白に塗ったってこと?」
ライトが困惑したように言う。
「なんちゅーずる賢いやっちゃ……」
ナツミが腕を組み、怫然とした様子で唸る。
「……でも」
ひとしきり考える素振りを見せたあと、ライトがふと顔を上げる。
「それなら、私たちが見たときもその鳥居は白くなってるはずじゃない?
私たちがヤヒメちゃんを捜しにストロベリーハウスを出て、黒い鳥居をくぐった時は、
ちゃんと黒い鳥居のままだったわよ」
そこに、私はすかさず言葉を返す。
「私が見つけた白い塗料はただ白い塗料じゃない。
『ポスターカラーより良く落ちる』って謳い文句が書かれていた。
つまり──簡単に水で流れ落ちる、水溶性の特殊な塗料だったんだ」
私は記憶を辿るように続ける。
「あの時、マリーの【天候操作】の魔法によって雨が降った直後だった……。
白く塗られていた鳥居も、その雨によって塗料が流れ落ち、元の黒の鳥居に戻っていたんだ」
「え、じゃ、じゃあ……マリーのせい……?
マリーが雨を降らせちゃったから、証拠が消えちゃったの……?」
ライトは首を振りながら否定する。
「自分を責めないで、マリーちゃん。あの時は、たまたま水不足になったから仕方ないわ。
マリーちゃんのせいじゃないわよ」
「……」
ノクスは静かにその様子を見つめていた。
「……色が逆転した鳥居をヤヒメが見て、右の鳥居をくぐったのは分かったけど……。
それなら、なんでそこから左の方へ進んだの?
あの先は崖で明らかに道が途切れてるし、行けっこないのに……」
するとミサが険しい表情で、核心を突くような疑問をぶつけた。
「うーん、そうだね……普通ならそのまま右のアスレチックの道へ進むか、
『あれ? 左の鳥居くぐる方がストロベリーハウス近くね?』ってなって引き返すよね……」
ミサと同じくハイジも腕を組み、その疑問を口にする。
(……その通りだ)
右の鳥居をくぐった先にあるのは、アスレチックへ続く右の下りの道と、
かつての崩落現場で、その先は行き止まりになっている左の登りの道。
――それなのに、ヤヒメは迷わず行き止まりの左の道へと進んだ。
立ち止まることも、不審に思うこともなく、吸い込まれるように崖へと向かった。
「…………」
沈黙が裁判場を支配する。
──その静寂を切り裂くように、ノクスが冷徹な声を響かせた。
「……いいえ。彼女は"引き返す"という選択肢すら持っていなかったのよ。
なぜなら、彼女の主観において、そこは行き止まりなどではなかったのだから」
「え……? でも、現に道は崩れてるじゃない」
ノクスの言葉に、リンリが腕を組みながら反論する。
「現実がどうあれ関係ないわ。ヤヒメは自分の目に映る情報を信じた。
……いえ、信じ込まされたのよ。肉眼で見る景色よりも、手元のタブレットが示すものをね」
ノクスは確信を込めて呟く。
リンリは一瞬、タブレットの地図に視線を落とす。
「……ヤヒメは、その行き止まりの先の道が、"繋がっている"と思い込んでいたのかもしれないわ」
「道が……繋がっている?」
そう聞き返しながら、リンリは穴が開くほどにタブレットのマップを見る。
その視線の先は……カーブと行き止まりの道が近く隣接する箇所。
「……む、むむ……何かが私の中で……シナプスがどうのこうの……ナニコレ、既視感?」
「どうしたんや、リンリちゃん」
ナツミが怪訝な顔で覗き込む。
「いや、なんか……この時のために私は、
あのまいぎり式の火起こし器と数時間も格闘させられていた……そんな気がするのよ……!」
「何言うとんや頭おかしなったんとちゃうんか(そうなんや、あんまり無理したらあかんで)」
「お前は本音と建前が逆転してんだよ」
ナツミに視線もくれずに切り捨て、リンリはマップをじっと見る。
すると──
「おわああああああああああ!?」
突然、爆発した。
「ど、どうしたのリンリちゃん!?いきなり大声出して……!」
シロが飛び上がらんばかりに驚き、困惑したようにリンリを見る。
「こ、ここっ! ここ、こ、こここ!!」
「ニワトリ?」
「どないしたんやほんまに……情緒不安定にもほどがあるで……」
言葉が思考についていけず、リンリは口をパクパクさせている。
「こ、ここよっ! この箇所! こうやって隠すと……!」
リンリは震える指先をタブレットの画面に叩きつけた。
マップ上の崖へと突き当たる行き止まりの角──
そして折れ曲がったカーブの接点を、その指で覆い隠す。
すると──
「……あっ!」
私を含めて、裁判場の誰もが息を呑んだ。
一瞬でその見え方が変わった。
指によって行き止まりの先の空間が物理的に遮断された瞬間、
画面上の道は、まるで最初からそうであったかのように
ストロベリーハウスへのショートカットルートへと変貌したのだ。
「……繋がってる……!
道が……ストロベリーハウスに向かって伸びてるように見える……!」
シロの震える声が響く。
「そうよ! こうなったら、誰だってこっちが近道だと思うわ!」
リンリが鼻息荒く叫ぶ。
「……『空間補完効果』。脳が勝手に"見えない部分"を、
都合の良い最短の道で繋がっているように補い、補完してしまった」
ノクスが静かに言葉を重ねる。
「ヤヒメはストロベリーハウスに行くのは初めてだった。
本来の地形がどうなっているか、その詳細を彼女は完全に把握していなかったはずよ。
その上、『黒い鳥居をくぐる方が近い』とまで言われ、先入観すら抱いていた……」
「は~……そら、ヤヒメちゃんも上の道行くわな……。ちゅーかよう気付けたなリンリちゃん!」
ナツミが心底感心したように、目を丸くしてリンリの方を見る。
「ふふん。キャンプの時、たまたまこんな模様の木片に、火起こし器でしゅこしゅこやってたのよ。
手が疲れて休んだりしてる時、ぼーっと木片をみたら……
『あれ、なんか繋がってるように見えるな~……』ってね!」
胸を張り、鼻を高くしながらリンリは得意そうに言い放つ。
「ここまでの事をまとめると、
『黒い鳥居と白い鳥居のうち、黒い鳥居の方をくぐる方がストロベリーハウスへは近い』
という言葉は……私たちとヤヒメとで、このように認識の齟齬が起きていたのよ」
「対比効果だけだと、『この鳥居は灰色だけど、本当にこっちで良いのか』という微かな疑惑が生まれる。
けれど、そこに空間補完効果が加わると、先入観も相まって
『この灰色の鳥居こそが黒い鳥居だ』と信じて疑わない」
ノクスはマップを見ながら言う。
「……逆も同じ。空間補完効果だけだと、
『もしかしたら道は繋がってないのかもしれない』と思ってしまう。
けれど、対比効果の錯覚によって『黒い鳥居の方が近い』なんて言葉を聞いたら、
これも先入観によって『絶対に繋がってる』と思い込んでしまう……。
互いに補い合う、二重の認知バイアスね」
法廷に重たい沈黙が広がる。
誰もが同じ光景を脳裏に浮かべていた。
ストロベリーハウス側から、
マスカットハウス側へと墜落死してしまった、彼女のことを。
ヤヒメが迷うことなく正しいと思い込んでいた道を選び、信じ――
そして、そのまま消えていった瞬間を。