魔女ノイナイ魔女裁判   作:テラウラ

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生ける魔女の死 Part3

食事を終え、トレイの上には綺麗に空になった皿が並ぶ。

 

「はぁ~満腹ぅ」

「カレーって、お代わり前提の食べ物やな~」

 

ハイジとナツミが椅子へ満足そうにもたれ掛かる。

 

とんかつを綺麗に平らげた私は、ナツミたちのカレーの匂いの誘惑に勝てず、

結局大盛りカツカレーをおかわりしてしまった。

 

カチャ、と周囲でもカトラリーを置く音が重なり、

ランチタイムの終わりの雰囲気が食堂内を包み込んだ。

 

「やっぱり人間、温かい食べ物食べないと気力も湧いてこないわね~」

「パスタって"温かい食べ物"に入りますっけ……? まぁ、温かいですけれど……」

 

リンリが大きく背伸びをし、イリスが食後のコーヒーをゆっくりと口に運んでいる。

 

「……マリー、キャベツは?」

「……」

 

ミサに言われ、マリーは露骨に視線を逸らした。

皿の端には、綺麗に残された千切りキャベツの山。

結局、キャベツは一切れすら口に運ばれることはなかった。

 

「お留守番がんばったもんね~」

 

シロはと言うと、虫かごを膝に置き、

輪切りにされたバナナに乗り舌を出して美味しそうに舐めているぞーちゃんを眺めている。

 

食堂全体の空気が少しだけ柔らかくなったのを見計らったように、

ノクスが空になったシチューの器を静かに脇へと退けた。

 

「さて。お腹も膨れて頭も回るようになったところで、本題に入りましょうか」

 

ノクスの声が響き、食堂の空気が少しだけ引き締まる。

 

「うん? 本題ってなんや?」

「ばっか、これからのことについてでしょ」

 

疑問符を浮かべるナツミに、リンリが呆れたようにツッコむ。

ノクスはリンリの言葉に頷きながら続ける。

 

「『冬のエリア』が開放されて、一通りこの島の全貌は明らかになったわけだけど……。

 結局、どこにも脱出できる突破口は見つけられなかった。

 それで、私たちはこれからどういうスタンスでこの生活に臨んでいけばいいか、よ」

 

食堂が静まり返る。

さっきまで漂っていた昼食後の穏やかな空気が、少しずつ現実へ引き戻されていく。

 

「もう『立入禁止』だったエリアも全部見て回ったしね。

 あと行ったことないのは……あぁ、

 なんかホテルの外れにぽつんとあった、灰色の建物がそうだっけ。

 あそこからも出られそうにないしなぁ」

 

リンリがため息をつきながら言う。

 

その言葉に、私もふと思い出す。

この島を探索した時に見かけた──カンチョーが何やら紙束のようなものを持って入っていった、あの建物。

入口には『立入禁止』の貼り紙が貼られ、未だに中には入れない。

だが、海にも面していないその建物から脱出できるとは到底考えられない。

島の内陸部にひっそりと佇むただの不審な建造物──おそらくは、管理施設か何かなのだろう。

 

「う~ん、じゃあほんまにこのまま一生この島で暮らすしかない、っちゅーことか……」

 

ナツミが腕を組みながら考え込む。

 

「一生ここで、ですか……」

 

イリスは考え込むような表情を浮かべる。

 

「でも──」

 

すると、マリーが重い口を開いた。

 

「マリー、このままみんなで平和に暮らすのが一番だと思う。

 また誰かがいなくなるなんて、絶対に嫌だよ……」

「マリー……」

 

ミサが沈痛な面持ちでマリーを見つめる。

 

あれほど「この島から出て、私たちとお泊り会をする」と、元気よく口にしていたのに

今はもうこの島に残る事を決心してしまっている。

 

それほど、ヤヒメの死が彼女の心に重い影を落としているのだろう。

 

また誰かが死んで、あの地獄のような裁判を繰り返すくらいなら、

自由を奪われてでもこれ以上誰も傷つかない平和を選びたい──

マリーの小さな肩から、そんな痛々しいほどの諦念が伝わってくる。

 

……私だってそうだ。

 

もうあんな悲劇は御免だった。

この島に一生閉じ込められる恐怖より、

昨日まで隣で笑っていた仲間がいなくなってしまう恐怖の方が、何百倍も私の心を蝕んでくる。

 

「せやな。仲良く平和に過ごすんが一番やで」

「ちょ、ちょっとナツミ! 脱出諦めるの?」

 

あっさり言うナツミにリンリが食い下がる。

 

「いやーせやけど、現状衣食住は事足りとるしなぁ……。

 まぁ、家族と話せんのはアレやけど……月1とかで面会できんかな?」

 

ナツミは頭の後ろで手を組みながら天井を見上げた。

頭の鈴がちりんと鳴る。

 

「そんな、刑務所じゃないんだから……。

 なんかあたしたち、最初は牢屋敷行きが決まってたらしいけどさ」

 

ハイジが呆れたようにため息をつく。

 

「せやせや、カンチョーもそう言うとったやろ?

 それに比べたらこの生活も悪ないんちゃうかなって」

 

あっけらかんとナツミは言う。

 

「分かってないわねー。ナツミ、この島での生活なんていつか絶対飽きるわよ?

 一生ずっとこの島の中だけで生活なんて」

 

リンリが頬杖をつきながら言い返す。

 

「外にも出られないし、新しい人間関係もない。行ける場所も限られてる。

 そんなの、そのうち絶対うんざりするって」

「うーん……まぁ確かに、刺激は少ないかぁ」

 

ナツミも流石に少し考え込む。

 

「わ、私も……どちらかというと、この島で平和に生活していくのが良いかなと思っています……。

 元々、あまり積極的に外に出るタイプではなかったものですから……」

「あ、それはあたしも。インドア派はこの島でずっと生活するのにあんま抵抗ないよねー。

 ……まぁ、"むちプリ"成分は定期的に摂取したいけど」

 

おずおずと手を挙げるイリスに、ハイジが同意する。

 

マリー、ナツミ、イリス、ハイジ。

少しずつ「この島に残る」という選択肢に傾いていくみんなの様子が感じられた。

 

「……ともかく、"この中の誰かを殺してここから出よう"なんて考えは絶対に駄目。

 人を殺した罪の十字架は、一生自分自身を縛り続けるわ」

 

ノクスは全員の顔を一人ひとり確認するように見つめながら、諭すように言葉を紡いだ。

 

「私も、ノクスの意見に賛成だ。

 ……"魔女化"は、強いストレスによって進行する」

 

私は、思い出したくないライトの最期を脳裏の端に浮かべながら続ける。

あの、絶望とストレスの果てに異形へと変わってしまったライトの姿を。

 

「だから、もしもどうしてもこの島から出たい理由がある人や、我慢できないことがあったら……。

 ひとまず、自分だけで抱え込まずに、私たちに相談してほしい。

 人に話すだけでも、負担は軽くなるはずだから」

 

私はみんなの顔を見据えながら言った。

 

「……ええ、そうね」

 

ノクスが小さく頷く。

 

私の言葉に、シロが続ける。

 

「……うん! そうやって協力し合って、みんなで結束して辛抱強く待ってれば……

 いつかは脱出の手がかりも見つかるもん!」

 

すると、ナツミがポンと拳を叩き、沈みかけた空気を完全に吹き飛ばすような大声をあげた。

 

「よっしゃ! ウチ良い作戦閃いたで~。

 作戦名は……『みんな仲良し作戦ver.2』や!」

「出た……」

 

リンリがどこか呆れたような声を漏らし、額を押さえた。

 

「なんでそんな反応やねん!

 まぁええ……今後はみんなで協力! なんかあったら相談! そして適度に遊ぶ! 

 これが『みんな仲良し作戦ver.2』の全貌や!」

「さ、作戦名はともかく、私もマキさんやナツミさんに賛成です!」

「ま、人に話せば少しは楽になるもんねぃ。

 あたしも時々愚痴らせてもらお」

 

ナツミの威勢のいい声に釣られてか、イリスとハイジの声色も先ほどより少し明るかった。

 

「決まりやな! ほな、その作戦の第一歩っちゅーことで……。

 早速冬のエリアで遊び倒そか!」

「え、えー……。遊ぶのは良いけど、わざわざ寒いとこ行くの?」

 

ナツミの提案に、ハイジが露骨に微妙な顔をする。

 

「お腹膨れたら、寒いとこでも遊びたなってきてなー。

 だって雪やで雪! ウチの住んどったとことか滅多に積もらんねんで!

 ソリ! 雪合戦! かまくら! あとなんか雪にダイブするやつ!」

「……はぁ。ほんと、そのエネルギーが羨ましいよ。

 マリーもさ、気分転換がてら一緒に行こ」

 

ナツミは鼻息を荒くして身を乗り出す。

その無邪気なエネルギーに押されてか、ミサはため息をつきつつ、どこか楽しそうな表情を隠しきれていなかった。

 

「うん。行く。一緒に遊ぶ」

 

ミサに促され、マリーは小さくにこくりと頷いた。

 

「私も遊びたい! マキちゃんも一緒に行くよね?」

「え? あ、うん、行くよ」

 

不意を突かれて少し慌ててしまったけれど、シロの笑顔につられてつい頷く。

暗い雰囲気のままでいるより、ナツミの言う通り、一度みんなで息抜きをするのは良いことかもしれない。

 

「うーん、正直あたしは乗り気じゃないんだけど……」

「私も……あっ、そうだ。ハイジ……ごにょごにょ」

 

何やらリンリがハイジに耳打ちをしている。

 

「な、なるほど……そういう楽しみ方も、アリ、か……?」

「結構楽しいわよ」

 

二人が妙に悪い顔で頷き合っている。

 

「こらそこー! 何悪だくみしとんねん!?みんなに相談はどないしてん!」

「別に悪だくみってほどのことじゃないわよ。

 今日くらいはナツミの提案に乗ってあげても良いかもねってね」

 

リンリが何かを誤魔化すように言う。

 

「ほ、ほーん? ほんならええねんけど?

 でも、無理して冬のエリア行かんでもええんやで?」

「いやいや、友達付き合いは大事にしないとじゃん。

 じゃ、準備したらあたしたちも冬のエリア行きますかね~」

 

ハイジがゆっくりと椅子から立ち上がる。

 

「な、何だか不穏な空気を感じますが……私もお供させてください、ナツミさん!」

「イリスちゃんも大歓迎やで~! ほな、早速みんなで行こか!」

 

そう言って勢いよく立ち上がると、ナツミはそのまま食堂出口を指差した。

 

「目指すは冬のエリア! 雪遊び大会の始まりやー!」

「うぉー!」

 

シロがノリ良く拳を上げる。

 

みんなはトレイを返却口へ置いたあと、ぞろぞろとその後へ続いていった。

 

「マキ、少し良いかしら」

 

私も同じようにトレイを置こうとすると、ノクスから小さく、囁くように声をかけられた。

 

「冬のエリアに行く前に、このあと、春のエリアの砂浜に来てくれないかしら。

 出来れば、誰にも聞かれず、見られないような場所で話がしたいの」

「え、べ、別に良いけど……」

 

私はノクスからの急な誘いに困惑しつつ、承諾する。

 

「ありがとう。じゃあ、先に行って待ってるわね」

 

ノクスはそれだけ言うと、静かに食堂を後にした。

 

「……」

 

私はその背中をぼんやり見送る。

 

(ただの世間話、じゃないよな……)

 

食堂に残された私は、手に残ったトレイを返却口へと戻す。

 

私は妙に緊張した心を落ち着かせ、春のエリアの砂浜へと向かった。

 

 

白いサンゴの砂浜が広がる波打ち際に、ノクスは立っていた。

 

何やらサンゴの死骸を足で均すようなことをしている。

 

「ノクス、何してるんだ……?」

「……警戒しすぎだと思われるかもしれないけれど、

 このあたりに隠しカメラや集音マイクの類が設置されていないか調べていたのよ」

「えっ、こんなところに?」

 

周囲を見回す私に、ノクスは足元のサンゴをちょんと足で蹴りながら続ける。

 

「一応念のためにざっと砂浜を見てみたけれど、流石に何も仕掛けられてないわね。

 まぁ、この島の全土にそんな仕掛けをしたら、モニターがいくつあっても足りないだろうしね」

 

やや冗談っぽく、少し笑いながら言う。

 

「確かにカンチョーは『ありとあらゆる場所に隠しカメラがある』って言ってたけど、

 流石にどんな場所にもあるわけじゃないでしょ」

「そうね。……だからこそ、ここで話したいの」

 

少しの笑みから一転、ノクスは真剣な眼差しになる。

 

「それってつまり……カンチョーとかホテル側に聞かれたくない話だよね?」

「ええ」

 

ノクスは短く頷いた。

 

「……単刀直入に言うわ」

 

ノクスは一度、周囲へ視線を巡らせる。

そしてはっきりと言った。

 

「私たちの中に、"運営側の人間"が紛れ込んでいる可能性があると思っているの」

「……っ」

 

私は息を呑む。

 

「な、内通者ってこと……? でも、どうして……」

「覚えているかしら。最初の魔女裁判の──影津アテナへの謎の一票を」

「う、うん」

 

私の返事を聞いたノクスは、淡々と続ける。

 

「思い出したの。あの時点で、カンチョー側はまだ

 "投票結果は匿名で表示される"のを明かしていなかったということを。

 それがようやく明らかになったのは、投票結果が表示されたとき」

 

そして、ノクスは順序立てて説明する。

 

「投票前の雰囲気は、"みんなで足並みを揃えて『スキップ』に入れよう"ということになっていたわね?」

「ああ。アテナの提案で、『スキップ投票を揃えれば、全員揃って卒業出来る』

 って言葉を聞いたみんなが、その提案に乗ろうとしたことは覚えてる。

 結局、アテナに投票したノクス、リンリ、ライト以外はみんな賛成してたよね」

「ええ。もしここで、投票結果に誰が誰に投票したのか開示されるのだとしたら、

 投票前に『スキップしよう』、『スキップに入れた』なんて言っておきながら、

 アテナに投票した投票者がいた場合、どうなると思う?」

「どうなる、って……」

 

ノクスは一呼吸置き、私の代わりに答えを口にする。

 

「十中八九、みんなから責められたり、孤立したり、怪しまれたりするんじゃないかしら?」

「……あ……」

 

確かにそうだ。

『スキップに投票する』と明言していなかったノクス、リンリ、ライトはともかく、

投票前は『スキップに入れる』と言っていたのに、いざ投票結果が表示された時、

"実はアテナに入れていた"なんて者がいたら、絶対にみんなから責められるだろう。

 

「つまり、この謎の一票を投じた人物は……

 あらかじめ、投票結果が匿名で表示されることを知っていた……"運営側の人間"

 ……その可能性があると思わない?」

 

「……」

 

ざざあ、と、波が砂とサンゴを運ぶ音が聞こえる。

 

「だから私たちの中に、それを知っていた運営側の人間がいる……ってこと?」

「ええ」

 

ノクスは短く答える。

 

「運営側が私たちにコロシアイを強要している以上、スキップ投票であっさり卒業されては困る。

 そう考えた運営側の人間が、匿名投票なのをいいことに、念のための保険としてアテナに投票した。

 それこそが、この謎の一票の正体とは考えられないかしら?」

 

ノクスの理屈は筋が通っていた。

 

だけど、もしそれが本当の話だとしたら、私には一つ引っかかることがあった。

 

「仮にそうだとしたら……

 じゃあそもそも、なんで運営側は"スキップ投票"なんてルールを用意したんだ?

 妨害してまで私たちを卒業させる気がないなら、そんなもの最初から作らなければいいのに」

 

「私たちの疑心暗鬼を誘発するため、よ。

 運営側の人間がゲームに参加しているのだとしたら、その人間が投票し続ける限り、

 『全員一致のスキップ』は絶対に成立しない。

 つまり、この卒業制度は最初からあってないようなものだわ」

 

引き波が砂を浚う。

ノクスは春の海風に乱れる髪を片手で押さえながら、さらに言葉を重ねた。

 

「これは、私たちを仲間内で糾弾し合うように仕向けるための悪質な罠よ。

 絶対に届かない救済の選択肢を目の前にぶら下げて、

 『それを誰が台無しにしたのか』と、互いに牙を剥き合わせるためのね。

 もし参加者全員が本当に同じ立場なら、

 "全員一致で卒業可能"なんてルールは運営側にとって危険過ぎるもの。

 わざわざそんなルールを設けるはずがない。

 でも、内部に一人でも運営側の人間がいるなら、そのリスクは消える。

 ……言わば、この『スキップ投票』という制度が存在すること自体が、

 私たちの中に運営側の人間が紛れ込んでいる何よりの証拠になるのよ」

 

私はしばらく何も言えなかった。

 

ノクスの推理は、妙に現実味があったからだ。

私が、私たちが唯一希望を見出していたスキップ投票に、そんな悪意があったなんて──。

 

「スキップ投票は、ただの罠……」

「……ええ」

 

私がぽつりと呟くと、ノクスは目を伏せながら言った。

 

「それに現実的には……運営側の人間に加えて、

 殺人を犯した犯人もいる以上、スキップ投票なんてものは絶対に揃わないわ」

「あ……」

 

ノクスの言う通りだった。

 

魔女裁判は、殺人事件が起きてから行われる。

一線を越え、人を殺めてしまった犯人がいる時点で──

その犯人や、周りのみんなが、全員一致のスキップに投票するはずがないんだ。

 

「私を呼び出したのは、運営側の人間がいるってことを伝えるため?

 ……どうして、私に?」

 

ノクスは伏せていた目をゆっくりと上げた。

 

「あなたは──私が、信じられる人間だから」

「……え」

 

思ってもみなかった言葉をかけられ、少し当惑する。

 

「決め手になったのは、さっきのあなたの食堂での言葉……

 あれは、間違いなく仲間を想ってのことだった。

 『一人抱え込まずにみんなに相談してほしい』――あの状況でそう言えるのは、

 あなたが誰よりもみんなの命を、そして私たちの結束を守ろうとしている証拠よ」

 

「あれは、私がただ思ったことを言っただけだよ。

 私はもう、誰かが一人で壊れる姿なんて、二度と見たくないだけだ」

 

ノクスは私の言葉を否定せず、むしろ深く頷いた。

 

「……それは、私も同じよ」

 

そして、ぽつりと漏らしたノクスの声は……いつになく小さかった。

 

「これ以上、誰かを失いたくない。

 だからこそ――私たちは、感情だけで動くわけにはいかないの」

 

ノクスは真っ直ぐに私の目を見つめてきた。

 

「前回の魔女裁判でも、あなたは感情に流されず、事実を冷静に見極めようとしていたわ。

 信頼と、冷徹な観察眼。その両方を持ち合わせているのは、この中であなたしかいないの。

 ……だからこそ、私の目の届かないところでの『もう一つの目』になってほしい」

 

「もう一つの、目……」

 

「ええ。今このことをみんなの前で言えば、どうなるかは容易に想像がつくでしょう?

 確たる証拠もないまま『この中にスパイがいる』なんて触れ回れば、みんなは疑心暗鬼に陥ってしまうかもしれない」

 

「だから、みんなには言わずに私にだけ?」

「そう」

 

ノクスは静かに頷く。

 

「……分かった。ノクスの役に立てるかどうかは分からないけど」

 

私がそう答えると、ノクスはほんの僅かに表情を緩めた。

 

「……ありがとう」

 

すると、すぐにいつもの真剣な顔つきになる。

 

「これからは、なるべく全員の動きを観察してもらえると助かるわ。

 誰が、誰と、どこで何をしていたのか。

 そして……誰がどんな『不自然な行動』を取ったのかを。

 ……もちろん、怪しまれないようにね」

「了解。何か気になることがあったらすぐに伝えるよ」

 

私たちの中に運営側の人間がいる。

信じたくはない話だったけれど、そのことを見て見ぬふりをするわけにはいかない。

 

「……あ、じゃあさ。あの不気味な魔女の話が書かれた本を置いたのも、

 その運営側の人間ってことなのかな?」

 

私はふと思ったことを尋ねる。

 

「私はそう考えているわ。何の意図があって置いているのかは分からないけれど」

「誰かのイタズラってことは?」

「……まぁ、その可能性は完全には否定できないわね。

 でも何にせよ、私が"運営側の人間がこの中にいる"と考え始めたのも、その本のことがあったからよ。

 何だったら、"スパイが紛れ込んでいる"ということに勘付かれても別に構わないという意志すら感じる──」

 

ノクスがそう言いかけたとき、遠くからバッサ、バッサと羽ばたく音が聞こえてくる。

青空を横切り、黒い影がこちらへ向かって一直線に飛んでくる。

 

「……カンチョー」

 

ノクスが小さく呟く。

 

黒い翼を大きく広げたカンチョーは、

そのまま私たちの近くへ滑空すると、波打ち際の砂浜へ軽やかに降り立った。

 

「……あ、こんなところにいたんですか。

 お二人が砂浜方面に向かったっきり、なかなかお戻りになられないので」

「な、何の用だ」

 

私が思わず身構えながら声を上げると、カンチョーは不気味に首を傾げる。

 

「いえ、カメラの目がないところで殺人が起こっていたら大変ですので。

 一応、定期的に見回してるだけですよ。

 ……それで、わざわざこんな場所でお二人で何を話されていたので?」

「……っ」

 

カンチョーの質問に私が言葉を詰まらせていると、ノクスが口を開く。

 

「カンチョー。

 前にあなたを問い質したように、マキにあの魔女の本について訊いていたところよ。

 『あの本を置いているのはあなたなんじゃないか』、ってね」

 

ノクスが私に視線を移しながら言う。

 

「誰にも見られていない場所の方が、マキも本当のことを話しやすいと思ってね。

 けれど、結局マキでもないらしいわ。他のみんなに訊いても、全員が知らないの一点張り。

 となると、カンチョー……あなたがわざわざ置いているとしか考えられないわね。

 そこのところ、どうなの?」

「……」

 

ノクスは即興の方便を使い、会話の主導権を強引に引っ手繰る。

 

「……私は知りませんねぇ。誰かのイタズラとかでは?」

「……へぇ。"ありとあらゆる場所に隠しカメラがある"なんて豪語しておきながら、

 怪しげな本を誰が置いているかは把握出来ていないのね」

「あのですねぇ。"知らない"というのは、把握していない、という意味ではなくてですね……。

 "私は関係ない"という意味ですよ」

「皮肉で言ったのよ」

「……」

 

……。

 

それっきり、砂浜には沈黙が流れる。

波の音が、三人の間に流れる微妙な空気を際立たせていた。

 

これ以上何かを根掘り葉掘り聞かれるのは危険だ。

この隙に、私は無理やり話題を変えるべく声を上げた。

 

「……そうだ、カンチョー。冬のエリアが開放されたんなら、

 恒例の『新エリア開放記念』とやらがあるんじゃないか?」

 

唐突な私の切り出しに、カンチョーはこちらに視線を移す。

 

「……あ、そうですね。冬のエリア解放記念と致しまして──

 冬のエリアの『炙りビン工房』で、ガラス作り体験が出来るようになりました」

「……いや、あそこかよ」

 

思わずツッコミが口をついて出た。

緊迫していた空気は一瞬で霧散する。

 

「もちろん、参加するかどうかは自由ですので。

 初心者向けの安全な設備になっております。

 思う存分にビンを炙ってください」

「……よし、行こうノクス。ビンを炙りに」

「え、ええ」

 

ノクスの困惑に満ちた声を背中で聞きながら、私はすたすたと歩き始める。

 

「冬のエリアでみんなで遊ぶ約束もしたし、早く行こう」

「……そうね」

 

先ほどノクスと話したように、注意深くみんなの様子も見なければいけない。

私のヤケクソ気味な話題転換の意図を、ノクスも察してくれたようだった。

 

カンチョーから距離を取るように歩いていくと、

遠く後ろの方でばさりと大きく羽ばたく音が聞こえた。

振り返ると、黒い翼を広げたカンチョーが春の空へ溶け込むように飛び去っていくところだった。

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