翌朝。
私は、テラスのウッドフェンスを叩く小さな音で目を覚ました。
寝ぼけ眼のままベッドの中で身じろぎする。
そして少しだけ伸びをしてから上半身を起こし、外を見る。
すると、小雨がぱらぱらと降っていた。
外はどんよりと暗く、
ウッドフェンスの隙間から見える海の向こうまで鉛色の雲が空を覆っている。
時折雲が白く光り、数秒遅れてゴロゴロと腹に響くような雷鳴が轟く。
「……天気悪っ」
思わず呟く。
まさかマリーが【天候操作】の魔法を使ったのだろうか、と一瞬思った。
けれど、あのマリーの様子からして、前みたいに無邪気に天気を変えているとは思えなかった。
マリーは一昨日、自分の魔法で誰かが傷付くことを怖がっていた。
そんなマリーがわざわざ雷を伴うような天気にするとは考えにくい。
というよりも……
そもそもマリーは晴れ、曇り、雨にすることは出来ても、雷までは操れなかったはずだ。
(普通の天気なのかな)
魔法由来でもない普通の天気。
いわゆる春雷というヤツなのだろうか。
私は特に気にしないまま、そのまま洗面所で顔を洗った。
(そう言えばシロ、朝一で花瓶取りに行くって言ってたっけ)
タオルで顔を拭きながら、昨日のシロの言葉を思い出す。
私たちが炙りビン工房で作った花瓶。
徐冷炉の中で一晩かけて冷えたそれが、どんな完成品になっているのか。
外の重たい空模様とは裏腹に、そのことを思い出すと少しだけ気分が浮き上がった。
すると窓の外では、また雲が白く光った。
少し遅れてゴロゴロと低い雷鳴がホテルの壁を震わせる。
「……朝から騒がしいなぁ」
私はパーカーに袖を通しながら、もう一度テラスの方へ視線を向けた。
いつもの春らしい柔らかな景色も、今日ばかりは灰色の雨雲に押し潰されているようだった。
その時だった。
──ピンポーン。
「お?」
部屋のチャイムが鳴った。
腕時計を見ると朝の7時半。
この時間に訪ねてくる相手なんてほとんど限られている。
というより──。
私は軽く髪を整えてから玄関へ向かい、鍵を開けた。
扉を開くと、そこには予想通りの人物が立っていた。
「マキちゃん、おはよう!」
嬉しそうな顔をしたシロだった。
その両手には、新聞紙で丁寧に包まれた何かが大事そうに抱えられていた。
「おはよう、シロ。……それ、もしかして?」
「うん! 朝一で花瓶、取ってきたよ!」
私がシロの抱えているものを指差すと、シロは待ってましたと言わんばかりに顔を輝かせる。
「ありがとう、本当に行ってくれてたんだ。雨降ってたけど大丈夫だった?」
「うん、小雨だったし、冬のエリアでは降ってなかったから平気だよ~。
それよりも……見て!」
するとシロは丁寧に包みを開いた。
「じゃーん!」
「おお!」
その中には、私たちが作った花瓶があった。
底の方には、桜の花びらのようなピンク色の模様がふわりと広がっていた。
冷えたことで色が落ち着き、昨日よりもずっと柔らかくて綺麗に見える。
まるで透明な水の底に、小さな春が沈んでいるかのようだった。
「……綺麗」
思わず口をついて出た。
「私たちの花瓶、かんせーい!」
その言葉に、胸の奥がじんわりと温かくなる。
「シロのおかげだよ、ありがとう」
「いえいえ~。あ、そうだ! 今から食堂行くついでに、
みんなにもこの花瓶自慢しちゃおう!」
シロは嬉しそうに胸を張り、花瓶を小脇に抱えながら
早くみんなの驚く顔が見たいと言わんばかりに通路の向こう──食堂を指差す。
……たしかに、これはちょっと自慢したいかも。
「うーん、あんまり見せびらかすのもちょっと恥ずかしい気もするけど、シロがそう言うのなら」
そんなことを言いつつ、私は逸るシロを止めもせず、花瓶と一緒に食堂に向かうことにした。
◇
食堂に向かうにつれ、朝食ビュッフェの匂いがふわりと流れてくる。
まず目に入ったのは、窓際の席に座るナツミだった。
「お、マキやんシロやん。おはよーさん」
「おはよー!」
「おはよう」
ナツミは片手をひらひらと振る。
ナツミの隣にはイリスが、その対面では、ミサとマリーが並んで座っていた。
「あ、マキさん、シロさん。おはようございます」
「おはよう」
「おはよう! ……シロちゃん、なんか嬉しそう?」
イリスに続いて、ミサ、マリーも挨拶を交わす。
すると、シロのうきうき具合を察したマリーがシロの方へと視線をやる。
「シロマキーズもおはー。……ん? その花瓶は?」
ハイジがシロに尋ねる。
「へっへー」
シロは待ってましたと言わんばかりに笑った。
「これ、昨日マキちゃんと一緒に炙りビン工房で作った、世界で一つの特製の花瓶なんだよー!」
「シ、シロ、あんまり大袈裟に言うと恥ずかしいから……」
私の言葉も気にせず、シロは鼻高々に胸を張り、大事そうに小脇に抱えていた花瓶を
テーブルの空いているスペースへとするりと滑り込ませるように置いた。
食堂の温かい照明を浴びて、透明なガラスの底に沈んだピンク色の模様が瑞々しい輝きを放つ。
「わあ……! すっごい綺麗……!」
真っ先に声をあげたのはマリーだった。
身を乗り出すようにして花瓶を見つめている。
「……ほんと、綺麗」
ミサも少しだけ目元を緩め、感心したようにガラスの表面を観察する。
「はえー、こんな上手に出来るもんなのか……」
「とても丁寧に作られていて、素敵ね」
「ほー、ええやんええやん! 普通に売りもんみたいやん!」
「でしょでしょ! マキちゃんがね、回すのも息を吹くのもすっごく上手だったんだよ!」
ハイジ、ノクス、ナツミの言葉に、
自分のことのように自慢げに捲し立てるシロの横で、私は少し気恥ずかしくなってくる。
「ガラスのぽってりとした厚みが、手作りの温かみを感じさせてとても綺麗ですね」
「桜の花びらってのもセンスあって良いわね」
イリスが穏やかな笑みを浮かべて花瓶を覗き込み、リンリが感心したように顎をさする。
みんなの温かい言葉に、胸の奥がじんわりと満たされていくのを感じた。
けれど、こうして出来上がったばかりの花瓶を囲んで、
みんながレビューを交わしているの見ると、嬉しさよりも恥ずかしさが勝る。
「よ、よし、自慢も済んだことだし早く朝ごはん食べよう」
「えーっ、まだ自慢し足りないよ!」
シロは不満そうに口を尖らせるけれど、
私はシロの背中を軽く押してビュッフェカウンターの方へと促した。
「表面もつるつるだ……」
「えー、ナツミこんな天気なのに外で遊ぶ気?」
「いやせやけど、雷とか台風の日とか逆にテンション上がらん?」
「ミサさんも、ガラス細工なんかも得意そうですね!」
「うーん、やったことはないんだけど、私もやってみようかな」
トレイを持ってみんなのいるテーブルに戻ると、
それぞれのグループが別々の話題に変遷していた。
ナツミとリンリは食堂から見える窓の外の天気を見ながら言い合っている。
イリスはミサの器用さに感心しているらしく、
マリーはその横できらきらした目でテーブルの花瓶を見ていた。
私もその隣にお邪魔する。
「お、雨も上がってきたっぽいしな。今日は春のエリアでスプリングスポーツや」
「あんまり冬のエリアと春のエリア反復横跳びしてたら自律神経イカれるよ」
意気込むナツミに呆れた様子でリンリが言う。
それでもナツミはまったく堪えた様子もなく、窓の外を眺めている。
『天気を晴れにして』とマリーに頼まないのは、ナツミなりに気を遣っているのだろうか。
確かに、さっきまでぱらぱらと降っていた小雨は少しずつ弱まっているようだった。
けれど鉛色の雲はまだ空に居座っているし、遠くでは相変わらず低い雷鳴が鳴っている。
「~♪」
シロは私の隣で、マリーと一緒にテーブルの上の花瓶を眺めながらトーストを食べている。
まるで花瓶をおかずにしているかのようだった。
「あ、シロ。
昨日言いそびれたんだけど、実はこの花瓶、シロのために作ったんだ」
「えっ、私のために?」
シロはきょとんとして私の方を振り向く。
「うん。この桜の模様だって、シロの好きそうなのを選んだんだ。
だから、この花瓶はシロが持っていてほしい」
「で、でも……せっかくマキちゃんが初めて作ったヤツだよ? 記念品だよ?
それを私がもらっちゃうのは……」
シロは困ったように眉を下げ、花瓶と私の顔を交互に見る。
「いいんだよ。
……初めて作った記念品だからこそ、シロにあげたいんだ」
そう言うと、シロはぱちりと瞬きをした。
「私に?」
「うん。昨日、シロが色々教えてくれたでしょ。
ガラスの巻き取り方とか、吹き方とか、模様の付け方とか。
私一人だったら、あんなにちゃんと作れなかったと思う」
「そんなことないよ。マキちゃんもちゃんと頑張ってたよ!」
「それでも、シロがいなかったら作れなかった。
だからこれは、私の記念品っていうより……シロと一緒に作った記念品なんだよ」
口にしてから、少し恥ずかしくなる。
「だから、シロが持っててくれたら嬉しい」
「……」
シロは何も言わず、透明なガラスの底に沈んだ、桜色の模様の花瓶を見つめる。
そして、ゆっくりと私の方を見る。
「……本当に、いいの?」
「うん」
「じゃあ……分かった! もらっちゃうね!
ありがとう……マキちゃん!」
シロはそっと花瓶に手を伸ばし、ガラスの表面を指でなぞる。
「私の宝物、増えちゃった」
「……だね」
ふにゃりと笑うシロを横目で見る。
外ではまだ遠くで雷が鳴っている。
けれどシロはそんな音など気にも留めず、花瓶を眺めたままずっと嬉しそうに笑っていた。
◇
朝食後。
大事そうに花瓶を抱えたシロと部屋の前で別れたあと、自室の扉を閉める。
「……ふぅ」
私は小さく息を吐き、ベッドに腰を下ろす。
「今日は室内で過ごすのが無難かな」
ひとりごちる。
娯楽室でボードゲームでもするか。
それとも情報処理室でDVDでも見るか。
映画でも流してしまえば、多少は気分転換になるかもしれない。
雷の日に外で遊ぶよりはよほど健全だ。
(……まぁ、ほぼホラーしかないんだけど)
私は新しいDVDが入っていないか、様子見がてら情報処理室に行くことにした。
廊下に出ると、ゴロゴロと低く響く地鳴りのような雷鳴が微かに伝わってくる。
外はますます不穏な気配を強めているようだった。
そんな雷鳴から逃げ込むようにして、私は静まり返った情報処理室の扉を開けた。
ラックに並ぶパッケージに目を通していくと、見覚えのないタイトルが数本、
いつの間にか入荷されていることに気がついた。
これも運営側の人間の趣味なのだろうか。
私はその中からホラーミステリー映画を手に取り、プレイヤーにセットした。
「……うーん」
たまたま選んだその新作映画は、面白くはあったのだが……なんとも後味の悪い結末だった。
まぁ、ホラーなのだから仕方がないのだが。
過去の行いが、巡り巡って未来の致命的な破滅を呼び込んでしまう──
"バタフライエフェクト"の恐ろしさを、これでもかと見せつけられる内容だった。
気分転換には劇薬すぎる。
「はぁ……。それにしても……」
映画のタイトルを思い返すと、なぜか無性に焼き鳥が食べたくなった。
「しばらくはホラー映画は良いかな……」
独り言を落として、私は情報処理室を出た。
窓の外では、雨がまだ細く降っている。
朝よりは弱まったものの、空は相変わらず重たい鉛色で、
さっきよりもかなり近い位置からごろごろと低い雷鳴が聞こえていた。
(娯楽室でも行こうかな)
ゲームの筐体で遊ぶのも良いし、卓球の壁打ちをするのでもいい。
さっきみたいな後味の悪い映画よりはずっと健全だ。
そう思いながらホテルの正面ロビーを通り過ぎようとした。
その時だった。
「よっ……ほっ……!」
窓の外から聞き慣れた声がした。
「……ん?」
私は足を止める。
ホテル正面ラウンジの大きな窓からは、玄関前がよく見える。
雨に濡れた地面に、葉先から水滴を落とす木々。
その薄暗い景色の中で、一人だけやけに元気な人物が動き回っていた。
ナツミだった。
足元の泥にまみれたサッカーボールを器用に転がしている。
「氷サッカーの練習や!
バッドコンディションでもボールコントロールできてこそ、一流プレイヤーやで!
目指せワールドカップ優勝!!」
謎の宣言が正面扉の窓越しに聞こえてくる。
(……誰に言ってるんだ?)
氷サッカーをメジャースポーツにまで押し上げるつもりか。
私は呆れ半分でその姿を眺めた。
小雨はまだ降っているし、雷も鳴っている。
さすがに外で遊ぶ天気ではないと思うのだけれど、
ナツミはそんなこと気にしていないようだった。
地面の上でボールを足裏で止め、軽く蹴り、また追いかける。
体を動かすことが本当に好きなのだろう。
この状況でなければ、少し笑って見ていられたかもしれない。
「……いや、でも雷は危ないでしょ」
そう呟いた、その瞬間だった。
空が白く裂けた。
「──っ」
音より先に光が来た。
視界が一瞬、真っ白に塗り潰される。
次の瞬間。
ドォォォンッ!!!
腹の底を殴られたような轟音が、ホテル全体を揺らした。
窓ガラスがびりびりと震え、ラウンジの照明が一瞬だけちらつく。
"爆発"──
そんな単語が頭をよぎるほどの音だった。
雷は、ナツミのすぐ近くに立っていた木に落ちていた。
濡れた幹の表面が弾け、白い煙のようなものが根元から立ち上がる。
そして──
ナツミが、倒れた。
さっきまで跳ねるように動いていた体が──
糸の切れた人形みたいに仰向けに地面の上へ崩れ落ちた。
「……ナツミ?」
ナツミは地面に倒れたまま、ぴくりとも動かない。
……ナツミなりの冗談なのか?
一瞬だけそう思ったけれど、ナツミはずっと地面に倒れたまま起きる様子はなかった。
「な、何今の音!?」
携帯ゲームを持ったまま、娯楽室から出てきたのはハイジだった。
顔を引きつらせ、目を見開いている。
さらに食堂の方向からも、慌ただしい足音が聞こえた。
「今の音は……!?」
イリスが飛び出してくる。
白衣の胸元にはこぼれたコーヒーらしき茶色い染みが広がっていた。
「ナツミが倒れた!」
私が叫ぶと、二人の表情が一瞬で変わった。
「え……?」
「ナツミ、さんが……!?」
ハイジとイリスが窓の外を見る。
倒れたナツミの姿を見つけた瞬間、彼女たちの顔から血の気が引いた。
「外! 行こう!」
考えるより先に体が動いていた。
私は正面ロビーを駆け抜け、玄関扉を押し開ける。
小雨が頬に当たる。
濡れた空気が肺に入り、焦げた木の臭いが鼻の奥を刺した。
足元の地面はぬかるんでいて、踏み込むたびにぐしゃりと嫌な音を立てる。
「ナツミ!」
倒れたナツミの元へ駆け寄る。
彼女は、仰向けに近い形で地面に倒れていた。
目は閉じられている。
いつもの軽い笑い声も、冗談めいた言葉も、何も返ってこない。
「ナツミ! 聞こえる!?ナツミ!」
「ナツミさん! ナツミさん!!」
私たちは必死に叫んだ。
……けれど、返事はない。
「ハイジ!」
私は振り返って叫んだ。
「ナツミは!?ナツミの寿命、視える!?」
「み、視る……視るから……!」
ハイジは震える声で答え、倒れたナツミを見下ろした。
00:00:00
「……え」
ハイジの唇から掠れた声が漏れた。
「え、え……?」
「ハイジ!?」
ハイジの顔から、血の気が引いていく。
「だ、だって……これ……」
「何!?何が視えたんだ!?」
「……これ、もう……!」
ハイジの唇が震える。
その先の言葉は続かなかった。
──次の瞬間。
『ピンポンパンポン』
『死体が発見されました。
一定の捜査時間の後、"魔女裁判"を行います』
そのアナウンスが鳴り終わると同時に
私は
銀色の拳銃で
自分の頭を撃ち抜いた。
──ばん。
「……っ!」
私は、情報処理室の前にいた。
そのまま正面玄関を目指して走る。
窓の外はまだ小雨が降っている。
近くでまた雷が低く鳴っている。
でも、あの爆音はまだだ。
まだナツミは生きている。
ホテル正面ラウンジの大きな窓の前を通りかかる。
外にはナツミがいた。
濡れた地面の上で、ボールを転がしている。
「ナツミ!!」
私は叫びながら、正面玄関を飛び出した。
小雨が頬に当たる。
ナツミが驚いたように足を止めて、こちらを振り向く。
「お、マキちゃん。どないしたん?」
「中に入って!」
「え?」
「雷が落ちる! 早く!」
説明している時間なんてない。
私はナツミの腕を掴み、強引にホテルの方へ引っ張った。
「ちょ、ちょい待ち! なんや急に!」
「いいから!」
濡れた地面に足を取られ、転びそうになる。
ナツミがボールを見て、名残惜しそうに声を上げる。
「あ、ボール!」
「後でいい!」
「マキちゃん、ほんまにどしたん!?」
私のただならぬ気迫に押されたのか、
ナツミはそれ以上抵抗するのをやめ、正面玄関の庇の下へと足を速めた。
滑り込むようにして、二人でホテルの中に飛び込む。
その直後だった。
空が白く裂けた。
ドォォォンッ!!!
ホテルの窓がびりびりと震え、空気そのものが弾けたような衝撃が全身を叩いた。
先ほどと全く同じ、ナツミが立っていたすぐ近くの木に雷が落ちた。
幹の表面が裂け、白い煙が立ち上がる。
「うおおっ……!?」
ナツミは目を見開いて窓の外の木の惨状を凝視している。
その顔からはすっかり血の気が引いていた。
「ホ、ホンマに落ちた……」
ナツミが信じられないといった様子で私を見る。
「マキちゃん、なんで分かったん……?」
「……」
私はその問いに答えられないまま、自分の掌に拳銃を出した。
刻まれた残りの数字を見る。
──『6』
案の定──数字が一つ、減っていた。
私が死んだ。
そして戻った。
けれどナツミは助かった。
その事実に、胸の奥からようやく息が漏れる。
すると、先ほどと同じように、ハイジとイリスの慌ただしい足音が近づいてくるのが聞こえる。
「な、何今の音!?」
携帯ゲームを持ったまま、ハイジが娯楽室から出てくる。
顔を引きつらせ、目を見開いている。
食堂の方向からも、慌ただしい足音が聞こえた。
「今の音は……!?」
イリスが飛び出してくる。
白衣の胸元にはこぼれたコーヒーらしき茶色い染みが広がっていた。
「い、いや……外でサッカーしてたら、マキちゃんが急にホテルから飛び出してきて、
なんや『雷が落ちるから』言うて、腕引っ張って……
ほんならそのあとホンマに雷落ちて……」
ナツミは半ばしどろもどろになりながら二人に説明する。
「か、雷落ちたんだ……。すんごい音だったね……」
「は、はい……びっくりしました……心臓が止まるかと……!」
「いや、ちゅーかマキちゃん、ホンマ、何で雷落ちるって分かったんや……?」
「……」
驚いた目でナツミはこちらを見る。
「マキ、もしかして……」
「マキさん……?」
ハイジとイリスも困惑した様子でこちらを見る。
「……」
私は、ありのまま起こったことを話そうかどうか答えを出せずにいた。
すると──。
「……何があったの? すごい音だったけれど……」
食堂の方向からノクスが現れた。
いつも通りの落ち着いた声だったが、その目はすぐに状況を拾っていた。
「落雷?」
「う、うん」
ハイジが小さく頷く。
「ウチが外でサッカーしとって、
マキちゃんが急にこっち来てウチをホテルん中に引っ張ってって。
それからすぐ、ウチがおったすぐ近くのあの木に雷が落ちて……」
「……そう」
ナツミは窓の外の焦げた木を指差す。
ノクスは短く答え、窓の外に視線を移した。
幹の表面が裂けた木からは、まだ白い煙のようなものが立ち上がっている。
「マキ」
ノクスが私を見る。
その声音は静かだった。
責めるようでも驚くようでもない。
ただ淡々と事実確認をするような響きだった。
「あなた……
「……っ」
息が詰まった。
ハイジが目を見開く。
ナツミもイリスも言葉を失った。
「え、死に戻ったって……」
ハイジがかすれた声を漏らす。
私は視線を落とす。
もう、ごまかせない。
ノクスは確信しているわけではないのかもしれない。
けれど、少なくともそう疑うだけの材料をこの場から拾ってしまっている。
「……うん」
小さく頷いた。
「……」
ノクスは顎に手を当てて考え込む。
そして私はみんなに洗いざらい、事の一部始終を説明した。
雷が落ち、ナツミが倒れ、死亡し、私は拳銃で死に戻ったこと。
私の"拳銃"のカウントが『6』になったこと。
すると、みるみるうちにナツミの表情が青ざめていく。
「残りが『6』って……じゃあウチのせいで……マキちゃん、一回死んだん……?」
「ナツミのせいじゃない」
私はすぐに言った。
「でも、ウチが外で遊んどったからやろ……? 雷鳴ってんのに、調子乗って……」
ナツミの声が上ずる。
いつもの軽さはどこにもなかった。
「ウチがアホなことしてたから、マキちゃんが……!」
ナツミは拳を握りしめた。
唇を噛み、窓の外の焦げた木を見つめる。
「ごめん……」
ぽつりと、ナツミが呟いた。
「マキちゃん……ホンマ、ごめん……」
私はナツミの肩にそっと触れる。
「助かったんだから、それでいいよ。
……ただし、これからは雷の日は外で遊ばないこと」
「……うん」
ナツミは小さく頷いた。
「……あの」
すると、イリスが控えめに口を開いた。
「このことは、他の皆さんにも説明するんですか……?」
「……」
その問いに、私は少し考えた。
死に戻ったこと自体は、いずれ隠し切れないかもしれない。
少なくとも、ここにいるナツミ、ハイジ、イリス、ノクスには話してしまった。
けど──。
「マリーには、言わないで」
私はそう言った。
「マリーさんに、ですか?」
「うん」
私は窓の外の灰色の空を見る。
この天気がマリーの魔法によるものなのか、それとも、ただの自然現象なのか。
私には分からない。
けれど、マリーは一昨日、自分の魔法で誰かが傷付くことを怖がっていた。
もし、ナツミが雷で一度死んだと知ったら。
もし、それを私が死に戻りでなかったことにしたと知ったら。
きっとマリーは思ってしまう。
『自分が晴れにしておけばよかった』
『自分が天気を変えていれば、こんなことにはならなかった』
そんな責任まで、マリーに背負わせたくなかった。
「マリーは、また自分を責めると思う。
自分が【天候操作】で晴れにしておけば、
ナツミは雷に巻き込まれなかったって。そう思うかもしれない」
「……」
その場の全員が黙り込んだ。
「でも、これはマリーのせいじゃない。
ナツミのせいでも……いや、雷の日に外で遊んでたナツミは反省すべきだけど……
それでも、誰か一人に全部背負わせる話じゃない」
「……そうね」
ノクスが小さく頷く。
「このことを知っている人が増えれば、いずれマリーの耳に入るかもしれない。
マリーはもちろん、他のみんなにも説明すべきじゃないわね。
……どうしても説明しなければいけなくなった時に、必要なことだけ説明すればいい」
「あたしもそう思う」
ハイジが頷く。
「マリー、絶対気にするもんねぃ」
「……せやな。
マリーちゃんには、言わん。絶対」
その声にはいつもの調子の良さはなかった。
けれど、だからこそ本気だと分かった。
「ウチがアホなことして、マキちゃんに迷惑かけた。それだけや」
「ナツミさん……」
イリスが心配そうにナツミを見る。
ナツミは少しだけ俯いて、それから私の方を向いた。
「マキちゃん、ホンマにごめん」
「もう謝らなくていいよ。……っていうか、
いつもの調子じゃないと、他のみんなから『何かあったのか?』って疑われちゃうから。
ほら、いつものナツミはどうしたんだ?」
私は冗談めかして言う。
「……せやな。いつまでもしょぼくれとったら、逆に怪しまれるな」
ナツミは両手で自分の頬をぱちんと叩いた。
「そうそう。ナツミが静かだったら、もうそれだけで魔女裁判でしょ」
「いや事件扱いすな!」
ハイジの軽口に、ナツミはいつもの様子でツッコむ。
少し空気が和らいだことにホッとして、私は頷いた。
「話がまとまったなら、早くここから散らばりましょう。
集団でいつまでも話し合ってると、さすがに怪しまれるわ」
ノクスが静かに視線で促した先、通路の向こうから
「何かすごい大きな音がしなかった!?」と、シロの声が微かに近づいてくるのが聞こえた。