魔女ノイナイ魔女裁判   作:テラウラ

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生ける魔女の死 捜査編

「ミサ……ちゃ……」

 

マリーの喉から掠れるような声が漏れた。

 

次の瞬間、彼女の瞳が恐怖で完全に据わり、焦点が急激に失われていく。

そして……糸が切れた人形のように、マリーの身体が床へと崩れ落ちた。

 

「マリー!」

 

私は咄嗟に、床に激突する寸前で彼女の小さな身体を横から抱きすくめた。

腕の中に預けられた頭は力なく傾き、完全に意識を失っている。

 

その瞬間──

 

ザァザァとラウンジの屋根を叩きつけていた雨が、その勢いを弱めていく。

ポツリ、ポツリ、と残響のような滴が落ちる音へと変わり、やがて完全な静寂が訪れた。

 

すると、私とノクスのスマホが同時に鳴る。

 

ノクスはスマホを取り出し、内容を確認した。

 

「……死体発見現場の、冬のエリアのラウンジに集合しろとのことよ」

 

ノクスは沈痛な面持ちで呟いた。

 

「……っ」

 

マリーを抱きかかえる私の腕は震えていた。

けれどそれは、冷たい大雨に打たれたせいではなかった。

 

 

「い、今のアナウンスって……うっ……!?」

「ひっ……な、何やこれ……?」

「ミ、ミサちゃん……!」

「ライト……ミサ……!」

 

通知を見たみんなが、続々とラウンジに集まってくる。

 

そしてそのラウンジの惨状を認識すると、一様に口元を抑え、

それ以上言葉を続けることができなくなった。

 

すると、遠くから羽ばたく音と共に黒い影が近付いてくる。

 

影はラウンジの入口に静かに降り立った。

 

「やれやれまたですよ……殺人事件。

 朝っぱらから勘弁してほしいですよね……」

 

カンチョーのいつもの間延びした声が、凄惨なラウンジに響き渡る。

 

「本当、皆さん血の気が多いというか、他にやることないんですかねぇ。

 ……では、いつものように捜査時間は一時間としますので。

 魔女裁判は7時40分から始めます。……まぁ、頑張って捜査してください」

 

わざとらしいほど深くため息をひとつ吐き出すと、

黒い翼を広げ、カンチョーは灰色の空に飛び立っていった。

 

"殺人事件"……その言葉を聞いた途端、私の頭の裏がズキズキと痛みだす。

 

ミサを。

いつもマリーの隣で気丈に振る舞っていたミサを。

誰にも見せない涙を流していたミサを。

 

こんな残忍な方法で殺した奴がいる。

 

私の心が黒く、黒く、黒く、染まっていく。

悲しみと憎悪が濁流のように押し寄せ、思考が正常な形を失いそうになっていた。

 

「……マキちゃん、マリーちゃんは私に任せて」

 

──はっと我に返ると、心配そうな表情でシロが私の顔を覗き込んでいた。

 

彼女は震える手で、私の腕からぐったりとしたマリーの身体をそっと引き受けようとしてくれた。

 

「シロ……」

「マキちゃん、すごい顔してたよ」

 

シロは小さくそう言って、私の腕の中のマリーへ視線を落とす。

 

マリーはまだ目を覚まさない。

けれど、胸はかすかに上下している。

 

生きている──その事実だけが、かろうじて私を繋ぎ止めていた。

 

「マリーちゃんは私がちゃんと安全な場所で休ませておくから。

 だから、マキちゃんは……」

 

シロは床の凄惨な血溜まりから一度目を背け、もう一度私の目を真っ直ぐに見つめた。

 

「マキちゃんは、捜査を頑張って。ミサちゃんをこんな目に遭わせた犯人を、絶対に暴いて」

「……」

 

その言葉が、冷え切りそうになっていた私の心臓に再び火を灯す。

 

黒く染まりかけていた心の中に、シロの言葉がゆっくり落ちていく。

 

怒りで塗り潰されそうだった視界が、少しだけ形を取り戻す。

 

「分かった……シロ。お願い、マリーを頼む」

 

私はマリーの体を、そっとシロに預ける。

 

マリーを抱きかかえたシロがラウンジを後にするのを見送り、私はゆっくりと立ち上がる。

 

「……とりあえず、手分けして捜査しよっか。

 私はひとまず、ホテル地下の生物室とか懲罰房見てみる」

「……こんなことやりたないけど、放っとくワケにもいかんからな」

 

リンリとナツミは気力を振り絞るようにして捜査に乗り出す。

 

「わ、私もリンリさんにお供します……」

「あたしも……ちょっとここは無理だわ……みんな任せた」

「……ほな、ウチもここに残る」

 

凄惨な血だまりから目を背けるように、イリスとハイジはラウンジを後にした。

 

残された時間は一時間。

私は乱れる呼吸を整え、すでにギロチンの傍らで観察を始めているノクスの背中へと歩み寄った。

 

 

私とナツミは改めてミサの首無し死体に目を向ける。

 

「……」

 

血の海の中に仰向けに倒れ伏した小柄な身体。

その傍らに鎮座するギロチン。

落とされた刃にこびりついた、まだ鮮やかな赤。

 

あまりにも凄惨な光景に言葉が詰まる。

けど、ここで立ち止まっていられない。

 

「……あ、こんなん落ちてたで」

 

すると、ナツミがギロチンで死角になっていた場所から紙片を拾い上げてこちらに見せた。

 

そこに書かれていたのは──

 

『HeDama』

 

「……"頭部"……」

 

私は掠れた声で呟く。

 

昨日まで見つかった紙片と同じく、この死体から切り取られた部位を示している。

 

「やっぱ、見立てってことやんな。せやったら、もしかして……」

 

するとナツミは、少し離れたところで椅子に腰かけるようにしているライトに目を向ける。

 

椅子の上で項垂れたまま動かない、足先のないライト。

その体は、魔女化による異形化がかなり進んでいる。

 

ナツミは一瞬だけ唇を噛み、それからゆっくりと死体の傍へ歩み寄る。

 

「あ、あったで!」

 

ナツミは近くに落ちていたらしき紙を拾い上げ、こちらに渡す。

 

『Toesaki』

 

「"足先"、ってことか……」

 

今ライトの身体から失われている部位だ。

 

「これで、見立ては完了したというわけね……」

 

ノクスは呟きながら、ミサの死体に視線を戻す。

 

「昨日の時点では一つ足りへんって話やったのに……

 それを、ミサちゃんで補ったってことかいな……」

 

ナツミが悔しそうに唇を噛む。

 

「……まずは、ミサの死体から調べましょう」

 

その声を背に受けるようにして、ノクスは死体の傍で膝を折って観察を始める。

 

「ミサの頸部の切断面……完全に一撃で断ち切られているわ。

 このホテルの地下にあったギロチンがそのまま使われたと見て間違いないでしょうね」

 

ノクスは落とされたギロチンの刃を見ながら言う。

 

「……見た感じ、血もまだ乾いていないし、

 血の飛び散り方からしてこの場所で首が切断されたのは間違いないな……」

 

私の言葉に、ノクスはゆっくりと頷いた。

 

「流れ出た血はまだ乾いていないけれど、首からの出血はもう止まっているみたいね。

 ……体も、血の乾き具合にしては冷たい……」

 

ノクスがミサの体に触れながら考え込む。

 

すると私の脳裏に、一昨日ミサと会った時のことが思い浮かぶ。

 

深夜の庭園で一人で泣いていたミサ。

そして、彼女の頬を流れ落ちたらしき涙が、霜のような跡を残していたことを。

 

「もしかして、【凍結】の魔法の体質なんじゃ?

 ミサ、普通の人よりも人一倍体が冷たそうだったし……」

「あ、確かにな。イリスちゃんもミサちゃんに触って魔法無効にしとった時、

 めっちゃ冷たそうにしてたもんな」

 

私たちの言葉を聞いて、ノクスは「なるほど」と頷いた。

 

「……その可能性はあるわね。ミサの魔法が体温に影響していたなら、

 死後の体温だけで死亡時刻を推測するのは危険かもしれない。

 少なくとも、通常の死体と同じ基準では見られないわね」

 

そしてミサの体から手を離し、もう一度死体に目を向ける。

 

「体には致命傷と見られるような傷はないわね。

 服は飛び散った血で濡れているけれど、激しく揉み合ったような破れや乱れは見えない。

 手足にも、擦過傷などは見当たらない」

 

「ほな、首を切られて殺されたっちゅうことか……」

 

「まだ死因は断定できないわ。少なくとも、抵抗出来ない状態の時に、

 首を切断された可能性が高いでしょうね」

 

「……頭部は、やっぱりないんだよね」

 

「ええ……。切り取られていなければ、死因も分かるかもしれないけれど」

 

その言葉に、ナツミははっとした声を上げる。

 

「そ、そうやん! ちゅーか、切り取られたパーツ、どこいったんや?」

 

私もナツミの疑問に同調するように言う。

 

「そうだな……結局、今までに切り取られたパーツはまだ見つかってない……」

 

ヤヒメの"両手を含む胸部"、アテナの"腰部"、ダイヤの"大腿部"、

ポムの"腹部"、ライトの"足先"……そして、ミサの"頭部"。

 

それらは、未だにどれ一つとして見つかっていなかった。

 

「……"アゾット儀式"の本によると、

 切り取られたパーツは、最終的にはサラマンダーの火に捧げられたらしいけど……」

「ちょ、ウチ、ひとまずラウンジの中見てみるわ……!」

 

ナツミはそう言うなり、血溜まりを避けるようにしてラウンジの奥へ向かった。

 

「火に入れる言うたら……ここか!?」

 

ナツミはラウンジの暖炉の中を覗き込むが、どうやら空振りだったらしい。

 

「……あかん。ぱっと見、何もないわ。薪と灰だけや」

 

ナツミは顔をしかめながら、暖炉の前から少し身を引く。

 

「じゃあ……暖炉にはないってことか」

「……ほな、どこやねん」

 

ナツミが舌打ちするように言った。

 

「本の通りなら、火にくべたんやろ?

 ラウンジ燃えとったし、暖炉もあるし、どう考えてもここやと思うや……ん?」

 

その時だった。

 

ナツミがふと口を閉じた。

 

「……ちょい待ち。……何か聞こえへん?」

 

ナツミは暖炉の前でしゃがんだまま、ラウンジのさらに奥へ視線を向ける。

 

私とノクスは、耳を澄ましながらナツミの近くまで歩み寄る。

 

「……確かに」

 

低く、くぐもった音が聞こえた。

 

ぶうううん……と。

壁の奥で何かが回っているような、鈍い機械音。

 

「……機械音?」

 

私は顔を上げる。

 

ノクスも同じ音に気付いたのか、ゆっくりと視線を動かした。

 

音は、ラウンジの奥にある、

ラウンジと厨房を隔てているスイングドアの向こうから聞こえてくる。

 

一日目に見た厨房。

ホテルの厨房にも引けを取らない設備や調理器具が並び、

その奥に二台の大型オーブンが置かれていた場所。

 

私たちは恐る恐る厨房へと足を踏み入れる。

 

すると、厨房奥の壁際──

そこに並ぶ二台のオーブンが、低い機械音を響かせながら作動していた。

それぞれのオーブンの入口の、高さ30㎝、横幅60㎝、奥行きは1メートルほど。

 

金属製の扉は固く閉ざされており、左右のオーブンで違う数字が表示されていた。

 

左【800℃ 残り時間 40分】

 

右【800℃ 残り時間 1時間40分】

 

「……800℃……?」

 

私は表示を読み上げる。

800℃なんて、料理を焼くような温度ではない。

 

一日目にこの厨房を確認した時、確か説明書きを見た記憶がある。

このオーブンには、内部の汚れを高温で焼き切る熱分解洗浄機能がある、と。

そして、高温焼却時にはセーフティロックで扉がロックされる仕組みだったはずだ。

 

でも今、その機能が使われているのだとしたら。

 

そして、切り取られたパーツがどこにも見つかっていないのだとしたら。

 

「も、もしかしたら中に切り取られたパーツが……!?」

 

ナツミがそう言いながら、オーブンの『停止』ボタンを押そうとすると──

 

「な、何やこれ!」

 

ナツミの指が、ボタンに触れる直前で止まった。

 

「ナツミ?」

「停止ボタン……壊されとる!」

 

私は慌てて操作パネルを覗き込む。

 

左右のオーブンの『停止』ボタンは、何か硬いもので叩き潰されたように陥没していた。

ボタンの縁は歪み、押そうにも押せる状態ではなかった。

 

「じゃ、じゃあコンセントは!?」

 

私が言うと、ナツミが慌ててオーブンの裏側へ回ろうとする。

 

けれど、すぐに足が止まった。

 

二台のオーブンは、厨房奥の壁にぴったりと据え付けられていた。

背面は壁に隠れていて、家庭用の家電みたいにコードが伸びているわけではない。

 

足元にも、横にも、抜けそうなプラグは見当たらない。

 

「埋め込み式ね。壁の中から直接電源を取っているタイプでしょう。

 少なくとも、私たちがすぐ抜けるようなコンセントは見当たらない」

 

そう言いながらノクスは、オーブンの分厚い覗き窓から中の様子を確認しようとする。

 

「……天板で隠されているわね……」

 

私とナツミも左右のオーブンを覗き込む。

 

本来ならそれに料理や食材などを載せて焼くための天板が、

今焼いている物体を隠すように被されていた。

 

扉はセーフティロックで開かない。

停止ボタンは壊されている。

小窓から覗こうにも、どちらも天板で覆われている。

 

つまり、私たちはこの800℃の焼却が終わるまで、中を確認することができない。

 

私は腕時計を確認する。

 

「捜査終了時刻が7時40分で、今は6時55分……。

 左のオーブンは焼却終了時間まで残り39分だから……」

「5分程度は、左のオーブンが開いてから中を調べる時間はありそうね」

 

ノクスが淡々と言う。

 

「ほな、右は……?」

 

ナツミが右側の表示を見る。

 

右【800℃ 残り時間 1時間39分】

 

その数字は、まるでこちらを嘲笑っているように赤く光っていた。

 

「右のオーブンが開く頃には、とっくに魔女裁判が始まっているわね。

 少なくとも、捜査時間中に中を確認することはできない……」

 

「これってもしかして、切り取ったパーツ入れて燃やしてるっちゅーことか……?

 犯人があの儀式を邪魔されたくないから、わざわざボタン壊して……」

 

「……分からない。でも、少なくとも左のオーブンはギリギリ確認出来るわ。

 開く時間になるまでここでじっとしている理由はない。

 表示が0になる時間になったら、またここに集まりましょう」

 

「せ、せやな……とりあえずは後回しや」

 

「……まだ調べるべきところは山ほどあるしね」

 

私たちは厨房をざっと見回した後、ラウンジの方へと戻ることにした。

 

 

ラウンジの窓際。

雨に濡れた外の景色を背にするように、一脚の椅子が置かれている。

 

そこに、贄熊ライトの死体が座らされていた。

 

魔女化した頭は力なく項垂れていて、長い髪が顔の横へ垂れている。

長い爪が目立つ両手はだらりと椅子の横に落ち、身体は背もたれに預けられていた。

 

そして膝から下へ視線を落とすと……その両足の先が、なかった。

 

ノクスはライトの長いスカートの裾をめくり上げる。

 

「……大腿部の半分ほどが魔女化しているわね……」

 

ライトの身体は、人間のものと呼ぶにはあまりにも異様だった。

 

皮膚は黒ずんだ硬質な質感へ変質している。

血管のような模様が浮き上がり、ところどころが鱗にも、ひび割れた岩にも見える。

かろうじて、切り取られた足先よりも上のあたりだけが人間の質感を保っている程度だった。

 

そして上半身には、アイアンメイデンで拷問を受けた時の穿刺痕がある。

 

「……これが、魔女化……」

 

私は顔をしかめる。

 

「腕や肩だけやなくて、脚まで来とったんか……」

「だけど、完全に全身へ波及しているわけではない。

 膝上から大腿部の半分までは、まだ人間の皮膚の状態を保っているわ。

 少なくとも、足先まで完全に異形化していたわけではなさそうね」

「足先は……普通やったってこと?」

 

ナツミが眉をひそめる。

 

「切り取られている以上、実物を確認することはできないわ。

 ただ、残っている切断面の周囲を見る限り、付近に大きな異形化は見られない。

 足先も同じような状態だった可能性は高いでしょうね」

 

ライトの身体から切り取られた、両足の先。

私はその欠損部分を見つめる。

 

切断面は赤黒く乾いていたけれど、椅子の下に血溜まりはない。

ラウンジ中央に広がる、ミサの死体の周囲の血とはまるで違っていた。

 

懲罰房にあったアイアンメイデンの内扉や内部には、上半身部分にのみ棘があった。

だから下半身は無傷でいられたのだろうが……下半身である大腿部も半分は魔女化してしまっている。

 

「そう言えば、魔女化による異形化は爪が伸び始めて、手の先から始まるんだっけ」

 

私は思い出したように、ポケットからスマホを取り出す。

そして、『魔女化について』の項目を開いた。

 

すると、魔女化による異形化までのプロセスが

一枚の図によって説明されている画像が追加されていることに気付いた。

 

【挿絵表示】

 

「ライトの魔女化は④が少し進行したあたり、ってところか……」

 

私はスマホを見ながら呟いた。

 

するとノクスは顔を上げ、ライトの頭を見つめる。

 

「……これは……?」

「どうしたの?」

 

私が聞くと、ノクスはライトの虚ろな瞳を指差す。

私はそれに釣られるように視線を向ける。

 

「なんか……目が結晶化してる……?」

 

瞳の表面は硬質化し、薄い結晶の膜でも張ったかのようにかすかな光を反射していた。

 

「……ほんまや。目ぇが……石みたいになっとる……」

 

ノクスはライトの顔に触れないよう、慎重に角度を変えながら瞳を確認する。

 

私はすかさず、スマホで撮っておいた"ドゥオデキム"についての説明書きを見る。

 

 

◇【ドゥオデキム】引き渡し時・注意事項

 

本薬品【ドゥオデキム】は、完成版毒薬B号以前の試作薬であり、

魔女因子との反応を前提として開発された試作段階の致死性薬剤──【魔女を殺す薬】です。

無色透明の液体であり、外観からは水等と判別しにくい点に留意してください。

 

本剤は、"魔女に付随する不死性"を一時的に無効化する作用があり、

その性質上、対象によって死亡までの経過が異なります。

 

治験段階において、

()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()ことが確認されています。

この結果を踏まえ、

()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()ものと推定されています。

当該条件下では効果は即座に発揮し、短時間で死亡に至る可能性が高いと判断されています。

 

一方、()()()()()()()()()()()()

または()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()に対しては、

致死反応は比較的緩やかに進行しますが、

()()()()()()3()0()()()()()()()()()()()()ことが確認されています。

 

また、魔女化した個体に対する治験において、

死亡後に瞳が宝石状に結晶化する副作用が確認されています。

この現象は魔女因子との反応に起因するものと考えられ、

純粋な魔女に対しても同様のものが現れる可能性があります。

 

本剤は希釈された状態であっても、

魔女因子との反応が確認された場合、同等の効果を発揮します。

 

なお、本剤は体内に取り込まれた場合、経路を問わず効果を発揮します。

 

本薬品の性質を十分に理解した上で、その使用については慎重にご判断願います。

 

 

「この、副作用の瞳の結晶化のせいじゃないか?」

「……なるほど。ドゥオデキムで処刑された時の副作用ね」

「拷問のあと、ドゥオデキムで殺すって言うとったしな……」

 

手書きで書かれたその説明書きを見て、私たちは納得する。

 

「……あれ?」

 

すると、もう一度ライトの上半身に視線を向けた時だった。

 

私は妙な違和感に気付いた。

 

「この傷、なんかちょっとだけ形が違くないか?」

「傷?」

 

ナツミとノクスが顔を近づける。

 

よく見ると、アイアンメイデンによる拷問でついたであろう上半身の穿刺痕に紛れて、

胸やお腹のあたりに少しだけ形の違う傷が数か所ついていた。

 

棘で刺されたような丸い穴ではなく、

皮膚を真っ直ぐに割ったような、刃物で刺した時のような痕だ。

 

「……ほんまや。アイアンメイデンの棘の傷とは、ちょい違うな……」

 

ノクスはライトの胸元に触れないよう、慎重に角度を変えながら傷を確認する。

 

「これは、刃物のような薄いものが刺さった時にできる線状の傷に近いわね」

「じゃあ……これ、拷問の傷じゃない?」

「……おそらくは、運営側がドゥオデキムでライトを処刑した時のものかもしれないわ」

 

ノクスはそう言って、私のスマホに表示された説明書きへ視線を落とした。

 

「説明書きには、"経路を問わずに効果を発揮する"とある。

 つまり、経口摂取でも吸引でも……それこそ、

 毒をナイフに塗布しての刺突なんかでも、毒は体内に回るということね」

 

「……でも、なんでわざわざナイフなんや?

 飲ませるとか、注射するとか、他にも方法あるやろ」

 

「魔女化したライトが素直に飲むとは限らないわ。

 吸引や注入させるにも準備がいる上、暴れて抵抗される可能性がある。

 でも刃物に塗布して刺すだけなら、相手にはほぼ確実に薬を体内へ入れられるわ。

 処刑方法としては、合理的ではあるわね」

 

「な、なるほどな……」

 

ナツミが重々しく呟いた。

 

 

私たちもう一度、ライトの死体を服の内側からポケットの中まで隅々まで調べてから、

何も無いことを確認し、ナツミとノクスはその場を後にする。

 

私もその後に続こうとして──

ふと、足を止めて振り返った。

 

窓際の椅子で、灰色の雲の景色を背負うようにライトの死体は項垂れたまま座らされている。

 

魔女化した顔に、結晶化した瞳。

深い緑色の長い髪の隙間から覗く、変質した口元。

 

「……」

 

気のせいかもしれない。

 

死体の表情なんて、角度や影の具合でいくらでも変わって見える。

窓の外の曇った光が、魔女化した肌の凹凸に変な影を落としているだけかもしれない。

 

だけど。

 

少しだけライトは──

 

 

()()()()()

 

 

そんな気がした。

 

苦痛の名残なのか、魔女化による変質なのか。

それとも、死の直前に浮かべた感情なのか。

 

分からない。

 

けれど、その微かな笑みは、私の胸に妙な不快感を残した。

 

まるでライトだけが、私たちの知らない何かを知っているみたいで。

 

まるでこの事件の滑稽さを、死んだ後も嘲笑っているみたいで。

 

「マキ? ……どうしたの?」

 

ノクスの声で、私は我に返る。

 

「……何でもない」

 

私はそう答え、ライトから目を逸らした。

 

何でもない……ただの気のせいだ。

 

そう自分に言い聞かせ、ラウンジの玄関へと向かった。

 

 

ラウンジの中で調べられるものは、一通り確認した。

もちろん、分からないことは山ほど残っている。

 

それでも、いつまでもラウンジの中に留まっているわけにはいかない。

 

左のオーブンが開くまで、まだ時間がある。

その間に、他の場所を調べなければならない。

 

「……ラウンジの中は、ひとまずこんなところか」

「流石にラウンジだけで時間を取られ過ぎたわね……」

「いや、しゃーないわ。辺り一面地獄絵図なんやもん……」

 

ナツミが疲れ切ったように項垂れる。

その声にはいつもの軽さはなかった。

 

私たちはラウンジの扉を開け、外へ出る。

途端に冷たい空気が頬を刺した。

 

「……灯油の臭いが残ってるわね。

 ラウンジの周りに撒かれていたと見ていいでしょう。

 火は外側からつけられた可能性が高いわ」

「中までは燃え広がってへんかったもんな……」

 

ノクスとナツミがラウンジの周囲を見ながら言う。

 

その時だった。

 

ラウンジから出たところで、私は周囲に黒いものがいくつか落ちていることに気付いた。

 

最初は、燃えた木屑が飛んできたのかと思った。

ラウンジの周囲には焦げた枝や煤の塊がいくつも落ちていたから、その一つだと思ったのだ。

 

けれど、近づいてみると少し違った。

それは木屑にしては薄く、灰にしては形が残りすぎている。

 

私はしゃがみ込み、そのうちの一つを指先でそっと拾い上げる。

 

「……紙?」

 

私が呟くと、ノクスとナツミが振り返る。

 

「紙?」

 

ナツミが近づいてきて、私の手元を覗き込んだ。

 

「燃え残りやろか。でも何の紙や?」

 

私は、その紙に見覚えがあった。

 

「これ……ライトの【封印】の紙じゃない?」

 

その言葉に、ノクスの目がわずかに細くなった。

 

「見せて」

 

ノクスはハンカチ越しにそれを受け取り、焦げていない部分を確認した。

 

紙の半分は黒く炭化しているが、完全には燃え尽きていない。

 

「……ええ。大きさからしてライトの封印紙と見ていいでしょうね」

「なんでこんなところに……?」

「ラウンジの外やで? しかも燃えかけで、雨に濡れて……」

 

私は周囲を見回す。

 

同じような黒い紙片がいくつか落ちていた。

全部が半分ほど焼け焦げ、残った部分は雨を吸ってぐしゃぐしゃになっている。

 

火に焼かれながらも、雨によって途中で燃焼を止められた……そんな風に見えた。

 

「……マリーの雨で、燃え残ったのかな」

 

私が呟くと、ナツミははっとしたように顔を上げた。

 

「そっか……。もし雨が降ってへんかったら、これも全部燃え尽きとったかもしれへんのか」

「その可能性はあるわね」

 

ノクスは紙片を見つめながら頷いた。

 

「じゃあ……マリーちゃんの魔法が、証拠を残したってことか」

「後で確認することが増えてしまったけれど、これは重要な証拠ね」

 

その言葉を聞いて、私は胸の奥がじんと熱くなった。

 

マリーの魔法は、また誰かに利用されたわけじゃない。

 

少なくとも今、ここに残っていた証拠は、マリーの雨がなければ消えていたかもしれない。

 

「……よかった」

 

思わずそんな言葉が漏れた。

 

「ひとまず、ここからは各々分担して捜査しましょう。

 時間が足りないわ。左のオーブンが開くまでに、確認できる場所をできるだけ潰しておく必要がある。

 私も、試さなければならないことが出来てしまったしね」

「せやな。ウチもホテル側探しとるみんなに何か見つかったか聞いてくるわ」

 

ナツミはそう言って、ラウンジからホテルへ続く道の方を見た。

 

「じゃあ、私は冬のエリアのラウンジ以外を見てみるよ」

「ええ。二人ともお願い」

 

そこで一旦、ノクス、ナツミとは別行動を取ることになった。

 

 

私はまず、『炙りビン工房』の中を覗いてみた。

 

(高温の炉とかっていかにも儀式に関係してそうだけど……)

 

もしかしたら、この炉の中に見つかっていないパーツが入れられたのでは、と思ったが、

何かを入れたような痕跡もなく、特に手がかりになるようなものはなかった。

 

そもそも、炉の入口の穴が小さすぎる。

ビンを炙るための炉であって、何か大きなものを放り込むためのものではない。

切り取られた部位を入れるには、明らかに向いていなかった。

 

「……ここじゃないか」

 

私は小さく呟き、炙りビン工房を後にした。

 

同じように、昨日、大腿部のないダイヤと腹部のないポムの死体が見つかった、

『食糧貯蔵庫』を覗いてみた。

 

奥の冷凍庫も調べてみたけれど、工房と同じように目ぼしい証拠品などは見つからない。

 

「ここにも何もないか……」

 

私はため息交じりに貯蔵庫を後にする。

 

すると──

 

「……ん?」

 

食糧貯蔵庫を出て正面には、雪の積もったなだらかな傾斜が広がっている。

丘の上の地面には雪は積もっていなかったが、そこから少し逸れただけで

まるで打って変わってかなりの積雪があった。

 

そして──雨で少し湿っているが、そこに何かが滑ったような跡があるのを発見した。

 

雪の上を、何か線のようなものが擦ったような跡。

線は並行に伸び、丘の斜面に沿って下っていくように続いている。

 

「……ソリの跡?」

 

私はしゃがみ込み、その跡を確認する。

 

「雨が降った後でも分かるくらい残ってる……。比較的新しい跡だ……!」

 

もっと前に誰かが滑ったのなら、雪が積もって見えなくなっているはずだ。

 

(つまり、これは犯人のものである可能性が高いかもしれない……!)

 

私はそれをスマホで撮影し、

その跡が続く先を追うために、冬のエリアの丘から手すりのない階段を下りる。

 

階段の横に広がる雪の斜面を、ソリの跡はなだらかに下っている。

そして、丘の傾斜が無くなったあたりでソリの跡は途絶えていた。

 

代わりに、雪の積もっていない舗装された道へと向かうように数歩、足跡のようなものが続いている。

 

私はしゃがみ込み、顔を近づける。

 

ただ、その足跡は綺麗な形ではなかった。

 

靴底の模様が分かるようなものではない。

むしろ、わざと踏み潰したみたいに輪郭が崩れている。

それもかなり強く、意図的に乱されたような感じだ。

 

「犯人が丘の上からソリで滑って……雪の積もってない道まで歩いた?」

 

それも、わざわざ足跡を消すようにしながら。

 

誰かが雪の上を歩いたということがバレるのは構わないが、

誰がそこを通ったのかは特定されたくない。

 

そんな風な印象を受けた。

 

(……でも、それだと変だぞ……)

 

ソリで滑り降りてまで、そこから雪の上の足跡をもみ消しながら歩くくらいなら、

そもそも階段を使えばいいのに。

 

丘の上へと続く階段にも、道と同じように雪は積もっていない。

 

初めに冬のエリアを見て回った時も、この道や階段、丘の上の地面には雪が積もっていなかった。

おそらく、道路の設計や材質、融雪対策なんかの影響だろう。

 

つまり、犯人はわざわざ足跡の残らない階段を使わず、

ソリで丘を滑り降りてからこの道へと移動したことになる。

 

(……なんでわざわざそんなことを……?)

 

犯人が足跡を隠したかったなら、最初から階段を使えばいい。

犯人が痕跡を残したくなかったなら、わざわざ雪の斜面を滑る理由がない。

 

でも逆に……犯人が"ソリの跡を残したかった"のだとしたら。

 

移動の利便性のためではなく、私たちに『ソリで何かを運んだ』と誤認させるためのフェイク。

あるいは、移動時間や経路を偽装するための意図的な工作──

 

そこまで考えて、私は眉をひそめた。

 

今の私に分かるのは、ソリのような跡が残っていること。

その跡が丘の上から下へ続いていること。

 

そして、ソリ跡が途切れた場所から、

雪の積もっていない道へ向かって崩れた足跡が数歩残っていること。

 

それだけだ。

 

「……とりあえず、後で共有するために記録しよう」

 

私はスマホを構え、意図的に乱された足跡と、

雪原をまっすぐに行く二本のソリ跡をスマホの画面に収めた。

 

 

そして私は、冬のエリアで唯一調べていない『倉庫』へと足を向けた。

 

昨日、両手を含む胸部が切り取られたヤヒメの死体が見つかった場所──。

 

扉を開けると、やはり外と何ら変わらない冷たい空気が頬を撫でる。

 

昨日ここで見た光景が、一瞬だけ頭をよぎる。

 

床に置かれたヤヒメの死体。切り取られた胸部。

その傍に置かれていた紙片。

 

私は小さく息を吐き、無理やり視線を前に戻した。

 

私はまず、倉庫の壁際にいくつも並べられてあるソリの元へと駆け寄った。

 

「……あっ!」

 

すると、そのソリの一つに、湿ったような跡があるのに気付いた。

 

他のソリは完全に乾いていたが、その一台だけは底面がうっすらと濡れている。

 

「やっぱり、ソリで滑った跡だったんだ……」

 

犯人はミサを殺害し、丘の上のラウンジに火を付けたあと、

ソリであの傾斜を滑り下り、そのソリを『倉庫』に戻し、

そのまま何食わぬ顔で春のエリアへ戻っていった。

 

今ある痕跡だけを見れば、そう考えるのが自然だ。

 

「じゃあ、やっぱりラウンジの火災にはここの灯油が使われたのか」

 

私は念のため、倉庫の奥に積まれていたポリタンクを確認する。

すると、やはりいくつかの容器の中身が空になっていた。

 

少しずつだが、ラウンジの外で起きたことが形になっていく気がした。

 

犯人はあらかじめ、倉庫からソリと灯油を用意していた。

ミサを殺害したのち、ラウンジ周辺に灯油を撒き、

ラウンジに火を付けた後にソリで丘を下り、それを倉庫へ戻した。

そして雪の積もっていない道まで、足跡を偽装しながら姿を消した。

 

「……」

 

だが、行動の筋道が見えてくる一方で、どうしても腑に落ちない不自然さが残る。

 

どうしてリスクを冒してまでラウンジに火を付ける必要があったのか。

そもそも、どうやってミサをあの場所へ呼び出したのか。

そして……ライトの死体はもちろんのこと、あの巨大なギロチン台だ。

 

あんな大きなものを、どうやって丘の上まで運んだというのだろう。

分解してパーツごとに往復して運べば、物理的に不可能ではないかもしれない。

 

けれど……。

 

そこまでして、わざわざギロチンを丘の上のラウンジまで運び込む理由は?

 

事件の輪郭が段々と形作られていく半面、

肝心の中身の方は未だ靄の中に包まれたままだった。

 

私は思考を整理しながらスマホで濡れたソリと空のポリタンクを撮影し、

重い足取りで倉庫を後にしてひとまず春のエリアへと戻ることにした。

 

「……あれ?」

 

すると、倉庫の入口の横──

 

雪で覆われているその場所から、何か黒く細長いものが端だけ覗いている。

マリーの雨によって表面の雪が薄く溶け、隠れていたそれが露わになったのかもしれない。

 

私はそれを掘り起こしてみる。

 

【挿絵表示】

 

「これは……火かき棒?」

 

それは、冬のエリアを最初に見て回った時、

丘の上のラウンジに備え付けられていた"火かき棒"だった。

 

それも、二本。

 

(なんでこんな場所に……)

 

ラウンジの暖炉の横にあったはずの火かき棒が、なぜか倉庫の入口横にある。

まるで、雪の中に埋められて隠されるように。

 

(事件に関係ない……なんてことはないよな)

 

私は事件に関係している証拠としてその火かき棒も記録した。

 

 

春のエリアに戻る道を歩きながら、私は冬のエリアで得た情報を整理する。

 

ラウンジの死体、厨房、ラウンジ周辺、雪の跡──

 

それらの写真タップし、一枚一枚指で送っていると、ふと目に入ったものがあった。

 

ドゥオデキムの説明書だ。

 

ライトの死体を調べていた時に、改めて確認した手書きの説明書。

私はなんとなく、それを開いてじっと見る。

 

(ライトは、この毒で処刑されたんだよな……)

 

説明書には、ドゥオデキムの性質が書かれている。

 

魔女化した個体には、即効性の致死反応を示すこと。

死亡後、瞳が宝石状に結晶化する副作用があること。

 

ライトの瞳はその説明通りになっていた。

彼女がドゥオデキムで処刑されたことは間違いない。

 

「……ドゥオデキム」

 

私は小さく呟く。

 

(……そういえば──そもそも、"ドゥオデキム"ってどういう意味なんだろう)

 

ただの薬品名にしては、妙に耳慣れない。

それに、魔女に関連した言葉は、やけに意味ありげなものばかりだ。

 

アゾット儀式、サラマンダーの火、そして見立てによって切り取られた各部位の名称。

 

なら、この毒の名前にも何か意味があるのかもしれない。

 

「……図書室、行ってみるか」

 

私は進路を少し変えた。

 

図書室には、『第三篇』の本が置かれていた。

 

あれがこの事件に関わっている以上、事件が進んだ今、

また新しい魔女関係の本が追加されている可能性もある。

もしかしたら、ラウンジで見つかった死体に合わせて、別の本が置かれているかもしれない。

 

それに……せっかく図書室へ行くなら、ついでに"ドゥオデキム"の意味も調べられる。

 

私は足を速め、春のエリアへ戻った。

 

 

ホテルの入口から、二階の図書室へ向かう。

 

扉を開けると、古い紙と木の匂いが鼻を掠めた。

 

私はまず、第三篇が置かれていたカウンター机に歩み寄る。

 

……が、新しく置かれたような紙束は見当たらない。

 

中央の大きな読書机にも、前にもあった辞書がぽつんと置かれているだけで、

三日前に私がここで第三篇を見つけた時と、何ら変わり映えしない光景が広がっていた。

 

(……でも、ちょうどいいか)

 

私はその辞書を広げる。

 

薄い紙が、指先でぱり、と硬い音を立てる。

まだ開き癖のついていないページは、少し油断するとすぐ元に戻ろうとした。

 

「ドゥ……ドゥオ……」

 

指先で項目を追っていく。

 

そして、私は目的の単語を見つけた。

 

 

『ドゥオデキム【duodecim】

 (数・ラテン語)ラテン語で「12」を意味する数詞。』

 

 

「……12?」

 

毒薬に付けられた名称の正体は、拍子抜けするほどシンプルな数字だった。

 

胸の奥に、小さな違和感が生まれる。

 

私はスマホを取り出し、もう一度ドゥオデキムの説明書の写真を開いた。

 

そこには手書きの文字が並んでいる。

 

 

『◇【ドゥオデキム】引き渡し時・注意事項。

本薬品【ドゥオデキム】は、完成版毒薬B号以前の試作薬であり──』

 

「……」

 

そこまで読んで、私の指がぴたりと止まった。

 

完成版毒薬『()()』。

 

最初に流し読みした時は、何の疑いもなくそう読んでいた。

手書きの文字が少し崩れていて、アルファベットのBに見えたからだ。

 

けれど──

 

もしも『ドゥオデキム』が「12」を意味する言葉であり、

この薬の開発プロセス全体が数字によってナンバリングされているとしたら。

 

私は画面を拡大する。

 

少し癖のある手書き文字に、縦に伸びた線。

 

今までBだと思っていた文字。

 

でも、そう意識して見れば、別の字にも見える。

 

「……13……?」

 

完成版毒薬13号以前の試作薬。

 

つまり──

 

ドゥオデキムは、完成版である13号より前に作られた試作薬。

 

毒薬12号。

 

「……だから、ドゥオデキム」

 

名前と説明書の意味が、そこで繋がった。

 

(……そう言えば)

 

私は、ふと以前耳にしたイリスの言葉を思い出す。

 

あれはたしか──2回目の魔女裁判の時だ。

 

ポムが殺された事件。

あの密室について議論していた時、イリスはこう言っていた。

 

『医務室には、数字やローマ字が書かれたラベルが貼られているだけで、

 何の薬かまでは分からないものがいくつかありました』

 

「……数字や、ローマ字……」

 

私は机の上に置いたスマホを見つめた。

 

完成版毒薬13号以前の試作薬。

 

もし、ドゥオデキムが毒薬12号なのだとしたら。

もし、医務室に数字やローマ字だけのラベルが貼られた薬品……

例えば、『12』とだけ貼られた薬なんかがあったのだとしたら。

 

それは……『医務室』にドゥオデキムが置かれている、ということなんじゃないか?

 

(一応、確かめに行かないと)

 

私は辞書を片腕に抱え、医務室へと向かった。

 

 

医務室の扉を開けると──

 

 

「……あ」

 

中にいた二人が、こちらを振り向く。

 

シロと、マリーだった。

 

診察台の端に腰掛けたマリーの背中を、シロがゆっくりとさすっている。

マリーの顔色はまだ少し悪く、目元も赤い。

小さな指先はぎゅっと自分の服の裾を掴んでいる。

 

けれど、ラウンジで気を失った時よりは、少しだけ呼吸が落ち着いているように見えた。

 

「マキちゃん……?」

 

シロが小さく声をかけてくる。

 

「ごめん、邪魔するつもりじゃなかったんだけど……」

 

マリーも、ぼんやりした目でこちらを見る。

 

「……マキ、ちゃん……」

 

その弱々しい声を聞いた瞬間、胸が痛んだ。

 

「マリー、大丈夫?」

 

私が声をかけると、マリーは少しだけ俯いて、それから小さく頷く。

 

「……まだ、ちゃんとは大丈夫じゃないけど……。

 でも……シロちゃんが、ずっと一緒にいてくれたから……」

「そっか……」

 

私はほっと息を吐く。

 

けれど、その安堵はすぐに別の重さへ変わった。

 

マリーは目を覚ました……なら、知っているのだろうか。

 

ラウンジで何を見たのか、ミサがどうなったのか。

 

私は言葉を探しながら、シロの方を見る。

 

「……シロ」

「……?」

「その……マリーには……ラウンジで起きたこと、ちゃんと話したの……?」

 

シロは一瞬だけ目を伏せた。

そして、静かに頷く。

 

「……うん。話したよ」

「……そうか」

「目が覚めた時、マリーちゃんも薄々分かってたみたいだった。

 だから、ずっと何も言わないままなんてことは駄目だと思って」

 

マリーの肩が、小さく震えた。

 

「マリー……」

「……分かってる。……ううん……

 まだちゃんとは分かってないけど……。

 でも、シロちゃんがちゃんと教えてくれたから……」

 

マリーは俯いたまま、かすれた声で言った。

 

「マリー、ずっと……ミサちゃんが起きてきてくれるんじゃないかって……思っちゃって……。

 でも……そうじゃないって……少しずつ……分かってきた」

 

ミサは死んでしまった。

 

その事実を、マリーは今、少しずつ飲み込もうとしている。

喉に引っかかる硬い塊を、無理やり飲み下すみたいに。

 

「……ごめん、マリー」

 

私は唇を噛む。

 

今ここで、マリーにかけられる言葉なんて多くない。

 

ミサが戻ってくるなんて言えない。

大丈夫だなんて言えない。

泣かないでなんて、絶対に言えない。

 

でも、一つだけ伝えたいことがあった。

 

「マリー。さっきの雨だけど」

「……雨?」

 

マリーが、ほんの少しだけ顔を上げる。

 

「ラウンジの外に、燃えかけた紙が残ってたんだ。

 それに、倉庫の前に埋もれてた火かき棒も見つけた。

 雪が雨で少し溶けたから、見えるようになったんだと思う」

 

「……火かき棒……?」

 

「うん。ラウンジにあったはずのものが、倉庫の前に落ちてた。

 犯人に関する手掛かりかもしれない」

 

私ははっきりと言った。

 

「マリーの雨がなかったら、紙は燃え尽きてたかもしれない。

 火かき棒も、雪に埋もれたまま見つからなかったかもしれない」

 

マリーの瞳が、小さく揺れる。

 

「……マリーの、雨が……?」

「うん」

 

私は頷く。

 

「マリーの魔法は、ちゃんと役に立った。

 犯人を見つけるための証拠を、残してくれたんだ」

 

マリーは……泣きそうな顔をしていた。

でも、さっきまでの絶望で固まった顔とは少し違う。

 

「……マリーの雨……全部、悪いことじゃ……なかったんだ……」

「うん。私はそう思ってる」

「……そっか……」

 

マリーは小さく呟いた。

 

シロが優しくマリーの背中を撫でる。

 

「よかったね、マリーちゃん」

「……うん……」

 

マリーは小さく頷いた。

 

それから、ゆっくりと顔を上げる。

 

その瞳の奥に、さっきまでとは違う光が少しだけ戻っていた。

 

「……マリーも。

 マリーも……何か、する」

 

マリーは震える声で言った。

 

「ミサちゃんを……あんなふうにした人……探すために。

 マリー、まだ怖いけど……でも、何もしないで待ってるのは……もっと怖いから」

「マリー……」

「だから……シロちゃんと一緒に、みんなに話を聞いてくる。

 誰がどこにいたのかとか……マリーにも、聞けることあるかもしれないから」

 

シロは少し驚いたようにマリーを見た。

 

けれどすぐに柔らかく微笑む。

 

「うん。じゃあ、一緒に行こっか」

「……うん」

 

マリーは診察台からそっと足を下ろす。

 

「無理はしないで」

 

私が言うと、マリーは小さく頷いた。

 

「無理は……しない。

 でも……ミサちゃんのために、できること……したい」

「……ありがとう、マリー」

 

私がそう言うと、マリーは首を横に振った。

 

「マキちゃんも……犯人、見つけて」

「……うん。絶対に見つける」

 

シロが振り返って優しく頷き、マリーと一緒に静かに医務室を後にした。

 

二人の足音が遠のき、パタンと重い扉が閉まる。

誰もいなくなった医務室には、薬品と消毒液の匂いと、静寂だけが残された。

 

私は息を呑んで奥の薬品棚へと歩み寄った。

 

そこにはイリスの言っていた通り、透明な容器に入った無色の液体がいくつも並べられていた。

 

『KCl2M』『97531』『MgSO4 1M』『658』『T09β』『0.5M EDTA』『7441』

 

よく分からない文字列や数字だけのものもあり、どれが何の薬なのか見当もつかない。

 

その中で──

 

『12』

 

「……!」

 

1リットル程の、コルクで栓をしてある透明な容器に、

その数字が書かれたラベルが貼られていた。

 

中身は無色透明の液体だった。

説明書に書かれていた通り、外から見ただけでは水とほとんど区別がつかない。

 

(やっぱり……医務室にあったんだ……!)

 

手書きの説明書にあった「試作薬」の正体。

ドゥオデキムという名前は、ナンバリングされて管理されていた薬品の番号だった。

 

「……これが、ライトを殺した"魔女を殺す薬"……」

 

何枚か撮影してから、私はもう一度、容器へ顔を近づける。

 

そして、そこで気付いた。

 

「……コルク?」

 

容器の口を塞いでいるコルク栓。

 

一見するとしっかり閉まっているように見える。

けれど、よく見るとコルクの上部に擦れたような跡があった。

 

栓の側面に残った、わずかな削れ。

容器の口元には、コルクが一度ずらされたような跡がある。

 

──栓の縁と瓶口の汚れが、ぴったり合っていない。

 

ほんの少しだけ、位置がずれている。

 

「……一度、開けられてる?」

 

私は慎重にコルクの跡を観察する。

 

もちろん、最初からこうだった可能性もある。

容器に薬品を詰めた時の跡かもしれない。

 

でも、このビンが本当にドゥオデキムなら。

そして、ライトがドゥオデキムで死んだのなら。

 

この開封痕は、あまりにも意味を持ちすぎている。

 

容器の中身は一見すると減っているようには見えなかった。

 

だが、たとえばこの薬を一塗りしたナイフで刺すだけで致命傷になるのなら、

このビンの残存量などさして問題にはならないだろう。

 

これは使われた後なのか、最初からこの量だったのか。

それは分からない。

 

けれど、少なくともこの容器は、完全な未開封品には見えなかった。

 

「……やっぱり」

 

私は小さく呟く。

 

やっぱり、ライトはこのドゥオデキムで殺されたんだ。

 

「……運営が、ここから持ち出してライトを処刑した……」

 

そう考えれば、辻褄は合う。

 

ライトは前回の裁判後、魔女化してアイアンメイデンの中に拘束された。

カンチョーは、拷問の後にドゥオデキムで処刑すると言っていた。

 

宣言通り、運営側が医務室に保管されていたドゥオデキムを持ち出し、

懲罰房でライトに使って処刑した。

その後、運営側が処刑したライトの死体を生物室に保管。

 

そして、何者かがその死体を持ち出した。

 

「……」

 

けれど、胸の奥には小さな違和感が残っていた。

 

どうしてこんな毒薬が、医務室に置いてあったのか。

こんなふうに、参加者が入れる場所に。

 

いや、もしかしたら医務室の薬品棚も、本来は運営の管理下なのかもしれない。

私たちが何の薬か分からないように、あるいは何の薬か悟られないように、

数字やローマ字だけでラベルを貼っていたのかもしれない。

 

そう考えれば、説明はつく。

 

説明は、つく。

 

それなのに──

 

拭い難い違和感が、どうしても頭から離れなかった。

 

私はもう一度、辞書へ視線を向ける。

 

さっき図書室から持ってきた辞書。

新品同然で、ページを開くたびに紙が硬く跳ね返ってくるような、

ほとんど使われた形跡のない辞書。

 

その中で、私が開いたのは一箇所だけだった。

 

私はもう一度、そのページを開いた。

 

『ドゥオデキム【duodecim】

 (数・ラテン語)ラテン語で「12(十二)」を意味する数詞。』

 

やっぱり、そこには同じ説明が載っている。

 

私は薬品棚の『12』と、辞書の項目を何度も見比べた。

 

その時だった。

 

「……あれ?」

 

ページの端に、ほんの小さな違和感があった。

 

新品同然の辞書の紙面──そのページの一部だけが、わずかに波打っている。

 

私は他のページを何枚かめくってみる。

けれど、他のページは綺麗だった。

 

紙の端は揃っていて、折れもなく、指の跡もない。

 

それなのに、ドゥオデキムの項目が載っているページだけは、違った。

 

項目の少し下。

紙の端に近いところに、薄いシワが一本。

 

さらにその近くには、爪を立てて押さえたような小さな跡があった。

普通なら見逃してしまうような、ほんのわずかな凹み。

 

でも、一度気づいてしまうと、それは妙にはっきりと浮かび上がって見えた。

 

私はさっき、確かにこのページを開いた。

 

でも、こんなところに爪を立ててはいない。

ページの中央を指で押さえただけだ。

 

なのに、このページだけに誰かが触れた痕跡がある。

 

「……誰かが、このページを開いたことがある……?」

 

誰かが、私より先に──

 

 

この辞書で、"ドゥオデキム"という言葉を調べた……?

 

 

 

私が、この辞書が図書室の机に置かれていたのを見かけたのは、たしか……

冬のエリアが開放された次の日の朝だ。

 

もし、誰かがこのページを開いたことがあるのだとしたら──

少なくとも、私が今このページを開くより前に、誰かが同じ項目を調べていたことになる。

 

今から、何日も前に。

 

誰かが、このページを開いた。

 

 

「……ははっ……」

 

 

喉の奥から、乾いた笑いが漏れた。

 

我ながら、飛躍しすぎた考えだと思った。

 

こんなのはただの偶然だ。

 

ページに少しシワがあって、爪を立てたような跡がある。

 

それだけで、誰かが"ドゥオデキム"という単語を調べたなんて決めつけるのは無理がある。

 

それに、この辞書が本当に新品だったかどうかも分からない。

私が勝手にそう感じただけだ。

 

誰かが昔、たまたまこのページを開いたのかもしれない。

ページをめくる時に、偶然そこだけ強く押さえられたのかもしれない。

運営側の誰かが確認した可能性だってある。

 

そうだ。

そう考えれば説明はつく。

 

「……ただの、偶然」

 

私は自分に言い聞かせるように呟いた。

 

けれど、指先はまだ辞書のページから離れなかった。

 

その時──

 

ポケットの中でスマホが震えた。

 

画面に表示された名前は、灰村ノクス。

 

私は慌てて通話ボタンを押す。

 

「もしもし、ノクス?」

『マキ。今どこ?』

「医務室。今、出るところ」

『左のオーブンがもうすぐ開くわ。残り時間は5分くらいよ』

「……!」

 

左のオーブン……。

切り取られたパーツが焼かれているかもしれない、あの箱。

 

『ロックが外れたら、すぐ中を確認する必要があるわ』

「分かった、すぐ行く!」

 

私は通話を切り、冬のエリアのラウンジ奥の厨房へと走った。

 

 

スイングドアを押し開けて厨房に入ると、既に皆が集まっていた。

ノクス、ナツミ、リンリ、ハイジ、イリス。

少し離れた入口付近には、シロに支えられるようにしてマリーも立っている。

 

厨房奥の二台の業務用オーブンは、相変わらず低い唸り声を上げていた。

 

左のオーブンの表示は、残り一分を切っていた。

 

【800℃ 残り時間 00分43秒】

 

一方で、右のオーブンは、依然として長い時間を刻み続けていた。

 

【800℃ 残り時間 1時間00分】

 

「ノクスさんの話によると、

 この中に……切り取られたパーツが入っている可能性が高いって……」

「……そろそろ開くよ」

 

イリスの震える声に、リンリが硬い表情で応じる。

 

そして──。

 

【00分00秒】

 

ピピピピッ、という電子音が厨房に鳴り響いた。

 

同時に、重低音を響かせていた不気味な機械音が少しずつ弱まり、

排熱ファンの回転音が低くなっていく。

 

それから間もなく、ガチャンというロックが外れるような音がオーブンから聞こえた。

おそらく、排熱完了も含めた時間設定なのだろう。

 

ノクスは備え付けの耐熱手袋を両手に嵌めた。

 

「開けるわよ」

 

重い金属の扉が、ゆっくりと手前へ引き倒される。

 

焼けた金属の匂いと、焦げた何かの臭い。

そしてまとわりつくような乾いた灰の匂いが鼻をつく。

 

被されていた天板を、ナツミが大きなトングで退かすと──

 

「これ……骨……!」

「うっ……」

 

そこには、白く変色した骨が、灰の中に残されていた。

 

ライトから切り取られた『足先』。

そして、ダイヤから切り取られた『大腿部』。

 

それらは800℃の灼熱によって肉を焼き尽くされ、

真っ白な骨となって、まだ細い煙を上げていた。

 

骨の下には、肉や脂を焼き尽くしたあとの灰のようなものが残っている。

 

「足先と……大腿部……!」

 

リンリが口元を押さえながら呟いた。

 

アゾット儀式の図になぞらえて、切り取られたパーツはオーブンで焼かれていた。

誰にも邪魔されないように停止ボタンが破壊され、それも800℃という高温で。

 

その事実に、場にいる全員が一様に顔をしかめ、固まっている。

 

けれど、その中でハイジが不安そうに目を細める。

 

「……なんか、若干……大腿骨の方が大きく見えるような……」

 

その言葉に、私は奥の二本の骨へ視線を向けた。

 

確かに、手前の骨になった足先と比べると存在感がある。

けれど、それが不自然なのかどうかまでは分からない。

 

そもそも、焼けた人間の骨なんてまともに見たことがない。

足先の骨と大腿骨を並べて見比べた経験なんて、あるはずもなかった。

 

「……そらそうやろ。

 ライトちゃんとダイヤちゃんやったら、ダイヤちゃんの方が身長高いんやし。

 足先と大腿部を比べたら、そら大腿部の方が大きく見えるんちゃう?」

「あ……そっか……」

 

ハイジは納得したように、少し暗い顔で頷いた。

 

イリスも静かに続ける。

 

「ダイヤさんは、確か170cmを超えていましたよね……。

 私たちの中でも特に背が高い方ですし、

 大腿部の骨が大きく見えること自体は、不自然ではないと思います」

「……うん。そうだよね」

 

すると、リンリがぽつりと呟いた。

 

「……でも、なんで下半身だけなんだろ。

 足先と大腿部だけ、左のオーブンに入れて……他は右ってこと?」

「……単純に、オーブンの大きさの問題かもしれないわ」

 

ノクスが、開いたオーブンの庫内へ視線を向ける。

 

「このオーブンの内部は、高さが30cm、幅が60cm、

 そして奥行きが1メートルほどあるわ」

「1メートル……」

「ええ。奥行きだけ見ればかなりあるけれど、

 人体から切り取った部位をすべて一度に入れるには厳しい。

 それも、焼いている部位を天板で覆っていたくらいだからね」

 

ノクスは、ナツミがどかした大きな天板へ視線を落とす。

 

「なら、下半身側と上半身側で分けた。

 そう考えれば、二つのオーブンを使った理由にも説明はつく」

「じゃあつまり、右のオーブンには……」

 

入口付近にいたマリーがそこまで口にして、耐えかねたように言葉を飲み込んだ。

 

全員が固まり、重苦しい沈黙が厨房を支配する。

 

アテナの腰部、ポムの腹部、ヤヒメの両手を含む胸部。

 

そして──ミサの頭部。

 

上半身の部位は右のオーブンで、800℃の高温で焼かれ続けている。

 

これらは全て焼却された。

 

……アゾット儀式は完全に実行されたということだ。

 

「……」

 

ノクスは閉ざされた右のオーブンをじっと見つめていた。

 

そして、わずかに目を細める。

 

「……右の扉の縁に、少しだけ血が付いている」

「血……? あ、ほんとだ……」

 

私は慌ててスマホのライトを点け、そこへと向けた。

 

言われなければ気づかないような、本当に小さな赤黒い点だった。

扉の上部分の金属枠あたりに、擦れたような血痕が一つだけ残っている。

 

「こんなん、よう見つけたな」

 

ナツミが顔をしかめる。

 

「かなり小さいわ。意識して見なければ見落とす程度ね。

 でも、血である可能性は高い。ラウンジ中央の血痕と同じく、まだ比較的新しい血痕に見える」

「右のオーブンの中に、何かを入れた時に付いた……ってこと?」

「その可能性はあるわね」

 

右のオーブンのまだ開かない扉。

その縁に残った、ほんの小さな血痕。

 

それは、そこに何か血の付いたものが入れられたことを示しているように見えた。

 

「左には足先と大腿部。右には、残りの上半身側の部位。

 特に、頭部は今朝切断されたばかり。

 だとすれば、右のオーブンへ入れる時に血が付着しても不思議ではない」

「……ミサちゃんの、頭を……」

 

マリーが消え入りそうな声で呟く。

 

シロがすぐにマリーの肩を抱いた。

 

「マリーちゃん、無理しないで」

「……うん」

 

マリーは小さく頷いた。

 

私は右のオーブンの扉を見つめる。

 

赤黒く乾きかけた、ほんのわずかな血痕。

それだけで、中に何が入っているのかを想像してしまう。

 

【800℃ 残り時間 55分】

 

「……」

 

私は唇を強く噛みしめた。

無力感と怒りが胸の奥を激しく掻き乱す。

 

 

そのとき──

 

 

ゴーン……ゴーン……

 

 

島中に、再び荘厳な鐘の音が響きわたった。

 

 

『魔女裁判の時間となりました』

 

『皆さん、必ず自身のスマホとタブレットを持って、

 速やかに宿泊部屋通路正面のエレベーター前に集合してください』

 

『従わない者は銃業員によって強制連行します』

 

 

「……とりあえず、やれるだけのことはやったで」

「……行きましょう」

「はぁ……気が重いわ……」

 

これから魔女裁判が始まるというのに、

あまりに異常な事件内容のせいか、皆の顔には既に隠しきれない疲労が刻まれていた。

 

「……マリーちゃん、大丈夫?」

「……ありがとう、シロちゃん。マリーも、頑張って議論する。

 ……ミサちゃんを殺した犯人を、

 みんなにこんなことした犯人を……絶対に許さないよ」

 

マリーがシロの腕からそっと離れ、確かな意思を持って裁判場へと歩を進めていく。

その瞳には、恐怖を乗り越えようとする強い覚悟の光が宿っていた。

 

私も、マリーと同じ気持ちだった。

 

六人もの仲間を殺害し、その死体を残酷に切り刻み、

儀式のためにそれらを灼熱のオーブンで焼き捨てた残忍な犯人──。

 

(絶対に見つけ出す……! ミサのためにも、みんなのためにも……)

 

私は歩きながら、これまでに手に入れた情報を整理する。

 

【事件の整理メモ】

 

【挿絵表示】

 

 

【挿絵表示】

 

■被害者

鈴月ミサ。

 

■死体発見場所

冬のエリアの丘の上にあるラウンジ。

部屋の中央付近で、頭部が切断された状態で仰向けに倒れていた。

 

■死因

不明。

死後に頭部を切断されたのか、頭部の切断が直接の死因なのかは分からない。

 

■死亡推定時刻

死体発見は朝の6時30分頃。

本人が【凍結】の魔法を持っていたため、正確な死亡推定時刻は分からない。

だが、ラウンジに広がっていた血痕は比較的新しかったため、

おそらく、早朝に殺害されたものだと思われる。

 

■発見時の状況

死体の傍には懲罰房にあった組み立て式のギロチンがあった。

服や周囲に飛び散った血痕からして、このギロチンで頭部を切断されたと思われる。

足先の無い贄熊ライトの死体も、ラウンジの椅子に座らされた状態で発見された。

 

■ライトの死体

魔女化が進行しており、上半身は完全に異形化していた。

同じく上半身にアイアンメイデンによる穿刺痕があった。

それに加え、ナイフで刺されたような傷も胸部あたりに数か所見られる。

下半身には傷は無かったが、大腿部の半ばまでが魔女化によって異形化していた。

足先が切断されており、瞳は宝石状に結晶化している。

 

■ラウンジの火災

死体発見現場であるラウンジ周辺には、灯油が撒かれ、火をつけられた可能性がある。

倉庫にある灯油の容器の中身が一部、空になっていた。

 

■半焼けの封印紙

ラウンジ外の焦げ跡付近から、半分ほど燃えた【封印】の紙が数枚見つかった。

端は黒く炭化していたが、マリーの雨で濡れたためか、完全には燃え尽きていなかった。

 

■ソリの跡

ラウンジのある丘の上から下へ、ソリで滑ったような跡が残っていた。

雨のあとでも確認できる程度には新しい跡だった。

丘の下でソリ跡は途切れ、

そこから雪の積もっていない道へ向かうように、崩れた足跡が数歩だけ残っていた。

足跡は意図的に強く踏み潰されたようにも見え、靴底の模様までは分からなかった。

 

■倉庫のソリ

冬のエリアの倉庫にあったソリの一つに、使用直後のような濡れた跡があった。

ラウンジの丘から下へ続いていたソリ跡と関係している可能性がある。

 

■火かき棒

倉庫入口付近の雪の中から、ラウンジにあったものと同型の火かき棒が二本見つかった。

マリーの雨で雪が溶けたため、発見できた可能性がある。

 

■厨房のオーブン

ラウンジ奥の厨房には、業務用オーブンが二台あった。

左のオーブンは、最初に確認した時点で残り40分。

右のオーブンは、残り1時間40分だった。

どちらも800℃で作動しており、停止ボタンは破壊されていた。

そのため、途中で停止させることはできなかった。

 

■左のオーブン

捜査終了直前、左のオーブンだけが開いた。

中には、焼けて白く変色した骨のようなものが残っていた。

焼けて骨になった足先と、大腿骨が二本。

ライトの足先と、ダイヤの大腿部と思われる。

足先に比べて大腿骨の方が大きく、同一人物の骨とは考えにくい。

 

■右のオーブン

右には頭部、両手を含む胸部、腹部、腰部などの上半身側パーツが入っている可能性が高い。

右の扉の縁には、ごく微量の血痕が付着していた。

切断したばかりの、血の付いたミサの頭部を後から入れた時についたものかもしれない。

 

■オーブンの天板

左のオーブンの中身は、大きな天板で覆い隠されていた。

右のオーブンも小窓から中が見えないようになっていた。

 

■アゾット儀式との関係

これまでに発見された死体は、アゾット儀式の図に対応していた。

冬のエリアの『倉庫』では、"両手を含む胸部"の無い天刻ヤヒメの死体。

ホテル地下の生物室では、"腰部"の無い影津アテナの死体。

冬のエリアの『食糧貯蔵庫』では、"大腿部"の無い紺剛ダイヤの死体。

同じく冬のエリアの食糧貯蔵庫の『冷凍室』では、"腹部"の無い地獄谷ポムの死体。

冬のエリアの『ラウンジ』では、"足先"の無い贄熊ライトの死体。

同じく冬のエリアの『ラウンジ』で、"頭部"の無い鈴月ミサの死体が発見された。

各死体の近くには、切り取られた部位を示すような紙片が残されていた。

 

■ドゥオデキム

図書室の辞書によると、ドゥオデキムはラテン語で「十二」を意味する。

手書きの説明書にあった「完成版毒薬13号以前の試作薬」という記述から、

ドゥオデキムは毒薬12号のことだと思われる。

 

■医務室の『12』

医務室奥の薬品棚に、『12』とだけ書かれた無色透明の液体があった。

容器は1リットルほどで、コルク栓がされていた。

コルクには一度開けられたような擦れや、わずかな位置のずれがあった。

 

■辞書の痕跡

図書室にあった辞書は、ほとんど新品同然だった。

しかし、ドゥオデキムの項目が載っているページだけに、薄いシワと爪を立てたような跡があった。

誰かが私より前に、このページを開いた可能性がある。

ただし、それが誰なのか、いつ開かれたものなのかは分からない。

 

 

整理している最中、私はふと頭に浮かんだ疑問をノクスにぶつける。

 

「あ、そういえば……ノクスが言ってた

 『試さなければならないこと』って、何だったの?」

「……これよ」

 

ノクスは懐から真っ白な四角い紙を取り出した。

 

「それって、まさか……」

 

「ええ。ライトの【封印】の紙よ。

 彼女、『ホテルのあらゆる場所に封印紙を隠してある』って言っていたみたいだから、

 ハイジと一緒に捜査している時、念のために探してみたの。

 そうしたら食堂の椅子の裏に、まだ使われていない真っ新なものが貼り付けてあったわ」

 

「あぁ……確かにそんなこと言ってたな」

 

私は以前、ライトが言っていた言葉を思い返しながら頷いた。

 

「それで、確認したかったのは……

 この紙が、ライトが死んだ後でも『誰でも使えるのか』ということ。

 試してみたら、あっさり封印できたわ」

「えっ、ほんとに?」

 

「ええ。紙さえあれば【封印】は機能する。

 ……これで、犯人がどうやってあれだけの死体や巨大なパーツを誰にも見られずに運んでいたのか、

 ようやくカラクリがはっきりしそうね」

 

そう言うと、ノクスは指先に力を込め、目の前でその白い紙をツッと破いてみせた。

すると、紙の隙間から拳大の石ころがひとつ、床へ転がり落ちた。

 

「ほんとだ……使えた……!」

「うわぁ……もったいない……!

 貴重な紙をただの石ころを封印するのに使うなんてぇ……!」

 

ノクスの実験の様子を見ていたハイジが、頭を抱えるようにしてぽつりと呟いた。

 

「検証には、価値の低いものを使うのが妥当よ。

 貴重なものを入れて失敗したら困るでしょう」

「いや、そうだけどさぁ……ライトの紙って便利すぎるから、

 石ころに使うのなんか悔しくない……?」

「今は悔しがっている場合じゃないわ。

 これで、ライトの懐には一枚も【封印】の紙らしきものがなかった理由にも説明がつくわね。

 彼女、何枚かは常に持ち歩いていた節があるというのにね」

 

私はノクスの言わんとしていることが理解出来た。

おそらく、犯人は今回の犯行にライトの【封印】の紙を使用したのだろう。

 

そしてそれを悟らせないために、ライトが持っていた紙をすべて燃やして処分しようとした。

 

その結果、処理の際に風で飛ばされ、

偶然にも燃え残ったものが、ラウンジの外で見つかったあの半分焦げた紙片ということだ。

 

「……じゃあ、ライトが予め封印してた料理とかも全部処分されたのか?」

「おそらくはね」

 

ライトは事あるごとに気に入ったホテルの料理を封印していた。

夏のエリアでみんなでBBQをした時なんて、余った肉やご馳走をかなりの量、

封印するためにこの紙を使っていたのを覚えている。

 

こんな時に思うことではないが、それらがすべて処分されたと考えると、

ハイジじゃないが、私もそれは少し勿体なく思えた。

 

 

やがて、私たちはホテルのエレベーター前に辿り着く。

 

そこには、待ちかねていたようにカンチョーが羽をたたんで静かに佇んでいた。

 

「……あ、皆さんお揃いで。では、裁判場へどうぞ」

 

カンチョーはいつものように首を傾げる。

 

けれど、その声はどこか軽かった。

目に見えて上機嫌、というほどではない。

ただ、いつもより少しだけ面倒くさそうな色が薄い。

 

「いやぁ、今回は上からの指示で、魔女裁判中は楽が出来そうです。実にありがたいですねぇ」

「上からの指示って何やねん」

 

ナツミが眉をひそめる。

 

「今はお答えできません」

「は?」

「お答えできません」

 

カンチョーは、やけにあっさりと繰り返した。

 

いつもなら、嫌味の一つや二つは混ぜてくる。

ルールのことを聞かれれば、面倒くさそうにしながらもそれなりに説明する。

 

でも今回は違った。

 

「では、裁判場へどうぞ。時間厳守ですので」

 

それ以上聞いても無駄だと分かった。

 

いちいちカンチョーのことを気にするのも馬鹿らしい。

 

私はエレベーター前の脇にある、裁判場へ続く階段を下りていく。

 

昨日、初めてホテルのエレベーターに乗ったが、やはりあれは慣れなかった。

 

「……シロ、無理してついてこなくても……」

 

隣を歩くシロに、思わず声をかける。

 

「無理じゃないよ。マキちゃんと一緒の方が、心の整理ができるの。

 ……安心する、っていうか……」

 

シロは私と一緒に裁判場へと続く階段を下りる。

 

けれど、いつもと同じはずのその横顔は、少しだけ白く見えた。

 

『無理じゃない』──そう言ってはいるけれど、本当に平気なわけがない。

 

ミサが殺され、みんなの凄惨な欠損死体も見つかった。

オーブンからは、焼けた骨が出てきた。

 

平気でいられるはずがなかった。

 

「マリーは……大丈夫かな」

 

私が呟くと、シロは少しだけ目を伏せた。

 

「大丈夫……ではないと思う……。

 でも、ミサちゃんのために頑張るって」

「……そっか」

 

マリーの小さな背中を思い出す。

 

ミサのために……その言葉が胸に刺さる。

 

「絶対、見つけないとね。……ミサちゃんをあんな目に遭わせた人を。

 ちゃんと、見つけないと」

 

シロのその声は静かだった。

けれど、その静けさの奥に、押し殺した怒りのようなものが滲んでいたのを感じた。

 

私は何も言えず、ただ頷く。

 

階段を下りる足音だけが、暗い通路に響いていた。

 

裁判場へ近づくたびに、胸の奥の重圧が際限なく増していく。

 

こんなことに、慣れるはずがない。

慣れていいはずがない。

 

それなのに、私たちはこの場所へ、もう当たり前のような顔をして足を踏み入れ、

集めた証拠を整理し、犯人を特定する準備を進めている。

 

やがて、暗がりの中で階段の先に裁判場の巨大な扉が見えてきた。

 

これまでにも何度もくぐり抜けてきた、重厚で冷徹な両開きの扉。

 

手元に揃ったいくつもの不穏なパズルのピースを胸に抱き、

私は強い信念と共に力強く歩き出した。

 

そこにはいつも通りの円形に並んだ無機質な証言台。

そして、その中央を真上から照らし出す、冷ややかな白い光。

 

あの光は、真相を暴き出す希望の光なのか。

それとも、また仲間を失う絶望の光なのか。

 

 

──今、4度目の魔女裁判が始まる。

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