円形に並んだ証言台へ、私たちはそれぞれ足を進める。
中央を照らす白い光が、いつも以上に冷たく感じられた。
空いている証言台は六つ。
ヤヒメ、アテナ、ダイヤ、ポム、ライト。
そして──ミサ。
失われていった仲間たちの幻影を見るように空席を数えた瞬間、胸に鈍い痛みが走る。
全員がそれぞれの位置につき、重苦しい沈黙が円陣を包み込むと、
証言台全体を見下ろせる特等席で、椅子の背もたれを止まり木代わりにしていたカンチョーが
翼を小さく揺らしながらどこか軽い調子で口を開いた。
「はいはい、皆さんお揃いですねぇ。
いやぁ、今回は楽できそうで何よりです」
「……さっきも言ってたけど、それどういうこと?」
シロが怪訝そうな声を漏らす。
「言葉通りですよ。今回は上からのお達しがありましてね。
今回、私が口を開く必要があるのは、議論開始の宣言、投票開始、結果発表……
そういった最低限の事務的な進行だけで構わないとのことです」
「……は? な、なんだよそれ……」
気の抜けた欠伸を一つ漏らすカンチョーに、私は眉をひそめる。
「ほな、ウチらが何か聞きたいことあっても一切答えへんっちゅーことか?」
「はい。魔女裁判中に皆さんから向けられたいかなる質問に対しても、私は黙秘して構わない。
そういう指示です」
「……なんで、今回だけそんな指示が出たの?」
「では、おやすみなさい」
「もう始まっとるんか!?」
マリーの問いに、カンチョーは細く目を閉じる。
「……あ、そう言えばいつも通り裁判開始前のルール説明がまだでしたね」
『魔女裁判について』
・皆様の中で殺人事件が発生した場合、一時間の捜査時間の後、
殺人事件を起こした犯人を『魔女』とみなし、『魔女裁判』が行われます。
・魔女裁判の結果は、皆様の投票により決定されます。
最も多くの票を集めた方が、犯人──「魔女」とされます。
・魔女裁判で正しい犯人を指摘した場合は、犯人だけが処刑されます。
・魔女裁判で正しい犯人を指摘できなかった場合は、犯人だけが『卒業』となります。
・その後、犯人を除いた皆様で、
「正しい犯人を指摘できなかったのは誰の責任か」を決める、『
その投票にて最も多くの票を集めた方は、犯人の代わりに処刑され、
残った皆様には引き続き共同生活を続けて頂きます。
・投票の際、「この中に魔女はいない」と判断した場合には、
誰にも票を入れない『
皆様全員が「スキップ」に投票すると、生き残っている皆様全員が『卒業』となります。
【追加・補足】
・投票の結果、最多得票者が同数となった場合は、
同票となった者のみを対象に決選投票を行います。
・魔女裁判中は、いかなる場合でも魔法の使用を禁止します。
・一度に同一の犯人が殺せるのは二人までです。
・二人以上の人間が新たに死体を発見すると、『死体発見アナウンス』が流れます。
発見者の人数は二人に限らず三人以上になる場合もあり、そこに犯人が含まれるかどうかなどは全てランダムです。
「では、今度こそ魔女裁判開廷ですので。おやすみなさい……」
カンチョーはそのまま椅子の上で目を閉じ、完全に沈黙した。
「本当に寝やがった……」
「か、勝手にも程がありますっ……!
進行役が裁判開始と同時に職務放棄するなんて、前代未聞ですよ……!」
ハイジが引きつった顔で呟き、イリスがおろおろとカンチョーを見つめる。
「……監視カメラとかも見れないってこと……?
何か手がかりが映ってるかもしれないのに……!」
「せやせや! 映像系はカンチョーに言わんと見せてもらえへんやん!
それどないすんねん?」
マリーの言葉に続くようにナツミがまくし立てる。
「でも、監視カメラってホテルのトイレ前付近くらいしか映してないから……
何か映ってるってことは、望み薄なのかも……」
「まぁね。あの監視カメラに映るとしたら、トイレ使おうとする時くらいだしね」
「……っ」
「はーほんまつっかえ! 何のための監視カメラやねん!」
シロとリンリの言葉に、マリーは口をつぐみ、ナツミは吐き捨てるように言った。
「じゃ、じゃあ……ミサちゃんのスマホとかタブレットに、
誰かからの呼び出しのメッセージとかがあったら……?」
「良い着眼点ね、マリー」
ノクスが静かに頷く。
「でも、ミサちゃんの端末を勝手に操作したら貸借禁止の規則に触れるんじゃ……?」
「あー……せやな。なんか知らんけど、今回はカンチョーも答えてくれへん感じやしな……」
シロとナツミの言葉に、マリーの表情が曇る。
私がカンチョーへと視線を向けると、我関せずと言った様子で羽を畳んで眠りこけていた。
「問題ないわ。ミサの端末を操作できないのなら、送信した側の端末を確認すればいい。
もし誰かがミサへ連絡したのなら、その人の端末にも送信履歴や通話履歴が残っているはずよ」
「あ、そっか」
「自分の端末を自分で見せるだけなら、貸借のルールにも引っかかれへんな!」
シロとナツミが納得したようにスマホを取り出す。
その動きに促されるようにして、
証言台に立つ全員が次々と自分のスマホやタブレットへと視線を落とし、画面を操作し始めた。
「じゃあ、昨日の夜から今朝にかけての送信履歴と通話履歴を、
順番に提示して確認し合いましょう」
私たちはスマホとタブレット、
それぞれ端末を開き、ミサへのメッセージと通話履歴を見せ合った。
けれど──。
「……誰も、メッセージ送ってないね」
全員のスマホの画面をじっと見つめていたシロが、小さく呟いた。
「朝の6時15分頃から、マリーちゃんが何回かミサちゃんに電話しとるだけやな」
「……それも、全て不在着信でミサさんが応答した形跡はありませんね……」
「じゃあ……誰かに呼び出されたわけじゃないの……?」
イリスとマリーが不安そうに眉を下げる。
「少なくとも、履歴に残る形で連絡を受けた可能性は低いわ」
「うーん、直接呼びに行ったとか、前もって『朝の何時にどこそこで会おう』
みたいに約束してたとかなら分からないけどねぇ」
ノクスとハイジが腕を組みながら言う。
「で、ですが、昨日あんなことが起きた直後でしたし……
たとえ口頭で誰かに呼び出されたとしても、ミサさんが簡単に応じたとは思えません……」
イリスは、欠損した状態で発見された四人の死体を思い返すように視線を伏せた。
「……確かに、あの後に突然呼び出されても、ただ警戒されるだけだな……」
私はイリスの言葉に同意する。
死体から身体の一部が切り取られるなんて異常なことが起きた直後だ。
しかも、『足りない残りの一パーツは生きている誰かから切り取られるかもしれない』
そんな疑念まであったんだ。誰だって警戒するに決まっている。
「そう考えると、犯人が適当な理由をつけて呼び出しただけでは、
ミサさんも応じなかったでしょうね……」
イリスが小さく呟く。
そして、少し言いにくそうに間を置いた。
「ただ……相手が、ミサさんにとって特に親しい方だったなら……。
警戒していたとしても、話くらいは聞こうと思ったかもしれませんけれど……」
そう言いながら、イリスの視線がほんの一瞬だけ横へ流れる。
その先にいたのは──マリーだった。
「……え?」
マリーが、その視線に気付いて目を見開く。
「……それ、マリーのこと、言ってるの……?」
「い、いえっ、そういう意味では……!」
イリスは慌てて首を横に振った。
「マリーさんが呼び出したと決めつけているわけではありません。
ただ、ミサさんが普段から親しくしていた相手なら、
可能性としては考えられるかもしれないと……」
「でもなイリスちゃん。
今の言い方やと、ほとんどマリーちゃんのこと言うてるように聞こえるで?」
ナツミが眉をひそめる。
「す、すみません……。
そのようなつもりではなかったのですが……」
イリスは申し訳なさそうに肩を縮める。
「……いいよ。
ミサちゃんと一番仲が良かったの、マリーだから……。
疑われても、仕方ないと思う」
「マリーちゃん……」
俯いたまま小さく答えるマリーに、シロが心配そうに声をかける。
「でも、あのラウンジの火事を消したのはマリーだ」
私は、目を伏せたままのマリーへ視線を向けた。
「犯人が証拠隠滅のためにラウンジに放火したんだとしたら、
もしマリーが雨を降らせなかったら、火はラウンジの中まで燃え広がっていたかもしれない。
そうなれば、残っていた証拠もまともに調べられなくなっていたはずだ」
ラウンジの外で見つかった、半分焼けた【封印】の紙。
雪の中から露わになった、二本の火かき棒。
あれらも、マリーの雨がなければ燃え尽きるか、
雪に埋もれたまま見つからなかった可能性が高い。
「もしマリーが犯人なら、証拠も何もかも燃えてしまった方が、ずっと都合が良かったはずだろ」
「……うん」
マリーが、ほんの少しだけ顔を上げる。
「……もちろん、それだけで完全に無実を証明できるわけではない。
自分への疑いを逸らすため、あえて消火した可能性まで否定することはできないから」
「ちょ、そこで梯子外すんかい!」
ナツミのツッコミが飛ぶと、補足するようにノクスは続ける。
「最後まで聞きなさい。
ただ、現時点でマリーを積極的に疑う根拠がないことも事実」
ノクスは淡々と言いながら、マリーへ視線を向けた。
「マリーを白と断定する材料ではない。
けれど、『親しかったから呼び出せる』
という理由だけで彼女だけを黒寄りに扱うにも材料としては弱い。
現時点では、他の全員と同じ容疑者の一人として見るべきよ」
ナツミの抗議をすんなり受け流すと、どこか柔らかい眼差しでマリーへ視線を向けた。
その言葉に、マリーの強張っていた肩からほんの少しだけ力が抜けたように見えた。
「あの鎮火したラウンジはそういう経緯だったのですか……。
な、何も知らなかったもので……申し訳ございません……っ!」
「いや、事の一部始終を詳しく説明してなかったこっちにも落ち度はあるよ」
私は深く頭を下げるイリスに、努めて柔らかい声色で返す。
「……あ。今思い出したんだけどさ」
ハイジが何かに気付いたように顔を上げる。
「ミサって昨日、『朝イチで冬のエリアを探す』って言ってなかったっけ?」
「あ……そういえば、仰っていました……!」
イリスも、食堂で別れる直前の会話を思い出したように目を見開く。
「ほな犯人は、それ見越して冬のエリアで待ち伏せしとったんちゃうか?
ミサちゃんが朝イチで来るって知っとったんなら、
わざわざ呼び出さんでも、ラウンジで待っとけばええし」
「でも、その発言を聞いていたのはここにいる全員よね?
犯人だけが知っていた情報じゃないし、待ち伏せ自体は誰にでもできたことになるよ」
ナツミとリンリが周りを見回しながら言う。
「それでも、呼び出した形跡がないことの説明にはなるね……」
シロが慎重に言葉を継ぐ。
「じゃあ、犯人はミサちゃんに連絡しなくても、
朝になれば、冬のエリアへ来るって分かってた……ってことだよね」
マリーが胸元で両手を握る。
「ライトや、切り取られた身体の部位を探すために一人で冬のエリアへ行って……。
そこで待ってた犯人に襲われたってことか……」
私は考えをまとめるように呟いた。
「……んー。いや、でもさ……」
リンリが腕を組み、納得しきれない様子で眉をひそめる。
「ミサが『朝から探す』って言ってたとしても、
本当に冬のエリアのラウンジへ来る保証なんてないでしょ。
寝坊するかもしれないし、ラウンジ以外に行くかもしれないし、
誰かと一緒に来る可能性だってあるし」
「それは……言われてみれば、確かに……」
シロが不安そうに頷く。
「それなのに犯人は、あんな馬鹿でかいギロチンを事前にわざわざラウンジまで運んで、
ミサが一人で来ることに賭けて待ってたっての?
犯人、ちょっと一点賭けが過ぎない?」
リンリは呆れたように片眉を上げた。
「ふっふーん。それがそうでもないんだよねぃ」
するとハイジが、待ってましたとばかりに胸を張る。
「犯人は、最初からあのデカいギロチンをラウンジに置いて待ってたわけじゃないんよ。
分解したギロチンのパーツを、ライトの【封印】の紙に入れて持ち歩いてたんだよ」
「でも、ライトはもう死んでるんだよね?」
リンリが首を傾げる。
「ところがどっこい。この紙、ライトが死んだ後でも普通に誰でも使えるんだぜ」
ハイジは得意げに一枚の白い紙を取り出した。
「ほら、実際に見せてあげ──」
「あっ、バカ、使うな!」
私は思わず証言台から身を乗り出した。
「魔女裁判中の魔法使用はデスペナルティだぞ!」
「え?」
その瞬間。
──ガチャッ。
裁判場の壁際に微動だにせず並んでいた二人の銃業員のライフルが、一斉に跳ね上がった。
銃口が寸分違わずハイジへ向けられる。
「ひっ!?」
ハイジの顔から、さっきまでのどや顔が一瞬で消え失せた。
「つ、使ってない! まだ使ってないから!
か、紙出しただけ! セーフ! セーフですよね!?」
ハイジは命乞いをするように両手を上げた。
手から滑り落ちた封印紙が、ひらひらとハイジの証言台の上に落ちる。
銃業員たちはしばらくハイジへ狙いを定めたままだったが、
やがて何事もなかったかのようにライフルを背中に携え直した。
「……し、し、死ぬかと思ったぁ……」
ハイジは膝から力が抜けたように、ずるずると証言台へ突っ伏す。
「何やってんのよ……」
リンリが先ほどにも増して呆れ顔をハイジに向ける。
「だ、だってさぁ……実際に見せた方が早いかなって……」
「魔女裁判中はいかなる場合でも魔法の使用を禁止する──というのは、
最初に説明された規則でしょう……」
「うぅぉぅ……すみません……」
ノクスも普段よりわずかに呆れを滲ませた声色で言い、小さく息を吐いた。
「……まあ、ハイジの説明自体は本当だ」
私は話を戻すため、全員へ向き直った。
「捜査が終わる前、ハイジとノクスが食堂の椅子の裏から未使用の封印紙を見つけたんだ。
それを使って、ライトが死んだあとでも【封印】が機能することを実際に確認してる」
私の言葉に、ノクスは無言で頷く。
「では、ライトさんが処刑されたあとでも、あの紙は誰にでも使えた。
それは間違いないのですね……!」
イリスが確認するように尋ねてくる。
「間違いない。しかも、懲罰房にあったギロチンは組み立て式だった。
犯人はそれを一度分解して、部品ごとに封印紙へ入れたんだと思う」
「それなら、あんな大きなギロチンでも運べるね……!」
シロが考え込むように呟く。
「確か、封印紙一枚につき封印できるのは最大100kgまで、だったよね?
パーツごとに封印したのなら、その制限があってもラウンジまで運ぶのも可能だね!」
「そういうことよ」
ノクスが引き継ぐ。
「犯人は、組み立て式のギロチンをラウンジへ持ち込んで待っていたわけではないわ。
必要になるまでは、分解した部品を封印紙の中へ隠しておけた」
「……でも、犯人が【封印】を使ったって証拠はあるの?」
リンリの問いに、私はスマホに保存した写真を表示する。
「ラウンジの外で見つかった、半分焼けた紙片だ」
「あ……」
マリーが小さく声を漏らした。
「マリーが雨を降らせたから、燃え残った紙……」
「うん。あれはライトの【封印】の紙だった。
犯人は、【封印】を使った証拠を消すために燃やそうとした。
でも、マリーの雨で完全には燃え切らずに残ったんだ」
「つまり、犯人がどうやってギロチンを運んだか分かったのも……」
シロがマリーへ顔を向ける。
「マリーちゃんが、火を消してくれたおかげなんだね」
「……マリーの雨が……」
マリーは胸元で手を握り、少しだけ目を見開いた。
「ええ。少なくとも、犯人の工作を一つ暴いたのはあなたよ」
ノクスは淡々と告げた。
けれど、その声音はほんのわずかに柔らかかった。
「あ……じゃあ……犯人は、みんなの死体もその紙に入れて持ち歩いてたってこと……?」
マリーが、そこで新たな可能性に気付いたように顔を上げる。
「うん。その可能性が高い。
【封印】には、生物は封じ込められないっていう制限があるけど
もう死んでいるなら……少なくとも生物としては扱われない」
「つまり……死体なら、問題なく封印できちゃう……」
シロが小さく呟く。
「犯人は切断した死体やそれぞれの部位を封印し、必要な場所まで運んだ。
それなら、死体を誰にも見られず移動させられた理由にも説明がつくわ」
ノクスが淡々と言う。
「……そりゃ、いくら探してもライトの死体が見つからないわけね。
ずっとホテルや冬のエリアを探してたのに、どこにもいなかったのは、
どこかに隠されてたんじゃなくて……紙の中に入ってたってことか」
リンリが伏し目がちに言った。
「つまり、まとめるとこうだねぃ。
犯人は、あらかじめ懲罰房からギロチンをパーツごとに分解して、
封印紙に入れて持ち歩いていたんだよ」
「ほんで、朝一でライトちゃんの死体とか、
切り取られた部位を探しにきたミサちゃんをラウンジで殺して、
ギロチンで頭を切断した、っちゅーことやな……」
ハイジが自分の証言台の上にある封印紙を指差しながら言うと、
ナツミが腕を組みながら深く頷く。
「ええ。この方法なら、リンリが心配していた一点賭けというリスクも回避できるわ。
もしミサがラウンジに来なくても、あるいは誰かと一緒にラウンジに来たとしても、
その時はミサの殺害自体を諦めて、ギロチンも封印紙から出さなければいい」
「あ、確かに……! 『自分も朝から何か手がかりがないか探しに来てた』って言えば、
不自然に思われずにその場をやり過ごせるもんね……!」
ノクスの言葉に、シロが納得したように呟く。
「そう。犯人の懐にあるのは、ただの紙切れだけ。
その中にギロチンや死体が入っているなんて、誰にも分からないからね。
ミサが一人でラウンジに来れば犯行を実行する。来なければ何もしない。
誰かと一緒なら、その場では普通に捜索をしているふりをすればいい」
「……確かに、それなら相手も疑わないわね……!」
リンリが低く呟く。
「ちなみに……ミサさんの死因は、
やはりギロチンによるものだったのでしょうか……?」
「うーん、それが分からんねん……。
一応、ミサちゃんの体に傷とかは無かったんやけどな……」
「まぁ、生きたまま抵抗できる状態でギロチンにセットするのは現実的じゃないし、
少なくとも、意識は無かったんじゃないかな……」
私はナツミと一緒にミサの体を調べた時の光景を思い返しながらイリスに言った。
ミサの着ていた服には、激しく揉み合ったような乱れはなかった。
手足にも擦り傷や打撲のような痕跡はなく、首から下に致命傷となり得る傷も見当たらなかった。
頭部がオーブンで焼却されている以上、はっきりとした死因を特定することはできない。
けれど、確認できる体に目立った傷がないのなら、残された可能性は限られてくる。
「確認できない頭部を殴られて、気絶させられたのかもしれない。
あるいは、その打撃自体が致命傷になって、首を切られる前には既に死んでいた可能性もある」
「頭を殴られた時に、血は出なかったのかな……?」
私が言うと、シロが不安そうに眉を寄せる。
「その場合は、出血していた可能性はあるわ。
ただ、ラウンジの床もミサの服も、首を切断された際の大量の血で汚れていた。
仮にその前に頭部から流れた血があったとしても、
あとから飛び散った血に紛れてしまえば、捜査中に見分けるのは難しいでしょうね」
ノクスが引き継ぐように答えた。
「しかも、肝心の頭は右のオーブンの中……か。
殴られた跡があったとしても、もう確かめようがないってことね」
リンリが苦々しく顔をしかめる。
「犯人がわざわざ冬のエリアのラウンジで待ち伏せしていたのも……
切断したミサさんの頭部をすぐ隣の厨房にあるオーブンへ運んで、
速やかに焼却するためだったのかもしれませんね……」
「……っ」
その言葉に、マリーが重苦しい表情で目を伏せる。
「……ほんで、そこまでして、儀式みたいにみんなの身体を切り刻んで。
切り取った部位をオーブンで燃やして……犯人は、それで満足なんか?」
ナツミが、円形に並ぶ私たちを睨みつけるように見回した。
「平和のためか何か知らんけどな……。
結局こうして魔女裁判が起こって、これからまた誰かが死ぬかもしれへんねんで?
これのどこが平和やねん」
ナツミは怒りを噛み殺すように言った。
『アゾット儀式』
六人の魔女が、自らの力を象徴する身体の一部をサラマンダーの火へ捧げ、
世界へ平和をもたらそうとしたという儀式。
けれど、私たちの目の前にあるのは平和なんかじゃない。
死んでいった仲間たちの体は無残に切り刻まれ、
ミサまで新たな犠牲者となった。
そして私たちはまた、犯人を特定し、処刑するための議論をしている。
「……ナツミちゃんの言う通りだよ。
本に書かれてた儀式では、六人の魔女が自分の意思で身体を捧げたんだよね。
でも、みんなはそんなこと望んでない。
死んだ後の体を勝手に切り取られて、燃やされただけだよ」
シロの握り込んだ拳がわずかに震えている。
「わざわざ見立てに合わせた紙を、切り取った死体の傍に置いてくくらいだもの。
元からまともな感性なんて持ってないに決まってるでしょ。
狂ってるのよ。ライトみたいに本性を隠してたのよ。この中の誰かがね」
リンリも、ナツミと同様に腕を組みながら鋭い目つきで周りを見回した。
だが──
私はふと、そのリンリの言葉に引っかかりを覚えた。
「でも……そういえば、なんで犯人はラウンジに火をつけたんだ?」
「え?」
不意を突かれたようにシロがこちらを見る。
「犯人は、死体の傍にわざわざ切り取った部位の見立ての紙を置いてた。
自分がアゾット儀式を実行しているんだって、私たちに知らしめるためだと思ってたけど……。
でもそれなら、ラウンジに放火するのは変じゃないか?
下手したら、ミサの死体の傍にあった『HeDama』や、
ライトの死体の傍にあった『Toesaki』の紙まで燃えて、
見立てそのものが台無しになるかもしれない。
そもそも、紙どころかミサやライトの死体そのものが燃えてしまったかもしれない」
「あ……」
「まぁ、確かにそうね」
マリーが小さく声を漏らし、リンリも眉をひそめた。
「せっかく儀式っぽく並べてんのに、証拠ごと燃えたら何のために置いたんか分からへんやん」
「いえ、でも……」
イリスが少し考え込むように視線を伏せる。
「犯人は、必ずしも私たちに紙を見せるために置いたとは限らないのではないでしょうか……」
「どういうこと?」
私はイリスの方を向いて尋ねる。
「もしかしたら……
犯人自身の中での決まりや、儀式を再現するための手順だったのかもしれません。
切り取った部位を示す紙を、死体の傍に置く……
そこまで行えば、犯人にとって見立ては完成している。
誰かに読ませること自体が目的ではなく、
置くという行為そのものに意味があったのだとしたら……」
「置いてさえしまえば、その後に焼けても構わないってこと?」
シロが聞き返す。
「はい。犯人の中で儀式が成立しているなら、
私たちが紙を見つけるかどうかまでは重要ではなかったのかもしれません」
「自分だけのルールと自己満足で動いてたってことか……」
ハイジが、あまり納得できないという顔で呟く。
「あり得なくはないわね」
ノクスが静かに口を挟む。
「見立て殺人の痕跡が、必ずしも第三者へのメッセージとは限らない。
犯人の強迫的なこだわりや、儀式を完遂したという自己満足のために残される場合もある」
「だから、紙が燃えるリスクを冒してでも放火した……という行動と矛盾はしない、か」
私は顎に手をあて、小さく呟く。
「ええ。ただし、それはあくまで、矛盾を説明できる可能性の一つにすぎない。
犯人が紙を見せたかったのか、置くこと自体が目的だったのか。
……現時点では、どちらとも断定できないわ」
「……でも、放火した理由は他にもあるんじゃない?」
リンリが眉を寄せる。
「紙が燃えるかもしれないのに、それでも火をつけるだけの理由が」
「証拠隠滅……とか?」
マリーが不安そうに言う。
「それも考えられるけど……。
例えば、雨を降らせたかった……とか?」
「え、雨を……?」
リンリがぽつりと呟くと、マリーの肩がびくりと跳ねる。
「ラウンジが燃えてるのを見たら、マリーは火を消すために【天候操作】で雨を降らせる。
犯人はそこまで読んで、放火したんじゃない?」
リンリは自分の考えを確かめるように続ける。
「そうして降った雨で、ラウンジに続く道や階段、丘の上に残った足跡を消そうとした……とか」
「……っ」
マリーは何も答えない。
俯いたまま、胸元で握り締めた両手を小さく震わせていた。
助けたい一心で降らせたはずの雨。
それがもし、またしても犯人の計算通りの道具として利用されていたのだとしたら──。
「ちょ、ちょっと待って!」
その様子を見て、私は思わず声を上げる。
「そもそもマリーは、ライトのせいで【天候操作】を使うこと自体に抵抗があったんだ!
あの時だって、私とノクスが頼み込んだから、ようやく雨を降らせてくれたんだ」
火事を目にしたからといって、マリーが必ず自発的に魔法を使うとは限らない。
ましてや犯人が、マリーの心の傷まで正確に読めていたとも思えなかった。
「犯人がマリーの魔法を当てにしてたなら、計画として不確実すぎる」
「で、でも……理由がどうあれ、結果的にマリーは雨を降らせたんでしょ?
だったら犯人の計算通りかどうかにかかわらず、
結果として足跡や証拠が消えて犯人の狙い通りになった可能性だって――」
リンリがなおも自身の推論を曲げず、引き下がらない様子で食い下がる。
「いいえ。その推理は、そもそも現場の地形とも噛み合っていないわ」
ノクスが静かに言葉を遮った。
「冬のエリアの入口からラウンジへ続く道を思い出して。
整備された道や階段、それに丘の上の平らな地面には、雪が積もっていなかった」
「あ……そういえば、雪が積もってたのって……」
マリーが気づいたように顔を上げる。
「丘の上全体から逸れたところにある丘の斜面や、舗装された道から外れた場所が中心よ。
犯人が通常の道と階段を使ってラウンジまで移動したのなら、そもそも足跡を消す必要がない。
雨を降らせて消せるような痕跡自体、最初からほとんど残らないもの」
「じゃあ、犯人が雨で足跡を消すために放火したっていうのは……」
「少なくとも、そのままでは成立しないわね」
リンリの言葉に、ノクスは淡々と結論づける。
「……あれ? でも、その斜面んとこにソリの跡残ってへんかったっけ?」
「え、ソリ?」
思い出したかのようにナツミは顔を上げると、リンリは怪訝そうに視線を向ける。
「せや。ラウンジの捜査終わってから、
マキちゃんと別れてすぐ、ウチとノクスちゃんで見つけてん。
丘の斜面に、ソリで滑り下りたみたいなシュッとした跡が残っとったやろ?」
「ええ」
ナツミは確認を求めるようにノクスを見ると、ノクスが静かに頷く。
「雨で少しだけ見辛くなってはいたけれど、はっきりと斜面を下る二本の跡が残っていたわ。
それだけではなく、ソリの跡が途切れた地点からは、乱れた足跡も続いていた」
「乱れた足跡……?」
シロが眉を寄せる。
「犯人が意図的に、自分の足のサイズや靴の形状、歩幅を誰にも判別させないよう、
雪をわざと激しく踏み乱しながら歩き去った……そんな意図を感じる痕跡だったわ」
「あ、それは私も見た」
私は自分が最初に見つけたものだとばかり思っていた。
どうやら、私は三番手だったらしい。
「ちなみに、冬のエリアの倉庫には底が濡れたソリもあった。
犯人は、丘の上のラウンジからソリで雪の斜面を滑り下りて、
足跡を偽装したあと、そのソリを倉庫に戻したことにほぼ間違いないはずだ」
私は自分が掴んだ手がかりを元に、二人の証言を補強した。
「……あ、それともう一つ。その倉庫の入口付近の雪の中から、
ラウンジにあったものと同じ火かき棒が二本見つかったんだ。
まるで、見つからないように雪の中へ埋めたみたいに。
……マリーの降らせてくれた雨で、雪が溶けてようやく露わになったみたいな感じでさ」
「……火かき棒?」
ノクスが怪訝そうに聞き返す。
「あぁ、なんかマキちゃんがブンブン振っとったやつか。
怖かった~アレ」
「……別に今は良いだろそれは言わなくて」
私は少し頬を引きつらせた。
どうやら、火かき棒を見つけたのは私だけだったらしい。
「それで、その火かき棒は何のために使われたの?」
シロが話を戻すように尋ねる。
「それはまだ分からない。ただ、ラウンジにあった火かき棒が、
ラウンジから続くソリ跡の先にある、倉庫の入口付近に埋もれてたんだ。
多分だけど、犯人が逃走した際に埋めた可能性はあると思う」
「犯人がラウンジから運び出したものなら、逃走に関係する道具だったのかもしれないわね。
けれど、何故それを持ち出す必要があったかまでは分からない。
今の段階で確かなのは、犯人がラウンジからソリで斜面を下り、
その後、ソリを倉庫へ戻した可能性が高いこと。
そして、同じ倉庫の入口付近に、ラウンジの火かき棒が二本残されていたこと――そこまでよ」
「しかも、火かき棒が見つかったのは、マリーの雨で雪が溶けたからなんだよね?」
ハイジが確認するように言う。
「ああ。雪に埋もれたままだったら、捜査中には見つけられなかったかもしれない」
「……ということは、雨が降ったあとでも、ソリの跡と、その先の乱れた足跡は残っていた。
それどころか、雪が溶けたことで、隠されていた火かき棒まで見つかったってことね」
リンリが腕を組み、これまでに挙がった痕跡を頭の中で並べるように目を細めた。
「なら猶更、何らかの痕跡を消す雨を降らせるために、
ラウンジに放火したとは考えられませんね……」
イリスも不安そうに呟いた。
「なら、マリーの雨を利用するための放火とは考えにくいってことか」
「ええ。少なくとも、足跡を消す目的ではね」
私はすぐにマリーへ視線を向けた。
「ほら。マリーの魔法が犯人に利用されたって決まったわけじゃない」
「……でも、マリー……
また、知らないうちに犯人の手伝いをしてたんじゃないかって……」
「してないよ。マリーが雨を降らせてくれたから、ラウンジの火は消えた。
死体も、燃え残った封印紙も、全部焼けずに済んだんだ。
しかも、何か手がかりになりそうなものも雪の中から見つかった」
むしろあの雨がなければ、ラウンジの中も外も焼き尽くされ、
私たちは今よりずっと少ない証拠だけで裁判に挑むことになっていたはずだ。
「犯人に利用されたんじゃない。
マリーは、犯人が消そうとした証拠を守ってくれたんだよ」
「マキ、ちゃん……」
マリーの瞳に溜まっていた涙が、今にも零れ落ちそうに揺れる。
「せやで。火ぃつけた犯人が悪いんや。
火を消したマリーちゃんが、自分を責める必要なんかどこにもあらへん」
「……うん」
マリーは目元を手で拭い、小さく頷いた。
「でもさ」
すると──
「……それっておかしくねえ?」
ハイジが腑に落ちない様子で首を傾げた。
「おかしいって、何が……?」
シロがハイジに視線を向ける。
「いやさ、ラウンジから雪の積もった斜面を滑り下りて逃げるなら、
普通に階段を使えばよかったんじゃね? って思って。
階段や道に雪が積もってないんだから、そっちを通れば足跡なんて残らないし。
なのに犯人は、ソリを使って、跡が残る斜面を滑っていったん?
なんでわざわざそんな目立つ逃げ方?」
ハイジは怪訝そうに眉をひそめる。
「んー、火をつけたあとで、急いで逃げたかったんちゃうか?
階段を走って下りるより、ソリで斜面を滑った方が早いやろ。
煙に気づいた誰かが来る前に、少しでも早くラウンジから離れたかったとか」
ナツミがひとまず思いついた可能性を口にする。
「いや、だったらさ……そもそも、ラウンジに火なんてつけなければよかったんじゃね?」
「え?」
「火をつけたから煙が出て、誰かに気づかれる危険が生まれたんでしょ?
で、煙が見つかるのを恐れて慌ててそりで逃げたっていうなら、
自分で危険を作って、自分で焦って逃げ散らかしてるだけじゃん」
ハイジは証言台へ身を乗り出す。
「それにさ、仮に証拠隠滅のために放火したにしても、全然隠滅しきれてないし。
見立ての紙も、半焼けの封印紙も残ってるし。ソリの跡も、そこから続く足跡も消えてない」
「……確かに、そう言われるとそうね」
リンリが眉を寄せる。
「火をつけたせいで急いで逃げる必要ができたのに、その逃げ方で新しい痕跡を残してるし。
しかもわざわざ痕跡の残る方法で逃げてるし。
──犯人、何がしたかったん?」
ハイジが率直に首を傾げる。
「証拠を消したかったのか、見立てを見せたかったのか。
雨を降らせたかったのか、ただ急いで逃げたかったのか。
確かに、やってることが支離滅裂だな……」
私がハイジに追従するように呟く。
「……狂人の考えることなんて、分かるわけないわ。
まともな理由を探すだけ無駄なんじゃない?」
リンリが苛立たしげに吐き捨て、腕を組んだままフン、とそっぽを向く。
「犯人が異常な価値観で動いていた可能性は否定しないわ」
ノクスが静かに応じる。
「ソリを使ったことや、ラウンジに放火した理由まではまだはっきりとは分からない……。
けれど、犯行全体の手順そのものはかなり見えてきたわ」
ノクスは全員を見渡す。
「犯人が、どうやってギロチンや死体を持ち運んだのか。
どうやってミサを襲い、首を切断したのか。
そして、そこからどうやって逃走したのか」
ひとつずつ確かめるように、静かに言葉を並べる。
「細部にはまだ不自然なところや不明点が残っている。
それでも、一連の流れはおおよそ解明できたわ」
「じゃあ次は……誰がそれをやったのか、か」
私は周囲を見回す。
「ええ。一通り犯行の流れを整理できたところで、全員のアリバイを確認しましょう」
「アリバイって……いつの時間帯の?」
「ミサがラウンジへ向かったと考えられる今朝から、火災が発見されるまでの間よ」
シロの質問に、ノクスは淡々と答えた。
「首を切断された際に流れたと思われる血液は、
私たちが発見した時点でもまだ完全には乾いていなかった。
状況から見て、前日の夜や深夜に殺害されたとは考えにくいわ」
「それに、ミサちゃんは昨日……
『明日の朝一番で、また冬のエリアを探す』って言ってたから……」
マリーが小さく付け加える。
「昨日のミサちゃん自身の言葉と、乾いてない血から考えたら、
ミサちゃんが今朝早くに、冬のエリアへ向かったあとで殺された、ってことだね……」
シロがまとめるように言うと、ノクスは深く頷いた。
「まずは私から。今日の朝6時頃に、食堂に向かう前にホテル地下の生物室へと立ち寄ったわ。
念のため、死体が持ち去られていないか確認するためにね」
「でも、生物室から死体を持ち出すのは禁止だよね?」
シロが確認するように尋ねる。
「ええ。その規則もあって、死体は昨日保管したままの状態だったわ。
そしてその後すぐ、隣の懲罰房を覗いてみたら、既にギロチンはなかった。
そのことについて尋ねようと、食堂でみんなが集まるのを待っていたわ。
その間、ミサはおろか、誰とも遭遇していないわね」
「それって、時間にしてどれくらいの間でしょうか?」
「6時過ぎから、食堂にマキがやってくる6時25分頃までの間ね」
イリスの質問に、ノクスは私の方を向きながら答えた。
「うん。私は今朝6時20分に起きて、軽く支度してからそのまま食堂に向かったんだ。
だから、食堂でノクスに会ったのもそれくらいの時間だと思う。
ちなみに私も、その間は誰とも会ってないよ」
「ほな、今んとこ誰もアリバイは無しか……」
ナツミが腕を組みながら唸る。
「……じゃあ、次はマリーが話すね。
マリーは、朝の6時15分くらいに、ミサちゃんに電話したの。もう起きてるかな? って……。
それで、何回かけても全然出ないから、
起こしに行ってあげようとミサちゃんのお部屋に向かったの」
マリーは今朝の事を一生懸命に思い返すように、ゆっくりと言葉を紡ぐ。
「……でも、インターホンを押しても全然出てくれなくて……」
「時間的には、マキさんが部屋を出て食堂に向かった後くらいですね……」
イリスの言葉に、マリーは小さく頷いた。
「マリー、心配になって……
もしかしたら、もう食堂にいるのかもって思って食堂に行ったんだけど、
マキちゃんとノクスちゃんがいただけで、ミサちゃん、いなくて……っ」
「……うん。そこで今朝、私とノクスは食堂でマリーと合流したんだ。
時間は6時30分頃だったと思う」
その時のことを思い出したせいか、上擦る声のマリーから引き継ぐように私は言った。
「えーっと……三人の証言は別に食い違ってないから……。
ミサは、少なくとも6時より前には、部屋を出てた可能性が高いわね」
リンリが考え込むように顎に手を当てる。
「今のとこ、誰にもアリバイはないね……」
シロも不安そうに呟いた。
「食堂で合流するまでは、その三人もみんなそれぞれ一人だったしねぇ。
……あ、じゃあ次はあたしが証言しようか? 部屋で寝てた。以上」
「短すぎるわ!」
ナツミが即座にツッコんだ。
「いや、その時間とか普通寝てるだろ!
朝6時前だよ!?むしろそんな早朝から起きてウロウロしてる方が怪しいって!」
ハイジも負けじと身を乗り出す。
「ほんならせめてこう……
誰かと一緒に寝とったとか、寝とる時に物音聞いたとかなぁ……!」
「誰かと一緒に寝てた方が、別の意味で色々と説明が必要になるだろ!」
「そこはどうでもええわ!
ウチが言いたいのは、その『寝てた』を、誰かが証明できるんかって話や!?」
「寝てるところを誰かにじっと見られてたら、それはそれで怖いだろ!?」
ハイジは理不尽だと言わんばかりに反論した。
「じゃあ、ナツミはその時間は何やってたんだ?」
私が二人の言い争いに割って入るように尋ねる。
「ん? ウチか? ウチは一人で部屋でラジオ体操しとったで。
その後は、食堂行く前にシャワー浴びたな」
ナツミは少しも悪びれる様子もなく、あっけらかんと答えた。
「……いや、それもアリバイないだろ」
私が静かにツッコミを入れると、ハイジが勢いよく乗ってくる。
「そうじゃん! 一人で部屋にいたなら、寝てたあたしと何も変わんねえじゃん!」
「いや、心象の違いが大いにあるで!
朝から健康的にラジオ体操で汗流しとった人間と、ぐーすか寝とった人間。
どっちが犯人らしくないかは一目瞭然やろ!」
「つかえねーーー!」
吐き捨てるようにハイジが叫んだ。
「……あ、あの」
その時、二人の小競り合いを遮るようにイリスがおずおずと片手を挙げた。
「私も、その時間は自室で眠っていました……。
起きたのも、死体発見アナウンスが鳴る少し前で、6時30分頃です」
「え?」
ナツミが振り返る。
「わ、私も寝てたよ~。
アナウンスの音で飛び起きたから、状況が全く分からなくって……」
今度はシロが少し気まずそうに手を挙げた。
「ほらぁ! 普通誰だって寝てるんだって!」
ハイジは勝ち誇ったように言う。
「もう、イリスに続いてシロもなの?
誰も彼もアリバイが無いどころか、揃いも揃ってぐっすり寝てたってこと? 全く……」
「も、申し訳ありません……」
「ご、ごめんね……」
リンリが眉間を押さえながら息を吐くと、イリスとシロはしゅんと肩を落とす。
「ほな、リンリちゃんは何してたんや?」
ふいにナツミの視線がリンリの方へと向く。
「そこまで言うんやったら、さぞかしえらいご立派なアリバイをお持ちなんやろなぁ?」
その言葉に、リンリの視線が右へ左へと泳ぎ始めた。
当然、みんなの視線も一斉にリンリへ集まる。
「な、何よ……」
リンリはしばらく耐えるように黙り込んでいたが、
やがてその沈黙に堪えきれなくなったのか、堰を切ったように言葉を放った。
「……悪かったわね! 私だって人のこと言えないわよ!
私も部屋で寝てたわよ、ぐっすりね! え!?文句ある!?」
「…………」
開き直ったように叫ぶリンリに、裁判場がどこか脱力したような空気感になる。
「……結局、これで全員アリバイなし、か」
私は改めて周囲を見回しながら呟く。
ノクスは食堂へ来るまで一人。
私も起床して食堂へ向かうまでは一人。
マリーも、ミサの部屋を訪ねて食堂へ来るまで、誰とも会っていない。
それ以外のみんなも、自室で眠っていたり、
一人で過ごしていたりしただけで、その行動を証明できる者はいなかった。
「時間帯が早朝だったこともあって、自らの完全な潔白を証明するのは難しそうね」
ノクスもどこか苦々しげに眉間に皺を寄せ、腕を組む。
「アリバイだけで犯人を特定するのは難しそうですね……」
「せっかく順番に聞いたのに、結局振り出しやん……」
イリスも困ったように眉を下げ、ナツミもがっくりと肩を落とす。
早朝、誰もが一人で過ごしていた。
犯人もその中に紛れて、何食わぬ顔で嘘をついているのかもしれない。
けれど、それを見破る術は今のところ私たちにはなかった。
「じゃあ……捜査の時に何か気付いたこととか、気になったことを出し合うのはどう?」
私は沈みかけた空気を押し戻すように声を上げる。
「あ、それいいね。まだ共有できてない情報もありそうだし」
「……うん。マリーも、見つかった手がかりを全部聞けてないと思うから……お願い」
リンリとマリーが私に賛同する。
「そうですね。では、私からよろしいでしょうか……?」
イリスが小さく手を挙げた。
「ええと、見つけたことというよりも、
むしろ、見つからなかったことを見つけたと言いますか……」
「んー? どういうこっちゃ、イリスちゃん」
ナツミが首を傾げる。
「捜査中、私はリンリさんと一緒に、皆さんの個室も順番に調べて回りました」
「うん。本人がいない部屋も含めて、一通り見させてもらったわ」
リンリがイリスの言葉に補足を入れる。
「でも、特に怪しいと思うような気になる物はなかったよね」
「はい。血痕の付着した衣服や、凶器のようなもの、封印紙のようなものすら無く……
証拠らしい物は一切残ってはいませんでした……」
「部屋には手がかりはないってことか……」
私は頭の中の情報を整理するように呟く。
「じゃあ他、誰かなんか気付いたことある?」
リンリが周りを見回しながら問いかける。
「……あ」
その時、私は捜査の終盤に医務室で見つけたものを思い出した。
「私から、一つある」
全員の視線がこちらへ集まる。
「医務室を調べた時、薬品棚の中に、無色透明の液体が入った変なビンがあったんだ」
「……あ、そう言えばマキちゃん、医務室に来てたよね。って……変なビン?」
シロの言葉に私は頷く。
「ビンのラベルには、数字で『12』とだけ書かれてた。
しかも、コルクが開けられた形跡があった」
「12……?」
ノクスが小さく呟き、思索にふけるように目を細める。
「それだけなら、ただの管理番号かもしれないと思ったんだけど……。
これ、ちょっと見て」
私はスマホを取り出し、撮影しておいた"ドゥオデキム"の説明書きをみんなに見せる。
「この説明書の、ここだ」
私が指差したのは、説明書きの冒頭にある一文だった。
そこには、手書きの文字で――
『完成版毒薬B号以前の試作薬』
一見すると、そう書かれているように見える。
「ここ、って……完成版毒薬……ビー号?」
マリーが目を細める。
「うん。私も、最初はそう読んでた。でも、よく見てみると少し変なんだ」
「変って、何がや?」
「この『B』に見える文字。
アルファベットのBじゃなくて、数字の『13』なんじゃないかと思う」
「13……?」
ナツミがしげしげと画面を覗き込むように身を乗り出した。
「あ、確かに……縦線の横に三がくっついて、Bみたいに見えとる……?」
「……うわっ、ほんとだ! 言われてみれば『13』だこれ!」
「完成版毒薬……13号ってこと!?」
目を凝らして見ていたハイジとリンリも、それぞれ驚きの声を上げる。
「それで、もう一つ気になったんだ」
私は写真を切り替え、今度は図書室にあった辞書のページを表示した。
「そもそも『ドゥオデキム』って言葉自体、聞いたことがなかったから、
図書室に置いてあった辞書で調べてみたんだ」
「何か意味があったの?」
不安そうに尋ねるシロに、私は頷く。
「うん。『ドゥオデキム』は、ラテン語で――"12"って意味だった」
「12……」
ノクスがその数字を静かに反芻する。
「そう。それで、さっき話したビンを思い出したんだ。
医務室の薬品棚にあった、ラベルに『12』とだけ書かれていたビン……」
私がそう言葉にした瞬間、全員の表情が変わった。
「ちょ、ちょっと待ってや……ほんなら、その『12』のビンが……」
「ドゥオデキム……!?」
ナツミとリンリが青ざめた顔で声を上げる。
「その可能性が高いと思う」
私は力強く頷きながら続ける。
「説明書には、完成版毒薬13号以前の試作薬と書かれている。
そして『ドゥオデキム』は12という意味を指す。
なら、ドゥオデキムは――完成版の一つ前に作られた、試作毒薬12号なんじゃないか、って」
「なるほど……」
イリスが、画面に映る説明書きを見つめながら慎重に口を開く。
「『完成版毒薬13号以前の試作薬』というのは……まさにドゥオデキムそのものが、
一つ前の試作毒薬12号であることをそのまま示していた……ということでしょうか……!?」
ノクスが腕を組んだまま、静かに頷く。
「完成版が13号。そして、ドゥオデキムがラテン語で12。
しかも医務室には、説明書き通りの無色透明の液体が入った、
数字の『12』が記されたビンまで存在していた。
これだけ条件が重なるなら、ただの偶然とは考えにくいわ」
ノクスはそこで、組んでいた腕を解きながら私の方へと視線を向けた。
「……よく気づけたわね、マキ」
「いや、たまたまだよ」
そう答えながらも、胸の奥が少しだけじんわりと熱くなる。
ノクスに褒められるなんて、滅多にない。
「ビンのコルクが開いてたかもって言ってたよね。
じゃあ、その毒薬を使って運営がライトを処刑したってことね」
「そういうことだと思う。
ライトの上半身にも、拷問によって付いたものじゃない、それらしき傷もあったし、
……なんで医務室にドゥオデキムが置かれていたかは分からないけど」
リンリの言葉に、私は頷きつつも更に続ける。
「でも、まだあるんだ」
「まだあるの!?」
シロが驚いたように目を丸くして聞き返す。
「うん。『ドゥオデキム』の意味を調べた辞書なんだけど……
そのページに、妙な使用感が残ってたんだ」
私はスマホを操作し、辞書のページを撮影した写真へと画面を切り替える。
「私が開いた時、ドゥオデキムの単語が載っているページにだけ、紙に細かな皺が寄ってたんだ。
少しだけ開き癖もついてたし、爪の跡みたいな僅かな凹みもあった」
「えっと、つまり……マキが調べるより前に、誰かが同じページを開いてたってこと?」
「そういう可能性がある。
この辞書、三日前に図書室の中央の机に置かれてたし……」
リンリが表情を険しくすると、私は頷く。
「もちろん、ずっと前に誰かがたまたまそのページを開いたのかもしれないし、
辞書自体が本当に新品だったかも分からない」
「けれど、今の状況では無視できないわね。……一応、頭に入れておきましょう」
ノクスがまとめるように言うと、ハイジが少し言いづらそうに口を開いた。
「……でも、犯人に繋がる決定的な手がかり、じゃないよね……」
「……まぁ、ね。一応、気になった事を挙げるって話だったし」
少しだけ冷水を浴びせられたような気分になりつつも、私は周りを見回しながら言う。
「じゃあ他に、誰か何か気になったこととか無かった?」
「…………」
私が問いかけるも、すぐには誰も口を開かなかった。
それぞれが捜査中に見たものを思い返すように、視線を伏せたり、腕を組んだりしている。
けれど……。
誰の口からも新しい手がかりは出てこない。
犯人は誰なのか。
死体を切り刻み、ミサを殺して、それぞれの部位を焼き、ラウンジへ火を放った残忍極まりない人物。
ここまで犯行の流れを追ってきたはずなのに、その姿だけが一向に見えてこない。
私だけじゃない。
いつもなら誰より先に議論の糸口を掴むノクスさえ、
腕を組んだまま険しい表情で視線を落としていた。
裁判場を重苦しい沈黙が支配していく。
「……まあ。
別に、手がかりじゃなくてもいいんじゃない?」
その空気を破るように、リンリが小さく息を吐いた。
「捜査中に疑問に思ったこととか、何となく引っかかったこととか。
今は答えが出なくても、口にしてみたら誰かが何か気づくかもしれないでしょ」
「せやなぁ……」
ナツミが腕を組んだまま、しばらく考え込む。
「おーーーん……」
低く唸りながら記憶を探っていたが、やがて何かを思い出したように顔を上げた。
「……ほんなら、一つええか?」
「何?」
「切り取られた部位って、なんかそれぞれ意味とかあったんか?」
ナツミの唐突な問いに、みんな揃って眉をひそめる。
「いや、わざわざ魔女の本に見立てた紙まで死体の傍に置いてくくらいやし……
ほんなら犯人も、誰からどの部位を切り取るとか、何かしらこだわりでもあったんかなって」
「……ヤヒメは"両手を含む胸部"、アテナは"腰部"、ダイヤは"大腿部"、ポムは"腹部"……
そして、ライトは"足先"で、ミサが"頭部"、だったな……」
私がまとめるように言うと、ナツミが頷いた。
「うーん、それぞれの大罪に対応してた、って話でも無かったよね……」
シロが思い返すように顎に手を当てる。
「そう、強欲とか怠惰、ってやつやな。全然本人とは結び付かんしなぁ。
えーっと……? ヤヒメちゃんが強欲で、アテナちゃんが色欲。
ダイヤちゃんが嫉妬で、ポムちゃんが暴食……て言われても、全然しっくり来えへん」
「……ライトが傲慢っていうのは、やや当てはまりそうだけど」
「……そこだけ妙に納得できるの、やめ?」
リンリがぼそりと付け加え、ナツミが静かにツッコむ。
「……」
みんなが部位と見立ての関連性に頭を悩ませる中、
ノクスは黙々と自分のスマホの画面を食い入るように見つめて思案に耽っていた。
しかし、やがて小さく首を横に振りながら言う。
「……駄目ね。
もしかしたら、という可能性もあったけれど、決定的な法則には繋がらなかったわ。
……犯人の意図が掴めないわね」
ノクスが重苦しい溜め息をつきながら視線を上げると、再び議論は壁にぶち当たってしまった。
「そもそも……犯人は、
最初から誰からどの部位を切り取るか、細かく決めていたのでしょうか……?」
不安と疑問の入り混じった表情で控えめに口を開いたイリスに、シロが小首を傾げて尋ねる。
「えっ……どういうこと、イリスちゃん?」
「昨日、ミサさんは皆さんの前で、
『今朝もう一度冬のエリアへ探しに行く』と話していましたよね。
犯人はそれを聞いて、翌朝すぐにラウンジで待ち伏せした……私たちは今、そう考えています」
「せやな。ミサちゃんが一人で来たところを狙った、っちゅー話やったな」
ナツミの言葉に、イリスは小さく頷く。
「ですが、それならミサさんを殺害すること自体、
前日のミサさんの発言を聞いてから急遽決めた可能性もあります。
そのような状況で、犯人が前々から
『頭部はミサさんから切り取る』と決めていたとは、少し考えにくい気がするんです……」
「まぁ……言われてみれば確かにね。
前々からミサが都合よく一人でラウンジへ来ると分かってたわけじゃないんだから。
昨日の発言を聞いて、たまたまチャンスができたから襲ったみたいな、
すごい突発的な犯行に見えるわ」
リンリがイリスの推測に深く頷く。
「はい。それに……
犯人がどうしても最後の『頭部』をミサさんへ割り当てたかったのだとしたら、
その都合の良い機会が翌朝すぐに訪れたというのは、あまりにも出来過ぎています」
「……つまり、ミサちゃんを襲ったことに、特別な意味はなかったかもしれないってこと……?」
マリーが不安そうに聞き返す。
「その可能性も十分あると思います。
犯人にとって重要だったのは、最後に残っていた『頭部』を誰かから得ることだけで……
たまたま殺害できる状況になったミサさんへ、その役割を当てはめただけなのかもしれません」
「あー……。言われてみれば、確かにそっちの方がしっくり来るかも」
ハイジがポンと拳を掌に落とし、イリスの説に同意を示す。
「じゃあ、ヤヒメちゃんたちから切り取られた部位も……
誰のどこを切るかには、特に意味なんてなかったのかな」
「誰から切るかは成り行きでも、六つの部位を揃えることだけは決めてた……ってことね」
シロとリンリが考え込みながら呟く。
「……無意味、とまでは言い切れないわ。
六人すべてで異なる部位を切り取り、アゾット儀式の形へ揃えている以上、それには明確な意図がある。
その法則性を、私がまだ解き明かせていないだけ……少なくとも、私はそう確信しているわ」
ノクスは焦燥感を隠しきれないように唇を噛み締める。
その悔しげな表情を見て、私は息を呑んだ。
ヤヒメでなければならなかった理由。
アテナでなければならなかった理由。
ダイヤやポム、ライト、そしてミサでなければならなかった理由。
そんなものは、最初から存在しなかったのかもしれない。
犯人はただ、手元にあった死体へ必要な部位を順番に割り当て、
最後に、都合よく一人で現れたミサから頭部を奪った。
そう考えれば、一応の説明はつく。
けれど――。
私の胸の奥には、消えない違和感が燻り続けていた。
本当に、そこまで偶然任せの計画だったのだろうか。
「……」
私はもう一度、円形に並ぶ全員の顔を見回した。
けれど、誰も新たな手がかりを口にしようとはしない。
これ以上、まだ共有されていない情報が出てくる気配はなかった。
「……一回、整理しよう。
今までに分かったことを、最初から並べ直してみる。
何か見落としてるなら、その途中で気づけるかもしれない」
「……そうね。情報が少し散らかっているわ」
私は止まりかけた議論を動かすように声を上げると、ノクスが小さく頷く。
一度息を整え、これまでの議論を頭の中で組み立て直した。
「まず、犯人はライトの【封印】を利用した。
ライト本人が死亡していても、封印紙は使用できる。
犯人はそれを使って、懲罰房にあったギロチンを分解して運び出した。
同じように、ライトの死体や、切り取った身体の一部も隠して運んでた可能性が高い」
「ラウンジの外に落ちていた、半焼けの封印紙がその証拠ね。
ちなみに、みんなの部屋からはそういうアヤシゲな紙切れ一つ見つからなかったわ」
リンリが自らの捜査結果を補足する。
「犯人は今朝、封印紙を持ってラウンジへ向かった。
そして、昨日のうちに『朝一番で冬のエリアを探す』と話していたミサを待ち伏せした。
ミサが一人で来れば襲う。
誰かと一緒だったり、そもそも来なかったりした場合は、
普通に捜索してるふりをして犯行を諦める」
「犯人の懐にあるのは、見た目にはただの紙切れだけ、だよね……。
だから、ギロチンや死体を持ち歩いてたなんて誰にも気づかれない」
シロが不安そうに呟く。
「そこで犯人はミサを襲った。首から下には目立った傷がなかったから、
ギロチンにセットする前に、確認できない頭部を殴るかして意識を奪った可能性がある」
「その打撃で既に死んじゃったのか、気絶しただけだったのかまでは分からないんだったね」
ハイジが付け加える。
「そして──犯人はギロチンを封印紙から取り出して組み立て、それでミサの頭部を切断した。
切り取られた頭部は、ラウンジ奥の厨房にある右側のオーブンへ入れられたと考えられている」
「右のオーブンの扉には微量の血がついていた。
切断したばかりの頭部を入れた時に付着した可能性があるわね」
ノクスが捜査の時の事を思い返すように言う。
「左右のオーブンで焼却終了までの残り時間が異なっていたのは……
先に左のオーブンでこれまでに切り取った下半身の部位を焼き始め、
その後で、切断したミサさんの頭部を入れて焼却が開始されたから、
ということでしょうか……?」
「血痕やタイマーのズレからして、その可能性が高い」
静かに尋ねるイリスに短く返す。
「……ちなみに、捜査終了間際には左のオーブンが開いて、
中からは骨になったライトの足先と、ダイヤの大腿骨が見つかったんだよね……」
「……ああ」
ハイジが重々しく呟いた。
私は頷きつつも続ける。
「オーブンの焼却を開始したあと、犯人はラウンジへ灯油を撒いて火をつけた」
「……でも、火をつけた目的はまだ分かってないんだよね」
マリーが小さな肩をすくめながらポツリと言った。
「そうなんだ。証拠隠滅だった可能性はある。
だけど、見立ての紙も、半焼けの封印紙も、ソリの跡も残ってた」
「それどころか、マリーちゃんの雨で雪が溶けたおかげで、火かき棒まで見つかったんや」
ナツミが続ける。
「つまり、雨を降らせて証拠を消すために放火した、という推理も成立しにくい」
私はマリーへ視線を向けた。
「マリーの雨は、犯人の手助けをしたんじゃない。
むしろ、火を消して証拠を残してくれた」
「……うん」
マリーはまだ少し不安そうながらも、小さく頷いた。
「犯人はラウンジや周辺の木に放火したあと、ラウンジの丘からソリで斜面を滑り下りた。
その終点から、意図的に踏み乱されたような足跡が、雪のない道へ向かって続いていた。
使ったソリは、冬のエリアの倉庫へ戻した可能性が高い。
倉庫にあったソリの一つだけ、底が濡れてたからな」
「同じ倉庫の入口付近には、ラウンジにあった火かき棒が二本残されていた」
ノクスが補足する。
「ただし、何故二本とも持ち出したのか。
そして、何に使ったのかは依然として謎のままね」
「そもそも、階段を使えば足跡もソリ跡も残らなかったのに……」
「放火の理由もソリを使った理由も、今の段階じゃまだ分からない。ひとまずは棚上げだ」
ハイジが眉をひそめるが、私はさらに続けた。
「頭部、両手を含む胸部、腹部、腰部、大腿部、足先。
アゾット儀式の形には一致してるけど、誰がどの部位を担当したのか、その基準も分からない」
そして、私が医務室で見つけた手がかりに関しても改めて挙げていく。
「それと、医務室で見つかった、
おそらく"ドゥオデキム"であろう『12』のラベルが貼られたビン。
コルクが開けられた跡があったことから、おそらく運営側がライトを処刑する時に使った」
「ライトちゃんの胸とかお腹に、アイアンメイデン以外の傷があったしな……」
ナツミが、私とノクスと三人でラウンジを捜査した時の事を思い返すように言う。
「それと辞書の該当ページには、誰かが以前に開いたような皺も残っていた」
「気になるところだけれど、それも犯人に直結する証拠ではないわね」
ノクスの言葉に私は頷き、最後にまとめるように言う。
「ちなみに……朝の6時以降のアリバイは全員無し。
誰もが一人で過ごしていて、お互いに証明できる人はいない」
「これが一番痛いとこよねぇ……」
リンリがため息交じりに言う。
「……今のところ、明らかになっているのはこのくらいか」
私は一息つきながら、やや疲れの滲む声でまとめるように言った。
「……えっと、誰か……他に何かない……?」
シロは縋るように周りを見回しながら問いかける。
「…………」
だが、返ってくるのは重苦しい沈黙だけだった。
誰もシロと目を合わせようとしない。
視線を落とし、証言台を見つめ、答えのない思考を繰り返している。
「犯人の意図も不明で、最後のミサの殺害に関してはほぼ突発的とも考えられる犯行。
封印紙は誰にでも使えて、おまけに犯行が行われたのは誰もアリバイを証明できない早朝。
……ある意味、究極の完全犯罪ね」
ノクスが苦々しげに呟いた。
「このままじゃ……誰にも投票できないよ……」
「せやけど、投票せんわけにもいかんのやで……」
シロとナツミが俯いたまま絶望的な言葉を落とす。
「犯人を当てられなかったら、また誰かが……」
……私は、その先を口にすることはできなかった。
全員の脳裏に、間違った後の"戦犯投票"という言葉が浮かんでいる。
犯人を見つけられなければ。
犯人ではない誰かが、私たちの手で処刑されるかもしれない。
「……」
私は奥歯を噛み締める。
何かあるはずだ。
これだけ大掛かりなことをして、何一つ残さないなんてあり得ない。
犯人は確かに、私たちの目の前へ証拠を残している。
ただ私たちが、その意味を読み違えているだけなんじゃないか。
部位が切り取られていた六体の死体。
焼却に使われた二台のオーブン。
火を付けられたラウンジ。
雪の傾斜を滑ったソリ。
二本の火かき棒。
ドゥオデキム。
アゾット儀式。
頭の中で何度並べ直しても、すべてを繋ぐ一本の線は浮かんでこない。
焦りばかりが募り、時間だけが過ぎていく。
──その時だった。
「……ねえ」
沈黙の中、誰かが小さく声を上げた。
その声の主は──
「……ちょっと、気になったんだけど……」
マリーだった。
全員の視線がマリーに向く。
「なんで、アテナちゃんだけ生物室だったのかな……?」
「アテナだけ……?」
「うん……」
私が思わず聞き返すと、マリーは自信なさげに頷いた。
「ヤヒメちゃんは倉庫で、ダイヤちゃんとポムちゃんは食糧貯蔵庫。
ライトちゃんとミサちゃんはラウンジだったよね……?
みんな、冬のエリアで見つかったのに……アテナちゃんだけ、生物室にいたから……」
その言葉に、裁判場の空気が僅かに変わった。
アテナの死体が発見されたのは、ホテル地下にある生物室だった。
言い換えれば、死体が持ち出されたところから一番近い場所だ。
他の五人が冬のエリアに配置されていた中で、
確かにアテナだけがそんな場所に置かれている。
「確かに言われてみれば妙やな」
ナツミが眉を寄せる。
「魔女の本の見立てがしたかったんじゃね?
ほら、あのアゾット儀式って、『冬の日に行われた』みたいに書かれてたじゃん。
なら、寒い場所だったらどこでも良かったとか」
「あの生物室、冬のエリアなんてレベルじゃないくらい寒いけどね……。
部屋全体が巨大な冷凍庫みたいな感じだったし」
ハイジの言葉に、リンリが呆れ顔で返す。
「……アテナの死体だけ、他のみんなとは何かが違ったとか?」
私はふと思いついた言葉を口にする。
「え、違ったって?」
「いや、具体的には分からないけど……」
「アテナちゃんだけが特別っちゅーこと? 何かあったっけ?」
シロとナツミが疑問符を浮かべる。
「アテナの死体、だけ……」
ノクスが顎に手を当てて考える。
「見つかった全員の死体の中で変わってる人って……。
それこそライトくらいじゃない」
「変わってるってレベルやなかったけどな……」
ナツミは、私たちと一緒にライトの死体を調べた時の事を思い返すように言う。
ライトの死体は変質していて、上半身なんかは完全に異形化していた。
あの六つの中で特別だった死体なんて、ライトくらいしか考えられない。
(それなのに、アテナが……?)
ただの偶然か、犯人の気まぐれか。
けれど、そんな単純な言葉だけで片付けられない、
ずっと引っかかっているような言い知れぬ違和感が胸を締め付けていた。
「うーん……これも決定的な手がかりっちゅーわけでもなさそうやな……。
あ、いや、マリーちゃんが悪いんやないで?」
「う、ううん……マリー、ちょっと疑問に思ったこと言ってみただけだから……」
ナツミがマリーを気遣うように言うと、マリーは小さく首を横に振る。
「……」
その横でノクスは先ほどからずっとスマホを見つめ、何かを考えているようだった。
「にしても、こんだけよう分からん謎が山積みやのに、一向に犯人には辿り着けへんな……」
「はい……。色々証拠は残されてはいますけど……
犯人に繋がる直接的な手がかりとなると、さっぱり見当たりませんね……」
ナツミとイリスが重苦しい表情で視線を落とす。
「犯人にとってガチで見つかったらまずい証拠なんかは、完全に処分されたんだろうね」
「まあね。みんなの部屋見ても、紙一枚すら見つからなかったからね。
もちろんライトの部屋にもね」
ハイジとリンリもため息交じりに言う。
「あー……やっぱあの封印紙、全部なくなってたんだ……もったいな……」
「そ、そこ惜しむところ?」
ハイジが心底惜しそうな声を漏らした。
シロが困惑したように振り返る。
「だって、あんなチート級に便利な紙なんだぜ?
何でも封印して持ち運べて、しかも封印中はいつまでも新鮮なまま保存できる。
こんなんなんぼあってもいいですからね」
「そりゃそうだけど……」
私もシロと同じくやや呆れた視線をハイジに向ける。
「でも、破れた紙とか半分焦げた紙とかは残ってたやろ?
ほんなら、その残ってた使用済みの紙をこう……
パズルみたいに組み合わせて、四角に戻してテープで貼ったら使えたりするんとちゃうか?」
「いやいやいや……そんな『牛乳パックを再利用しよう』みたいなノリで復活するかいね」
ナツミが本気で首を傾げると、ハイジは『んなわけあるか!』とすかさずツッコミを入れた。
ナツミとハイジの場違いなやり取りに、緊張していた周りから僅かな苦笑が漏れる。
「…………」
けれど――ノクスだけは笑っていなかった。
手に握られたスマホの画面を見つめたまま、微動だにせず固まっている。
そして──
伏せられていた彼女の瞳が、ゆっくりと見開かれていく。
「アテナだけ……特別だった……。ライト……魔女化……」
「……ノクス?」
まるで取り憑かれたように、掠れた声でうわ言を呟き続けるノクス。
普段の彼女とは明らかに違う異様な雰囲気に、私は心配になって声をかけた。
すると──
「……あ……あああッ……!」
突然、大声で吠え始めた。
「待って……そういうことだったの……?」
掠れた声で呟き、伏せていた顔を上げる。
その目は、先ほどまでとはまるで違っていた。
周りのみんながぎょっとしてノクスの方を見る。
「え、え……っ!?ノクスちゃん……?」
「ノクスちゃん、どないしたんやいきなり大声出して……」
シロやナツミの困惑と心配をよそに、ノクスは呼吸を整えるようにしてから言葉を紡ぐ。
「……私たちは、ずっと……
最初の前提から決定的に、根本的に間違っていたのよ……!!」
「間違っていた……?」
マリーが不安そうな声でか細く呟く。
「ええ……」
それにノクスは静かに返す。
誰一人として彼女の言葉の意味を理解できず、
裁判場の空気が凍りついたように静まり返った。
ノクスはゆっくりと円形に並ぶ私たち一人一人の顔を見回し――
震える声に凄まじい確信を込めて告げた。
「――この中に、