『超探偵事件簿 レインコード』のトリックを参考にしています。
本作は、上記作品の優れたトリックと構成に深い敬意を表しつつ、
その発想をもとに独自の構成を加えています。
未プレイの方は本章の前にぜひ一度プレイしていただくことを強くお勧めします。
私のすべてが0になる Part1
「待ってよ~」
公園には、子供たちの楽しそうな声が響いていました。
鬼ごっこをしながら、一人の少女がみんなの後を追いかけます。
「鬼さんこちらー!」
逃げる子の一人が振り返り、ひらりと手を動かしました。
すると、足元の草が一瞬で伸び、追いかけていた少女の足に絡みつきます。
「うわわっ! ずるい!」
「ふふっ、魔法使っちゃダメなんて言ってないもーん!」
悪びれもせず笑う友達に、少女も負けじと草を振りほどきます。
鬼ごっこの次は、小さな風を起こせる子がブランコを勢いよく揺らして遊んだり……
その次は砂場に行って、掌から水を出せる子が土を濡らして、それを固めてお城を作ったりしていました。
「あー、ここにもっと水ちょうだい!」
「はいはいー」
「じゃ私も、この辺りにお花咲かせるぅ」
砂場から色とりどりの小さな花が顔を出し、みんなが歓声を上げます。
その少女も、みんなの輪の中で楽しそうに笑っていました。
魔法を使えることなんて、ここでは当たり前のことでした。
特別に凄い力でなくても、少しだけ便利だったり、綺麗だったりで……
遊びをほんの少しだけ楽しくしてくれるものでした。
「ねぇ、そういえばさ……」
だからこそ、深い意味なんてなく聞いたのでしょう。
「〇〇ちゃんって、どんな魔法が使えるの?」
「……え?」
「私たち、〇〇ちゃんの魔法って見たことなくない?」
「あ、ほんとだ!」
「見せて見せて!」
みんなの視線が集まります。
その少女は、ほんの少しだけ困ったように笑いました。
「……えっとね」
そして、その少女は言いました。
「私の魔法はね──」
◇
「…………」
目を開けると、見慣れた白い天井がぼんやりと視界に映った。
気付けば、カーテンの細い隙間から朝の光が差し込み、部屋の中を薄暗く照らし出している。
私はしばらくの間、何もせずに天井を見つめていた。
眠れば少しくらいは楽になると思っていた。
けれど、胸の奥から湧き上がるものは何ひとつ消えていなかった。
胸の奥には、あのドロドロとした黒いものだけが残っている。
「…………」
ミサ。マリー。
炎の中へ消えていった二人の姿が、頭から離れなかった。
私はゆっくりと身体を起こした。
いつもならそろそろ食堂へ向かい、みんなと顔を合わせている時間。
けれど今日ばかりは……みんなの顔を見る気にはどうしてもなれなかった。
昨日までいた二人が、今はもうどこにもいない。
そんなことを、ただ確認しに行くだけになるような気がして。
「……今日は、いいか」
掠れた声で小さく呟く。
食欲もあまり湧いてこなかったが、
自分の身体を維持するためには、何かを胃に放り込まなければならない。
ふと、部屋の隅に置かれたサイドテーブルへ目を向けると、
そこにはいつの間にか補充されていた菓子箱があった。
銃業員が置いていったものだろう、見覚えのある包装だ。
『カンチョー饅頭』
この島に連れてこられ、この部屋で目を覚ました時にも口にした饅頭だった。
私は箱を手元へ引き寄せ、包装紙を剥がした。
中には、三×三にきっちり区切られた、九つの正方形のマス。
そこへ一つずつ、黒い饅頭が収められている。
その形を見た瞬間──
「……っ」
ずきりと、目の奥に鈍い痛みが走った。
反射的にこめかみを押さえる。
「……まただ……」
初めてこの箱を見た時も、そうだった。
何故なのかは自分でも分からない。
ただ……この三×三にきっちり区切られた形を見ていると、
何かとても嫌なことを思い出しそうになる。
頭の奥に引っ掛かっているのに、
そこへ手を伸ばそうとすると、するりと遠ざかっていく。
「…………」
私はしばらく箱を見つめたあと、端の饅頭を一つ手に取った。
口へ運ぶと、黒ゴマの甘さがゆっくりと舌の上に広がる。
私は何も言わず、一つ、もう一つとただ機械的に饅頭を口に運んだ。
三つ目の饅頭を咀嚼していると、いつの間にか視線が箱の中へ戻っていた。
下段が三つ空いたことで、よりはっきりと見えるようになった三×三の枠から
どうしても目を逸らすことができなかった。
頭を振り払い、傍らにあったペットボトルを開け、
一緒に置いてあった透明なコップに注いで一気に水をあおった。
そのまましばらくの間ベッドに寝転がり、ぼーっと天井を見つめていると──
『……島内アナウンスです、島内アナウンスです』
ノイズと共にその音声が響き渡る。
『ご宿泊の皆さまは、速やかに中央ホールへお集まりください』
『新しく開放される施設についてのご説明があります』
無機質なその音がノイズと共にプツリと途切れると同時に、私は腕の電波時計を見る。
【11:30:15】
「……もう、こんな時間だったのか」
天井を眺めているうちに、すっかり昼前になっていたらしい。
昨日の凄惨な魔女裁判が終わってから、ずっと自室に籠り切りだった気がする。
以前の私なら、朝起きてから昼前まで部屋に籠もっているなんて考えられなかったのに。
「…………」
私は再びゆっくりと身体を起こす。
"新しく開放される施設"
その言葉にも、以前ほどの興味は湧かなかった。
今となっては……。
『新しい場所が増えたところで、何が変わるんだろう』
そんな感情しか出てこない。
それでも行かなければ、何かしらペナルティがあるかもしれない。
無視をするという選択を取ることは出来なかった。
「……行くか」
誰に聞かせるでもなく呟き、私は立ち上がった。
部屋を出ると、ホテルの廊下は妙に静かだった。
時間が時間だったし、みんなもう中央ホールに集まっているのかもしれない。
食堂を通り過ぎても、誰とも会わなかった。
無意識に食堂の窓から外に目を向けると、昨日、雪が舞い込んできたのが嘘のように晴れている。
黒く濁った心を覆い隠してくれたあの僅かな白さは、もうどこにも残っていなかった。
私は視線を前へ戻し、そのまま中央ホールへと歩き続けた。
中央ホールへ辿り着くと、やはり既にみんなが集まっていた。
「……おはよう、マキ」
「おはようさん。言うてもう昼やけどな」
ノクスとナツミが声をかけてくる。
「……おはよう」
返した声は自分でも分かるくらい力のないものだった。
他の皆の様子を見てみると、当然誰も普段通りというわけではなく、
口数は少なく、表情にも昨日の出来事を引きずっているのが見て取れた。
それでも、彼女たちは私よりは幾分か前を向いているように見えた。
きっと私が部屋に閉じこもっていた間、今朝なんかもみんなは食堂に集まって、
昨日のことを──あるいは、全然関係のない他愛のない話でもしたのかもしれない。
誰かと同じ場所で食事をして、言葉を交わして……
それだけでも、一人きりで天井を眺め続けるよりはいくらか心を軽くしてくれたのだろう。
私も今朝は食堂に行けば良かったと少し後悔した。
「マキちゃん、おはよう」
すぐ隣から柔らかい声がした。
視線を向けると、シロが心配そうに私を見つめていた。
「……おはよう、シロ」
「朝、食堂に来なかったね。……お腹、空いてない? 大丈夫?」
「部屋にあった饅頭食べたから、大丈夫」
「そっか」
シロは小さく息を吐き、微笑みかけてくる。
「おはようございます、マキさん。
朝、姿が見えなかったので……皆さんも少し心配していたんですよ」
「……まぁ、色々一人で考えたいこともあるでしょ。
でもご飯くらいは食べといた方が良いんじゃない? ただでさえ燃費悪そうなんだから」
「デリカシー無……」
イリスがホッとした表情で胸を撫で下ろし、
相変わらず棘のあるリンリの言動に、ハイジが呆れた顔でツッコミを入れる。
みんな私の酷い顔を見て、それなりに気を遣ってくれているのが伝わってきた。
「……うん」
なんとかそれだけ口にして、力なく片手を挙げて応える。
すると──
ばさり、とホールの入口から大きく羽ばたく音が聞こえた。
全員の視線がそちらへ向く。
「はい皆さん、お揃いですね」
カンチョーはそう言いながらホールへ入ってきて、わざとらしく咳払いを一つ挟んで続けた。
「えー、お知らせです。整備のため冬のエリアが封鎖される運びとなりました。
……まあ、ラウンジで火災もありましたし。いや、実に残念です」
その言葉に、ため息や"はいはい"と呆れ切ったような声がそこかしこから漏れる。
「もうええて……毎回毎回、魔女裁判が終わるたびにエリア封鎖されるん……」
ナツミが心底辟易した様子でガックリと肩を落とす。
「……で? 冬のエリアの次は春のエリアでも開放されるの?」
「いえ、春のエリアは元々このホテルがあるここですので」
「ご存知よ……」
リンリが気怠そうに尋ねると、間髪入れずにカンチョーは返した。
「では、一つ飛ばして夏のエリアがまた開放されたり……?」
「残念ながら、今回はエリアの開放は致しません。
その代わり、とある施設が開放されることとなりました」
イリスの問いを遮るように、カンチョーが不気味に目を細める。
「……それって、もしかして」
私がぽつりと呟くと、カンチョーはこちらに視線を向ける。
「何人かは既にお気づきでしょうが、
春のエリアの近くに聳え立つ、あの灰色の建物が開放されます。
今までは立ち入り禁止だったのですが……まぁ、上からの指示で」
そう言って、カンチョーはどことなくげんなりした様子で羽をすくめた。
「あ、それって……ホテルの敷地外れにあった、あの灰色の建物だよね……?」
「……あたしも見たことある。カンチョーがあそこにコッソコソ出入りしてたの」
シロとハイジが顔を見合わせ、記憶を手繰り寄せる。
私にも覚えがあった。
魔法の発表会のあと、春のエリアを一通り探索し終えてホテルへ戻る途中──
木々の向こうに、周囲の景色とは明らかに馴染まない灰色の建物が見えていた。
窓もなく、外壁も無機質で、正面入口にはただ『立ち入り禁止』と書かれた貼り紙だけがされていた。
何度か気にはなったものの、そのうち意識から外れていた場所だ。
「はい、まさにその建物のことです。
本日から立ち入り可能となりますので、今からご案内します。
……興味のある方はどうぞついてきてください」
「ちょっと待ちなさいよ。
明らかにアヤシゲな建物なんだけど……私たちに何かメリットでもあるわけ?」
リンリが腕を組みながら疑わしげな目を向ける。
「さあ、どうでしょうねぇ。
運営側に繋がる手がかりなんかが、置いてあったりなかったり……するかもしれませんねぇ」
その言葉に、ノクスがピクリと反応した。
「それでは、私は先に向かいます。場所が分からない方は付いてきてください」
そう言うと、ばさりと羽音を立ててカンチョーはホールを飛び出していった。
「……どうする?」
「うーん……見るからに罠っぽい雰囲気だけど……」
シロとリンリが不安げに言葉を漏らす。
「行きましょう」
ノクスが迷いなく答えた。
「今まで意図的に隠していた施設なら、確認しておく価値は十分にある。
それに……さっきのカンチョーの匂わせるような言い方」
「"運営に繋がる手がかり"……っちゅーやつ?」
「ええ、思い出してみて。
二階の図書室が開放された時も、棚の一部に不自然な空きがあったでしょう。
最初から何冊か抜き取られていたような場所がね」
「あ……」
ノクスの言葉に、はっと記憶が蘇る。
確かに並べられた本や資料の中に、そこだけ妙に歯抜けになっている場所があったのを。
「もしかすると……あの抜き取られた資料や情報そのものが、
あの灰色の建物に保管されている……そういう意味なのかもしれないわ」
「……そういえば私も前に、
カンチョーが紙束みたいなのを持って、あの建物に入っていったところを見たことがある」
「え、紙束?」
シロが聞き返す。
「うん。遠目だったから何が書いてあったのかまでは見えなかったけど……」
私の言葉にノクスが僅かに目を細める。
「それなら猶更調べるべきね。
どういうつもりで今になって開放する気になったのかは分からないけれど、
運営側に繋がる手がかりが残されている可能性は十分にあるわ」
「……そうですね。一応、行くだけでしたら……」
イリスも小さく頷く。
「明らかにロクな場所じゃないのは確かだけどね……念のため、みんなの寿命視とく?」
「お、助かるわハイジちゃん。未知の場所に突撃する時だけ輝く魔法!」
「うっさいなぁ! 普段から一応地味に役立ってるでしょ!?」
「わ、私もお願いします」
「はいはい。じゃ、順番に視るからじっとしてて……」
ハイジが一人一人の顔を見て、【寿命可視化】の魔法を発動させる。
「……うん、全員大丈夫。
少なくとも、今から一時間以内に死ぬ人はいない」
「ありがとう、ハイジ。これで最低限の安全保障は付いたわ。出発しましょう」
ノクスが、先に行って既に姿の見えなくなったカンチョーを追うように歩き出す。
私もその後に続こうと足を踏み出したその時──
「──あ、ちょい待ち、マキちゃん」
「ん?」
ナツミに呼び止められて振り向く。
「昨日からな、言うかどうか迷っとったんやけど……」
「……何を?」
「……マリーちゃんのことや」
「……っ……!」
その名前を耳にした瞬間、心臓に小さな針を刺されたような痛みが走った。
「ちょ、ちょっと、ナツミ……」
リンリが慌ててナツミの肩を掴んで制止しようとするが、それを振り切ってナツミは続ける。
「ええから。……マキちゃん、まだずっと気にしとるやろ。
『自分が【死に戻り】出来とったら、マリーちゃんを助けられたんちゃうか』って」
「……」
図星だった。
私はあの時、結局マリーを助けられなかった。
その無力さと後悔が、今もこうして私の心を覆いつくしている。
「実際、私は何も出来なかったんだ」
「──それはちゃうで」
ナツミが、私の言葉を遮るようにはっきりと言った。
「これ言うてもーたら、秘密にしとった意味無くなるんやけど……
もうそんなこと言うとる場合やないしな」
「……秘密? 一体何の話よ?」
リンリが怪訝そうに首を傾げる。
「あー……」
「そ、それはですね……」
ハイジが気まずそうに目を逸らす。
イリスもその隣で、どう説明したものかという顔でナツミを見た。
ナツミはリンリに説明するように続ける。
「実はな──」
「ウチ、一回死んどんねん」
「……え?」
「……死んでる、って……?」
リンリとシロが目を丸くする。
「ま、今はマキちゃんのおかげで、見ての通りピンピンしとるんやけど」
「ちょっと待って、何それ、どういう意味?」
リンリがすぐさま食いつく。
「三日前のことや。むっちゃ雷鳴ってた日、覚えとるやろ?
ウチ、外でアホみたいにボール蹴っとってな。
その時、近くに雷落ちて……そこで、一回死んだ」
「…………」
ナツミの告白に、リンリとシロの顔から血の気が引いていく。
ノクスも表情を険しくする。
「ほんで、マキちゃんが魔法使って、拳銃で自分撃って、死に戻ったらしいねん」
「……マキちゃんが?」
「うん。あの~何や、"魔法の拳銃"……の残りも一つ減らしてな」
「……」
シロが大きく見開かれた瞳で私を見つめてくる。
私はその直視に耐えかね、思わず視線を下へと背けてしまった。
「そのあと、マキちゃんが雷が落ちる前にウチをホテルん中まで引っ張ってくれた。
おかげで……今、ウチはここにおる」
ナツミは自分の胸元を親指で指した。
「せやからな──
助けられへんかったことばっかり考えんといてや。
マキちゃんが一回死んでまで助けた人間が、ここに一人おるんやで。
出来んかったことだけ見て、何も出来んかったみたいな顔せんといて。
いつまでもそんな顔されたら……助けてもろたウチの立場、ないやろ?」
真剣な物言いから、いつもの調子に戻すように冗談めかして言った。
「……ナツミ」
ナツミの言葉に、私の中にわだかまっていた黒い感情が、ほんの僅かに晴れた気がした。
だけど、それだけで胸の奥に溜まった黒いものが完全に消えたわけではなかった。
口元を少し緩めようとしても、上手く笑えている気がしない。
たぶん、顔色だってまだ酷いままだ。
「……なるほどね、そんなことがあったんだ。
マキらしいというか何というか……」
そんな私を見ていたリンリが、不意に小さく息を吐いた。
そして、少し躊躇うようにしてからリンリは続けた。
「……じゃあ、私からも一ついい?」
「え?」
私が顔を向けると、リンリは少し気まずそうに視線を逸らす。
「最初の魔女裁判のときのこと。
マキさ、私が刺されて死んだ時……二回、死に戻ったって言ってたでしょ」
その言葉に、まだ鮮明に残っている記憶が蘇る。
胸にナイフが刺さって、血を流して倒れていたリンリ。
私は間に合うかもしれないと思って、死に戻って走った。
結局、間に合わなかったけれど──。
「あの時さ……私、マキのこと疑ってたじゃない?」
リンリが言いづらそうに頬を掻く。
「私、マキに刺されたと思い込んでたし、助けようとしてくれたってことを聞いた後まで、
『苦し紛れの言い訳』とか……言っちゃってたじゃない?」
「……」
「全部終わってからも、そのことについて私、何も言ってなかったから」
そこで一旦言葉を切り、私の前に出る。
「……ごめん」
そして、リンリは頭を下げた。
「疑ったのもそうだけど……。
助けようとしてくれたことまで、なかったみたいにして」
「……いいよ、リンリ。……頭上げて」
私に促され、リンリはゆっくりと顔を上げた。
そして、私を真っすぐと見据えて続ける。
「マキのことだから、その時は『助けられなかった』って自分を追い詰めてたんでしょ?
……でも、私を助けるために、
あんたが二回死んだことまで無意味になるわけじゃないって思ってる」
「…………」
「だから……今更だけど」
リンリは僅かに視線を逸らした。
「……ありがとう。私を助けようとしてくれて」
「……本当に今更だな」
私は、照れ隠しをするように冗談めかして言った。
「う……うるさいわね。
こういうの、言うタイミング逃したら言いづらくなるでしょ」
リンリがぷいっと横を向き、肩をすくめて強がってみせる。
さっきまで胸の奥を塗り潰していた黒一色の中に、
ナツミとリンリの言葉がほんの少しだけ、別の色を落としたような気がした。
「じゃぁ……一件落着? ってことで……そろそろ行く?」
「……そうね。マキも、幾分か顔色も良くなったみたいだし」
「あ、あの……もうとっくにカンチョーさん出て行っちゃいましたよ……?」
ハイジとノクスの言葉に、ホールの入口を指差しながらイリスは言った。
「建物の場所分かってるし、案内なくても大丈夫やろ。カンチョーなんか一生待たせとき。
こっちがホテルのお客様、つまりは重役や」
みんなはゆっくりとホールを後にする。
私もそれに付いて行こうとすると、シロがぽんぽんと私の肩を叩く。
「……マキちゃん、あとでナツミちゃんの話について詳しく聞かせてね?」
顔はほんのり柔らかく笑っているものの、その瞳だけは全く笑っていない気がした。
「ね? 返事は?」
「……はい」
私はそそくさとホテルの外へ向かって足早に歩き出した。
◇研究所
ホテルを出てしばらく歩くと、木々の向こうから例の灰色の建物が姿を現した。
何度か見たことはあったけれど、こうして目的地として正面から向き合うのは初めてだった。
窓らしい窓もなく、周囲の木々や春らしい景色の中で、そこだけが空間から隔絶されたように浮いている。
「……随分と遅かったですねぇ。
新しく開放される施設だというのに、誰一人として興味をお持ちでないのかと」
「あからさまに怪しいですし、正直なところあまり気乗りしませんでしたので……。
それで、こちらはどういった建物なんでしょうか……?」
イリスがおずおずと尋ねると、カンチョーは言葉を選ぶように考え込む。
「えー、何と言いますか……一応『研究所』とでも銘打っておきましょうか。
ま、元々は別の用途で使われていた施設なんですがね」
「研究所? 一体何の研究よ」
「それは順を追って説明します」
リンリの疑問に対してそう言いながら、カンチョーは厳重そうな扉を開ける。
その中は──
全てが白い。
壁や床、天井も、白で統一されている。
外から見た無骨な灰色とはまるで対照的だった。
天井には等間隔に照明が並び、その白さを際立たせているかのようだった。
まさに『研究所』という言葉から誰もが連想する通りの空間が、私たちの目の前に広がっていた。
「いや、まんま研究施設って感じやなぁ……」
「……見た感じ、思ってたよりは普通だわ」
入口から恐る恐る中の様子を覗き見たナツミとハイジがぽつりと感想を漏らす。
「はいはい。皆さん、入口で突っ立ってないでさっさと中へどうぞ」
背後からカンチョーに急かされるようにして、私たちは順番に建物の中へ入っていく。
全員が入ったところで、カンチョーがどこからともなく紙の束を取り出した。
「……紙?」
シロが受け取った一枚を覗き込む。
そこには、この建物内部の見取り図が黒い線で印刷されていた。
「今回は施設の開放が急に決まりましたのでね。
タブレット側のマップ更新が間に合っておりません。
急な仕様変更に苦しめられるのはいつも末端なんですよね……やれやれです」
全員に紙の見取り図が行き渡ったところで、皆が一様に顔をしかめる。
「……なんか、色々とツッコミどころがあるんだけど」
「帰ってもいいですか?」
「まぁまぁ、建物内の各部屋を順番に反時計回りに懇切丁寧に説明して差し上げますので」
カンチョーはハイジとイリスのげんなりとした顔など意にも介さず、
皮肉を交えてそう言うと、入口から右手の方向へと羽ばたいていった。
渋々と言った様子で、みんなもその後に続く。
「…………」
私は──
ずっと、その見取り図から目を離せないでいた。
何かが頭の隅で引っ掛かっている。
思い出せそうで思い出せない。
胸の内側から、じわじわと嫌なものが広がっていく。
「マキちゃん?」
少し先から、シロが私を呼ぶ。
「……あ、うん。今行く」
私は慌てて地図を畳み、胸のざわめきを押し殺しながらみんなの後を追いかけた。