魔女ノイナイ魔女裁判   作:テラウラ

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楽園島 Part2

◇食堂

 

 

「おぉ……!」

 

思わず、素の声が漏れた。

 

広々とした空間いっぱいに並ぶ料理台。

ずらりと配置されたビュッフェカウンターに、銀色の蓋が閉じられた保温ケース。

整然と積み上げられた白い皿と、きらりと光るカトラリー。

 

「す、すごい……ちゃんと食堂だ……!」

 

私は思わず、ほとんど反射的に一番近くの保温ケースに手を伸ばした。

 

 

――ぱかり。

 

 

「あ、あれ?」

 

中身は、見事なまでに空っぽだった。

料理どころか、湯気一つない。

夢も希望も入っていなかった。

 

思わず固まっていると、すぐ近くの案内板が視界に入る。

 

【夕食提供時間:18:00~21:00】

 

腕時計を見ると、現在時刻、16時過ぎ。

 

「…………」

 

 

「マ、マキちゃん……」

「聞かないで……今はそっとしておいて……」

 

蓋を閉める音が、やけに虚しく響いた。

 

その様子を、少し離れたテーブルから、

紅茶のカップを片手にくすくすと笑いながら眺めている人物がいることに気付いた。

 

贄熊ライトだ。

 

よく見ると、彼女の手元には美味しそうな小さなサンドイッチのようなものが置かれてある。

 

 

「あなたたちも一緒にどうかしら?」

 

ライトはそう言うと、ビュッフェ台とは別に設けられた、もう一つのテーブルを指差した。

 

そこには──

 

【軽食・飲料:セルフサービス(終日)】

 

と、書かれた案内が立てられていた。

その下には、飲料類や軽食が控えめながらも整然と並べられている。

 

「よかったねマキちゃん! あれ、食べてもいいみたいだよ!」

「う、うん……」

 

なんか恥ずかしいからやめて。

 

「じゃあ、ちょっと休憩がてら、何か食べようか」

「そうだね。相席、お邪魔しま~す」

 

シロがそう言うと、ライトはにこりと微笑み、紅茶のカップを口元へ運んだ。

 

軽食台には作り置きらしき小さなカップケーキ、ワッフル、ビスケットなんかが置かれている。

 

(あれ……サンドイッチは?)

 

さっきライトの手元にあったはずだが、台の上には見当たらない。

 

(……もしかして、あれが最後の一つだったのかな)

 

少し残念に思いながら、私はカップケーキを四つと緑茶を手に取る。

そして、ライトの向かいの席に腰を下ろした。

 

 

「えーと……ライトさんは、どこか見て回ってたんですか?」

 

カップケーキを口に運びながら、私はそう尋ねる。

……ん、美味しい。

しっとりした生地に、上に散らされたスライスナッツがいいアクセントになってる。

 

「ライト、でいいわよ。クラスメイトに話しかけるみたいに、気軽に話してちょうだい。

 私は『大浴場』がある棟を見て回っていたわ」

「『大浴場』……」

「まだ私たちが探索してないとこだね~」

 

シロはそう言いながら、もぐもぐとバウムクーヘンを頬張っている。

 

「思ったより本格的だったわよ。脱衣所も広かったし、

 サウナやジャグジーなんかもあったわね。

 けれど、露天風呂はなかったわ。こんなに良いロケーションなのにもったいないわねぇ」

 

と、残念そうな顔でライトは言った。

 

「え~! 露天風呂無いの!?

 海を見ながらお風呂入れると思ってたのに~」

 

シロはがっかりした様子で肩を落とす。

 

……たしかに、それはちょっと残念だ。

 

 

「これから探索するなら、気を付けてね。

 あの棟、通路が狭くて奥まった場所が多い印象だったから。

 ……何が起きないとも限らないわよ♪」

 

最後だけ、わざとらしく軽い調子で付け足す。

 

「縁起でもない……」

 

思わずそう呟くと、ライトはくすりと笑った。

 

「冗談よ。そんなに身構えないで」

 

そう前置きしてから、私の手元――正確には、すでにラス1になっているカップケーキに視線を落とす。

 

「……それにしても、マキちゃんがそんなに美味しそうに食べているのを見てたら、

 私も甘いものが欲しくなっちゃったわ」

 

そう言って、ふっと席を立つ。

 

「ちょっと一つ二つ、取ってこようかしら♪」

 

軽やかな足取りで軽食台の方へ向かう背中を、私はぼんやりと見送った。

 

 

「なんだか、余裕って感じだ」

「そうだね……あれが大人の余裕? ってやつなのかな……」

 

私は最後の一口になったカップケーキを見下ろす。

名残惜しさを噛みしめるように、それを口に運んだ。

 

……やっぱり、美味しい。

 

隣ではシロが、ミルクを入れすぎてほとんど白くなってしまっているコーヒーを、ごくごくと飲み干していた。

 

「じゃあ、そろそろ、行こっか」

「うん。腹ごしらえも済んだし!」

 

そう言ってシロは、軽く伸びをする。

私はタブレットを確認し、次に向かう場所を指でなぞった。

 

 

 

【挿絵表示】

 

 

(……ここかな)

 

 

 

 

◇情報処理室

 

 

食堂を出て通路を進むと、壁際に控えめなプレートが掛けられた扉があった。

『情報処理室』──そう書かれている。

 

「……なんか、急に学校っぽくなったな……」

「でも、ここならテレビとかあるかも!」

 

扉を開けると、ひんやりとした空気が流れ込んできた。

 

長机がいくつも並び、その上にはずらりとパソコン。

椅子の数も多く、壁の正面には大きなスクリーンが設置されている。

 

「これは……」

「どっちかというと、視聴覚室、って感じだね」

 

私は一番近くのパソコンに近づき、マウスに触れる。

すると、すぐに画面が点灯する。

パソコン自体は使えるみたいだが、オフライン状態になっている。

 

「どうやら、インターネットは繋がってないみたいだ」

「じゃあ、やっぱりテレビも無理……だよね……」

 

ニュースを見られるかも、という期待はあっさり潰えた。

 

「あ、でも、DVDとか動画なんかは見られるかも!」

「うーん、良い内容のDVDとかだったら見たいけど……」

 

見せられると、不安を煽られるようなDVDは勘弁願いたいものだ……。

 

 

「今のところは、あまり用途が分からない部屋だね」

 

私がそう言うと、シロも小さく頷いた。

 

「うん……何か分かるかと思ったけど、

 少なくとも、娯楽用って感じではなさそう」

 

 

私はマウスから手を離し、椅子を元の位置に戻す。

 

 

「……とりあえず、今日はこのくらいにしようか」

「そうだね。また必要になったら来ればいいし」

 

そして最後にもう一度だけスクリーンの方を見てから、部屋を後にした。

 

 

次はどこへ向かうか思案していると、ふいにシロが小さく声を上げた。

 

「あ。さっきホールで、すごい喋ってた……」

「ん?」

 

私がシロの指差す先へ視線を向けると、

そこには階段の前で向かい合って話している、カンチョーとノクスの姿があった。

 

距離があるせいか、内容までは聞き取れない。

 

「……何の話だろ」

「また何かしら詰められてるのかな、あのトリ」

 

私たちは気になって様子を見に行った。

 

 

「あの~、どうしたんですか?」

 

シロが遠慮がちに声をかける。

 

ノクスは一瞬こちらを見てから、簡潔に答えた。

 

「二階に行こうとしたら、止められたの」

 

(二階……この階段の上か)

 

私は、二人が話している後ろにある階段を無意識に見上げる。

 

 

「二階は立ち入り禁止エリアでして……」

「でも、貼り紙も何も無かったわ」

 

ノクスが淡々と指摘する。

 

「……貼り忘れただけでして」

 

申し訳なさそうな声色。

けれどそこに、本気で悪いと思っている気配はない。

 

「マップを見ただけじゃ分からないわ。

 地下には行けたのに、どうして二階は駄目なの?」

「そういう決まりですので……」

 

なんだか、クレーム対応現場を見ている気分だ……。

 

 

「地下には行ったの?」

 

私が口を挟むと、ノクスは短く頷いた。

 

「ええ」

 

そして、ノクスは再びカンチョーへ視線を戻す。

 

「地下の"あれ"を見せてもいいくせに、

 二階は駄目だなんて――気にならない方がおかしいわ」

 

 

……"あれ"?

 

 

(あれ、って何だろ?)

(……さぁ)

 

私とシロは小声で話す。

 

すると、カンチョーはついに腹に据え兼ねたのか、羽を鳴らして銃業員を呼び寄せた。

そして、何やら紙とガムテープのようなものを持った銃業員が現れ、

二階への階段の手すりに雑にガムテープを貼り付け、

行く手を阻むように雑に封鎖し、最後に雑に紙を貼った。

 

そこに書かれていたのは――

 

 

『この先立ち入り禁止エリア

 入ったら命とか無くなります』

 

 

「これで、いいですかね……?」

「……」

 

ノクスはむっとした表情だ。

 

 

「び、びっくりした……

 一瞬、ノクスちゃん、撃たれるのかと思っちゃった……」

 

シロがあわあわとした様子で言った。

 

「……流石にクレームだけでは撃ったりしませんよ。

 まぁ、私や銃業員への暴力行為が見られた時は別ですがねぇ」

 

「……では、二階は立ち入り禁止ということで。

 地下については、特に制限はありませんので。

 皆さん、ご自由にどうぞ……」

 

そう言って、羽を軽く振った。

 

その言葉を受け取ると同時に、ノクスはそれ以上何も言わず、踵を返す。

静かな足取りで、私たちが今来た通路の方へ歩き出した。

これ以上ここで言い合っても無駄だと悟ったような風だった。

 

すれ違いざま、ノクスは足を止め、ほんの一瞬だけこちらを見る。

 

「地下へ行くなら、気を付けて。

 少なくとも……見て良い気分になるものじゃないから」

 

それだけ言い残すと、今度こそ歩き去っていった。

 

「……え」

「……え?」

 

私とシロは、同時に立ち止まる。

 

「な、何だそれ……」

「そんなこと言われたら、逆に気になるんだけど……」

 

思わず視線が、通路の先――

地下へと続く方向へ向いてしまう。

 

 

「……行く?」

 

私が小声で聞くと、シロは一瞬だけ迷い、それから小さく頷いた。

 

「……うん。

 でも、ほんとに気を付けようね」

「大丈夫。私が先に行くから、後ろ付いてきて。

 一応、距離は取っといてね」

 

 

そう言ったところで、シロがふと視線をずらす。

 

「あ、一応……エレベーターもあるよ」

 

階段のすぐ横に、壁に埋め込まれるように、無機質なエレベーターの扉があった。

表示ランプは点いているが、内部の様子は分からない。

 

「……いや、エレベーターは止めとこう」

 

私は即座に首を振る。

 

「閉じ込められたりしたら洒落にならないし。

 非常時に逃げ場がないのは論外だよ。階段で行こう」

「……だよね」

 

シロも納得したように、エレベーターから視線を逸らした。

 

私は改めて階段の方へ向き直る。

 

 

コンクリート剥き出しの段差は、ホテルの他の場所とは明らかに異質だった。

手すりに触れると、ひんやりとした感触が指先に伝わる。

 

「足元、気を付けて」

「うん」

 

……照明はある。

ちゃんと設置されていて、ちゃんと点いている。

 

 

地下に辿り着いて、真っ先に目に入ったのは、正面に鎮座する重厚な木製の両開き扉だった。

 

ホテルの扉にしては、あまりにも仰々しい。

分厚く、ただ「閉ざす」ことだけを目的に作られたような扉。

 

 

「……開けるよ」

「う、うん」

 

私は取っ手に手を掛け、力を込める。

 

 

――ガタガタッ!

 

 

「あ、あれ……開かない」

 

何かが引っかかっている様子はない。

 

「鍵、かかってるみたいだね……」

「今は、まだ入れないってことか」

 

少し拍子抜けすると同時に、

どこかほっとしている自分がいることにも気付いてしまった。

 

「……じゃあ、別のとこ見て回ろっか」

「うん」

 

 

私とシロは、その両開き扉を背にして、通路を進む。

 

数メートル歩いたところで、壁に取り付けられた小さなプレートが目に入った。

 

「……『生物室』?」

 

生物室って、学校にある生物実験室とかの、あの?

ホルマリン漬けの標本とか、骨格模型とかが並んでる――

そんなイメージが、反射的に頭をよぎる。

 

扉には「ナマモノ」と白い文字が書かれてある。

 

私がその扉を押し開けた瞬間、

肌を刺すような冷気が一気に流れ込んできた。

 

「さ、寒っ!?」

「ほ、ほんとだ……冷凍庫みたい……!」

 

思わず、私もシロも両腕を抱え込む。

吐いた息が、はっきり白く見えるほどだ。

 

地下のひんやりした空気とは、明らかに質が違う。

"冷やしている"という意図が、はっきり感じられる冷たさだった。

 

部屋の中を見回す。

 

そこには、長方形の箱のようなものが、

等間隔でいくつも床に寝かせるように並べられていた。

 

ただの箱じゃない。

金属製で、側面には配線や操作パネルのようなものが付いている。

どれも仰々しく、機械設備と言った方がしっくりくる。

 

そして、その箱の正面には──中の見える、分厚いガラスの窓。

 

「……中、空っぽだね」

 

シロが小さな声で言う。

 

確かに、どの箱の中も何も入っていない。

まるで倒れた棚のようなものだけが整然と設置されている。

 

(冷蔵庫……? それとも、保存ケース……?)

 

空っぽなのに、妙に圧迫感がある……。

 

 

「……ここ、長居しない方が良さそう」

「そ、そうだね……」

 

私とシロは足早に生物室を立ち去った。

 

 

生物室のすぐ隣には、生物室の機械的な扉とは打って変わって、何やら古びた木製の扉があった。

部屋の扉付近に、『懲罰房』と書かれたプレートが目に入る。

 

そこには──

 

「な、なんだこれ……」

「ひっ……」

 

言葉が、自然と零れ落ちた。

 

壁に掛けられた鎖、手錠、釘、鉄球。

明らかに普通に座る目的のそれではない椅子、磔刑台、三角木馬、ギロチン……。

部屋の奥には、アイアンメイデンのようなものまで鎮座していた……。

 

歴史の教科書や、博物館でしか見たことのない拷問具。

それが、目の前に実物として存在している。

 

「……冗談、だよね……?」

「……」

 

一応、血が乾いたような赤黒い跡は見当たらない。

まだ一度も使われてないだけか、

……それとも、使われたあとで綺麗に洗い落とされただけか……。

 

「……これって、『規則一覧』のペナルティ、ってやつなのかな……?」

 

シロは震えた声で私に尋ねてきた。

 

確かに、規則にはこう書かれていた。

 

――違反行為が確認された場合、内容に応じてペナルティが課される。

 

もしそうだとしたら、今ここに血の跡がない理由も、説明はつく。

 

まだ誰も規則違反をしていない。あるいは、少なくとも――

「処刑」に値するような違反は、起きていない。

 

 

「……何にせよ、規則違反をしなければいい」

 

自分に言い聞かせるように、私は言った。

 

「シロ、本当に気を付けてね。

 軽い気持ちで何かやった結果、ここに連れて来られるなんて……

 冗談じゃ済まない」

「う、うん……!」

 

シロは力強く頷こうとして、結局ぎこちなく首を振る形になった。

それだけ、この部屋の光景が、心に深く刺さっている証拠だった。

 

 

「……もう、十分見た」

 

私は視線を逸らし、扉の方へ体を向ける。

 

「これ以上ここにいても、分かることはないし……

 正直、居たくもない」

「……うん。私も……」

 

二人で顔を見合わせ、それ以上何も言わずに静かに部屋を後にした。

 

 

無言のまま通路を戻り、コンクリートの階段を上る。

一段一段、足音が反響するたびに、地下の冷気が遠ざかっていく。

 

「……ねえ、マキちゃん」

「ん?」

 

階段の途中で、シロが小さく声をかけてきた。

 

「さっきのノクスちゃんの言ってた"あれ"って……

 今の、あの場所のことなのかな」

「……かもね」

 

正直、それ以上考えたくなかった。

あれが地下にある"見ていいもの"なら、

二階にある"見てはいけないもの"は、どれほどのものなのか。

 

──今は、考えないことにした。

 

 

階段を上り切ると、空気ががらりと変わった。

地下の冷たさとは違う、湿り気を帯びた温かい温度。

 

私は気を取り直すようにタブレットを起動し、フロアマップを表示させた。

点滅する現在地から、長い通路の先――『大浴場』の表示へと視線を滑らせる。

 

「……シロ、『大浴場』見てみよう!

 さっきのことは、ひとまず忘れよ!」

 

少しだけ声を張り、私は歩き出す。

 

「……うん!」

 

シロも、私の調子に合わせるように、いつもより明るい声で頷いた。

 

 

 

 

 

◇大浴場

 

 

大浴場への通路は長く、

壁には間接照明が等間隔に設置されていて、足元を柔らかく照らしている。

 

 

やがて、通路の突き当たりに、『ゆ』と書かれた大きな紺色の暖簾が見えてくる。

 

紺色の布をそっと押し分け、私たちは大浴場の中へ足を踏み入れた。

 

 

「おぉ……結構広いな」

「ライトちゃんが言ってた通りだね~」

 

脱衣所は広く、清掃も行き届いているようだった。

 

「たしかジャグジーやサウナもあるって言ってたよね!」

「だね、ちょっと覗いてみようか」

 

そう言って、そのまま浴室に入ろうとしたその瞬間──

 

「あっ……お待ちください……」

 

「うわあっ!!」

「きゃあっ!?」

 

どこからともなくカンチョーが飛んできた。

 

「何覗いてんだ、この阿呆鳥!!」

「ヘンタイだよ! ヘンタイ!!」

 

反射的に叫ぶ私たちに対し、カンチョーはぱちぱちと瞬きをしてから、

どこか心外そうな声で言う。

 

「いや……あなた方、服着てるじゃないですか……。

 というかですね、それが問題なんですよ……」

 

「……は?」

「……え?」

 

意味が分からず固まる私たちを前に、カンチョーはため息まじりに羽を広げた。

 

「服を着たまま浴室に入るのは、マナー違反です……。

 特にサウナなんて、絶対に入らないでくださいね……」

 

む……確かに、それもそうか……。

 

「……入ろうとしたわけじゃないから」

「様子見、様子見だから!」

 

必死に弁解すると、カンチョーは胡乱げな目でこちらを見る。

 

「……"様子見"でもですね、脱衣所までにしてください……。

 ここ、一応、大浴場ですので。……浴室に入る際は、ちゃんと脱いでから。

 ……規則以前に、常識の問題です」

 

「……はい」

「……すみません」

 

するとカンチョーは、やれやれといった様子でどこかへ飛んで行った。

 

「……お風呂は、こんなもんでいいかな」

「……そうだね」

 

なんとも言えない空気だった。

さっきまでの緊張感と、阿呆鳥のマナー指導が脳内で渋滞していた。

 

 

 

◇休憩室

 

 

大浴場に隣接している休憩室にやってきた。

 

飲料類が冷やされた冷蔵ショーケース。

コミックや雑誌がぎっしりと詰め込まれた棚。

その前には、読書用と言わんばかりのリクライニングチェアや、

無造作に置かれた大きめのクッションがいくつも転がっている。

 

「……あ、普通に休憩室だ」

「ほんとだ。すごく休憩室だね」

 

よくある銭湯や温浴施設の休憩スペースそのものだった。

 

「てっきり、もう風呂上がりの誰かが休憩してるのかと思っちゃった」

「いや、ホールのあの空気から速攻風呂入って休憩キメてたら豪胆すぎるだろ……」

 

そう言いながらも、私は室内をもう一度見渡す。

 

まぁ、流石に誰もいないか。

 

「とりあえず、普通の場所って分かっただけでも収穫だ」

「そうだね。じゃあ、他いこっか」

 

 

そう言ってマップを見ていると、シロがもじもじしながら、

 

「本がいっぱい並んでるの見てたら、トイレ行きたくなっちゃった。

 ここのトイレ行ってくるね」

 

と言いながら、休憩室近くのトイレを指差した。

 

「分かった。入口で待ってるね」

 

そう言って、小走りでトイレに向かうシロの後ろをゆっくりついていった。

 

 

(……この通路から、庭園が見えるんだな)

 

私は歩きながら、通路左側に等間隔で並ぶ窓へと視線をやる。

ドアほどもある大きなはめ殺しの窓越しに、手入れの行き届いた庭園が静かに広がっていた。

 

ほどなくして、トイレの入口が見えてくる。

さっきロビーで見かけたのと同じように、入口の上部には監視カメラが設置されている。

まるで通路を進んでくる者を見張るように、赤いランプが小さく点灯していた。

 

(……ほんとに、何のためにあるんだか)

 

トイレの入口だけを執拗に見張る監視カメラに向かって、私はぼんやりと思案に耽る。

 

 

そう考えているうちに、トイレの中から足音が聞こえてきた。

 

 

「お待たせ~」

 

シロが小さく手を振りながら出てくる。

 

「じゃ、行こっか、次」

「うん」

 

(この棟で見てないのは……『事務室』と『医務室』か)

 

私はマップの右端に視線を滑らせる。

 

「じゃあ、『事務室』から行こう」

「りょーかい!」

 

私とシロは大きな窓越しに見える庭園を背に、通路を真っすぐ歩き始めた。

 

 

 

 

 

◇事務室

 

 

事務室に足を踏み入れた瞬間、まず目に飛び込んできたのは、

無機質なオフィスチェアと、それに合わせたオフィスデスクだった。

天板の上には、処理しきれず積み上げられたような大量の書類。

 

私はその中から何枚かを手に取り、目を通す。

 

そこに並んでいたのは、資材の発注票、備品管理表、納品確認書……。

日付、管理番号、数量etc……。

どれもが淡々と並び、感情というものが一切排除された、

「今日も仕事です」と言わんばかりの事務書類ばかりだった。

 

「これ……入らない方が良かったか……?」

「そ、そうだね……下手に触るとまた怒られそう……」

 

 

そっとしておいた。

 

 

 

 

 

◇医務室

 

 

医務室に足を踏み入れると、鼻先をくすぐる消毒液の匂いがした。

 

白を基調とした室内には、壁際に並ぶ医療棚と、簡素なデスク。

体温計や血圧計、包帯といった見慣れた器具が、きちんと整理されて置かれている。

 

奥へ進むと、カーテンで仕切られたベッドがいくつか並んでいた。

そのうちの一つ――白いカーテンの隙間から、人影が見える。

 

「……誰か、寝てる?」

 

一瞬、どきりとする。

まさか体調を崩した人がもう出たのかと、私は思わず足を止めた。

 

そっとカーテンを覗き込むと――

 

「……あ」

「イリス、ちゃん……?」

 

ベッドに横になっていたのは、イリスだった。

 

白いシーツに身を沈め、静かに目を閉じている。

呼吸は穏やかで、苦しそうな様子はない。

 

「……びっくりした。イリスちゃん、寝てるだけみたいだね」

「だね、そっとしておこ──」

「起きてます……」

 

小さな声が返ってきて、イリスはゆっくりと目を開け、上体を起こした。

 

「わっ!」

 

その声に、思わず私とシロの肩が跳ねる。

 

「きゃっ、ご、ごめんなさい……!」

 

少し寝癖のついた長い髪を押さえながら、申し訳なさそうにこちらを見る。

 

「体調、悪いの?」

「いえ……そういうわけではなくて……」

 

イリスは一度、言葉を探すように視線を泳がせてから、静かに続けた。

 

「ホールを見て回ったあと、

 ちょっと頭がいっぱいになってしまって……」

 

そう言って、医務室を見渡す。

 

「ここ、薬品の匂いがしますよね。

 昔から、この匂い、落ち着くんです」

 

消毒液と、かすかに薬草のような匂いが混じった、病院特有の空気。

言われてみれば、確かに胸の奥がすっと静まる感じがする。

 

「それで、少し横になっていただけです」

「そっか……」

 

シロはほっとしたように微笑む。

 

「無理してなくて良かった。騒がしくしてごめんね」

「いえ、こちらこそ……」

 

私がそう言うと、イリスは小さく首を振り、ベッドの端に座り直した。

 

 

「でも、少し安心しました……」

「え、安心って?」

 

私が聞き返すと、イリスは視線を薬品棚の方へ向ける。

 

「ここに入ったとき、少しだけ棚を見てみたんです。

 でも、置いてあったのは栄養剤とか、ビタミン剤とか、そういうものばかりで」

「物騒な薬が無くて、良かったなって……」

 

「物騒って……『毒薬』とか……?」

 

私の言葉に、イリスは一瞬だけ言葉を探すように瞬きをしてから、小さく頷いた。

 

「……はい。そういう類のもの、です……」

 

イリスはそう答えると、ほんのわずかに視線を伏せた。

 

「私も素人なので、もしかしたら見落としているだけかもしれませんけど……、

 それでも、少なくとも一目で危険だと分かるようなものは見当たらなくて……」

 

「確かに、この状況で変な薬とか置いてあったら、怖いな……」

「ええ……。ぱっと見た感じ、おかしな薬がなくて本当に安心しました……」

 

イリスは胸に手を当て、静かに息を吐く。

張りつめていたものが、少しだけほどけたような仕草だった。

 

「……この場所、静かですし、こういう場所が少しありがたくて……」

 

そう言って、イリスは小さく微笑む。

 

「それなら、ここで少し休んでていいと思うよ」

「うん。無理しないのが一番だよ」

 

シロがそう言うと、イリスはこくりと頷いた。

 

「ありがとうございます……。

 もう少ししたら、私も部屋に戻ります。

 ……誰かに見られたら、さっきみたいに脅かせちゃいますし」

 

と、イリスは苦笑気味に言う。

 

「それは確かに」

「じゃあ、私たちはそろそろ行くね。無理はしないでね」

 

私がそう言うと、イリスは小さく微笑んだまま、もう一度頷いた。

 

私はカーテンをそっと閉めて、医務室を後にした。

 

 

「これで、この棟の探索も終わったね~」

 

通路を歩きながら、シロが小さく息を吐く。

 

「次はどうする?」

「時間的には、そろそろ夕食じゃない?」

 

シロの言葉に、私は腕時計で時刻を確認する。

18時までは、もう少しだけ余裕がある。

 

……そういえば、と不意に思い出す。

マップの端、宿泊部屋の通路の突き当たりに、

まだ足を運んでいない小さな部屋がいくつか表示されていたはずだ。

 

「たしか……」

 

そう呟きながら、タブレットのマップを改めて確認する。

 

 

【挿絵表示】

 

 

『アトリエ』、『物置』、『用具室』

 

どれも目立たない名前で、最初に見たときは完全にスルーしていた場所だ。

 

「宿泊部屋の近くにあるとこだね」

「うん。なんか……生活感ありそうな場所だ」

「夕食まで少し時間あるし、行ってみよっか」

 

と、シロがタブレットを覗き込みながら言った。

 

「そうだね。寄り道がてら、見て回ろう」

 

私たちは進路を変え、宿泊部屋が並ぶ通路の奥へと足を向けた。

 

 

 

 

 

◇アトリエ

 

 

床に置かれたキャンバスや、散らばったたくさんのスケッチ。

木製のテーブルの上には雑然とパレットや筆があり、

ところどころに飛び散った絵具の痕跡がある。

 

「いかにもアトリエ、って感じ」

「少し狭いけど、景色はいいな」

 

大きな窓の外には、きれいに整地されたグラウンドが広がっていた。

 

夕方の薄暗さに備えるように、すでに照明が点き始めていて、

白いライトが地面をやわらかく照らしている。

 

そのさらに向こうには、夕暮れ色に染まり始めた広大な海が見えた。

 

 

そして――

 

「……あれ?」

 

グラウンドをゆるやかに囲むようにして、淡い桃色の花が一斉に咲き誇っていた。

 

「……桜?」

 

思わず声に出すと、シロも窓越しに目を凝らす。

 

「ほんとだ……満開だね」

 

照明に照らされた花びらが、夕方の風に揺れて、はらはらと舞い落ちている。

その光景は、どこか幻想的ですらあった。

 

「珍しいな……南国に桜なんて」

「……確かに、今は春だけど……」

 

この島の気候は明らかに南国寄りだ。

桜が咲くには、少し――いや、だいぶ不自然だ。

 

そのことを考えれば考えるほど、

胸の奥に小さな棘のような違和感が残る。

 

──それでも、

しばらくの間、私はその光景から目を離せずにいた。

 

 

「……そろそろ、行こっか」

 

ぼんやりと見とれていた私に、シロが控えめに声をかける。

 

「……そうだね」

 

名残惜しさを振り切るように、私は窓から視線を外した。

アトリエの中をもう一度だけ見回してから、扉の方へ向き直る。

 

 

「……あれ」

 

ふと目に留まったのは、扉の横に付けられた金属製の鍵だった。

ごく普通のシリンダー錠だ。

 

「鍵、付いてるんだね」

「絵を描いてる最中に、邪魔されないようにかな?」

「あー、なるほど……」

 

一応、納得できる理由だ。

集中力が必要だし、勝手に人に出入りされたら困るだろう。

絵を描くというのも、きっと想像以上に神経を使う仕事なのだ。

 

私はそんな芸術家の苦悩に少しだけ思いを馳せ、

ドアノブに手をかけて、アトリエを後にした。

 

 

 

 

◇物置

 

 

アトリエのすぐ隣の『物置』にやってきた。

見た感じ、物置というよりは隣のアトリエの準備室のようだ。

 

「美術系の部屋って、だいたいこんな感じだよね~」

 

シロはそう言いながら、中へ足を踏み入れた。

 

刷毛や筆がまとめて立てられ、空き瓶や缶が並んでいる。

机には画板が何枚も、無造作に重ねられていた。

棚には、水性から油性まで、さまざまな種類の絵具が並ぶ。

 

こころなしか、隣のアトリエよりも独特のにおいがする。

絵具の甘さに、鼻の奥に残る溶剤っぽい刺激が混じっている。

 

「う゛っ……準備室のにおい……」

 

思わず小さく鼻をすする。

 

「マキちゃん、こういうの苦手?」

「うん……あんまり得意じゃない」

 

シンナーとか、ニスとかの刺激臭はどうにも苦手だ。

もし、部屋中をカラースプレーまみれなんかにされたら、

私は卒倒して医務室行きだろう……。

 

「ちょっとこれは、長居はしなくていいかな……」

「む、無理しないのが一番だよ……」

 

シロはすぐに引き返す気になったらしく、私の様子を気にしながら入口へ向かう。

私もそれに続いて、準備室を出た。

 

 

 

 

 

◇用具室

 

 

物置の隣の『用具室』にやってきた。

 

扉を開けた瞬間、目に飛び込んできたのは、ずらりと並んだスポーツ用品だった。

 

壁際にはバスケットボールやサッカーボールがネットにまとめて吊るされ、

棚の下段には、砲丸投げに使うような重そうな鉄球が積まれてある。

隅のラックには、何本もバットやラケットが立てかけられていた。

 

「……体育館の倉庫だ」

 

思わず、そんな感想が口をついて出る。

 

「ほんとだ。学校の用具室そのまんまだね」

 

シロは楽しそうに辺りを見回す。

 

 

「……あ、だから目の前がグラウンドなのか」

「そっか、なるほど~」

 

シロは納得したように頷き、ラケットのガットを軽く指でつまんだ。

 

「なんとなく、安心するな」

「うん。変な仕掛けも無さそうだし」

 

私は一通り見渡してから、扉の方へ体を向ける。

 

「ここも、特に見るものは無いかな」

「だね。じゃ、行こっか」

 

そう言って、私たちは用具室を後にした。

 

 

「……これで、一通りは見終わったかな」

 

 

宿泊部屋の通路に出たところで、腕時計に目をやる。

表示は、ちょうど18:00。

 

「あ……」

 

思わず、声が漏れた。

 

「もしかして、夕食の時間?」

 

シロがすぐに気付いて、ぱっと覗き込む。

 

「うん。18時ぴったり」

 

胸の奥が、分かりやすく軽くなる。

 

「さっきの空っぽビュッフェのリベンジだね!」

「……今度こそ、あるはず……!」

 

少しだけ足取りが早くなるのを自覚しながら、

私は食堂のある方向へ進路を変えた。

 

「行こ、シロ。今度は期待できるかも」

「うん!」

 

二人で顔を見合わせ、食堂へ向かって歩き出した。

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