白い光がまぶたの裏を撫でた。
「……ん」
意識が浮上するより先に波の音が耳に入ってくる。
カーテンの隙間から朝の光が静かに差し込んでいた。
腕時計を見ると、8時ちょっと前。
色々あったせいか、思った以上にぐっすり眠っていたらしい。
ベッドの上で一度、寝返りを打つ。
もう一度目を閉じてみるが、眠気は戻ってこなかった。
「……シャワー浴びよ」
潔く体を起こし、浴室の灯りを点ける。
白いタイルが淡く光を返し、夜のあいだに冷えていた空気がひんやりと肌に触れた。
頭を下げて、何も考えずに湯を浴びる。
思考と一緒に、昨日のざわつきも少しずつ流れていった。
ふぅ、と長めに息を吐き、シャワーを止めてふと思い出す。
「……あれ、そういえば着替えは……?」
まさか着てきた一着だけ?
そう思いながら、バスタオルを纏ったまま部屋を見回す。
クローゼットを開けた瞬間、思わず眉をひそめた。
中には同じ系統の服が何着も並んでいる。
色も形も、どれも見覚えがあるようで、微妙に違う。
「……似てるけど、若干違うブランドだな……」
昨日まで着ていた服とまったく同じではない。
けれど、意図的に"寄せて"ある。
まさか、拉致ってきたときの服を基準に
わざわざ似たものを揃えているとか……?
「……律儀すぎない?」
クローゼットに並ぶ、私の着てきたおしゃれパーカーもどきを眺めながら、ぽつりと呟く。
黒のインナーを身に着け、その上からパーカーを羽織る。
ファスナーを引き上げて、途中で止めた。
「サイズも合ってる……怖」
まぁ要はこれを着回せってことか……。
魔女因子のせいで服も汚染されるから、
着終わった服は丸めて焼却炉に投げ込んでください──
みたいなことは言われないみたいだ。
魔法の発表会までまだ時間がある。
スマホをポケットに入れる。
鍵を手に取り、朝食を食べるために部屋を出た。
通路を歩きながら、ふと気づく。
(昨日から私、食べてばっかだな……)
到着してすぐおやつ。軽食。夜は夕食。
そして、今から朝ごはん。
(まあ、食べられるうちに食べとくか)
そんな内心のツッコミを胸の奥にしまい込んで、
私はそのまま食堂へと足を向けた。
食堂にはすでに三人の姿があった。
窓際のテーブルにはダイヤが、その向かいにミサ。
そして、ミサの隣にはマリー。
椅子の上で足を揺らしながら、窓の外の海を眺めていた。
「あら、ごきげんよう、マキさん」
ダイヤがこちらに気づき、オムレツを口に運びながら、柔らかく声をかけてくる。
「おはよう」
軽く返すと、ミサもこちらを見て、小さく呟いた。
「……おはよ」
「おはよう」
マリーは、少し遅れてこちらを見て、にっと笑った。
「マキちゃんおはよ!」
「おはよう」
もう朝食を食べ終わったらしく、マリーの手元には空のお皿があった。
(ダイヤのオムレツ、美味しそうだな……私もいただこう)
そう思いながらビュッフェ台に向かい、
オムレツとウィンナー、スクランブルエッグとサラダを取る。
おっと、卵と卵でダブってしまったぞ。
私が席に着くと、ダイヤはフォークを置いて姿勢を正した。
「ところで、例の発表会ですけれど、
わたくし、こういった場で一番を譲るつもりはありませんわ」
「……ん? 一番?」
思わず聞き返すと、ダイヤは当然のように微笑んだ。
「ええ。発表"会"なのでしょう?
順位がつくのであれば、一位を狙うのが礼儀ですわ!
あなたには負けませんわよ!」
「…………こっちこそ!」
採点基準も評価内容もまったく分からないし、
そもそも順位があるのかどうかすら怪しいが、
とりあえず全力で乗っておいた。
「順位、つかないと思うけど……」
ミサがスープをかき混ぜながらぼそっと口を挟む。
「マリーね、ダイヤちゃんからアドバイスされて~。
『本番まで魔法は見せずに取っておきなさい』って!
その方がいっぱい点とれるらしいよ!」
私の知らないルールが勝手に作り上げられている……。
そんなことを考えつつも、
私がビュッフェのオムレツを楽しんでいると、
いつの間にか、ダイヤは静かに席を立ってビュッフェ台へ向かっていた。
デザートでも食べるのかな、と思って目で追うと、
彼女は迷いのない足取りで果物のコーナーへ向かう。
そしてりんごを──
一つ、二つ、三つ、……いや、まだ取る。
トレイの上に、赤いりんごが次々と積み上がっていく。
「……ダイヤ?」
思わず私が声をかけると、
ミサもスプーンを止めて、やや引いた声を出す。
「ちょっと待って……
それ、全部食べるつもり?」
「食べませんわ。使いますの」
「使う……?」
ミサも怪訝な表情をしている。
「発表の準備ですわ」
発表って、魔法の……?
りんごを大量に使う魔法って何だ……?
「あと、これも必要ですわね」
と、ダイヤはビニール袋を持って、
「では、ごきげんよう。
──決勝で会いましょう」
にこりと微笑んでそう言い残し、銀のフープイヤリングを揺らしながら、
大量のりんごと共に颯爽と食堂を後にした。
「ダイヤちゃん、かっこいい……!」
「どこが……?」
ミサが最後の一口のスープを口に運びながら、
きらきらした目でドアの方を見つめるマリーに即座に突っ込んだ。
「じゃ、マリー、ヤヒメ迎えに行こ。
さっきは寝てたっぽいけど、たぶんもう起きてる」
「あ、そうだね。
昨日、三人で朝ごはん食べるって約束したのに~」
マリーは口を尖らせて、ぶーぶーと不満そうに言う。
そして、二人して食堂を後した。
(そろそろ私も、ホールに行っとこう)
残ったオムレツにフォークを入れる。
昨日はまんじゅう食べてて遅刻して、
今日は朝食を食べてて遅刻なんて、流石に笑えないし。
内心で苦笑いしながら、最後の一口をきちんと味わう。
それからトレイを持って立ち上がり、返却口に置いた。
食堂を出て、通路を抜ける。
朝の光が少しずつ強くなっていて、
時間が進んでいるのを実感させられる。
ホールに近づくにつれ、人の声が重なってきた。
扉をくぐると、すでに10人ほどの人が集まっていた。
思っていたよりみんなちゃんと集合している。
「な、何やその大量のりんご……」
「魔法の発表のためのものですわ。
他に使いたい方がいらっしゃれば、どうぞご遠慮なく」
「りんご……私の魔法にお誂え向きじゃん」
「へぇ……どんな魔法か興味が尽きないわねぇ♪」
「何でも良いけど、あたし時間になったら即帰るから……。
なるはやでよろしく」
(……これ、全員参加あるか……?)
そう思っていたら、背後から聞き慣れた明るい声がした。
「マキちゃん、おはよう。
みんな、集まってるねー」
振り返ると、シロが手を振りながらこちらに歩いてきた。
「おはよう。たしかに……みんないるね」
「あと来てないの、ミサちゃん、マリーちゃん、ヤヒメちゃんだけだって」
あ、その三人は後から来るだろうし……つまりは全員集合、ってことか。
そう思ったまさにそのとき、ホールの入口から、
少し遅れて三人の姿が現れる。
先頭を歩くミサの後ろで、マリーが小さく手を振っている。
そしてその二人に挟まれるようにして、ヤヒメがいた。
半分閉じた目。髪はまだ少し寝癖が残っていて、
足取りもどこか覚束ない。
「……みんなおはよ~……」
かろうじて聞き取れる声で、ヤヒメが呟く。
「ほら、ちゃんと歩いて」
ミサに連れられるようにしてヤヒメがホールに入っていく。
すると、アテナがホールを一度ぐるりと見回した。
人数を確かめるように、一人ひとりに視線を走らせてから、軽く息を吐く。
「……うん。これで全員だね」
その一言で、場に残っていたざわつきが静かに収束していく。
「あー、みんな、集まってくれてありがとう。
発表会、なんて銘打ってるけど、一発芸を見せるみたいに気楽にね」
「ま、単なる情報共有だから」
一発芸を見せるのって、あんまり気楽じゃないんだよな……。
そんなことを思っていると、続けてアテナが言う。
「まぁ、言い出しっぺなのは僕だし、
まずは僕の魔法から披露させてもらうよ」
そう言うと、アテナは脇に置かれていた、
事前に準備していたらしい移動式のカーテンを引き寄せた。
「おぉ、何や何や。手品でもするん?」
ナツミが興味津々といった声色で話す。
「僕の魔法の発動と解除は、条件付きでね。
人に見られていると、発動も解除もできないんだ」
そう説明しながら、アテナはカーテンの向こうへと回り、姿を隠す。
布越しに人の気配だけが伝わってくる。
「じゃあ……今喋ったナツミで」
その言葉のあと、カーテンがすっと開かれた。
そこに立っていたのは――
「ウ、……ウチ……!?」
思わずナツミ自身が声を上げる。
紛れもない。
そこにいたのは、田中ナツミその人だった。
本物のナツミが、自分の顔と同じ顔を見つめて固まる。
「なんでウチが、もう一人おんねん……!?」
ナツミが驚愕していると、
カーテン側のナツミは半歩横に移動し、カーテンがシャッと閉じられる。
次に開いたとき、そこに立っていたのは元のアテナだった。
「どう?」
「……どう、って」
ナツミがようやく絞り出す。
「心臓に悪すぎるわ!」
「はは、ごめんごめん。
でも、これが僕の魔法……【変身】だよ」
な、なるほど……それなら納得だ。
一瞬、ナツミが分裂したのかと思った……。
アテナの魔法は変身、か。
「他に誰か、変身のリクエストがあるなら受け付けるよ」
そう言ってアテナが周囲を見渡すと、
一瞬の間もなく、手が勢いよく上がる。
「はーい!」
「マリーだね。じゃあ、行くよ」
アテナはそう言って、もう一度カーテンの向こうへ姿を消す。
そして、同じようにカーテンが開く。
そこに立っていたのは、紛れもなくマリーだった。
「す、すごーい!」
本人のマリーが、目を丸くして声を上げる。
「いや、ほんまに手品やな……」
ナツミが半ば呆然とした風に呟く。
「こ、これは……いきなり強敵出現、といった感じですわね……」
「いいな、アレ……推しのセクシーショット撮り放題じゃん」
「アテナちゃんすごーい! 本物と全く見分けが付かないよ!」
ダイヤ、ハイジ、シロがそれぞれ違った感想を述べる。
そのタイミングで、すっとカーテンが閉じ、
次に開いたとき、中から現れたのは元の姿のアテナだった。
「でも、さっきの、『人に見られていると発動も解除もできない』っていう条件に加えて、
僕が実際に会ったことのある人にしか変身できないんだ」
と、カーテンを片しながらアテナは言う。
「……まあ、逆に言えば」
アテナはホールをぐるりと見渡して、肩をすくめた。
「ここにいる誰にでも、変身できるってことでもあるけどね」
「全然安心できひんわ!」
ナツミが即座にツッコんだ。
「で、でも、下手に混乱させるといけないし、
僕もむやみにこの魔法を使うつもりはないよ」
アテナが苦笑しながら、まぁまぁ、といった仕草でナツミをなだめた。
「──じゃ、ひとまずトップバッターとしての役目は終わりってことで……、
次、誰か発表したい人はいるかな?」
一瞬だけ、間が空く。
ざわついていた空気が、誰かの動きを待つように、静まった。
その中で、控えめに手が上がる。
ミサだ。
「まぁ、自己紹介のときにも使ってたんだけど……」
そう前置きをし──
「私の魔法は【凍結】
こういう使い方もできる」
ミサは手のひらを前に差し出す。
指先から、吐息のような白い冷気が滲み出した。
次の瞬間、空気中の水分が集められるように、
彼女の掌の上で、ゆっくりと透明な結晶が形を成していく。
氷はただ凍るのではなく、削られ、整えられ、
やがて――腕輪のような形になった。
そしてその中央には、氷でできた小さなうさぎが、さりげなくあしらわれている。
まるで繊細な氷細工のようなリングが、光を受けて、淡く青白く輝いていた。
「やっぱりミサちゃん、すごーい!」
「おぉ……これは綺麗なアクセサリーだね……!」
「いや~、職人芸だねぇ~。眠気も覚めちゃうよ~」
「げ、芸術点高し、ですわ……!」
素直な感嘆の声が、あちこちから上がる。
たしかに綺麗だ……。
まるで見えない氷彫刻家が、ミサの手のひらの中で丁寧に氷を削っているみたいだ。
「もちろん、水を凍らせることだって朝飯前」
魔法を披露する前よりも少しだけ柔らかい声色で、ミサは話す。
「いや~これは、これからの季節に欲しいわ……。
もうちょい暑なってきたらミサちゃん、うち来ぇへん?」
「行かない」
「ミサちゃんも見せてくれたし、次はマリーの番だね!」
と、元気よくマリーが言った。
「うん。見てみたい。
実際に見るのは初めてだから」
ミサのその言葉を受けて、マリーはにっと笑って、両手を空にかざす仕草をする。
「みんな、『庭園』の方を見てみて!」
その一声で、ホールにいる全員の視線が、入口の向こうへと集まった。
すると――
ザァァァァアアア──
突然、バケツをひっくり返したような大雨が降り出した。
「うおっ!?何や!?」
「ちょ、ちょっと待って!?」
さっきまで穏やかだった庭園に、激しい雨音が叩きつけられる。
水しぶきが跳ね、視界が一気に白く曇った。
ざわめきが広がる中、マリーは振り返って、胸を張る。
「マリーの魔法だよ! マリーの魔法はね、
『天気をちょっとだけ動かす』こと!」
"ちょっと"という言葉に反して、
外では相変わらず、容赦ない雨が降り続いている。
「でもやっぱり、みんな、お日様のほうが良いよね?」
そう言って、マリーはもう一度、両手を空にかざす。
すると、さっきまでの大雨が嘘のように、ぴたりと止んだ。
「……おお、止んだ」
「自由自在だね……」
安堵と感心が入り混じった声が上がる。
その直後だった。
「……あれ?
ていうか、なんか暑くなってきてない?」
リンリのその言葉に、私もはっきりした熱を実感した。
湿り気のあった風は消え、
代わりに、じりじりとした日差しが差し込んでくる。
「ほ、ほんまや暑っつぅ!?カンカン照りや!
ミサちゃん助けて!」
「寄るな」
抱き付こうとするナツミを無慈悲にミサがぐい、と引き離す。
そのやり取りを横目に、私は庭園の方を見る。
さっきまでの雨の名残は、もうどこにもない。
空からは容赦ない日差しが降り注いでいる。
これはまさに、【天候操作】と呼ぶべき魔法だ。
「これ、高得点とれるよね! ダイヤちゃん!」
と、親指を立ててダイヤの方を見るマリーに、ダイヤもサムズアップで返す。
たしかに、これだけの規模の魔法だったら相当な点数だろう……。
「じゃあ、もどすね!」
マリーがそう言って、軽く手を振る。
次の瞬間、ぎらぎらしていた日差しが和らぎ、空に薄く雲がかかる。
暑すぎず、寒すぎず。朝の春らしい落ち着いた気温だ。
「……すごい魔法だったね……」
アテナは一つ頷いてから、改めて周囲を見回した。
「じゃあ、次に行こうか。
正直、このあとだとちょっとハードル高いと思うけど、
まぁ、別に競争ってわけじゃないし、気楽に気楽に」
少しだけ間が空いて――
「あー、じゃああたしがハードル下げたげる……」
そう言いながら、ハイジが手を振りながら前に出る。
「別に競うつもりもないし、地味な魔法だし……」
そう前置きしてから、ハイジは肩をすくめる。
「……あたしの魔法は【寿命可視化】」
…………。
一瞬、その言葉の意味が頭に入ってこなかった。
「その人が死ぬまでの時間が、視えるの」
静かな声。
感情を乗せるでもなく、ただ事実を述べるだけの声。
だが、その声にはっきりと動揺が広がった。
「……え?」
「……へぇ」
みんなが困惑する中、ライトは興味深そうに笑っていた。
「……って、カッコつけてみたけど、
実際は一時間が限度なんだ」
「い、一時間……?」
「……あたしの魔法は、正確には、
『一人につき一日に一回だけ、その人が"一時間以内に死ぬかどうか"視られる』、って魔法」
ハイジが人差し指を立てて説明する。
「もし、あたしが視た人が一時間以内に死ぬ運命にあるなら、
その人の頭の上にタイマーみたいなのが表示されるの。
それが、死ぬまでのカウントダウンってわけ」
「じゃあ、視た人が一時間以内に死なない場合は?」
「その場合は、そもそも何も表示されない」
シロの質問に、ハイジは即答する。
「だから逆に言えば、タイマーが出なかったら、
少なくとも一時間は死なない、って感じ」
その言葉を聞いて、閃いたかのようにアテナは言う。
「あ、もしかして、それは自分の寿命も分かるってこと?
昨日、食堂で一時間がどうとか言ってたからさ」
「……正解。鏡とか見ればさ、あたし自身が、
一時間以内に死ぬかどうかも……普通に、視えるんだ」
「食堂とか、こういう人の集まる場所に行く前とかは使うかな……。
特に魔法の発表会なんて明らかに何か起こりそうなヤバい場所になんて、
事前に魔法使ってなかったら怖くて来てないって」
自嘲気味なその言葉に、場の空気がわずかに沈んだ。
「……だから、9時50分までには終わらせてよ。
ほら、巻きで巻きで!」
その空気を振り払うように、ハイジは手を叩く。
「あ、その前にウチ死ぬか見てみて!」
とナツミが軽い調子で言う。
ハイジは小さくため息をつき、
面倒くさそうにナツミの頭の上へ視線を向けた。
「……はいはい。
死なん死なん」
そう言い捨てて、
「ほら、次。
誰が発表するの?」
と、さっさと話を切り上げる。
後ろでガッツポーズを決めているナツミを尻目に、小さな声が上がった。
「あ、あの……」
振り返ると、控えめに手を挙げているのは、イリスだった。
「わ、私でよければ……次、発表します……」
そう言うと、イリスはミサの方に向かっていく。
「あの、鈴月ミサさん、ちょっと、体に触れてもよろしいでしょうか……?」
「……? 良いけど……」
(え? ウチはアカンかったのに?)
という顔をしているナツミを尻目に、イリスは言葉を続ける。
「ではまず、ミサさん、魔法を使ってみてくれませんか?」
「……分かった」
ミサは小さく頷き、手のひらを前に出す。
白い冷気が先ほどのように静かに滲み出した。
「では、お体に触りますよ…」
そう前置きをすると、イリスはミサのお体に触れる。
すると、数秒後──
「……あ、あれ……?」
手のひらから放たれていた冷気が、ぴたりと止まった。
「……出せない……!」
ミサが驚いたように自分の手を見る。
何度か意識を集中させるが、冷気はもう一度も現れなかった。
「……?」
「ちょ、ミサちゃん?」
イリスは慌てた様子で、すぐに手を離した。
すると──
遅れて、ミサの手のひらに、再び白い冷気が戻る。
「……戻った」
ミサが静かに確認する。
イリスは少し申し訳なさそうに頭を下げた。
「……すみません。これが、私の魔法です……。
触れている間だけ、相手の【魔法を無効化】します」
そう言いながら、ミサに触れていたせいで冷えてしまったのだろうか、
イリスは自分の指先に、はぁ、と小さく息を吹きかける。
「え、ま、魔法全部無効化!?」
ミサの様子を見たマリーが驚いて声を上げる。
「い、いえ……
流石に、魔法すべてというわけではありません……」
イリスは慌てて首を振りながら説明する。
「……魔法によって生み出された物体や、現象そのものは、
無効化できないんです……」
そう言って、ミサが先ほど作った氷のリングを指さした。
「たとえば……
ミサさんの【凍結】の魔法そのものは止められますけど……」
「その結果として作られた、この氷のリングを、
触れるだけで壊したり、消したりすることはできません……」
イリスは申し訳なさそうに付け足した。
「……私の魔法はあくまで、
"魔法を使っている状態"を止めるだけなんです」
「……なるほど」
私は納得したように頷いた。
流石に、相手の魔法のすべてを問答無用で無効にできたらとんでもないからな……。
「じゃあ、マリーの出した雨も消せないってことだね!」
「はい、そういうことです……」
イリスはそう答えると、一歩下がってぺこりと頭を下げた。
派手さはないが、制限を含めてきちんと説明されたことで、
その魔法の性質は十分に伝わった。
魔法の情報共有としては100点だった。
「ありがとう、イリス」
アテナの言葉に、イリスはほっとしたように息をついた。
「じゃあ……次は──」
アテナがそう言うや否や、
「そろそろ場も温まってきた頃ですし、わたくしの出番ですわね」
と、沢山のりんごと共にダイヤが名乗り出た。
「おぉ、気になってたんだ、そのりんご。
何に使うの?」
ポムが興味津々といった様子で、ダイヤに問いかける。
「まずは、このりんご、こちらのビニール袋に入れますわ」
「ふんふん」
「そして、手を入れて袋を閉じ、中のりんごを掴みます」
「ふんふん」
「そして──こうッ!!」
次の瞬間。
パァン!!!
乾いた破裂音と同時に、
ビニール袋の内側で、りんごが粉々に弾け飛んだ。
「わあ」
遠い目でポムがその惨状を眺めている。
「ちなみに、力はほとんど入れておりませんわ」
思ったよりシンプルなゴリラだった。
「あのー、この島にあるジャングルの奥地とかに棲んでる方ですか?」
「由緒正しい良家の娘でしてよ」
ナツミの言葉をきっぱりといなすダイヤ。
そして──
「ところでみなさん。
──喉、渇いていませんこと?」
あの大量に積まれたりんごたちが、
根本的にふぞろいの林檎たちになる宣言がなされた。
「いや、僕は渇いてないかな……」
「わ、私も大丈夫……」
「私も、喉いっぱい……!」
そんなみんなの言葉を聞き、
「あら、それは残念……せっかく持ってきましたのに」
と、少し落ち込む様子のダイヤの姿があった。
「え、えーと、つまり、ダイヤの魔法は【怪力】ってことでいいのかな?」
アテナが、念のため確認するように問いかける。
するとダイヤは、ちっ、ちっ、ちっ――と、小さく指を振った。
「いいえ。その呼び方は、少々語弊がありますわね」
背筋を伸ばし、いつもの優雅な笑みを浮かべる。
「わたくしの魔法は【身体強化】。
力だけではなく、耐久力も上げることができますの」
「耐久力?」
首を傾げる私の声に、ダイヤは人差し指を立てて、丁寧に説明する。
「ええ。たとえば――仮に、
"100"という強化値の総量があるとします」
「それを、力に50、耐久に50……
といった具合に、自由に割り振ることができるんですの」
「なるほど……」
つまり、状況に応じて攻守を柔軟に強化できるってことか……。
「もちろん、力に99、耐久に1、と言った風に、極端な配分も可能ですわ」
「それがさっきのりんごの惨状ってわけだね」
ポムが納得したように頷いた。
「本当はわたくしの丈夫さもきちんとアピールしてポイントを稼ぎたかったのですが、
残念ながら、いい方法が思いつきませんでしたの……」
「絵面もあまりよろしくありませんし、わたくしに攻撃する役の方も気が引けるでしょうし……」
りんごを片っ端から粉々にしていく方が絵面としてどうなんだ。
その疑問が喉まで出かかったが、誰も口には出さなかった。
「じゃあ、次はあたいだね~。
このりんご借りるよ~」
のんびりとした調子で、ヤヒメが前に出てくる。
「ええ、遠慮なく使ってくださいな」
ダイヤが頷くと、ヤヒメは一つのりんごを手に取り、
指先で――ちょん、と触れた。
「ダイヤちゃん、このりんご潰してみて~」
「お安い御用ですわ」
ダイヤはさっきの調子で、そのりんごを掴む。
――ぎゅっ。
……。
「……?」
力を込めても、りんごは潰れない。
「……おや?」
もう一度、少し力を強める。
――ぎゅっ。
それでも、びくともしなかった。
「……潰れませんわ……!?」
「でしょ~? それがあたいの魔法だよ~」
ヤヒメは、どこか楽しそうに笑う。
「あたいの魔法は【物質強化】~
生物以外の、固体の物質を強化できるんだ~」
「魔法を使ったものがより小さければ小さいほど、丈夫になるんだよ~」
「なるほど、ダイヤでも潰せないとなると、相当な硬さになってるんだな……」
私は感心したように呟く。
「ただ硬くしてるだけじゃないんだよ~。
加わった衝撃をその場で受け止めずに、外へ逃がす感じかな~」
「衝撃を……逃がす?」
「押されたり叩かれたりしても、右から左へ受け流すの~。
だから結果的に、すごく丈夫になるんだよ~」
なるほど。
単に"硬い"のではなく、
壊れにくい構造そのものに変えているわけか。
「……ぐぐぐ……!」
その説明を聞いた直後、ダイヤが再び力を込める。
今度は明らかに本気だった。
そして――りんごの表面に、わずかなへこみが生まれる。
「……え……」
ヤヒメが驚いたように目を見開いている。
「……りんごくらい小さいサイズで
へこませられるのは、ちょっとすごすぎるかも~……」
これ、どっちがバケモンなんだ?
と、両者の板挟みになって
とんでもないエネルギーが働いているであろうかわいそうなりんごを見つめてふと思う。
「あ、ちなみに~、あたいが魔法を解除しない限り、ずっと硬いままだよ~」
と、付け加えるようにヤヒメが言う。
「ヤヒメちゃん、気になったんだけど、物質って何個でも同時に強化できるの?」
「一度に三つが限界かな~」
「なるほど~」
シロの素朴な疑問に、ヤヒメが答える。
「ミサちゃんが氷のアクセサリー作って、
ヤヒメちゃんに魔法かけてもらえば……
ぜったい壊れないアクセサリー、作れるよね!」
「お安い御用だよ~。いつでも言ってね~」
「……うん。ありがとう」
ミサは少し照れたように、短く頷いた。
「ふぅ、ヤヒメさんには申し訳ありませんが、
ポイントを稼がせて頂きましたわ」
どうやらあれは加点になるらしい。
「んじゃ次は私で。ちょうどいいりんごもそこにあるし」
そう言って、ポムが名乗り出る。
またりんごが犠牲になるのか……。
「ダイヤ、そのりんご、手に持ってて。
あ、一応【身体強化】でバランスよく強化してた方が良いかもよ」
「デジャヴですわね……了解いたしましたわ」
そして、ポムがダイヤの持つりんごに手をかざす。
すると──
「……おや」
ほんの少しだけぷるぷると、ダイヤの手が震える。
その震えは、少しずつだが大きくなっていく。
「……なるほど、たしかにお誂え向きですわね」
ダイヤは落ち着いた様子でそう言うと、
手に持っていたりんごを、テーブルの上に置いた。
――ミシッ!
テーブルの上が、はっきりと軋む音を立てた。
「……いま、りんごが出すような擬音じゃない音がしたけど……」
「ダイヤ、もうちょっと丁寧に置こ?」
アテナとハイジにそう言われ、
ダイヤは少しむっとしながらも、テーブルの上のりんごを指さした。
「わたくしのせいじゃありませんわ!?
でしたらこのりんご、一度持ってごらんなさいな」
「え、僕?」
そう言いながら、アテナが半信半疑でりんごに手を伸ばす。
「……!?
これ、は……!」
持ち上げようとした瞬間、腕がぴたりと止まった。
りんごは少しも持ち上がらない。
「……動かない?」
今度は両手で掴み直し、腰を落として引っ張ろうとする。
すると、ようやくりんごはその場からほんの僅かに移動した。
「……なるほど」
アテナは静かに手を離す。
「【重力操作】だね?」
「はい、正解」
ポムはあっさり頷く。
「私が手をかざした、生物以外の物体の重さを、
一時的に変えられる魔法だよ」
「なるほど……」
アテナは、テーブルの上に鎮座するりんごを見下ろす。
「今は重さを何十倍にもしてるけど、逆に軽くすることもできるよ」
そう言いながら、ポムはもう一度りんごに手をかざす。
そして、ひょい、と軽く放り上げた。
「う、浮いてる……!」
りんごはすぐには落ちない。
ふわり、と空中に留まるように──
まるで紙風船みたいに、ゆらゆらと揺れている。
「重力を弱めてるだけ。ゼロにはしてないから、
完全に浮いてるわけじゃないけどね」
そう言って、ポムがもう一度りんごに手をかざすと、
ふっと浮力が失われ、りんごはするりと落ちていき、
そのままポムの手の中に収まった。
そしてポムは、テーブルの元あった場所にりんごをぽん、と置いた。
「は~やっぱりな! 卓球のとき、ちょくちょく何かやってる思たんや。
『いやなんか球の動きおかしない?』ってなんぼほど思ったことか!」
「いや、それは単に私の実力」
「嘘こけー!」
「はいはい、そこまでそこまで!」
ぱんぱん、と軽く手を叩きながら、アテナが笑って場を抑える。
「じゃあ次は……誰がいいかな?」
(……ん?)
ふと、視界の端に違和感が引っかかった。
みんなの輪から少し離れたところで、
ライトが黒いノートにさらさらと何かを書き込んでいる。
そしてライトは何かを書き終えたらしく、ぱたりとノートを閉じた。
「じゃあ、私が行こうかしら♪」
「お、ライトだね」
軽い調子で名乗り出るが、その笑顔の奥に妙な余裕がある。
(……一体、何を書いてたんだ?)
その疑問を察したのか、ライトはちらりとこちらを見て微笑んだ。
「安心して。怪しいことじゃないわ」
(いや、怪しすぎるだろ……)
そんな私の内心を置き去りにして、ライトは涼しい顔で言葉を続ける。
「私の魔法は【封印】よ」
「……封印?」
ライトはそう言いながら、ポケットから小さな四角形の紙を取り出した。
どこにでもありそうな紙切れだ。
「私はこの紙に、生物以外の物体を封印──ファイルして保存しておけるの」
「ファイル……?」
「ええ。形も、状態も、そのまま」
そう言うとライトは、どこからか器を一つ取り出し、
その上で――
びりっ。
紙を、ためらいもなく二つに破いた。
次の瞬間。
「うわっ! なにこれ、ラーメン!?」
紙の裂け目から、湯気を立てたラーメンが、
どさりと器の中に落ちてきた。
「ほかほかだ……」
「え、今出したよね……?」
私も恐る恐る覗き込む。
スープは揺れ、麺は伸びていない。
匂いも、温度も、まさに出来立てのようだ。
「封印した瞬間の状態を、そのまま保管できるの。
時間も、劣化も、進まない」
「……つまり」
アテナが言葉を選びながら口を開く。
「食べ物も、道具も、場合によっては……危険物も?」
「ええ」
ライトは、あっさり肯定した。
けれど、ほんの少しだけ残念そうに肩を落とす。
「……でも、ここに来るときには、
そういう"危険物"は全部没収されていたわ」
「かろうじて持ち込みが許されていたのは、
今まで保存していた食べ物くらいね」
そう言って、湯気の立つラーメンを一瞥する。
「武器も、道具も、封印した状態であってもアウト、ってことみたい」
「ずいぶん抜け目ないな……」
私の呟きに、ライトはくすっと笑って返した。
「ええ。その辺はさすがに徹底してるわね」
そのやり取りを聞いていたシロが、
ふと思い出したように私の顔を覗き込む。
「あ、もしかして……ライトちゃんが昨日食堂で食べてたサンドイッチって、
事前に持ち込んだやつなのかな?」
「あぁ……なるほど。そうかも」
言われてみれば、軽食コーナーにあれは置いていなかった。
……あれ?
じゃあ、昨日ライトは最初から
ホテルの用意した軽食に一切手をつけていなかった──?
たしか、あのとき──
私たちに、「一緒に食べましょ」と言って。
私たちが口に運ぶのを、何でもない顔で見ていて。
私たちが食べたのを確認してから――
ようやく、カップケーキを取りに行った。
それって。
まるで。
──"毒見"?
ホテルの食事が安全かどうかを――
先に、私たちで確かめさせてから
自分が食べた、みたいな……。
「…………」
背中に、ひやりとしたものが落ちる。
……いや。
考えすぎだ。
たまたま。偶然。
深読みしすぎ。
そう自分に言い聞かせる。
「……まさか、な……」
「? マキちゃん、どうしたの?」
「いや……何でもない」
私は首を振り、それ以上深く考えないことにした。
「ちなみに、この紙は一日にだいたい10枚生成できるわ。
そして、破った紙は二度と使えない。
ひとまず、教えられるのはこれくらいね」
そう言って、ライトは一歩下がった。
「……ありがとう、ライト」
「正直、めちゃくちゃ欲しい魔法だった……」
「うん、羨ましい……」
ハイジとリンリが、ほとんど同時に物欲しそうなまなざしで呟く。
それを聞いて、ライトはどこか満足そうに微笑んだ。
「じゃあ、次は──」
アテナがそう言って視線を巡らせ、
そのままナツミの方を見る。
するとナツミは、未発表の面々に向かって
「どうぞどうぞ」と露骨に道を譲る仕草をする。
「……すごい後回しにする気だね」
「まだ引っ張れる気がすんねん……!」
引っ張れば引っ張るほど、
ハードル上がっていくだけな気がするけど。
アテナは苦笑しつつ、もう一度、視線を巡らせた。
「じゃあ……
まだ発表してない人は……」
そのときだった。
少し離れた場所で、腕を組んだまま黙っていた人物が、
ゆっくりと前に出る。
「……私が」
ノクスだった。
一歩前に出ると、感情の起伏をほとんど感じさせない声色で淡々と続ける。
「私の魔法は【念殺】。
視認した対象を、念じるだけで即死させる魔法よ」
…………は?
一瞬、言葉の意味が処理されない。
「人間だけでなく、
動物や昆虫のような、人間以外の生物にも有効。
有効範囲は半径およそ10メートル。
一度使用すると、48時間経たないと魔法の再使用はできない」
…………。
「以上よ」
そして、ノクスは後ろに下がる。
「…………え?」
「……は?」
「ちょ、ちょっと待って……」
言葉になりきらない声が、ぽつぽつと落ちる。
「……それって……」
リンリが、慎重に言葉を選ぶ。
「見えたら……即、ってこと?」
「正確には……"見て、念じたら"、ね」
ノクスは即答する。
「目を合わせる必要はないわ。視界に入れば十分」
……条件が軽すぎる。
気づけば、ノクスの周囲だけが、ぽっかりと空いている。
誰かが示し合わせたわけでもないのに、自然と距離ができていた。
「……別に、むやみにあなたたちに使ったりしないわ」
ノクスが、少しだけ眉をひそめて言う。
いや、そりゃそうでしょうけども……。
そんな空気を察したのか、
ノクスはふっと視線を外し、ホールの端へ目を向けた。
「ちょうどいいわね。皆、付いてきてくれる?」
有無を言わせない口調だった。
私たちは顔を見合わせながら、
おそるおそるノクスの後を追う。
ホールの隅――たまたま窓際の明かりに引き寄せられたのか、
小さな虫が一匹、ふわふわと飛んでいた。
「よく見てて」
ノクスがそう言った、そのとき。
彼女の目が、赤く光った。
次の瞬間、虫は空中で力を失ったようにふらりと揺れ、
そのまま床へぽとりと落ちた。
そして──二度と動かなくなった。
「…………」
誰も、声を出さない。
「これで、私はあと48時間、魔法を使えないわ」
ノクスは、事実を述べるように淡々と言った。
「今、魔法を使ったってこと……?」
「ええ」
淡々とノクスは返答する。
「ほ、ほなとりあえずは安心か……」
「そ、そうだね……」
ナツミとシロのその言葉を言い終わると同時に、ライトが言った。
「ずいぶんみんなピュアなのね♪」
声色が軽いが、目は笑っていなかった。
「【念殺】というのも、『48時間おきにしか使えない』、
というのも、全部自己申告なのにね」
くすり、と肩をすくめる。
そしてライトは、わざとらしく手を広げた。
「まぁ……これ以上突っ込んでも、水掛け論になるだけでしょうし。
今のところは、自己申告という形で信じてあげるわ」
その言い方が、明確に"上"からだった。
すると、ノクスは少し置いてから同じ温度で返す。
「感謝するわ」
声音は低く、落ち着いている。
「私も、あなたの
『生物は封印できない』
『危険物は事前に取り上げられている』
という自己申告を、信じてあげる」
「あら、公平ね♪」
言葉だけ切り取れば穏やかなはずなのに、
視線と間合いが、まるで火花を散らしている。
(……バチバチだな……)
その緊張を遠慮なくぶった切ったのは――
「ちょ、なんか空気悪ない?」
ナツミだった。
一瞬で全員の視線がそちらに集まる。
「せっかくトリでびっくりさせたるつもりやったのに……」
頭の後ろに手を回し、苦笑しながら続ける。
「いきなり即死とか出てきて、
ウチの出番、完全に霞んでもうてるやん」
「空気冷え切っとるし。
これ、どう盛り上げたらええねん……?」
その言い方は軽い。
けれど、場の緊張を理解した上で
あえて笑いに変えにいっているのが分かる。
「……確かに」
「タイミング、最悪だったかもね」
「変に勿体付けるから……」
みんなが苦笑しながらナツミに視線を向ける。
「まぁとにかく、空気は冷えとるけどそのまま行かしてもらうで!
まずはそこのテーブルの上にあるりんごを見てみ!」
いやまたりんごなのかよ。
もうそのりんごはボロボロだよ……。
そんな内心のツッコミが終わるより先に。
――すっ。
テーブルの上から、
りんごが音もなく消えた。
「……!?」
すると──
(……ん?)
背中の上のほうに、急に引っかかるような違和感を覚えた。
肩甲骨の間あたり。パーカーの内側……、
フードを背中に落としている、その中。
私は背中に手を回し、フードの中を探ると――
ごつり、とした感触。
引き出してみて、息をのむ。
「……りんご?」
赤いりんごが、何事もなかったかのようにそこにあった。
「え……?」
「なんでマキちゃんの背中から……!?」
「すご~い!」
一斉に視線が集まる。
ナツミは満足そうに笑った。
「さっきまでテーブルの上にあったやつやで」
「い、いったいどうやって……!?」
私のその声に、ナツミがあっけらかんと答える。
「ウチが今やったこと?
説明したら、めっちゃ普通やで」
指でテーブルを、すっ、指しながら言う。
「まず魔法使って、みんなが完全に"固まっとる"間に、
テーブルのりんご取って」
「そのまま、口笛吹きながら歩いて、
これまた"固まっとる"マキちゃんのとこまで行って」
「そのりんごをマキちゃんのフードの中に入れて」
「で、ウチがおった元の位置に歩いて戻った」
「それだけや」
「…………」
一瞬、誰も反応できなかった。
「そ、それって……」
「じ、【時間停止】……!?」
ナツミが腕を組んで満足そうに頷いた。
「まぁもちろん、時間制限はあるで」
「さ、最大でどれくらい止められるの……?」
「しゃアない。よう分かるように、キミらの長さで教えたげるわ」
「13秒や」
「じゅ、じゅ、13秒!?」
「や、やりたい放題ですわね……!」
「……怖っわ……」
思わずみんなの声が漏れる。
ノクスの【念殺】も恐ろしかったが、ナツミの【時間停止】も違った意味で恐ろしい……。
(そりゃ、勿体ぶるわけだ……)
「まぁまぁ。ウチもみんなと同じでむやみに魔法を使うつもりはないしな」
そして指を折りながら続ける。
「遅刻しそうな時とか」
「うっかり物落としそうになった時とか」
「卓球で負けそうになった時とか」
「……そういう時くらいやで?」
「いやお前の方が使ってたのかよ」
「それを"むやみに使う"って言うんだよ」
ポムとリンリのツッコミが、ほぼ同時に飛ぶ。
「あぁそれと──ウチの魔法にはクールタイムがあるんや」
「クールタイム?」
「一度魔法を使ったら、最後に使った秒数の三倍の時間は再使用不可や」
「例えば、魔法を5秒使ったら、次に使えるようになるまでに15秒必要ってことやな」
「……なるほど」
ちゃんと制限はあるんだな……。
それにしても、その制限を補って余りある強さの魔法だ。
「ほな、そういうことで」
と、ナツミは軽くお辞儀をして発表を終えた。
「……ちょっと、すごい魔法が立て続けにきて、
正直、言葉を失うね……」
アテナが、こめかみを押さえながらかすれた声で呟く。
「……とはいえ」
アテナは一度小さく息を吐き、気持ちを切り替えるように顔を上げた。
「発表会は、まだ終わってない。残ってる人、いるよね」
(まだ発表してないのは──私、シロ、リンリか)
アテナは視線を巡らせ、止まった先を見る。
「リンリ」
「どう? 発表する?」
「……」
リンリは、ほんの少し視線を伏せる。
さっきまで次々と飛び出した魔法の数々が、頭をよぎっているのが分かった。
「……う~~~ん……」
腕を組んで、難しそうな顔をして唸っている、
ややあって、リンリは静かに口を開いた。
「……」
「……発表したくない☆」
片目を閉じ、舌を出す。
「いやいやいやいや」
ナツミがツッコむ。
「いやいやいやいや」
リンリが合わせる。
「んじゃ、ま、そういうことで、私はパス。
次の人行って良いよ~」
「待てェ~い!」
ビシ、とナツミが勢い良くツッコミを入れる。
「分かった、よっぽど人に言われへんような魔法なんやろ!
なんかめっちゃカッコつかんやつや!」
「すごい気になってきた……恥ずかしい系?」
ナツミとポムが、面白がってリンリを見る。
「ほっとけ、アホアホコンビ!」
リンリは即座に切って捨てた。
「え、どんな魔法か予想していい?」
「予想くらいなら勝手にどうぞ。当たらないと思うけどね」
「手から唐揚げを出す魔法」
「いやそれ強すぎるやろ。禁止魔法や。
もっとこう、絶妙に言いたくない感じの──」
「制限とかもありそうだよね──」
後ろで好き勝手言い合う二人を横目に、アテナは困惑した様子で問いかける。
「えーと、ちなみに、言いたくない理由を聞いても……?」
「……」
少しだけ考える素振りをしてから、
「……うーん、これまでの魔法に気圧されたっていうか……」
と、絞り出すような声でぽつりとつぶやいた。
「まぁとにかく! 発表したくないわけ。
昨日食堂で話してた時だって、強制ってノリじゃなかったじゃん!
だから行くだけなら、って参加したのに」
アテナは、少し困ったように眉を寄せたまま、言葉を探す。
「……う~ん、それはまあ、確かにね……」
『魔法の発表は強制です』と明言していない手前、強くは出られない。
その様子がありありと伝わってきた。
「ほら~」
リンリは、そこだと言わんばかりに畳みかける。
「最初から任意って話だったじゃん。
無理に発表する必要、ないでしょ?」
その空気を、静かに切ったのはライトだった。
「ええ。発表は任意よ」
にこやかに、でも逃げ道を塞ぐような声で続ける。
「誰も、無理やり話せなんて言ってないわ」
「ただ――」
ライトは、リンリを見る。
「この場で"自分だけ何も明かさない"という選択をした場合、
そのあとどう見られるかは、別の話よ♪」
「何か起きたとき」
「誰かに何かあったとき」
「説明のつかない出来事が起きたとき」
ライトは、指を折りながら言う。
「情報がない人は、
どうしても"まず疑われる側"になる」
「その覚悟があってその選択をしているのなら、何も問題はないわ」
「……」
リンリは、しばらくうつむいたまま動かなかった。
そして――小さく、息を吐く。
「……何かしら起きた時は……
その時は、まあ、仕方なく魔法を明かすわ」
「なら、いいんだけど♪」
ライトは満足そうに、軽く頷く。
「多数決により、リンリちゃんの魔法は、
【階段を下りる時だけ爆音でミュージック●テーションのテーマが流れる魔法】
に決定致しました」
「死ね!」
「はいはい、そのへんまで!」
ぱんぱん、とアテナが手を叩いて場を締める。
「リンリ、無理させて悪かったね。
……じゃあ、次は――」
視線がゆっくりとシロに向く。
「シロ、お願いできる?」
「えっ、あ……私、か」
少し瞬きをしてから、シロは一歩前に出る。
そして、ほんの一瞬だけ迷うような間を置いて、口を開いた。
「私……魔法を持ってないの」
「…………」
場に、静かな沈黙が広がる。
それは衝撃というよりも、
思考が少し遅れて追いつくまでの間のようなものだった。
「……え?」
「え、どういうこと?」
「持ってない……?」
ぽつり、ぽつりと、小さく声が上がる。
シロは、困ったように笑って、頭の後ろをぽりぽりと掻いた。
「ほんとに、そのままの意味だよ~。
みんなみたいに、名前のつく魔法とか、派手な能力とか、ないの」
軽い口調だったが、冗談めかしてはいない。
むしろ、妙にあっさりしていた。
「生まれつき、何も発現してないし、
この島に来てからも、何かが目覚めた感じもなくて……」
「だから、発表できること自体がない、っていうか……
"ありません"って言うしかないんだよね」
シロは視線を落とし、さっきより少しだけ、声のトーンを落とした。
「……昔から、こうだったんだよね」
ぽり、と頭の後ろを掻く仕草はそのままだが、
笑顔はほんのわずかに薄れている。
「周りの子はさ、小さい頃から"ちょっとした魔法"が使えたりしてさ。
火を灯せるとか、少しだけ浮けるとか、
そういうのが当たり前みたいな環境で……」
「私だけ、何もなくて」
(……シロ……)
さらっと言うが、その言葉は軽くなかった。
「最初はね、"そのうち目覚めるよ"なんて言われてたんだけど」
「いつまで経っても何も起きなくて……。そのうち、
"役立たず"とか、"ハズレ"とか、言われるようになっちゃって……」
「でも、やっぱり、"ダメ"、だよね……これじゃ……」
その言葉に、場の空気が静かに張りつめる。
誰もが、次に何を言うべきか迷っている――そんな間だった。
そしてライトが、何かを指摘しようとするように口を開いた、その瞬間。
「分かった!」
はっきりとした声が、その空気を断ち切った。
アテナだった。
「シロの魔法は【無し】。
それでいいね。情報共有、感謝するよ」
迷いのない言い切りだった。
「何もできない、と正確に言えるのは、それ自体が一つの情報だ。
それをこの場で言えたシロは、もう十分に役目を果たしてると思うよ」
視線を場にいる全員へ向ける。
すると──
「うん、魔法の発表はしたよね~」
「あ、あの、私も、魔法がないのと同じみたいなものなので……。
気にしなくていいと思います……」
「あたしの魔法なんて、発動する方が不吉だから……。
むしろマイナスだよ、マイナス」
「せやな。シロちゃん、変なこと言ってくるやつなんか、
いちいち気にしてたらあかんで。何やったら、魔法のことでいじる輩がウチがしばいたる!」
「お前今まさに私のこといじってただろ。舌の根も乾かない内に何ほざいてんだコラ」
「はいはい、みんながそう言うなら、異論はないわ♪」
思い思いのフォローが飛び交い、
場の空気は少しずつ、元の温度を取り戻していく。
「……だってさ、シロ」
私はそう言って、シロの肩をぽん、と軽く叩いた。
「誰も"ダメ"なんて言ってないし、
むしろ、ちゃんと話してくれて助かったって顔してる」
シロは一瞬きょとんとしたあと、周囲を見回す。
さっきまであった重い空気は、もうそこにはなかった。
代わりにあるのは、騒がしくて、落ち着かなくて、どこか暖かい空気。
「……うん!
なんか……肩の力、抜けたかも!」
シロはそう言って、少し大げさなくらいに肩を回した。
さっきまで強張っていた表情が、嘘みたいに柔らぐ。
「それでいいよ」
私は短くそう返す。
言葉はそれだけだったけど、
"もう大丈夫"という意味は、ちゃんと込めたつもりだった。
すると、今度はシロが一歩引いて、にやりと笑った。
「じゃあ、マキちゃん、大トリだね~。
マキちゃんの魔法、期待してるよ~!」
どこか軽い調子だけど、その目は真剣だ。
「私の分まで、すごいの発表しちゃって!」
その一言を合図にしたみたいに、
ホール中の視線が、私に集まった。
「じゃあ、最後に──マキ、お願いできるかな」
そのアテナの声に、さっきまで騒がしかったホールが少しだけ静まり返る。
最後というのは、どこか緊張する……。
私は一度だけ、深く息を吸った。
肺の奥まで空気を入れて、ゆっくりと吐く。
それから、前に出て、言った。
「私の魔法は──
【死に戻り】」