僕のポータブル地母神   作:秘密の豚園

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9話 淫語使いと第二夫人。倒錯ハルシネ―ション。 【三人称】

 

 戸を開けたナオモを出迎えたのは、目だった。

 

 多稲(おおいな)と対峙した愛玩(ギプス)所有者へ向けられる目。

 異名で呼ばれる友人を持つ者へ向けられる目。

 そして口裂けダルマという異名を持つ自身への目。

 好奇と畏怖は、奇異として向けられる。

 

 客と店員、買い物と仕事が行われながらも、誰もが瞼を隠れ蓑のように扱いナオモの情報を引き出そうとしていた。

 

「…。」

ナオモは入り口で立ち止まると、視線を右から左に動かし、目の持つ意味を掬い取った。

 

 ナオモは先ほど店内にいた多稲と自分を重ねると、少し視線を落としながら店内端のイートインスペースへ向かう。冷たい色のフロアタイルがウッドタイルに移り変わった辺りで、ナオモは顔を上げた。

 

 壁の端に寄ったカウンターの上には電気ケトルと電子レンジ、そして内部に仕切りのある小型のワインセラーのような充電設備があった。

 

「パスワードは…えと…。」

ナオモは充電設備の上にあるテンキーをじっと見つめると、右手の人差し指と親指の間にある水かきを口に当てた。

 

【忘れちゃったの?70301919…。『ナオモ、イクイク』ね。】

右上の仕切りの中で【スマートフォン】がノイズの混じった女性の声でナオモに語り掛ける。

 

「あ、そう…。ありがと…。」

ナオモは響く声に驚くこともなく、テンキーに数字を打ち込んだ。

 

 それからためらいながらも腕を伸ばし、小さな扉を開けて【スマートフォン】を取り出す。釣銭口からは、ナオモが二日前投入した五百円が三百円になって返却される。

 

【さぁさぁ!早くお顔見せて!!】

スピーカーの振動がナオモの手を振るわせた。

 

【きゃあッ!私だけの煽情的ポルノ坊や!!ん、二日ぶりィ!!もっとお顔見せてッッ!ヤバッ…エロすぎ…!!あぁん…!!キュンキュンしてる!!触れられただけで…。えぇ?どこかって?言わせないでよ…。コ・ド・モを作るための器官、畑…つまり!!】

 

ナオモの耳には芝居がかった情婦のようなセリフが届く。

 

「みひりには、そういうのないでしょ。」

冷たく突き放すようにナオモは返すが、テレフォンセックスのオペレーターの如く【スマートフォン】から発せられる淫猥なセリフは止まらない。

 

【隙あり!!ダーリンってば精嚢と陰茎の有無は明言しなかったわね!?良いわねッ!!“それ”もッ!!私は良いの!貴方の鼓動を感じられるならなんでもッ!!リバっちゃう?あぁん!私の基盤という基盤が!!ドクドク作っているわッ!コ・ド・モを作るための…。そう!種…。つまり!これは…白子!?え!?私って魚類…!?鱈!?】

 

 人間の抑揚で発音するものの正体は、【スマートフォン】内部のAIであった。

 

 ナオモがある用途から購入したものが、不具合とバグを起こし、今のような痴女が産まれた。彼女、みひりが発言をする際は液晶が白く塗りつぶされ、そこに紅くぷっくりとした唇が映し出される。

 

「ないでしょ。」

ナオモはイートインスペース内のカウンターチェアに腰掛けた。

 

 愛玩のために動いた足も、ほんの束の間の休息を得るために椅子に急いだ。

 

 窓越しには中華まんを半分に分けているハチの姿が見える。

 

「ふふ…。」

 

【なにそのエロい微笑!?そんなのされたらハツカネズミが後ずさりするぐらい発情しちゃうんだけど!?あぁぁぁッ!ポンポン産んじゃゥぅぅう!!二日もお預け喰らってたのよぉ!!久々に抱いて!抱いてったら!!ダァリン!どう…?貴方のぉ、ライトニング端子をぉ…。】

 

「久々も何もそういうことシたことないじゃない。倒錯ハルシネ―ションは控えてね。あとごめん、ちょっと静かに。」

ナオモは【スマートフォン】の音量を下げると、小さくため息をつく。窓越しには中華まんを一人で平らげたハチの姿が見えた。

 

「あ…。」

 

【ってアラ!?チー様とハチくんじゃないッ!!チー様ぁッ!!もっと舌出してぇん!!!やぁん!!チー様駄目ッ!!女の子同士でそんなッ!!あ!!充電口はらめぇッ!!!】

 

「みひ…テクノ助平。この辺りで暴行事件とかそういうニュース直近であった?」

 

【世の中に関心のある男って素敵…。う~ん…。全国ネットにはちらほらあるけどこの辺りのことじゃないし…。圏警の公式ホムペとか、河北新報見たけどそういうニュースはないわねぇ…。爆サイにもないわァん…。どったのよん??】

 

「いや、なんでもないよ。ありがと。それ分かれば良いや。ログとか履歴は消しといて。」

 

【ねぇ!?テクノ助平って何!?私の事、アスモデウスって言った!?私ッ!もう我慢できない!!!色欲を司りたいから後、私が六人欲しいッ!!!あ、駄目だッ!!!全員色欲なるッ!!!うっふ~んッ!!】

 

 舌で首を絞められているハチを見つめるナオモ。

 

(まぁ、透明性の為に何かしらのゴシップとして情報は流されるのかなぁ…………。う~ん…。)

 

「【スマホ】にお金、入ってる?」

ナオモは椅子から立ち上がると、手の中の【スマートフォン】に問いかけた。

 

【IDには5560円、Paypayには20084円、Suicaには1789円だわぁん。】

悩む素振りもなく合成音声は答える。

 

「違う。ウラ。」

ナオモは手首を捻ると、【スマートフォン】を傾けて背面を覗き込む。

 

【え、背中?やぁん、エッチなところ見られちゃう…。いつか背中に彫りたいわねェ、ハブ。じゃあダァリンがマングース!?え、私たちって対を成す虎と龍!? ちょっ…!?なんてインモラルなのッ!?喰らい合う夫婦(めおと)なんてッ!!これは人様に見せないといけないわねッ!!オーディエンスゥ~!!見てるゥ!?聞いてるゥ!?】

 

 方向性のおかしい語彙と性に振り切ったAIは、興奮したような声色で発声を続けた。しかし、それでも彼女の主を煽情することはできなかった。

 

「お、やっぱ1000円入ってた。」

ナオモはカバーを少しだけ外すと、その間から指を指し込み、蛇腹折りになっている千円を引き抜く。

 

【んッ…。もう!がっつきすぎ!!…で、でも愛がない気がするの…。まるで私をセフレかカキタレみたいに扱って…。第二夫人とはいえちょっと蔑ろにしすぎじゃないッ!?あ、チー様が正妻なのに異論はないわ!!で、でも…こういう性を貪るだけの快楽目的の愛のないプレ…。】

 

「うん、愛してる。」

ナオモはぶっきらぼうな口調で、カバーを装着した。

 

【ん゛お゛お゛お゛お゛お゛お!?甘い睦言ぉぉぉいただきましたッ!!じゃあその…。ビンビンにいきり立ったそのぉ…U、USB!?いやッ!!HDMI並!?ダァリンのそんなにおっきいの私の中に入らない!!裂けちゃ…。あ゛ッあ゛ッ…。イ゛ッ…。】

 

 ナオモの愛のこもっていない発言は彼女の内部機器に負荷を与え、機体に熱を発生させた。

 

【ク゛ッ…ビッビッビッビビ…。】

続けて、赤い唇はこと切れたかのように色を失うと、ナオモの顔を黒い液晶で反射する。

 

「…こりゃなんともお盛んだね。」

ナオモはスリープ状態になった【スマートフォン】の電源ボタンに触れながら、そう呟く。

 

 再起動した液晶の待ち受け画面には、二人の友人と、愛玩、口紅で描いたような赤いキスマークを背景に、デジタル表示の九時五十二分が小さく揺れていた。

 

「…。」

 

ナオモは【スマートフォン】をパーカーのポケットに入れると、椅子の配置を整えた。包帯を探しに商品棚に向かおうとしたナオモ。

 

 しかし、開かれた扉から小さな風を感じて立ち止まり、顔を上げる。

 

「お、昭也(あきなり)。」

ナオモは扉の前に立つ友人の名前を呟いた。

 

 周囲を数度見回し、自身に気づいて歩み寄る昭也に対してナオモは

「どうしたの?」と問いかけた。

 

「ナオちゃん。」

昭也はイートインスペースに変わろうとするフロアタイルの上、境界の手前で息を突くと、喉を鳴らした。

 

「さっき言ってた…。」

自らにかけた発破も、疑問を口に出すと腐り崩れていく。

 

 友人の言葉の持つ意味を理解しようと近づくも

「…お、お金足りる?」

昭也は日常会話に寄りかかる。

 

 即席でこさえた度胸で見解を得ようとした自身が、友人を足止めしていることに気がつき、その場の配慮で誤魔化した。

 

「うん、お金ならあるよ。ありがと。」

 

「そか…。ならいいんだ…。」

上唇に下の唇を乗せると昭也は、視線を下へと逸らす。

 

(俺、馬鹿だ…。調子乗ってた…。ナオモの言ってた成功体験、その通りだ。皆を止めれて良い気になって、チーの怪我のことより、自分が気になったものを優先しようとした…。俺って…ホント…。)

 

 財布によるポケットのふくらみもない手ぶらの昭也から

「…大丈夫だよ、昭也。ちょっと話すぐらいなら。」

とナオモはあからさまなほどの機微を手に取った。

 

「え…。」

 

「チーちゃんだって元気だし、あんな怪我気にしてないよ。埋めるには病院行かないといけないし、放置してると化膿してバッチくなるから、消毒して包帯を巻くってだけ。」

ナオモは足を継ぎ目まで運ぶと、昭也の前に立った。

 

「だからそんな気にすることないよ。」

口元を緩ませ、昭也の目に語り掛ける。

 

「ごめん…。」

昭也は目の際を人差し指で軽く押さえつけた。

 

「謝ることないじゃない。僕もちょっとゆっくりしちゃってたし。」

「…分かった。」

 

「だからさ、僕の考えで良ければ話すよ。」

 

 ナオモは椅子に右手を指すと、指した手の方へ頭を軽く動かした。

 

 しかし昭也はナオモに対し首を横に振る。

 

「今は…やめとく。包帯巻いてからで良い…。買い物終わるまで、ここで待ってる。」

そうしてナオモの右手の先にある椅子に腰を掛けた。

 

「『ここで待ってる。』だなんて。BSサスペンスの犯人の恋人みたいなこと言ったね?」

ナオモは昭也に指を指した。

 

「あ…!最後、仲間内で団らんした後、画面固まるヤツやめーや。」

 

「100の資格を持つ女?」

 

「浅見光彦?」

 

「…アハァ。」

 

「ヒヒッ。」

二人はほうれい線の折り目を濃くした。

 

 倫理の壁の先にいる者、超えることができない者、とはいえ二人に社会的距離はなかった。そして窓の向こうには、互いに攻撃を仕掛けあうチーとハチがいた。

 

 ナオモは昭也に背を向けると、イートインスペースから離れた。

 

 それから冷たいフロアタイルが視界を占有した辺りでフードを深くかぶり人の目を遮断する。これ以上、誰かが目線と共に送る意思から意味を感じ取らないように。

 

 窓にもたれかかるような雑誌棚のその向かい。フックにかかり、紙で梱包された安いガーゼをナオモは手に取ると、同様に安い包帯も同じように手に収めた。

 

「リンデロンはステロイド系で傷には向いていないから、ホホバのワセリン風かオロナイン…。」

ナオモが小さなオロナインの缶を手に取り、会計を待つ列に並ぶ。

 

 

 

 

「ちっこいの。早かったね。ダルマのお兄さん。」

唐突に布と肌の隙間をぬって声が耳に届いた。

 

声の主は、フードで狭まったナオモの視界でもハッキリと全体像を捉えることができる小さな男の子だった。ナオモの前に立ち、両の手でサイダーの入ったガラス瓶を抱えこむように持っている。

 

「ん?え?あぁ…そうだね。」

ナオモは唐突な問いかけに戸惑った。

 

「あの子ね、チーちゃんっての。」

 

ナオモはフードを外すと、目の前の子供に目線を合わせる様にしゃがんだ。

 

「ふぅん。ねぇ、なんであんなに早いの?なんで舌長いの?」

問いかける口の中には白い糸が引いていた。

 

「なんでって…。」

 

「…なんで…かァ…。」

多稲の尋問とはかけ離れた純粋な疑問符に、ナオモは言葉を躊躇った。

 

 意識しないようにしていた愛玩の意味と情報を、簡単な質問によって突かれた。含意も他意もない目の前の子供の発言に、ナオモは唇を強く噛む。

 

「僕の愛玩だからだよ。」

そうして彼は見えないようにしていた答えからさらに迂回した。

 

「ふぅん。あ、ママ来るから。」

曖昧な回答を聞いた子供はナオモに背中を向けた。

 

「ママか…。」

体を横にして人と棚の間を通る女性を捉えたナオモは、立ち上がるとまたフードを深くかぶる。

 

 少し息苦しさを感じる狭い視界でナオモは、子供が自身の小さな背中に置いた右手のピースサインを見た。

 

 

「ふふ。」

ナオモは喉の奥で声を留めた。

 

 先ほどの質問も思考も笑みの一つでどこかに消えていった。

 

 安堵。それはナオモの胸から多くのモノを取り除いた。

 

 ナオモへの興味が消えた周囲の飽きと無関心が、排除に拍車をかけた

 

 今朝のルーティンでの罪悪感も、多稲との大立ち回りでの焦燥も。

 

 そして消してはいけない危機感すら。

 

 そうした彼の安堵は自らの領域に、人が足を踏み入れることを赦してしまっていた。

 

「だァれだ。」

ナオモの肩に手が触れた。その手は粘度がある液体の様にナオモの衣服にへばりついて粘着したかのように離れなかった。

 

「来たの?昭…。」

友人の名前を口に出し、振り返ったナオモの顔は歪んだ。

 

「…?だ、誰ですか…?」

しかしナオモの目の前に立つ女性の情報は、彼の思考をかき消した。

 

 釣り目と存在感のあるまつ毛を持つ、面識のない女性がナオモに距離を詰める。

 

(身長………。多稲と同じか、それより大きい……。そしてやけに整った顔立ち…肉人形か…。)

ナオモは唾を呑みこんだ。

 

「やだなァ。オレだョォ。」

黒い長髪は枝分かれすることなく胸にかかり、彼女が首を振るとデニムシャツを覆い隠すように漂う。

 

「すみません、人違いです。」

しかし正面を向こうとしたナオモの顔は、両頬に添えられた手によって動きを封じられた。

 

「な、何を…?」

 

「でェもオレは知ってるョ。『煽情的ポルノ坊や』君。いや、イカダちャあん…。」

その発言から同族であることを察知したナオモは、頬に触れる手を払うと、彼女の方に向き直った。

 

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