俺とチーは駐車場の地べたにボケ―っと座りながら、戦いを眺めてた。
コンビニ上のマンショ…アパートか。アパートスペースに届くような両者の跳躍と、一方的な血の軌跡を見ていた。
人肉を体の中で、人間が食用可能な肉に変えちまう昔の阿呆共が遺した災害。
救済を運ぶための生体ユニットも、今じゃあ圏外を徘徊する異形よ。
今じゃあ、
そして俺達は、そんな異形の人外と生存競争をしている…訳でもないんだな。
乳母なんてのは人類史には残っても、人間様と張り合えるほどじゃあない。歴史の教科書のページがこれからも途絶えることはない。
俺は、獣と相対する化物を見て、そう察した。
猟友会と
こいつらがいる限り、乳母と人類がイーブンになるなんてことは無い。
驕りなく言える。人は強い。
それでも、獣は、プログラムを本能のように、機能性を矜持のように扱い、敵対する人類を取り込もうとする。
そして、獣は高く跳んだ。
ならばと、化け物は強く跳んだ
どちらも揃って、2匹の畜生。狩られる側はどちらか。
嗤うように、嘲弄を絶やさないように、ヤツは人造の肉を踏む。
乳母が振りかざした触手の上を綱渡りの要領で駆ける。一歩ずつ尊厳を踏みつけながら、自身の悦楽をその肉に刻んでいく。軽薄な足取りで、翻弄を軸としながら、少しずつ乳母の命と肉を削っていく。
跳ぶ。
駆ける。
転がる。
笑う。
殴る。
蹴る。
躱す。
崩す。
人の奥底にある、戦闘への憧れと、全能感、黒い欲求を煽るような動き。
舞と回避と足取り。全てはブランディングの範疇ではありながら、動きはやはり、どこからどう見ても人間のそれじゃなかった。
そして周りに群がるのは人間の肉を纏ったドーパミンの奴隷達。繁殖欲求の人形たち。愉悦に口を開ける雛鳥達。繕った社会性も着込んだ倫理も、血しぶきと揺れる肉の前には、一つの処世術と思考プロセスの一つでしかない。
「しゃぎゃらららびゅあ……!」
「あァ、張り合いがいが無ェッ!!!」
その獣は惨く泣いた。その化け物は酷く鳴いた。
1匹の狩人と、1匹の獲物。狩られるは明白か。
迫る触手のその隙間。攻撃性の無い安全地帯が、危険域に変わっていくまでの猶予に、狩人はニタニタと恍惚の笑みを浮かべる。獲物の触手についた血肉と黄色い脂肪を吟味する。
乳母は息を呑む。
「流石、四本指か。」
思わず、俺から呟きが漏れる。
肉体的な強さの等級を示す四本指。乳母を武器無しで撲殺できるのが強さの目安。
しかし、それは最低条件。上位勢は最早、人じゃない。日本に数百人いる精鋭たち。規格外の化物たち。目の前の松出伊もその一人だ。
誰も彼もが、非日常に悦びながら、戦闘という蜜に酔って、闘い一辺倒に頭を作り変えて、犯していく。思考という毒に、闘争という薬を与えるみたいに。
扇のように開く松出伊の腕。殺傷性にたじろぐ獣を、逃がさぬように押しつぶす。
「逃げんなよッ…テメェから誘ッてきたんだろッ…。」
「しゅ、しゃびゅいぃ!!!」
とうとう、獣は果て、潰えた。
腕を振りかざし、触手を落とす。日の光を浴びた血が、俺の視界の中にいる女体の鬼人を、飾り付けていく。フレームの中で佇む被写体に装飾を始める。
化け物は呻き、吠えた。
「欲しィ!欲しィ!!欲しィ!!!足んないッ!足んないよォッ!!!」
1つの肉塊と、1匹の肉。
停まったのは、どちらか。
それから、俺が息を漏らすと同時に
「ひゅげっ!!!」
チーが鳴いた。
俺の友人の所有物。六本足の消耗品。友達の家の犬ぐらいの距離感かな。
しかし噂じゃ、元四本指の
ナオモの気づかないフリも透けて見える。何かあるのは確かなはず。
寓話、物語みてぇにナオモの元に届いた愛玩。要寺の死と引き換えに届いた肉塊。人間由来の愛玩も、今じゃあほとんど数が減ったがありえない話じゃない。生前の要寺が遺した根回しか否か。
多稲の戦闘で、少し噂になる程度なら良い。だが、今回、乳母との戦闘を考えるなら、その強さも可能性も指し示すわけにはいかねぇんじゃねぇか?要寺に、恨みがあるやつは少なくはない。
「まぁ、良いか。」
俺は体を傾けて、こちらに迫ってきていた触手の一片を避けた。
松出伊が切り飛ばした触手。含意なんて無い。含みもない。過失もない。
故意100%の嫌がらせ。
「死ねよ、女モドキのダボハゼ野郎。」
俺の呟きも、水風船を思い切り叩きつけたような着弾音と、石の細やかな音に消えた。
酷い日だ。多稲、殺し合い寸前、乳母、飛んでくる触手。
でも一番驚いたのは
「ボホッ…。」
松出伊が女になってること。
「おほゥ……目が合ッたァ…。」
うわ、こっち見んじゃねぇ。なァんでテメェ、口の周りそんなに馬鹿みてぇにビチョビチョなんだよ。気色悪ィ…。唾液なら飲み込めよボケ。ついでに早く死ね。
「合意と見てよろしいですねェ?」
何がだよお前。どっか行ってろ気持ちワリィ。
まさかさっきのコンビニに入っていった美人が、あの戦闘キチとは思わなんだ。体は、まぁ義体のメンテかな、代車みたいなもんだろ。
「まぁ、良いか。」
圏内に入った乳母も、そこらの地域に分散していれば良いんだが…。
「あ。」
今思ったけど、要寺の愛玩化って、もろビンセント・ラロが死後自分の遺体をダイヤにするように頼んだパターンじゃんか。またプロトポロス編見たくなってきた。今度みんな誘って、快活でも行くか。
ていうか、エアポーカーってエアポーカー編って区切られること多いけど俺はプロトポロス編の終盤ってイメージなんだよなぁ。
まぁ、それも良いか……。
う~ん…。
ラロみたいに要寺自身が望んで、ナオモの元に愛玩として来たのか?
それかナオモが手続したけどうまい具合に記憶を封じ込めて、自分の中で物語を作り上げてしまったとか…。
ま、素材が何であれ、アイツがチーって言うならコイツはチーなんだろうな。
「なぁ、チー?」
乳母の気配もしないので、俺はチーに問いかけてみた。所在なげな抑揚で、日常の色を漂わせるみたいに。
「もう来ねェと良いな。」
返事なんていらなかった。だから言葉を繋げた。
「んげ。」
チーからの小さい鳴き声で俺達は会話を終わらせた。
「乳母はなんで来たんだろうな?」
地母神の機能不全か?メンテ?休造日ではねぇ。それとも地母神の肉を受け付けなかった特殊固体か…。個体にしろ状況にしろ、どっちにしろ、イレギュラー。
はぁ、やだやだホント。総会も日程変更かしらね。
日常の中の非日常なんて、想定してるもの以外はほとんど面倒の種だろ。
俺は、さっき飛んできた触手を振り返って睨みつけた。
引きちぎられた断面は、う~ん、【ポッカキット】っていうか…あんま見るもんじゃねぇな。そして先端ときたら尖っててまぁ恐ろしいし、バッチい。
それにこの鼻に刺さるような臭いったらないな。糞尿で体でも洗ってるのか?
「このまま終われば、良いんだけどなぁ。」
日常の延長戦で良かった。俺は、闘争の余韻に酔っている観客気取りの一般人に軽蔑の目を向けた。
もちろん、松出伊にもその目は見せる。それでも、松出伊にその目を向けるときは、どこか軽蔑に、さらなる侮蔑と、諦めと憧れと畏怖が乗っていた。
松出伊は、右腕の肘を軸にしてそっから前腕を扇子みてぇに広げてる。五枚の面のそれぞれ先端に一つずつ指が付いていて、乳母の返り血で汚れが装飾されていた。
一方被害者の、乳母に関しちゃ、攻撃やら切断用のナイフ状になってる二本の触手はぶった切られてるし、吸血用の方のとんがってる二本も引きちぎられてるしでもう散々。
断面からは、衛生倫理からかけ離れた馬ッ鹿キタねぇ血がとめどなくダラダラ。
切られた胴体からは臓物ボタボタ。紐みてぇのが垂れている。内臓レディを思い出す。
くたばった体を四本の基本脚で支えちゃいるけど、倒れるのは時間の問題。こいつら体感の問題もあって、攻撃に回せるのは、切断脚と、サブの吸血脚の計四本だけなんだよなぁ。
そして中にゃあ………、へぇ、取り込んでねぇのかな。乳母の胴体に肉割れもないし、血管がまだらみてぇになってもない。つまりそういうことか。
より一層騒がしくなる市井の人間の声、潤む松出伊の目に、忙しない地団駄と、チーの鳴き声。
松出伊は死んでほしいぐらいキモいけど俺より強いしさ、全部殺してくんねぇかな。その後良い具合に共倒れしてくんねぇかな。
「ま、そうも言ってらんねぇかな。」
俺は後ろから、腕を撥ねようとする触手を横に転がって避けた。
汚い触手が俺の前を通り過ぎる。
空を切る音がすぐそばから聞こえる。
驚きの感嘆の声が向こうから聞こえる。
触手に付いてたのは、黄色い脂肪片、紅い血、赤と肌色の皮膚、人だったモンの残りカス。
「テメェ…道中何人殺した?何人体ン中にしまい込んだ?」
別に俺は、義憤に駆られるような阿呆じゃない。
知り合いじゃない人間が何人死のうがどうでも良い。
何なら俺の知り合いじゃない人間は悪人だって思ってる。
俺には、ナオモとと他数人の友達がいたら、それで良い。
ただ。
「ずじゅぞぞぞ…。」
水を含んだ口を少し開けて、空気を吸い込んだ時みてぇなそんな音を聞いたら。
妊娠線のように腹に走るまだら模様を見たら。
人間を蓄えることに悦びを見出してるような潤んだ目を見たら。
その細く輝く目を見たら。
「三本指、牧本ハチ。乳母殺し行きまぁす。」
立って、構えを取らずにはいられなかった。脚を開けて、動きやすく、反射的に回避を取れるように。
分かる。なるほど、だいぶ入ってる。最低でも、二、三人分。
計画性がないのか?取り込んだなら、早く帰れよ獣。身重じゃ張り合いがねぇよ。
俺なんか今、スーツだぜ?総会用のフォーマルなヤツ。こんなのジャケット脱いだら、もっと差が産まれちまうよ。
それに辟易する。お前らが作れるのは子供じゃない。物言わぬ肉だ。
それに、愛も節操も無く孕んで悦ぶのなんて、余程のバカか、対魔忍ぐらいの売女かエロ漫画に出てくる都合の良い女と…あと…。いや、そんなのは今思い出すことじゃない。
「ぎゃりゃららららららッ!!」
「なんだ?なんだ?叫びやがってよぉッ!!ちょ!?バカなのォ!?振る舞いがまるで、序盤に消費されるような過度に露悪的な悪役みたいな振る舞いだよォ!?まるで読者がカタルシスを得るためだけに配置された敵役が、社会性や築き上げた道徳や倫理をかなぐり捨てて、わざと俗悪に振る舞っているみたいだぜぇ〜っ!こんなに消費されやすい悪としての記号とギミックは初めてだぜっ!ひゃっはぁ〜っ!!セコムにひと睨みされて撤退するナンパ師かよぉッ!!!ぎゃはぁ~ッ!!!」
「ふぉげ?」
そして、俺の思考を遮る無粋な触手。振り下ろされる暴力。腕を落とさんとするナイフ状の触手を前転で避けると、俺は、一定の速度でヤツの周りを動いた。
乳母も出方に困ってる。草食動物みたいな全方位型の視界は、両目の情報を脳の中で統合する能力が弱い。
視界の中心がブレる。一点集中的な動きが出来ないはず……。
草食動物みてぇに側面についた目。精密さを手放して、視野の最大化と危険察知に特化した乳母。どうする?どう出る?
コイツはなんだ?よく見ろ。不規則な触手を、躱しながら、飛び越えながら考えろ。
そうだ。露悪に磨きを掛けたような下衆だ。
広告で流れる敵役のような目を引くためだけの、倒されるためだけのギミック。
踏み台。カタルシスを得るために用意されたような木偶。薄っぺらくて透けて見えるような、消費されるためだけの、肉。
俺はどう戦う?
勝利条件は一つ、乳母の討伐。大丈夫、この前も殺した。今日も殺せる。
手元には【switch gun】そして、チーもいる。
頭から俯瞰を捨てろ。客観視をゴミのように扱え。
戦闘時、誰も彼も強者は『驕るな。』なんてくだらねぇ常套句を吐く。
飽き飽きだ。
外連味に溢れた創作物の強いだけの言葉も、真実味を纏ったフリした価値の無い台詞も。
俺を惑わす毒に、俺を誑かす思想に耳を傾けるな。目を向けるな。
俺は何より傲慢になる。自分への信仰を胸に強く飼う。
自分が勝つことは疑わない。それでも目の前の情報は疑え、探れ、思考を巡らせて、さらに疑え。信じるな。
闘争に酔え。それでも、思考まで酔わすな。依然冷たく保て。
高揚で、気分を上げろ。それでも判断は鈍らせるな。
思考という薬で、体を癒せ。運動という媚薬で、脳を愛せ。
ナオモ達に見せる軽薄も、今は外せ。それでも熱と愉悦は手放すな。
顔を顰めて、闘うな。
立ってしまった舞台なら、せめて笑え。そして嗤え。
「Hey‼【Siri】‼」
【御用ですか?】
「最大音量で、phonkプレイリストの曲を流せッ!」
【畏まりました。Montagem Mandelaを再生します。】
ブラジル発の重低音。いや。ポルトガル?まぁ、どっちにしろ何を言ってるのかは分からねぇ。でも今はそれが良い。
カウベルと、継ぎ接ぎの編集まみれの曲が、頭に届く。
この音楽も、新倫理者の脳じゃあ羽音になって、溶けていくんだろうか。
そう考えると、旧倫理者の役得だな。ナマで濃いのをその場で楽しめるのは。すぐにでも脳みそホカホカにできんのは。
「やっぱ好きだな、コレ。」
ドパガキで結構。ジャンキーで結構。即時的な報酬が欲しい。背中をさらに押す追い風が欲しい。
ヤツに間合いを詰める前に自分を整えろ。
「ふぉげひぃ!!」
チーも同じように、触手の間合いの中にある安息地で息を付きながら、出方を伺っている。その小さい体躯で弾むボールのような変則的な動きを繰り返しながらも、軸を据えたような鋭く意思のある動きも交え、触手と触れそうな皮を、身を切る風で愛撫する。速い。
いや、見惚れるな。価値基準を俺に据えろ、俺。
莫迦になれ。ナルシストであれ。闘争に理由を見つけるな。ただこの時間を愛せ。
心地良い疲労を待て、戦闘後のドーパミンによがる準備を怠るな。
賢くあれ。冷笑と達観を続けろ。思考を巡らせろ。メタ視点を手放すな。
人間の行動だって、突き詰めれば増えるためのプログラムだ。
驕れ。自分を愛せ。何より至高と、自分を上げろ。息遣いすら誇れ。
相対的に決まる強さも、基準も、社会の物差しはドブに捨てろ。
他人を下げる?ふざけんなよ?
なんでそんなカス共を俺の意思で上げ下げしなきゃならねぇんだ?
他人を下に置いて、悦に浸るな。
俺だけが上に行く。俺だけが動く。
自分だけを価値基準にしろ。世界を突き離せ。
俺で満たせ。
普通を啓蒙しようとする、外界を赦すな、目に入れるな。
あぁ。
今、そうだ。
馴染んだ。そうだ。この感覚。闘うための、脆弱で高邁な精神。
だが、今の俺は誰より、何よりずっと。
「最強だ。」
それが、理だ。
「ひゃぎゅりゅぅぅらららッ!!!」
鳴くなよ、肉が。
「来いよ…。殺してやるから、テメェが来いよ。」
早く俺の成功体験になってくれよ、莫迦蛸。
動くたび、頭から皮脂のにおいが強くなる。主張を続ける。
俺は小さく頷くと、落ちかかっていた眼鏡を強く押した。