僕のポータブル地母神   作:秘密の豚園

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0話から、約半年後の物語です。


1話 愛想の無い道と、六本足の彼女。 【ナオモ視点】

 自宅から徒歩十五分。小道を縫うように進んで、ようやくたどり着いた県道三十一号。ここは、いつも緑で彩ろうという気概が全くと言って良いほど見えない。歩行者に気を払うような街路樹は一本も生えていない。

 

 戦前には、山が道を囲むぐらいに木々が鬱蒼と茂っていたらしいけどね。昔、北海道からの空爆でできちゃったクレーターを埋め立てるために山を削ったからか、ほとんどが切り倒されたらしい。結果的に生まれた造成地は、行政が安値で民間に払い下げたんだけど、広がった空き地に住宅が点在しているだけで、住宅地としてはあまりうまく機能してない。でも、安値で一軒家に住めるから良いかもね。

 

 まぁ、歩道上のガードレールは規則的に並んではいるけど、どれも同じように赤褐色の傷や橙色の錆を流行りの装飾にしているみたいで嫌になる。僕はそんな見慣れたグロテスクな防護柵に辟易して、逃げるように視線を足元に移した。

 

 それでも、見慣れた歩道の吹き出物みたいなコブと、僕の隣を歩く彼女の足が視界の中心から下部を占有するようになっただけ。

 

 僕はあと、数十分はこの県道三十一号から抜け出せない。目的地まで、たどり着けそうもない。あぁ、今何時だろう。腕時計なんてつけてないし。こんな時にみひりがいたら時間でもなんでも確認できるんだけど。居てほしいときにいないんだものな、あの変態。

 

 

 それと多分だけど、この歩道を始めて見た誰もが『無機質に乾燥していて、粗野で品がない』なんて印象を抱くのかな。もし、それがこの道の外面をなぞって、下した評価とか感想なら多分正しい。ただ僕は、こう思う。

 

『この道は内面にドス黒いものを飼っている』って。

 

『ドロリと粘ついた厭らしさを孕んでいる』とか。

 

『堅牢な無表情を崩さず、道としての役割に徹している自らの、無骨に光る魅力を誰かに見出してほしい、僕を労わって欲しい』とかなんとか。

 

 不遇の身に甘んじていることを美徳にして、自分を知って欲しくて、救ってほしい。なんて言うんだろ。受け身の姿勢で消極的、それでも誰かからの寵愛を受けたくてたまらない。いわばシンデレラ・コンプレックスかな。そんな悲劇のヒロイン染みた厭らしさを持ち合わせた心底気持ちが悪いと道だと僕は思ってる。

 

 

 なんてね。そんなわけないじゃない。

 

 

 僕はこんな石の歩道にあるはずのないステータスを想像し、意味を与えた。

 

 あえてこの歩道を仮想敵にした。こういう発想や思考で暇を潰さないと時間がいつまでも経たない気がするから。僕がどれだけ小走りにここを抜け出したいとしても、ここがどんなに長ったらしい道だとしても僕は、歩道への罵倒で頭を悶々とさせながら、隣にいるこの子にスピードに合わせる。

 

 そもそもだけど、バスだの電車だのを使うことができれば僕の濁った憤りも、冷笑での退屈しのぎも解決するんだけどね。でも、彼女自身がケージやキャリーバッグといったものを好きじゃないから僕は渋々、歩くほかない。それに彼女は散歩が好きだから。

 

 でもどうにも退屈。暇だなぁ。せめて、彼女から何かしらのアクションがあれば良いんだけど。と言うよりかは、僕から触れて良いものなら、今すぐにでも触り尽くしたい。

 

 

 家を出てからもうだいたい十七分かな。ぷりぷりと体を揺らしている彼女を見ているだけではもう満たされないっていうか。辛抱溜まらず、まさに生殺しっていうか。

 

 こんなんだから二人に性的倒錯とか言われるのかな。でも失礼だよね。

 

 僕がこの子に対して性的な感情や何かを抱いているわけないじゃない。

 

「ひゃぎぎ。」

 

 僕の傍らにいる彼女が口いっぱいに唾液を含ませながら、粘ついた口でそう言った。単語の一つ一つが引っ付いた塊のような声、いや鳴き声。その意味は僕には少ししか分からない。でもその時にはもう道へ向けていた憤りも何もかもがすっかり冷めて、興味はすっかりチーちゃんに移っていた。

 

「どったの?」

良いってこと?触っていいってこと?ここで立ち止まって触れまくって良いってこと?

 

 しかしまぁ、口の際から見える桃色の舌先が唾液を纏っていて、可愛いのなんの。

 

「可愛いねぇ。」僕は彼女に目線を移すと、乾いた口で言葉を返した。

 

 さっきまでは小さく唸りながら足を動かすだけだったんだ。それだけでも充分に魅力的で愛らしいし、『なんでそんなに愛らしいフォルムでこの世に生まれたの?』とか言っちゃうレベルなんだよ。

 

 でも触れたい衝動に理性を効かせて、なんとか立ち止まらない程度には自制が効いていたんだ。でもこの子は僕が足を止めるほどの魅力を獲得してしまった。彼女が可愛いらしい声で僕を誑かした。気色が悪くて長居もしたくないなんて思ってた歩道に、僕の片膝をつかせるほどの魔性へと、その一声で一瞬のうちに成ってしまった。

 

 なんて蠱惑的。悪女と言っても過言じゃないよ。

 

 そうやって何人もの男を…。

 

 

 

 いや違う、それは違う…。その例えだけは違う。

 彼女の恋人は今も昔もあの人だけ…。

 

 

 違。違う。ごめん。すみません。違った。この子はもうチーちゃんなんだよ。そうなんだよ。そうなんだってば。考えないようにしないと。考えるのをやめないと。半年前にウチに来た愛玩(ギプス)なんだ。この子はチーちゃんなんだ。(あの人なわけないんだ。) 

 

 

 でもあぁ、可愛い。可愛いなホント。なんでこんなに可愛く産まれたんだろうね。僕は最後に残った理性を働かせて周りを見回すと、人がいないことと、僕らが通行人の妨げになるようなことはないと確認して、彼女と目線が合うように僕はゆっくりとしゃがんだ。

 

 サッカーボールを潰して無理やり楕円形にしたような大きさの胴体に、生肉に白いガーゼをはりつけたような薄いピンク色の体表には体毛はない。指の先で彼女の肌に触れると、むっちりとした厚い皮膚越しに指を押し返すような力強い肉感を感じる。 

 

 でもそこに拒絶はなくて、彼女自身が僕に抵抗があるわけではないのは確か…だとは信じたいな。   

 

 そして、頭からお尻にかけて背中を縦に裂く様につけられた大きな口。その口の際を跨ぐみたいに正面に付けられたつぶらなお目目。うん、フォルムはがまぐちみたいな感じだよね。可愛い。そこからはボディソープで薄めたみたいな血のにおいがする。僕が見てないところで直飲みしてる?

 

 そして口内には口の大きさに見合った歯、黄ばむことを知らないぐらいに真っ白な歯。歯磨きは毎日念入りにしてるからね。

 

 あぁ、可愛い口元に手が伸びる。愛でたいって意思から伸びた手は、思わず伸びた手とは違うんだ。野放図に振舞うことはないし、恣意的な感情の一切を排除したような高尚さがある。

 

 チーちゃんを持ち上げたいがあまりに自分の手の事もヨイショしちゃった。高尚な右手ねぇ。痛覚のない新しい腕を取り付けて痛みから逃げた僕が、高尚…ねぇ。

 

 まぁ、いいや。今はそんなことは良いんだ。僕は右手で、彼女の口の縁のVの字になっている部分を、指が唇に沿うように撫でた。一往復、二往復、三往復。

 

 それからチーちゃんは目を閉じると、体を小さく捩らせて、口内から舌を伸ばした。二ュルリと唇の隙間を縫うように現れたその舌は、無数の気泡を纏っている。

 

 

 けれどもチーちゃんは舌をパタパタと動かして水気と泡を飛ばしてしまった。それから僕の人差し指に彼女の舌先が当たる。舌の熱がさっと指に伝わっていく。

 

 そして舌は急くように僕の手首に一周分だけ巻き付くと、ゆっくりと唇部分から手を離した。

 

「ぎぃぎぎ。」

あ、ごめんねチーちゃん。

 

「ごめん。嫌だったよね。」

流石に唇は嫌だよね。触られたくないよね。僕は小さく頭を下げると、左手を彼女の脚部に伸ばした。

 

 ナナフシの足のように大きく開いて、左右に三本ずつの計六本の足。そのどれも指はなく、太い肉の柱のようになっている。十五㎝ぐらいしかないのに関節が5個もあるそれらは、どれも肉厚で太い。そしてそれぞれの脚にポッコリと浮きでた太い血管が一本ずつ、胴体の方に伸びている。まるで、皮膚の下の潜り込んだミミズみたいに。

 

 血管が肉による抱擁を逃れた先にあったのは、頼りのない皮膚一枚だった。

 

 とか言ってみたりね。

 

「げぇひぃ。」

脚は触っても良いみたい。

 

 僕は左手から一番近い彼女の前足に触れる。

 

 体の大きさに似合わないゆっくりと大きい脈動からは、血の動きが手に取るように分かる。『ど・く・り。』という血の音。

 

 体を小さく動かし、道の奥に目線を配っている彼女が歩を進めたそうにしているのは十分に伝わるけど、本当にごめん。ただ、もうどうにも、辛抱溜まらなかった。

 

 飼い主だからといって一方的に愛を押し付けていい理由にはならないのにね。

 

「して良い?嚥下?」礼節を装って、形式だけの了承を得るように僕は彼女に聞いた。

「ふぉげげげ!?」穏やかな彼女の声色のそれを、僕は了承と受け取った。

 

 驚いて、ドン引きしてるなんてことはありえません。

 

「足、食べまぁす~。」

 

「ひぃやぁべッッッッ!!」そうして僕は、チーちゃんに額を舌で小突かれた。

 

 イタタ…。チーちゃんは乾いた舌を僕の額に押しつけて、動けないようにしてくる。僕に触れるためか、舌からはさっきみたいに余分な水気は取り除かれていて、さらりとしているけどその気遣いがどうにも寂しい。正直に言うとべちょべちょが良い。

 

 というより痛いなんて久しぶりかも。

 

「ふぉべんべべぇべ。」彼女は自身の舌を食むように不満そうに唸った後、再度軽く僕の額を小突いた。どうしよう、チーちゃんが不機嫌になってしまった。

 

 僕は独りよがりだった自分に自罰的になる、苦しい。寝る前みたいなアンニュイな気分が襲ってくる。それから僕は、こんな気分を晴らしたいがために、機嫌取りに躍起になってしまう。

 

 機嫌取りとはいっても、彼女のためではなく、自分のため。僕の気分を晴らすためのこれはお為ごかし。それを悟って、もっと気分が落ち込んだ。

 

「ごめんね。」と彼女と目が合うように顔を覗き込み言うが、「ホゥ。」と小さく唸り、顔を逸らす彼女からは、許すような素振りは感じられなかった。

 

 何とか許してもらうことはできないだろうか。でもその許しは僕の心を癒すためのもの、彼女のことを何も考えていないただの自慰。それでも僕は、阿呆だから止めることはできないんだ。

 

「ごめんね。嫌なことしそうになって。チーちゃん。」僕は彼女の名前を呼び、両膝を付きなるべく姿勢を低くして、腕で彼女の体の周りを囲うような疑似的な抱擁する。

 

 

 そして僕はその自分の行動にもっと嫌気がさしてしまった。僕ってホント。ダメだな。結局自分の事ばっかり。

 

 束縛的なんだ。この囲いは。彼女の選択肢を狭めて、和解という一つの答えに導いてしまっている。僕は、自分の両手をすぐさま引き離して、囲いを壊した。

 

 僕は自分を癒してくれる許しが欲しいだけのただのガキ。穢い屑。

 

 

 でもチーちゃんは、その崩れた囲いの中で「ぶぅ。」と僕に呆れたように鳴くと、前足を上げ、残りの四本の足に体重を預け、半分直立のような姿勢になった。そしてぐらつきながらも、二本の前足を僕の肩にかけている。彼女はその優しさから僕を許してくれた。

 

 ごめん。ごめんよ。「ごめんなさい。」ごめんなさい。

 

 都合の良い人形みたいに扱って。

 

 人と愛玩。構造的な下位の存在に執着して。優しい貴方に寄りかかって。

 

 そんな彼女の寛容さに甘えて、空いていく自分の胸に少し腹が立った。僕は安堵から彼女にほおずりで返すと、囲いの中を縮小させてそれを、抱擁にした。

 

 そして彼女が「ぼふぅう。」と息をつく。抱きしめた腕の間から吐息が逃げて、僕の周りに留まった。生血とボディソープを同じ割合で混ぜたようなにおい。ふわりと香るそのにおいは、鼻孔の周りを漂いながら、僕の顔を撫でる。

 

 ずっとこうしていられたら、彼女の生暖かくて甘くて癖のある吐息を嗅ぎながら、このほおずりを続けていられたらな。なんて自分勝手に僕は考える。

 

 

 しかし、歯切れのよいチリンという音は僕たちの抱擁を解いた。というより解くほかなかった。

 

 その音は僕たちが歩いてきた方の道から聞こえた。そしてギリギリとガードレールの錆を笑い飛ばすような軽快なチェーンの音が聞こえると、僕はようやく何が来るかが理解できた。

 

「避けようか、チーちゃん。」

僕は彼女を抱きかかえると、道路側のガードレールに寄りかかる。程なくして僕らの前をカゴ付きの黒く塗装された自転車に乗った男性が通る。俗にいうママチャリってやつ。そして近辺では見たことのない男性。

 

 

 カゴの中では、大きめなショルダーバッグとチーちゃんと形の似ている愛玩が網の間から手足を伸ばしながら、気持ちよさそうに風を感じていた。

 

 多分だけど、世代も型も同じ。チーちゃんと同じ自我強めの第二世代。型はきっと嚙。

 

 元は…。やめよう、考えるのは。きっとどこかで購入したんだ。

 

 風に衣服が煽られてか、彼らの体臭がふわりと舞う。僕の鼻をくすぐったのは、血とボディソープが混じったような愛玩特有の香りと、男性の方からするマリン系の香水。ただ、その中に雨降りの後のアスファルトに似たにおいを僕は感じた。嗅ぎ馴れない臭いで、ちょっとだけ不快だった。それに少し引っかかるものがある。

 

 そして通り過ぎざまに彼は薬指と小指を曲げ、手を振った。感謝のジャスチャーとして受け取るには、少し歪なものだったけど僕もそれに対して、顔を少し動かすだけのいい加減な一礼で返す。

 

 僕達は歩道中央に移動して、彼らの背中を見送った。後ろに広がるこの県道は、味気ない住宅街と物悲しいロードサイド店舗街が何㎞か続いた後、突き当りにインターチェンジがあるだけの、至極退屈な道。

 

 圏外から来たわけじゃないよね。そんなわけない。旧倫理者(きゅうりんりしゃ)特有の狂っている感じもなかったし、猟師特有の高揚してる獣っぽさもなかったもの。きっとあの付近に住んでるんだ。でも見たことない人だ。

 

だから

 

「あとで確認しなきゃ。」

 

「ふぉぎゅぎゅぎゅ…。」

それからチーちゃんが僕の腕の中で手足をバタつかせながら、軽くもがくので僕はゆっくり地面に離した。

 

「歩きます?」

 

「んべべ。」と鳴き声を上げた彼女は、六つの足を用いて歩を進めた。

 

 忙しなく足を動かすその様子に僕はまた性懲りもなくチーちゃんを愛撫したい欲に駆られて、その場から彼女の名を呼んでしまいそうになった。

 

 しかし彼女が僕の方を振り返り、「んべ。」と小さく鳴くので、それを押し殺して、彼女の歩幅と速度に合わせて、僕はまた歩みを始める。

 

 あの憎たらしい県道三十一号からは、まだ抜けることが出来てはいないけど僕らはそれでも歩くんだ。

               




戦闘は後、数話先になります。
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