温い風が二人の間を通り、扉の隙間に吸い込まれていく。扉の傍らで看板は生物発光と同様の原理で光り、白熱電球のように淡く温かみのある冷光で周囲の空気にじわりと滲ませていた。
さらに、店舗の外装は光源を包むカバーとして機能しながらも、赤と緑を交互に織り交ぜ、正気を試すように毒々しい蛍光色をナオモ達に見せつけている。
しかし、どんな酷い色をした装飾も内側で光る光源からすれば、それは自らの白に優しく彩りを付け足してくれる親密な友人で、友愛のあるランプシェードであった。
そして薄く頼りのない冷光は日の光にかき消されそうになりながら、パウンドケーキの焼き型に似た箱の中で佇む角膜を照らし、縮瞳を促している。
とはいえ、その焼き型にみっちりと詰まったセンサーは現在、役割を放棄していた。
「この引き戸、開かんくね?」
入口の前に立った昭也はドアを睨みつけると、センサーに軽く手を振った。
「どったの?あ、『現在、不具合が起きているため手動で開閉してください。なお、立て付けに少々問題があるため、多少力が必要になります。』だって。」
張り付けられた注意書きを、鼻の横を搔きながら読み上げるナオモ。
その後、隣に立つ友人からナオモは
「どいてな。」
と横腹に両手を押し付けられた。
「え~?僕やるよ?てか開けれる?握力二十九。」
「覚えて…。な、舐めんな!あと握力は関係ねェ…のかは分かんないけども!!」
「その少々の問題を多少の力で解決できるかな?」
「だ、だぁって待ってろ!!イキリブラックコーヒーッ!」
昭也は扉の間に指をかけた。
ナオモは口を手で押さえながら扉の前から離れると、近くのボラードの上に腰掛けてコンビニの内部を覗き込む。
「イキッ……イキリッ……違っ……。違ッ……。」
「うぉ…おっうごぎぃッ!!」
額に汗を浮かばせ、昭也が力む。
「フゥ……。フゥ……。ひ、人が来たら避けるんだよ~。」
ドアと格闘をしている昭也を見てナオモが声を掛けた。そして会計を待つ列が棚を跨ぎ、窓側の雑誌コーナーまで続いているのを捉える。
(なにこれ。離島にはじめてマックがやってきたぐらいの混雑ぶり?)
加えて暗黙の了解や規則か何かがあるのではないかと少し考えてしまうほど、皆一様に何かしらの動きを交えていた。
誰もが列が進むのをじっとその場で待つことが出来ていなかった。メガネがズレないよう、ゆっくりと額を掻いているサラリーマンに、髪を捩じりながらつまさきで床を叩く学生。寡黙そうな老人ですら頬を触る手を止めないでいた。
「ん~、なんか電車の中にヤバい人がいるときみたい。」
ナオモは思わず呟いた。
ナオモは店内にいる全員の忙しない動きが一つの要因から始まり、逃避に帰結していると推測した。
何故なら落ち着きのない動作の中にある、萎縮と少しの焦燥を確かに感じ取ったからだ。
正常性バイアスに傾きながらも、完璧な無関心を装うことのできない彼らの所作が何よりの判断材料だった。
そして要因が『店内にいる人物への極端な恐怖』からだと判断したナオモは、【銃】を取り出そうとパーカーのポケットに手を入れた。
指先に当たるリンデロンから先ほどの事を思い出しバツが悪そうな顔で浮かばせながらも【Ruger LCR】をつかみ取る。
そして硝子越しの緊張感がほんの少し解け、その要因であると推測できる人物が扉に近くなっていく。
痩せ型としか判断できなかったが、ナオモはその不穏な空気を纏った人物に強い危険性を感じ、フードを深くかぶり、扉からさらに距離を取ると、即座に昭也に呼びかけた。
「ちょ!昭也!こっち!」
ナオモは狼狽気味に声を出した。
「ハァ、ハァ…。ん?あ、扉の隙間から…指が伸びて…開きそう…。」
しかし昭也は、唖然とした表情で、目の前で起こっていることを淡々と述べるのみだった。
間にねじ込まれた指は、腕の為にスペースを作りだした。
そうして両腕が差し込まれると「んッ。」という声と共に、扉が引き裂かれるように無理やり開かれる。
扉とレールは強引に擦り合い、軋みは不協和音となって、ナオモ達に強い不快感を産んだ。
そして大きく開いた扉から現れたのは、長身で背格好がすらりとした女性だった。
口には商品の入った紙袋。
そしてわき腹を極端に露出させた黒いカットアウトボディスーツ、その肩には灰色の大きな三つ編みがかかっている。
色の濃いジーンズの上に、腰結びされたカーディガン。
一見ファッションとして機能している服装や装飾も、ナオモからすれば攻撃性を孕んでいる危険物だった。
昭也は困惑と恐れの目で彼女を見つめ、ナオモは咄嗟に顔を見せまいと下を向く。しかし【銃】に手を伸ばしながら情報を取り入れようと目を忙しなく動かした。
(キチガイ殺し…。店内の空気感のピリつきはコイツのせいか。良い評判は聞かない女…。最近だと麻薬売買に手を出したカルトの教祖と幹部連中を単独で殺してた。環境保全課の兵隊。確かLSD系だったっけ…。今はどうでも良いか。
刑法と、キチ殺自身の性格と、警察所属ってので一般人への安全性は担保されてるけどあんなニュースもあったしいるだけでも恐ろしい。実際僕もコイツ怖いし。昭也は大丈夫かな……。
それで武装は…、スラッシュポケットに膨らみはないけど、後ろのポケットが怖いなぁ。まぁ憶測にはなるけど、持っているとしたら腰結びしているカーディガンの後ろ。
あの程度のスペースにコンシールドキャリーするなら僕のと同じぐらいの大きさになるはず。【ニューナンブ】?
っていうかなんで私服?総会もあるのに…。いや、人の事言えないけど。)
ナオモはグリップを強く握りしめて、推測と余計な思考を交えながら彼女の危険性を組み立てていく。
例え目の前の女性に、法の番人というラベルが張られていたとしても、友人への安全性が担保されていたとしても、ナオモは懐疑と慎重さを捨て、張りつめた警戒の線を緩めることは出来なかった。
云わば彼女は、ナオモの‘敵’である。
「んぱぁッ。」
キチガイ殺しは口に咥えた袋を、右手に移すと昭也に問いかけた。
「しっかし、建付け悪いね。アンタもそう思う?」
淡白で、一本の線の様に抑揚のない声だった。それから彼女は再度、不協和音を鳴らしてゆっくりと扉を閉じる。
対して
「そ、そうかもですね…。」
と曝け出すような動揺と目線を合わせまいという戦慄で、昭也は相槌を打つ。
キチガイ殺し(
一般人に彼女が攻撃的な意思を示すことはない。
しかし利他的利己主義、つまり打算的な優しさを放棄した小悪党から、典型的で記号的な快楽殺人者にいたるまで。社会的に見た『少し嫌な人間』から『よくいる狂人』まで。
あらゆる‘ズレている’人間に対して敵意を見せるのが彼女だ。
そして対象が突出した非社会性を持つ犯罪者の場合は、殺害も厭わない胆力も持ち合わせている。彼女にはそういったポリシーがあった。
そしてポリシーに則って考えるのであれば、【銃】やそれらに付随する危険な亜物で選別作業を行うナオモは云わば彼女にとって、即殺害とまではいかずとも明確な‘敵’である。
敵意を、社交性でコーティングすることなく彼女はナオモに近づいた。
そして扉近くのポラードの上でフードを深くかぶった彼の前に立つと、おもむろに顔を覗き込む。
自らの存在を悟らせたこと、相手に接近という選択肢を取らせたことにナオモは、己の思案を呪ったが、その感情も目の前の敵意に塗りつぶされて恐怖へと成り果てた。
「ねぇ、
多稲が自らの黒い目を、ナオモに捉えさせるまで、顔に迫ることを止めなかったためである。
多稲はフードの中から自分を伺う狂人に対して警告と恐怖を植え付けた。
距離にすれば十㎝。しかし見つめあう彼らの間に走るのは、友好的な感情や愛のどれからも離れた黒い毒だけだった。
「フード被ってても分かるよ。元気だった?四肢の調子は?」
ナオモの目の前から発せられる柔らかい言葉と吐息の中には、排斥の含意が込められていた。
その発言から建前と内心の差異を感じ取った彼は、押し黙らせ漏れ出ないようにしていた動揺と恐怖を、自尊心を用いてたちどころに攻撃的感情と悪意に変えた。
両者は互いに互いを限りなく害したかった。相手を理解のできない獣のような存在としか考えていない。
二人には、相互理解の余地と空白はない。ナオモは人差し指の腹に爪の跡を刻んだ。
威圧と敵意をはらんだ二人で構成された異様な光景。
しかし周囲を魅入らせるように、服を緩めるように誘惑し、辺りの視線を集めていく。
「僕ら話あるからさ、先コンビニ…。あ、パっちゃんのとこにいて。」
空気に取り込まれ身動きの取れない友人に対して、ナオモは柔らかく告げた。
「…え、あぁ、うん…。」
長年使われていなかった発電機が起動するような動きと息遣い。昭也はナオモの方を何度か振り返りながらも喫煙所まで駆けていく。
それから空にくゆる煙を遮蔽物のように扱う昭也とハチ。彼らをチラリと見ると、狂人狩りは口を開いた。
「へぇ、
「ぼちぼちですね。」
ナオモは目を少し細め、ハイライトが消えてみえるようにしてみせた。威嚇を兼ねた小さな反抗。
しかし多稲はナオモの睨みを意にも介さない。それから彼女は、ナオモの後ろに回り込むと肩に手を乗せて、耳に口を近づけた。
「異名で呼んでごめんね。あ、まだアレやってるの?
日常会話を装った尋問に対して、ナオモの胸中はあらゆる喧騒で逆巻く。口を小さく結び、内面が表層に露出しないよう静止を強いた。
しかしその反応に苛立った多稲は詰問にさらに毒を交えることになる。
「くだらない。あんまり調子に乗らないほうが良いよ。【銃】持ちは皆知ってるからね。アンタがしてること。」
ナオモの肩から手が離れた。
不条理な行動に対する不合理な行動。
ナオモから少しずつ離れながらも、意識は常に彼を刺すように向けている。
「あの女のコバンザメしてたから、莫迦が感染ったのかな?」
配慮の含みすらないストレートな暴言をナオモに吐くと、彼女はナオモの前に立った。
「………。」
無言で自らを睨みつけるナオモに対して、多稲は続ける。
「どうしてあんなことをするの?さっきのあの子にも【銃】を向けたことはある?」
彼女の追及は止まらない。正義を兼ね備えた私的な規範は、免罪符を得て彼を追い詰める。
「あのさ、あんなことに意味なんてないよ。アンタはただの二番煎じで…。」
ナオモは目の前に迫る、及びもつかない相手へ怒りと憎悪を抱いた。
そして今まで犯したタブーへの負い目。犯罪まがいの行為への自覚と自責。
自分と目の前の女性へ向けたありとあらゆる悪感情が皮膚の下で蠢いていた。
ただ彼は尚も、苦痛で地面を這いそうになりながらも姿勢を崩すことはなかった。
その数秒、罪から目を逸らし、彼女を睨みつけていた。
「救いようのないクズの犯ざ…。」
多稲の通告は、横顔に迫る鋭い舌によって中断された。彼女は一歩後ろに下がり、自らの顔をかすめんとした舌の出所を捉える。
コンビニ上部のアパートスペース。手すりの上に六足で立つ奇妙な獣。
そこに佇むのはナオモの所有する愛玩、チーちゃんだった。
「へぇ…。」
狂人狩りが小さく嗤う。