「ではアキラ様。ルミナスクエアのホテルの一室を確保しているので・・・・・・存分に、羽を伸ばして頂くのは如何でしょう」
「いや悪いよ・・・・・・僕今、そこまで持ち合わせが無いし」
「いえ。貴方様へ、ひとりの友人として。日々の感謝の形ということで」
「それこそ余計に悪いって・・・・・・」
一向に引き下がってくれないライカンさんと、そんな問答を繰り返すこと数分。僕のポケットに入った端末が震える。恐らく誰かしらからの着信であろう長いバイブレーションは、何故か僕の胸の内側から焦燥感────嫌な予感を引っ張り出す。
画面には『リン』の二文字。何故か震える指先で、応答ボタンを押した。
『も、もしもしアキラくん!? ほ、ホントに繋がった────』
そしてこういった、嫌な予感というのは往々にして良く当たるモノで。
電話口の向こうからは、柚葉の酷く焦った声が聞こえてきた。
『い、今リュシアちゃんとリンちゃんとラマニアンに居るんだけど、リンちゃんが! リンちゃんが・・・・・・』
「落ち着いて。ゆっくり、ゆっくり状況を説明して欲しい」
とはいえ、僕自身も焦る気持ちはある。多分、Fairyが気を利かせてリンの端末を通して、僕に連絡を寄越させたんだろう。柚葉のこの取り乱し様からして、多分笑い話では済まない何かが起きている。
『リンちゃん・・・・・・リンちゃんがおかしいの』
「リンが?」
『そう、なんか・・・・・・う、薄いホロウの膜みたいなモノに覆われて、眠ったまま・・・・・・起きなくて・・・・・・!!』
恐らく声が漏れていたわけでは無い。けれど、僕の血相から全てを察したのだろう。ライカンさんが何処かに電話をかける背中を見やりながら、柚葉の声が遠のいていくのを感じた。
そこからのことはよく覚えていない。ライカンさんに連れられる形で、何かしらの方法で衛非地区に来て。そのままの足で、僕はラマニアンホロウへ向かった。
「Fairy、リン達の位置は」
『はい、マスター。三名の位置は記録済みです。最短ルートを算出します』
「頼んだ」
ライカンさんの前を行きそうになるのを咎められながら。自然と、足は早く。其処彼処から湧いてくるエーテリアスすら気にせず、足を進めていく。
戦闘音が酷く遠い。自分の思考と意識が、現実以外の何処かに居るようだった。
ああ、そうだ。最後にちゃんと眠ったのも、二日か三日くらい前になる。こうなるのも当然かもしれない。
「アキラ様」
「どうかした、ライカンさん?」
「無理を承知で言わせて頂きますが。少し、休んだ方がよろしいかと」
「そうも言ってられないよ」
リンが危ない。リンが、リンが。最後に交わした会話が喧嘩だなんて。それ以上に、それ以上に────、
「リンを失ったら、僕には何も残らない」
「・・・・・・、・・・・・・」
僕の横顔を赤い隻眼が見つめる気配がする。静かに息を呑み、鼻から短く吐き出す音がする。
言葉の通り、多分僕がこう言うことを理解しての提案だったのだろう。大丈夫、まだまっすぐ歩ける。前は見えてる。だから、まだもう少し動けるから。
そんな思考を口にする余裕すらないけれど。前へ、前へ。地図に指し示された裂け目を抜けて、辿り着いたのは一面の花畑だった。
視界の中心。花畑の真ん中で、焦ったように辺りを見回す柚葉とリュシアが目に入る。
「あ、アキラくん────!」
「ごめんね、遅くなった」
居ても立っても居られず、思わず駆け寄る。二人が囲んだその中心に、リンは居た。
「────これは」
見たことがない症状。本当に、柚葉の言っていた通りだった。
自然に眠っているように。静かに寝息を立てながら、羽織った僕の上着の袖を握りしめていて。それでいて、リンの身体は薄いホロウの膜に覆われている。独特な脈動するその膜は、ホロウのソレとしか形容出来ず。いくら声をかけた所でリンは反応を示さない。
「何か変わったことは?」
「い、いや・・・・・・柚葉たちは、その。並行世界に通じる扉? を探していたら。こんな調子で」
「並行世界・・・・・・?」
リュシアの端末が僕へ向けられる。そこに開かれていたのは一件の書き込みだった。
柚葉の言う通り並行世界へ続く扉、という記述がある。添えられているのはここの座標。信じがたい話ではあるけれど、ホロウで不可思議現象が起こるのはいつものことだ。
「じゃあ、なんだ?」
信じ難い話ではあるけれど。
「リンは、並行世界にでも意識だけ飛ばされた、とでも言うのか?」
じゃあ、僕には何が────何が、出来るんだ?
◇◆◇
「ゔ、ぁ、づ────ふ、」
頭が痛い。目が熱い。思考がグラグラと煮えているみたいだった。
前も後ろも上も下もわからないような感覚。けれど、私の試みは成功してくれたらしい。
「これ、これで────これなら、多分。二日くらいは」
ソフトウェアのアップデートは専門外。けど、ハードウェアの強制アップデートはできないことないんじゃないか、と。
件のアップデートで、内部にどういう現象が起こるかは知ってる。だから水晶体の回線を無理やり繋ぎ変えて、
「で、も、キツいなあ・・・・・・これ」
適当観に入る前。元の世界でアップデートした時にあった体調不良────その倍近くのものが、私の身体に押し寄せてきてる。
鏡越しに見た私の目は真っ赤で、血の涙でも流してしまいそうな程だった。
「でも弱音吐いてる暇ない」
何しろこの現状は、私にとってわからないことだらけなのだ。
永遠に続くものなのか。時間制限がくれば元の世界に戻れるのか。はたまた、長く居続けてしまえば、出入り口の類が狭くなって通れなくなってしまうモノなのか。
わからないからこそ動かなくちゃいけない。私のこの目の強制アップデートも、感覚的に長く続くものじゃないだろう。だから、動かなくちゃ。ホロウに入れなくなる前に。衛非地区に着いたら着いたで、考えなくちゃいけないことは山ほどある。
社用車の鍵は案外簡単に見つかった。私たちの世界と同じ、鍵をすぐにどっかにやっちゃうお兄ちゃんと決めた場所。
「あれ、すぐどっかにやってたのは私の方だったっけな」
そんな記憶すら朧げだ。けれど、それほど昔の話。すごく前の、色褪せていった思い出のひとカケラ。
・・・・・・こっちの私にとっては忘れたくないお兄ちゃんとの思い出なのかもしれない。一切手をつけていないのか、鍵にも────その周辺にも、埃が目に見えるほど積もってしまっていた。
「じゃあ、借りるね。リン」
裏口から店を出る。社用車は私の記憶と違わず止まっていて。運転席の扉は、開いた時に少し不安になるような軋む音がしたけれど。燃料も残っていたし、問題なくエンジンは点火した。
意識がグラつく。今から運転するんだぞ〜私。気合い入れろ。
ポート・エルピスまで車を走らせれば、衛非地区までの船が出ていたはず。端末で時間を確認したけど、記憶にある便には余裕で間に合う。・・・・・・はず。
不確定要素ばかりの旅。だけど、特に問題もなく船に車を乗り付けた。
体調不良の中の船旅は、控えめに言っても地獄だった。
吐き気と眩暈と戦って。何度か意識を手放して、船員の人に心配の声をかけられる形で、私は衛非地区にたどり着く。
いつも車を停めている場所。切符切られませんよーに、なんて願いを込めながら車を停めて外に出れば、見慣れた景色ではあるけれど────思いの他、騒々しい。
ラマニアンホロウへ向かう、ロープウェイの周りに出来ている人だかり。その中心へと視線を向ければ、治安官の人たちが必死に周りの人達を宥めているのが見えた。
「なん・・・・・・え、何?」
しくじった。何か問題が起きているらしい。来る前にちゃんと調べておくべきだった。
いやあ、とはいえ私のスマートフォン、止まっちゃってるみたいだからなあ・・・・・・調べようとした所で、か。
思考がぐるぐる回って落ち着かない。このままラマニアンに入るなら、ロープウェイを使うか・・・・・・船を借りるか、泳ぐか。後ろの二つはあまりにも現実的じゃないし、ロープウェイもこの感じだと使えないだろう。
・・・・・・でも。この混乱に乗じて、ロープウェイに乗り込んで動かしてしまえば、或いは。
知能水晶体を起動して、ロープウェイの構造を探る。これならどうにか・・・・・・乗り込むのと同時に、起動くらいはできるかも。いや、わかんない。どうだろう。一か八か、かな。
押し戻されそうになりながら、人混みを掻き分けて進む。まともに食べていなくてヒョロヒョロの身体は、あまりにもこの場で弱すぎた。
息が切れる。人混みに埋もれる。グラつく視界を何とか抑えながら、ようやくロープウェイの扉に手をかけた。
────よし、これで。
マークしておいた発車ボタンの回路をオンにする。エンジン音が辺りに響き、扉が開こうとした所で、
「待ちなさい」
私の肩を跳ねさせるには十分すぎるくらいに冷たい声と、手首を力強く掴む掌が。私の全てを、邪魔した。
「・・・・・・そこの貴女。何をしているんですか? 誰か、ロープウェイの停止を」
甘かった。何もかもが。言い訳は幾らでも出来る。熱された思考だとか、グラつく視界だとか。全部が全部正常に動いていない中で、思いついたままに軽率に行動なんてするべきじゃなかったんだ。
だから、だからこんな所で、私は。一番見つかりたくない人に。
「・・・・・・、・・・・・・
「・・・・・・? 何処かでお会いしましたか? あまり見かけない顔ですが」
知ってる。この人だって私のことを知らない。わかっていたから、極力知り合いに出くわしたく無かったのに。
ああ、胸が痛い。また涙腺が緩んで、視界が滲む感覚がある。
・・・・・・心が折れそう。それでも泣いてたまるかと、唇を強く噛み締めた。
「ラマニアンホロウは危険な状態です」
「・・・・・・ごめん、朱鳶さん。今すぐ私はラマニアンに入らなきゃいけないの」
「そもそも、許可なく一般人がホロウに立ち入ること自体禁止されています。知らないとは言わせませんよ」
「わた、私は────ッ!」
一般人じゃない。私はプロキシだ。それも、パエトーンと呼ばれてる・・・・・・そこらじゃ、有名なプロキシなのに。
ホロウの中に入れば敵無し。出来ないことなんて何もないくらいに。目的地への最短ルートだって幾らでも出せるし、私は────私は。
「私は・・・・・・」
でもこの人は。この朱鳶さんは、私の何もかもを知らない。
それに、私ひとりじゃパエトーンにはなれない。こちら側に来て、何度も胸と脳裏をよぎった言葉。兄妹二人揃って、初めてパエトーンなのだ。
鼻高々に『伝説』と名乗るには、今の私には色々と足らなすぎる。
言葉を燻らせ、喉奥に嗚咽を詰まらせる私を焦ったように見つめる朱鳶さんが視界の隅に映った。
どうにか・・・・・・どうにかしないと。どうにかしないといけない。早く、早くラマニアンに入らなくちゃ。何もかもが間に合わなくなってしまうかもしれない。
必死に回る私の思考。その中で記憶の引き出しを開いて、真っ先に引っ掴んだ朱鳶さんとの思い出。
朱鳶さんの両手を掴んで。そのまま真っ直ぐ、両目を見つめる。
「お願い────お願い、朱鳶さん」
「────、────」
「私、今すぐラマニアンに入らなくちゃいけないの。詳しくは言えないけど、協力してほしい! その為なら、お兄ちゃんの今後の運────」
目の奥が痛む。足元がフラつく。ばち、と視界に火花が散るような感覚があって。その一瞬で、朱鳶さんの表情が戸惑いから、
「・・・・・・貴女、それをいったい何処で?」
「ッ、・・・・・・」
酷く、冷たいものに変わった。
また、また選択を間違えた。咄嗟に選んだ選択で良くない方向へと転がっていく感覚がある。
ごろ、ぐら、と音を立てて何処か低い位置へと落ちていく。敢えて表現するんなら、ドン底ってやつかもしれない。
・・・・・・そうか、そっか。これは親しい人にやられるからこそ効く術。知らない人からされたら、そりゃあ・・・・・・はは、そういう反応にもなる、よね。
「・・・・・・事情は分かりません。言いたくないのであれば聞きません。ですが、後のことは治安官に────」
頭上で次々言葉を並べる朱鳶さん。その続きは、私の頭の中には入って来てくれなかった。
両手が震える。終わりを悟る。ああ、どうしよう。このまま治安局に保護とかされるのが一番まずいか。私の今の格好、だいぶアレだもんな。
いっそ逃げるか。逃げて、イチから考え直して────、
「・・・・・・どうかしましたか? ヤケに騒がしいですね」
咄嗟に逃げ出そうと翻した途端。また、聞き覚えのある声と、見覚えのある姿が。私の行手を阻んだ。
「ああいえ、この子が・・・・・・ラマニアンホロウに入りたい、と」
「────ああ、なるほど」
私の顔を特徴的なバイザーが覗き込む。唯一露出した口元が、私に柔らかな笑みを向けて来た。
「ダメじゃないですか、プロキシさん。治安官を困らせてしまっては」
「────、へ?」
「申し訳ありません、朱鳶治安官。この子は我々オボルスが雇ったプロキシなんです・・・・・・もう、逸る気持ちはわかりますが、勝手な行動は私も困ってしまいますよ」
「・・・・・・『トリガー』?」
その子は、私の手を取って何処かへと歩き出す。
私は事の全てを、飲み込めないまま。