手を取られ、引きずられるように歩いていく。ロープウェイの駅周辺から、人混みを避けるように。
「・・・・・・さ、着きましたよ」
私の記憶より遥かに寂れ、古びれた
新エリー都防衛軍のエンブレムが描かれた仮設テント。その中を塞ぎ隠す幕を手の甲で押し上げ、『トリガー』は中へと入って行く。
・・・・・・私もこんな所に突っ立っているわけにもいかない。グラつく視界に額を抑えながら中へと足を踏み入れれば、そこには彼女以外誰も居なかった。
そこに居るのは私と『トリガー』だけ。ラマニアン内部のエーテル指数を計測しているであろう機器があちこちで奏でる電子音と、遠くから聞こえてくる慌ただしい治安官と衛非地区の人々の声。それから、私と『トリガー』が立てる小さな呼吸音がこの場の全てだった。
「・・・・・・久しぶりですね、リン」
「・・・・・・ぇ、ぁ」
「あら、私のことを忘れてしまいましたか? 自分で言うのはなんですが、なかなか忘れづらい顔をしていると思うんですけど」
特にこれ、なんて。『トリガー』は指先で自身のバイザーを指さしながら、薄い笑みを浮かべる。言い終えた後で恥ずかしくなったのか、バイザーのランプが桃色に点灯したのが見てとれた。
「・・・・・・忘れるわけないよ。そっか、アンタも」
「────?」
ニコは私のことを知っていた。なら、もっと前に出会った『トリガー』だって、私のことを知っていてもおかしくない。
この世界に迷い込んでしまった困惑やらで、そこまで思考が行き着いてくれなかった。どうにか防衛軍に取り次げれば最初からもう少し上手く行ったかもしれないのに。
諸々の行動を起こした今、後悔したところでもう遅い。軽率な行動、軽率な思考。綱渡りじみたそれらの後で、結果的にこうして助けられている現状にため息が漏れてしまう。
頭が痛い。目の奥が常に発熱している感覚。知能水晶体の強制アップデートの影響も多分あるんだろう。思考が纏まらなくて頭の中がぐちゃぐちゃだ。
「・・・・・・久しぶりだね、『トリガー』」
「ええ、お久しぶりです。元気そう・・・・・・とは言えないですが。またこうして、生きて貴女に出会えて良かった」
あくまでも『こちら側』の私を演じることしか出来ない。多分、こっちの私はシルバー小隊の一件は経験していない────だから、こうして会うのは随分と久しいはずだ。
だったらもっと声に喜色を乗せても良かったかもしれない。けど今の私にはそんな余裕はなかった。まあ、かえって〝それらしかった〟かも知れないけれど。
「なかなか外でも貴女を見かけないものですから。どうして居るのかと、心配していたんですよ? メッセージを送ろうにも連絡先を知りませんし。いつしかインターノットでも、貴女たちの名前も、見なくなって」
思わず俯いた。私の知らない、私の話。どう受け答えして良いのかわからなくて。そもそも、頭が回っていない。
「・・・・・・心配、していたんです。けれど私には、アキラを失った貴女にかける言葉が見つからなくて」
言葉が出てくれない。
「臆病なんです、私。寄り添うことは出来たはずなのに。同じ傷を持つ、私だからこそ」
「────めて、」
呼吸が、浅くなって行く。口が、勝手に動いてしまう。
「────やめて」
こちら側の私の皮をかぶることすら忘れて。口から漏れ出たその言葉は、ひどく震えていた。
「・・・・・・それは、それは。私への言葉じゃ、ない」
酷く痛かった。甘やかな優しさが染み渡るたび、傷口に塩を塗られているような感覚もあった。
だって。それは、今の私への言葉じゃない。その甘い言葉は、声音は。本来私に向けられるものではないから。
身体が揺れる。何かが、私の身体にぶつかる気配がある。遅れて、そこでようやく、『トリガー』に柔く抱きしめられているのだと。頭が理解した。
「・・・・・・やめて、ってば」
「やめません」
自分が自覚していなかった限界。知っているようで知らない世界。知っているようで、知らない顔。常に熱を持つこの瞳と思考。それら全てが遅効性の毒のように、私の心を蝕んでいた。
枷が外れたように涙が漏れ出す。優しさが痛い。それでも、それでも荒んだ心に染み渡って。暖かくて。吐き出す息が震えて。涙で潤んだ視界は、もう全く────なにも映してはくれなかった。
「・・・・・・私には、今のリンが何を言っているのか、何を思っているのかわかりません。けれど、貴女が酷く焦ったように────再びひとりで立ち上がり、何かを成そうとしていることはわかります」
耳元で囁くような優しい声。包み込むみたいな手つき。その掌が背中を撫でる度、胸の中から何かが抜けて行く。
「全部、私に話してくれませんか? ・・・・・・今度は、私が貴女に協力する番です」
「・・・・・・・・・・・・っ、」
もう、限界だった。ダメだった。
いつだって辛い時は側にお兄ちゃんがいてくれた。いつだって辛いことを思い出した時は、お兄ちゃんが隣で笑ってくれた。
私はいつだってひとりじゃ立ち上がれなかった。お兄ちゃんが居たから、
だと言うのにたった一度の喧嘩で。たった一度の言い合いで。そのお兄ちゃんが居ない世界に、ほんの少しでも思いを馳せてしまって。
私は、私ひとりじゃこんなにも弱かったんだ。
他者に向けられたはずの、ほんの少し見当違いな甘い言葉ですら、救われてしまうくらいに。そんな自分が少し許せなかったけれど。
「私、私ね────」
そこからのことはよく覚えていない。子供みたいに泣きじゃくる私を、整理されていない言葉を並べる私を、『トリガー』は優しく抱きしめたまま話を最後まで聞いてくれた。
ひと通り話を聞き終えた彼女は私の身体から少し離れると。バイザー越しに、私にまっすぐな視線を向けてくる。
「・・・・・・なるほど。大変ですね、それは」
「し、信じるの?」
「? まあ、はい。信じます」
自分で言うのはアレだけど、なかなか荒唐無稽な話というか・・・・・・まるで映画の設定でも引っ張ってきたような話なんだけども。それでも『トリガー』は、まるで私の方がおかしいことを言っているかのように。小さく首を傾げた。
「私たちが常に相手しているホロウは、そういう摩訶不思議が起こってもおかしくない場所です。貴女もよく知っているでしょう? ・・・・・・それに、貴女はこういう時に嘘をつかない人。私の記憶は間違っていますか?」
もう全て出し切ったと思っていた涙が、目の奥で滲む感覚がした。・・・・・・いけない。状況が確かに好転し始めている今、また泣きじゃくって話の腰を折るわけにはいかないんだ。
湧き上がった涙を押しこらえるように、大きく呼吸を繰り返す私の背中を撫でながら。『トリガー』は言葉を続けた。
「元いた世界に帰る。その為に、キッカケとなった場所へ向かう────まあそうですね。それは悪くないと思います。けど、問題が二つあるんですよね」
「問題が、二つ?」
私の背中から右手を離して。『トリガー』は人差し指を立てながら、
「はい。まずひとつ目は『治安官の目』ですね。これは私が貴女を『オボルスが雇ったプロキシ』と説明したことで何とかなるでしょう。何事もなく、ラマニアンに入れると思います。朱鳶治安官に捕らわれていた貴女を助ける為に咄嗟についた嘘ですが、あの時の判断は間違っていませんでしたね」
「うぅ・・・・・・ありがとう、助かるよ〜・・・・・・」
「ふふ。まあそれに、おそらくここから協力してくれるのは私だけではないと思います」
天井に向けられていた『トリガー』の人差し指は、ゆっくりと出入り口の幕へと向けられる。それを追いかけるように私の視線が出入り口へと向いたところで、
「ほら。盗み聞きは趣味悪いですよ?」
「・・・・・・ぁ。朱鳶さん」
居心地が悪そうに、口元を歪めながら朱鳶さんは幕を退けて仮設テントへ入ってくる。それからほんの少しだけ視線を泳がせた後で、『トリガー』から離れた私へと真っ直ぐに向き合ってくれた。
「・・・・・・最後まで盗み聞きするつもりはなかったんです。ごめんなさい」
「いや、それは別に。聞かれて困る話では無いしね」
別に聞かれても困りはしない。ただ、聞かれて私が恥をかくだけ。誰も彼もが信じてくれるような話ではない。ただそれだけの話。
ほんの少しの沈黙がある。何かを言い淀んでいるような朱鳶さんの間。何か言葉にしようとしているのがわかっているから、私はほんの少しだけ居心地が悪かった。
「・・・・・・貴女が言っていたこと。私も信じます」
「え。し、信じてくれるの?」
「はい。まだ半信半疑ではありますが」
朱鳶さんが私の両手を握る。少し前に、私が彼女にそうしたように。
「両手を握って、目を真っ直ぐに見つめて頼まれると弱い。私の両親が、友人に良くする話なんです。初対面のはずの貴女が、私の〝ソレ〟を知っているのには違和感がありましたから。何度か雑誌のインタビューを受けたりしましたけど、そこで話した記憶もありません」
「・・・・・・あ、」
「そちらの私と貴女は、そこまでの友人関係だった。そう考えれば、納得はできます」
・・・・・・よかった。よかっ、た。あの時私がとった全ての行動が間違いではなかったんだ。
ただの結果論ではあるけれど。真っ直ぐに向けられた朱鳶さんの視線が暖かい。
ようやく、こうして私に協力してくれる相手が出来たんだ。それも、こんなに心強い相手が二人も。
また涙が漏れ出てしまう。朱鳶さんは小さく微笑むと、私の目元の涙を拭って。それから、『トリガー』へと話の水を向けた。
「治安官の目、はこの通り問題ありません。『トリガー』さん、もうひとつの問題というのは、例のエーテリアスですか?」
「ええ。ラマニアンの中に入る、ということは・・・・・・リンは、彼に対峙しなければいけない、ということです」
「・・・・・・彼?」
言いながら、『トリガー』はテントの液晶画面を操作する。そこに映し出されたのは、一体のエーテリアスだった。
細長い四肢を持つ人型のエーテリアス。デュラハンやタナトスが近いだろうか。頭部に位置するコアは淡い青色に発色していて、何処か私の持つ知能水晶体を彷彿とさせる。
「突如現れたエーテリアス。ホロウの中を彷徨い、彼は決して人を襲うことをせず。寧ろ、ホロウ内部に迷い込んだ市民やホロウレイダーを、出入り口まで導いた報告まで上がっています」
「────、────」
「数々の裂け目を通り、瞬間移動とまで言えるような移動法を有し。最近では、各地のホロウを跨いで目撃されている────未知の塊のような、要警戒エーテリアス」
そこまで話した『トリガー』が口を噤む。バイザーが放つ青色の光は、どういう感情を示しているのか。それは、私にはわからなかったけれど。
「同時期に名前を聞かなくなったプロキシから名を取り、以上の事例から彼は『要警戒エーテリアス・パエトーン』とされました」
次いで放たれた言葉を、私はすぐに飲み込むことができなくて。
「────そして彼が出現した時期は、この世界で貴女の兄が亡くなってしまった時期と一致しています」
それでも、この世界に来て初めに擦りむいた、手のひらの傷の痛みが。その言葉の全てを、現実だと主張している。
「彼は、この世界の貴女の兄・・・・・・アキラです。それが今、ラマニアンに出没しています」