有明のハーロック   作:星乃 望夢

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有明のハーロック
第1話


 

俺は今、人生で最も無謀な賭けに出ようとしていた。

 

俺は昔から他人との付き合いが不器用だった。

 

話すのが苦手だった。

 

それでイジメられたこともある。

 

社会人になってもそれは変わる事はなかった。

 

怒られて、鈍臭いと言われ、他人の3倍必死に頑張ってようやく人並みかそれ以下だ。

 

そんな毎日無理を続けて過ごしていれば心も悲鳴を上げて壊れるのは必定だった。

 

医師からは鬱病と元来自閉症だったという診断を受けた。

 

つまり俺自身が今まで苦しんで来たのは、俺自身が元々病気だったのを無理して普通に見せていたからだった。

 

仕事をやめて、病院への通院の日々は、ストレスがなくとも何のために生きているのか分からなくて、漠然としない不安が日常を灰色に染めていた。

 

そんな中でも少しでも社会復帰の足掛かりになればと副業サイトに申し込んだら、まさかの詐欺企業を引き当ててしまって、ローンを背負ってしまうという、仕事をしていない人間からするとどうしようもない袋小路に立ってしまった。

 

もう、どうしようもない中で、最後にやりたいと思った事は、コミケへの参加だった。

 

一から絵を描いて練習して、そしてやってみたかったASMRも録ってみた。

 

我ながら似合わないカッコ良すぎる渋いセリフも多分に入っているのは、そのASMRのイメージ元のキャラクターがそうであるからだった。

 

「宇宙海賊とあなた」

 

自由の為に生きて、自由の為に戦う、自由の旗を掲げる宇宙海賊。

 

そんな宇宙海賊の隣に居るのは、友か、誰なのか。

 

それはそれはご想像にお任せしよう。

 

同人誌の表紙は必死に練習した松本零士タッチのキャプテンハーロック。

 

もうASMRの宇宙海賊が誰なのかそれでネタバレになっているが、本の内容は「あなた」から見たキャプテンハーロックと共に星の海を往く物語。

 

ASMRのCDとセットでより物語への深みの増す内容にしてある。

 

どちらも価格設定は500円で、コミケ初参加なら10部ずつが良いらしい。

 

合わせて20部、全部捌けたら俺は神様を──いや、俺の心の中に居るキャプテンハーロックを信じる。

 

場所は西の隅っこの隅っこ。

 

他のサークルがVTuberや今期話題の覇権アニメのキャラクター物を取り扱い、そのサークル旗も色とりどりの中。

 

俺の机には気高く誇り高に置かれたダイキャストモデルのアルカディア号と、サークル旗は黒地に白の髑髏。

 

アルカディア号が無ければ何のサークルか分からない。

 

昔から癖っ毛だったからハーロックのあの髪型を再現するのは難しくない。

 

あの黒い服に裏地が赤のマントを羽織り、腰には重力サーベルと戦士の銃。

 

そしてアイパッチを着ければ、そこにはキャプテンハーロックが居る。

 

更衣室で着替え、ブーツもハーロックの物だから歩く度にあの独特の金属音が鳴る。

 

33歳という自分の年齢からすると低すぎる声。

 

小学校の頃に声変わりをしてからその声だ。

 

この声で余計にジジイみたいなとか、オッサンみたいな声とイジメられたこともある。

 

そんな声に悔し涙を流した事は一度や二度ではない。

 

低すぎる声が聞こえにくいのか、もっとハキハキ喋れと会社では怒られてばかりだったな。

 

そんな過去を記憶の彼方へ忘却する。

 

今の俺は宇宙海賊キャプテンハーロックだ。

 

つまらない過去に未練はない。

 

このコミックマーケットという星の海に、自由の旗を掲げて立つ。

 

それが今日の俺の、海賊のやり方だ!

 

 

◇◇◇

 

 

会場の熱気は凄まじい。周囲を見渡せば、極彩色のアニメキャラクターや、モニターの中で愛想を振りまくVTuberたちの煌びやかなポスターが視界を埋め尽くしている。

 

その中で、そこだけが「夜」のように静かで、重い。

 

西の隅の隅。あてがわれた長机には、漆黒のテーブルクロス。

 

その上には、魂を込めて磨き上げたダイキャストモデルのアルカディア号が鎮座し、鈍い金属の光を放っている。背後には、黒地に白く染め抜かれた髑髏の旗。

 

「今流行りの萌え」も「映え」もない。

 

あるのは、「俺は俺の旗の下に生きる」という、強烈な意思表示だけだ。

 

パイプ椅子に浅く腰掛け、アイパッチ越しの隻眼で、ただ前を見据えている。

 

黒い重厚な衣装。裏地の深紅が、ふとした動作で鮮烈に翻る。

 

癖っ毛は、今は宇宙の風に吹かれたような荒々しいハーロックの髪そのものとして、顔にかかっている。

 

通路を行き交う人々は、その異質な「黒」に気づき、一瞬視線を向ける。

 

だが、誰も近づこうとはしない。

 

その孤独が、かつての自分なら胸を締め付ける痛みになっていただろう。

 

しかし今は違う。「孤独」は海賊の友だ。

 

その時、一人の男性がふと足を止めた。

 

少し年季の入ったジャケットを着た、同年代か少し上くらいの男だ。

 

彼の視線が、机上のアルカディア号に吸い寄せられ、そして俺の顔──アイパッチと傷跡──へと移る。

 

男が恐る恐る、見本誌の『宇宙海賊とあなた』に手を伸ばした。

 

「……乗るのか?」

 

俺が発した言葉は、自分でも驚くほど低く、太く、よく響いた。

 

かつて「鈍臭い」「もっとハキハキ喋れ」と罵られた、低すぎる声。

 

しかし今、マントの襟を震わせて出たその音は、紛れもなくキャプテンハーロックの重低音だった。

 

男の肩がビクリと震える。

 

怒られると思ったのか、怯えたのか。

 

違う。男は目を見開き、そして──少年のように目を輝かせた。

 

「すごい……本物みたいだ」

 

その言葉は、俺の過去の全てを肯定した。

 

不器用さも、頑なさも、社会に馴染めなかったその「重さ」さえも、このキャラクターを演じるための燃料だったのだと。

 

「……500円だ。ASMRもある。俺と共に星の海を行く覚悟があるなら、連れて行ってやる」

 

俺はあくまで不敵に、演じ続ける。

 

男は震える手で財布を開き、500円玉を2枚、机に置いた。

 

そして、同人誌とCDのセットを、まるで宝物のように両手で受け取る。

 

「ありがとうございます……! 探してました、こういう硬派なのを!」

 

男が去り際、俺に向かって敬礼をした。

 

俺もまた、無言のまま、ゆっくりと二本指を額にかざして答える。

 

ブーツを鳴らし、立ち上がる。

 

カシャン、カシャン…。

 

かつての更衣室で聞いた、あの金属音が心地よいリズムを刻む。

 

借金も、病気も、明日の不安も消えたわけではない。

 

けれど今、この瞬間。

 

西ホールの隅っこに掲げた髑髏の旗の下で、俺は社会の歯車ではなく、自由の旗を掲げる一人の男として立っている。

 

全部で20部。

 

完売への道のりはまだ遠いかもしれない。

 

だが、最初の一人が、俺の「声」を聞いてくれた。

 

アイパッチの下、俺の瞳は、有明の天井の向こうにある「自由の星の海」を確かに捉えていた。

 

 

◇◇◇

 

 

鈍臭い、ハキハキ喋れ、もっと声を出せ。

 

そんな一般社会の常識は、俺の船には必要なかった。

 

昭和の男たちが描いた宇宙海賊。

 

そのアウトローの流儀が、自由の旗のもとでなら、俺はこのアルカディア号の船長として振る舞えていた。

 

いや、振る舞っているのではない。

 

今日、この西の隅の果ての島が、俺の舟の艦橋だ。

 

その自分の城で船長として振る舞うバカが何処に居る。

 

俺が、今この瞬間、この艦橋に立つキャプテンハーロックだ。

 

言葉少なく、或いは急ぐことなく一言一言を紡ぐ言葉には、キャプテンハーロックの重みを乗せていく。

 

こう見えて、30年近く、星の海を往く男の背中に青春の日を憧れた人間だ。

 

意識せずともキャプテンハーロックとして、俺はこの場に在る。

 

「お前が気に入ったなら、この船に乗れ。いつか失くした夢が、ここにだけ生きている」

 

俺は迷う客人に、キャプテンとして声を掛けていった。

 

 

◇◇◇

 

 

西ホールの喧騒は最高潮に達している。

 

誰もが早口でまくし立て、列を急かし、欲望と焦燥が渦巻くコンクリートの海。

 

だが、俺の「艦橋」の前だけは、時間の流れが異なっていた。

 

立ち止まったのは、少し疲れの見える、かつての少年──今はくたびれたスーツにダウンジャケットを羽織った男だ。

 

俺の机にある『宇宙海賊とあなた』を手に取り、迷っていた。

 

今の時代に、こんな古風な、泥臭い浪漫が通用するのかと。

 

その迷いを断ち切るように、俺はあの宇宙海賊の詩を言葉に乗せて言い放った。

 

「お前が気に入ったなら、この船に乗れ。いつか失くした夢が、ここにだけ生きている」

 

その声は、耳ではなく、男の丹田(はら)に響いた。

 

男の手が止まる。

 

かつて彼も信じていたはずの「自由」。

 

会社や家庭、日々のしがらみの中で磨耗し、どこかのゴミ箱に捨ててしまったはずの「髑髏の旗」。

 

その隻眼が、低い声が、彼の中に眠っていた残り火をふと蘇らせたのだ。

 

「……乗せて、もらえるんですか。こんな俺でも」

 

男は、客としてではなく、志願兵のような顔つきになった。

 

財布から取り出された500円玉2枚は、単なる硬貨ではない。

 

この船に乗り込むための乗船券だ。

 

俺は無言で頷き、本とCDを差し出す。

 

男はそれを受け取り、深く一礼した。

 

「頑張ってください」というありきたりな言葉ではなく、「ありがとう」という感謝の言葉を残して。

 

男の背中が、来た時よりも少しだけ伸びているように見えた。

 

俺は再び、アルカディア号の艦橋で腕を組む。

 

周囲がどれだけ色とりどりの流行歌を歌おうとも、ここでは松本零士が描いた星の海が広がっている。

 

不器用なままでいい。

 

遅いままでいい。

 

その重さこそが、錨となり、流されるだけの現代人の魂を繋ぎ止めるのだから。

 

 

◇◇◇

 

 

俺は賭けに勝った。

 

いや、少年の日の幻影──憧れや思い出を忘れなかった男たちが俺の船に乗っただけだ。

 

中には年若い青年も居れば、女性も居る。

 

だが、その大半は俺よりも一回り歳上の、かつての少年たちだった。

 

俺というキャプテンと、アルカディア号という家、そして自由の旗のもとに集った友よ。

 

その人生という航海を、今宵は忘れて、共に星の海へと往こう。

 

 

 

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