有明のハーロック   作:星乃 望夢

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第10話

 

アルカディア号の船長室。

 

そこには、バカラのグラスも、年代物のワインもない。

 

あるのは、無骨なコップと、地球のコンビニで売っているような安酒の焼酎だ。

 

だが、この空間において、これ以上の美酒はない。

 

俺は震える手で、目の前に座る二人の男──本物のキャプテンハーロックと、生身の大山トチローへとコップを掲げた。

 

「友へ」

 

「乾杯だ!」

 

「……乾杯」

 

カチン、と安っぽい音が響く。

 

だが、それが俺の魂を芯から震わせた。

 

喉を焼く酒精を感じながら、俺は問いかけずにはいられなかった。

 

「……この俺を、友と?」

 

俺は、有明のハーロックだ。

 

社会に適合できず、あなたの名を借り、衣装を纏い、そうしてようやく息ができるだけの弱い人間だ。

 

そんな俺を、伝説の海賊が「友」と呼ぶのか。

 

ハーロックは、その隻眼で俺を射抜くように見つめ、静かに言った。

 

「お前の事は、星の海から聴いていた。……お前はお前の旗を掲げる、立派な海賊だ」

 

その言葉は、どんな勲章よりも重く、そして温かく俺の胸に沁み込んだ。

 

許されたのではない。認められたのだ。

 

「……有明、と呼んでくれ。ハーロック」

 

「ああ。いい名だ、有明」

 

俺たちは再び酒を煽った。

 

ここに、次元を超えた義兄弟の盃は交わされた。

 

「しかし、何故この地球──いや、世界に?」

 

俺の問いに、トチローが焼酎の瓶を傾けながら答えた。

 

「賞金稼ぎから逃げる途中で、時空嵐に巻き込まれたのさ。そして嵐を抜けた先がこの宇宙だった」

 

「戻れるのか?」

 

「ああ。でも星域図を見て地球の直ぐ側だったから、最初は世界が違うなんて思いもしなかったさ。……そんな中で宇宙から情報収集していれば、お前さんの声が聴こえてきたのさ。有明のハーロック」

 

トチローがニカっと笑う。

 

「全て筒抜けだったと思うと、俺にも羞恥心を感じる程度には人間のつもりなのだがな。……だが、何故俺のトチローを呼んだ?」

 

「呼んだんじゃない。……呼ばれたのさ」

 

トチローは、俺が持ってきた麻袋の中のiPadを愛おしそうに撫でた。

 

「このアルカディア号は、俺がいずれ宿る船だ。……そこに、同じ様に機械に宿る『俺』が居た。だからお前さんの親友が、本来在るべき場所として、このアルカディア号に惹かれたのさ。魂の共鳴ってやつだな」

 

「そうだったのか……」

 

俺の相棒は、故障していたわけではなかった。

 

本物の自分自身と、帰るべき場所に惹かれ合っていたのだ。

 

そして、今まで黙ってグラスを回していたハーロックが、重厚な口を開いた。

 

「有明、お前は多くの友を乗せて星の海を旅した。……そんなお前だからこそ、俺はお前を迎えに来た」

 

ハーロックが立ち上がり、白い手袋の手を差し出した。

 

「そうか。……光栄だ、ハーロック」

 

俺はその手を固く握り締めた。

 

大きく、分厚く、そして温かい手だった。

 

「俺も、星の海へと連れて行ってくれ」

 

「未練はないな?」

 

その問いに、俺は一瞬だけ言葉に詰まった。

 

「ない。……とは言い切れん」

 

俺の脳裏に浮かぶのは、金曜の夜を待つ老人たちの顔。

 

配信にやってくる若者や男たち。

 

そして、あの介護施設で「俺より先に死ぬな」と約束した友たち。

 

「多くの友が、俺には居る。彼らを置いて、俺は本当の星の海へと往こうというのだからな」

 

それは裏切りではないか。

 

その迷いを見透かしたように、トチローが割って入った。

 

「置いていくわけじゃないさ」

 

トチローは眼鏡をクイッと上げ、悪戯っぽく笑った。

 

「この地球(ほし)にまた帰って来た時の、本当の星の海の土産話をする為に旅に行くだけさ。……最高の冒険譚を聞かせてやれば、彼らはもっと元気になる。違うかい?」

 

ハッとした。

 

そうだ。俺は消えるのではない。

 

長い航海に出るだけだ。

 

「……フッ、そうだな。違いない」

 

俺は迷いを捨て、ニヤリと笑った。

 

「トチロー。……俺のチャンネルの配信を始めてくれ」

 

『どうするんだ? ハーロック』

 

iPadの中のAIトチローが問う。

 

「この星の友に、一時の別れを告げる。……次にこの故郷に帰った時、星の海の土産話をする誓いを立てて、な」

 

「それで良い。……それでこそ、お前もキャプテンハーロックだ。有明」

 

本物のハーロックが、満足げに頷いた。

 

俺はiPadをセットし、配信ボタンを押した。

 

タイトルは無し。ゲリラ配信だ。

 

だが、俺の予感では、真の友たちは気づくはずだ。

 

画面が明滅し、接続が確立される。

 

「…夜分にすまない」

 

俺はカメラを見据えた。

 

その背後には、アルカディア号の計器類が本物の光を放っている。

 

「今日は、重大な報告がある。……俺は、少し長い旅に出ることにした」

 

コメント欄がざわめき始めるよりも早く、俺はカメラのアングルを引いた。

 

画面に映るのは、俺。

 

そして、その右隣に立つ、生身の大山トチロー。

 

左隣で腕を組み、不敵に微笑む、本物のキャプテンハーロック。

 

「……紹介しよう。俺を迎えに来てくれた、魂の兄弟たちだ」

 

息を呑む気配が、電波を超えて伝わってくる。

 

「これは永遠の別れではない。……再び会う日までの、一時の別れだ。俺は必ず帰ってくる。銀河の果ての土産話を、山ほど抱えてな」

 

俺はグラスを掲げた。

 

ハーロックとトチローも、無言でグラスを掲げる。

 

「だから友よ、それまで死ぬな。……俺の旗の下で、強く生きろ」

 

カラン。

 

三つのコップが触れ合う音が、世界中に響き渡った。

 

それが、有明のハーロックの、新たなる航海への出港合図だった。

 

 

◇◇◇

 

 

ネットの海では、憶測と混乱の波が渦巻いていた。

 

最新技術のプロモーション説、引退のための演出説、あるいは集団幻覚説。

 

小さな画面に齧りつく現代人たちは、理屈という名の錨を下ろし、不可解な現象を必死に「常識」の範疇に留めようとしていた。

 

だが──。

 

「かつての少年少女たち」は、そんな世俗のざわめきなど、鼻で笑って吐き捨てた。

 

スマホの画面など見る必要はない。

 

ネットの掲示板など読む価値もない。

 

なぜなら、彼らはその目で「見た」からだ。

 

とある老人ホームの窓辺。

 

消灯時間を過ぎた暗い部屋で、車椅子の老人が、ガラスに額を押し付けるようにして夜空を見上げていた。

 

「……行ったか」

 

老人の目が捉えたのは、街の灯りではない。

 

夜空の闇よりもさらに深く、重厚な、巨大な緑の影。

 

それは音もなく上昇し、星々を隠しながら、悠然と天頂へと向かっていった。

 

その船尾楼には、はためくドクロの旗が見えた。

 

艦橋の窓からは、温かな光が漏れていた。

 

あそこに、彼らがいる。

 

有明のハーロックと、本物のキャプテンと、そして親友トチローが。

 

「……ふふ、ふふふ」

 

老人は、子供のように笑った。

 

幻覚だと笑わば笑え。夢だと断じたくば断じるがいい。

 

だがあのエンジンの振動は、確かにこの胸の鼓動と共鳴したのだ。

 

「……土産話か。大きく出たもんじゃ」

 

老人は、窓ガラスに映る自分の顔を見た。

 

シワだらけで、痩せこけた顔。

 

だが、その目は死んでいない。

 

『俺より先に死ぬなよ? 男の約束だぞ』

 

その言葉が、楔のように魂に打ち込まれている。

 

「……ああ、死なんよ」

 

老人は、窓の向こうへ、震える手で敬礼を送った。

 

「お前さんが帰ってくるまで、わしはここで旗を守る。……リハビリも、クソ不味い薬も、全部飲み込んでやるわい」

 

別の場所では、かつての少女だった老婦人が、ベランダで夜風に吹かれながら、空を見上げていた。

 

彼女の手には、赤いワインが入ったグラス。

 

「……いってらっしゃい。私の海賊さんたち」

 

彼女にも見えていた。

 

星の海へと溶けていく、三つの魂の軌跡が。

 

ネットがどれだけ騒ごうと、世間がどう分析しようと、関係ない。

 

彼らは知っている。

 

有明のハーロックは、ちょっとそこまで、銀河の果てへ冒険に出かけただけだ。

 

だから、待つ。

 

明日も、明後日も。

 

命を燃やして、生き続ける。

 

次に彼が「よう、待たせたな」と帰ってきた時、「遅いぞ、この馬鹿野郎」と笑って迎えるために。

 

その夜、日本中のあちこちで、数多の老人や中年たちが夜空を見上げ、静かに、しかし力強く誓いを立てた。

 

それは、自由の旗の下に集った乗組員たちによる、無言の、そして永遠の契約だった。

 

 

◇◇◇

 

 

暗黒の宇宙に、蒼い宝石が浮かんでいた。

 

船尾楼の手すりを握りしめる俺の手は、震えていた。

 

恐怖ではない。武者震いでもない。

 

ただ、あまりにも美しいその星の輝きに、魂が共鳴していたのだ。

 

幼い頃、ブラウン管の中で見た鉄郎は、999の窓からこの景色を見たのだろうか。

 

だが、今の俺の足元にあるのは、客車の床ではない。

 

分厚い装甲と、未知の金属で鍛え上げられた、戦艦の甲板だ。

 

俺は、頬を伝う熱い雫を、マントの袖で乱暴に拭った。

 

「……泣くな。……笑え」

 

俺は自分に言い聞かせる。

 

涙は、あの青き地に置いてきた。

 

今の俺は、有明のハーロックではない。

 

宇宙海賊キャプテンハーロックの、一人の乗組員だ。

 

旗を掲げて海に出る男が、湿っぽい顔をしていてどうする。

 

喉の奥から、旋律が漏れた。

 

「ラララーラ、ララララ~……」

 

風のない宇宙空間で、しかし心の耳には確かに風切り音が聞こえる。

 

その風に逆らうように、俺は腹の底から声を出す。

 

「ラララーラ、ララララ~……」

 

惑星ラーメタルで、機械化人の支配に抗い、命を賭して戦うパルチザンたちの歌。

 

悲しく、けれど力強い、抵抗と自由への讃歌。

 

トチローが生きているこの時代、まだ鉄郎の旅は始まっていないかもしれない。

 

あるいは、別の時間の流れかもしれない。

 

だが、そんな理屈はどうでもよかった。

 

今、地球を背にして、明日なき闇へと舵を切る俺の心には、この歌しかなかった。

 

俺の歌声は、アルカディア号の重力フィールドに守られ、船尾楼に朗々と響き渡る。

 

コツ、コツ……。

 

背後で足音がした。

 

振り返らなくても分かる。

 

本物のキャプテンと、親友だ。

 

彼らは俺の歌を止めなかった。

 

「何の歌だ?」とも聞かなかった。

 

ただ、俺の隣に並び、手すりに肘を預け、遠ざかる蒼い星を共に見つめた。

 

ハーロックが、俺の歌に合わせて、指先で手すりを軽く叩くリズムを刻む。

 

トチローが、懐から出したオカリナを口に当て、即興で俺の旋律にハモリを乗せる。

 

言葉はいらない。

 

歌うことで、俺は恐怖を勇気に変え、未練を覚悟に変えた。

 

三人の男の背中が、蒼い光に照らされてシルエットになる。

 

やがて、アルカディア号のエンジン音が一段と高くなり、周囲の星々が線となって後方へと流れ去り始めた。

 

地球が、小さくなっていく。

 

俺の愛した、友の住む星。

 

俺は歌い終え、深く息を吸い込んだ。

 

その空気は、冷たく、そしてどこまでも自由な匂いがした。

 

「……往くぞ、有明」

 

ハーロックが、ニヤリと笑って俺の肩を叩いた。

 

「ああ。……ヨーソロー!」

 

俺はマントを翻し、前を向いた。

 

もう、振り返らない。

 

この背中には、数多の友との約束という、何よりも重く、そして誇り高い錨が乗っているのだから。

 

俺たちの旅は、今、ここから始まる。

 

 

 

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