第11話
艦橋の重厚な自動扉が開く。
その瞬間、俺の視界に飛び込んできたのは、幼き日の夢そのものだった。
無数の計器が明滅し、電子音が静かにハーモニーを奏でる薄暗い空間。
正面の巨大な窓の向こうには、漆黒の宇宙が広がり、そこにアルカディア号の象徴である巨大な緑の艦首が、不敵に突き出している。
そこには、自由のために集った40人の同志たちがいた。
彼らが一斉に振り返り、そして凍りついた。
無理もない。
艦長席に座るキャプテンハーロックが立ち上がり、トチローと共に戻ってきたかと思えば、その後ろから、船長と全く同じ姿をしたもう一人の男が現れたのだから。
「……ッ!?」
「キャプテンが……二人……?」
どよめきが広がる中、バササッという羽音と共に、影が俺の肩に降り立った。
トリさんだ。
黒いマントに鋭い爪を立て、俺の耳元でクチバシを鳴らす。
俺は震える手で、その滑らかな羽毛を撫でた。
本物だ。すべてが、本物だ。
足元には、ミーくんと呼ばれている猫が、俺のブーツに身体を擦り付けている。
俺は視線を集める居心地の悪さに、隣のハーロックへ小声で問いかけた。
「……服を着替えたほうが良いだろうか?」
俺の黒衣は、あくまでこの世界のハーロックを模したものだ。
本物がいる以上、紛い物は退くべきか。
だが、ハーロックはニヤリと笑い、首を横に振った。
「必要ないだろう。……お前もまた、キャプテンハーロックなのだからな」
その言葉に、俺の胸が熱くなる。
だが、このままではクルーが混乱するのも事実だ。
声も、背格好も、纏う空気すらも、俺たちは似すぎている。
違うとすれば、その隻眼に刻まれた、修羅場の数だけ深みを増した鋭さか。
俺は決意し、右手を差し出した。
「トチロー、酒を貸してくれ」
「んあ? ……お、おうよ。とっておきの焼酎だがね」
トチローが腰に下げていた瓶を渡してくれる。
俺はその栓を抜き、白い手袋の親指に、酒精の強い液体をたっぷりと染み込ませた。
そして、迷うことなく自分の顔へ指を走らせる。
クルーたちが息を呑む。
アルコールの刺激が肌を刺す。
俺は、有明の地で己を鼓舞するために描いていた「古傷」を、ゴシゴシと拭い去った。
ファンデーションと塗料が落ち、何もない肌が現れる。
そして、最後にアイパッチの紐を解き、それを外した。
そこにあるのは、イルミダスの銃撃を受けたわけでもない、五体満足な両目。
傷のない、まだ何も失っていない、若造の顔。
幾多の戦場で傷を負い、片目を失った歴戦のハーロック。
そして、その生き様に憧れ、魂だけを重ねてきた傷なきハーロック。
二人の男が、視線だけを交わす。
ハーロックは満足げに頷いた。
俺はクルーたちの方へ向き直り、両目で彼らを見据え、短く告げた。
「有明だ。……よろしく頼む」
静寂。
そして、誰かの心の声が、聞こえた気がした。
(((……キャプテンが、増えた)))
誰もが呆気に取られる中、トリさんだけが「カラカラ!」と愉快そうに鳴き、俺の肩で翼を広げた。
こうして俺は、アルカディア号の一員となったのだった。
◇◇◇
窓の外を流れる星々の光が、線となって後方へと消えていく。
冥王星の凍てつく白い大地が一瞬視界を掠め、そして闇へと溶けた。
太陽系外縁部。
ここまで来ると、太陽すらも数ある星々の中の一つ、少しばかり明るい恒星に過ぎなくなる。
「太陽系の外から来たのか」
俺の独り言のような問いに、低い声で応じたのは、艦長席に深く座るハーロックだった。
「ああ。……そう遠くなく、時空嵐の出口に接触する」
「ある種のワームホール、か」
「理屈は知らん。だが、海流が変わるのを感じる」
ハーロックは計器を見ない。
彼の隻眼が見据えているのは、デジタルの数値ではなく、宇宙そのものの息遣いだ。
俺もまた、腕を組み、その横に立って同じ闇を見つめていた。
普通なら、人間が初めて宇宙へ出れば、その圧倒的な虚無と孤独に押しつぶされそうになるという。
だが、不思議だった。
俺の胸に去来するのは、恐怖でも不安でもない。
長く離れていた故郷の土を、ようやく踏みしめた時のような、安堵と懐かしさだった。
床から伝わってくる微細な振動。
それはエンジンの駆動音であり、大山トチローという男の心音だ。
この揺れが、俺の身体のリズムと完全に同調している。
(……ああ、そうか)
俺は心の中で得心した。
俺の肉体は平成の地球で生まれた。
だが、俺の魂はずっと昔から、この場所を知っていたのだ。
ブラウン管越しに、スクリーン越しに、あるいは夢の中で。
少年だった俺は、毎晩この艦橋に忍び込み、この景色を見ていたのだ。
「……いい眺めだ」
俺がポツリと漏らすと、ハーロックは視線を前に向けたまま、口元だけで微かに笑った。
「そうだろう。……ここには、地上のしがらみも、重力もない。あるのは己の意志と、果てしない自由だけだ」
前方、漆黒の宇宙空間が、陽炎のように揺らぎ始めている。
時空の裂け目。
俺たちが生きる世界と、彼らが生きる世界を繋ぐ、嵐の回廊。
「……有明。舵を握ってみるか?」
ハーロックが唐突に言った。
俺は驚いて隣を見る。
彼は、試すような、それでいて友を信じる目で俺を見ていた。
「……俺にか? 本職を差し置いて」
「構わん。……お前もまた、この船の艦長なのだからな」
俺は一度目を閉じ、深く息を吸い込んだ。
アルカディア号の空気。オイルと、計器の熱と、男たちの誇りの匂い。
「……いいや。今は、この景色を目に焼き付けておきたい」
俺は、一歩下がって辞退した。
臆したのではない。
今はまだ、この偉大なる背中を見ていたい。
その背中を追ってここまで来た俺の旅路を、この目に刻み込みたいのだ。
「そうか。……ならば、しっかりと掴まっていろ」
ハーロックは前を向く。
「トチロー、突入だ! 嵐を突き抜けるぞ!」
『合点だ! 振り落とされるんじゃないぞ、親友!』
アルカディア号が加速する。
視界が極彩色に歪み、俺たちは本当の星の海──松本零士という創造主が描いた、無限の宇宙へと飛び込んでいった。
◇◇◇
時空の嵐が、窓の外で紫電の如く荒れ狂っている。
重力波の奔流が、巨大な鉄の鯨であるアルカディア号を容赦なく打ち据える。
普通の船なら、瞬きする間に圧壊し、ねじ切られ、原子の塵へと還元されていただろう。
だが、この船は違う。
松本零士という創造主が宇宙に放った、最強の不沈艦の一角。
大山トチローの魂が宿り、キャプテンハーロックが舵を取る限り、この船が沈むことはない。
ギシッ、ギシシッ……。
船体が軋む音が、悲鳴ではなく、荒波に挑む猛獣の唸り声のように響く。
床から伝わる振動は、立っていることさえ困難なほど激しい。
だが、俺は倒れない。
俺は腕を組み、仁王立ちのまま、舵輪を握る本物の背中を見つめ続けていた。
ふと、芳醇な香りが鼻を掠めた。
振り返れば、いつの間にか俺の隣に、優雅なシルエットが佇んでいる。
「……どうぞ」
長い髪、透き通るような肌。
アルカディア号の魂の理解者、ミーメだ。
彼女が差し出したグラスには、揺れる船内でも一滴も零れることのない、深紅の液体が波打っている。
「……感謝する、ミーメ」
俺は短く礼を言い、グラスを受け取った。
この船の奥深くに眠る、ヴィンテージもののワインだ。
一口含めば、ブドウの甘みと渋み、そして時の流れを感じさせる深い味わいが口の中に広がる。
ゴクリ。
この揺れの中で、顔色一つ変えず、優雅にワインを喉に流し込む。
その所作を見て、後方で計器にしがみついていたヤッタラン副長や、ドスコイ機関長が目を丸くしていた。
「あいつ、何者なんや……」
「この揺れで酒を飲むなんて、まるでキャプテンそのものじゃないか……」
クルーたちの視線には、困惑と、そして奇妙な敬意が混じっていた。
無理もない。
姿形は瓜二つ。声も同じ。
違うのは、その身に刻まれた傷の有無だけ。
彼らの目には、俺がハーロックのクローンか、あるいは万が一のための影武者に見えているのかもしれない。
舵輪を握るハーロックが、背中を向けたまま、フッ、と静かに笑った気配がした。
(影武者……か。あながち間違いではない)
ハーロックは、嵐の向こうを見据えながら、心の中で独りごちた。
次元の彼方にある地球。
そこには、イルミダスもマゾーンも居ない代わりに、老いと孤独という、形のない敵が蔓延っていた。
その静かなる戦場で、この男はたった一人、ドクロの旗を掲げたのだ。
「キャプテンハーロック」という名を背負い、その重圧に耐え、傷ついた友たちを船に乗せ、最期の時まで導き続けた。
それは「ごっこ遊び」などではない。
立派な「
己の代理として、己の届かぬ場所で戦い抜いた男。
ならばそれは、影武者以上の存在──「もう一人の自分」に他ならない。
「……美味いか、有明」
ハーロックが、舵を切りながら問いかけた。
「ああ。……地球のどんな酒よりも、魂に沁みる」
俺が答えると、ミーメが竪琴を爪弾くように、微かに微笑んだ。
彼女には見えているのだろう。
俺という器の中に、彼らと同じ色の炎が燃えていることが。
「ならば、もう一杯どうだ?」
「頂こう。……嵐の肴には、丁度いい」
時空の嵐が轟音を立てる中、艦橋には奇妙な静寂と、信頼という名の空気が満ちていた。
俺はもう一人のキャプテンの背中を見ながら、再びグラスを傾ける。
その姿は、紛れもなくアルカディア号の乗組員であり、そして誇り高き友の姿だった。
◇◇◇
時空の嵐が晴れた瞬間、視界に広がったのは、俺が知るどのプラネタリウムよりも、どの4K映像よりも深く、冷たく、そして美しい「本物の宇宙」だった。
胸の奥が熱い。
涙ではない。これは魂のエンジンの空吹かしだ。
「ソナーに感! 数は3!」
有紀螢の鋭い報告。
その瞬間、俺の脳内データベース──松本零士作品の知識が、光速で検索結果を弾き出した。
通常空間ならレーダーだ。ソナーが反応するということは、異次元の海を潜航しているということ。
「次元潜航艇か!?」
俺の口から、反射的に言葉が飛び出した。
直後、何もない宇宙空間が水面のように揺らぎ、そこからズヌッ……と、不気味な流線型の艦艇が3隻、浮上してきた。
所属は不明だが、敵意だけは明確だ。
艦橋のクルーたちの視線が、一斉に俺に突き刺さる。
「なぜ分かった?」
「こいつ、何者だ?」
そんな困惑の視線。
平然としているのは、ワインを揺らすミーメと、ニヤリと笑う本物のハーロックだけだ。
「総員、戦闘配置!」
本物の号令で、凍りついていた空気が弾ける。
クルーたちが計器に向かい、緊迫した空気が流れる。
だが、次の瞬間、ハーロックは信じられないことを言った。
「有明、戦闘指揮を執ってみろ」
「……俺は素人だぞ?」
「はじめは誰もがそうだ。……知識はあるようだが、実践はどうだ? この宇宙に、お前の旗を掲げてみせろ」
ハーロックは舵輪から手を離し、場所を空けた。
試されている。いや、託されている。
俺はゴクリと唾を飲み込み、その場所へと歩みを進める。
舵輪に手を掛ける。
木の感触。重み。そして、そこから伝わる「アルカディア号」の熱。
(……頼むぞ、アルカディア号)
俺は腹に力を込め、有明のハーロックとして、いや、この艦の指揮官として叫んだ。
「両舷全速! バリア艦首集中展開!!」
迷いはない。
敵は3隻。包囲される前に一点突破で陣形を食い破る。それが海賊の戦法だ。
「魚雷発射管、1番から4番は高速魚雷! 5番6番は対艦大型魚雷装填!」
高速魚雷で牽制し、足を止めたところに本命を叩き込む。
幼い日、いや、今も変わらず頭の中で何千何万と繰り返してきた妄想のブンドトという名のシミュレーション。
今はそれが現実の戦術となる。
「カノン砲発射用意! ……対空迎撃は最小で維持。弾幕よりも速度だ! 敵陣を中央突破する!!」
「りょ、了解!」
一瞬、ヤッタラン副長が遅れたが、すぐに復唱が響く。
俺の指示は、あまりに無茶で、あまりに「ハーロック的」だったからだ。
ゴオオオオオオオオッ!!
アルカディア号が咆哮を上げる。
俺の意思に応えるように、エンジン出力が跳ね上がる。
この船は知っているのだ。舵を握っているのが、もう一人の親友であることを。
「突っ込めぇぇッ!!」
俺の絶叫と共に、緑の巨体が敵艦隊のど真ん中へと躍り込んだ。
「魚雷は左右の敵艦を牽制しつつ、本命の対艦魚雷を叩き込め! 行き足を遅くするだけで良い。……対空迎撃は敵魚雷の迎撃に専念しろ!」
俺の指示は矢継ぎ早に飛ぶ。
アルカディア号の巨大な船体が、質量を持った弾丸となって加速する。
「カノン砲1番2番、照準敵中央艦! ……てーっ!!」
有紀螢の報告によれば、敵はアルカディア号を追っていた賞金稼ぎだという。
時空嵐の出口で網を張っているとは、アウトローにしては勤勉というか、小賢しい連中だ。
だが、相手が悪かった。
この船は、獲物として狩られる兎ではない。
逆に牙を剥き、全てを食い破る鋼鉄の鯨だ。
俺の号令と共に、前部砲塔から放たれたエネルギー流が唸りを上げる。
三本のビームは空間で螺旋を描きながらエネルギー干渉を起こし、一本の巨大な光の槍へと収束していく。
これぞ、松本零士世界の物理法則。
単純な加算ではない、乗算の破壊力。
光の槍は、中央にいた敵艦のバリアを紙切れのように貫通し、装甲を溶解させ、そのまま艦尾へと突き抜けた。
一瞬の静寂の後、中央艦が内側から膨れ上がり、宇宙の塵となって爆散する。
その爆風を切り裂き、アルカディア号が突き進む。
同時に放たれた高速魚雷が左右の敵艦の進路を塞ぎ、回避行動を取ろうとした左舷側の敵艦の脇腹に、本命の対艦大型魚雷が深々と突き刺さった。
致命傷ではないが、機関部をやられたか、その動きが止まる。
敵艦隊の陣形が崩壊した。
そのど真ん中──爆散した中央艦の残骸が漂う空間を、アルカディア号が悠然と通過する。
今だ。
敵は左右に分断され、こちらの速力に翻弄されている。
「カノン砲、1番2番は右舷! 3番は左舷を指向!」
俺は舵輪を固定し、すれ違いざまの必殺を叫ぶ。
「……てーっ!!」
砲塔が旋回し、至近距離からパルサーカノンが火を噴く。
狙いを定める必要さえないほどの距離。
赤い閃光の嵐が、左右の敵艦を蜂の巣に変えていく。
断末魔の爆発が左右で花火のように咲き乱れる中、アルカディア号は速度を緩めることなく、その爆煙をマントのように纏って戦域を離脱した。
後方確認。敵影なし。
完全なる中央突破。
俺はふぅ、と息を吐き、舵輪から手を離さずに背後の本物へと告げた。
「……これが、この世界では伝説の艦。初代ヤマトの沖田艦長が得意とした『沖田戦法』だ」
真正面から一点突破し、敵陣を食い破る。
単純ゆえに、操艦者の度胸と、艦の性能が極限まで試される死中に活を見出す戦法。
それを、俺はこのアルカディア号でやってのけた。
ハーロックが、愉快そうに喉を鳴らして笑った。
「フッ……。沖田戦法か。……いい度胸だ、有明。この船の癖を、よく知っている」
「散々、観てきたからな」
俺はニヤリと笑い返す。
そう、画面の中で脳裡にいつでも思い出せるまで焼きつけ繰り返し観た船だ。
だが、この振動、この轟音、そして硝煙の匂い。
これこそが、俺が求めていた「本物」の感触だった。