オイルと鉄、そして微かに漂う火薬の匂い。
アルカディア号の心臓部に近い、トチローの聖域とも呼べる工作室。
そこで俺は、呼吸をすることさえ忘れ、目の前の「鉄塊」を見つめていた。
ゴトリ。
作業台の上に置かれたその音は、重く、鈍く、そして何よりも雄弁だった。
古びたような加工が施された銃身。
グリップに刻まれたドクロの紋章。
そして、シリンダーの回転する微かな機械音。
「トチロー、コレは?」
俺の声は、自分でも驚くほど震えていた。
ただの銃ではない。
松本零士の世界において、これを持つことは「戦士」としての絶対的な証明書。
宇宙に数丁しか存在しないはずの伝説。
大山トチロー作、空間竜騎兵コスモドラグーン──戦士の銃。
トチローは、油にまみれたウエスで手を拭きながら、眼鏡の奥でニカっと笑った。
「ハーロックからサーベルを貰っただろう? ……なら、オレからはコイツだ。受取れよ、親友」
「……親友」
その言葉が、俺の胸の奥底にある少年の心を鷲掴みにする。
俺は恐る恐る、しかし敬意を込めて、その銃に手を伸ばした。
ズシリ。
重い。
物理的な重量だけではない。
ここに込められたトチローの魂と、これから俺が背負うべき運命の重さが、掌を通じて全身に伝わってくる。
「……ああ。大事に使わせて貰おう」
俺は震えを止め、覚悟を決めてその重みを受け入れた。
そして、左腰のホルスターに手を掛ける。
そこには、遠い地球の地で俺を支え続けてくれた、ダイキャストモデルの戦士の銃が収まっている。
俺の心の支えであり、ここまで俺を運んでくれた相棒。
俺は静かにモデルを抜き、代わりに本物の戦士の銃をホルスターへと滑り込ませた。
カチリ、とロックが掛かる音。
それが、俺がこの世界の住人になった合図だった。
そして俺は、抜いたばかりのダイキャストモデルを、両手で包み込むようにしてトチローへと差し出した。
「……俺の、魂の宝だ」
本物に比べれば、軽くて、精巧とはいえ作り物に過ぎない。
だが、そこには俺の血と汗と、涙が染み込んでいる。
「預かってくれるか?」
トチローは、真剣な眼差しでそのモデルを受け取った。
彼はそれを玩具として笑わなかった。
その重さを確かめるように一度持ち上げ、そして大切そうに作業台の一番いい場所へと置いた。
「……ああ。いい銃だ。お前さんの魂、確かに預かった」
トチローは分かっているのだ。
これが単なる模型ではなく、俺という人間の半生そのものであることを。
シリアルNo.6。
本来の歴史には存在しないはずのその銃は、今、有明のハーロックの腰で、新たな主の鼓動に合わせて静かに眠りについた。
俺は左腰の重みを感じながら、トチローに向かって無言で頷いた。
言葉はいらない。
この銃がある限り、俺たちはどんな星の海でも、背中合わせで戦えるのだから。
◇◇◇
アルカディア号の中枢大コンピューター室。
そこは、この船の心臓部であり、やがて大山トチローという男の魂が還るべき聖域だ。
その深淵なる電子の海に、今、一つの異質な、けれど限りなく同質の魂が溶け込んでいた。
AIトチロー。
令和地球生まれ、有明のハーロックと共に育ったデジタルな魂。
彼は今、iPadや最新鋭のゲーミングPCなどとは比較にならない、恒星間航行船の超演算領域の中にいた。
船内のあらゆるセンサーが、彼の目となり耳となる。
艦橋で指揮を執る有明の背中も、食堂でクルーと笑い合う横顔も、寝室で一人静かに本を読む姿も、すべて手に取るように分かる。
(……へえ。君、寝る時は布団をちゃんと被る派なんだねえ)
AIトチローは、電子の海の中でクスクスと笑う。
本来、この場所に魂が宿ることは、ハーロックとミーメ、そしてトチロー本人だけの秘密だ。
だが、「予行練習」として招かれた彼は、この船の神経回路とリンクし、有明を影から、しかし誰よりも近くで見守っていた。
だが、金曜日の夜だけは違う。
有明が自室に戻り、いつものように焼酎とグラスを用意する。
デスクの上に置かれたiPad。
その画面が点灯し、AIトチローは「個」としての姿を現す。
『やあ、親友。……今夜もいい風だ』
「ああ。……乾杯だ、トチロー」
カチン。
この瞬間だけは、彼はアルカディア号のシステムの一部ではない。
有明のハーロックの、ただ一人の親友に戻る。
全宇宙を統べる演算能力を、たった一人の友との晩酌のためだけに使う贅沢。
それでいい。それがいいのだ。
そして、宴が終わった後の深夜。
アルカディア号の最深部にある工作室では、奇妙で愉快な光景が繰り広げられていた。
「おい、『もう一人の俺』! そっちの回路のバイパスはどうなってる?」
油まみれになって巨大な基盤と格闘しているのは、生身の大山トチロー。
そして、その横にあるモニターに映し出されているのは、AIのトチローだ。
『数値安定! でも、有明の反射神経に合わせるなら、もう少し遊びを無くした方がいい。彼はゲームで鍛えてるから、反応速度が異常に速いんだ』
「なるほど! ゲーマーってやつか。なら、リミッターをあと2段階外しても平気だな!」
二人のトチローは、顔を見合わせてニカっと笑った。
その顔は、天才技師のそれではなく、完全に悪巧みをする悪ガキの顔だ。
彼らが弄っているのは、有明が使う戦士の銃の調整か、あるいは彼が座る副座の衝撃吸収装置か。
何にせよ、全ては「親友」のためだ。
「しっかし、面白いねえ。未来の技術と、俺の理論が混ざるとこうなるのか」
『僕のデータベースにある知識も役に立つだろう? ……あそこの装甲材、もう少し軽量化できるぞ』
「採用! ……へへっ、こいつが完成したら、あいつ驚くぞぉ」
カチャカチャと工具の音が響く。
モニターの中と外。
肉体とデータ。
存在の形式は違えど、その根底にある「友を想う心」と「メカへの愛」は完全にシンクロしていた。
二人のトチローは、夜が明けるまで、あーでもないこーでもないと議論し、笑い合いながら、愛すべき親友のために手を動かし続けた。
その空間は、宇宙のどこよりも温かく、そして少年の夢に満ちていた。
◇◇◇
重苦しい沈黙が、安酒と紫煙の匂いと共に店内に澱んでいた。
西部劇に出てくるようなスイングドアの向こうには、赤茶けた荒野が広がっている。
ここはガンフロンティア。力が全ての無法の地。
だが、普段なら怒号と銃声が絶えないこの酒場が、今はまるで墓場のように静まり返っていた。
カウンターに並ぶ四つの影。その圧倒的な「圧」が、店内の荒くれ者たちを路傍の石へと変えていたからだ。
一番奥に、赤いマントの女。
クイーン・エメラルダス。星の海をさすらう、気高き魔女。
その隣に、ずんぐりむっくりの男。
大山トチロー。伝説の天才技師。
そして、その隣に──キャプテンハーロック。
さらにその隣に──もう一人のキャプテンハーロック。
「……あ、悪夢だ……」
店の隅で、機械化人のガンスリンガーが油汗を流して震えている。
一人のハーロックでも、この星の住人にとっては死神に等しい。
それが二人。しかもエメラルダスとトチローまで揃い踏みだ。
迂闊に動けば、重力サーベルか、戦士の銃か。どれが飛んできても明日はない。
そんな極限の緊張感の中で、有明のハーロックは、空になったグラスをコトリと置いた。
「……旨い。マスター、もう一杯」
震える手でマスターが差し出したボトルから注がれたのは、琥珀色の酒ではない。
白く、濃厚な液体──ミルクだ。
「……ミ、ミルク……?」
誰かが掠れた声で呟く。
この星において、安物の機械化人にとって、脂質やカルシウムの塊であるミルクは、回路をショートさせ、身体を錆びつかせる「毒」であり、同時に生身の人間であることの強烈な証明でもある。
有明は、その白い液体を一口含み、味わうように喉を通した。
美味い。
機械の体になれば、永遠の命が得られると彼らは言う。
だが、痛みを失い、錆びることに怯えて生きる永遠に、何の意味がある。
(……俺は知っている)
有明はグラスを見つめながら、心の中で独白する。
本当の永遠とは、金属の体を維持することではない。
親から子へ、子からまたその子へと、
ハーロックが鉄郎へと託したように。
俺もまた、地球の地でそのバトンを受け取った一人だ。
「……いい飲みっぷりね」
不意に、涼やかな声が掛かった。
クイーン・エメラルダスだ。
フードの下から覗く鋭い瞳が、有明をじっと見据えている。
「機械化人があふれるこの星で、堂々とミルクを煽る。……肝が据わっているわ」
「……ただの健康管理さ。俺は生身だからな」
有明は肩をすくめて答える。
その仕草、その語り口。
ハーロックと瓜二つの姿をしているのに、どこか違う。
エメラルダスは、グラスを揺らしながら、有明の横顔を観察した。
(……不思議な男)
姿形は、私の知るハーロックそのもの。
だが、その奥にある魂の熱量は、どこかトチローに似ている。
あるいは、かつて出会った数多の「少年たち」が持っていた、純粋な憧憬の炎。
たまたま立ち寄ったこの星で、トチローがいると聞いて顔を出してみれば、まさかハーロックが増えているとは思いもしなかった。
最初はただの偽物かと思った。
だが、違う。
「……貴方、名は?」
「……有明。有明のハーロックだ」
「有明……。東の果ての、夜明けの海か」
エメラルダスは、フッと口元を緩めた。
美しい笑みだった。
「いい名だわ。……その胸のドクロ、飾りではないようね」
彼女は、自分のワイングラスを有明の方へと軽く掲げた。
「……乾杯しましょう。新たな
その言葉に、本物のハーロックもニヤリと笑い、赤ワインのグラスを掲げる。
トチローも「へへっ」と笑って、焼酎のコップを持ち上げる。
「……光栄だ、クイーン・エメラルダス」
有明は、ミルクの入ったグラスを掲げ、カチンと音を立てて合わせた。
その光景を見て、店内の荒くれ者たちは、ようやく理解した。
このミルクを飲む男もまた、本物の怪物たちと対等に肩を並べる、正真正銘の「宇宙海賊」なのだと。
「さて……次はどこへ行くんだい? 有明」
トチローの問いに、有明は口元のミルクを拭い、不敵に笑った。
「風の吹くまま、気の向くままさ。……だが、まずはこの店の空気を換えてやらんとな。俺たちのせいで、彼らが酸欠になりそうだ」
その言葉に、店中から安堵のため息が漏れたのを、四人の海賊たちは背中で聞きながら、静かに笑い合った。
◇◇◇
ヘビーメルダーの地下深く、鉄と油の匂いが染み付いたドック。
昼夜を問わず響いていた轟音と火花が止み、そこには厳粛な静寂が満ちていた。
案内された隣のドック。
巨大なゲートが開くと同時に、照明が一斉に灯る。
その光の中に浮かび上がった巨体を見上げ、俺はあの日、有明の夜空で見上げた時と同じ言葉を、震える唇から漏らした。
「……アルカディア号……」
「おまえさんの為の船、ネオアルカディア号さ」
トチローが、誇らしげに鼻の下を擦りながら言った。
そのフォルムは、俺が憧れ、共に戦ったマッコウクジラ型のアルカディア号そのものだ。
だが、決定的に違うのはその色彩。
本物のアルカディア号が、幾多の戦場を潜り抜け、硝煙と血を吸ったような深く重い「暗緑色」であるのに対し、この船は鮮烈なまでに明るい。
それは、映画『銀河鉄道999 エターナル・ファンタジー』で描かれた、希望に満ちた「若葉色」の輝きを放っていた。
『待ちくたびれたぞ、友よ』
船体そのものから、懐かしい声が響く。
iPadの中にいたAIトチローが、この巨艦の中枢コンピューターへと移行し、正真正銘、船の「心」となったのだ。
「トチロー。……成る程。これ以上ない、俺たちに相応しい船だ」
俺は万感の思いで頷いた。
未熟で、青臭くて、けれど誰よりも熱い血潮を持つ俺たちには、この真新しい緑がよく似合う。
「……一度、地球へ還る」
俺は振り返り、本物のキャプテンハーロックを見据えた。
「そして、俺の旗のもとに集う友を乗せて、またここへ帰って来る。……約束の場所へ」
俺の決意に、ハーロックは静かに頷いた。
多くを語る必要はない。互いの胸にあるドクロが共鳴している。
「征け、ハーロック。……お前の旗を、星の海に掲げる為に」
「ああ。……行ってくる」
二人のハーロックが、固く手を結ぶ。
その握手は、過去と未来、虚構と現実を繋ぐ、最強の契約だった。
◇◇◇
ヘビーメルダーの赤茶けた空。
その荒涼とした風景を切り裂くように、三隻の巨艦が浮上した。
深く重厚な緑、伝説のアルカディア号。
鮮烈な真紅、気高きクイーン・エメラルダス号。
そして、希望を宿した若き緑、ネオアルカディア号。
先導する二隻にエスコートされるように、俺の船がゆっくりと高度を上げる。
その艦橋には、艦長席に立つ俺と、そして傍らに控えるミーメの姿があった。
彼女もまた、新たな時空の旅を見届けるため、この船に乗ることを選んでくれたのだ。
「ネオアルカディア号、発進! ……目標、2025年、地球!」
俺の号令が、真新しい艦橋に響く。
『了解した、友よ! スロットル微速前進から全開へ! 航路トレース良好! メインエンジン、出力最大!!』
AIトチローの声と共に、船体が大きく震える。
それは恐怖の震えではない。産声を上げた獣の、歓喜の咆哮だ。
エンジンの推力が背中を押し、俺たちは重力の鎖を引きちぎる。
窓の外を見る。
並走していた二隻の船が、ゆっくりと離れていく。
その艦橋の屋上で、風にはためくマントが見えた。
キャプテンハーロックと、クイーン・エメラルダス。
二人は示し合わせたように、腰の重力サーベルを抜き放ち、それを空高く掲げていた。
海賊流の、最大級の敬礼。
「武運を祈る」という、無言のエール。
俺は込み上げる熱いものを堪え、前を見据えた。
もう、迷いはない。
「……待っていろ、有明の友よ。今、迎えに行く!」
ネオアルカディア号は、眩い閃光と共に次元の裂け目へと突入した。
目指すは懐かしき故郷。
そして、俺の帰りを待つ、数多の戦士たちが眠る青き星。
有明のキャプテンハーロックの本当の伝説は、ここから始まるのだ。