有明のハーロック   作:星乃 望夢

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第2話

 

冬の低い太陽が、極彩色のウィッグや光沢のある衣装を照らし出している。

 

シャッター音と嬌声。

 

「目線ください!」

 

「次はツーショットで!」

 

そこは、承認欲求と被写体愛が渦巻く、現代の祝祭の場だ。

 

だが、その喧騒を「重く、硬い、鉄の音」が切り裂いた。

 

カチャン、カチャン、カチャン…。

 

ブーツの拍車がアスファルトを叩く独特の金属音。

 

その音が近づくにつれ、まるで海が割れるように、派手なレイヤーたちが無意識に道を開ける。

 

現れたのは、漆黒の死神か、あるいは自由の守護神か。

 

裏地が血のように赤いマント。風もないのに、その歩行の風圧だけで重厚に翻る。

 

腰には、鈍く光るコスモドラグーンと重力サーベル。

 

作り物ではない。その男が身につけているだけで、それは本物の「武器」としての質量を帯びて見えた。

 

男は、煌びやかな「囲み撮影」の輪には目もくれず、人混みの外れた木立の前──影の落ちる場所に、仁王立ちした。

周囲の空気が凍りつく。

 

若いカメラマンたちが「なんだあのキャラ?」「すげえ迫力……」とざわめく中、男は隻眼でレンズの放列を見渡した。

 

そして、腹の底から響く轟音のような低い声で言った。

 

「撮りたいヤツは、俺の船に乗れ。俺の旗のもとは自由の海だ」

 

ポーズをとるわけでもない。媚びるわけでもない。

 

ただそこに「在る」ことだけを許された男の言葉。

 

その瞬間だった。

 

高価な望遠レンズを抱えた、白髪混じりの初老のカメラマンが、ガクリと膝をついたのは。

 

「……キャプテン…ハーロック…っ」

 

震える声が漏れた。

 

彼は、流行りの美少女レイヤーを撮るためにここに来ていたはずだった。

 

日々の仕事のストレスを、ファインダー越しの華やかな虚構で埋めようとしていたはずだった。

 

だが、目の前に現れたのは虚構ではない。

 

かつて少年だった自分が、布団の中で夢見た「本当の自由」そのものだった。

 

「あぁ……、あぁ……!」

 

一人が嗚咽を漏らすと、それは伝染した。

 

少し離れた場所にいた疲れた顔の中年男性も、ずっと昔からコミケに通い続けている古参のカメコも。

 

彼らは一様にカメラを構えることさえ忘れ、ただ呆然と涙を流した。

 

シャッターを切れば、この幻影が消えてしまうのではないか。

 

そんな恐怖すら感じるほどの圧倒的な実存感。

 

しかし、ハーロックは微動だにせず、ただ彼らが「乗船」するのを待っている。

 

その眼差しは語っていた。

 

『泣くな。男なら、その涙を拭いて、己の信じるものを撮れ』 と。

 

「……撮らせてください!!」

 

一人の男が、涙声で叫びながらシャッターを切った。

 

その音を合図に、かつての少年たちが次々とファインダーを覗く。

 

彼らの目はもう、ただのカメラマンの目ではない。

 

アルカディア号の乗組員の目だ。

 

ファインダーが涙で曇る。ピントが合わない。

 

それでも彼らは必死に、その「自由の旗」を焼き付けようと指を動かす。

 

「そうだ。それがお前の魂だ」

 

ハーロックが、フッと口元だけで笑ったように見えた。

 

現代の有明に現れた黒い影。

 

その周囲だけ、時間は昭和に戻り、空間は無限の星の海へと変わっていた。

 

彼らが撮っているのは、コスプレ写真ではない。

 

自分自身がいつか置き忘れてきた、大切な宝物の写真だった。

 

 

◇◇◇

 

 

「え、ちょ……何これ? マジで何?」

 

20代前半とおぼしき若いカメコが、レンズを下ろして狼狽えていた。

 

無理もない。

 

彼の視線の先では、普段は威圧的なほど大きなレンズを振り回しているベテランの「おじさん」たちが、或いはベンチに崩れ落ち、或いは物陰に顔を伏せて、肩を震わせているのだから。

 

「ただのコスプレだろ? クオリティはヤバいけどさ……なんであんな、葬式みたいに泣いてんの? 怖っ」

 

隣にいたVtuberレイヤーの少女も、引きつった笑みを浮かべて頷く。

 

彼らにとってのコスプレとは「推し」の再現であり、カワイイ、カッコイイという消費の対象だ。

 

そこに「慟哭」が入り込む余地などないはずだった。

 

「……葬式じゃねえよ。ありゃあ『帰還』だ」

 

呆然とする若者たちの背後から、声がかかった。

 

30代後半。まだ若さと渋みの狭間にいる、中堅のカメラマンだ。

 

彼は、愛機のプレビュー画面を見ることもなく、遠ざかっていく黒いマントの背中を見つめている。

 

その目元もまた、少し赤く腫れていた。

 

「キカン……?」

 

若者が聞き返す。

 

「ああ。お前らには分からなくて当然だ。あれはな……」

 

男は一瞬言葉を詰まらせ、そして自嘲気味に笑った。

 

「あれは昭和を生きて来た男にしか分からない、青春の背中なんだ」

 

彼は顎で、ベンチでタオルに顔を埋めている白髪の男性たちをしゃくった。

 

「あの人たちは、あの背中を見て育った。社会に出て、理不尽に殴られて、夢を捨てて……それでも心の何処かで、あのドクロの旗が迎えに来てくれるのを待ってたんだよ。それが今、目の前に現れた。そりゃあ、涙腺も壊れるさ」

 

「先輩も、泣いてるんすか?」

 

若者の問いに、男は鼻をすすり、ニヤリと笑って答えた。

 

「俺はリアルタイム世代じゃないからな。再放送と親父のビデオで育ったクチだ。だから、まあ……『致命傷』で済んでる」

 

「致命傷って……それ、死んでるじゃないすか」

 

「ああ、死んだよ。俺の中の『退屈な大人』がな」

 

男はそう言うと、再びファインダーを覗いた。

 

被写体はもう遠い。

 

顔も見えない。

 

だが、風にはためくマントの背中と、そこに刻まれた白骨の旗印だけが、鮮烈に切り取れる。

 

シャッターチャンスは、ハーロックが振り返った時ではない。

 

ハーロックが、再び星の海(日常という戦場)へと歩き出す、その「去り際」にこそある。

 

カシャッ。

 

静かで、確かなシャッター音が響いた。

 

「……あと10年くらいしたら、お前らにも俺の言ってることが分かる日が来るさ」

 

男はそう言い残し、モニターに写った「憧れの背中」を愛おしそうに指で撫でた。

 

若者たちは顔を見合わせ、それからもう一度、遠くを行く黒い影を見た。

 

理由は分からない。

 

だが、その背中が、今のどんな流行りのキャラクターよりも巨大で、重く、そしてどこまでも自由に見えたことだけは、彼らの若い網膜にも確かに焼き付いていた。

 

 

◇◇◇

 

 

コミケが終わって1週間。

 

担当医にコミケの事を話したら、人混みは大丈夫だったのかと心配されたが、キャプテンハーロックとしてそこに居たから平気だったと告げたら、また精神鑑定の診断をやり直された。

 

今はキャプテンハーロックでいるからか平気に見えても、確実に精神の負担になっているというか、別人格の形成に繋がる可能性もあるから注意して欲しいと言われた。

 

ただキャプテンハーロックであることが自分を表現出来る術なら、それを活かせることをするのも精神の回復には良い事だとも言われた。

 

日常的にキャプテンハーロックである事を活かせる場か。

 

俺はTwitterのアカウントと、配信用のYouTubeのアカウントを作った。

 

アルカディア号と宇宙が描かれ、そこで腕を組むキャプテンハーロックのモノクロ画を描いて放送画面にして、タイトルは「有明のハーロック」とした。

 

俺の船の出発点を記し、キャプテンハーロックである俺を指し示すなら、このタイトル以外にはあり得なかった。

 

マイクとヘッドフォンを装備して俺は放送開始ボタンを押した。

 

俺はアルカディア号の船長、自由の旗を掲げ、自由の為に戦う、星の海を往く宇宙海賊キャプテンハーロックだ。

 

これはただの配信じゃない。

 

俺の船に乗ったヤツらを迎えに行く為の時間だ。

 

配信開始ボタンをクリックする。

 

「ON AIR」の赤いランプが灯る。

 

画面には、俺が描いたモノクロのアルカディア号。

 

BGMはない。

 

ただ、ホワイトノイズのような静寂だけが、視聴者の端末に流れる。

 

今のYouTubeの流行りは、派手なOPに、元気な挨拶だ。

 

だが、俺は海賊だ。誰かに媚びる必要はない。

 

俺は目を閉じ、マイクとの距離を測る。

 

有明の西ホールで、そして防災公園で、かつての少年たちの魂を震わせたその「声」を、腹の底から引き出す。

 

「……待たせたな」

 

第一声。

 

その低く、太く、そしてどこか哀愁を帯びた声が、電波に乗って全国へ飛ぶ。

 

その瞬間、止まっていたチャット欄が、堰を切ったように流れ出した。

 

> User A: !!!!!

> User B: キャプテン!!!

> User C: 待ってました!

> User D: 声が良すぎる……ヘッドホン推奨の意味がわかった

> User E: あの西ホールで会った者です。涙が出てきた。

 

チャットの勢いに動じることなく、ゆっくりと言葉を継ぐ。

 

台本はない。心にある「自由の旗」が語らせる言葉だ。

 

「俺はアルカディア号の船長、ハーロックだ」

 

マイクを通すことで、俺の声はより鮮明に、より近く、視聴者の耳元へ──いや、鼓膜の奥の脳髄へと直接届く声となる。

 

「有明の海で、俺の船に乗ると誓った同志たちよ。……地球(日常生活)での戦いは、辛くはないか」

 

その問いかけに、ふざけたコメントや冷やかしがピタリと止む。

 

代わりに流れるのは、懺悔にも似た、切実な言葉たちだ。

 

> User F: 辛いです。毎日上司に怒られて……

> User G: 夢なんてとうに捨てました。

> User H: もう一度、あの旗を見たくてここに来ました。

 

画面の向こうにいる、傷ついた「乗組員」たちの顔を思い浮かべる。

 

医師は言った。「精神の負担になる」と。

 

だが、違う。

 

彼らの痛みを受け止め、導くこの重みこそが、今の俺が生きている証なのだ。

 

「ならば、錨を上げろ」

 

俺はマイクに近づき、囁くように、しかし力強く告げる。

 

「この時間は、お前たちを縛る重力はない。役職も、世間体も、情けない過去も、ここに置いていけ」

 

グラスに注いだ酒の氷が、カランと音を立てる。

 

「今夜は俺が、お前たちを自由の海へ連れて行く。……ついて来れるか?」

 

> User I: アイ・アイ・サー!

> User J: ついて行きます!!

> User K: 泣

> User L: 88888888(拍手)

 

同時接続数が、見る見るうちに跳ね上がっていく。

 

Twitterでは「#有明のハーロック」がトレンドに入り始めていた。

 

「本物の海賊が配信してる」「聴く抗うつ剤」「昭和の男たちが集まる謎の配信」……。

 

俺はフッと微かに笑い、画面上のモノクロのハーロックと同じように腕を組む。

 

狭い自室。モニターの明かりだけが頼りの暗い部屋。

 

だが今、ここは間違いなく、40人の同志ではなく、数百人の同志を乗せた巨大宇宙戦艦の艦橋だった。

 

「アルカディア号……発進!」

 

 

◇◇◇

 

 

コメント欄は異様な光景になっていた。

 

開始直後から、いわゆる「赤スパ」「黄スパ」が滝のように流れている。

 

普段の配信者なら、狂喜乱舞して名前を読み上げ、過剰なまでにお礼を言う場面だ。

 

だが、スピーカーから流れてくるのは、完全な静寂。

 

配信事故か?

 

初配信だから設定を間違えたのか?

 

視聴者たちがざわつき始めたその時。

 

トクトクトク……。

 

琥珀色の液体がグラスに注がれる、重く、艶のある音が響いた。

 

ASMRマイクが拾うその音は、まるで視聴者の目の前で注がれているかのような臨場感だ。

 

カラン…。

 

氷がグラスの壁に当たり、奏でる硬質な音。

 

その音が、すべての電子音に勝る「合図」だった。

 

俺は、画面の向こうの数百人の乗組員に向けて、ゆっくりとグラスを掲げる気配を見せる。

 

「……友よ」

 

金への礼ではない。

 

ただ、同じ時間を共有する者への呼びかけ。

 

「今夜、俺の船に乗った全ての友に。……乾杯」

 

チリン……。

 

グラスをマイクのそばで軽く爪弾く。

 

その澄んだ音色が、ネット回線を通じてそれぞれの夜に染み渡っていく。

 

チャット欄の空気が、一瞬で変わった。

 

> User X: 乾杯……!

> User Y: スパチャ読みなしかよ……最高かよ。

> User Z: 俺たちが求めてたのはこれだ。客扱いじゃなくて、クルー扱いしてくれてる。

> User A:  

> User B: 涙出てきた。俺のワンカップが高級スコッチの味になった。

> User C: ありがとう、キャプテン。

 

彼らは悟ったのだ。

 

この男に、金で買う「認知」など通用しない。

 

ここにあるのは、共に酒を酌み交わす「対等な魂」だけなのだと。

 

スパチャは止まらない。

 

だが、誰も「読んでくれ」とは言わない。

 

それは彼らが、このアルカディア号の燃料として、あるいはキャプテンへの手向けとして、無言で置いていく「心意気」へと変わったからだ。

 

俺は一口、スコッチを含み、喉を鳴らす。

 

その息遣いさえもが、疲れた男たちの夜を癒やすBGMとなる。

 

「……いい音だ。地球(ここ)の酒も、悪くはない」

 

あなたはモニターの向こう側で、決して媚びず、決して驕らず。

 

ただ一人の男として、静かに夜更けの時間を支配し始めた。

 

 

 

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