海賊国家船団有明の、銀河鉄道専用ステーション。
蒸気とオイルの匂いが混じり合うプラットホームに、一人の若者が立っていた。
ミャウダー。
かつてアンドラード星の戦火の中から、有明の手によって救い出された戦災孤児。
あの時、怯えて震えていた少年はもういない。
数多の戦場を潜り抜け、船団の荒くれ者たちに揉まれ、そして有明の背中を見て育った彼は今、精悍な顔つきをした一人前の「戦士」として、旅立ちの時を迎えていた。
彼の背後には、発車の時を待つC62-50『QQQ号』が、黒鉄の巨体を震わせている。
「……それじゃ、世話んなったな」
ミャウダーは、愛想笑いもせず、ぶっきらぼうに言った。
だが、その声の震えと、真っ直ぐに有明を見つめる瞳が、言葉にできない感謝を雄弁に語っていた。
有明は、マントの下で腕を組み、静かに頷いた。
「ああ。……達者でな、ミャウダー」
湿っぽい言葉はいらない。
だが、これだけは言っておかねばならない。
「俺より先に死ぬなよ? ……男の約束だぞ」
かつて、あの老人ホームで、多くの老兵たちと交わした誓い。
そして有り得るかもしれない未来の惑星ラーメタルでミャウダー自身が鉄郎と誓う言葉。
それを今、未来を生きる若者へと託す。
ミャウダーは、ニカっと笑った。
その笑顔は、かつてガンフロンティアで見たトチローのそれに、どこか似ていた。
「わかってるさ。……そっちこそ、俺より先にくたばるなよ。キャプテン」
若者は身を翻し、客車に乗り込む。
行き先は聞かない。
運命の星・ラーメタルか、あるいはまだ見ぬフロンティアか。
どこへ行こうと、彼なら大丈夫だ。その胸には、有明から受け継いだ「自由の旗」が立っているのだから。
ポオォォォォォォォォォッ!!
QQQ号が汽笛を鳴らし、光のレールを駆け上がっていく。
遠ざかるテールランプが見えなくなるまで、有明はその場を動かなかった。
『……行ってしまったねえ』
いつの間にか、艦内通信用の端末からAIトチローの声がする。
「ああ。……雛鳥は巣立つものさ」
有明はマントを翻し、踵を返した。
寂しさはない。あるのは、育て上げた男を世に送り出した満足感だけだ。
ネオアルカディア号、艦橋。
戻ってきた有明は、舵輪を握るや否や、意外な命令を下した。
「トチロー。進路、地球!」
『おや? 里帰りかい? それとも連邦軍に喧嘩でも売りに?』
「違う」
有明は真剣な表情で、とんでもない理由を口にした。
「……ワサビだ」
『……………………はい???』
「生ワサビだ。それも、以前こちらの地球の寿司屋で食べた、あの清流で育った最高級のやつだ」
有明は、遠い目をして熱弁を振るう。
「エメラルダスがまた来る。……彼女に出す『盛り蕎麦』には、どうしてもあのワサビが必要だ。練りワサビや合成ワサビでは、あの魔女の舌は誤魔化せん」
あの気高き女海賊が、蕎麦を啜った後に見せる、ほんの僅かな綻び。
その至高の刹那のためだけに、この巨大戦艦を動かす。
馬鹿げている。だが、それこそが「粋」というものだ。
『カッカッカッ! 違いない! 食い物の恨みは恐ろしいからねえ!』
AIトチローが爆笑し、エンジン出力を上げる。
「総員、抜錨! ……目指すは地球、清流の里だ! 遅れるなよ!」
「「「アイアイ・サー!!」」」
クルーたちが嬉々として応える。
彼らもまた、地球の空気で食べる飯が恋しかったのだ。
若者を未来へと送り出し、自分たちは美味い蕎麦のために星を渡る。
それもまた、有明のハーロックらしい、自由気ままな旅の一幕。
若葉色の巨艦は、一路、青き故郷へとワープの光に包まれていった。
◇◇◇
地球連邦軍、太陽系絶対防衛圏。
その一角を守る哨戒艦隊の旗艦ブリッジは、凍りついたような沈黙と、脂汗の匂いに満ちていた。
「……モニター、拡大。間違いありません、識別信号……『有明海賊船団旗艦、ネオアルカディア号』です」
オペレーターの声が裏返る。
メインスクリーンに映し出されているのは、一隻の若草色の巨艦。
たった一隻だ。
本来なら、数百隻で構成されるこの防衛艦隊で包囲し、ハチの巣にすべき相手だ。
だが、艦隊司令官の手は、攻撃命令を下すボタンの上で石のように固まっていた。
(撃てるわけがない……!)
彼の脳裏には、情報部から回ってきた戦闘記録が焼き付いている。
機械帝国の重機動要塞艦を一撃で粉砕し、ゾアーク帝国の艦隊を単艦で壊滅させた化物。
対抗できる唯一の希望、太陽系連邦旗艦グレート・ヤマトは今、ビッグアース開拓船団の護衛任務で数万光年の彼方だ。
「し、司令! 敵艦、砲門を開く様子はありません! ……直進してきます!」
「……手出し無用だ。全艦、砲撃管制をロックしろ! 間違っても指一本触れさせるな!」
司令官は叫んだ。
もし、うっかり新兵が恐怖で引き金を引いてしまったら?
ネオアルカディア号は「正当防衛」として、この艦隊を瞬きの間に宇宙の塵に変えるだろう。
それだけではない。
あそこには、銀河鉄道管理局との太いパイプがあるという噂だ。
下手に手を出せば、今度は空間鉄道警備隊のビッグワンや、装甲列車部隊がすっ飛んできて、「鉄道の安全運行を妨害した」という名目で連邦軍が粛清されかねない。
第二のトレーダー分岐点の主を撃つとはそういう事なのだ。
さらには──。
(……それに、部下たちの目だ)
司令官は、背後のクルーたちの視線を背中で感じていた。
「キャプテンハーロック」。
その名に憧れ、腐敗した連邦政府よりも、あのドクロの旗にシンパシーを感じている若手将校は少なくない。
そして自由と誇りの為に戦う「有明のキャプテンハーロック」。
もし攻撃を命じれば、その瞬間に艦内で反乱が起き、この艦隊そのものが「第二の有明海賊船団」として寝返る可能性すらあった。
がんじがらめだ。
手も足も出ない。
連邦艦隊は、ただ道を開け、最敬礼に近い形で見送ることしかできなかった。
「……いったい、何しに来たんだ。地球侵略か? それとも連邦本部への殴り込みか?」
司令官の震える問いに対する答えが、まさか「女海賊の口元を綻ばせるための最高級生ワサビの買い出し」だとは、彼らが知る由もなかった。
◇◇◇
地球衛星軌道、自由交易ステーション。
民間の商船や連絡船が行き交う平和な港に、場違いな巨体が近づいてくる。
『こちらネオアルカディア号。……入港を希望する』
管制塔の通信士は、腰を抜かしそうになりながらも、マニュアル通りに応答した。
「き、貴艦の入港目的は……?」
『……観光、および特産品の購入だ。法は守る。……一番デカいバースを空けてくれ』
威圧的だが、どこか行儀の良い通信。
ネオアルカディア号は、パルサーカノンの砲口を伏せ、まるで善良な大型客船のように、ゆっくりと、慎重に接舷作業を開始した。
「……トチロー。ぶつけるなよ? 傷でもつけたら、ワサビの値段じゃ済まない修理費を請求される」
『分かってるよ、有明! ……へへっ、それにしても連邦軍の連中、顔面蒼白だったねえ』
「フッ。……善良な市民の買い物を邪魔するほど、彼らも無粋ではなかったということさ」
有明のハーロックは、マントを翻してタラップへと向かう。
目的は、清流の里。
世界を救う戦いよりも、ある意味で重要な「男のミッション」が、今始まろうとしていた。
◇◇◇
地球連邦軍の哨戒艦隊司令官にとって、その日は「悪夢」という言葉ですら生温い、人生最悪の日となった。
ネオアルカディア号の入港を、冷や汗を流しながら見送った直後のことだ。
レーダー担当官が、今度は悲鳴ではなく、魂が抜けたような声で報告した。
「……こ、高エネルギー反応。……識別信号、Q・E」
司令官は天を仰いだ。
誰かが胸の前で十字を切るのが見えた。
モニターに映し出されたのは、優雅な飛行船のようなフォルムを持ちながら、戦艦をも粉砕する重力砲を備えた、深紅と紺碧の巨体。
クイーン・エメラルダス号。
「……終わった」
司令官がガクリと膝をつく。
宇宙最強の海賊船が二隻。それも、地球の衛星軌道上でランデブーだ。
これはもう、地球侵略の作戦会議か、あるいは連邦本部への総攻撃の合図に違いない。
だが、通信機から流れてきたのは、凛とした、しかし極めて事務的な女性の声だった。
『……入港を希望する。補給のためよ。……あの緑の船の横を空けなさい』
要求はそれだけだった。
エメラルダス号は、震え上がる管制塔の誘導など待たずに、まるで自宅のガレージに車を停めるような手慣れた動作で、ネオアルカディア号が停泊するドックへと滑り込んだ。
◇◇◇
自由交易ステーションのメイン・プロムナード。
そこは、地球の特産品を求める異星人や宇宙の旅人で賑わっていたが、二つの影が歩く場所だけ、モーゼの海割れのように人が避けていく。
一人は、黒いマントの男。有明のハーロック。
その手には、桐の箱に入った最高級の「伊豆天城産・本わさび」が大事に抱えられている。
そして向こうから歩いてくるのは、赤いマントの女。クイーン・エメラルダス。
彼女の手にもまた、高級そうな風呂敷包みがあった。
二人は、通路の中央で足を止めた。
「……奇遇だな、エメラルダス」
有明が苦笑混じりに声をかける。
エメラルダスは、有明の手にある桐箱を一瞥し、そして自分の風呂敷包みに視線を落として、フッと口元を緩めた。
「……貴方が次に『盛り蕎麦』を振る舞うと風の便りに聞いてね。手ぶらで行くのも無粋だと思ったのよ」
彼女は風呂敷を少しだけ解いて見せた。
そこにあったのは、有明が持っているものと同じ、土の香りが残る新鮮な、極太の生わさびだった。
「……薬味には、こだわりたいでしょう?」
その言葉に、有明は思わず声を上げて笑った。
「ハハハッ! 参ったな。考えることは同じか」
「ふふっ……。どうやら、今日の蕎麦は随分と辛くなりそうね」
最強の海賊二人が、地球の命運を握る場所で、わさびの箱を見せ合って笑い合っている。
遠巻きに見守る連邦軍の兵士たちが、その光景の意味を理解できず、ただ呆然と立ち尽くしている中、二人は肩を並べて歩き出した。
「……せっかくだ。食べ比べといこうか」
「ええ。……私の選んだわさびの方が、香りが高いわよ」
二隻の巨艦が並ぶドックへ向かうその背中は、どんな恋人同士よりも仲睦まじく、そしてどんな軍隊よりも強固な絆で結ばれていた。
◇◇◇
地球衛星軌道の自由交易ステーション。
買い物を済ませ、有明のハーロックとクイーン・エメラルダスは、それぞれの船を出し、静かに地球を離れようとしていた。
たった二隻。
だが、その二隻は、全銀河の機械化帝国が血眼になって探す「髑髏の旗」を掲げる最強の海賊船だ。
その横っ面に、無粋なビームを撃ち込んだ馬鹿がいた。
不意打ちの高エネルギー反応。
だが、歴戦の勘とAIトチローの反応速度は、光速を超えていた。
「……トチロー! 緊急加速! エメラルダスを庇え!」
『合点だ! シールド展開!』
ネオ・アルカディア号が、巨体を滑り込ませるようにエメラルダス号の前へ出る。
直撃。
だが、フェムト単位で積層コーティングされた超鋼装甲は、そのビームをあたかもそよ風のように霧散させた。
装甲が赤熱することさえなく、ただ塗装が僅かに焦げただけ。
「……な、何事だ! 誰が撃った!?」
地球連邦艦隊司令部は、蜂の巣をつついたような騒ぎになった。
海賊相手とはいえ、ステーション近海での発砲は協定違反だ。
犯人は──優雅な装飾を施された、機械化帝国の貴族船だった。
「あの馬鹿共が……! 余計な真似を!」
司令官が頭を抱える。
手出し無用でやり過ごそうとしていたのに、寝た子を起こすどころか、ドラゴンの尾を踏みつけたのだ。
「無粋な。貴婦人を背中から撃つとは」
有明のハーロックは、艦橋で冷徹にその貴族船を見据えた。
自分への攻撃なら笑って許したかもしれない。
だが、戦友であり、大切な客人。
エメラルダスに向けられた刃は、万死に値する。
「……トチロー。アレだ」
『了解! 波動カートリッジ弾、装填!』
宇宙空間に響き渡る、あの音。
かつて地球を救った伝説の艦、宇宙戦艦ヤマトのショックカノンの咆哮。
青白い閃光が一閃し、貴族船のブリッジをピンポイントで粉砕した。
「接舷! ……海賊の時間だ。積荷を改めるぞ!」
ネオアルカディア号が、制御を失った貴族船に強引に横付けする。
エアロックが破られ、空間騎兵隊が雪崩れ込む。
連邦軍のモニターには、その一部始終が映し出されていた。
「司令! 海賊たちが略奪を開始しました! ……金品を奪っています!」
「止めさせろ! 幾ら何でも目の前で……」
司令官が叫ぼうとした時、オペレーターが息を呑んだ。
「待ってください! ……映像を拡大します! こ、これは……!」
大スクリーンに映し出されたのは、金塊を奪う姿だけではなかった。
船倉の奥深く。
ガラスケースに閉じ込められた、生身の人間の剥製。
そして、檻に詰め込まれ、怯える人々を、海賊たちが優しく抱き起こし、保護している姿だった。
「……人間狩り……。噂は本当だったのか……」
司令官の言葉が震える。
腐敗した連邦政府は、機械帝国の機嫌を取るために、この事実を見て見ぬふりをしてきた。
だが、現場の兵士たちの目は誤魔化せない。
自分たちが守っている「法と秩序」の裏側で、同胞たちが家畜のように扱われ、尊厳を奪われている現実。
それを救い出しているのは、誰だ?
連邦軍ではない。
「悪」とされる、髑髏の旗の海賊たちだ。
連邦艦隊の一部が、動こうとする。
だが、その進路を塞ぐように、深紅の飛行船が立ちはだかった。
クイーン・エメラルダス号。
砲門を開かず、ただそこに在るだけで、数千の艦隊を凍りつかせる気高き魔女。
『……邪魔はさせないわ。するならば、相手はこの私よ』
その無言の圧力が、連邦軍を縛り付ける。
やがて、救助と収容を終えたネオアルカディア号が離脱する。
「……汚物は消毒だ。三式弾、装填」
有明の無慈悲な号令。
放たれた実体弾が、醜悪な貴族船に突き刺さり、核融合の炎となってそれを浄化する。
宇宙の塵となって消えゆく成金船。
「行くぞ、エメラルダス。……蕎麦が伸びちまう」
ネオアルカディア号とクイーン・エメラルダス号は、悠然と回頭し、地球を背に星の海へと去っていく。
その時だった。
連邦艦隊の最後尾にいた一隻の駆逐艦が、突然、識別信号を切断した。
「……おい、何をしている! 戻れ!」
司令部の制止を無視し、その艦はゆっくりと、しかし確固たる意志を持って、海賊船の後を追い始めた。
続いて、巡洋艦が。護衛艦が。
一隻、また一隻と。
彼らは見たのだ。
機械化人の非道と、それを見逃す連邦の腐敗。
そして何より、己の正しさに嘘を吐かず、弱きを助け強きを挫く、本物の「漢」の背中を。
「……やってられるかよ! 俺たちが守るべきは、あっちだ!」
「ヤマトの魂は、あの緑の船にある!!」
義憤に震える若き士官たちが、帽子を叩きつけ、新たな旗を掲げる。
それは反乱ではない。
「正義」への帰還だ。
ポツポツと増えていく追随者たち。
有明のハーロックは、後方のレーダー反応を見て、フッと笑った。
「……物好きな連中だ。だが、来るなら拒みはしない」
有明はマイクを握り、全艦隊へ──そして、新たに加わろうとする友へ向けて歌い出した。
『ラララーラ、ララララ~……』
それは、海賊国家船団・有明の国歌。
自由と誇り、そして人間の尊厳を謳う、魂の旋律。
『ラララーラ、ララララ~……』
追随する元・連邦艦のクルーたちも、涙を流しながら唱和する。
大合唱が、星の海に響き渡る。
腐りきった秩序を捨て、彼らは今、本当の自由を手に入れたのだ。
二隻の伝説と、それに続く新たな海賊たち。
その艦隊は、一陣の風となって、銀河の彼方へと消えていった。