赤茶けた砂塵が舞う、惑星ヘビーメルダー。
宇宙の十字路、トレーダー分岐点。
その大気圏を切り裂き、一筋の蒸気の軌跡を描いて、銀河超特急999号が降下していく。
ネオアルカディア号の艦橋から、俺はその光景を静かに見下ろしていた。
モニターの向こう、地上にある古びた酒場の喧騒が、幻聴のように聞こえる気がした。
これから、星野鉄郎という少年は、あの扉を潜る。
そして、荒くれ者たちがたむろする中で、堂々と「ミルク」を注文するだろう。
嘲笑されるだろう。侮られるだろう。
だが、彼は決して引かない。
その瞳に宿る、母の仇を討つという悲壮な決意と、トチローから受け継いだ銃の重みが、彼を「子供」から「戦士」へと変貌させる。
「……行け、鉄郎。そのミルクの白さは、お前の魂の純粋さだ」
俺は独りごちる。
酒場のマスターは、彼のその目を見て、教えるはずだ。
ガンフロンティア山の麓。
そこに眠る巨大な古城のごとき戦艦──デスシャドウ号の中に、彼が探している男が居ることを。
そして、それは同時に、一つの時代の終わりを意味する。
俺は視線を横に向けた。
そこには、何も示し合わせていないはずなのに、吸い寄せられるようにしてヘビーメルダーの重力圏に停泊している、深緑の巨艦があった。
アルカディア号。
その艦橋は沈黙を守っている。
だが、俺には分かる。
本物のキャプテンハーロックもまた、腕を組み、地上のあの一点を──親友がいる場所を見つめているのだと。
風が、変わる。
今日の夕刻。
ヘビーメルダーの太陽が沈む時、大山トチローという男の、生身の時間が終わる。
彼は死ぬのではない。
肉体という枷を捨て、魂となってアルカディア号の中枢大コンピューターへと移行する。
親友であるハーロックと共に、永遠に星の海を旅するために。
それは悲劇ではない。
彼が自ら選び、望んだ「最強の友情」の形だ。
だからこそ、俺たちは手出しをしない。
その神聖な儀式を、ただ静かに見守る。それが、友としての礼儀だ。
だが、これから鉄郎が向かう道は、あまりに過酷だ。
トチローの死を看取り、その墓標を背に、機械伯爵の時間城へと殴り込む。
一歩間違えれば、命を落とす修羅の道。
俺はマントの下で、腰の戦士の銃を強く握りしめた。
「……死ぬなよ、鉄郎」
その言葉は、祈りであり、命令だった。
トチローが託した未来。
ハーロックが信じた希望。
そして、俺という「未来から来た忘れ形見」が憧れた、少年の日の幻影。
「お前が生き延びて、男になること。……それが、トチローへの一番の手向けだ」
ヘビーメルダーの空が、赤く、赤く染まっていく。
二隻のアルカディア号は、墓守のように、そして守護神のように、じっとその時を待っていた。
◇◇◇
アルカディア号、そしてネオアルカディア号はヘビーメルダー宙域にじっと構えていた。
レーダーにはクイーンエメラルダス号の姿もあるのが見える。
ひとりの少年が男になるその時を見守るように。
『……高エネルギー収束検知! 座標、デスシャドウ号! エネルギー反応指向、目標アルカディア号!』
ネオアルカディア号の中枢、AIトチローの声が震えている。
それは悲しみではない。
オリジナルの自分自身が、肉体を捨て、永遠の魂となって「帰還」する瞬間への、畏敬の念だ。
『……還ったな、相棒』
『…………ああ。待たせたな、相棒』
二つのトチローが、電子の海で交錯する。
そして、アルカディア号のエンジン音が、ドクン、ドクンと、まるで生き物のような鼓動を刻み始めた。
「……友へ」
有明のハーロックは、ミーメが注いだワインを掲げ、一気に飲み干した。
艦内のモニターには、1億5000万の乗組員たちが、それぞれの場所で杯を掲げ、無言で飲み干す姿が映っている。
偉大なる技師、大山トチロー。
彼がいなければ、この船も、俺たちの命もなかった。
これは別れではない。彼が「船」になった日を祝う、魂の宴だ。
◇◇◇
儀式は終わった。だが、まだやるべきことがある。
デスシャドウ号に残された、トチローの「忘れ形見」──トリさんを迎えに行かねばならない。
そして何より、地上の風が伝えてくる「弟分」の慟哭に応えねばならない。
二隻のアルカディア号が降下する。
赤い大地、ガンフロンティア山の麓。
出来たばかりの墓標に、ハーロックと有明は安酒を振りかけた。
「……行くぞ、有明」
「ああ」
二人はマントを翻し、ガンフロンティアの町へと歩き出す。
腰のホルスターにある戦士の銃が、微かに共鳴し、震えているのが分かった。
兄弟が泣いている。
悪漢の手垢にまみれ、誇りを汚され、助けを求めている。
◇◇◇
ガンフロンティアの酒場。
そこは鉄錆と安酒、そして腐った欲望のオイルの臭いが充満する掃き溜めだった。
「ギャハハハ! なんだこの古臭い銃は! 骨董品か?」
「見ろよこのガキ、地べた這いつくばってやがる! ママのミルクが欲しいってか?」
チンピラの機械化人たちが、奪い取ったコスモドラグーンを放り投げ、泥まみれになった鉄郎を嘲笑う。
だが、鉄郎の瞳は死んでいなかった。
血を流し、足を引き摺りながら、それでもその手は銃の方へと伸ばされていた。
「……返せ……。それは……」
「ああん?」
「それは、俺の魂だッ!! 返せええええええッ!!」
鉄郎が飛びかかるが、鋼鉄の足で無慈悲に蹴り飛ばされる。
チンピラの一人が銃口を鉄郎に向け、引き金に指をかけたその時だった。
バンッ!!
酒場のウェスタンドアが、静謐に、ゆっくりと、開かれた。
吹き込む赤い砂塵の風が、酒場の淀んだ空気を切り裂く。
そこに立っていたのは、一人の影ではない。
二つの髑髏が、死神の如く並んでいた。
店内の喧騒が、一瞬で凍りつく。
恐怖で体内オイルが逆流する音が聞こえるようだ。
「……誰だ、てめえら!」
チンピラが喚く。
本物のハーロックは無言のまま、幽鬼のように歩み寄った。
その歩みは、誰も止められない。
チンピラが銃を向けようとするより早く、ハーロックの左手が伸びた。
グシャアッ!!
「ぎゃあああああああっ!!」
鋼鉄の手首が、まるで枯れ木のように握り潰される。
万力などという生易しいものではない。友を、そしてその意志を継ぐ者を侮辱された怒りの握力だ。
手からこぼれ落ちた戦士の銃を、ハーロックは空中で掴み取った。
「……この銃は、貴様のような男が触れていい代物ではない」
ハーロックは、這いつくばる鉄郎の前に膝をつき、その銃を差し出した。
「……立て、少年。……戦士の銃は、戦士の手にこそ相応しい」
「……キャプテン……ハーロック…ッ」
鉄郎が震える手で銃を受け取る。
その目には、再び不屈の炎が宿った。
だが、これで終わりではない。
友の誇りを穢し、未来ある若者を踏みにじった罪。
それは万死に値する。
ハーロックが、カウンターにあったミルクの瓶を手に取ろうとした──その時。
もう一人の黒い影、有明のハーロックが、スッとその瓶を横から掴み取った。
「……ハーロック。誇りを取り戻したのはお前がやった」
有明は、瓶の栓を親指で弾き飛ばし、ニヤリと笑った。
「コイツは俺に譲ってくれ。……この宇宙で一番、ミルクの味にうるさい海賊としてな」
ハーロックは、フッと口元を緩め、場所を譲った。
有明は、腕を抑えてのたうち回るチンピラたちの前に立つ。
その影が、悪党たちを覆い隠す。
「ひ、ひぃぃ……! な、なんだお前は! ハーロックが二人……!?」
「た、助けてくれ! 悪気はなかったんだ!」
命乞いをする機械化人たち。
有明は、冷酷なまでに静かな声で告げた。
「……喉が乾いているようだな。一杯やれよ」
「や、やめろ! 俺たちの体でそれを飲んだら……!」
安物の機械化人にとって、生身の人間が飲む有機的な液体、特に脂肪分とカルシウムの塊であるミルクは、回路を腐食させ、身体を錆びつかせる猛毒だ。
「……安心しろ。俺たちが味わっている『人間の味』だ。……たっぷり味わえ」
有明は、チンピラの顎を強引にこじ開け、瓶の口を突っ込んだ。
ドクドクドク……!
白濁した液体が、無理やり流し込まれる。
「ぐ、ぐぼあぁぁぁ……ッ!!」
チンピラの体から、バチバチとショートする音が響き、錆びついたような異臭が立ち込める。
それは、自ら人間であることを捨て、さらに他者の尊厳を踏みにじった者への、最も皮肉で、最も重い罰だった。
「……錆びついて、土に還れ」
有明は空になった瓶を放り捨て、マントを翻した。
ハーロックと有明。
二人のキャプテンに挟まれ、鉄郎は呆然と、しかし強烈な憧れを持ってその背中を見上げていた。
「……立て。男なら、自分の足で」
「それでも立てないときは言え。俺がその手を引いてやる」
二人の海賊に促され、少年は立ち上がる。
その手には、取り戻した誇り。
そして胸には、二人の男から受け継いだ、熱い魂が刻み込まれていた。
◇◇◇
時間城が崩れ落ちていく。
機械化帝国の支配の象徴が、一人の少年と、彼を支えた多くの犠牲によって、瓦礫の山へと還っていく。
鉄郎は勝った。
だが、それは彼一人の力ではない。
タイタンのぶどう谷で、親を機械化人に殺された孤児たちを育てていた大山賊、アンタレス。
彼の命を賭した加勢──体内に埋め込まれていた不発弾を自ら起爆させるという壮絶な特攻があったからこそ、鉄郎は機械伯爵の喉元に届いたのだ。
そして、崩壊する城の奥底から、最期の調べが響いてくる。
時間を操る魔女、リューズ
愛した男ために愛を貫いて散った女の、哀しきキダーの音色。
「ラーララ、ラーララ、ラーララーラ……」
同じ「ラ」の音。
海賊国家船団で歌われる、あの勇壮な自由の賛歌と同じ母音。
だが、今、宇宙の真空を震わせて響くその旋律は、あまりにも静かで、あまりにも哀しい。
有明は、ガンフロンティア山の峰で目を閉じた。
聴こえるはずのないその音色が、彼の魂には痛いほどに届いていた。
「……ラララ、ララララ、ララ……」
有明の唇から、その旋律が零れ落ちる。
それは、勝利の凱歌ではない。
散っていった者たちへの、静かなる
有明は、想いを馳せた。
タイタンで、父の帰りを待つ孤児たちへ。
そして、この星の海で、機械化人の手によって親を奪われ、凍える夜を過ごしている幾千幾万の子らへ。
(……聴こえるか。星の子らよ)
有明の歌声は、通信機を通さずとも、星々の瞬きに乗って彼らの夢枕へと届くようだった。
(……今宵、お前たちの兄弟が、父と母の仇を討ったぞ)
鉄郎という名の少年が、お前たちの涙を拭うために、巨悪を討ち果たした。
だが、その影には、お前たちを愛し、守ろうとした不器用な「親父」の命があったことを、忘れるな。
「安らかに眠れ、われらの
有明は、錆びて朽ち逝く時間城の中に消えたアンタレスの魂へ、そしてリューズの魂へ、言葉を紡ぐ。
「お前たちの親父は、立派に戦った。……誰よりも熱く、誰よりも優しく」
アンタレスよ。
お前が守りたかった子供たちは、俺が──いや、この「海賊国家」が引き受けよう。
自由の旗の下で、飢えることなく、怯えることなく、誇り高く育ててみせる。
だから、安らかに眠れ、宇宙の戦士よ。
「ラーラーラ、ラララ、ララララ、ラーララ、ララララ、ラ、ラララ……」
崩壊の粉塵が、星屑のようにキラキラと輝く。
その光の中で、有明のハーロックは、ただ静かに、友を見送る手向けの唄を歌い続けた。
深き沈黙の中で哀悼の意を表して。
キャプテンハーロック、そして有明のハーロック。
彼らは知っている。
英雄とは、勝った者の名ではない。
誰かのために、その命を使い切った者の名であることを。
有明のハーロックは、手向けの唄を歌い終え、静かにグラスを傾けた。
その酒の味は、どこまでも苦く、そしてどこまでも優しかった。
一つの戦いが終わり、また一つ、少年は大人への階段を登ったのだ。